革のブーツが、乾いた石が散らばる地面に触れてくぐもった音を立てた。
風が音をたててコートをはためかせ、寒気が肌を突き刺す。
まるで地獄のような陰気と、無機質で頑丈なコンクリートの建物。
おおよそ1キロ四方ほどの敷地に呪われたこの研究所は建っていた。
悪魔がいるわけではなく、悪霊がのさばっているわけでもない。
ただ、それよりたちのわるい「人間」という名前の化け物がいるだけ。
夕闇の中でところどころに設置されたライトの光が、まるで発掘された頭蓋骨のような白さの壁に反射して、心あるものなら誰でも抱く恐怖感を沸きあがらせる。
俺は歯を食いしばっていた。
今までこの人工建築物の中でどんなことがされてきたのか。
そんなことを考えるだけで言いようのない嫌悪感がよぎる。
恐らく、正常な人間ならば想像の出来ないであろう悲劇があったに違いない。
血と死と悲しみの強烈な臭いが俺の鼻を襲った。
「待っててくれよ……」
そんな場所に無理矢理連れていかれた愛しい人を思い、心から言葉が漏れた。
俺が昔救った世界はこんなにも無情だったのか、と眼から涙が溢れた。
トレンチコートの懐に仕舞い込んだ拳銃と銀の銃弾が、俺に俺がこれから消し去る魂の重さを感じさせてくれる。
その重みの苦しみと痛みに耐え、俺は地獄に直結していても不思議はないであろうドアを、静かに開けた。
中は闇。
全てを飲み込んでしまいそうな、光のない世界。
夜の世界である外よりも、暗く、禍禍しい世界。
目の前に漠然と広がる暗黒に息がつまり、窒息してしまうのではないか、と危惧さえ覚える。
その暗闇の中で、懐からおもむろに拳銃を抜く。
そして構え、その引き金を引いた。
一瞬の火花があたりの闇に吸収され、建物の内部を映し出す。
遠くで悲鳴が聞こえる。
すぐに向きをかえ、再び引き金を引いた
今度は違った角度からの光で、さっきとは別世界のような建物の内部が浮かび上がってきた。
今度は二度悲鳴が。
ダブルハンドで握っていた拳銃を懐に戻し、余った右手で辺りを一薙ぎする。
さっきの銃口から放たれたそれよりも、地面に派手な火花がちりばめられる。
そしてそれ以上に明るい光の剣。
ハンズオブグローリーを、暗闇を真っ二つに引き裂くように横に走らせた。
人の命を奪って尚、人の死体を見たくはないと思うのは傲慢だろうか。
霊をも人をも物をも有象無象に切り裂き殺す霊波刀を消して、辺りを再び暗闇に染めた。
目の前にころがる霊刀で切り裂かれた無残な死体が俺の目に届かぬように。
血の赤で俺の視界が埋まらぬように。
原因はなんであろうとも死んだ人間を見ぬように。
そしてこの世界が見えぬように。
こんなに俺の手は赤く、黒く、醜くなっているというのに……こう思い、行動するのは傲慢なのだろうか。
教えてくれ……神様、みんな……そして……。
自分の体に新しい傷跡を刻み込みながら、俺は前へと進んだ。
立ち止まるわけにはいかない。
俺は前に進まなければならないんだ。
俺の後ろには数々の屍の山が築き上げられているのだから。
親しき友人、尊敬すべき上司、仲の良かった同僚、昔の恋人、そして俺の葬りさってきた人間達の屍の山が。
トレードマークとして愛用してきた赤いバンダナを、そっと下にずらして眼を塞いだ。
俺に目はもういらない。
運命という名のモノが乗る馬車を引く馬のように、ただ前に突き進むことしかしないだろう、寧ろそれしか出来ないだろう。
ドアを切り裂いた。
あるいは、俺の破滅へと繋がる扉だったかもしれない。
この先に、ヤツはいる。
俺にとって最大の壁、最大の敵であるだろうヤツが。
数々の悪霊、悪魔と戦ってきた俺にとって、最大の敵が人間とは大した皮肉だ。
これが俺が従事している運命の出した答えだというのだろうか。
相変わらず残酷なご主人様に仕えたことだ。
「やっと来たね。 あまりに遅かったから、化石化しちゃうかと思ったじゃないか」
人当たり良さそうな笑顔。
すらりと伸びた長身に、腰の高さほどで切り揃われた長髪。
スーツを着、愛刀を常に帯刀し、銀の弾丸が入った拳銃を持っている。
公務員、そして大富豪の息子。
「俺はお前に最初会ったときから、気障で、嫌味で、スケコマシの嫌な野郎かと思ってたよ。 だがな……」
「僕だってそうさ、僕だって君のことをただのバカだと思った。 だが誤解しないでくれ。 僕が今ここに立っているという事実は、僕の意思によって為されたことじゃない」
「……どういうことだ?」
「君とまったく同じ立場に立っているということさ。 けど僕は君とは違い、この腐った研究所を所有している腐ったヤツらに脅迫をされているわけだがね」
ヤツは、深く溜息をつきやれやれと呟いた。
「あいつらのネットワークを甘く見ていたのは僕のミスだ。 所有していたと思っていた警備会社は既に乗っ取りにあっていたと気付かずに彼女に護衛をつけたんだからね」
「……そうか、お前も、被害者だったのか。 そして俺を引き止めに」
「最大の被害者は君の恋人だろうがね。 かわいそうに、霊体的に非常に珍しかったという理由だけで……」
「気にするな。 俺が助ける」
「そうだろうね」
俺は深く息を吸い込んだ。
すると目の前に立っている男も、息を吸い込んだ。
「すまないが、それでも僕は退くわけにはいかない」
「わかっている」
「君の剣術は僕の剣術より優れていると理解している。 だが銃の扱いは遥かに僕の方が技術が上だ。 加えていうのならば、剣と銃を併用して使う技術において僕の方が上だ」
あいつが愛刀ジャスティスをスラリと抜いた。
正義は常に、用いられる者によって左右されるということか。
「しかし君は「文珠」という特別な能力をもっている。 勿論、僕だってその能力を全く無警戒であるわけではないがね」
「悪いが、時間がない。 早く終わらせよう」
「……わかった。 一つだけ、君に頼んでもいいか?」
「なんだ?」
「もし僕が君に殺された後、彼女を……僕が今までその気持ちに気付いてやれなかった彼女を……助けてやってくれないか?」
「ああ、勿論だ。 では、どちらかが己の手をライバルの血で染めるまで」
「僕にはもう心の残りはないさ。 君を殺すことに対しても、君に殺されることに対しても……」
ハンズオブグローリーを展開させる。
懐から拳銃を引き抜く。
ジャスティスを振り下ろす。
引き金を引く。
霊力と霊力とがぶつかり合い、鍔迫り合い、目も眩むような光が辺りを照らす。
それはまるで破滅の日の出来事のように。
「はぁ~い! カットぉぉぉ!!」
ふぅ、やっと終わったか。
目をバンダナで塞いだり、ハンズオブグローリーを滅茶苦茶に振りまわしたり、モデルガンを撃ったり、大変だったなぁ。
主役になれたのはよかったけど、こう忙しいのは考えものだ。
信頼していた唐巣神父が実は敵だったっていうシーンのときには長台詞で舌を噛みまくったし、敵の組織嘘800が列車を爆破するシーンではシリに火がついて大変だった。
いやはや、スタント無しという触れ込みは命がけだ。
「お疲れ、横島君」
美神さんが、ジュースを持ってきてくれた。
美神さんは前作と同様に白麗さんと同じ役を演じることになってたから、衣装がいつもと違う。
「ありがとうございます。 ちょうど今、喉が渇いてたんですよ……ほら、暗くてジメジメしてる場所だったでしょ?」
「ははは! 横島君は軟弱だなぁ。 僕なんで5時間ほどあそこに詰めていたというのにまだ元気だぞ」
ハンズオブグローリーで斬られれる主人公のライバル役の西条がやってくる。
ひょうきんな顔をして、美神さんにさりげなくアピールしてくる嫌な野郎だ。
「じゃ、お前の分のジュースは要らんのだな。 わははは、美神さんが持ってきてくれたジュース、全部頂きじゃーっ!」
「あっ、ずるいぞ横島君! 年長者を敬いたまえっ!」
先ほどとった映像の男が惚れるような男の像はどこへ行ったのやら、西条はあっけらかんとしたバカ男に変貌した。
「バカとはなんだ、バカとは! 君に言われたくはないな!」
「うっせー! テレパシーで人の思考を読むんじゃねーよ!」
「はーい、次のシーンの撮影いきまーす! ヒロイン役の美神さん、ジョー役の横島さん、死体役の西条さん、そろそろ準備してくださーい!」
おっと、もう休憩時間は終わりか。
ふっ、トップスターは辛いぜ。
そして数ヶ月後。
「向こうでの評判も上々らしくて、今作も日本で放映されるようになったらしいわね」
という美神さんの言葉通り、先行視聴会が開かれた。
無論、ここで俺達が呼ばれなければ視聴会の意味がない。
「ワクワクするでござるなぁ! 拙者、ぎゃわーと言って切り捨てられる役だったでござるけど、楽しみにして昨日はよくねむれなかったでござるっ。 わんわん」
「ハッ、眠れないのは私の方だけだっての。 バカ犬の寝息と歯軋りと寝言がうるさくて、眠れるのは横島ぐらいだけだったわ」
「ヌヌヌ! 拙者は狼でござる! 犬じゃないでござるっ!」
「あんたが狼だったらこの世に狼なんてもう居ないことうけあいねっ、あはは!」
やれやれ、またこの二人のやりとりが始まったか。
他の観客がものめずらしく、余興かと思ってこっちを見てくるじゃねーか。
「ほれ、二人ともやめろ。 シロ、タマモはマリアに台詞無しで撃ち落される役だったからお前に妬いてんだよ。 タマモ、シロはバカなんだからからかうなよ」
「うっさいわね! どーせあたしは台詞無しよっ!」
「ば、バカとはなんでござるか、せんせー!!」
俺の腹部にダブルパンチがクリティカルヒット。
なんで仲が悪いくせにこんなときだけ……。
てんやわんやの大騒ぎを俺達が一部で引き起こしている最中、映画が始まるベルが会場に流れ始めた。
さっきまでの騒動がまるで嘘のように大人しく、みんな席に腰を落ち着ける。
どうなることかと思ったが、なんとか安心だ。
「楽しみだな、タマモ」
「うるさい、黙ってて」
俺が問いかけても、全くなしのつぶて。
少し寂しいというかなんというか……いやはや。
「ん? 始まったな」
ライトが消え、スクリーンに映写機から発せられた光が当たる。
開始はたしか、俺がカッチョイイバイクに乗って、カッチョイイ登場のシーンをしたはずだ。
そして全くその通りに、ぶおおんとハートを揺るがすエンジン音と共に、黒い革ジャンとGパンを履いたダンディな俺がヘルメットをとり、高級レストランで待ちぼうけをくらっていた美女に向って決め台詞。
『待たせたな、白麗……今日は大切なデートだったが急な仕事が入ってな。 遅れて悪かった』
う~ん、カッコイイ。
渋い、渋いよぉ~。
俺とは思えぬ物腰、俺とは思えぬセンス。
そして、オレジャナイカオ。
「……って、またCG修正かよッ!!」
あからさまに俺とは全く別人がスクリーンで霊能アクションを繰り広げていた。
俺らしさは微塵に残さず、俺の原型が全くない人物。
思わず心の底から叫び声をあげてしまった。
「このブ男っ! 引っ込め、ボケェ!」
「ちょ、ちょっとヨコシマ! 恥かしいじゃないの、静かに! 何もあんただけじゃないのよ! アタシも、バカ犬も、ミカミだってCGの差し替えを受けてるのっ!」
「いいや、許さんっ! 俺が危うく死にかけたこともあった撮影で、なんで全く別人に……うううっ」
「あ、血の涙でござる。 というか先生! さりげなく「爆」文珠を構えるのはやめてくださいでござるっ!」
「いや、こうなったらここをぶち壊して、フィルムという名の俺の血と涙を消し去ってやるんだーーっ!!」
思わず涙が零れてきそうだ。
あいかわらず、あきらかに俺じゃない主人公と、俺の知らない女優と脇役がスクリーンで動いている。
それがとてつもなく嫌で、嫌で……。
あれだけの力作、もうアカデミー賞だろうがオスカー賞だろうがノーベル賞だろうが総なめするくらいの迫真の演技だったのに……。
文珠を二桁も使用して演技力をつけたのに……これじゃあ元の木阿弥だ。
そりゃあ確かに、映画だのなんだのでは、元の俺とかとは全くかけ離れた別人を演じているさ。
元々のキャラクターとは、往々としてかけ離れているものを演じているさ。
だけど、それだからって……容姿まで変えちまわれるのは悲しすぎるよ……。
確かに格好悪くて、モテない俺だけど、空想の中では俺の顔を持ってモテモテになりたいんだ。
そのささやかな夢を託して、今日、映画を見に来たのに……。
「ふはははははっ! ジオン公国とショッカーとあと俺に栄光あれーーーッ!!」
大声で叫び、魂の咆哮を聞いた後、俺の意識が途切れた。
何か首元に鋭い衝撃が走り、目の前が暗くなっていき……。
「ったく、今朝の占いが最悪だったのはこのことをさしてたのね」
ただ、遠くから美神さんの声が聞こえたような気がする。
「格好悪いやつがモテるなんて、映画の中じゃありえないのよ。 だからCG加工するの。 元々が誰だかわからないくらいに」
しかも酷い言われようだった。
そこまで言わなくてもいいのに……。
「でも、ドジで間抜けで、バカであけすけなあんたの方が……私は好みよ。 カッコよくて、異常に精神も肉体も強いあんたよりもね」
頬に何か柔らかいものを感じた。
儚く、虚ろだったけれども、間違い無く感じた。
ひょっとしたら、それは、美神さんと俺とを結ぶ、絆だったのかもしれない。
「……ん? あれ? 俺……いままで何を……」
「あら、起きたの? あんた、今日、朝に仕事来たらすぐにソファーで寝ちゃったのよ。 まったく、私一人で仕事してたっての」
なるほど、俺はソファーに寝ていて、その上に布団がかけられていた。
デスクで美神さんがメガネをかけて、書類に目を通している。
「シロやタマモやおキヌちゃんはどうしたんです?」
「ん、映画見に行ってるわよ」
「映画? ……ん? 最近、面白い映画ってありましたっけ?」
「まだ放映されてないやつ。 先行視聴会らしいわ」
「ふーん……じゃ、今日は俺と二人きりなんすか、密室に年頃の男女二人っきり……グフフ、こりゃあ、何かあっても不思議はないっちゅうか、何か無い方が不思議っちゅうわけで……」
映画、という単語が妙に頭に引っかかったけれど、それよりも目の前の美神さんに目が行った。
今日は珍しくいつものピチピチした服じゃなく、たしか中国かどっかの方でメジャーらしい女優さんが着ていた服と同じ種類の服装だった。
露出度は高いが、だが、それがいい。
「覚悟したってくださいよ、美神さん。 俺の欲望からは、いくら海千山千の美神さんと言えど……」
「バカね。 コーヒーでもどお? 眠気を覚ましたほうがいいわよ」
飛びかかろうとしたところを、コーヒーを出される。
なんだか毒気を抜かれたようになってしまい、そのままコーヒーを受け取ってしまった。
「おキヌちゃんいないから、私が淹れたのよ。 味わって飲みなさい」
「……はい」
コーヒーは、完全無欠のブラックで……苦かった。
カップの中で黒い渦が巻きあがり、何故かトレンチコートを羽織り、バンダナを目隠しとして使っている俺の姿が見えた。
なんとなくそれが嫌味に見えたから、一気にコーヒーを飲み込んだ。
「今度……」
美神さんが言った。
「映画に行きましょうか。 おキヌちゃんが見に行ったっていう映画を、二人で」
「いいっすね。 なんていうタイトルの映画なんですか」
「さあね。 帰ってみたら聞いてみましょうか」
「ま、美女の誘いだったらどんなにダメ映画であろうと、実写版デビルマンでも見に行きますよ」
「そ」
「あの……美神さん……」
「何?」
「……コーヒー、お代わり、いいっすか?」
二杯目のコーヒーはけっこう甘かった。
後書き
どうも、zokutoです。
咲き乱れろ、悪の華……ってな感じの映画から始まり、最後にはラブっぽく。
何も壊れに近いギャグしか書けないんだぞ、というイメージを払拭させるための悪あがきをしていますです。
いや、自分の書くSSが面白いかどうか、ということはまた別ですが(汗)
これからも精進していきます。
以下、独り言。
夜華時代に顔を出したまま、姿を消し、再起が祈られていたとある御仁が遂に復活を遂げるようです。
名作で、全く人気が衰える事なかった未完作品も再開なさるということで期待大です♪
というわけで、応援(と逃げ道塞ぎ)のためにこれを応援SSにさせていただきましたー。
以上、私信でした。