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▽レス始

「犬達の午後(GS)」

おびわん (2005-09-07 17:10)


夏の日の午後。狭い部屋の中は外からの熱波を受け、まるでサウナの様な状態だった。

歓声をあげながら走っていく、こんがりと日に焼けた小学生達を死んだ魚の様な目で見送り、伊達雪之丞は窓辺からゆっくりとその視線を傍らに移した。

「・・・おい。」

視線の先、所々に染みの付いた畳の上に、うつ伏せになって倒れている男がいた。

暑さに耐えかねた雪之丞が窓際に移動してからかれこれ二時間、少しも動かないままにいるこの男。

もしもまだ生きているのなら、名を横島忠夫という。

「・・・生きてるか?」

返ってこない返事に、雪之丞は再度声を投げかけた。

「・・・横島?」

「・・・だまれ、・・・喋るとカロリーを消費する。」

生気の無い、蚊の鳴く様な弱弱しい声だが漸く返事が返される。

「・・・・・。」

溜息を吐き、雪之丞は再び外へと視線を戻した。

「美神の大将も酷な事をしてくれるぜ、まったく。」

額に流れる汗を拭い、雪之丞はポツリと呟いた。


現在、二人がこの様な状況に在るのには訳があり、そしてその理由にはやはり美神令子が関係していた。

横島のバイト先である美神除霊事務所。そのオーナーの美神令子は今、彼以外の助手全員を連れ、海外へ旅行へと出かけているのだ。

何でも特上の精霊石が大量にオークションに出品されるらしく、彼女は友人達と先を争うように出て行った。

「後は頼んだわよ? 横島クン。」

「すみません、お土産買ってきますから。」

「先生、行ってくるでござるよ!」

「飛行機! 飛行機っ! ・・・べ、別に楽しみなんかじゃ無いんだからっ。」

「アンタ達、ちんたらしてんじゃ無いワケッ!」

「あ〜んっ、待ってよぉ〜。」

飛行機の離陸時間に遅れまいと、慌しく出て行った美神は忘れていた。

そう、すっかり忘れてしまっていた。

明日は某従業員にとって、親の命日よりも重要な『給料日』だと言う事を・・・。


    犬達の午後


「腹ぁ・・・減ったな。」

誰に言うでもなく、雪之丞は洩らした。

久しぶりに日本に帰って来た雪之丞だが、恋人の弓かおりは門弟全員での修行とやらで不在。仕方が無いので横島に食事をたかろうとやって来たのである。

だが。

のっそりと上がりこんだ部屋で彼が見たものは、自分の膝小僧を舐めながら泣いている、生涯の好敵手と決めた男の姿だった。

聞けば、給料を渡さないまま行ってしまった上司の所為で、
こうして一週間もひもじい思いをしているのだそうだ。

当てが外れて肩を落す雪之丞。
しかし他に行くあてもないので、仕方なく彼の隣りに腰を降ろした。

それから三日。

既に部屋中にある食物、それこそ塩や砂糖までしゃぶり尽くした二人には、もう後が無かった。

美神達が出て行ってから今日で十日目。
出発前に聞いた予定では、彼女達が帰って来るのは明後日である。

それまでは出来るだけカロリーを消費せずにいようと、こうして二人、冬を越す獣のように耐えているのである。

しかし、それももう限界のようだ。

進退窮まったこの状況を打破するべく、雪之丞は幾つかの提案を述べてみることにした。

「なんつったか、てめぇに惚れてる隣りの娘。・・・あの子に何か喰わせて貰えねぇのか?」

「・・・お前は『あの』小鳩ちゃんにたかれる程落ちぶれたのか?」

「・・・・・。」

遠くで鳴く蝉の声が空腹に響く。

「なら魔鈴の店は?」

「・・・五日前からイギリスに行ってる。」

「イギリスゥ?」

「『UKパンクの魂に触れる会』の会合に出席するんだと。」

ゴロリ、と寝返りをうち、横島は答えた。
凹んだ腹部と浮き出たアバラ骨がなんとも寒々しい。

「神父・・・は問題外か。」

「ああ、俺らよりひでぇからな。」

まるで疲れを知らないかのように鳴き続ける蝉の声を聞いていた雪之丞だったが、
ふと疑問に思い、それを横島に尋ねてみた。

「なあ、そういやなんでこの辺りだけ、蝉の数が少ねぇんだ?」

聞こえてくる蝉の声は、全て此処からある程度離れた場所からの物ばかりなのだ。

その言葉に、ゆらり、と幽鬼のように上半身を起こした横島。
彼はそのまま何処か彼方を見つめながら、悟りを開いた修行僧の様な声で呟いた。

「油で揚げるとな、結構いけるんだ・・・。」

「お・・・お前。」

横島の告白に戦慄を覚える雪之丞。

・・・俺もまだ覚悟が足んねえって事かよ。
流石だぜ、横島っ!

妙な方向に感心する雪之丞を尻目に、何を思ったか、横島はふらりと立ち上がった。

「もう・・・いやだ。」

「あン? どうしたんだ横島。」

様子のおかしい横島の態度に、雪之丞は不吉を覚えて眉をひそめたのだが、
その友人の訝しげな視線も気にならないようで、横島は爆発したように絶叫をあげた。

「こんな生活、もう嫌じゃあっ! なんで一日一食、しかも『水とマユゲ』なんだよっ!!」

「俺に言うなよっ!!」

「『畳のケバって食べれるのかなぁ?』ってどんな会話だよバカヤローッ!!」

「だから俺に言うなって!!」

あまりの不条理と怒りの為、空腹も忘れて怒鳴りあう二人。

そのまましばし顔を歪めて睨みあっていたが、やがてどちらからともなく目を外し溜息をついた。

相変わらずの蝉の声が気に障る。

「・・・・・最後の・・・手段。」

俯いたまま、小さな声を洩らす横島。
だがその声は確りと雪之丞の耳に届いていた。

「何かいい考えでもあるのか?」

「ある事には・・・ある。」

顔を上げた横島の瞳。
その奥に、雪之丞は確かに恐怖に染まった光を見た。

「これなら多分、金か飯が手に入る。だが、一歩間違うと死に至る事になるだろう。」

「・・・・・。」

「はっきり言って、素人にはお勧め出来ない諸刃の剣。」

ゴクリ、と雪之丞の喉が鳴る。
彼にも、横島の言葉がけして嘘や大げさではないという事が理解できたのだ。

しかし。

「・・・・・へっ、上等ぉ。」

覚悟を決めた戦士の顔で、雪之丞は不敵に笑う。
多少自暴自棄の気もあるのだろうが、残念ながら他に道は無い。

「良いんだな?」

無言で頷く雪之丞。
それを受けた横島は、残酷な陽射しの照りつける外へ目を向けた。


「・・・・・おい。」

「・・・・・。」

ジト目を向けてくる『少女』を無視し、横島は慣れた手つきで化粧を続ける。

「おい横島っ!」

「言うな。俺だって判ってんだ。」

『お尻が見えそうな程短いスカート』を翻し、横島は少女へと振り向いた。
その顔は綺麗に彩られ、年齢以上の艶を醸し出している。

「一体何をするかと思えば、『文珠で女装してナンパされる。』かよ。バカかテメーはっ!!」

そう怒鳴る『雪之丞』。

トランジスタグラマーな体型と、それを包む赤いワンピースが彼女の魅力を一層際立たせていた。

「だからオススメ出来ないっつったじゃんかよ。」

「だからって・・・だからってぇっ・・・!!」

無人の美神除霊事務所に入り込み、所長の私服を漁った横島。

彼は嫌がる雪之丞に無理矢理『女/化』の文珠を押し当て、見事な美少女に変身させたのだった。

当然、自身は『横島タダヨ』へとチェンジ済みである。

「泣いてちゃカワイイ顔が台無しだぜ? ユキノちゃ〜ん(はぁと)。」

「テメェ殺すっ、殺してやるぅっ!!」

「わははははっ! かぁ〜わぃ〜いっ、ユゥ〜キノちゃ〜んっ。」

ギャイギャイと騒ぎ立てる、(見た目は)美少女二人。
そんな彼女等に、何処からか遠慮がちな声が掛けられた。

『あの・・・、お二方・・・。』

「「ンあ?」」

その声に、複雑な形で組み合ったままピタリと止まった二人。
双方服装が大分乱れており、見様によっては淫猥な猫試合の最中の様である。

『オーナーの服なんか持ち出して大丈夫なのですか? 私、もう部屋が血で汚れるなんてご免こうむりたいのですが・・・。』

「人工幽霊一号・・・。解ってくれ、もう他に道は無いんだ。なぁ雪之丞?」

「いや・・・俺は別に。」

こんなの絶対ぇうまくいくわきゃねぇって・・・。

唇を尖らせ、ぶちぶちと文句を並べるユキノ嬢にタダヨは溜息を一つ、彼女の手を取った。

「ったく。ホラ、これ見てみ?」

そう言って彼女を備え付けの姿見の前に連れてきたタダヨ。

渋々ながら、タダヨの示す方を見やったユキノ嬢だったが、その頬はみるみるうちに薔薇色に染まっていく。

「こ・・・、これが、俺・・・・・?」

「美っ人だなぁ、おい。」

肩の辺りまで緩くウェーブのかかった美しい髪。
アーモンド形の目の周りを覆う長い睫。パールピンクのリップが映える小粒な唇。
本来の持ち主には絶対似合わないであろう、可愛いデザインの服に身を包んだ可憐な姿。

紛れも無い美少女の姿がそこに在った。

「こんだけ美人な子、ほっとくヤツなんかいねぇよなぁ?」

「・・・・・ママに似ている・・・。」

頬に手を当て、ウットリとした表情で己の姿に魅入られているユキノ嬢。
その様子にタダヨは気取られないようにニンマリと口を歪めた。

(くく・・・。これで『万が一』の時の為の『生贄』は確保出来た。)

邪に笑うタダヨ。ついで彼女は最後の不安材料を消去すべく、
人工幽霊一号へと声をかけた。

「ささやかな幸せの為、こんなに頑張ってる俺達の事、まさか告げ口したりなんかしないよなぁ!?」

『いや、でもその、・・・人としてそれはどうかと・・・。』

「ウルセェ、階段の手摺りにチ○コ付けてオ○ニーするぞコノヤロー。」

『どうぞお達者で、ご成功をお祈り致しております。』

タダヨの説得にに、快く応じてくれた人工幽霊一号。
こうして後顧の憂いを無くした犬達は、空腹を満たすべく太陽の下へと猟に出掛けたのだった。


時間は五時を過ぎ、そろそろ夕刻と言ってもよい時間帯。
しかし温度は然程も下がらず、気を抜けばバターにでもなってしまいそうである。

夕刻の駅前は、様々な人間達で溢れかえっていた。

暑さをビールで紛らわそうと飲み屋へ急ぐ男達、出勤途中のお姉様方。
目的も無しにたむろする少年達や、甲高い嬌声をあげる少女達。

そんな有象無象を鷹の様な眼で値踏みする二人の少女。

彼女等の艶に誘われた何匹もの蛾が突撃を試みたが、背の低い方の少女の素っ気無さに全て撃沈していた。

今も幾つもの好奇の視線がその身を舐めあげているのだったが、彼女達の眼鏡に適う者は居ない様だった。

「おい、いい加減にしやがれっ!」

背の高い方の少女が、傍らの少女に耳打ちする。
どうやら、先程からの彼女の態度が気に入らないみたいである。

「金持ってそうなヤツなら誰だって良いじゃねえかっ!」

「んな事言ってもよぉ・・・、は、恥ずかしいじゃねえか。」

赤い顔で俯く少女、ユキノ嬢。

彼女は近寄ってくる男達、いずれに対しても黙して目を合わせ様ともせず、
それでも諦めようとはしない輩は、当身を喰らわせて路地裏に捨てる始末。

それが周囲の者達に目撃された結果、彼女等に声をかける男は激減したのだった。

「俺にもよぉ、イメージってもんがあんだよ。・・・かおりに見られたら・・・。」

「お前なぁ〜って、おいっ!」

尚も文句を垂れ続けようとするユキノ嬢を遮り、タダヨは人込みの向こうを指し示した。

彼女が指す方、行き来する幾多の人々の群れ、その中に一際目を引く巨漢の姿が在った。

泣いた子供が更に泣くような厳つい顔をしているのに、どこか気弱そうな表情。
その上、他人と比べて地に伸びる影が薄く見えるのは気のせいだろうか。

タイガー虎吉。

恋人とのデートの帰りなのか。
その幸せそうに緩んだ顔を見るに、なかなか良い時間を過ごせたようである。

ところでGSを職とする者は皆、大なり小なり『第六感』という物が常人よりかなり発達している。

それは危機を回避する上で、必要欠かざる物なのだったが。

迂闊な事に、彼のその『第六感』は今、その機能を果たしてはいなかった。

いや、仕方の無い事なのだろうか。
漸く手に入れたささやかな幸せに目が眩み、己を狙う、餓犬の視線に気付けなかったのは。

「・・・最近よぉ。なんかアイツだけ幸せな気がするんだが。」

「エミの大将に給料上げてもらったらしいじゃねぇか・・・。」

夕日を受け、ビルから落ちた影にその顔を隠された二人の少女。
しかしその瞳だけは暗い炎で爛々と燃えていた。

「・・・アイツなら・・・良いよなぁ?」

「・・・ああ、全く何にも感じねえな。憐憫の情も、後悔も、何もな・・・。」

二人は背筋の凍る、悪魔の様な顔で笑い合った。

「「けけけけけっ!!」」


タイガー寅吉は幸せだった。
恋人の一文字魔理との仲は順調に深まっていき、今日は何と手まで繋いでしまった。

この調子なら、夢にまで見た初キッスまではそう時間は掛からないかも知れない。

「・・・幸せって、良いもんジャノー。」

足を止め、空を仰ぎ見て彼は呟いた。
赤い夕日にダブった魔理の笑顔が、彼の体を熱くさせる。

こんな自分でも、慎ましく生きていれば相応の人生が手に入る。

自分とは真逆の毎日を送っているだろう友人達の姿を思い浮かべ、彼は『こちら側』に居られる事に感謝した。

タイガー寅吉は幸せだった。
そう、この瞬間までは・・・・・。

フッと微笑み、もう何回も繰り返した『今日のデートの思ひ出』を再び脳内で再生しようとした瞬間。

彼に人型の不幸が襲い掛かった。

「あ、あの〜。スイマセン。」

「?」

突然掛けられた細い声。
何かと思い振り返ったタイガーの前には、不安げに此方を見上げる少女が立っていた。

かなりの美形である。

腰まであるストレートの艶やかな黒髪、タイガーの視線を無意識に惹き付ける豊かな胸の隆起。

「あの、お願いがあるんです・・・。」

緊張で体を硬くするタイガーの手をそっと取り、少女が鈴の音の様な声で話し掛けた。

「な、何ですカノー?」

「妹が、妹が持病の癪で動けなくて・・・。手伝っては頂けませんか?」

何やら時代錯誤な事を言い出す少女。
しかし、テンパり気味のタイガーがその不自然さに気付く事は無かった。

「ワッシで良ければ、お手伝いしますがノウ。」

「嬉しいっ、有難うございます。・・・こちらです。」

タダヨと名乗った少女はタイガーの太い腕にその手を絡ませ、人気の無い路地の方に引っ張って行く。

怪しさが爆発する少女の態度だったが、タイガーは肘の辺りに押し付けられる豊かな膨らみに気を取られ、やはりそれに気付く事は出来なかった。

(許してつかぁサイ、魔理サンっ。これは人助けなんですジャー。)

心中、恋人に対してそう弁解するものの、緩みきっただらしない顔で言っても説得力は無い。

「こっちです、こっち。」

そう言って引っ張りつつ、益々胸を押し付けてくる少女に、
タイガーの内に眠る『イケナイ野獣』が急激に成長していく。これが若さか。

「いきなり蹲ってしまってどうしようかと思いましたが、親切な人に逢えて良かった。」

少女はそう言って潤んだ目で微笑む。
媚びる様なその瞳に、さらに猛り、己を封じる檻から出ようと暴れる『イケナイ野獣』。

(こ、これはもう、ワッシに惚れとるとしか・・・!!)

フンフンと鼻息荒く、終いには校歌でも歌い出しそうな勢いでタイガーは彼女について行く。

だがこっそりと胸に当たる肘を動かし、その感触を楽しむのは忘れなかった。

「ここです、この奥です。」

彼女とまだ見ぬその妹、そして一文字魔理の三人と共に全裸でプールに飛び込み、
少女達に揉みくちゃにされながら『ジョニー・B・グッド』を歌っている妄想に浸っていたタイガー。

夢から覚めた彼は、下心満載の笑顔で少女に振り向いた。

「この奥に妹さんがおるんカイノォ?」

「はい。急ぎましょう。」

人が二人並べばもう動く事も出来なさそうな、狭くて暗い裏路地。
姉があれだけ美人なら、妹の方もさぞや・・・。そう勢い込んでタイガーはそこに足を踏み入れた。

そのまま少し行けば、少女の言う通り確かに暗がりに蹲る小柄な影が。

「お嬢さんっ! ワッシが来たからにはもう安心ですケェっ!!」

何の根拠も無い台詞を叫びつつ、タイガーは猛然とその影に突進した。

「あ、貴方が姉さんの連れて来た・・・?」

「タイガー寅吉ですジャー! (おおうっ、ワッシ好みの美人ですジャー!!)」

「・・・私はユキノ、と申します。」

期待通りの美人の登場に、さらに鼻の下を伸ばすタイガー。
蹲った少女は苦しそうに荒い息を繰り返し、助けを求めるように涙混じりの眼でタイガーを見上げてくる。

「御免なさい。では、背を摩っていただけますか?」

「お安い御用ですジャー!」

グローブの様な手をワキワキとさせ、少女ににじり寄るタイガー。
それに対して何故かワンピースのボタンを外し、誘うように白い肩を剥き出しにするユキノ嬢。ノリノリである。

ニヤリ笑う顔を背けているユキノ嬢と、いやらしい手つきで彼女の背を触りまくるタイガーの背後。

タダヨは獲物に感づかれない様、こっそりと手中に文珠を具現化させた。

『金/棒』

「あっ、タ、タイガーさん、そこは違っ(この野郎、調子に乗りやがって)!!」

「すまんですっ、間違えましたんジャ! (わしゃしゃしゃしゃ、女体、女体ぃぃぃ〜っ!)」

半野獣化し、ユキノ嬢への悪戯に没頭していたタイガーだったが、
不意に背後に現れた巨大な霊波に驚き慌てて振り返った。


・・・今日、彼が最後に見た物は、凶悪なデザインの金属バットを振りかぶる少女の姿だった。


「タダヨォホォォォムランッッッ!!!」

「ぶべらぁっ!?」

顔面に叩き込まれた容赦の無い一撃に、意識を半分程持っていかれるタイガー。
しかしまだまだバットの動きは止まらない。

「タダヨホームランっ! ホームランッ!! ホムーランッ!!!」

「ぶべらっ! はべらっ! ほべらっ!!!」

倒れ伏した巨体に、何度も何度も金属バットを振り下ろす。
タイガーがピクリともしなくなった頃、タダヨは漸くその手を止めて、額に浮いた汗を拭った。

「ぜぇっ、はぁ、はぁっ。・・・ふっ、悪は滅びた。」

とても良い笑顔で微笑んだ悪魔は、痙攣する獲物のポケットからいそいそと財布を抜き出し、服装を整えたユキノ嬢と共にその仲を覗き込んだ。

中におわすは二人の夏目様。

「ちっ、たったこんだけかよ。」

「仕方ねぇ、デート帰りっぽかったもんな。」

強奪した上に文句まで垂れる悪鬼達。
だがそれでも、今の二人には大金である。仲良く千円づつ分け合い、二人は路地を出た。

「んじゃま、飯でも喰いに行こうや、横島。」

「だなっ。よ〜し、パパ特盛り頼んじゃうぞぉ!」

「ワー、パパカッコE〜〜〜っ!!」

意気揚揚と歩き出す二人だったが・・・。
悪行は還ってくるらしい。ここから二人の転落が始まるのである。

ドンッ

「あっ!?」

「むっ!?」

らったったぁ〜。とスキップ気味に歩いていたタダヨ。しかし喜びの為に注意力が散漫になったのか、行き違う通行人にぶつかり、大事な札を持った手を開いてしまったのだ。

「ああっ。ちょっ、ちょっとぉ〜!?」

タダヨの手から離れた千円札は、まるで三流喜劇の一場面のように風に乗ったまま流されていく。

十数メートル先に漸く落ちたそれに、慌てて走り寄ろうとしたタダヨだったが。

「小鳩ぉ〜〜っ!! 千円よっ! 千円落ちてたわぁぁ〜!!」

『ラッキーやなっ! これもワイのお陰やでぇ〜!!」

見慣れた二人がそれに飛びつき、大声で所有権を主張した所で彼女は足を止めた。

「も、もう。お母さんと貧ちゃんったら・・・。ちゃんと警察に・・・。」

その二人に遅れてやって来た、清貧を絵に書いたような少女が顔を赤らめ溜息を吐いた。

だが、彼女の母親達は全く聞く耳持たないようだ。

「すき焼きよっ、久しぶりにすき焼きを食べましょうっ!!」

『ええなぁ〜。ワイはビフテキも喰いたいなぁ。』

「食べましょう食べましょうっ、今日はお腹一杯食べましょうっ!」

「あ、こ、小鳩はお寿司が・・・って、待ってよ二人ともぉ〜!!」

衆人環視を掻き分け、恐ろしい速さで走り去っていく女性二人と変な生き物。

「・・・・・。」

呆然とした顔で彼女らを見送っていたタダヨは、やがて力尽きたようにがっくりと膝をついた。

情けなさ過ぎるその後姿に、ユキノ嬢もどう声をかけて良いか判らず、
取り合えず傍によろうとしたその時。

「やぁ、済まないね。怪我は無いかい?」

タダヨの煤けた背中に掛けられたキザな声。
ゆっくりと顔を上げた彼女の前には、季節を無視した長髪の男が立っていた。

「!?(なっ。さ、西条ぉ!?)」

(西条の旦那か・・・ややこしい事になりそうだな。)

やけに甘い笑顔で、西条輝彦は蹲ったままのタダヨの手を取り立たせ上げる。
タダヨも流石にこの男にだけは正体を見破られたくないらしく、拒否せずにしたがった。

「僕の不注意で・・・、悪かったね。」

「い、いえ。そんな。私も前を見ていませんでしたし。」

「そうそう。悪いのは横し・・・姉さんの方ですから。」

こう見えても超一流の霊能力者である西条の事。
いつ二人の正体に気付くか解らない。

そうならない内に退散しようと後ずさるタダヨとユキノ嬢だったが。

「いやいや。どうやらお姉さんの方にはお金を失わせてしまったみたいだし。
どうだろう。ここは僕に食事でも奢らせてはもらえないだろうか?」

「いえ、私達、これから用事がありまして・・・。」

「そこは近江産の牛をとても美味しく食べさせてくれる店でね。オーナーとは友人なんだが・・・。」

断りの言葉も聞こえない風で、西条はタダヨとユキノ嬢、
彼女等二人の腰に手を回して颯爽と歩き始めた。

(うわっ。西条のこの顔、さっきのタイガーにそっくりだ。)

(一体どうすんだよ横島ぁっ!!)

(いやどうするって・・・どうしよう!?)

小声で猛烈に囁きあう二人だったが、気絶させて逃げようにもタイガーの様に簡単に西条がやられてくれるとは到底思えない。女に対して軟派でも、彼は油断などしない男なのだ。

そうこうしてる内にも、彼女らを伴った西条はどんどんいかがわしげな歓楽街へと歩いていく。

(どーすんだっ! このままだと西条の旦那の事だ。見た事も無い魔技で俺達の事を・・・。)

(嫌じゃあ〜っ!! 男は嫌じゃあ〜っ!!)

まさに絶体絶命の危機。
この事態を脱すべく、タダヨの桃色の脳細胞が高速で回転する。


ポク、ポク、ポク、チ〜ン


(羊を使うしかねぇっ!!)

考えた結果、結論を出したタダヨは、挙動不審に視線を彼方此方させているユキノ嬢の腕を取り、彼女が抗う間もなく西条の方へグイ、と突き出した。

「残念ですが、私はこれから外せない用事がありまして。代わりにこのユキノにお礼を受けさせますわ。」

「ん、そうなのかい? 残念だな。」

「なっ!? 横、じゃないオネーサマッ!?」

予想もしていなかった戦友の裏切りにユキノ嬢は目を見開いたが、
タダヨはその口を封じ、なおも言葉を続けた。

「ホホホホホッ。ユキノ、私は帰りますから、この方からしっかり御礼を受けていらっしゃいな。」

そう言い残して踵を返し、駆け去ろうとしたタダヨだったが、
対するユキノ嬢もそのまま良いようにされるような軟弱な根性の持ち主ではなかった。

がっしと裏切り者の肩を掴み、その細腕では考えられない様な握力で締め上げたのだ。

「い・や・だ・わぁオネーサマ。お礼はオネーサマが受けるのが当然ではなくってぇぇ?」

ギリギリギリ

「ちょ、ちょっと痛いわよユキノォォ。はぁなぁしぃてぇぇえぇぇぇ〜〜〜。」

ギリギリギリ

「はぁなぁすぅかぁぁぁぁ〜〜〜っ!!」

「離せやぁぁぁぁ〜〜〜〜っ!!」

醜い争いを続ける少女二人を西条は暫し腕を組んで眺めていたが、
やおら手を打つと、妙にさわやかな笑顔で歯を光らせた。

「ふむ、話しを結論づけるに、君達は僕に抱かれたいと。そういう事だね?」

「「なんでだあぁぁぁぁっっっ!!!」」」

何故そのような結論に至ったのか理解しがたい西条の言葉に、
タダヨとユキノ嬢は見事なコンビネーションで彼に拳を叩き込んだ。

夕暮れの街に閃光が走る。

どうやら西条の余りの飛躍に、タダヨ達は勢い余って霊波を放射してしまったらしい。
半壊した道からはぶ厚い煙が際限なく立ち昇り、嫌が負うにも人の目を集めた。

「はあ、はあ、い、今の内に・・・。」

「そうだな、に、逃げるか・・・。」

爆発の向こうに西条の姿が消えた事を幸いに、二人はこの場を離れようとした。

だが、残念ながらそれは適わなかった。

「フハハハハッ、とりあえず食事にでも行こうかぁ〜っ!!」

煙を打ち払い、高らかな笑い声と共に無傷の西条がにゅるりと現れたのだ。
なぜか無傷どころか埃一つ付いていない。

「ひ、ひいいぃぃぃぃいぃぃっ!!」

「ママ、助けてママァ〜〜ンッ!!」

西条の余りの不条理に、少女二人は心底恐怖した。
恥も外聞も無く、それでも彼女達は逃げ出そうと踵を返したのだったが。

振り向いたそこには、今、日本に居る筈の無い女が立っていた。

井桁マークを浮べた美神令子である。

自分達に止めを刺す女の登場に、タダヨとユキノの足は主の意思を裏切って
その威圧感の前に平伏した。

(なな、なんで美神さんがぁ〜。)

(・・・・・ママ。)

助手の少女達を引き連れて登場した美神令子。
彼女は辺りの惨状を無言もまま見回し、その鷹の様な眼を青い顔の西条へと向けた。

「こんにちわ、西条さん。」

「や、やあ。令子ちゃん。」

先程までの無敵ぶりは何処へやら、西条は一転、獅子の前の仔兎の様な
表情で、いかに美神の気を逸らそうかと必死になっていた。

「南アフリカと聞いてたけど、早かったんだね。」

「まあね。西条さんの速さも相変わらずみたいだけど。」

そう言って美神は立ち竦むタダヨとユキノ嬢を睨み付けた。

(こ、ここは何とか俺達から気を逸らさせて・・・!!)

(この場を離れるっきゃねぇなっ!!)

お互いにアイコンタクトで通じ合い、逃げ出すタイミングを見計らうタダヨ達。
しかし、その彼女達の努力を無駄にするかの様な一言が西条の口から飛び出した。

「い、いや、違うんだ令子ちゃん。この子達は道を訊ねてきただけなんだ。ねぇっ!?」

「道を?」

真実味の全く無いその言葉に、美神は再びその視線をタダヨ達へと戻す。

(ゴラァッ、西条ってめぇ〜っ!!)

(余計な事言うんじゃねぇっ!)

値踏みする様な美神の視線を、必死に顔を背けて避けようとする二人だったが、
その身は彼女の一言に更に凍りついた。

「あんた達、どっかで会った事あるような・・・。」

そう二人を半眼で見回す美神。
タダヨはその視線に危険レベルがレッドゾーンに突入した事を認識した。

「無いですわっ、会った事なんて一度も無いですわっ! ねえユキノっ!?」

「ええオネーサマッ。会った事無いですわっ、全くっ!!」

「そう?」

「「ハイッ!!」」

美神からの疑いが確固たるものに変わる前に逃げよう。

「「ほほほほほっ! じゃっ!!」」

誤魔化す様に笑い、その場から立ち去ろうとした二人。
しかし、宇宙意思は『因果応報』という言葉が好きなようだ。

このままタダヨ達を解放する気は毛頭無いらしい。

なぜなら。

この獣っ子二人をこの場に使わしたのだから。

「なんでおなごの格好をしてるんでござるか? 先生。」

「て、ゆーか。美神さんの服よね、ソレ。」

それまで不思議そうな顔でタダヨ達のやり取りを眺めていたシロとタマモ。

獣妖の嗅覚か。彼女達は一目でタダヨとユキノの正体に気付いたのだが、
しかしソレがどういう意味なのか、という事までは理解できてはいなかったようだ。

「「っっっげぇ!?」」

「・・・・・ほほおぉ〜。」

シロ達の図星の一言に呻き声を上げるタダヨ達と、それだけで全てを察して眉を吊り上げた美神。

ゆっくりと振り向くタダヨとユキノ。
その視線の先には、恐ろしい笑顔で懐から神通混を抜き出す美神の姿が在った。

「どういう事か、説明して貰いましょうかしらぁぁ〜。」

溢れ出る黒いオーラが、彼女の髪を蛇神のそれの如く蠢かせる。
その人外の迫力に、タダヨとユキノに掛かっていた文珠の効力が消し飛んだ。

「え? 君達が化けてたのかい!?」

間抜けな女装姿を晒す横島と雪之丞に、西条が今更な台詞を吐いた。
だがその言葉も、今の二人には遠く届く事は無いようである。

「いやっ、美神さん。これにはワケが・・・っ。」

「お、おうっ。そうなんだ大将っ!!」

根の合わない歯を必死に酷使し、横島と雪之丞は慌てて弁解しようとするのだが。

「・・・まぁそれは後で聞くとして、取り合えずアンタ達ぃ。」

放射する霊波の圧力に負け鞭状に変化した神通混を手に、
美神は笑顔のまま、泣き叫ぶ二人に判決を下した。

「死刑。」

「うわ聞く耳持ってねぇっ! 助けてくれおキヌちゃんっ!!」

こうなればもう菩薩に頼るしかない。
横島は落ちてくるギロチンの刃から逃れようと、傍らに立つおキヌの足元に縋りついた。

「・・・って、あれ、おキヌちゃん?」

しかし、この場を収める事の出来る唯一の存在であるおキヌの様子がおかしい事に気付いた横島は、そっと彼女の顔を仰ぎ見た。

「・・・い、いや、横島さんが・・・。」

「え?」

心なしか赤く染まった顔に潤んだ瞳。
戸惑う横島を無視し、おキヌはいやいやと顔を振った。

「あの、おキヌさん?」

「横島さんと雪之丞さんが女性に・・・。で、心は男なのに西条さんと・・・・・そんな、いんもらる・・・。」

「い、インモ?」

訝しげに此方を見やる横島も眼中に無いようで、
おキヌは頭を振る幅を段々広げていく。

「男同士の愛・・・、あああ、じゅねでこばるとであどんでさむそん・・・。」

「おキヌちゃん、一体・・・って、ぶべらあっ!!」

「きいぃぃぃああああぁぁぁあああっ、素敵ですうぅぅぅぅっ〜〜!!!」

実はソッチ系だったらしいおキヌ。
妖しげな妄想が極限に達したのか、いきなり絶叫と共に横島を芋蹴りにしはじめた。

「痛っ、痛いっ、物凄く痛いっ!!」

横島は激しく蹴り付けられながらも脱出口を求め、這いつくばったまま
じりじりと少しずつ移動し始めた。

(多分、美神さんは雪之丞の奴に集中してるハズっ、この隙にっ!)

そう考えた横島だったが。

「忘れ物よ?」

「!!」

冷酷な声と共に、目の前に無造作に投げ捨てられたボロボロの物体。
よく見れば、それは既に殲滅されていた元・雪之丞だった。

「ゆ、雪之丞ぉぉぉっ!!」

横島は思わず絶叫した。
物体はまだ息があるのか、彼に向けて微かな声を発した。

「へ・・・ざまぁねえな。・・・さ、先に逝ってるぜ、戦友っ。」

そう言い残し、物体はがくりと力尽きた。

「な、て、てめぇっ、俺を残して先に楽になるんじゃねぇっ!!」

身勝手な事を喚きつつ、横島はばしばしと物体を殴りまわす。

「お前が盾になってくれんと、俺が困るだろうがあっ!!」

「もういいかしらぁ?」

泣き喚き続ける横島の前に立ちにっこりと笑う美神。
その服の所々には、赤黒い何かの染みがあった。

「あ・・・う、あ・・・。」

「給料日忘れた私もあれだけど、アンタちょっと遣り過ぎたわね。」

誰か、絶体絶命の自分を助けてくれる誰かは居ないのか。

ブルブルと辺りを見回す横島の視界に入るのは、何かを考えているらしき西条と、
相変わらず叫び続けるおキヌ。そして薄情にも逃げていく弟子とその相方の姿だけだった。

「美・・・神、さん・・・。」

「極楽へ・・・逝かせてあげるわ。」

赤く光った美神の眼を認識したのを最後に、横島の思考は暗転した。


悪い事は出来ない。

白井総合病院の一室。
シーツに包まった包帯だらけの横島は、知らない天井を眺めながらしみじみそう思った。

ギブスに固定された首を何とか捻り、なんとか隣りのベッドを見やる。
そこには未だに意識の戻らない雪之丞の姿があった。

溜息を吐く。

因果応報、それは判る。
確かに自分達はそれに相応しい末路を遂げた。

だが。

「だがな・・・っ!」

横島はそう呻き、雪之丞とは逆の方に首を向けた。

「こいつらも、その罰なのかっ!?」

「だから退院したら一緒に食事に行こう。もちろん僕と女性化したキミ、雪之丞君の三人でね。」

「・・・・・(ドキドキドキ)。」

そう叫んで頭を抱える横島の傍らには、あれから毎日薔薇の花束を手に病室に現れ、執拗に食事の約束を取り付けようとする西条と、スケッチブック片手に何かを期待する様な眼でそれらを観察しつづけるおキヌの姿があった。

「聞いてるかい横島君。ちゃんとドレスも用意させたし、後はキミが退院するだけなんだよ?」

「・・・・・(ばっちこーい、ばっちこーい)。」

人の話を全く聞こうとしない男と、端から自分の世界に没頭して出てこない少女。
見舞いに来るのはその二人だけという毎日に、横島は二度と安易な策は弄すまいと心に誓った。

「鹿の肉は初めてかい? 大丈夫、吃驚するほど美味しいんだ。」

「・・・・・(かも〜ん、かも〜ん)。」

悪い事は出来ない。
嫌というほどそれを知った横島であった。

「・・・・・もうやだ。」


                 おわり


あとがき。

皆様こんにちわ。
今年も海には行けなかったおびわんです。

微妙に季節外れな作品投下。
八月中に投稿するつもりの物だったんですが・・・。

前回、次は腐女子っぽいものを・・・、と言った割には全然違いますね。
すいません。

次回も多分、腐女子っぽくないです。


レス返しです。

>柳野雫様。

『雨上がり』は元々エミさんとピート用の話だったんですが、急遽変更。
個人的にはこれで良かったかなと思ってます。

腐女子っぽいのですか? 一応少年時代の横っちと銀ちゃんの話を考えてるんですが、何か変な方向に・・・。

>鴨様。

丁寧なレス、有難うございます。

遅筆な上に駄作量産、といい所無しのおびわんですが、気に入って頂けたのでしたら最良です。

今後とも宜しくお願いします。


では次回も宜しくお願いしますね。


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