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「月に吼える ―第二部・第拾話―(GS)」

maisen (2005-10-28 21:22/2005-10-28 21:54)
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「うおーい、横島ー! 飯だぞー!!」

「おーう」

 広く、澄んだ湖のほとり。柔らかい陽射しは空気を丸ごと包み込み、暖かな空間を作り出していた。 
 湖の縁に突き出すようにして存在する巨岩の上で。忠夫は、今日も今日とて釣り糸を垂れている。

「んぐっ・・・で、どーよ?」

「むぐ・・・だ〜めだな。全く釣れねーよ」

 雪之丞の持ってきた食糧、主に鮮度の良い果物、そして付け合せに少々辛めに味付けのされた何かの魚の煮た物。取り合わせや味の組み合わせのことを一切考慮していない、雪之丞が適当に持ってきた物ばかりである。

 要領を得ない雪之丞の問いにも、釣り竿を降ろす事無く目の前の羽根を眺めつづける。釣り糸に結ばれたそれは、魚が餌に食いついた事を知らせる物である。
 が、忠夫が此処で糸を垂れ始めてからというもの、実に一月。

今だ、一度も動いた事は無い。

「よく飽きねーな。俺だったらとっとと投げて寝てんぞ?」

「・・・そーだな。そーすりゃ良かったんだよなー」

 ふと、その言葉に初めて気付いた、とでも言わんばかりに。
 忠夫は、釣り竿を傍らに置き、ごろりと寝転がった。

「・・・戻らなくてもいーんか?」

「かまわねぇよ。どーせあの猿のゲームに付き合わされるだけさ。今はジークがやってるから、俺は休憩」

 食べ終わった果物の皮を湖に思いっきり投げ捨て、そのまま寝転がる雪之丞。

「ったく。俺は猿の遊び相手、お前は此処で魚釣り。・・・いい加減、体が鈍りそうだぜ」

「そーだな」

「この何処が妙神山で一番危険な修行だってんだ? これじゃ何時まで経ってもあの兄弟子を―――ちっ」

 小さな舌打ちで、雪之丞の言葉は途切れる。しばらく続いた沈黙の中で、忠夫は、何となく、空を見上げる。

「・・・わかったような、わからんような」

「あー? 何か言ったか?」

「んにゃ」

 蒼い空を流れる白い雲。降り注ぐ暖かな光。全部を閉じ込め、それを全て拒否するように、ゆっくりと瞳は閉じられる。

「―――俺の、勝手だよ。ふあぁぁ」

「・・・・・・くかー」

「・・・すぴー」

 さんさんと降り注ぐ太陽の光の下で。二人分の寝息が響いた。


「ワシの本体は、奥でこの場を保つのでパワーの殆どを使っておる。この体は術で作り上げた、分身よ」

「師匠、あまり余裕は―――」

「煩いの、分かっとるなら邪魔するでないわ。小僧、お前はあそこに見える岩の上でしばらく魚でも釣っとれ。道具はジークに持たせる。お前は、この時間で何かを見つけてみせい」

 呆れた風に呟いたジークフリートの言葉を一蹴し、老猿はキセルで湖のほとりにある巨岩を指す。

 つられてそちらを向いた忠夫が、その意味を問いただす為に老猿に視線を戻せば。

「・・・あれ?」

「師匠の術はもう解けましたよ。全く、ご老体と言っても相変わらずの無茶苦茶さだ」

 老猿は居なかった。ジークフリートの苦笑いの篭った言葉が、彼の足音と共に聞こえてくる。

「心外身の術、と言うんだそうです。とは言え、この場を維持しながらですから、多分、力も早さも、殆ど無い筈です。記憶と、自律した知能と、身に付けた技。そんなものでしょう」

「・・・げ」

 先程の、頭頂部に食らった一撃を思い出して頭をさする。十分に痛かったし、はっきり言って見えなかった。あれを、技術、の一言で片付けられてどのような反応が出来ると言うのか。

「見えなかったんだけど・・・」

「ああ、師匠曰く『瞬きの瞬間と呼吸の把握、それから遠心力』だそうです。僕も、一回やられましたからねー。結構痛いでしょう?」

 困った表情と、楽しげな表情を足して2で割った顔で、頭を擦りながら同情の目線を向けてくるジークフリート。

 当惑の表情で同じように頭を擦る忠夫。

 言葉にすればたったの三つであるが、その中身はとんでもないの一言に尽きる。瞬きの瞬間を正確に見切り、呼吸を掴んで不意を討ち、打撃の威力を制御されきった遠心力で追加。

「・・・と、とんでもねぇ猿だな」

「ええ。ともあれ、師匠の言葉通り、あそこで待っていてください。後ほど食糧と一緒に道具をお持ちします」

 そう言い残し、ジークフリートは踵を返して廊下を歩いていく。その先から、雪之丞の声が聞こえた。

「おいっ?! 猿が、変な猿が居たぞ―――おごっ?!」

 すこーん、と良い音を立てて、雪之丞の後頭部に、ゲームのコントローラーが突き刺さる。それが飛んできた先からは、忠夫も里で遠くに聞いた事の在る、猿の声が聞こえてきた。

「あー、迂闊な事を言うと、危ないですよ。師匠、結構大人気ないですか―――んがっ?!」

 今度は、分厚い本がジークフリートの顔面に突き刺さった。落ちたそれを見てみれば、やたらとメカメカしい表紙に、戦闘機のような物が跳んでいる所が書いてある。

「「〜〜〜〜っ?!」」

「と、とんでもなく凶暴な猿だなおいっ?!」

 ビビる忠夫の足元で、ジークフリートと雪之丞がひたすら直撃を喰らった部位を押えて悶えている。
 そしてその光景は、次の瞬間に即頭部に突き刺さった、薄く、丸い、中心に穴の開いた板のせいで、忠夫の意識と共に吹っ飛んだ。


 ある日はジークフリートがご飯を持ってきたり、ある日は雪之丞が持ってきて一緒に昼寝したり。そんなこんなで2ヶ月目。

「ふぁぁぁぁぁっ・・・釣れねーなぁ」

 欠伸と共に出てきた涙をこすりこすり、忠夫はひたすら羽根を見る。じっと見ていても、羽根は微動だにしやしない。

 何時の間にか、羽根から視線が逸れていた。

 辺りには、緩やかに風が吹いている。緑と、青と、土の匂いのする風だ。太陽の光で十分に暖められたそれは、この岩の上に常に吹いていた。

「ジークは「この場の時間の流れは、外の世界では一瞬に過ぎないから焦らなくても大丈夫です。特に雪之丞さん」って言ってたけど、とっとと戻らんと駄目なんだがなぁ」

 湖面は相変わらず、僅かに波打つだけであり、忠夫の声に答える者も居ない。時折、銀色の物体が飛び跳ね、新たに波を作り出す。その波が垂らした糸に伝わると、糸もまた波打つようにその細い体を躍らせる。

「・・・っ」

 握り締めた竿から、小さな音が聞こえた。何処かに飛んでいた意識が、ふと手元に戻る。
 何時の間にか、竿は強く握り締められている。
 
 他でもない、忠夫の手によって。

「ふぅぅ、駄目駄目。今日はもう止めっ!」

 誰に言う訳でもなく、そう言って竿を投げ出し寝転がる。頭上の方向から、騒がしい声が聞こえてきた。どうやら、また雪之丞が負けたようだ。
 聞くとも無しに聞き流しながら、つらつらと色んな事を考えた。

 泣きながら、自分を心配してくれた天竜。おキヌちゃんを笑顔で見送りながら、帰りの車の中でハンドルを無表情に握り締めていた美神。笑顔で、必死で涙を堪えながら、それでも涙を零しながら笑顔で再開の約束を交わしたおキヌ。

 どれもこれも。たったの数週間前にあった事だった。

「ったくよー。心配させるなって言いたいんだろー? わかってるっちゅーねん。簡単にできないから苦労してるんやんけー」

 ぶちぶちと呟きながら、体を起こして釣竿を再び握る。針についた餌が全く、一回も換える必要が無いほど魚に興味を持たれていない事にやるせなさを感じつつ、ひゅっ、とそれを湖に投げ込んだ。
 水音は小さく、広がる波紋は大きく。

「心配される事が無くなったって言ったってなー。軽いって言われたってなー」

 遠くで、また銀色の光が反射した。風は吹き続けている。羽根は、まだ、動かない。

 柔らかな風が、木の葉と共に踊った。

「ふっ!! 俺に出来る事なんてたかが知れとるっちゅーんじゃ。悪いかっ! あーそーだよ開き直りだよっ! 馬鹿やろー! わーっはっはっはぁっ!!」

 突然立ち上がり、腰に手をあて大声で笑う。釣竿は、そこらに放り投げた。
 胸を反らして大笑いしながら、忠夫は大声で叫びつづける。

「無くなった?! それこそ心配されてたってことじゃねーかっ! そんなら俺だっていつか心配されなくなりゃ良いんだろっ!! 足りないってんなら足しゃあいい! 簡単な事じゃねーか! 軽いっ?! そりゃ『今の』あんたからみりゃそーだろさっ!!」

 ぎん、と。湖の向こうに沈み始めた日を睨む忠夫の眼は、不思議と色々吹っ切れていた。

「そんなら―――」

 別にその向こうに何かが見える訳でもない。何か答えを見つけた訳でもない。只、開き直っただけだ。決め付けただけだ。

「―――軽く無くなるまで、言い続けてやるさっ!!」

 すっきりとした顔で、地面に落ちた釣竿を爪先で引っ掛けて蹴り上げる。胸の前まで浮かんだそれを、引っ手繰るように掴み取り、肩に担いで夕日に背中を向ける。

「あー、すっきりした! さ〜て、明日は絶対に釣ってやる。ジークに魚を運ぶ物準備してもらわんとなー」

 釣竿だけを肩に担ぎ、寝泊りしている部屋に向かって歩き出す。鼻歌交じりに、猿にジークフリートの不手際をちくってやろうとか思いつつ。

「あいつも生真面目な癖して、意外な所で抜けてんなー。これじゃ釣っても持って帰るのが大変じゃねー・・・か・・・」

 足が、止まった。

 そのまま、ダッシュで先程まで釣り糸を垂れていた所に戻る。

 おもむろに釣り竿を振り上げ、全力で餌のついた針を投げる。

「・・・おいおい」

 ゆっくりと、糸の角度が垂直に移って行く。水面に触れた糸は、その弛みを無くしながら、風に巻かれて動きつづけている。

 そう、糸は、動いている。糸だけが。

「・・・あ・ん・のっ! クソ猿ー!!!」

 忠夫の絶叫が、穏やかな水面を揺らした。その眼前では、真っ白な羽根が、揺れ動く糸の上にありながら微動だにしていない。ただ糸に結んであるだけの羽根が、糸の動きに影響されてくるくると踊るように動くのが普通である。

 それは、月のように、同じ面だけを見せていた。

 其処までを確認した忠夫は、釣竿を投げ捨て、走り出した。目指すは老猿のゲーム部屋。此処でも一番広い、その部屋だ。

「騙しやがったなー!!」


「んだーっ! この猿、ハメ技は汚ねぇぞっ!!」

「キーッキッキッ!!」

 まっしぐらに駆け行く忠夫の目的地から、雪之丞の叫びが聞こえた。どうやら格闘物でもやっているらしいが、後から響いた猿っぽい笑い声がとんでもなく癇に障る。

 どたどたと音を立てながら、目の前の扉を蹴り開ける。

「くぉらっ!! 猿、あの羽根動かねぇじゃねぇか!!」

「キッ? ・・・キーッキッキキキキ!!」

 扉の向こうから現れた忠夫の声の内容に、ゲームのコントローラーを投げ出して腹を抱えて笑う猿神。その光景を見た忠夫の額に、更に井桁が浮かんだのもやんぬるかな。

「ああっ! 二人とも、そんなに興奮して精神を乱してはいけません!」

 慌てたようなジークフリートの声が聞こえたが、忠夫と雪之丞は怒り心頭といった様子で笑い転げる猿神に詰め寄る。

「うっせえっ! 一発殴らんと気がすまんっ!」

「そーだそーだっ! この猿―――うおおっ?!」

 二人の姿が、壊れたTVに移された映像のように歪んだ。

「キッキッ・・・ふん、よーやく気付いたか。そんな事にもこれほど時間をかけると言う事自体が、己の未熟さよな?」

「師匠?! もう、良いのですか?!」

 笑い転げていた猿神が、笑いすぎで目の端に浮かんだ涙を拭いながら立ち上がる。何時の間にか、しゃがみ込んだ二人の目の前には泰然と立つ猿神の足があった。

「て、手前っ! 喋れるんなら最初からそー言っとけ、この猿っ!!」

「ジ、ジーク、聞いてないぞ、一体何だよこれ・・・!」

 体全体を襲う不快感を必死で堪えながら、搾り出すように言葉を発する二人。その二人を楽しそうに見つめながら、猿神はおもむろに右手を伸ばした。

「ふんっ!!」

 気合の声と共に、伸ばした手の平から、一本の棒が飛び出した。それを振り上げ、猿神は忠夫に話し掛ける。

「どうなったかは、お前が見せてみる事じゃの」

 そのまま、一息で振り下ろした。
 棒が、空間を切り裂く。まるで紙に書かれた絵を切り開くように、其処から全てが解けていった。

「・・・ぁっ!!」

 気が付くと、其処はあの場所に行った際に座った椅子の上であった。目の前には、手を振る天竜姫が居る。

「あれ? 天竜? えーと、あれ?」

「・・・お帰りなさい、犬飼君。ちょっと、遅かった」

 ぺたぺたと心配するように体を触っていた天竜は、漸く安堵の息を放つと少し離れて笑顔を見せた。

「・・・大体、1分。直ぐ戻ってくると思ってたのに」

「―――そう言うでない。ワシとて計算外じゃ」

「うおっ?!」

 慌てて椅子から飛び降り、振り向く。先程と変わらない格好で、棒を抱えるようにしてキセルを吹かす猿神がいた。
 猿神はにやり、と笑って空咳一つ。

「うおっほん! それでは、これより妙神山最難関の修行、本番を始めるぞ」

「え? まだ始まってなかったのかよ?!」

「当たり前じゃ。先程までのは言わば準備。あの場はワシが作った、お主等の魂に過負荷を掛ける為の場じゃよ。その為、と言うかの、その手段として、擬似的な超加速を魂に強いておった」

 忠夫の言葉に、呆れた視線と答えを返す。口元からは、くわえたキセルからの紫煙が昇っている。

「・・・ふぅ。その過負荷から開放された今、お主等の魂は一時的にその出力を増している。このスキに己の潜在能力を引き出せ。出来ない時は、死ぬ時じゃ」

言葉の途中で背中を見せて歩き出す。出口は、忠夫の記憶が確かならば禍刀羅守たちと戦った場所に続いている筈だ。
ゆっくりと息を吐き、勢いをつけて立ち上がる。

「・・・あー、なんか休んだのに休んでねーよなぁ」

 ごきごきと言いそうな感触を覚え、肩を回すが所詮はたった1分ほどしか立っていない生身の体。期待したような骨のなる音は聞こえては来ない。
 それでも体を伸ばし、馴染ませるようにあちこちを動かしていく。

「・・・大丈夫?」

 おずおずと天竜姫が話し掛けてきた。少し俯いてはいるが、瞳は此方の瞳をしっかりと捕らえている。
 その、たった一言の言葉に苦笑いが浮かぶのを感じるが、今の忠夫は、それだけだ。

 心配そうな天竜姫の頭に、軽く手を乗せて、落ち着かせるように何度か動かす。もう頭一つしか違わないその位置を、色んな気持ちを篭めながら、ゆっくりと動かしつづける。

「あー、もう大丈夫。・・・とは、言い切れんなぁ。でも、大丈夫って言う」

「・・・?」

「ん、そー言うこった」

 勝手に歯切れの悪い言葉を残し、勝手に自分だけで納得し、微妙な感覚を残しながら離れていく手。
 言葉の内容は良く分からないが、それでも、ちょっと違う、と思った。

―――きっと、大丈夫だと。

「・・・頑張って!」

「応っ!!」

 だから、駆け出していくその背中には応援だけで良いと思った。


「て・め・えぇぇぇっっ!! 一体何してやがったー!!」

「あら、やーねー。椅子に座った途端動かなくなっちゃったから、心配して人工呼吸と心肺蘇生と診察でも?」

「何処までだっ?! 何処までやったぁぁっ!!」

「・・・ふふふ」

 目の前でにやりと笑う勘九郎に、雪之丞の背中に芋虫が這ったような感触が走る。隣で大変哀れそうにこっちを見ているジークフリートの目が、嫌な予感を倍増させる。

「・・・どっちを選ぶかでちょっと手間掛け過ぎたわね。上を剥いてこれから人工呼吸を「わかったっ! 分かったからもう黙れぇぇぇっ!!」・・・やっぱりそっちの魔族のコにしとけば良かったわねー」

「勘弁してくださいよもうっ! 折角可愛い弟弟子が居るじゃないですかっ!!」

 流し目を送ってくる勘九郎に、必死で手を振りながら拒否の意を示す。

「て、てめっ! 同じ釜の飯を食った仲だろうがっ!」

「それとこれとは別問題ですっ!」

「まぁ・・・それならたっぷりとお礼を・・・じゅるり」

 二人は、一目散に逃げ出した。


「遅いぞー」

「やかましいっ! 手前にいきなり勘九郎のどアップが目の前にあった男の気持ちが分かるかっ?!」

 扉を潜ると、雪之丞的には2ヶ月ほど前に修行を受けるためのテストとして戦った場所だった。のんびりと声をかけてくる忠夫の胸倉を引っ掴み、半分泣きそうになりながら言葉を叩きつける。

「何でお前がガキとは言え女の出迎えで、こっちがアレなんだぁぁっ!!」

「ハーイ♪」

「・・・むー」

 雪之丞とジークフリートに続いて扉を潜って来た天竜姫と勘九郎を指差し、吼える雪之丞。よっぽど怖かったのだろう。
 それに答えて楽しげに手を振る勘九郎と、その横で子ども扱いされてむくれている天竜姫。体は成長したとは言え、そういった行動はまだまだ子供のようでもあり。

「・・・後で天界特製の呪縛術、教えてあげる。でも忠夫に使っちゃ駄目」

「あら、良いの? ラッキーね」

「「やめて下さい。お願いします」」

 やってる事はとてもえげつない。こちらに向かって90度の角度で頭を下げる雪之丞と、隣で何故か同様に頭を下げるジークフリート。それに満足しながら、忠夫に向かって視線を向ける。

「・・・ん」

「おー」

 一つ頷きを見せると、答えるように笑顔で手を振ってくれた。その顔に、何処となく安堵を覚えた。あの人なら、きっと何とかしてくれる。そんな思いと共に。

 不安は、もう、欠片も無い。

「始めるぞ。内容はいたって簡単。ワシとの戦いの中で、己の魂を研ぎ澄ませ。出来なかったら、死ぬだけじゃ」

「おいおい、いーのか爺さん。そんな小さな体じゃ、一撃でふっ飛ばしちまうぜ?」

 漸く、と言った感じで忠夫の横まで歩いてきた雪之丞が、苛立ち混じりの言葉を放つ。

「ふむ。そうじゃの、なら―――」

「「んげ」」

 二人の前で、猿神は見る間に巨大化していく。二人の腰ほどの高さしかなかったその体は、身を包む衣を獣毛に変えつつ、何処までも大きくなっていく。
 唖然とする間に、その体は2階建ての家くらいにはなっていた。

「―――これなら、満足か?」

「ゆ、雪之丞、責任取れよっ?!」

「ほー、良いね良いねっ! 面白くなってきたじゃねぇか!!」

 壮絶な笑みを浮かべる雪之丞と、不遜な笑みを浮かべる戦闘形態の猿神。忠夫は腰が引けている。

「先手必勝ッ! おらぁっ!!」

「死なないように頑張れー」

 一声叫んで瞬間で魔装術を纏い、突っかける雪之丞。猿神は何処からとも無く「金剛如意」と書かれた棒を出現させ、構えた。
 飛び出していった雪之丞を見送りながら、忠夫は霊波刀を展開し、辺りに散らばる石を拾う。

 先ず、雪之丞の全力の拳が繰り出された。

「ふん」

「まだまだっ!もう一丁っ!」

 腕を持ち上げその一撃を防いだ猿神に、跳ね返された反動のまま宙を舞いながら霊波砲を当たるを幸い巨体にぶち込む。
 幾重にも爆炎が広がり、巨体を覆い隠すように煙が踊る。

 次の瞬間、煙の上部を突き破って、猿神の巨体が飛び出した。あっという間に手も届かない上空に、持っていた棒を伸ばして消える猿神。
 その体を上に連れて行った棒が、消えるような速さで縮んで見えなくなり、更に次の瞬間には二人の上に影が落ちる。

「ハァッ!!」

「どわぁぁっ!!」

 慌てて飛び退いた二人の間に、落下と言うよりは突撃といった方が正しい勢いで猿神が落ちてくる。その勢いのままに棒を振り下ろし、地面は抉れて砕け散る。

「と、とんでもねぇぞこの爺っ!」

「無茶苦茶やぁぁっ!! 勝てるかこんなもんー!!」

「馬鹿たれっ! 俺らなら何とかなるだろがっ!!」

 もうもうと吹き上がる土煙を前に、罵声を投げつけあう二人。

「こう言う時はあれだ! 自分の力を信じろってママも言ってた!」

「自分の力なんて信じられるかー!! 相手の力量を良く見ろっ! 勘違いで勝てりゃ苦労はあるかいっ! 戦いなんて常に力学だろーがよっ!! 目の前の現実を直視せんかー!!」

「―――無駄口を叩く暇があるようじゃな?」

 今だ土煙の晴れぬ向こう側から、猿神の棒が雷光の速度で繰り出された。それは簡単に空気の壁を突き破り、今だ回避行動中の雪之丞を叩き伏せる。

「がぁっ?!」

「あのでかさでこれかよ・・・!」

 そのまま吹っ飛び、岩に叩きつけられる直前で忠夫が割って入った。しかし、勢いを殺しきれずに諸とも岩に叩きつけられる。

「どうした? その程度か?」

「・・・っっざけんなぁぁっ!! 俺は、誓ったんだっ! 強くなるってなぁっ!! 俺を、赤ん坊の俺を置いて歳も取れずに死んじまったママになぁぁっ!!」

 ふらふらと立ち上がり、構えを取る雪之丞。

「ったくよー。いつもいつもこんなんばっかりやなぁっ!!」

 雪之丞を受け止める為に消していた霊波刀を展開し、並んで構える忠夫。

「でもなっ! 嫁を貰わずに一人身で死ねるかぁぁぁっ!!」

「―――戯け」

 眼前の巨体が、消える。

「誓いも、思いも、叶えられぬなら只の言葉に過ぎん」

 棒が、真横から突き出された。どてっぱらに直撃するコースのそれに、ギリギリで霊波刀を合わせて防御する。

「なっ?!」

「だから、主らの言葉には重さが足らん」

 霊波刀の防御も、必死の回避も役には立たなかった。一撃で吹き散らされ、直撃は避けたもののまるで半身を根こそぎ持っていかれるような衝撃が襲う。

「「ぐぁっ!!」」

「どうじゃ? 否定できんだろう」

 そのまま隣の雪之丞ごと、吹っ飛ばされた。魔装術を纏う雪之丞は既に流血し、しかも2発目である。受身も取れずに落下し、強かに地面に体を打ちつけた。
 忠夫は魔装術を纏っている訳でもなく、例え人狼の身体能力があっても、紙の盾ほどの役にしか立たなかった。
 一撃、その一撃で、あっさりと襤褸屑のように転がる。

悠然と立つ猿神は、それを只見下ろすだけ。


「・・・げっ、ごほっ!」

「まだ、立つか」

「へっ、当ったり前だろうがよ・・・」

 それでも、このまま寝ているわけには行かない。血を流す体に無理やり力を流し込み、笑う膝を拳で起こして立ち上がる。
 歪む視界を頭を振ってハッキリさせ、立ち上がった二人は猿神を睨みつけて、傲慢な笑いを見せつけた。

「こんな所で寝てちゃ、美神さんに殺されるわい」

「ママに笑われる前に、泣かれちまうぜ」

「・・・ふん」

 綻びそうになる顔を隠しながら、猿神は再び棒を構えた。

「来い」

「「おおおおおおっ!!!」」

 振り上げた手には、何があったのだろうか。霊波刀か、それとも霊力を篭めた只の拳か。
 忠夫は、千切れ飛びそうになる意識を引きとめながら、それでも只、全力でその手を繰り出す。
 隣に、同じく血だらけの雪之丞が見えた。その先に、涙を堪えながら、小さな拳を握り必死で声を嗄らす天竜姫が見えた。隣で、何時の間にか魔装術を纏って、それでも動かずひたすら拳を握り締める勘九郎が見えた。
 ふと、頭に、おキヌの涙混じりの笑顔が浮かんだ。美神の、見た事無いくらい心配そうな顔が浮かんだ。シロの、タマモの、無邪気な、何処か捻くれた、そんな笑顔が浮かんだ。小鳩の、柔らかな笑顔が浮かんだ。今まで会った色んな人の、色んな顔が浮かんで消えた。

「―――は、はははははっ!!」

 何となく笑い出したくなって、その思いは素直に喉から迸る。

「―――守るっ! 泣かせたくない! 心配させたくない! 軽い?! それがどうしたっ! 猿神だかなんだか知らないがっ!!」

 握った拳に、更に力が篭り出す。弾けそうな快感を覚えながら、笑いながら忠夫は吼える。

「―――文句があっても、聞いてやらんっ!! 俺は、このままで、いつか軽くなくなるまで!!」

 もう視界は殆ど閉ざされていた。微かに見える、金色の輪の切れ目に叩きつけるように、握った拳を突き出した。


「重ねて乗せて、重くなるまで言いつづけてやらぁっ!!!」


「・・・犬飼君!」

「あ、ちょ、・・・ああもうっ! 雪之丞、生きてるっ?!」

 結果としては、猿神は悠然と立っており。ぼろぼろの雪之丞と忠夫は、反撃を食らって吹き飛ばされた、只それだけである。
 駆け出す天竜姫の後を追い、自分が何時の間にか魔装術を使っていた事に驚きながらもその後を追いかける勘九郎。
 ジークフリートは、一息ついた後、元通りの大きさに戻った猿神に向かって歩き出した。

「・・・どうでしたか?」

「ま、大丈夫じゃろ」

 キセルを取り出し、吹かし始める猿神。「どっこいしょ」と年寄り臭い声を漏らしながら、地面に胡座を掻いて座り込む。

「・・・くっくっく、ようも言いよるわ」

「お人の悪い」

 困ったように笑うジークフリートの視線の先には、戸惑ったような雪之丞が写っている。その姿は、先程猿神に突っ込んだ時とは明らかに異なっていた。
 それまでの、あちらこちらのでこぼことした印象が無くなり、全体的にシャープな、戦闘機にも通じる魔装術を纏っている。

「ふぅ。ようやく、此処まで来たわね」

「お? あ、勘九郎か、っておい。これどーなってんだ?」

 自分の体のあちこちを触りながら雪之丞が戸惑ったように問い掛ける。それに軽く笑いを誘われながら、その疑問に答えてやる。

「ほら、この鏡を見てみなさい」

 懐を漁っていた勘九郎が、小さな手鏡を取り出して突きつける。それに写っていたのは、目の部分を残して布のような物で覆われた、雪之丞の顔。

「やるわね、あの神様。私の今までの修行が勿体無く思えてきたわ。―――顔を隠す、面を被るのが魔装術の次の段階。己の心に潜む鬼を制御し、潜在能力を引き出してコントロールする。―――真の『魔装』とは、人にして、人に非ず、よ。あー、やだやだ、私も追いつかれないように頑張らなきゃねー」

 嬉しげに微笑む巨漢に、驚いたような顔をしてしまう雪之丞であった。


「・・・犬飼君、犬飼君っ?!」

 その隣で、今だ目覚める様子の無い忠夫を必死で揺さぶる天竜姫。その顔には動揺が大きく現れている。

「師匠、大変ですよ! もし横島さんが死んでたら・・・」

「・・・おおおおお起きんか小僧っ!」

 ジークフリートの言葉に、やたらと凄まじい形相になった猿神が、一瞬で忠夫の上に馬乗りになって往復びんたをひたすら繰り出す。
 忠夫がもしお亡くなりになれば、猿神はとても寂しい事になる。そんな理由で、今までに無く必死に揺さぶる猿神だった。

「・・・邪魔」

「おうっ!!」

 天竜姫が取り出したショットガンは、正確に猿神の即頭部に直撃。たまらず吹っ飛ぶ猿神。但し傷一つ付いていない辺りは流石と言った所か。

「・・・あ、息してる」

「さ、先に言ってくれい、天竜や」

「師匠、さすが武神の最高峰だけありますねー」

 取り戻した忠夫を膝の上に乗せ、ほっとした表情を見せる天竜姫と、その横でぐらぐらする頭を抱えて涙目の猿神。それを感心したように眺めるジークフリート。
 意識を失っている忠夫の口から、小さな呻き声が洩れた。

「・・・犬飼君、おき―――ひゃうっ!」

「んむー」

 その手が、何時の間にか天竜姫の背中に回されていた。真っ赤になって身を伸ばす天竜姫は、それでも忠夫の頭を降ろさない。

「・・・や、ちょっと、犬飼君!」

「ん、んん?」

 そろそろ目を開け始めた忠夫の手は、段々と下のほうへ向かっていた。更に真っ赤になる天竜姫は、その感触にひたすら硬直している。
 爺と軍人も硬直しており、勘九郎はとうとう疲労から気絶した弟弟子を、扉の向こうに鼻歌交じりで引きずっていった。

「・・・あ」

 とうとうその手がそろそろ危ないところまで降り始め―――


「ん、物足りない。後ちょっと」

「・・・・・・」

 天竜姫は、無言で忠夫を投げ捨てた。


―――アトガキッポイナニカ―――
はいすいませんmaisenでございます^^
というわけで月に吼える、第二部第拾話、此処にお送りさせていただきます。

・・・ピンクでも黄色でもありませんよ?(何

レス返しー。

法師陰陽師様>え〜、師匠らしさって、難しいですな。えらそうに喋るだけじゃ駄目だし。もうちょっと渋みを持たせたかったと思います。 は、下っ端ですからして(マテ 文珠・・・ま、今回は置いといてください(爆

D,様>一応喋れましたよー。只、最後の最後だけですが。とは言え喋っていたのは分身だったんですがw

WEED様>ええっ!とんでもない無茶な事をw とりあえず牢屋で100年ほど頭を冷やしていて貰いますので無理ですなw 修正しましたorz

k82様>陰念、里に保護されて良かったね〜w 勘九郎に捕まってたら危なかったでしょうなw はてさて、親馬鹿の方は既にやってますしな、それ。爺馬鹿は・・・他にも色々とw 毎回思うのですが、3番をやったら怒られそうですなーw

zendaman様>ええ、全くですなorz

桜月様>雪之丞は順当に行きました。忠夫君はどうなるのやら、それは次回のお話でー。 ジークの不安は・・・ギリギリでしたとさ(マテ

ト小様>メルヘン不足ってw 勘九郎さんは同乗こそしていませんが、結構寸止め?(爆 果たして忠夫はどうなったのか、そしてどうなっていくのか。此処で答えを返すのもアレですので、楽しみながらお待ちいただけるように頑張りますねー^^

八尺瓊の鴉様>えーと、ほら、狩りとか(マテ 不幸半開と言うよりも不幸半壊なジークフリートさんですがー。 ともかく、きっとそれは気のせいと言うよりも主にトップがアレなせいですよ、間違いなく(爆

ヴァイゼ様>えー、忠夫組のほうの反動が行きましたなw これ以上のストレスで更に可憐になるのか、小竜姫様? ・・・流石に可哀相ですなw 軍隊流の尋問術かどうかは秘密ですw はっはっは、それをやると間違い無くフラグ確定してましたなー。 技術的には全く関係ない修行をさせてみました。・・・ふふふw

ジェミナス様>は、すいません。所詮猿です(マテ あー、怒られましたな(爆

緋皇様>真面目な修行を期待して頂いて申し訳ありませんです^^; こういう形になっちゃいましたねー。 あっはっはー。絵心皆無なので、想像で補ってくださいw 和んでいるのは良いですねー。ほのぼの、好きですよー。

masa様>まぁ、そう言った気持ちが無いといったら間違い無く嘘でしょうがw ともあれ、猿神には猿神の考えもあったり。なんせ天竜姫の婿候補ですからなー。爺馬鹿としては(PI―――)でして。おや、修正が(爆

諫早長十郎様>残念ながら勘九郎は修行者じゃないので同乗してはいませんがー、それでもアレなので結構危険ですw そうですなー、雪之丞は間違い無く身に付けましたな(マテ 過去完了系にならない事を祈ります(爆

柳野雫様>・・・躊躇い無くやりそうですなー。でも、一応人様の家ですからして、あと、めんどくさいからという理由で尋問で。目的果たしたから彼女としてはOKではないかとー。 あう、読まれておりましたかw やはりゲーム猿でしたからねー、今回w

偽バルタン様>厳しい修行しても、精神だけで来てる状態ですからあんまり意味が無いかなー、と。という訳でこんな感じです。 ・・・普段大人しい、真面目な人がはっちゃけると怖いんですよー(マテ

しゅーりょー。

大方の期待を裏切りまして、実にのんびりとした修行でしたが・・・駄目かなぁ^^;
それでは次回も頑張っていきますので、見捨てられなかったら嬉しいなぁ、と思います^^ノシ

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