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「父の心配事〜前編〜(GS)」

さみい (2005-09-24 20:50)


「パパ、おかえりっ!」
私の鉄仮面に戸惑うこともなく娘が私に飛びつく。妻は微笑みながらゆっくりと歩いてくる。
「あなた、おかえりなさい」
久しぶりの妻や娘との逢瀬。混雑する国際線到着ロビー。混雑は殺人的だった。そんな中で私の廻りだけポッカリ穴が空いたように人混みが空いている。
(何だ?過激派か?あんな鉄仮面つけて)
(鉄仮面の癖にあんな美人の奥さんと可愛い娘がいるのか?)
周囲からの警戒や嫉妬の思考が鉄仮面の隙間から私の頭の中に入ってくる。だから混雑は困る。頭痛がする。
一方、嬉しい思考も入ってくる。
(パパといっしょ♪パパといっしょ♪♪かたぐるまもしてもらえるかな)
(まったくいつもいつもフィールドワークって、私や令子よりいいのかしら。折角帰国したんだから今日は寝かさないんだから!)
私は娘を抱き上げると、苦笑いしながら妻に向かって歩く。抱いている娘の心地よい重さ。そして抱き寄せた妻の華奢な肩。
「ただいま」
私は己の幸せを神に感謝した。

「・・そうかぁ、大変な目に遇ったんだな」
暖かい日差しが入る初春のリビング。東京郊外の自宅で私は妻から留守中の話を聞いていた。パーピーという魔族に二人が狙われたこと、時間移動能力で未来に移動した妻子は未来の娘と助手の横島君・おキヌさんの助力で無事パーピーを撃退して現在に戻ってきたこと、などなど。
妻はチューブラベルの除霊の際に私のテレパシーに対する耐性が出来ているが、長年の夫婦生活で見せたい時だけ私に心を覗かせることもできるようになっていた。話の詳細はテレパシーで補えるので通常の数倍効率がいいが、それでも半年以上離れて暮らしていたので、かれこれ3時間以上話をしている。
「横島君ってのは磨けばいい男になるわね。それにGSとしての潜在能力も凄いわ。将来、私達の『息子』になるかもね・・・」
私の膝の上でウトウトしている娘を見ながら妻が言う。長い話と暖かい部屋・父母が側にいる安心感に娘はいつしか寝てしまったようだ。
(令子が結婚?!)
寝て重くなった娘の重みを感じつつ、私は戸惑う。この子が他の男のものになるなんて・・・。
(許さん!!!)
そんな私の挙動がおかしかったのか、妻がほほ笑む。
「先の話よ。まだまだ先の・・・。未来の令子は相当捻くれてたしね、横島クンとくっつくのは当分先よ。だからそんな力まなくってもいいのよ」
ほおづえをしながら妻がクスッと笑う。
「じゃあ、今日の御馳走をつくらなきゃ。腕によりをかけて作ってるからね」
妻は私の膝から令子を抱き上げると、そっとソファに寝かしてタオルケットを載せる。私の心は娘の重みがなくなった膝と同様、一抹の寂しさを感じていた。


テーブルの上には前日から作り始めたビーフシチュー、手作りパンとサラダが並んでいる。私と妻はワインを、娘は水を飲みながら久しぶりに一家3人で食事だ。娘はとてもはしゃいでいる。
「普段はもっとおとなしいのよ。令子も4歳のお姉ちゃんだもんね♪」
そう言う妻の声も弾んでいる。結界で護られている家での食事だから鉄仮面を外している私に妻と娘の思考が次々飛び込んでくる。

「美智恵、その・・・未来で令子の助手してた横島クンってどう思う?」
私は妻に聞いた。妻は頭の中で次々記憶を回想する。私はそれを読んでいる。
「そうかぁ」
私は妻の記憶を読んで「横島クン」の背丈・人相・服装・態度・妻が感じた印象・妻が未来の娘から聞いた話やその時の未来の娘の態度まで一瞬に理解した。
「れいこはよこしまクンすき?」
突然妻が娘に話を振る。令子は幼い頭で考える。そして即座に答えた
「すき!」
令子の頭の中は横島クンに対する好意以外は無かった。娘の目まぐるしく変わる思考で共通しているのは、一緒に遊んでくれるお兄ちゃん・何があっても自分を守ってくれる守護者のイメージ。私達両親に感じているのと同じ”絶対的な安心感”が垣間見れた。気になることもあった。前世の記憶。どうやら令子の前世は今の横島クンと瓜二つ、というか彼の前世の高島に対し恋慕を抱いていたようだ。今まで気が付かなかったが、横島クンに会って記憶の最深層から私が探れるレベルまで出てきたのだろう。
「れいこはおおきくなったらだれのお嫁さんになる?」
妻が悪戯っぽく娘に聞く。妻は娘の答えが何であっても構わないと思っている。
「う〜ん、う〜ん、う〜、ヨコシマ!」
最後まで私と横島クンで迷った娘は横島クンを選んだ。娘の幼い心の中を読んで他意は全く無いと解っていても、大変ショックだった。前回帰国するまでは私だったのに・・・。
妻が優しく慰めてくれた
(何ガックリしているの?あなたのお嫁さんは私なのよ!今晩覚えてなさい)
妻は声には出さず思考を読ませる。
「ありがとう。楽しみにしているよ」
私は妻に礼を言う。両親の訳が解らない会話に幼い令子の頭の中は疑問符で一杯だ。
「令子はもう寝ましょう。まずは歯磨きね。一人で磨けるかな?」
妻が令子の手を引いて幼児用の椅子から降ろす。
「おやすみ〜、パパ」
「おやすみ、令子」
令子は妻に手を引かれ洗面所に向かった。私はリビングで一人考える。
(横島クンか・・・。今はまだ乳児だから思考を読んでもどんな子か全く解らんな。10年程たったら調べてみるか)
随分気の長い話だが、現在と未来の娘が一番好いていて、妻が娘の婿にしても良いと思う男の子に関心が沸かない訳が無い。

妻の記憶では、誰にも(人外にも)好かれる優しさや広い包容力、重傷でもスグ復活する並外れた体力、といった善い面と、すぐ(未来の)娘に飛びかかったり風呂を覗いたりという悪い面が両立してしまっている。面白い現象だ。そしてどんな時もいつも令子の側にいて支えてくれた。どういう奴なのだろう?
(人間を観察するのは初めてだな)
学者としての探求心を父親として娘の交際相手を探るのに使おうとする公彦だった。


半月後のアマゾン奥地。今や希少になった動植物も多く生息する動物にとって最後の楽園。私はここで動物の行動を研究している。郵便も満足に届かないこの地で何カ月も定点観測を続ける地味な研究だ。月に1回、もよりの街まで妻への手紙とゴミを持って1日かけて行く。そこでゴミを処分してから郵便局で妻と研究室からの手紙を受領し、代りに返事の手紙を投函する。買い物を終えたら、また1日かけてテントに戻る。もう何年もこの生活を続けてきたし、これからもそうだ。学会等のやむを得ない用事以外では帰国もしない。先月帰国したのも年1度の学会があったからだ。留守中妻子が魔族に狙われる事件もあったが、心配でも簡単にここを離れるわけにはいかない。
助手は度々代っている。今の助手は1年前から派遣されている29の男だが、もう戻りたいと言っている。まあ当然かも知れない。人間は基本的に群れで生活する動物だ。短波ラジオでしか日本の事を知ることが出来ず、月に1度の郵便が私達と日本を結んでいるに過ぎない。大抵の者は2年が限界だ。
「美神助教授は奥さんや娘さんが日本に残してよく平気ですね」
この助手は時々同じ質問をする。その都度私は苦笑いをして答える。
「妻はGSだからね。人間がいるからGSが要るんだよ。妻がここに居ても客が居ないんだから霊を祓う必要もないしね。それに子供の教育を考えるとここに連れてくるわけにもいかんだろう」
いつも私は同じ答えをする。そして同じ心配をする。
(それにしても令子が好きな「横島クン」ってどんな奴なんだ?私の娘に近づくからには中途半端な奴じゃ許さんぞ!!)
徐々に大きくなる興味と不安を抱きながら、フィールドワークを続ける私だった。


そして10年後。私は既に知り合いになった郵便局長の訪問を受けた。
「ドクトル、緊急の連絡というのがウチの局に届いたんで持ってきたよ」
日焼けした郵便局長はそう言って一通の封筒を渡す。緊急と書いてあっても普通は局留なのだが、宛て名が私なのでわざわざ1日かけて届けてくれた。
ドクトルという、間違ってはいない(もちろん博士号はもっているので)ものの筋違いな呼び名は、かつて病気のインディオを日本から持参してきた薬で治療して以来、この地での私のあだ名となっている。
「ありがとう」
封筒の裏を見ると、差出人は六道夫人だ。局長の目の前で封を開ける。

「・・・妻が死んだよ」
「おお、お気の毒に・・・。何と言っていいか。」
「除霊中に現場に迷い込んだ近所の子供を庇って死んだらしい。娘の令子は妻の父母が面倒みてくれているそうだ」
「そういえば奥さんは退魔師でしたね。何ということでしょう。ドクトル、すぐ帰国したほうがいい。」
私は助手に後を任せて急遽帰国した。

妻の葬儀は義父母や妻の師匠だった六道婦人の手で全ての準備が完了していた。喪主と言っても私は葬儀に出席して遺族席に座るだけだった。空っぽの棺。「妖怪との戦闘で〜跡形もなく消滅したのね〜」と言う六道夫人の言葉がなければ冗談かと思うところだ。泣きじゃくる娘を抱き締めるしかできない私が恨めしい。なぜ美智恵は死んでしまったのだろう。

葬儀の後、今後のことを妻の父母・六道夫妻と話し合う。娘は中学2年。感受性が高い年頃だけに妻の死が悪影響を与えなければいいが・・・。
「美神さんが〜外国にいる間は〜、令子ちゃんを〜ウチで〜預かっても〜いいのよ〜。ウチには〜冥子もいるし〜。」
間ののびた六道夫人の言葉が頭に響く。妻の父母も預かっていいと言ってくれている。結局私は妻の実家に娘を預けることにした。
「娘を頼みます」
妻の父母にそう言って、私は妻の実家を後にした。


久しぶりに本郷の研究室に顔を出すと、助手の一人が会議室に私を呼びだして一通の手紙を差し出した。
「この度はご愁傷さまです。それと、これは奥様が亡くなる直前、大学にお見えになって私に預けていかれた手紙です。葬儀でお渡ししたかったんですが、奥様から「内緒で主人に渡して」と言い付かっていたので人が多い葬儀ではお渡しできませんでした。」
助手は言うだけ言って退室してしまった。一人残された私は手紙を開封して読み始めた。


『あなた、愛しています

私が時間移動ができることから魔族に狙われていたのは知っているわよね。このままだと、令子にも害が及ぶことになりかねない。それに近い将来、その魔族が人界に攻め入る計画があることが判ったの。だから当分の間は姿を隠して魔族討伐準備に専念します。このことは私と六道夫人だけの秘密。唐巣神父も知りません。

だから・・・あなたの美智恵は生きているので安心してください。だけど、決して令子には教えないで下さい。あの子にも魔族の監視網が及んでいますから。私も、あなたも、令子も、みんなつらいけど、暫くの辛抱です。令子と、未来の助手の横島くん・おキヌちゃんが、7年後にこの世界を救うことになります。3人にはとてもつらい目に遭わしてしまうけど、私はこの世界を護るために心を鬼にして頑張ります。

半年ほど潜伏してからアマゾンのあなたのところに行って討伐準備を始めることにしますから、楽しみにしててね。しばらく2人で新婚時代のように暮らしましょう。

あなたの美智恵より』


そう書かれた手紙を読み終えた私は思わずため息をつく。これからずっと令子に寂しい思いをさせなければならない。言ってしまえば、おまえの母は生きていると言ってしまえれば、どんなにいいことだろう。しかしそれでは美智恵の偽装は水泡に帰すことになりかねない。
(やっかいなことになったな)
そう思って2度目のため息をついた時、会議室のドアがノックされた。

入ってきたのは教授と先ほどの助手。
「美神くん、ちょっといいかね」
教授はそう言うと私の返事を待たずに椅子を引き出して座った。助手はドアの側で立ったままだ。
「美神くん、この度はご愁傷さま。ところでお願いがあるんだがね」
「何でしょう?」
警戒したまま教授の方を向く。
「3カ月間ほど阪神大学の田渕教授のところに行ってくれないか。彼から美神くんを貸してほしい、と頼まれていてね。内容は動物行動学の見地から教授の仕事をレビューすることだ。彼は他の分野の学者からチェックを受けたいと言っていてね」

阪神大学の田渕教授はウチの教授の親友で、心理学、とりわけ緊急時における人間行動の権威だ。以前消防庁から非常誘導設備の再検討を委託されて行った研究は先日の十日デパート火災で威力を発揮した(放火による火災で規模が大きかったのに拘わらず死者ゼロ・負傷者も極めて少なかったのは田渕教授の避難路設計方法に準拠して建築していたためと言われている)し、運輸省からの委託でメーカーと共同研究した船舶・航空機のライフジャケットでも教授の新方式では誤装着率が従来の半分・装着時間が従来の3分の2に短縮された。しかし動物行動学とは分野が離れ過ぎている。なぜ?
「美神くんの奥さんは魔族との戦闘で亡くなったんだったね。迷い込んだ近所の子供さんを助けて。万一の時に人々が安全に避難出来るための研究を助けるんだ。これも奥さんの遺志を遂げると思ってぜひ行ってくれ。アマゾンは3カ月間ここから院生を二人応援に出して対応するよ」
目の前の老教授は頭を下げた。この老教授は心底私のことを心配している。妻が死んで傷ついた心が癒えるまでしばらく日本で生活させようという心くばりだ。これで四十九日にも出れる。目頭が熱くなるのを抑えて私は教授に言う。
「田渕先生のお役に立つかどうか判りませんが誠心誠意頑張ります」
私はそれだけ言うのがやっとだった。


大阪では吹田のキャンパス近くに宿を取った。他分野の学者の学究成果をレビューすることは私にとっても初めての経験だったし、田渕教授のアプローチが動物行動学でも使えそうなことも私の興味をかきたてた。毎晩遅くまで田渕研究室で残業する日が続いた。そんなある日、田渕教授から呼ばれた。
「あんまり詰めると効率があがらんぞ!たまには休んで大阪や京都を観光したらどうだ?3日間程徹底的に遊んでこい!」
田渕教授は私を強引に大阪の街へと送り出した。

大阪の街を散策する私。急にやることがなくなってしまい、今日は図書館で暇をつぶすかと考え初めていた私は、急に『横島クン』の事を思い出した。
(たしか住所は・・・)
妻が未来の横島クンから聞き出した住所はすぐ見つかった。大手商社の村枝商事の社宅。社宅の小さな公園で遊んでいる子供に声をかける。
「横島忠夫くんはどこかな?」
私の鉄仮面に興味深々の子供が答える
「タダオちゃんやったら多分夏ちゃんと銀ちゃんちや」
「銀ちゃんちって・・・どこ?」
「・・・・・」
仕方なく鉄仮面を外して子供の記憶を読む。彼の記憶では横島クンは相当な悪餓鬼だがミニ四駆という玩具では王者。尊敬と軽蔑が入り混じった印象をもっているようだ。銀ちゃんと夏ちゃんという子は横島クンの親友らしい。銀ちゃんの家も判った。まずは本人に会わないと。

いざ「銀ちゃん」の家についた私は困惑してしまった。何と言って会えばいいのだろう。門の前で躊躇していると運よく向こうから出てきた。

「じゃあ調査に出発や!」
おかっぱの利発そうな女の子が高らかに宣言する。
「夏子、そないはりきらんでも」
横島クンらしき少年が遠慮がちに言う。
「忠ちゃん、何言うてんねん。大川さんが困っているんや。あのお化け屋敷に買い手がつかんかったら大川さんのお父さんの会社潰れてしまうかもせえへん。そしたら大川さん転校してしまうかもせえへん。同級生の一大事や」
「う・・・」
横島クンは言い負かされてしまったようだ。この位の子供だと女の子の方が何倍も弁がたつ。
「”かもせえへん”が2回もあるよな話、いくら夏ちゃんでもなぁ」
もう一人、多分『銀ちゃん』らしき少年は幾分頭が廻るようだ。
「何言うとんねん?!さあ、探検や!」
各々棒切れを持った少年少女は勇ましく(?)目の前を行進して行った。

目的の洋館の前に揃った3人は塀を乗り越えて中に侵入する。この家は住む人も居なくなって相当経っているように見える。建築には素人の私が見ても築後50年は経っていそうな古びた洋館。敷地は300坪程度だろうか。庭は手入れされなくなったのことに抗議するかのように草木が生い茂り、子供の背丈程はある。
(成る程、『お化け屋敷』に相応しい佇まいだな)

ところで、分別のある大人、という意識は時々間違いを引き起こす。この時の私がそうだ。さすがに東都大理学部助教授の私が、無人とはいえども民家に侵入するわけにはいかない。そう思って塀の側で躊躇していると、ふと看板が見えた
『売家 大川不動産 06-xxxx-xxxx』
ここが先程の話の「大川さんのお父さんの会社」だろう。ここまでの話で推測すると、どうやら転売目的で購入したものの評判が悪く転売できず、資金繰りに困っていると思われる。私はその番号を手帳に控えると、近くの公衆電話を探した。

「はい、大川不動産です」
年配の女性の声が出た。私が客を装ってあの屋敷について聞くと、女性は内部事情らしきことまでペラペラ喋ってくれた。
「じゃあ、今建っている古い家は築70年も経っているんですか?」
「ええ、お客さんも住むつもりは無いでしょう。旧華族のお屋敷だったんですが、奇跡的に戦火で焼けなかったとは云え、あれだけ老朽化しては修理しても無駄ですよ。10年前に屋敷の女主人が亡くなってからは全く修理もしていませんし。でもお客さん、化け猫が出るなんて噂信じないで下さいね。あの屋敷に興味を持ってくれたのはお客さんくらいなんですから」
売れないのは営業にも問題があるのではないかという考えがよぎったが、それをおくびにも出さず、購入を検討する旨だけ言って電話を切った。

(化け物屋敷かぁ。あの子たち平気かな?横島クンが霊能力に目覚めたのは娘と出会ってからというし・・・)
そう思った私は化け物屋敷に引き返した。

化け物屋敷は静まり返っている。
(変だな。あの3人が入っているからウルサイくらいの筈だが・・・)
私は勇気を出して塀を上り始めた。


そのちょっと前。
3人組はカギのかかった玄関を諦め、勝手口から屋敷内に侵入していた。蜘蛛の巣があちこちに張られている。旧華族のお屋敷だっただけあり、台所も大きく立派だ。10畳程はあるだろうか。きっと往時は幾人ものメイドたちが甲斐甲斐しく働いていたに違いない。
「冷蔵庫が2台もある!」とは銀ちゃん。
「でけー台所〜」と忠夫。社宅の狭い台所の倍以上の大きさだ。
「さすが華族のお屋敷ね〜。私もこんな所のお嫁さんになりたいわぁ〜」と夏子。
皆一様に驚いている。
「台所でこんなやったらリビングはさぞ凄いんやろね〜」
夏子が先頭になって、銀ちゃん・忠夫と並んで進んで行く。夏子は棒切れで蜘蛛の巣を払ながらリビングのドアのノブに手をかける
ぎぃ〜
きしんだ音をたてるドアが開くとリビングが見える。カーテンが所々ボロボロになり破れ、そこから入る光が内部を照らす。16畳程の部屋に古い調度品が散見される。
「ドッチボールできるね」
銀ちゃんが場違いなことを言い出す。
「きっとパーティとかしてたんやわ。ええわぁ〜」
夏子が感想を言う。一番最後の忠夫が部屋に入ると、ドアが勝手に閉まる。
「えっ?!」
「忠ちゃん、わざわざドア閉めることあらへんよ。」
「俺、閉めてへん」
「「えっ?!」」
銀ちゃんと夏子が驚く。
そして暗闇に慣れた3人組の目に部屋の端にいる謎の生き物の姿が飛び込んできた。どうやら猫のようにも見えるが、しっぽが2本あるように見える。暗闇で不気味に目が光る。
「きゃ〜!」
夏子がやたら棒を振り回す。銀ちゃんにも当たり、銀ちゃんは今にも泣きそうだ。
忠夫は夏子が振り回す棒にあたらないように気をつけながら猫のところに向かう。
「何者や?!」
忠夫は猫に質問する。
どうみても普通の猫ではない。尻尾は2本に分かれ、後ろ足だけで直立している。敵意がなさそうなのが救いだ。尻尾を立たせて敵意剥き出しであれば忠夫も近付かなかっただろう。
「おまえ怖くないのか?あの2人のように怖がらないのか?」
猫が忠夫に質問を返す。あの2人、つまり夏子と銀ちゃんはお互い無我夢中で棒を振り回している。忠夫は2人に声をかける。
「夏子!銀ちゃん!落ち着き!!。この猫に馬鹿にされとるやないか」
忠夫はこう言った後、ふと疑問を口にした。
「そういえば何でこの猫喋っとるんや〜!?I
次の瞬間には3人揃ってパニックに陥っていた。


5分後、3人組はパニックも収まり、部屋の真ん中に座り込んでいた。前には尻尾が2本に分かれた猫が1匹。
「俺は横島忠夫!」「銀一や」「私は夏子!よろしゅうな!」
子供たちが猫に向かって挨拶する。
「僕は猫又だ。もう200年も生きてるんで名前は何度も変わってる。この前はミーやった。その前はタマ。その前はミケ。そのまた前は「もうええよ」・・・」
挨拶が長くなりそうなので忠夫が割りこんで止める。話が長いのは校長先生だけで十分だ。
「で、このお屋敷にでる化け猫ってのは自分か?」
忠夫が猫又に尋ねる。隣の銀ちゃんや夏子は息を飲んで猫又の返事を待つ。
「化け猫?!」
猫又は心外そうな顔付きだ。
「そうや。化け猫が出るいうてこの屋敷売れんで大川さん困ってはる。なんとか平和に出てってもらえんやろか?」
なるべく猫又の気持ちを逆撫でしないように夏子が静かに告げる。しかし「化け猫」という言葉はミーくんの前では禁句だったようだ。

「僕は猫又だけど化け猫じゃない!人間が勝手に化け猫と言っているだけだ!」
猫又の「ミー」は言葉を荒立てた。しっぽを立てていることから怒っていることがわかる。
「まーまー、ミーくんも落ち着いて!忠ちゃんや夏ちゃんも悪気が有って言うてるんやないんやし」
銀ちゃんが仲裁する。さすが学年で好感度ナンバーワンの男の子だけある。
「ところで猫又って猫の種類なの?」
ガクッ。猫又のミーくんが派手にズッコケる。さすが関西の猫又だ。
「銀ちゃん、知らんで話聞いてたんか?猫の品種か思ってたんか〜!」
忠夫のツッコミを受けてミーくんが説明する。
「猫又というのは何百年も生きとる猫のことや。僕は三毛猫だけど、シャム猫やペルシャ猫の猫又もおるよ。直立できて、尻尾が2本とか、スゴイ奴になると5本くらいに分かれてるのが特徴や。よく「人間を食う」とか言われとるけど、それは誤解や。ホンマは「人を食う」だけや」
話のオチが判らない小学生3人。いや、判っているようだが、あまりのオヤジギャグにフリーズしている。
長い沈黙の後、ようやく再起動した忠夫が尋ねる。
「で、何でこの屋敷におるの?」
「それはなぁ・・・」
ミーくんの話は以下の通りである

最後のご主人様は元華族のおばあさんだった。おばあさんは大正末期に結婚、僕はその直後におばあさんの飼い猫になった。夫妻は終戦で地位・財産の殆どを失った。あちこちにあった田畑も農地解放で小作人の手に渡った。たくさんあった満鉄の株券も紙屑になった。それでもおばあさんには楽しみな事があった。戦争に行った一人息子が帰ってくるのをおじいさんと二人で毎日楽しみに待つことだ。
戦争が終わって十数年もたって、戦死と見なす、という裁判所の通知が届いた。二人はとても悲しがっていたが、「決して戦死の知らせではない。儂等は帰ってくるのを気長に待とう」というおじいさんの言葉で、再び二人は息子さんを待つ生活に戻った。
そのうち、おじいさんが亡くなった。怪しい「親戚」とかが大勢やって来た。それをおばあさんと僕で追い返した。
10年前、おばあさんも亡くなった。おばあさんは亡くなる直前に僕にこう言い残したんだ。
「ミーくん、お前、猫又なんだろ?判っていたよ。だってお前は何十年も年を取らないのだからね。それにお前が息子に絵本を読み聞かせてくれたのは知っていたよ。あの時はありがとう。ミーくん、お願いだから、息子が帰ってくるのを私の代わりに待ってておくれ。あの子が帰って来た時に、何もかも無くなっていたら、あの子、きっと悲しむからね。お前が居れば、あの子が生まれる前からこの家に居て、あの子の最初の友達だったお前が居れば」
おばあさんは亡くなった。猫又の僕にとって飼い主との死別は珍しくない。だけどおばあさんは特別だった。おばあさんは僕の正体を知っていた。その上で僕に後の事を頼んでくれたんだ。だから僕はおばあさんの代わりに息子さんを待ち続ける。それこそ何十年だって。
怪しい「親戚」は化術を使って追い返した。この屋敷はいつの間にか転売されていたみたいで、よく不動産屋も来たけど、いろいろ化かして追い返してやった。「親戚」はひょっとしたら本当におばあさんやおじいさんの親戚かも知れないから多少は手加減してやったけど、不動産屋はそれこそ一世一代の大芝居でこっぴどく撃退してやった。俺は息子さんが帰宅するまでこの家を守るんだ、それがおばあさんとの約束なんだ・・・


猫又ミーくんは一枚の写真を床の上に置いた。3センチ角くらいのセピア色の写真。写っているのは学帽を被った青年。
「君達、このお兄さんをみたことないかい?」
3人は顔を見合わせる。

「銀ちゃん、戦争って50年以上前に終わったんやよね〜」
夏子が小声で銀一と忠夫に囁く。銀一が頷く。
「じゃあ、このお兄さんって、今はお爺さんになっているんか?」
「50年前でこの年だと今じゃ70ちかいぞ〜」
「ウチのお爺ちゃんと同じくらいだ」
「どんなお爺さんになっているか想像もつかんぞ」
「でもこのお兄さんを見つけないとミーくん納得しないよ」
あの戦争のことを知らない子供たちは3人で相談を始めた。
「じゃあ、みんなでお兄さんの消息を探そうよ。この家に籠もっていても、お兄さん見つからないよ」
忠夫の提案にうなずく2人と1匹だった。


カタン
どこかで大きな物音がした。この屋敷の中らしい。子供たちはビクッとする。ミーくんは尻尾を立てて警戒感を露にする。
ギィ〜
ドアが開いて、鉄仮面を被ったスーツ姿の男が入ってきた。3人と一匹は震えながら抱き合った。


「じゃあ、おっちゃんは動物のくらしを研究している学者さんで、悪い奴じゃないんだ」
夏子ちゃんが確認する。私は黙って頷く。
私・美神公彦は目の前で震え上がる子供達と猫又に自己紹介をした。
「ミーくん、良かったね。このおっちゃん、怪しい親戚や不動産屋じゃないみたいだよ」
横島クンは膝に載せた猫又に言う。猫又「ミーくん」も尻尾を下ろして警戒感は見られない。
(警戒を解いてもらえたようだな。動物学者で良かった・・・)
私は話を聞いてしまったこと、何か手伝えることがあったら手伝う意志があることを、この中では一番しっかりしていそうな夏子ちゃんに伝える。夏子ちゃんは
「ウチら子供では無理なことがあったら、おっちゃん、よろしゅうな」
と言ってペコリと頭を下げた。同時に両手で横島クンと銀ちゃんの頭を下げさせる。横島クンは猫又に頭を下げさせる。
(この子たちには猫又は全く怖くないのだな)
そう思うと私は妙に楽しくなってきた。自分も子供の頃に戻ったような、そんなひとときだった。帰りがけに私は東都大の名刺に現在いる阪神大学田渕研究室の電話番号をメモして夏子ちゃんに渡した。

ピィーポーピィーポーピィーポー
外が騒がしい。パトカーの赤色灯の光がちらっと見えた。
「「「警察だ〜!」」」
「ミー君は隠れたまえ。君達も早く逃げるんだ」
子供達と猫又が部屋を出て行った。間もなく警察官に包囲された。
「おい、お前、この空き家で何をしている!」
「仮面を被った怪しい男が塀を乗り越えて侵入したと通報があってな。所有している大川不動産にも現状を尋ねる不審な電話があったと言うし、何か売れる物は無いか物色してたのか?」
3時間後、学生時代の友人が身元を引受けに来るまで、若い警察官と年配の警察官にこっぴどく絞られたのは言うまでもない。


(続く)

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