部屋に戻ると、彼女はまだソファにうつ伏せに横たわっていた。 眠ってはいないようだが、いまだ余韻が覚めないようだ。瞳が夢と現を行き来している。 とりあえず床に投げ出されていた彼女の学ランを腰のあたりに掛けてから部屋を出ていた。 動かされた形跡はない。ずっとうつ伏せになったままだったのだろう。 学ランから覗く肢体は白くなめらかな曲線を描き、ほんのりと桜色に染まっている。 ひどく扇情的でいて、どこか危うい。 「直斗」 声をかけると、とろんとした表情で見上げてくる。乱れた前髪を指先で梳いた。 「タオル持ってきた。体拭くよ」 「…あ…」 否とも応ともつかない答えが返ってくる。 濡らして固く絞ったタオルを頬に当てた。刹那、直斗が弾かれたように身を起こす。 柔肌を滑って学ランが膝へと落ちた。直斗は慌てて拾い上げると、学ランで胸元から下を隠す。 「あ、あの! 自分でできます! だから…」 うつむいてしまった。耳元まで真っ赤になっている。 恥じらいがあることは別に悪いとは言わない。開放的すぎるほうがどちらかと言えば問題だ。 だが、ついさっきまで腕の中にいた事実を忘れ去ってしまったかのような直斗の反応に、思わず胸中で嘆息する。 「すみません、先輩。向こうを向いていてもらえますか…?」 直斗がおずおずと上目遣いに尋ねてくる。 思いきり今さら感が拭えないが、タオルを手渡して背を向けた。 指先でわずかにカーテンを開けてみる。 すでに夕闇が迫っていた。 黄昏時――“逢魔が時”だ。“大禍時”とも書くらしい。 闇と霧は根本的に同じ類いの存在なのかもしれない。真実を隠し、人を惑わせる。 窓ガラスに白い影が映っている。ちらりと肩越しに見やると、直斗が背を向けて体を拭き始めていた。 細い肩、細いうなじ。こうして脱いでいると本当に華奢だ。 後ろを向かせて、自分も後ろを向いている。よそよそしいにも程がある。 穿った見方をすれば、行為が終わればただの先輩と後輩。そう割り切っているように見えなくもない。 ふと悪戯心が湧いた。 足音を立てないように近づいて、背後から抱きしめる。 「ひゃっ!」 直斗がこちらまで驚くほどの悲鳴を上げた。 その拍子にタオルを取り落とし、自分を抱きしめるようにして胸元を隠す。 「ひゃっ、って…」 「ご、ごめんなさい、びっくりしてしまって。…あの、その…胸…触ってます…」 言われてみれば、確かに指先が胸のふくらみに触れていた。 だが、特に故意というわけでもないし、そもそも掠る程度である。 直斗は知らないのだろう。処女を思わせるその態度が、逆に男を煽っているのだということに。 わざと左胸に手を伸ばす。 行為の跡が丸みのある胸にひとつ見えた。さっき唇で刻んだ傷だ。 透けるように白い胸には、内出血の跡は小さくてもかなり目立つ。 直斗の手を掻き分けて、包みこむようにして掴む。しっとりとした重みと手の平に吸いつくような弾力を感じた。 「せ、先輩…」 こんなふうに困惑した声を出されると、余計に苛めたくなってしまう。 やわやわと揉んでみる。すぐに直斗の手が左手に重なった。 「…っ、駄目ですよ、先輩」 「気持ち良くなりそうだから?」 かっと直斗の顔に血が昇った。素直な反応だ。 敢えて感じるように揉んでいるのだから、感じてくれなければ困るわけだが。 右の胸も同じようにして揉みはじめる。 直斗はしばらく視線を泳がせていたが、視線を外すことで波に耐えようと考えたらしい。 目を固く閉じて軽く唇を噛んでいる。その表情も、またそそる。 無防備になった首筋に唇を当てると、直斗が小さな溜め息を漏らす。 愛撫に反応するように、両の胸の突起がつんと勃ったようだ。手の平に突起の感触を覚える。 直斗はまだ目を閉じたままだ。 そっと、触れるか触れないかのところで突起を親指と中指で挟んでみる。 「……!」 びくん、と直斗の体が跳ねた。羞恥と怒りに顔を染めた直斗が、痛くない程度に拳を頬に当ててくる。 「もう、意地悪! 知りませんから!!」 「ごめんごめん、悪かった」 さすがに悪戯が過ぎたと軽く反省し、直斗をもう一度背後から抱き寄せる。 あやすように頭を撫でていると、ようやく腕の中に大人しく収まった。 「胸、少し大きくなったような感じするけど、違う?」 「わかりますか、やっぱり…」 直斗は消沈して溜め息をつく。 しょっちゅう揉んでるから、と口を滑らせそうになったが、何とか飲みこんだ。 直斗が怒り出すのは目に見えている。 「…あまり育つと、困るんです。隠しきれなくなるし」 今までよく隠せたものだとむしろ感心するくらいだ。毎日のことだから手慣れたものなのだろうか。 ただ、いくらきつくさらしを巻いたところで胸のふくらみを潰すだけだ。 直斗の体は全体的に薄い。ある程度の大きさになってしまえば、胸の部分だけが不自然になってしまうだろう。 何より、胸部を強く圧迫しているのだから直斗本人が苦しいはずだ。 「そのうち女の子の格好する日が来るのかもな」 顔を寄せて、髪を右手で梳く。ふんわりと柔らかい。 少年のように短く切った今の髪型も似合っているが、伸ばしても似合いそうだ。 「…そろそろ無理が来ているのはわかってるんです。でも、まだ僕は…」 「男だったら良かったのに、って思ってるのか?」 無意識に問い詰めるような口調になってしまう。 気づいてか気づかずか、直斗は軽く頭を振って答えた。 「それはないです。だって…」 一度言葉を切ると、口をつぐんでしまった。そのまま黙りこんでしまう。 顔を覗きこんだ。視線に気づいた直斗と目が合う。双眸が熱を帯びて揺れた。 「だって、男だったら…先輩と付き合うことだって、できなかったし…」 虚を衝かれて目を丸くする。直斗は顔を赤くして視線を落とした。 「僕は今までずっと男の格好をしてきました。男の格好が当たり前だったから、女性の格好が仮装みたいに思えてしまうんです。 女性の格好をするほうが自然で、今の状態が不自然だっていうのは頭ではわかっているんですけど」 視線の先、膝の上には直斗本人の学ランがあった。 公に女性であると知れて多少の時間は過ぎている。だが、直斗はまだ学ランに袖を通し続けていた。 「無理はしなくていいよ。どんな直斗でも、好きだから」 子供であること、何より女性であること。受け入れたからこそ今の直斗がいる。 それでも、かつて直斗は自身を否定していた。自身を否定して、抑圧下から影を生んでしまうほどに。 否定し続けていた自分を受け入れて即座に変われる人間など、いるはずもない。 「あ、ありがとうございます…いえ、“ありがとう”じゃないですね。ええと、その…」 そこまで言うと、直斗が口ごもる。 唇が何かの形を作ろうとしては躊躇い、躊躇っては形作ろうとする。 やがて、直斗は顔を上げた。頬を紅潮させているが、熱っぽい視線を外そうとはしない。 「…大好きです、先輩…」 直斗はときどき、本人も知らないうちに直球でものを言う。 そのたびに不意に胸を衝かれて、うろたえてしまうのは門外不出の秘密だ。 唇を唇で塞いで、“好き”という直斗の言葉を飲みこんだ。 何度も唇を重ねていると、直斗が苦しげに息をつく。 わずかに開いた唇の間から舌を差し入れる。口腔を探って、直斗の舌に舌を絡めた。 「ふぁっ…」 深いキスに慣れていない直斗はたまらず小さな悲鳴を漏らす。 「直斗…」 逃げる顎を捕まえて、また口づける。 口腔を侵しながら、覆いかぶさるようにしてソファに組み敷く。華奢な体は簡単にソファに沈んだ。 唇を離す。直斗はすでにぐったりとなっていた。胸元が大きく上下している。 しばらく視線は宙を彷徨っていたが、やがてゆっくりと見上げてくる。 「……」 濡れた唇が何かを形作った。 二文字の言葉。突き出されるような唇の形、そして、両端を横に引っ張るような唇の形。 ――“ス”と“キ”―― 直斗はこうやって、簡単に理性の鎧を壊してしまう。 成熟した女性とも未成熟の少女ともつかない、しなやかな肢体。 その丸みを帯びた胸元に、何箇所か小さな赤紫の跡が刻まれている。 ひとつひとつに唇を押し当てる。ふるんとした感触が唇を押し当てるたびに返ってきた。 数日したら消えてしまうとは言え、愛しい傷だ。 直斗がほうっと溜め息を漏らす。 「痛む?」 「…大丈夫、です…」 すでに日が落ちれば冷えこむ季節だが、汗で貼りついたシャツが鬱陶しい。 着直してはいたものの、また脱いで床に落とした。 「あの…先輩。またするんですか…?」 再び覆いかぶさると、直斗が不安げに見上げてくる。ずいぶん間抜けな問いに思えて思わず苦笑した。 拒絶されたとしても踏みとどまれないところまで来ているのだが、どうやらわかっていないようだ。 膝の内側に唇を寄せると、自然と足が開く。 足の間に体をねじりこませて、ズボンのファスナーのあたりを秘所のそばに押しつける。 「わかる?」 「わかり、ます…」 直斗は布越しにでも硬くなっているのを感じ取ったのだろう。顔を赤らめて視線をソファの背もたれに移した。 首筋、鎖骨、胸、脇腹、臍。彼女の体を形作るパーツを、上から確かめるように口づけた。 秘所を探ると直斗の体がびくんと跳ねる。粘性を帯びた音がして、指に蜜が絡んできた。 直斗は結局上体しか拭けていなかったようだ。さっきの名残もあって、秘所は充分すぎるほど濡れている。 これなら少しは負担をかけずに済むかもしれない。 「力、抜いて」 なるべく優しく言葉をかけると、直斗が小さく頷いて目を閉じる。 全身の力を抜くためか、両手がソファに投げ出された。 下肢が痛いほどだ。ズボンまで脱ぐ余裕は最早なく、前を開けるのだけで精一杯だった。 それでも、ゴムはつけなければならない。必ず課せられる儀式のようなものだ。 もっと早い段階でつけておけば良かったと、先に立たない後悔がよぎる。 ゆっくりと、秘孔に猛りを収めていく。 「うっ…んんっ…!」 直斗が呻き声を上げ、大きく頭を振った。 男を一度迎え入れた後だが、膣の中は相変わらずきつい。一度で奥まで突き入れることはできない。 所在なく虚空を舞っていた細い指先が、腕を掴む。 手首を掴んで、首に回した。直斗が縋りついてくる。 苦しそうに眉をひそめながらも、どこか満たされているような、形容しがたい表情がすぐそばにあった。 彼女が“女”であることの証。もっともっと、女で良かったと思っていてほしい。 ――愛しいと思う。直斗を。 「ん、はあ、あ…っ」 余裕がなくなっていく。こんな甘い声を耳元で聞かされて、冷静でいられるはずがない。 理性の鎧の破片さえ、直斗の体が、声が、表情が、ことごとく引き剥がそうとする。 抽挿に引っかかる抵抗が、蜜の滑りも手伝って緩み始める。 直斗の表情から険しいものが消え、代わりに恍惚としたものが宿っていた。 突き入れるたびにソファのスプリングが鈍い音を立てる。 「あっ、あ…っ」 「感じる…?」 「……!」 直斗は羞恥に顔を染めると、軽く握り締めた自らの手の甲を噛んだ。 慌てて直斗の手を取る。すでに歯の跡がついていた。 歯形のついてしまった部分をそっと舐める。それすらたまらないのだろう、直斗がぞくっと身を震わせた。 「声、殺さなくていい」 「だ、って…」 「俺しか聞いてないから」 「でもっ…あ!」 ゆったりと問答している余地はない。足を抱えて、ようやく一番深いところに突き入れる。 捻じ伏せるように直斗を黙らせた。代わりに直斗の唇からは喘ぎがこぼれてくる。 「…あ、あうっ…、はっ…」 もっともっと、溺れてしまえばいい。“探偵王子”の名を放り出してしまえばいい。 今だけは、他の誰にも見せない“女”の姿を余すところなく晒せばいい。 直斗がそうすることで自分も満たされるのだ――体以上に、心が。 「あ、せん、ぱいっ…」 一瞬、我に返る。 崩れかけていた理性の破片を無理やりに握りこんだ。 直斗の言葉は甘い呪言だ。理性を残り一片まで剥がそうとするくせに、本能に溺れることを許さない。 “先輩”と“後輩”という、有無を言わせない無機的な関係を口にすることによって。 「あ、ああっ…!」 直斗が背中を仰け反らせ、ひときわ大きな嬌声を放った。これ以上ないほど中で締めつけられる。 思わず呻き声が漏れた。脈打つように奔流が溢れる。 曝け出された白い喉にキスをする。目立つ場所ではなかったが、無意識に跡をつけていた。 直斗は肩で息をしている。額に汗で貼りついた前髪を払い、頬にも口づける。 直斗が甘い吐息を漏らす。頬が上気して熱い。双眸は虚ろだ。 「……、先輩…」 息を少しずつ整えながら、直斗が名を呼ぶ。 「どうした?」 答えて返したが、直斗は答えなかった。ただ、双眸が安堵したように潤み、目蓋を閉じた。 腕の中の直斗の重みが、ふっと増す。目蓋はもう開かない。 代わりに胸元が規則正しく上下し始める。 今度こそ本当に眠りこんでしまったようだった。 ふと目を覚ますと、まだ闇の中だった。 稲羽に来て布団で寝置きするようになってから、寝る前に携帯を枕の上のほうに置く癖がついている。 鷲掴んで時刻を確認する。四時前。明け方とも言い難い時間だ。 昨日の出来事が次第に思い出されてくる。そう、確か直斗はこの家にいるはずだ。 温もりは残っているが、布団の中に引きこんだはずの直斗の姿はない。 急に胸が冷えたような感覚に襲われる。慌てて身を起こし、階下に向かった。 台所だけに灯りがついていて、シンクの前に直斗が立っていた。手には半分くらい水の入ったコップを持っている。 「…おはようございます。ごめんなさい、起こしましたか?」 「いや、大丈夫」 思わず安堵の溜め息が漏れ、そんな自分に思わず胸中で苦笑する。 夢ではないと頭ではわかっていても、やはり姿を見ないと落ち着かないらしい。 「なんだか昨日の記憶が途切れ途切れではっきりしなくて。結局泊めてもらっちゃったんですね」 コップを置くと、直斗は決まりが悪そうに肩を竦めた。 まさか学ランで寝かせるわけにもいかず、比較的着せやすいと思われる前開きのパジャマを夢心地の直斗に着せてあったのだが―― これは、まずい。かなり扇情的だ。昨日は着せることしか頭になくて気づかなかった。 直斗に男性物のズボンを穿かせるのは相当無理があった。腰回りに差がありすぎる。 かと言って、小学一年生の菜々子のパジャマが入るとも思えない。 何より、入院中で一般病棟に移ったばかりの菜々子の部屋を漁りたくはなかった。 ズボンがダボダボになるのはわかっていたので、結局パジャマの上だけ着せて寝かせた。 普段は自分が着ているパジャマから覗く直斗の白い腿。誘惑されているような錯覚にさえ陥る。 こほっ、と軽く直斗が咳きこんだ。ようやく邪な妄想から解放される。 「風邪引かせたかな? 薬あるけど」 「い、いえ、違います! いいんです!」 薬箱を取りに行こうと背を向けると、パジャマ代わりに着ていた厚めのシャツの袖を急に引っ張られる。 振り返った先には真っ赤な直斗の顔があった。 「その、ただの…喘ぎ過ぎ、ですから…」 「あ、そう…」 「はい…」 しばらくふたりで赤くなったままのお見合いが続いた。 居心地の悪い沈黙ではなかったが、ずっと突っ立っているわけにもいかない。 冬の寒さが足元から染みる。パジャマの上しか着ていない直斗なら尚更だろう。 「アリバイ、作らないとな?」 「そうですね」 悪戯っぽく言うと、直斗は照れたように微笑した。 「ただ、どのみち一度帰らないといけません。さすがに昨日の格好のままで学校に行くのはちょっと… ワイシャツも皺がついてしまいましたし、下着も取り替えたいですし。できればお風呂にも入りたいので」 このあたりは女性的思考だと思う。多分、自分が同じ立場だったらさほど気にしなかったはずだ。 風呂なら沸かせる。ワイシャツの皺が気になるならアイロンをかければいい。 だが、下着の替えは用意していない。さすがに広い意味で用意しておく勇気はなかった。 ふと直斗が顔を上げた。 目が合う。まるで覗きこむように、直斗が上目遣いに見つめてくる。 「でも…もう少しだけ。朝まで、そばにいてもいいですか…?」 直斗が両の腕を軽く掴んできて、背伸びをする。 小さな唇が不器用に唇に触れた。 唇が離れる。追いかけていって、自分から唇を重ねた。 まったくこの小悪魔は、一体どこまで溺れさせれば気が済むというのだろうか――。 (終) 目次 / 戻る |