ある晴れた昼下がり。美神除霊事務所は喧騒に満ちていた。
「よぉ~こぉ~しぃ~まぁ~っ!! 待たんかぁ~いっ!!」
鬼もかくやという表情で、追いかけてくる人物がいた。
「ま、待てと言われて、待つ奴がおるかぁーっ!!」
必死の形相で逃走している人物も、いた。
「まーまー。とりあえず落ち着いて下さい」
執り成そうとする人も、いた。
けれどもその言葉は追いかけられた人物の耳に届く事は、ありえなかった。
どちらもオリンピックに出たならば、世界新記録のおまけ付で金メダルがもらえることは間違いない。どちらもそれだけ必死だった。
捕まえることに。逃げる事に。自分の、未来を賭けて。
「待てぇーーっ!!」
「待てるかぁーっ!!」
必死に逃げながら、思い出していた。あの時も外は晴れていたっけ、と。
今日は仕事も忙しくなく、だれていた所に声が掛かった。
「ね~、横島君。ちょっとこっちに来てくれる?」
にこやかな笑顔。年齢的な衰えを感じさせない笑みで隊長――美智恵さん――に呼びかけられた。隊長の前には紅茶のカップが2つ。つまり、俺の分も用意されているということだろう。
「え? 俺ですか?」
まったく予期しない呼びかけに戸惑いつつも、隊長の向かいの椅子に腰を落とした。
この時、気付くべきだったんだ。隊長の笑みが何時もより3割り増しになっている事に。普段はあんまし役に立たない直感が、激しく警鐘を鳴らしていた事に――。
遠くの方に、雨雲が見えていたんだよな。
「横島君。最近仕事も順調みたいね。一人で除霊に行くことも、結構多くなってきているでしょ?」
隊長はそう話を切り出した。さっきと変わらないままの笑みで。
む。どうやら無意識のうちに微妙に警戒したのを、気付かれたか? ……このまま、誤魔化して逃げるのは、後が少し恐い気がする。……いやだって“あの”美神さんのお母様だしな。
「……まぁ、そうと言えばそうですね」
当たり障りのない答えを返す。今のような状況になったのは、だいぶ前からのことだし。……相変わらず“バイト”のままなんだけど。
暫くの間、こうして隊長と話しているものの、本当に世間話だ。……たぶんそろそろ来る。
「…という訳なのよ。だから横島君、ココにサインと判子押してくれない?」
…………………………。
はっ!?意識が飛んでいたみたいだな。話の内容を覚えてないわ。イカンなぁ、もっと集中力を持続させないと。いっつも美神さんに言われているし。
「あのー。隊長。もういちど話して貰えます? なんか聞きそびれちゃってるみたいなんで」
あくまで、『あ、ごめーん。聞いてなかった。てへっ』って感じで聞き返す。だって真剣にしちゃいけないって気がするんだもん。……壊れたか? 俺。
「だから、ココにサインと判子、ちょーだい」
隊長も軽~く返してくださった。うん。実に軽いノリだ。
………あの~それってひょっとして……。
「……隊長。それって『婚姻届』では?」
汗だくな俺。汗だくな僕。背中が嫌な水分でいっぱいな私。
いや確かに、最近美神さんとイイ感じというか……二人っきりで夕食行ったりしてますが。……実の所、夕食だけで終ったりしてません。……でも、幾らなんでもちょっと早すぎやしませんか?
「ええ、そうよ。だからサインしてちょうだい」
にこやかに返してくださる隊長。……確かに美神さんは、妙に奥手というか、実は少女っぽい所もあるけど、幾らなんでも親を使うのはなしでしょう、美神さん。
……藪かさではないっすけど。たしかに『将来的には……』とかぼんやりと思わないでもないっすけど……。
嬉しさと、気恥ずかしさと、「男が責任取らされる瞬間ってこんな感じかなー?」などという気持ちですが……、やっぱちょっと早すぎじゃないっすか?
「……隊長。確かに、俺は『将来的には』と思ってもいましたが、ちょっと早すぎるんではないでしょうか? 雇用形態も“バイト”のままですし。せめてもう少し、一人前になってからではダメでしょうか?」
まだ、早い。
俺の心境は、まさにこの一言に尽きる。でも相手は親御さんであるわけだし、失礼にならないように言葉を選ばないとな。うん、俺ってエライ。……別に混乱してるわけでもないぞ? うん。
「まぁ、確かに早いかもしれないけど……」
と言って隊長は視線を――下腹部に――落とす。
ひょっとして、アレっすか? 薔薇色の人生の墓場に、片足突っ込んでますか?
「私、判っちゃうのよ。独身女性が子供育てるのって、とっても大変なのよ~?私は結婚してたけど、いつも一緒というわけにはいかなかったから……」
もっとも、今は主人のフィールドワークの都合で、本当に離婚状態だけどね。と付け加えて苦笑いしている隊長。……たしかにご主人は今、“独身男性じゃないと入れない聖域”かなんかの探索に出かけてるらしいっすけど……。
嗚呼、神様、仏様、小竜姫様!
年貢の支払い時っすか………。
すまん! まだ見ぬ可愛いぃ~姉ちゃん達よ! 俺はもう遊べなくなっちゃうよっ!
たぶん。
いやなんというか、親父見てるとさぁ。
……いや、俺は親父とは違うんだ。キッパリ男の責任とらないとな。
「はい、順ば」
「で、式の日取りは何時にする?」
「……はい?」
自分の事ながら、間抜けな声を出してしまった。式の日取りって、そうそこまで準備が進んでたんですか? ……流石です、隊長。
……しっかりしろ、俺。男だろうが。
「……日取りのほうは、美神さんに相談しないと、決めようがないと思うんですが……」
結婚式は女性の憧れだって聞くしな。俺の一存で決めていい事じゃないよな。
……それに……その早い方がいいんだろうし。ドレスの都合とかで。
「令子? 相談なんてしなくてもいいわよ。これくらい、私が決めたってバチは当たらないって、私から言って聞かせるから。その心配はしなくていいわよ?」
……………………。
本日二度目のフリーズ。
嗚呼、隊長のその眩しい位美しい笑顔が目に染みるっす。
えっと、でも流石にそれはやばいのでは?
「あ、でも皆も式に呼んでね? だってほら、皆が仲を取り持ってくれたようなものじゃない。令子の誕生日が記念日になったんだし」
隊長がニッコリと微笑んでる。あれ、今日の口紅の色、新色ですか? 似合ってますよ~。あ、空が綺麗ですねぇ~。最近晴れが続いてますもんね。あ、何か遠くのほうに雨雲があるっぽいですね~。そう言えば今朝の天気予報で、午後から雨って言ってたしなぁ~。
……現実逃避はこの位にしとこう。何も解決しないしな。うん。もう、どうやら人生の墓場に片足突っ込んでるみたいだから。
それに“美神さんの誕生日”って。
…………アレ?
あの日の記憶………、飛んでる? アハハハ~……じゃすまないっすよ、親父! いや親父は関係ないかもしれないが、親父から受け継いだ“DNA”が関係してる気がするよぉ~。
隊長が何か言ってるようなきもするが、今はそれどころじゃないな。
あの日は確か……、そう、美神さんの誕生日パーティーで隊長の家にお呼ばれしたんだよな。うん。
その時は、えっと確か……
「横島君、ちょっとこっちきて。……はいコレ」
そう言って美神は横島に、メッセージカードを手渡す。部屋の隅っこの方に呼んでから手渡すのは、やはり照れがあるからだろうか。ほんのりと薄紅色に染まった頬を見る限り、きっとそうなのだろう。
「はい?……コレは?」
そう言って横島は、美神に手渡されたメッセージカードに目を落とす。シンプルなデザインながらも、リボンで縁取られるかのようにプリントされており、少し乙女チックな感じかしないでもない。表部分には、『横島 忠夫 様へ』と手書きで書かれていた。
中には、『娘も無事に、今年で22歳になりました。つきましては我が家において、バースデイパーティーを開くので、是非ともおいでください』と書かれていた。裏面には『美神 美智恵』の文字があった。
つまり、娘のバースデイパーティーを開こうという主旨らしい。時間移動のせいで出来てしまった鎖のせいで、娘に悲しい思いをさせてきたことに対する埋め合わせの一環だろう。美智恵が帰ってきてから、令子は母に甘え、美智恵は娘に甘くなっていた。失われた親子の時間を取り戻すかのように。
そのバースデイパーティーに横島は招待されたという事だ。
……まぁ、世間一般的に見て、横島と令子の仲は恋人ということになるのだろうから当然といえば当然でもあるのだが。
コレを見た横島の表情が“にぱ~”としたものに変わった。
「もちろん、参加させていただきます! 絶対いきますから!」
一生懸命そう言う横島の顔を見て、美神がふぅーっと息をついた。
「HAPPY BIRTHDAY!」
皆でお祝いする。横島におキヌ、シロタマの事務所メンバーはもとより、唐巣神父や西条、エミや冥子。ピートにタイガーに魔鈴に雪之丞はてはカオスまでもいた。
「ほら、令子。集まってくれた皆にお礼を言いなさい」
微笑いながら促す母親。
俯き、恥ずかしさから顔を赤く染めながらも、令子は御礼を述べ始めた。
「確か、美神さんの誕生会に自宅に呼ばれて、珍しく美神さんがテレていて……」
額から流れ落ちる冷や汗に気がつかない振りをした。だって、気がつきたくなかったから。
「そうそう。あのこったら、素直じゃないからねー。どうしてあんなに、捻くれた性格になったんだか」
隊長がため息をつく。だから、トンビに油揚げをとか言ってるけど、聞こえない。聞こえない。聞きたくない。
「ま、いいんでけどね。私としては、ね」
そう言って隊長はまた、にっこりと微笑んだ。
「それで、横島君。誕生日会が終わったあとのことは覚えている?」
うぅ……。覚えてません。覚えてません。覚えてません。
お酒を美神さんに呑まされて、途中から記憶が無くなってます。けれど、これを言ったら……。
いや、言わなくても同じですね……。
「お、覚えてません」
俺、なにをやってしまったんだろうか……。いや、きっとナニなんだろうな……。何で覚えてないんだろう。いや、相手にどうやって謝ろうか……。子供の件も含めて……。
「まぁ、たぶんそうなんだろうとは、思ってたわ。まぁ、その後は私が知らないうちに、二人っきりになって、なるようになった? って感じらしいのよね。まぁ、私もそこら辺は相談に来たあのこから聞いただけだから。と言う訳で、横島君。男なら、責任は取らないとダメよ」
あぁ、女性の笑顔は、時に恐ろしいって本当だったんだな……。現実逃避はこれくらいにして、さっさとサインに捺印して、これもって謝りに行こう。
そして、誠意を持ってプロポーズしに行こう。
うん、そうしよう。
あぁ、でもどうやってお義父さんやお義母さんに説明しよう。
酔った勢いで、記憶にございません。なんて言えないよな。
あと、周りというか、説明どうしよう。
……俺、どうすればいいのかな? ルシオラ。
「ほら、横島君。呆けてないで、行くわよ」
あ、隊長。襟首掴まないで下さい。あ、絞まってますって! というか、やっぱり隊長怒ってません? あ、当たり前っすよね。
「さっさと歩く!」
「マム! イエス、マム!」
そうだ、そしてそのまま家内のところに、向かったんだっけ。
考え事をしていたせいか、何かにひっかかって盛大に転ぶ横島。そして、その機に乗じて、美神は横島を捕まえた。
「つぅかぁまぁえぇたぁわぁよぉ~っ! いったい、どぉ~してこうなったのか! き、ち、ん、と、説明してもらうからね!」
横島の上に馬乗りになって、説明を求める美神。一人、ソファーに座ってお茶を飲むおキヌ。美神の鬼気に中てられたのか、部屋の隅で震えるシロタマコンビ。
美神除霊事務所は、混沌を極めようとしていた。
そんな混沌の中、ソファーに座る人の足の位置が、ちょっと不自然に前に出ていることなんて、誰も気がつきはしなかった。
そのうち、問い詰める声から、湿った打撃音に変わる。
どうやら、ますます混沌は進んでいくようである。
ただ、一点。湯のみを持つ左手に輝く、プラチナリング以外は。
あとがき。
まずは、一言。僕はGSキャラ、特におキヌちゃんは大好きです! ……いや、だって最初はこんなつもりではなかったんです(爆)
はい、後書きと言うか、言い訳です(爆) 今回、とある事情がありまして、一日(と数時間)で書くことになりまして、書き上げたものです。その都合上、拙いところも多々ありますが、ご容赦願います。(^^;;
まぁ、女性は怖いということで(爆<マテ 美神の誕生日会のあと、ナニがあったのかは、皆様のご想像にお任せいたしますw<マテ