俺が彼女と会ったのは、突然だった。
まあ、人と人との出会いというのは、えてして突然なものだが、彼女とそれはまさしくそうと言うしかないものだ。
街中ではかなり目立つであろう、薄桃色の着流し。
烏の濡れ羽色とでも形容すべき、腰まで伸びた長い黒髪。
異様といっていいほどつやがある。
モデルと見紛うほどの長身に、すらっと伸びた長い足。
白い肌に、見えそうで見えない豊満な胸。
間違いなく美人。
カッコいい。
近寄りがたい雰囲気をびんびんに出しながら、近づく。
俺と目が合うと、数秒ただ立ちすくみ、にやりとシニカルな笑みを浮かべた。
「……よう」
そう言って、
ただただ、そこに存在していた。
世界はそこにあるか 外伝
――幼年期の終わり 機宗
「なあ、あたし甘いもの好きなんだ」
彼女は足を放り出して地面に座りながら、彼にそう切り出した。
かなり扇情的な光景である。
「……そうっすか」
大きな岩の上――霊的に特別な場所である――で集中していた彼は、少しうっとうしそうに、反応する。
彼ならすぐにでも飛び掛りそうな、格好であるのに、彼女と出会ってから一度もそういう素振りすらしていなかった。
もっとも、普段の生活で彼が女性に飛び掛るのはポーズであり、実際に押し倒して、いけないことしよう、なんてことは考えていないが。
「…………」
「…………」
沈黙が流れる。
彼女は彼をじっと見ており、彼は彼女の視線を無視しようとしていた。
上目遣いで見続ける。
可愛い女の子が濡れた瞳でやれば、可愛らしく、効果抜群であろう。
だが彼女のそれは、彼にとって脅しのような脅迫のような――拷問だった。
「…………」
「…はあ……。どうして欲しいんすか?」
「休憩にして、甘いもの食べにいこう」
「金ないっすよ……」
女性と二人で、優雅に甘いもの食べれる金が彼にあるわけない。
下手をすれば、彼の一週間分の食費に匹敵する、なんてことになりかねない。
「そんなもん期待してねえよ。
こんな美女とデートできるんだ。
感動の極みだろ?
光栄すぎて眼に涙、ってか!?」
「……分かりました。じゃあどっかに連れてってください」
「グッド」
そう言って彼女は笑みを浮かべる。
だが、男性が女性にどこかに連れてって、と言うのもなんだかとっても情けないような、そんな感じがする。
横島と彼女――ジュンさん――との付き合いはつい最近である。
彼が山の中で一人で修業していると、フラッと現れた。
それ以来彼が修業をしていると、2・3回に1回ぐらいの割合でやって来るのだ。
本人は仙人と名乗っているが、修業中の彼に何を教えてくれるわけでもなく、本当にただやって来るだけである。
確かに浮世離れはしている。
あまり喋りもしない。
まあ、彼にしてもあまり喋りかけられても困るのだが。
ただ、「おいおい、そうじゃねえだろ」とか「そんなんじゃ、一生無理だな。やっぱ才能ないわ」とか言ってくるので、多少彼の修業の役に立っているのかもしれない。
とりあえず自分が間違っていることは認識できる。
そんなこんなで微妙な付き合いが続いているのだ。
ちなみに彼は彼女の名前が覚えられず、というより別れるたびに忘れるので、毎回会うたびに名前を聞いている。
というわけで、二人は喫茶店のオープンテラスに仲良く座っていた。
二人以外の客はおらず、周りにも人一人歩いていない。
横島の前にはチーズケーキとコーヒーが、ジュンさんの前にはティラミスとモンブラン、それにレモンティーが置かれている。
金額を合計すれば、やはり彼の一週間の食費に相当する値段である。
彼女はケーキが来るとすぐに食べ始めた。
彼はその様子をじっと見つめている。
「……どうした? 食わねーのか?
遠慮せんでもあたしのおごりだ」
「いやー、こういうとこで女性と二人でお茶するなんて、今までなかったもんすから。
緊張してんのかなー」
あはは、と乾いた笑いを浮かべる。
「まあ、食え。ここはあたしのおすすめだぞ」
そう言って、またケーキを口に運ぶ。
彼もそれに従うように、食べ始めた。
「あっ、うまいっすね」
「そいつは十全だな」
得意気に笑う。
だが彼はそんなことはまるで無視して、がつがつと食べ始めた。
優雅さとは程遠い。
量がそれほどあるわけでもないので、すぐに食べ終わる。
続いてコーヒーを飲み始めるが、これも素晴らしく、ケーキよりもこちらのおいしさのほうが彼の心には残った。
彼はコーヒー党である。
父親もそうだ。
似合わない話だが、コーヒーの味にはなかなかうるさい。
フウッ、と満足気にカップをソーサーに戻す。
ジュンさんはまだレモンティーを飲んでいる最中だ。
「いやー、本気でうまかった。でも、量がちょっと足りんかったかな」
「それがおごってもらっている者の言葉か?」
僅かに苦笑する。
「なら、向かいのミスドのほうが良かったか。
フレンチクルーラーなら10個以上食べれたぜ?
そういえば、神様がお創りになったのは整数とフレンチクルーラーだけ、なんて言ってた医者もいたしな」
何とも乱暴な、というか極端な考えである。
どれだけフレンチクルーラー大好きなんだよ、と言いたくなる。
「心躍る提案っすけど、遠慮しときます。
やっぱ、このコーヒーの味には勝てませんからねー」
決め手はコーヒーらしい。
やはり彼の周りも奇人変人大集合といった感じなので、多少変な人を出されてもあまり動じないのだろう。
「さーて、ここからが本題だ。実は少し話したいことがあった。
つっても、≪全てを見通す名探偵、ただし覗きにて逮捕≫みたいなっ!
そんな愉快な話じゃねえけど」
全く意味の分からないたとえだ。
彼も突っこむ以前に、この人何言ってんだろう、と理解できていない。
だが、今まで常に見ることが出来た彼女の笑みは、すでに消えている。
「お前さ……何であんなことしてんだ?」
なぜ?
彼はすぐに答えられない。
しばらく黙って俯いていたが、ゆっくりと顔を上げると何とか口を開く。
「……何でって、死ぬからっすよ。そうしないと。
自分でも分かるんです」
それを聞いても彼女は何も言わない。
だが顔はさっきより少し険しくなっている。
「しないと死ぬって、お前……。
お前、もう―――死んでるだろ?」
分からない。
彼女が何を言っているのか、分からない。
自分が死んでいる?
それが本当なら、それはいつなのだろうか。
ルシオラに命を捨てさせて、生き延びたとき?
それとも、純粋な人間でなくなってきたとき?
「別に難しいこと言ってる訳じゃない。
お前のその目、死んだ奴の、もう死んでる奴の目だ。
もちろん、後ろ向きな人間は死んでるも同じだ、なんて言うつもりはないさ。
後ろ向いていようが、下向いていようが、横向いていようが、前に進める奴は進めるからな。
だが、お前は動こうとすらしてねえだろ。
うずくまって、目を閉じて、耳をふさいで、怖くて震えてる」
黙って――黙って俯きながら聞いている。
反論の言葉がすぐに思いつかない。
自分は生きているはずなのだ。
あの時、ルシオラが命を捨てて救ってくれたから。
でも、感覚的に分かっている。
ずっと、ずっと、あの時から、彼は怖がっている。
「でも、そんなのしょうがないでしょ。
俺は惚れた女の命捨てさせて、のうのうと生きてる。
惚れただのなんだの言っときながら、結局は何も出来ない、何も出来なかった、惨めで矮小で卑小で愚かで馬鹿な最悪の人間なんすから」
あるところに、蛍の化身として生み出された女性がいました。
生まれたばかりでありながら、
大人の体を持つ彼女は、精神と肉体がアンバランスでした。
そんな彼女はある一人の男と出会い、紆余曲折の末、恋に落ちました。
その恋は凄まじく、生みの親や姉妹を裏切っても、彼の側にいたほどです。
彼もその想いに応え、努力を続けました。
最後の戦いで、
彼は彼女助け、彼女は彼を助け、
結果として彼女は死にました。
そして、彼は世界と彼女を天秤にかけることとなり、
彼は――彼女を救うことが出来ませんでした。
「なるほどねー。シンジ君みてえだな。
ガラスのように繊細だねえ、君の心は、ってか……。
……馬鹿かお前っ!!!!!」
彼女の顔が決定的に怒りに染まる。
頬は紅潮し、眼はつりあがり、少し震えている。
「自己欺瞞で自分誤魔化してんじゃねえっ!!!
お前はただ怖いんだろ!!! 嫌なんだろ!!!
死ぬことが、じゃない。
自分を含む周りの人間が!
世界そのものが!
そして、ルシオラが!」
声の限り叫ぶ。
だが、これを聞いた彼も怒りに顔を染めて、思わず立ち上がる。
「あんたは……あんたは何も知らないだろ!
何も知らない、あの場にいなかったあんたに、そんなこと言われる筋合いねえっ!!!」
彼女を見下ろしながら、こちらも声の限り叫ぶ。
さらに自分を誤魔化すかのように。
何に対して怒っているのかも、もうよく分からなかった。
呼吸がひどく乱れている。
周りには――相変わらず人一人いない。
「ふん。知っていようが、知らなかろうが、そんなことはどっちでも同じこと」
「!!」
「だが、知っている者に、こんなことが言えるのか?」
彼は立ったままうなだれる。
彼の慟哭を聞いた者にそんなこと言えるはずがない。
全てを押し付けてしまい、何も出来なかった者にそんなこと言えるはずがない。
彼らは臆病で卑怯で――そして優しい。
たとえ、それが逃げだとしても。
見ていることしか出来ないでいるのだ。
そして、彼の道化の姿に――仮初めの安心を得る。
「違う。俺はみんなに心配されるような奴じゃない。
あいつを救えなかったのが罪なら、苦しみ続けるのが罰なんだ。
罪には罰を。
俺は……そうやって生きていけばいい」
「卑屈だねえ……」
そう言って、無表情で立ち上がる。
立ち上がると無機質に、彼を見つめる。
突然、パァンッという甲高い音があたりに聞こえ、弾かれるように、立っていた彼がイスに腰を落とした。
ビンタされた。
おもいっきり。
ビンタされた頬が、無性に熱かった。
沈黙のまま、時が流れる。
今度は彼女が彼を見下ろしていた。
「お前は本当にそうやって、誤魔化すことしか出来ねえのか!?
お前、本当は死にたいんだろ?
明日が来るのが怖いから。過去を悔いることしか出来ねえから」
明日が、怖くて怖くてたまらない。
“こんな”自分が生きていて、ルシオラが生きていないから。
彼は寝る前に、いつも思う。
このまま、目が覚めなければいいのに、と。
いつも悔いることしかできない過去が嫌だ。
ルシオラとの、仲間とも思い出さえ、それに塗り潰されてしまうから。
「それでいて、助けてくれなかった神族や魔族が信じられなくて、こんな世界が嫌で、そんなことを思っている自分が、もっと嫌いになっていく」
「…………」
「ルシオラは何を信じ、何を望み、何を願ってたんだ?
お前はそれを考えようともせず、目を逸らし、無視したんだろ。
罰せられている自分が欲しいから」
「…………」
その言葉に、心がキシリと震える。
本当は気付いていたのかもしれない。
だが改めてそのことに気付かされたとき、
自分に対する更なる嫌悪感と……、ほんの少し心が軽くなったのを、感じた。
突然目の前が歪む。
彼は――泣いていた。
頬を涙が流れる。
だが、そのたびに少しずつ心が軽くなっていくような、そんな気がした。
「美神令子や、氷室キヌが嫌いか?」
―――嫌いじゃない。
「小竜姫や、ワルキューレが嫌いか?」
―――嫌いじゃない。
「シロや、タマモが嫌いか?」
―――嫌いじゃない。
「……ルシオラが嫌いだったか?」
―――愛していた。
心から。
「もっと目を見開いて、周りを見ろ。背筋を伸ばして、前に歩いてみろよ。
お前はそれが出来る奴だろ」
「……そう、なんすかね……」
「ああ。お前はこの先、泣いて、泣いて、もっと強くなれるさ」
「泣いて泣いて、強くなるって。キラかよ……」
彼女の冗談に、彼も冗談を返せるぐらいの余裕が出てきたようだ。
彼女の顔はすでに、怒りでも、無表情でもなく、
再び、笑みを浮かべていた。
「こんな戯言でお前が完璧に変われるなんて、そんなこと徹頭徹尾思っちゃいねえけど、
それでも少しも分からんようなら、その時は殺人鬼にでも殺して解して並べて揃えて晒してもらえ」
「それはさすがに勘弁っす。
それに……俺は“まだ何も”してませんから」
肩を竦めながら言う。
それでも、さっきまでよりも少し意思の宿った瞳だ。
「何もしてない、ねぇー……。
ククク……根がいい奴過ぎんだよ、お前は」
彼を見ながら、シニカルに笑う。
あるいは邪悪とも言える表情に、彼は思わず見とれた。
「さて、そろそろあたしは行くわ。
次に来るときはこんなシケた話じゃなくて、スタンド談義でもして盛り上がるか」
その場に一万円札をぽんとおくと、彼女は立ち上がる。
その姿がまたカッコいい。
スタンド談義云々は別にどうでも良かったが。
「―――縁が≪合ったら≫、また会おう」
「ええ。縁が合ったら……はいいんすけど、金多くないっすか?」
どれだけ多く見積もっても、数千円。
五千円もいってないだろう。
一万円は多すぎるように思えた。
「馬鹿か。今度は男のお前がおごれよ」
心底呆れたような表情。
それを見て、まだまだ自分はこんなもんだ、と彼も心の中で笑う。
彼女は踵を返すと、長い黒髪をなびかせながら、まるで水が流れるかのように、颯爽と歩いていく。
「ジュンさん!」
彼女の背中に呼びかける。
こちらを振り返る。
一呼吸おき、ゆっくりと口を開いた。
「…今度会ったら――押し倒してもいいっすか……?」
一瞬きょとんとした顔になるが、すぐさまさっきまでの何倍も嫌らしい笑みを浮かべる。
「≪コンビニ強盗出現、ただし来たのはかの有名怪盗≫みたいなっ!
……はっ! 十年はえーよ」
やっぱり駄目だった。
だがその道のプロである彼が、こんなことでめげるわけない。
今度会ったら有無を言わさず、いきなり飛び掛ることを心に決める。
「じゃあ、息災と友愛と再会を」
そう言って、彼に背を向け、再び歩き出すとすぐに見えなくなった。
彼はイスに深く腰掛け、これでもかというほど脱力している。
目の前にはさっきおかわりを頼んだコーヒー。
湯気が立ち、いい香りが漂ってくる。
「えぐられたなぁ……」
一人呟く。
本人でさえ気付いていなかった、深いところまでえぐられてしまった。
まあ、彼女に言わせればそれも、目を逸らした、ということになるのだろう。
だが、彼自身もそれを否定はしない。
それに、えぐられたものを無視する気ももうなかった。
彼女の言い分は、理不尽で、高圧的で、上から見ていて、あまりにも傲慢なもの。
だが、それでも……。
今の気持ちを表現する言葉が見つからなかった。
あえて言うなれば、“不思議な気持ち”、だろうか。
彼はカップを手に取り、口をつける。
やはり、うまかった。
このうまいコーヒーを味わえるだけで、世界は生きているぐらいの価値はある、そんなことを言う人もいるかもしれない。
「それにしてもあの人、何で俺の周りの人の名前知ってたんやろ……。
……いまさらか。
それこそ戯言だよな……」
また呟く。
もちろん根拠があるわけではないが、むしろ知らないほうがおかしいだろうというような、そんな感覚すらあった。
「≪忠夫の前に忠夫なく忠夫の後に忠夫なし、ただし両脇には美女≫みたいなっ!」
なんとなく、彼女の妙な例え話を真似してみる。
某名探偵だ。
少し考えて、やっぱりいまいちかな、と思い直した。
周りに相変わらず人が一人もいないのは、幸いだろう。
そんなことを考えている自分自身に苦笑して、それを忘れるかのようにまたコーヒーを口にし、何気なしに空を見上げた。
やはり蒼く、どこまでも広い。
しかし、なんだか重く、今にも落ちてきそう――そんな印象を受ける。
真白い白鳥は静かに池に佇む。
ただ音もなく静かに。
あとがき
キラ……何であんなキャラに?(アス○ンよりましだけど)
そもそも……
――ここら先しばらく死種の不満と鬱憤と怒りと憤りが続きます――
すいません。やっぱり私はこういうのより、心眼と横島のアホなやり取り書いてるほうがいいみたいです。
ちなみに、この横島とシンジ君はたぶん似てません。
実はこれ、20話記念でもなんでもなく、7話の後、つまり逆行直後に出す予定でした。ですが完成せず、それほど内容も面白くならなそうだったんで、永久封印されたものを、かなり変えて今回出してみました。
やはり今後を考えると、伏線の回収と、新たな伏線の設置に必要かなと思いまして。
予告しておきながら、出す直前まで、ずっと出していいのか迷ってたんですけど……。
まあ、構成自体は、今までで一番考えられていて、自分でもうまく出来たと思ってる話です。
舞台自体も伏線なんですが、当初レストランだったものを、フレンチクルーラーのために喫茶店に、なんて経緯もありますw
今回分かる人には分かる、戯言ネタが大量に。それこそ幾つあるのか分かるかな、ぐらい。
今までは、キャラの原型自体を引っ張ってきているので、ほとんど出さなかったんですが、外伝だしいっか、とここぞとばかりに出してみました。
一応言うと、ジュンさんは某赤い請負人と何の関係もないですし、クロスもしていないので、そっち方面の伏線はないです。
ジュンさんの言ったとおり、これで彼がスパッと変われたわけではありませんが、一つの大きな転換点であることは確かです。
サブタイトルの幼年期の終わりも、なかなかうまいのを取ってきた感じ。
本編で、昔は〜、みたいなのが何回かありますが、それがこの辺りですね。
追記
ヴァイゼさんのレス返しにも書かせていただいたんですが、これは逆行前で、1話よりさらに以前の話です。
分かりにくくて本当に申し訳ありません(ぺこ)
今回は今まで以上に読んでいただきありがとうございます。
では。