風呂上り。 姿見の前に立って、自分の裸身を見る。 透き通るような白い肌。ふくよかな胸。くびれた腰。 「……こんなもの」 いらないのに。自分の胸に手をあてて、直斗は小さく呟く。 ……また少し、大きくなった気がする。 苦々しく顔を歪める鏡の中の自分の顔が、何故か。 こちらを、嘲笑っているような気がした。 運命を探して Detective:Naoto Shirogane 渡された資料に載せられた、女性達のプロフィール。 山野真由美と、小西早紀。 ざっと眺めてから、ふと目を上げる。 流れる景色、摩天楼はすでに過ぎ去り、今はただ緑が広がるばかり。 それでもまだ、目的地は遠い。 少し、眠ろうか。 思い、直斗は帽子を目深に被り、瞳を閉じる。視界全てが闇に溶けて、だが彼の思考は加速し始める。 二人の女性の謎の死。殺害であろうことは誰の目にも明らか。 では、一体誰が、何故。 始まるのは、推理。 どのような事件にも、必ず『理』がある。その『理』を推し量り、解すること。即ち、『推理』と『理解』。 そうして真実を白日の元に明らかにすること。 それこそが探偵、白鐘直斗の全てであり、存在を成り立たせるものだった。 「殺害方法は不明です」 頭の中に響くのは、祖父の秘書、薬師寺の声。 三日前、事件解決の為に旅立とうとする直斗に資料を渡しながら、彼はそう言ったのだ。 話を聞いたのは、白鐘家の屋敷、その応接間。大きな樫の机と、それを囲むように並べられたソファー。壁には賞状とメダル。酒類の入った棚の上には、いくつかのトロフィー。ほとんどが、白鐘直斗の祖父が、様々な難事件を解決したことによって渡されたものだ。 つまりこの部屋は、探偵としての祖父の偉大さを現す部屋であった。 子供の頃から直斗はこの部屋が好きだった。今でも、屋敷で何らかの打ち合わせをする時は、この部屋を使っている。 「……不明?」 「はい。二人目の小西早紀については、何らかの毒物を用いられたと考えられますが、その成分は解明されておりません」 事務的な口調の彼の言葉に、直斗は眉を顰めた。 「成分がわからない……? 解析に時間がかかっているのではなくて?」 「私が聞きましたところでは、そのように」 「…………」 直斗は顎に手を当てて、考え込む。警察の科学捜査の技術をもってしてもわからない毒物の存在、そしてそれを用いることが出来る者。犯人は、何らかの特殊な研究に携わっている人間だろうか。 考えようとして、心にブレーキをかけた。今は余りに情報が少なすぎる。 「もう一人については?」 「山野真由美については、本当に、全く不明です。鑑識の言葉では、どうして死んだのか、わからないと」 直斗は、渡された資料をめくる。その中にあった遺体の写真に、外傷はない。唯一、膝の裏に擦傷があるが、これは死後についた傷であって、直接の致命傷ではないだろう、とのコメントが付いていた。 「死体は民家のアンテナに吊るされていたんでしたっけ」 「はい。山野真由美も小西早紀も細身ですから、一般の男性なら担ぎ上げるのもわけはないでしょう。ただそれで、屋根の上に上るというのは……」 「難しい、でしょうね」 薬師寺の言葉を引き継いで、直斗は頷く。もっとも、体格の良い男ならば可能だろう、と心の中で注釈を付ける。担いでか、背負ってかすれば、出来る筈だ。 ただそうなると、今度はどうやって高い所に上ったかがわからなくなる。小西早紀の場合もそうだが、特に山野真由美の場合、民家の屋根の上のアンテナに夜の間に引っ掛けられていたのだ。だというのに、その民家の住民は、夜中、全く何も音を聞かなかったと言うのだ。もし、誰かが梯子か何かで屋根の上に上り、さらにアンテナに引っ掛けるなどという『作業』を行っていたならば、何らかの音がしたはずなのに。それが体格の良い男ならば、体重もそれなりにあるだろうから、尚更だ。 「理解出来ない点が、多すぎますね」 直斗は頭の中に、たくさんのクエスチョンを書いた付箋をイメージする。それが直斗の推理の方法の一つだった。関連性のありそうな付箋は近くに貼っておき、新たな情報がある度に整理していく。そうすれば、その中に解決に近付く糸口が見つかるからだ。 だが現状では、疑問符が多すぎて役に立たない。初動でここまでわからないことが多いのは、直斗にとって初めてのことだった。 何より、一番わからないのは。 「動機、が問題ですね」 直斗の言葉に、薬師寺は頷く。 何故、彼女達は殺されたのか。何故、吊るされたのか。 犯人には、殺す理由と、吊るす理由があった筈だ。殺すのも、吊るすのも、決して楽なことではないのだから。 だがこれまでのところ、全く、その理由は見えてこない。 「やはり、現地に行かないとわからないことが多そうですね」 直斗は、そう独り言のように呟く。 答えが返ってこないことに気付いて、目を上げると、薬師寺の顔は秘書のそれではなかった。 「本当に、行かれるつもりですか」 彼は子供の頃から直斗を知っており、いわば親代わりのような存在だった。そんな薬師寺に不安と心配を抱かせていることを知って、直斗は小さく苦笑する。 「大丈夫ですよ。必ず解決してみせます」 確かにわからないことは多い。真実の姿は見えず、まるで霧がかかっているかのようだ。 それでも、一つ、気付いたことがある。もしかしたら、これが入り口なのかもしれない、そう思える事柄が。 必ず。そう、必ず。直斗は自分に言い聞かせる。 白鐘の家の名を汚さぬ為に。そして、探偵という生き方を選んだ自分の為に。 どんなことをしても、この事件を解決する。直斗は秘かに、そう誓う。 「いえ、そういう意味ではなく……」 そんな彼の心の動きを知ってか知らずか、薬師寺は何かを言おうとしたが、やがて首を横に振った。 「わかりました。向こうでの住まい等は用意しておきます。天城屋旅館という旅館がありますが……」 「いえ、宿ではなくて、一人暮らしの出来る部屋にして下さい。もしかしたらこの事件、長引く可能性がありますから」 「わかりました。早速、手配いたします」 頷く彼の顔は、すでに祖父の有能な秘書のものだった。 「……八十稲羽にお乗り換えの皆様は……」 車内アナウンスに、直斗は目を覚ます。 推理をしていた筈なのに、いつの間にか本当に眠っていたようで、乗り継ぎの駅の間近らしい。 網棚から鞄を下ろしながら、夢の記憶に、一人、苦笑する。 また薬師寺さんを困らせちゃったかな。 旅館を勧められた理由は、何となくわかっていた。彼が……白鐘直斗が、本当は女性だということを、周囲に知らせる為だろう。少年探偵、と直斗が呼ばれていることを一番、苦々しく思っているのは彼だろうから。 もし、部屋に風呂が付いていない昔ながらの旅館だとすれば、女風呂に入らざるを得ない。そうすればどんなに隠れて行動しても、誰かに気付かれてしまう可能性がある。 確かに、女性であることを隠しているのは、色々と面倒だった。学校の授業でもそうだし、病院等でも気を遣うことが多い。自分だけではなく、薬師寺にも余計な負担を背負わせていることだろう。 それでもなお、直斗は自分を女性だとは思われたくなかった。警察関係者には、特に。 探偵で、あるために。 やがて直斗の乗った電車が、八十稲羽の駅に近付いていく。 その先に、これまでに経験したことのない事件が待っていることを。 そして、彼を……いや、彼女の運命をも変える出会いがあることを。 白鐘直斗は、まだ、知る由もなかったのだった。 目次 / 戻る |