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▽レス始

「悪霊(GS)」

不可視光線 (2005-10-12 22:33)


 美神令子は持っていた書類を机に放り出し、そっと溜め息をついた。

 十時を少し過ぎた、眠るにはまだ早い時間。美神は自分が担当した除霊仕事の内容をチェックしていた。経理と合わせて、重要な事務仕事は同僚の氷室キヌ――女子高生兼アルバイト――には任せていない。美神は、本来の実務である除霊作業が終わったその日の夜に、事務仕事を処理するという仕事漬けの毎日を送っている。

 美神はもう一度だけ溜め息をつき、首を回して首の周辺の筋肉をリラックスさせる。

 今日はわりと早く終わったわね……。

 美神は目線を中空にぼんやりと送り、その日の業務を振り返る。
 先ほどまで関わっていた書類の文字が、仕事の風景と一緒に踊る。

 どのくらいスマートに――どのくらい安全に――どのくらいのコスト・パフォーマンスで。

 ――――美神は毎日、それを考えている。考えるだけなら、一銭もかからない。

 除霊対象の霊圧――自分の最大霊圧――最低霊圧――こちらの武器の価格。

 同僚の霊力――霊的個性――身体能力――知識――緊張の度合い。


 金銭面以外は数値化できないものだ。そしてそのすべての評価は、チームのリーダー・美神に委ねられる。
 美神は霊能の分野の天才だ。いくつもの要素を分解し、再構築し、要点をピックアップし、隠れた本質を暴いてしまう。リラックス時の美神の計算速度は、母・美智恵を時に上回る。弱点は自身の知識量に依存しすぎていて、自身の知識外のことになると思考停止して、パニックに陥ってしまうことだ。しかし、その弱点はいずれ美智恵のように、経験によって解決すると思われる。


 数分の思考の後、本日の仕事の“最適解”を導き出した美神は椅子から立ち上がった。

 美神にとっての“最適解”は、すべて金銭面に集約される。


 “現世利益最優先!”


 立ち上がった美神は自分への褒美として、ワインを飲むことにした。

 まず、事務仕事を始める前に冷やしておいた白ワインを、冷蔵庫から取り出す。
 次に食器棚の引き出しからワイン・オープナーを取ってから、上部のガラス戸を開けワイン・グラスを一つだけ持つ。
 両手がふさがってフラフラするが、深くは意識せずに、事務机まで悠々とそれらを持ち帰った。

 ワイン・グラスだけを机に置く。そしてワイン・ボトルとオープナーを持ち直した。
 美神はフタの役割をしているコルクにオープナーをねじ込み、丁寧にコルクを抜き取った。
 役目を終えたオープナーを置いてから、グラスにゆっくりとワインを注ぐ。ブドウとアルコールの香りが薄く広がり、美神の心に残る疲れを少しだけ癒した。

 美神はワインで満たされたグラスを持ち、顔に近づけた。
 今度は香りをワインから直接堪能する。

 このイタリア産のワインは安物であるが、美神は気に入って愛飲していた。

 花のような香り、抑えられた甘さ、爽やかな酸味……

 美神は記憶に新しい風味を目前のワインへオーバー・ラップさせながら、グラスを傾けて一気にワインを口に流し込んだ。

 ワインを飲み込み、こくり…と、のどが鳴る。

 アルコールを体に浸透させるよう一拍待つ。

 ――そしてすぐに二口目…三口目……とすきっ腹に流し込んだ。

 つまみは用意していない。

 ワインを楽しむのとは別に、楽しむものがあったから。


 いつの間にか美神は、たいして時間もかけずに、ボトル一本を飲み干してしまっていた。

 美神は照明を消しに行き、また戻ってくる。

 椅子に腰を下ろし、背もたれに深く体を沈めた。

 別の楽しみ――――軽い膨満感と悩ましげな酩酊感を、呼吸のリズムに合わせて味わう。

 何とはなしに窓のほうを見上げてみた。

 窓から月明かりが入って、暗闇に光のじゅうたんを作っている。

 夜は女に優しい……。

 美神はふと、そんな言葉を思いついた。

 “夜は女に優しい……”


 そのまま言葉を頭に浮かべたまま、ゆっくりと目を閉じる。

 …………。

 ……。


 ……。

 …………。

 ピピピ…という電子音に急かされて、美神は机に突っ伏していた顔をあげた。
 髪をやや乱暴に掻きまわしながら、今自分が置かれている状況を把握しようとする。
 眉を寄せ、目をしかめる。
 こめかみに指を当てて、深呼吸をした。
 だんだんと意識が覚醒してきて、

 私、いつのまにか寝ちゃってた――?

 一つの結論を出した。
 そしてすぐ、肩にかかる何かの感触に気付く。

 これをかけたのおキヌちゃん……かしら?
 ……というか、おキヌちゃん以外ないわね。

 肩にかかっていたのは一枚の毛布だった。
 おそらく、おキヌが美神を心配して、様子を見にきていたのだ。
 美神は風邪を引かないですんだことを、おキヌに感謝した。

 電子音の発信源はすぐに見つかった。
 机の上で光る四角形。
 それは美神の携帯電話の照明だ。
 美神はそれを手にとって、少し操作してみる。
 アラームを設定した証拠の記号が表示されていた。
 おキヌが毛布をかけた時に、アラームを設定したらしかった。

 ――本当に気が利くコね。
 なんであんなボンクラを……

 さらに、携帯の時間表示をみて、今が深夜の二時過ぎであることを知る。
 そのまま手持ち無沙汰に携帯をいじくる。
 頭がぼっとして、美神は虚ろな状態のまま手の動きを続けた。
 いつの間にか、画面には『その他のグループ』と表示されている。
 自分が何故そんな所を見ているのか、自分がこれから何をしようとしているのか、美神にはわからなかった。
 まだ、酔いがほぼ完全に残っている。
 しかし、それが原因ではないような気がした。
 何か――超自然的な何か。
 例えば……オカルトのような何か。


『その他のグループ』には一件の電話番号しか登録していない。

 美神に“憑依したらしい幽霊”は、その番号を見つめる。

 何かのための作業を、幽霊が実行しようとしていた。

 幽霊は笑っている。

 美神は除霊のプロフェッショナルだが、今だけはこの幽霊を止められそうにない。

 親指が美神の“知識外”の行動を起こす。

 ――ボタンが、へこんだ。

 十一桁の数字が点滅する。

 幽霊は、美神の知らない間に消えていた。


 代わりに、眠ってしまったせいか、もう嘘と化してしまった言葉が、美神を笑う。


 “夜は女に優しい……”


 さっきまではアルコールが美神の顔を赤くさせていた。

 美神の顔は……

 今、美神の顔は“真っ青”だ。

 今は――――


「……もしもし?」


 今は……?


おわり


あとがき

 初めまして。不可視光線と申します。
 ボリュームが少なくて、読み応えがないかもしれません。
 ただ、少しでも楽しんで頂けたら幸いです。
 それでは、失礼します。


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