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「フタリダケノセカイ(GS)」

仙台人 (2005-02-24 05:43/2005-02-24 05:54)

ジリリリリリリ!

 俺はけたたましい騒音で、まどろみから引き戻された。
 頭のすぐ上で、昔ながらのアナログな目覚まし時計が、何度も何度もハンマーを打ちつけて、耳障りな金属音を打ち鳴らしていた。

 昨日も深夜まで仕事があった…。それでも今日は朝っぱらから集合がかかっているのだ。雇い主の人使いの荒さが良く分かるというものだ。

 俺はまだ半分眠った体をせんべい布団の中に入れたまま、腕を伸ばして目覚まし時計を止めると、長さが違う二本の針の位置を確認した。

「やばい! もうこんな時間だ!」

 絶対に寝過ごさないようにとあの強力な目覚まし時計を買ったのに、今まで気づかなかったとは…。
 俺はとにかく大急ぎで近くにあった服を着ると(といってもいつもと同じ服だが)、朝飯も食わずに大慌てで部屋を飛び出した。

 アパートから出た時、俺は既に妙な違和感を感じていた。だが、とにかく今は遅刻と美神さんのカミナリが怖かったので、気にしないようにしていたのだ。

 しかし…。
 その違和感は大通りまで出てきた時、形となって姿を現した。


 誰もいない―
 人間が、鳥が、アリンコにいたるまで、生きとし生けるものがいない。 
 車も、バイクも、自転車も。いや正確に言えば”動いている”車やバイクや自転車がいないのだ。
 この場で動いているのは、時折風によってざわめく街路樹の枝葉と、利用する者がいないのに、律儀に規則正しく自分の役割を果たしている、信号機だけだった。

「な、なんだよ・・・これ?」

 俺は走るのをやめ、ただ呆然とその不可思議な光景を眺めていた。
 そうだ、アパートを出てからの違和感。あれは人の気配がしなかったからだ。例え外に出ず、家の中にいたとしても、町には人間が生活している気配というものがある。それがなかったのだ。


 俺はとりあえず誰かいないかと探してみた。
 …やはりいない。
 段々と自分の心が驚きから心配へと変わり、脈拍数が速くなってきた。


 俺は不吉な予感を振り払う様に再び走り出して、美神さんの事務所に向かった。
 そしてあの人達ならいるだろうという期待と、いなかったらどうしようという恐れを抱きつつ、幾度となく訪れている事務所の建物に足を踏み入れた。

「美神さん!」

 ………返事がない。
 応接間には誰もいないので、美神さんがいつも書類仕事をしている書斎に駆け込んだ。

 ……ここにもいない。
 だが美神さんがいつも使っているマガホニーの机には、まだ湯気の出ているコーヒーカップが置かれていた。
 

「おキヌちゃーん! シロー! タマモー!」 

 おキヌちゃんの部屋や台所、風呂場、屋根裏のシロとタマモの部屋まで探したが、誰もいなかった。だがあのコーヒーカップのように、今さっきまで誰かがいたような生活感が、そこかしこで感じられるのだ。

「そ、そうだ。人口幽霊壱号…」

 この事務所を守る、あいつなら!と思って大声で呼んでみたが、人口幽霊さえも返事をしてくれなかった。
 もう何が何だか分からない。だが何か恐ろしい事が起きている。それだけが今わかる真実だった。


 俺はもはや完全に恐怖にかられ、町中を走った。
 途中からは他人の自転車も拝借した。泥棒だと気にする事はない。町中に持ち主がいなくなってしまったカギ付の自転車が、いっぱい転がっているのだ。


 唐巣神父の教会。エミさんの事務所。冥子ちゃんの家。
 俺の高校や六道女学院。文珠を使って妙神山までも行ってみた。


 町中を走って、走って、走って。自転車をこいで、こいで。心臓がパンクして壊れるほど探し回っても、知り合いどころか結局誰一人見つける事はできなかった……。


 朝からずっと探し回っていたが、もう日が暮れ始めるほどの時刻だ。俺の体も疲労がピークになっていて、もはや探す気力もない。今から誰もいない部屋に戻るのも、何だか気がひけた。

(そうだ…どうせなら、あそこで休もう……)


 俺は”あいつ”との思いでの場所、『東京タワー』に向かった。
 当然受け付けも守衛もいない。文珠など使わなくとも簡単に展望台、そしてその上まで行くことができた。

 気圧によってかたくなった鉄のトビラを押し開けると、彼女との思い出の場所であり、彼女自身の墓所でもあるその場所に足を踏み入れた。


 眼前には東京の風景がパノラマで広がっており、美しい夕日がその町並みを赤く照らしていた。そして俺は…今日初めての人影を、同時にありえないはずの人影を見た。


「ル、ルシオラ……。そんなバカな…」

 ルシオラ―
 俺が愛した魔族の女であり、俺の命を救うためにこの場所で死んだ女。
 その彼女が、あの頃と変わらない姿で俺の前に現れたのだ。


『久しぶりね…ヨコシマ』

「いったいどうして…。も、もしかして…誰もいなくなっちまった事と関係があるのか? 本当に、ここには誰もいないのか!?」 

 俺はいろんな事でぐじゃぐじゃになった頭の中をどうにか整理したくて、ルシオラに疑問をぶつけた。
 その存在が疑問そのものであるルシオラは、笑顔を崩さず、あっさりとその質問に答えた。

『そうよ、ここには誰もいない…。いるのは私と、ヨコシマだけ……』


 ルシオラは一歩一歩、ゆっくりと俺に近づいてきた。
 彼女のうかべる微笑みは、見た目は昔とちっとも変わらない。だが、どこか違って見えた。虚ろというか…蠱惑的というか…。とにかく空恐ろしい雰囲気があった。


『ここには、誰も邪魔する人達はいない…二人だけの世界よ…』

 ルシオラは目の前までやって来ると、あの笑顔のまま俺の顔をジッと見つめてきた。
 そして俺はルシオラに優しく抱きしめられた。

 久しぶりのその感触は心地よかったが、ルシオラの腕の中は、ブリザードの中みたいに、とても寒かった。

 心が凍ってしまうほど寒かった…。


『いつまでも…二人きりよ…永遠に……永遠に………』

 俺の耳元でそうつぶやくルシオラの目は、血みたいに真っ赤な夕日をうつしだし、とても美しく、狂っていた。


ジリリリリリリ!

 彼はけたたましい音で、布団から飛び起きた。

「………ゆ、夢?」

 枕元では、昔ながらのアナログな目覚まし時計が、何度も何度もハンマーを打ちつけて耳障りな金属音を打ち鳴らしていた。
 彼はキョロキョロと狭い室内を見わたし、自分が今どこで何をしているか確認すると、うるさい目覚し時計を止めた。
 そして近くにあったいつもの服を着ると、朝食も食べずに部屋を飛び出した。


 彼は走った。心臓がパンクして壊れるほど走った。
 だがその目的地は、今から行くはずだった美神令子の事務所の方向ではなかった。

 人ごみも、車も、信号さえも無視して走リ抜けていくその姿は、まるで何かに魅入られているようにも見えた。彼の表情は、目の焦点がぼやけていて、どこか虚ろだった。

 彼の口元から紡ぎ出される言葉は、囁くように小さく密やかなものだったが、表情と同じくどこまでも空っぽで、今はいない誰かにつぶやきかけているようだった。

「ルシオ…二人だけ…世界……お前と…つまでも…永遠………」


 彼は、横島忠夫の体は。
 都心にそびえたつ鉄の塊、東京タワーに、抱きしめられる様に吸い込まれていった。
 巨大な腕の中に包まれた彼の表情は、恍惚とした喜びに満ち溢れ、その目は夢の中のルシオラと同じ、狂気の炎を宿していた……。


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