白鐘の名を絶やさないために、将来的には結婚するのだろうとは思っていた。 そのくせ、恋愛なんて考えたこともなくて。 誰かを愛することがこんなに切なくて、誰かに愛されることがこんなに心地いいなんて知らなかった。 鮫川の河川敷をふたりで歩く。 先輩が当たり前のことみたいに僕の手をとった。思わず周りを見渡す。 「誰も見てないよ」 先輩は笑ってそう言った。 本当は手を繋げて嬉しいのに、周りの目が気になる。 変な目で見られるかもしれない、そんな気持ちがいつもどこかにある。 “大人の男”に憧れて、長いこと男のふりをしていた。稲羽に来るずっと前から。 今はもう“男”じゃないと周りに知れてしまっているけれど、僕はまだ学ランを着ている。 こっちの格好のほうが、今まで普通だったから。さすがに急には変えられない。 肩越しに振り返ると、長く伸びたふたつの影が仲良く手を繋いでいた。 先輩の影も僕の影も形ははっきりしない。ただ、手を繋いでいるのがわかるだけ。 きっと、死ぬほど恥ずかしいと思うけど、いつか思い切って“女”の格好をしてみようか。 そうすれば周りの目なんて気にならない。先輩と手を繋いでいても、恋人にしか見えない。 先輩はどんな顔をするだろう。そして何て言うだろう。 似合う、と言ってくれるだろうか? 先輩に出会って、僕は変わってしまった。 “女”であることが嬉しいと思う日が来るなんて、夢にも思わなかった。 “女”である自分をあれだけ否定し続けてきたのが嘘みたいに。 自称特別捜査隊の面々を見ても、みんなどこかはみだしている。 先輩はそういうみんなを受け止めてくれる。僕も含めて。本当に嬉しかった。 特別な存在になれたときは、もっともっと、言葉にできないくらい嬉しかった。 「どうした?」 気づかないうちに、先輩の横顔に見入っていたらしい。 「な、何でもないです」 僕はそう答えて、帽子を深く被り直した。さすがに見とれていましたなんて言えない。 繋いだ指先が、心臓みたいにドキドキしてる。 先輩は何も話さない。僕も何も話さない。 こういう沈黙がとても心地よくて、家に帰るのがもったいなくなってしまう。 「今度の日曜日、どこか行こうか」 先輩がぽつりと言った。世に言う“デート”だ。意識したら急に恥ずかしくなってきた。 「え、ええ、いいですね。…どこに行きましょうか?」 一生懸命平静を装ったつもりだったけど、少し言葉に詰まってしまった。 先輩に気づかれただろうか。 「それじゃ、映画でも観よう」 先輩が嬉しそうに笑った。つられて僕まで照れたような笑みが浮かんでしまった。 今度の日曜日、か。まだ時間はある。 薬師寺さんに、服のことを相談してみようかな… (終)