それは豊穣を司る女神と崇められていた。
それは魔王の一柱として恐れられている。
恐怖大公―――魔王アシュタロス
そして今―――
それは半ズボンだった。
それはランニングシャツだった。
それは虫かごと虫取り網を携えていた。
―――それは、夏休みの小学生(ただし四半世紀前)と呼ばれるスタイルだった。
魔王は、渾身の力を込め、
「ふんぬぅおりゃぁぁぁぁぁっ!」
獲物に向けて虫取り網を振った。
ずぼごぉぉぉぉぉん!
虫取り網の先端は音速を超過する。
放たれた衝撃は魔力を含んだ衝撃波となって駆け抜ける。
破壊の嵐の中では、通常の物質は構成を保てない。
木々も、大地も――もちろん獲物である蝶々も。
「ぬぅわぜだぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
通産57回目の(生きたままの)捕獲失敗に、魔王アシュタロスは怨嗟のような絶叫を上げた。
未来過去現在のさまざまを知る私が、なぜ虫一匹捕まえられない!
この忌々しい魂の牢獄は、私にそれを破る下準備すら許さぬとでもいうのか!?
自分の不器用さを棚に上げて万有全てを呪うアシュタロス。
その絶望、あるいは壊れっぷりの甚だしさのためか、アシュタロスはその背後に歩み寄ってきた一つの存在に気付くことができなかった。
「あの……どうかなされたんですか?」
それは、頭蓋を金属で覆った人間の男だった。
お父さん遭遇記~あるいはあったかもしれない出会い~
「ハーブティーですが、飲みますか?」
「うむ、頂こう」
白のランニングシャツに半ズボンをはいた角の生えた美丈夫が、頭を金属製の仮面で覆った男から魔法瓶から茶を注いでもらい、膝を着き合わせて座ってる。
現在の状況を一文で著せば上のようになる。
見かけた人がいれば十中八九、避けるか逃げるような状況だ。
しかしここではその心配はない。なぜならここはアマゾンの奥地だからだ。
彼ら二人を目撃するものがあるとすれば、それは例えば近くの樹木をよじ登るクワガタの一種くらいなもので……
「でゅおりゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
そのクワガタムシに気付いたアシュタロスは、異空間に格納していた虫取り網を取り出し、またも果敢に捕獲に挑みかかる。
ばどごぉぉぉん!
そしてまた同じように、捕獲目標を大樹の幹ごと破砕してしまった。
「おのれ!またしても!」
「はは……そ、そんなんじゃ当たり前ですよ」
奥歯が砕けかねないほど強く歯を食いしばるアシュタロスに、仮面の男――美神公彦は引き攣った笑顔を向ける。
知っての通り、美神公彦は生物学者で、南米の奥地にフィールドワークを兼ねて住んでいる。
現在、公彦は普段は行けないアマゾンの奥地へと調査に出かけていた。
そして、一人でアマゾンの木々の間を歩いていると、
「てぇりゃぁぁぁぁぁっ!」
という奇声と爆音が聞こえた。
何事かと見に行くとそこで公彦が見たものは、自然破壊をした挙句、世界の全てに絶望する裸の大将ルックの魔族――アシュタロスだったのだ。
「…というわけで、私は眷属を造るため、その核になる昆虫を探しているというわけだよ、人間よ」
「なるほど、それは大変ですね。しかし、なんであなた自ら捕まえに来ているんです?
他に部下が居ないわけでもないでしょうし」
「それはそうなのだが……部下の大半は任務で出払っていてね。残った連中も……何と言うかセンスが悪くてね」
他人(?)にしばらく振りに出会えたことで、親身に話を聞く公彦に、アシュタロスはため息をつきながら愚痴を零す。
「土偶羅……ああ、私の作った兵鬼なのだが、あいつは『これぞ究極の進化の形です』とかいってゴキブリばっかり持ってくるし。他にも『美味そうジャン』とか言いながら芋虫ばかり持ってくる奴や、自分がハエの王だからってそればかり売り込んでくる奴もいるし……」
「た、大変ですね」
語るうちに額に血管が浮かんでくるアシュタロスに、公彦は腰が引ける。
「……何はともあれ!まともな労働力確保のためにも、魔神の一柱たる誇りにかけて、虫けらの一匹や二匹、必ずや仕留めてくれよう!」
「い、いや、仕留めちゃダメでしょ……」
拳を握り高らかと宣言する半ズボンにランニングシャツの魔王に、公彦は頭を悩ませる。
ここはホットスポットという、種の多様性にとんだ生物学的にも重要な場所。このままではこの魔神にこの一帯の貴重な生態系を破壊されてしまう。
それは、生物学者として看過できる事態ではなかった。
だから公彦は提案した。
「あの、もしよろしければ、昆虫採集の方法を教えましょうか?」
静謐の中に歩みを進め……
無意識に呼吸すら潜め……
その死角から忍び寄り……
「はっ!」
素早く振られた虫取り網は、しかし例のような破壊を撒き散らすことなく、一匹の蝶を捕獲した。
「ふっふっふっ……ふはははははははっ!
やった、やったぞ!ついに私は世界創生の第一歩を踏み出したのだ!」
「ははは……それはいいですから早く包んであげてください」
捕獲の成功に、ハイになっているアシュタロスに、公彦はため息混じりに指導する。
出会いから数時間……アシュタロスはついに、虫を捕まえるのに成功した。
パワーの制御から始めるという、0どころかマイナスからのスタートであったが、そこはさすが、知恵をつかさどる魔王、教えられることのこと如くを吸収していった。
もっとも、この段階に至るまで、数多くの貴重な植生を犠牲にしてきたが……まぁ、そこはスルーの方針で。
「握りつぶさないように注意して……」
「わ、解かっている……」
アシュタロスは霊波で麻酔をかけると、羽を傷つけないように丁寧に、蝶をパラフィン紙に包んだ。
本来これは、標本を作るための手法で、その場合胸を圧迫して殺すのだが、眷属を作るためには生かしておかなくてはならない。そこで公彦は、アシュタロスが霊波で昆虫を仮死状態に出来ることを知ると、その方法を薦めたのだ。
「いや、助かったよ、美神公彦君。お礼に私が三界を制覇した暁には昆虫の神にしてやろう」
「期待しないで待ってますよ」
アシュタロスの提示した微妙な褒美に、公彦は苦笑しながら答えた。
「うむ……では、また会おう」
そういうとアシュタロスは、破壊の後を残して消えていったのだった。
それから数年後
「久しぶりだね、美神公彦君」
アマゾンの奥地で独り調査していた公彦の背後から、声がかけられた。
ギョッとして振り返ると、そこにはかつて彼が出会った奇妙な魔神――アシュタロスが立っていた。因みに断っておくが、今回はドリフのコントの小学生ルックスでなく原作の格好だった。
その彼は胸元に、布に包まれた塊を三つ抱いていた。
「あなたですか、お久しぶりです。……それは?」
「ああ。是非とも君にも会って貰いたい者たちがいてね」
差し出された塊。それは布に包まれた赤ん坊たちだった。しかし、彼女らが人間ではないことは、頭から生える触角が物語っている。
「この子達は……あの時の?」
「その通り。君と共に捕まえた昆虫達から作った眷族だ。
そう、いわば君と私の子ど「そういう表現は止めてください、お願いですから」
ふふっ…、つれないね。まあいいさ。
右から順にルシオラ、ベスパ、パピリオだ」
「なるほど。蛍に、蜂に、蝶ですか」
「そうだ、私の娘達だ、寿命は一年に設定している」
「い、一年?どうして…」
アシュタロスは自嘲する。
「以前、カゲロウから作った眷族に裏切られたことがあってね…。
他にも予防策としていくつかの自壊コードを組んでいる」
「それは、していいことだと思っているんですか?彼女達は、いわばあなたの娘でしょう?」
一人の娘を持つ父として憤る公彦に、アシュタロスは虚を突かれたようは表情をし、次に面白そうに微笑んでみせる。
「ふふっ……心配は要らんさ、野望が達成された暁にはそれらの制限も外してやるつもりだ。運命に束縛され、踊らされる者の苦しみは、誰よりも理解しているつもりだ」
「そう……ですか」
複雑な表情で答える公彦。
アシュタロスの末路は、未来から帰ってきた美知恵から聞いている。彼はもう一つの望み、魂の牢獄からの脱出をなす。そして、この姉妹の内一人――蛍の化身は…
「私が勝てるはずない――そう思っているね、公彦君?
なめないでくれたまえ。私とて魔神の内でも最高の知恵者と言われた魔王。
私の立てた計画が簡単に頓挫するなどないさ」
沈黙の意味を捉え違えたアシュタロスは、軽口を叩いてみせる。
魔族が人間にするものとしては、最大級のリップサービスだった。
「そうですね。まぁがんばってください。昆虫の神様の座、期待してますよ」
公彦は、その鉛と神鉄の仮面の下に、更に笑顔の仮面をかぶせた。
「――これが、私と君のお父さん――アシュタロスとの出会いだったよ」
語り終えた公彦は、手にしていたハーブティーで、長い語りで渇いた口を潤す。
聞き手の女魔族――ベスパは最初と同じ体勢で、口をつけていないお茶を覗き込むように俯いていた。
コスモプロフェッサー事件の数ヵ月後、ベスパは軍の任務で南米に行く機会を得た。目的はアシュタロスの基地跡の再調査。案内役として来たベスパは、そこで、幼いころに見知った人間の男と出会ったのだ。
二人は、初めてであったアシュタロスと公彦が、向かい合って座った倒木に、同じように腰を下ろし、奇しくも同じ種類のハーブティーを飲んでいる。
「後は、君達も知ってのとおりさ。最初の数ヶ月――パピリオが言葉を話すようになるまでは、アシュタロスはまだ小さかった君達を連れて、私のところに顔を出していたね。
それからは、私は知らない」
「あなたは……アシュ様の結末を知った上で、黙ってたんですか?」
「……そうだよ」
公彦はその感応能力によりベスパの心を感じ取っていた。
公彦への怒り、去りし日への憧憬、喪失への悲しみ…
ベスパの嗚咽を聞きながら、公彦もまた思い出していた。
アマゾンの奥地で独り住む自分に出来た、唯一友と言える存在。
テレパシーで視えた彼の心は、気高く、叡智に溢れ、そして何より感じやすく……。
「ひょっとしたら……」
公彦はこう思った。
「ひょっとしらたらアシュタロスは、過去の美智恵さんが現れた時、自分の最後を覚悟していたのかもしれないな……」
アシュタロスは、直接は会っていなかったが、公彦の妻が美神美智恵で、まだ生きていたということも知っていた。その気になれば身重の美知恵をさらい、その脳から直接未来の知識を抽出し、自分の計画を完璧にすることも出来たはずだった。
しかしそれをしなかったのは、運命に正面から抗おうと言う誇りの現われなのか、それとも既に、自らのもう一つの望みである死を受け入れていたのか、あるいは……
「……友情が故、と考えていいんですか、アシュタロス?」
嗚咽の響く南米の森――コスモプロセッサー事件で、不思議なほどに被害がなかった地域で、公彦は願いを果たした友を想った。
あとがき
アシュタロスの基地は南米。美神パパの所在も南米で、しかも昆虫行動学専門。……出会ったかも知れない。ということで書いた一本です。時間的にハーピーは無理じゃないかと言うのはまぁ、スルーのということで…。GSの二次は初なんで、大目に見てくださいorz。
本来は壊れアシュ全開話の予定だったんですけど、美智恵さん周りの話を考えるとどうもシリアスになっちゃって、最後はしんみりしちゃいました。