初夏の風に枝がそよぎ、深緑の庇がゆらゆらとざわめいた。
樹下に横たう少女はまぶしげに眉をひそめ、手をかざして降り注ぐ陽光を遮った。
木漏れ日に照らされた手が、ほの温かい紅に染まって見える。
それは、命の色。
自分が生きていることの証。
そう教えてくれたのは――
「わしは、あれは好かん」
病床に伏せる男は、その様に似合わぬ力強い声で言った。
「知っておるぞ……あれは叔父子よ。誰が奴になど、この国をくれてやるものか!」
傍らにただ一人控える女は、無言のまま男の言葉に耳を傾けていた。
「とは言うても、奴よりわしが先となれば――戦になるじゃろうな。のう、わしはいつ逝く?」
ゆっくりと男は、女へと顔を向けた。
幾重もの綾絹に包まれた白い貌が、無表情に男を見つめていた。
「夏が過ぎる頃には。それまでに、間に合えばよいのですが」
笙を思わせるたおやかな声に、男は諦めたような笑みを浮かべた。
「頼長めがなにやら動き回っておるらしい。おそらく間に合うまいな」
「気弱なことを申さるるな。願わずば、叶う望みとて叶いませぬぞ」
声音に混じる微かな揶揄に、果たして男は気付いたかどうか。
再び天井を眺めやり、男は深く息を吐いた。
「今日は気分がよい。少し日に当たるか」
言われるまま女は床から男を助け起こし、二人は連れ立って明るい庭へと出た。
夏の日差しが降り注ぐ庭で、男は心地よげに手をかざした。
「ほれ、同じようにしてみい」
促されて女も、陽光に手をかざした。
陽に透かした掌は光に紅く縁取られ、黒い影の間に間に紅の輝きが映える。
「どうじゃ、美しかろう?」
女は黙って頷き、ふと男を眺めやった。
その切れ長の目が、驚愕に見開かれた。
陽を受けた男の手は、黒く翳っていた。
「それこそ、巡る血潮の彩りよ。わしの命、見立てどおりこの夏限りのようじゃな」
男は静かに微笑んでいた。
白い頬に、涙が伝った。
「今となってはわし亡き後の御妻の身が心配よ。その紅を消し去るようなことになっては、死んでも死にきれぬ」
「されど、今上に付き従っておれば、妾も長き眠りに誘われるとの由。後悔はいたしておりませぬが」
怪訝な表情を浮かべる男に、初めてみせる心からの笑顔。
「なんと!? それはいかん。わしのことはもうよい故、すぐにいずこなりと身を隠すがよい」
「もう遅かりせば、ただただ今上のご寵愛に礼を尽くすのみにござります。それ、あれを」
指し示す方から、手に手に得物を携えた屈強の武者たちが現れ、たちまち二人を取り囲んだ。
晴れ渡っていた空が一転にわかに掻き曇り、大地は激しく揺れに揺れる。
立つこともままならず打ち倒された二人は互いの名を虚しく叫んだ――
「――モ……マモ……タマモったら!」
耳元で大音声で呼ばわられ、飛び起きた少女は目をしばたたかせた。
「起きたか? そろそろ帰るぞ」
一声かけて大儀そうに自転車に跨る青年が。
「ねぼすけめ。もうちょっとで置いてくところでござったぞ」
自転車につけられたリードを肩に回し、今にも走り出しそうな少女が。
そして世界の全てが、夕日に紅く照らされていた。
そうだ、私はこの二人と――
公園に遊びにきていたのだと思い出して、少女はふと小首をかしげた。
なんだかとても懐かしい人に会った気がする。
それが誰かも思い出せぬまま、再び呼ばれた少女は仲間たちとともに夕日の中へと駆け出した。
紅に染まる街角には夕飯のカレーの匂いが立ち込め、人々は変わらぬ日常を繰り返している。
ああ、この街も生きてるんだ――
なぜかそんな思いを抱きながら、少女は目を焼く西日に手をかざした。
その掌も、紅に輝いていた。