それはある日の午後のことだった。
バイトもなくアパートで暇をもてあましていた横島の元へ、突然、何の前触れもなく竜神の一柱がやってきたのだ。
「小竜姫さっまー! 今こそ、神様と人間の禁断の愛をッ!」
一も二もなく飛びかかる横島を、華麗に撃墜した小竜姫は、そのまま淡々とここへ来た理由を語り出した。
竜神のエルボーを頭頂に喰らい、血をダクダク流していた横島をよそに一通りの説明をする。
「それでですね。
色々と神族魔族に図らずとも貢献してくれた横島さんになんと豪華プレゼントが!」
「へー、そうっすか……」
打ってかわって冷めてしまった横島は、小竜姫の説明も、鼻くそをほじりながら聞いていた。
そういう甘い話は、得しないどころか痛い目をあう、ということを経験的に知っていたのだ。
しかも小竜姫がその豪華プレゼントを持ってきた、という理由も、横島は非常にあやふやなものに思えた。
月の一件やらその他のことを解決してくれたから、とは言うものの、その見返りとして修行をしてもらったり、非常に強力な霊的なアイテムをもらったり、美神の懐に全て収まってしまったが、報酬も貰っていたのである。
今更、そのようなことを言われても、横島はピンと来なかった。
「……なんですか、そんなやる気なさげな態度は。
欲しくないんですか? プレゼントですよ? 豪華ですよ?」
「いやあ、俺としてはプレゼントなんかより、断然、小竜姫様との一夜の経験が……がふっ」
思った通り咎めた小竜姫に、さりげなく近寄って、さりげなく肩に手を置くと、マッハピストンパンチを顔面にお見舞いされた。
しかし、横島、抜け目ない。
ちゃっかり、ほじった鼻くそが小竜姫の肩にくっついていたりする。
もっとも、それがどうした、といった類だろうが、気付いた時の小竜姫の精神ダメージは計り知れない。
与えてどうするわけでもないが。
「で、結局いらないんですか?」
「あー、一応貰えるんなら貰っときます。 面倒事以外ならなんでも」
「はい。 では、ここに、色々な神や悪魔の名の下に、横島さんの願いをなんでも三つだけ、かなえてあげましょう」
「……マジ?」
「ええ、マジです。 激マジです」
「そうか、なんでも三つだけ、か……。 世界中の美女と金を俺にくださいッ!」
すかさず、元気を取り戻し、ズババッと手を挙げ、男の浪漫を語る横島。
それに対して、小竜姫は、百万ドルの笑みを浮かべ。
「却下」
しかも、鉄下駄で横島の頭を殴る始末。
ぎゃおー、とのたうち回る横島の首根っこを掴み上げ、痛い痛いと喚いているところを眼光で黙らせ、小竜姫は言う。
「そういう即物的な願いは困りますッ!
仮にも、神族が関わっていることなんですよ?
こういう公的なことで、そういう願いをかなえたらイメージダウンに繋がるじゃないですか!」
「な、なんでもって言ったやないかーッ!
だ、第一頭殴ったり、無理矢理首締めたりするくらいだったら、前もって注意書きくらい……。
そもそも、俺みたいな凡百な煩悩魔神に三つ願いを叶える、なんて言ったらどうなるかシミュレートくらい」
「はい、今ので二つの願いは、聞き届けました。
あと一つの願いはなんでしょう」
「ぎゃわーん! な、なんですと。
願いを言っても叶えない。
都合の悪いことは何も聞かない。
しかし、カウントだけは取るんですか!」
「ええ、まあ、これも規則ですから」
「あんなセコイことして、願い事を消化するのは規則に触れないっすか!
くそう、官僚め! 神族でも何でもあいつらはいつもそうだ。 許すまじ」
願い事は後一つ。
横島は考えに考えた。
即物的な願いは、堅物な小竜姫によって却下されることを、三つの願いを全て使う前に気付いたのは僥倖だった。
物は言い様、つまり、風が吹けば桶屋が儲かる的考えを持ってすれば、即物的な願いでなくとも、自分の望みの結果にすることができるのだ。
かつて、昔、一度だけ、このように三つの願いを適えてやろう、と横島は言われたことがあった。
しかし、そのチャンスはギャグによって流されてしまった。
横島はそのときに学習してきたのだ。
あまり軽はずみなことは言わないように。
慎重に慎重に、考えた。
横島が黙り込むと、小竜姫も何も口を開かず、勝手にお湯を沸かし始め、しまいにはお茶を飲み始めたが、それでも横島は脇目もふらず考えた。
横島の頭の中では、「どうやって、骨の髄までしゃぶってやろう」というアイディアだけに全処理能力を傾けられていた。
あまり横島は、恨みを根に持つタイプではない。
だから、小竜姫に仕返しをしてやろう、と思ってやっているわけではない。
己が煩悩の滾りに身を任せ、彼は普段眠る能力までもを揺り起こしていた。
学校では、ただのセクハラ馬鹿、というレッテルを張られている横島は、今、青狸に未来の道具を貸してもらった小学五年生ばりに頭を働かせていたのだった。
ちーん、という擬音と共に、横島の頭から少し離れた宙に豆電球が光を灯す。
豆電球を見たのか、それとも横島のしたり顔を見たのか、ずずと茶をすすっていた小竜姫は、きっと妙神山修行場管理人の顔になる。
「願い事は決まりましたか、横島さん」
「ええ、もうばっちしです」
睨み合う両者。
しばし無言が辺りを包む。
横島は額にうっすらと汗をかき、小竜姫は流石年の功と言うべきか、経験の差と言うべきか余裕の表情を浮かべている。
ぴりぴりとした空気の中、横島はごくりと喉を鳴らした。
今の状況はさながら、夕焼けの草原に対峙する剣豪か、それともくたびれた酒場の前で向かい合う保安官と悪人か。
意味が無い、つまり無駄な緊張感が、そこには存在した。
「いきますよ」
「いいですよ、横島さん。 ……いつでも」
「俺に惚れろッ!」
……無駄にフラグ立てて、千年後もまた某蛍が思いを遂げることはなくなったとか、そうじゃないとか。
合掌。