暖かな日差しがさしこむ5月のある日。
彼女、美神美智恵は公園のベンチで、近くの自動販売機で買った缶コーヒーを飲みながらひとときの休息をとっていた。
オカルトGメンの責任者である彼女は、いつも多忙である。しかし極端な精神論や日本人的な過度の勤勉さとは無縁な彼女は、適度な休憩の大切さをよく理解していた。
こうやって一人になって体を休めていると、心身ともにリフレッシュして、頭の中をクリーンにすることができる。その方が仕事の能率も上がるというものだ。しかしこの穏やかな陽気に誘われてしまったという理由も、否定はできないのも確かであった。
今日の気候はそれだけ抗えないほど魅力的である。春が訪れ、ジメジメした梅雨の季節もまだ先。四つの季節がめぐるこの日本にあっても、1.2を争う過ごしやすい季節。美智恵も今の季節が一番好きだった。
仕事を抜け出してきた彼女は、制服姿のままである。自分の人生と全ての能力をかけて挑んだアシュタロスとの戦いもすでに過去のものになったが、大小様々な事件は彼女を待ってはくれないらしい。だが公園の中はとても平和で、今日の天気と同じく、とても穏やかに時間が流れているようだった。
(この平和を守るために、毎日毎日汗水たらして働いているのよね……)
美智恵は缶コーヒの飲み口に唇をつけたまま、ボーっとしてそんな事を考えていた。
その時、
「ママ!」という声が美智恵の耳に入ってきた。
美智恵にも二人の娘がいるが(一人はまだ会話ができないほど幼いが)その声を出したのは別の人間である。
声の方向を見ると、一人の少女がおそらく母親であろう女性と共に地べたに座り込んでいた。そこは公園内でも日当たりのいい場所で、小さな花がいっぱい咲いていた。花といっても花壇に人工的に植えられたというような代物ではなく、雑草の類ではあったが、花に優劣はない。小さいが生命力に満ち溢れた花々は、元気にはしゃぐ少女とあいまってとても可愛らしかった。
少女はどうやら花を摘んで何かを作っているようだ。親子が話す会話の内容から推察すると、娘が母親に何かをプレゼントするつもりらしい。おそらくまだ幼稚園ぐらいの年齢である少女は、小さな手を一生懸命動かしているが、首を傾げる仕草を見るとあまりうまくいっていないように見える。だが母親は優しく微笑んで娘の行動を見守っていた。
(そういえば令子にもこんな頃があったわね……)
令子が小さい頃。仕事で飛びまわっていた美智恵は普段寂しい思いをさせている娘のために、休日は極力どこかへ連れて行ってあげるようにしていた。この日は東京の郊外にある自然公園でピクニックである。
人の手が入っていない原っぱは生命の芽吹く春の季節の到来で、まるで自然の絨毯の様に色とりどりの花で埋めつくされていた。
「ママー! まっててね。いまれーこがいいものあげるから♪」
「まあ、何かしら?」
「まだ、ないしょ!」
内緒と言われても後の美智恵からは丸見えなのだが、一生懸命な娘のためにそこは黙っていることにする。それに花の絨毯の上を動き回る娘の姿は、愛らしくて見ていて飽きない。いつまでだってこうしていられる。
だから美智恵はニコニコしながら、娘の言う『いいもの』の完成をおとなしく待っていた。
「できたー♪」
大声で完成の声をあげた令子は、両手を後にまわして『いいもの』を隠し、モジモジしながら母親の元に近づいてきた。
子供ながらに照れているのか、頬を赤く染め、上目づかいで母親の表情をうかがってくる。
その表情がまたまた可愛らしくて、美智恵は優しく微笑み「どうしたの?」っと首を傾げて反応を待った。
「あのねぁ……れーこ、ママにぷれぜんとがあるの!」
そう言って差し出したのは、令子が先ほどまでつんでいた花々で作られた『冠』であった。作業中に触りすぎたのか、所々花びらが取れてしまっていたり、茎が折れそうになっていたりしていた。だが母親の美智恵にとっては娘の真心のこもった究極の一品であった。
美智恵は嬉しそうに花の冠を頭の上にのせ、「どうかしら?」と娘に見せていたが、令子はそれには答えず次の行動に移っていた。
「れーこ、もう一つママにぷれぜんとがあるのよ?」
令子はそう言うと、いつもたすきがけで肩にぶら下げている、お気に入りのピンクのポシェットから、きれいに折りたたんだ紙を出した。
不思議そうにしている母を横目で見つつ、令子は紙を広げて得意げな顔で母に見せた。
紙にはクレヨンで、女性らしき人物の絵が描かれていた。写実的な絵ではなかったが、特徴的な髪型と、力強くカーブをえがく眉毛から、おそらくは母、美智恵がモデルであると推測できた。
そしてその絵の下には、たどたどしい字体で文字が書かれている。その内容を見て、美智恵は目を見開いた。
『 だいすきな ままへ いつもありがとう れいこ 』
確か令子はまだろくに字が書けなかったはず、いったいどうやって書いたのか…それとも母が知らない内に娘は日々成長しているという事なのか。
だが美智恵にはそんな事は大した問題ではない。思わぬプレゼントに美智恵は最大級の驚きを受け、魂が昇天してしまうほどの感動が体中を駆け巡っていた。
「もっ、も………」
「も? どうしたのママ?」
「もぉーーーこの子ったら! 最高っ! かわいいっ!!」
娘を溺愛する美智恵は、親バカな嬉しい悲鳴をあげたかと思うと、令子を思いっきり抱きしめ自らの豊満な胸に押し付ける。
「く、くるしぃ、ママ…」
(あの時の絵と花の冠、あの後どこにいっちゃったのかしらね……)
時間移動能力者である美智恵は、アシュタロスとの戦いに勝利するために、自らこの世との全ての繋がりを断ち切って姿を隠した。令子が中学生の時の話しである。そのため美智恵の手元には、令子との思い出の品などは一切残っていない。
そのことは、あの日、自分の死を偽装して令子に絶望を味あわせた時に切れてしまった、親子の絆を表しているようでなんだか悲しかった。
(やっぱり令子は、私を許してはくれないかしら……)
仕方がなかったとはいえ後ろめたい気持ちはある。後悔はしていないが他にやり方はなかったかという事は今でも考えてしまう。
「ママー! できたよ♪」
暗い思考により自分の世界に入っていた美智恵を元の世界に戻したのは、先ほどと同じく公園の少女の声だった。
見ると、ようやく作っていたものができあがったらしい。それは花で作った首飾りであった。
出来映えはあまり良くなかったが、その子の母親はあの時の美智恵と同じように、嬉しさいっぱいの笑顔でお礼を言っていた。
(私達も、あの頃に戻れたら……)
「…バカバカしい、今更何を…。だいたいずいぶん昔の事だもの、令子も覚えちゃいないわよ。さあ、仕事、仕事!」
無理やり心と体を奮い立たせた美智恵は、まだ親子の声が聞こえる公園を後にして、仕事場へと戻っていった。
「ただいま戻りました」
「あ、隊長。おかえりなさい」
すでに仕事モードの凛とした表情になって戻ってきた美智恵を、西条が出迎える。休憩中に何かあったかと西条からの報告を聞きながら歩いていると、自分のデスクの上に、外出する前にはなかったリボンのついた箱が置いてあることに気がついた。
「西条君、これは?」
「あ、実はさっき令子ちゃんが事務所にやってきまして…」
「令子が?」
「ええ、なんか変装しているつもりなのか、帽子をかぶってサングラスなんかかけて。隊長ではなく僕を呼び出したかと思ったら、『ママにこれを渡して欲しい』とお願いしてきたんです」
「ふーん。何かしら?」
とりあえず不信ではあったが、「分かったもう良いわ」と西条をさがらせた。リボンのついたその箱は丸い筒状の形をしていて、一見すると帽子を入れる箱の様にも見える。令子からなのだから、まさか危険物という事はないだろう。美智恵はさっそく箱の中身を見てみることにした。
「あっ……」
ふたを開けてみると、ふわっと中から甘く良い匂いが溢れ出してきた。驚いて中身を見てみると匂いの元はフラワーリースであった。植物のつると、緑の葉っぱを土台にして、うすい赤やピンクの花が彩りをそえている。清々しい匂いとあいまって、とても可愛らしいものだった。
「あれ? この花は、カーネーション…」
美智恵はハッとして、自分のデスクの上にある卓上カレンダーの日付を見た。
(今日は確か8日。5月の第2日曜日……)
プレゼントの意味を察知し、フラワーリースを箱から出してみる。すると箱の底には一枚のメッセージカードがあった。
『大好きな ママへ いつもありがとう 令子』
それはあの時と同じメッセージだった。確かに絵は描かれていないし、字もうまくなってる。ついでに言うと漢字も混ざっている。だがまったく同じ内容のメッセージだったのだ。
「あの子覚えていたのね…。ふふふ、令子ったら……」
驚きと同時に、暖かいものが胸いっぱいに広がってくる。
令子は自分との思い出を憶えていたし、切れたと思っていた絆は繋がったままだったのだ!
美智恵は涙で潤んだままの笑顔で、しばらくカーネーションのフラワーリースを見つめると、やがて事務所の壁にかけて飾ることにした。
そしてオカルトGメンの事務所の窓からも見える、娘の事務所の方を見て独り言をつぶやいた。
「令子に何かお礼しなくちゃね……」
「昔みたいに、ギュッて抱きしめたら…あの子喜んでくれるかしら?」
溺愛する娘へのお礼を考える母は、とても幸せそうだった。
5月の第2日曜は『母の日』
みなさんはどのような1日でしたか?