夜。
美神除霊事務所内部。
横島忠夫は、そっと辺りを窺っていた。
辺りには明かりがついていない。人工幽霊壱号は、特に指示しないなら自動で明かりを点消灯してくれるはず。
これはつまり、今の彼は人工幽霊壱号に認識されていないということである。
(くっくっく。文珠バンザイ!)
似合わない悪者顔で悪者笑いをする横島。今彼の手元には“隠”の文珠があった。
視覚嗅覚聴覚霊感、その他あらゆる感知機構に対しても隠れることが可能。透明人間と言っていい。
触られるまで、いや、もしかすれば触られても相手に気付かれないだろう。
そんなに色んなものを自然に隠す以上、本当なら持続時間はかなり短い。
だが、今の彼は煩悩を霊気として文珠に供給することで、その効果を持続させていた。
今の彼の目指すものは、美神の下着。それ以外にも何かめぼしい煩悩の対象があれば目標とするつもりだ。
(今美神さんは資料室で書類仕事のはず…。私室の方は無防備…)
無防備と言っても対横島用のトラップはいつものとおり存在する。が、それは外からの進入対策用。
中にもきついトラップをかけると他の事務所員が引っかかるため、そっちは手薄だ。
(許してください美神さん。これも俺の霊能のためです!)
煩悩を発揮、維持するだけなら妄想で十分だが、非常用のブースターがあるに越したことはない、という理屈である。
この文珠でなら直接襲っても美神は寸前まで気付けないかも知れないが、そこまでは考えが及んでいない。
資料室の前まで来ると、ドアの隙間から明かりが漏れているのが見えた。中に美神がいるのはほぼ確実だ。
ただし、すでに美神が気付いていてフェイクを仕掛けている可能性もなくはない。
まあ、人工幽霊壱号を騙して忍び込めた時点でこのミッションはほぼ成功のはずである。
(あまり文珠は使いたくないから…聞き耳だけ立ててみるか)
ドアにそっと耳を近づける。…中から美神の声が小さく聞こえる。確かに部屋にいるようだ。
(よし! いざ宝物庫へ…!?)
「…横島クン…」
名前を呼ばれた気がして横島は硬直した。
慌てて辺りをきょろきょろ見回すが、人影はない。
(あれ…? なんだ?)
「横島クン…横島クン…」
(!!)
資料室から聞こえてくる美神の声だと気付いた横島は、もう一度ドアに耳を押し当てた。
「はぁ…横島クン…横島クン…」
(ええええええっ!?)
とっさに口を押さえた自分を褒めてやりたくなった横島。
冷静に考えれば文珠で隠れている以上、大声を出しても判らなかっただろうが、そんなことはどうでもいい。
「ん…まだ…横島クン…ああん、もう…」
(なななななな、ええ!? このため息と共に俺の名前を呟いているのは、本当に美神さんなのか!?)
信じられない横島だが、何度聞いても、切なげなため息を吐くこの声は美神のものである。
うたた寝しての寝言とも取れなくはないが、だったら明かりがついていることがおかしい。
(人工幽霊壱号は、美神さんが寝たなら明かり消すだろうし、急ぎの仕事なら逆に起こそうとするはず…)
つまり美神は起きている。で、横島の名前を呟いて…ということは。
(そ、そうだったのか! いや、うすうすそーじゃないかとは思っていたんだ! いくらセクハラしても首にならんし!)
なんとなく感じなくもなかった好意を足場に、妄想のロケットがあっさり打ちあがる。
本当は横島のことを想いつつも、彼を前にすると裏腹な態度をとる美神。
抑え切れぬその気持ははけ口を求めるようになり、夜な夜な愛する人の名を呟きながら自らを慰める。
行為は徐々に激しくなり、そのたわわな双丘もまろびやかな腰まわりも、全て露わに振り乱して快楽をむさぼる。
やがて訪れる瞬間には、愛しい人に抱かれる幻を見ながら天上の夢にたゆたう。
そして、事が終わった後いつも寂寥感を感じて呟くのだ。「本当は、いつ来てくれてもいいのに…」と。
「ふぬおおおおおおおおおおっ!」
今度こそ横島は絶叫した。
ちなみに文珠の隠蔽効果はまだ有効、逆に増加した霊力により強化されているくらいである。
「そーだよな。美神さんも二十歳になったばかりのまだ若い女! 性の衝動を抑え切れなくても不思議はない!」
逆に抑え切れても不思議はないのだが、とにかく横島は興奮のあまり鼻と目と耳から出血していた。
横島の脳裏に、これまでの色んな出来事が思い出される。あの時もこの時も、美神は想いを隠していたのではないか?
(ああ、なんて俺は鈍感だったんだ。彼女をこんなに待たせてしまうなんて…!)
ちなみに今の彼の脳内では、もはや美神の普段の言動やら何やらが全て好意的に変換されている。
…折檻などは彼の自業自得なケースも多いのだが、それら全てを変換しているため、まるで矛盾しまくっているのだが。
「そう、意固地な彼女の心の壁を壊すには、男からの強引とも言えるアプローチが必須! いざ、美神さん…!」
叫びつつドアノブを掴んで、さあ部屋に突撃しようとしたその瞬間!
「…横島クン…シロ…」
「へ!?」
さらに予想外の名前が出てきたことにより、興奮は一瞬でどっかにいってしまった。
「シロ…横島クン…ふぅ…」
(な、な、なぜシロの名前が…? まさか、美神さんは…)
逞しくなったままの彼の妄想力が、瞬時に脳裏に今思いついた世界を描き出す。
シロをお姫様抱っこしている美神。抱き締められて顔を赤くするシロ。
妙に男前な感じの美神が微笑むと、シロはさらに顔を赤くしてうつむく。
美神はそのシロのあごをついと指で持ちあげ、上を向かせる。これからの行為に期待して潤んだ瞳を閉じるシロ。
それに微笑んで見せてから、そっと美神はシロの唇を自らのそれで覆い、深く、深く、その中に割り込んでゆき…
そのまま二人は秘密の花園の影へと倒れこんで…。
「ちちち違う! 嘘だ! 美神さんはそのケは全然ないはず…!」
必死に否定するも、脳裏に冥子や後輩の千穂に抱きつかれる美神の姿が思い起こされる。
彼女はそういう手の女性にはやたら懐かれる節がある。それが転じて自分もそういう趣味を持つにいたったのか…?
さらに横島の混乱に追い討ちを掛けるように美神の声が聞こえる。
「シロ…タマモ…はぁ…タマモ…シロ…横島クン…」
(た、た、タマモまでえええっ!?)
妄想スタート。
『うふふ、いつもの威勢はどうしたの? 狐じゃなくて、子猫ちゃんみたい』
『だ、だめ、美神さん…アタシ、もう…!』
『もう…何なの? 言わないと判らないわよ…くすくす』
『ああぁんっ! そんなぁ…意地悪しないでぇ…』
『だぁめ。ちゃーんと言えるまで、こっちはお・あ・ず・け』
「こっちってどっちだあああああ!」
どっちも何も自分の妄想の中身なのだが、横島の煩悩はもはや迷走して自分でも制御不可能である。
ここではっと気付く。脳裏に浮かぶ、自分を待ちわびる美神、シロを押し倒す美神、タマモを弄ぶ美神…。
(ま、ま、ま、まさか…美神さんの目的は…!?)
横島の脳は、(自分的には)論理的な計算の元に答えをはじき出した。
「この事務所メンバーの全員のハーレム化だったのかー!?」
不敵ながらも妖艶な笑みを浮かべ、黄金に輝く玉座に、足を組んで深く座った美神。
夢見るような表情で彼女にしなだれかかり、首に腕を回すおキヌ。
美神の足を恭しく掲げ、心底嬉しそうにその指を舐める横島。
玉座の左右から美神の腕ににしがみつき頬を擦り付けるシロ、タマモ。
もちろん全員素っ裸に飾りをつけただけである。そして背景には黄金や宝石の山、山、山…。
その場にがくりと膝をついて荒い息を整える横島。
顔色は悪い。もしかしたら余命数日といわれても納得いきそうなほど悪い。
(あ、あかん、思いっきりリアリティがある!)
元々横島の立場から言えば、美神は女王様のように振舞っていた。
その彼女がこの事務所を性の宮殿とし、その女王として君臨しようとしてたとして、おかしいところは何もない。
…美神の趣味を除けば、だが。
(お、おキヌちゃんはすっかりなついてるし、今名前が出なかった理由はもしかして…!)
とっくにおキヌは捕食済みなのでは!? と考えて身震いする横島。
そういえば二人で変な小説のモデルになってたな…と思い出す。あれはまさか、真実の一端を表したものなのでは…?
おキヌの通っている六道学院は美神の病的なファンが多い。おキヌもそれに毒されている可能性もあるし…。
体が全て沈んでしまうような豪奢なベッドで、闇の中に白い裸体が艶かしく絡み合う。
「美神さん…」「おキヌちゃん…」と互いに名前を呼び合う以外は、ただ嬌声と水音が聞こえるのみ。
何故かベッドにはバラやユリが散乱しており、強く脳が痺れそうな甘い香りがベッド中を包んでいる。
もはや二人とも互いの体以外は目に入らず、ただひたすらに快楽を求め、与え続ける。
幾度目かの絶頂の声が響き、しかしまた、どちらからともなく指を絡め、体を抱き寄せ…宴は終わらない。
(そ、それに、俺も調教されている気がする。ハーレムを開くのはいいが、その一員となるのは…!)
おそらく一番調教が出来ているのが横島なのだろう。その辺は自認している。
僅かな飴だけで、いくらでも鞭を受け入れるような奴隷状態と言っても言い過ぎではないかもしれない。
女王様の鞭が入らないと物足りなく感じるほどになっているのではないか?
這いつくばりハイヒールで背中を踏まれつつ、美神に感謝の声を返す横島。
目隠しで吊り下げられ、美神に全身を鞭打たれながら、更なる鞭を要求をする横島。
美神が鳥の羽で体中を撫でて回るのに合わせ、拘束されたまま歓喜の声を挙げる横島。
全身を弄ばれながらも、ただ一箇所触られていない箇所を触ってくれと、美神に必死にねだる横島。
正座をして頭から美神のシャワー?を浴び、ひたすらそれを飲み干そうとする横島。
(さらにシロたちの調教を手伝ったり…って、違う違う! それに飲み込まれちゃだめだ、俺!)
それでもいいかも、と一瞬考えてしまった自分が恐ろしくなり、慌てて頭を振って考えを追い出す。
ハーレムならその主となって自由に楽しむのが理想だろ!?と自らを励ます横島。
…ちなみにこれら妄想の最中、横島の霊力は上がりっぱなしである。色々とまずい進化を遂げているようだ。
横島が葛藤しているその間も美神の声は続いていた。
「…横島クン…シロ…タマモ…あ…横島クン…横島クン…」
(そ、そうだ。さっきから聞いていれば、俺の名前を呼ぶのが一番多いではないか!)
横島はその事実に気がつき、また変な方向に考えを変える。
美神は横島一人をとるのかみんなをとるのか、気持が揺れ動いている状態だ、と解釈したのだ。
(もしこれで俺一人に決められなかったら、ハーレムが出来上がってしまう。…それもいいような…いや、そうはさせん!)
ハーレムに組み込まれることへのわずかな羨望を気合を入れて振り切ると、横島は立ち上がる。
決意の鼻息も荒く資料室前から立ち去ると、そのまま事務所を後にした。
すでに当初の目的を忘れ、明日のためになにやら支度を考えているようだ。
「ふっふっふ…そーか、お前たちがライバルだったとはな…手加減はせんぞぉーっ!」
夜空に浮かぶおキヌ、シロ、タマモに向かって叫んだ横島は、数分後に事情聴取を受けるまで高笑いを続けていた。
「はあ…えーと、これも横島クン、シロ、横島クン…」
『オーナー。そろそろ休まれた方が?』
「あーありがと。でもこの被害届をどうにか分類し終わらないと…給与額が出せないもの」
肩をたたきながら美神は人工幽霊壱号に答えた。
机の上には周辺警察から渡された、この事務所メンバーによる被害に関する報告が置かれている。
机の上からこぼれそうなほど大量で、慰謝料やらもみ消しの費用やらも馬鹿にならない。
切ないため息の一つもつきたくなるというものだ。
「まったく、覗きに痴漢もどきに、カップルへの攻撃に…ふぅ。横島クンがダントツだわ」
『あまりその罰を給料から引くと、彼は生活できないかと存じますが…』
「まーね。でも一応基本給はそれなりに上げてやってるのに、こういうことで減額されてんだから、馬鹿らしい」
自分への覗きの分もしっかり被害届の数に入れているので、彼の分はなかなかの山になっていた。
それぞれ宛ての被害をまとめ終わった美神は、まず横島の分の給料を計算して帳簿に記していく。
ちなみに実際に渡す金額とはまた違ったりもするが、今更人工幽霊壱号も何も言わない。
「で、シロとタマモ…。これは二人一まとめの喧嘩が多いわね。はぁ、後はシロの暴走とタマモのいたずらか」
『それは給料に関係するのですか?』
「お小遣いよ。でも、これで減らしたら油揚げが買えないとか言って、他所で鬱憤晴らししたりするんでしょうね」
『悪循環な気がしますが…』
そうは言っても、お仕置きしないわけにもいかない。その分の不満を文句言われない方法で解消してくれればいいのだが。
「んー、仕方ない。おキヌちゃんの方の給与に手間賃増やして、多めにおごって貰えるようにしときましょ」
『事務所の作業費とは別に、ですか…。それなら横島さんのほうも増やしてあげては』
「…盛り込んでるのよ、シロの分はすでに」
『…そうでしたか』
そう言ってため息をつく美神と人工幽霊壱号。問題児ばかりの事務所員に、所長の美神の気苦労は絶えないのだった。
しかし彼女はまだ知らない。
明日、妙に格好つけた服装を身にまとった煩悩少年が、おキヌ、シロ、タマモにライバル宣言をして大騒ぎを起こすことは。
さらに美神にいつも以上に熱心に愛を叫びつつ飛び掛り、全員からフクロにされることは。
その騒ぎでまた付近住民から被害届けが出され、彼のマイナス査定がさらに増やされることは。
でもその後、彼が美神から渡される給与はなぜかいつもより大目だったりすることは。
END