あの時、俺が「ホウキン」といういじめのリアクションを変えた事は 俺へのいじめを無意味なものに変えていった。 俺が奴等にとって、良好な反応を示さなくなったため、 自然といじめが行われる回数が減っていったのだ。
それは
「いじめをやめよう」とか、
「教師の努力で解決した」とか、
「学校の対応によって」とか、
そんなご立派な名目、何一つ関わりの無い所で、だ。
「いじめても期待通りの反応が得られない」
ただ”そこ”に集約されていたのだ。
”泣き叫んで抵抗する人間を、寄って多寡って押さえつけ、服をぬがして辱める。”
要するに、UやYはこの「いじめの感覚」を楽しみたかっただけだったのだ。 いじめても冗談のように振舞うようになった俺では この感覚はもう味わう事が出来なくなったわけだ。
もしも、奴等のいじめの心理に俺が気が付かなければ、 延々と俺にホウキンが繰り返され、 エスカレートしたその先に、何が待っていたのかを思うと、 今の自分では居られなかった事だけは確かだろう。