「シャドウだ」 「シャドウだね」 「……見れば判る」 歩きながら暢気に呟く陽介と千枝に、彼はさしたる興味も無さそうな声で返した。 四人で適当に探索に来たはいいが、少し前からちょっと変なシャドウに後をつけられている。このシャドウ、見た目こそ小振りなただのシャドウで、不定形な体から手のようなものだけにょきっと伸ばしたまま一定の距離を保っては彼らの後を着いてくるのだ。 最初は襲われるかと身構えた四人だったが、何かしらの戦闘形態に変わるそぶりも見せなければ急接近してくる様子もない。おまけに、こちらから近付こうとするとそこらの横道に逃げ込んでは、歩き出したのを確認してまた着いてくる始末。 「追い払いましょうか」 かちり、と撃鉄を鳴らして直斗が問うも、ちらりとシャドウに視線を投げればやはり隠れられてしまう。多分、よほど早い抜き撃ちでもなければ中々弾は当たらないだろう。 「何がしたいんだろうね、あのシャドウ」 呆れたように千枝が言う。そもそも単純な思考の塊であるシャドウの気持ちというのはよくわからない。 「着いてきたいんじゃねえの?意外と、犬とか猫のシャドウだったりして」 「……犬猫にシャドウなんているのかな」 「さあ?あいつらも悩みぐらいはあるだろうけど」 「そう言えば俺、餌やってた猫からお礼もらったことあるな」 「先輩って異常に猫に好かれる体質ですよね……あれ以上増やしたら、堂島さんや菜々子ちゃんが帰ってくる頃には猫屋敷になってますよ?」 「俺じゃない。あいつら餌やってないのに勝手に増えるんだ」 手から魚のにおいでも出してるんじゃないのかと陽介が茶化す。そうやってどうでもいい話をしつつ、ふと直斗はシャドウが気になって振り向いた。いくら害意がなさそうとはいえいきなり背後から襲われてはたまらない。 ぴたりとシャドウの動きが止まる。目があった。何を考えているのか判らない眼。 確かに敵意は無さそうな気はするが―― 「って、うわあ!?」 突然シャドウが飛びかかり、がば、と直斗に覆い被さる。あまりに素早いので為す術もなく押し倒され、シャドウに乗っかられる形になった。 「直斗!」 背後の異変に気付いた三人が振り向くと、そこにいたのはいつもの凶悪なシャドウではなく、その辺をフラフラとうろついている格好のまま直斗の上に覆い被さっているシャドウの姿。 ただ、乗っかられているだけで襲われているようにはちょっと見えない。むしろじゃれつかれているようにすら見える。 「……えーと、なにこれ」 「いや、シャドウでしょ。ていうか直斗くん助けてあげようよ」 平たく伸びた体に足から背中まで完全にシャドウに乗っかられた直斗はばんばんと床を叩いてもがいている。ギブギブ。ディテクティブ白鐘(リングネーム)、ギブアップです。レフェリー見てない。 「はいはいブレイク」 直斗に当たらないよう、のしかかっているシャドウをアイアンでショットする。実際大した力はないらしく哀れシャドウはぽーんと飛んで行ってしまった。 「ないっしょー」 陽介が合いの手を入れてくる。こういう時の空気の読めっぷりは流石といったところか。 二人でハイタッチなどしていると千枝に頭を叩かれた。 「バカやってんじゃないの、全く……直斗くーん、大丈夫?」 千枝は床でのしいかのように伸びていた直斗に手を貸して助け起こす。ぐったりはしていたものの、乗られただけで他に危害を加えられた訳ではないようだ。 「だ、大丈夫です……何だったんでしょう」 帽子を直しながら立ち上がる。 「そう。怪我がないならいいけど……あれ、直斗くん帽子曲がってるよ?」 「え、そうですか?」 たったいま直したばかりだというのになんだか曲がっている帽子を、直斗はまたごそごそといじりだす。が、どうしてもうまく収まらない。おかしいな、と首を傾げる直斗に、バカコンビも様子を見に歩み寄った。 「帽子の中に何かあるんじゃないか」 「ひゃ!?」 アイアンで肩をトントンとやりながら空いた手で直斗の頭に手を乗せた彼は、思いがけぬ反応に慌てててを引いた。 「わ、悪い。痛かったか?」 「いえ、こちらこそ……ただ何か変な感じがして、びっくりして」 「んん、触った感じだとやっぱり何かあるぞ。帽子取ってみな」 ちっこいシャドウでも入ってたりして、と茶化す陽介は千枝に蹴りを入れられている。一方の直斗は素直に帽子を脱ぎ、中を覗き込んでいた。 「やっぱり何も入っていませんね。……先輩、先輩?どうしたんですか」 直斗は、珍しくフリーズしている彼を不思議そうに見つめる。千枝と陽介もドツキ漫才をやめて直斗を凝視していた。 「え、ちょっと。なんですかお二人まで」 「……直斗。頭触ってみろ」 「はい……?え、ええ、なにこれ」 疑問符を浮かべながら自分の頭に手を当てた直斗は、そこに触れたもふっとした感触と、そこで感じた自らの手の感触に声を上げる。左右一対あるらしいそれを摘んでみると、やはり摘まれた感触が伝わってきた。 ――何か生えている。 「え、ちょっと何ですかこれ!?せ、先輩」 「落ち着け」 縋るような視線を向けられ、取り出したのは携帯。 生憎と鏡なんてものは持っていない。泣きそうな直斗にカメラを向けると、彼の意図を察した直斗は大人しくレンズに向き合った。 ヒーホーッ♪と間の抜けたシャッター音が我ながら呑気でややイラッとしつつ、彼は直斗にたった今写したての写メを見せる。 写っていたのは。 「ね、ね、ねねネコミミー!?」 字面だけ見るととても直斗が発する言葉とは思えない叫びがこだまする。そう、そこに写っていたのは綺麗に立った三角形、誰がどう見てもふかふかのネコミミ。 「なんですかこれはっ!!」 「だから落ち着け」 「落ち着けませんよ!」 「いや、落ち着いて見てみろ……どうも耳だけじゃないみたいだ」 「え」 背後を指差されて振り返る。その目に映ったのはこれまた立派にすらりと伸びた。 「……しっぽぉぉぉっ!?」 壊れた。 とりあえず大混乱の直斗をなだめつつ帰還する。道中三人で話し合った結果、事情を知らない待機組にはこの件は伏せることにした。完二辺りはぶっ倒れかねないしクマがもふもふと変な対抗意識を燃やし始めたら収集がつかなくなるだろう。りせや雪子にはオモチャにされないとも限らない。 帽子を目深に被らせ、しっぽはどうにか学生服の中に隠し、直斗が具合悪いから今日はお開きとのリーダーの一声で速やかに解散となった。 「さて」 どうしたものかと堂島家の台所で彼は腕を組む。あのまま一人で帰す訳にも行くまいと半ば引っ張るように連れて来たはいいが、二人だから解決するって問題でもない。 直斗はやっと錯乱状態から脱出したはいいが泣きそうな顔で俯いたままだ。性別云々など問題にもならない、人としてのアイデンティティが危ないのだから当然と言えば当然。 ちなみにテレビから出れば元に戻りはしないかと淡い期待もあったものの、現実は甘くなかったようだ。 少しでも落ち着かせようと甘いカフェオレを淹れて居間へ戻る。湯気を立てるカップを前に、いただきますと可哀想なぐらい意気消沈した声。 軽く息を吹きかけて一口啜った直斗は、熱っ、と小さな悲鳴を上げて口を押さえた。温度はいつもと変わらないはずである。 「……猫舌か」 「……猫舌ですね」 溜め息。 「僕、どうなってしまうんでしょう」 消え入りそうな声で呟く。確かに、探偵王子こと白鐘直斗くんは実は萌え萌えの猫っ娘でした、なんて世間様にはちょっと言えない。というか、そもそも耳や尻尾のはえた人間なんてありえない。別方面での人気は出そうだが。 いざとなったらあのシャドウを探し出して退治してみるしかないだろう、どこへ飛んでいったのかは判らないが。そもそも吹っ飛ばしたのは彼自身であはるけれど。 とにかく、可哀想なぐらい元気のない直斗自身やすっかり折れてしまった耳やらぺったりと床に寝ているしっぽやらを見ているとどうにもいたたまれなくて、彼は一度腰を上げると直斗の隣に座り直した。 「まあ……今は体を休めるしかないだろ。どうせ誰も帰ってこないから今日は泊まっていくんだ」 「泊まっ……ええっ」 「これじゃ帰るに帰れないだろ」 直斗も一人暮らしではあるが、今の状態のまま一人にしておいたら気持ちは沈む一方だろう。別に下心じゃないからなと念を押しながらそっと頭を撫でてやると、ぴく、と耳が反応する。柔らかい髪を撫でてやるとふかふかの耳が気持ちよさそうに起き上がった。 ゆらゆらと揺れていたしっぽがそっと彼の腕に絡んでくる。それが撫でるのをやめないで、という無言のメッセージのような気がして、彼は声を出さないように少し笑った。多分、直斗自身も無意識のうちに動いているのだろう。動物のしっぽは正直だ。 「本当に猫みたいだな」 「茶化さないでくださいよ……んんっ……」 ふかふかの耳を堪能した後、膝に載せるようにして抱き寄せ、顎の下に手を回してみる。さすがに本物の猫のように喉を鳴らすようなことはなかったが、くすぐったそうに身をよじりつつも彼に擦り寄るようにして身を任せている。なんだか頬もわずかに上気している。猫ってやつは顎の下がそんなに気持ち良いのだろうか。 「…………にゃあ」 思わず発した自分自身の声に、途端に直斗は正気に返る。思いがけず漏れた可愛い声に面食らっている彼の手をすり抜け背をまっすぐに伸ばして正座した。 「い、いや、今のはその、違うんです、あ、そ、そうだニュース見なきゃ!テレビ借りますねっ!」 何が違うのかよくわからない弁明をしつつ、直斗はソファに飛び退ってリモコンを手に取った。 「あ、ああ、ゆっくりしてな。カフェオレも冷めてきたし。ちょっと風呂湧かしてくるから」 堪らず彼は立ち上がる。その後、風呂場で必死に声を抑えて腹を抱えていたのは直斗には秘密だ。 直斗はと言えば、彼が腰を上げた後も自分の膝を抱えるようにして真っ赤な顔を隠すのに必死だった。しっぽまで総動員して。 適当に夕食を済ませ、交代で風呂に入る。水も嫌がるかと思ったがそこは暖かい風呂の誘惑の方が勝ったようだ。 他にないからとダボダボのシャツと裾を折った服に着替えた直斗はいよいよもってその筋の人には見せられない姿だ。彼にそんな趣味はないはずだが、長すぎるシャツの裾からするりと伸びてゆっくり揺れているしっぽを見ていると多少の外聞ぐらい捨ててもいい気になるから不思議なものだ。 (いかんいかん) ただでさえさっきの一件で言葉少なくなってしまった直斗に、これ以上無体をしたら本気で怒らせてしまうと首を振る。 さっさと寝てしまうつもりで自室に場所を移したものの、ソファに座っているのは彼一人で、床にぺたりと座ってテレビを見上げている後ろ姿はいよいよもって本物の猫のよう。 (病院は……まずいよな) このまま戻らなかったら、と色々と先のことを考えてみるも病院などもってのほかだ。ともすれば珍獣扱いされてとんでもない目に遭いかねない。そもそもどう説明するのか。テレビの中に入って、変な黒いのに潰されたら生えてましたなんて言ったら彼自身が別の意味で病院に連れて行かれてしまう。 つらつらとそんなことを考えていると、不意に膝に暖かい感触が乗っかってきて、彼の思考はストップした。 「な、直斗さん?何を」 思わずさん付けなどしてしまうのも無理はない。乗っかってきたのは言うまでもなく直斗だ。普段の彼女であれば絶対にしないであろう積極的な行動に戸惑う彼に、直斗は返答の代わりに擦り寄ってきた。おずおずと撫でてやるとしっぽがぴんと伸びる。ああ、嬉しいのか。 「おいおい、頭の中まで猫になったんじゃないだろうな……」 この状況はかなりレアなもので嬉しくはあるけれど、ほんの少し不安になって彼は呟く。大丈夫です、と、少しぼうっとした声が返ってきた。 「でも、その。先輩の膝があんまり気持ち良さそうで……ご、ごめんなさい」 謝らないで下さい。むしろご褒美です。さすがに口には出さなかった。気持ち良さそうに丸まった背中に手を伸ばす。さするように撫でてやるうち、膝の上の直斗がとろとろと微睡んでいることに気付いた。 まだ夜は大分早いが、そういえば猫は一日の半分以上を寝て過ごすという。多分先程までの不安の反動もあるだろう。風呂に入って暖まった体を優しく撫でられてだいぶ落ち着いた様子。 「直斗。布団敷くから、そっちで寝な」 ぽんぽんと肩を叩くと直斗がうっすら目を開いた。 「……そういうわけには」 「大丈夫、俺はこっちで寝るから。掛け布団は叔父さんのがあるし」 「いえ、でも先輩の布団を取る訳にも行きませんし、先輩があっちで寝て下さい。それにその……多分、ちょっと狭いぐらいが落ち着くと思うので。僕がこっちで寝ます」 眠そうな声でのろのろと答える。そういうもんかな、と彼も思い、無理に薦めるのはやめることにした。ソファを立って直斗に場所を空けてやる。 「確かに猫って狭いところ好きみたいだしな。……何なら紙袋でも探してこようか?それか土鍋」 「今、ペルソナ出たらいいのになあって思ってます」 わあナオチャン怖いわあ。あまりからかうのはやめることにし、風邪は引くなよ、と自分の掛け布団を被せてやる。それから一度下の階へ降りて堂島の掛け布団を持って戻ってくると、既に直斗は寝息を立てていた。 無防備な寝顔に彼はクスリと笑うと電気を消して布団に潜り込む。明日のことは明日考えよう。 どのぐらい経ったろう。 この時期の朝は冷え込む。はずだったのだが、やけに暑い気がして彼は目を覚ました。カーテンの隙間から僅かに差し込むオレンジがかった光が今は早朝であることを告げている。 なんだか右半身がやけに暑い。それに胸の辺りになにか重みが。仰向けの状態から首だけを右に向け、彼は息を呑んだ。声を出さなかった自分を褒めてやりたい。 (な、直斗) そう、いつの間にか布団に潜り込んだらしい直斗が寄り添うようにして寝息を立てていた。顔が近い。というか、体がほぼ密着状態だ。暑いのは同じ布団の中でくっついているからで間違いない。重みの正体は彼に抱きつくように伸ばされた直斗の腕だった。 そういえば猫はやたら人の布団に潜り込む癖があるとか。あのあと本人も無意識のうちに潜り込んできたのだろう。でなければこんな状況はあり得ない。 思いがけない寝起きドッキリで無駄に上がった体温は、しかし彼がとある異変に気付いたことでなんとか追い出すことができた。 (あ。戻ってる……) すやすやと眠る直斗の頭からは例のもふもふした物体が消えていた。起こしてしまわないよう、時間を掛けて少しずつ体を動かして手を伸ばす。やっぱり、ない。さらさらとした髪の感触が心地良い。 多分しっぽももうないのだろう、と思った。流石に触って確かめる度胸はなかった。ほっとしつつも、ほんのちょっとだけ残念な気分。そんな心中を直斗が知ったらまた怒るのだろうが。 とりあえず直斗が目を覚ましたときに妙な疑いを掛けられないよう、彼はもう一度眠ることにした。もしまた先に目が醒めても狸寝入りを決め込むことにして。 眼を閉じる前にもう一度直斗の頭をそっと撫でる。ん、と気持ちよさそうな声が漏れた。猫憑きではなくても幸せそうに眠る姿は同じのようだ。 ……あのシャドウ、まだあの辺りにいるだろうか。 ちょっと邪な考えが浮かばないこともなかった。 とりあえずご褒美に餌ぐらいはやってもいいかもしれない。シャドウがモノを食べるか知らないが。 ========================================================= 直斗は素で猫舌だと思うのが正直なところ。 次回、「うっかり番長犬耳になる」逆襲の直斗をお楽しみに。うんごめん嘘。