新学期初日。
 鮫川河川敷には桜が咲き乱れ、先日入学式を終えた新入生を歓迎するアーチのように見える。
 その歓迎を受け、新入生たちが続々と八十神高等学校へと吸い込まれていく。

 慣れないのか緊張した面持ちの生徒が多い中、ひときわ動きがぎこちない女生徒が1人。
 1人で登校している彼女は、スカートの丈を気にしていたと思ったらまわりをキョロキョロ見渡したりしたあげく、いい景色だというのに下を向いて歩いている。
 学校が見えてくると、彼女は不自然な小走りで校門に駆け寄った。
 なにやら、校門の向こう側がやけに騒がしい。
 彼女が校門の影に身をひそめ、顔を半分だけ出してのぞき見するとどうやら各部活が勧誘をしているようだ。新入生を捕まえては部活の魅力を語っている。 部活に入るつもりなのだろうか、真剣に聞く新入生もいれば、困り顔で先輩の相手をしている新入生もいる。部活に入るつもりはないのだろう。

 彼女は、勧誘に捕まらないタイミングを見計らって一気に走りだす。勧誘に捕まりたくない理由は部活に入るつもりがないからではない。
 無論、部活に入るつもりはないのだが、そんな簡単な理由ではない。


「あ!ねぇ!君!1年だよね!」

 …あっさり捕まってしまった。
 振り払って逃げようとしたが、腕をしっかりと捕まれている。隣でも二人組に捕まった女生徒が苦笑いをしながら先輩の勧誘を軽くあしらっている。 どの部も新入部員の獲得に必死のようだ。部員が増えて活動の幅が広がれば部費やら扱いがよくなるといったところだろう。
 彼女は、先輩の顔を見ないようにしてつぶやく。

「…部活入るつもりないんです、すいません」
「新しくロボット部立ち上げたんだよ、全然部員足りなくてさ!!興味ない?」

 …ロボット。
 幸か不幸か彼女にとって、やや興味があるジャンルだ。しかし、放課後を部活に費やすほど時間に余裕はない。
 それに、彼女は早くこの場を離れたい気持ちでいっぱいだった。

「あ、の、結構です…ロボットは興味なくはないですけど…」
「興味あるなら入ってよ!好きなときに来ればいいからさー。5人集めないと正式に部と認められなくてさーまだ部っていっても仮なんだよ。 最悪名前だけでいいから、貸して!頼むよ!俺もう3年だからさ、最後なんだよ、一緒にロボットの夢叶えてくれよ!!


え………!?あれ??えっ!?!は!?お前…もしかして…白が…」
「しーーっ!…お願いだから大きな声出さないで下さい。………新入生にまぎれて登校する作戦なんですから」

 彼女は人差し指を口に当てると眉をひそめる。先輩はつかまえた1年生があまりに意外な人物だったせいか驚きで言葉がでないようだ。

 ようやく落ち着いてきたらしい先輩は、彼女の希望通り小さめの声で話しだす。

「え、あ、作戦って…教室行けばどのみちばれるだろ……?どういう心境の変化?」
「……不可抗力です」

 そういって、学生カバンを左手に、右手でスカートを押さえながら顔を真っ赤にしてうつむくその女生徒は新入生ではなく、2年に進級したばかりの――白鐘直斗だった。





 事のきっかけは春休みだった。恋人が都会へと旅立って1週間くらいの日だっただろうか。 離れていても心はつながっている、そうわかっていても心にぽっかり穴が空いたような気持ちになる。 直斗は、出発間際に仲間と撮った写真が入ったフォトフレームを手に取ると、大切な人の映ってる部分をじっと見つめた。
 その時、携帯電話が鳴った。直斗らしい、シンプルな電子音だ。
 彼からだったらよかったのだが、番号は見知らぬ番号だ。

「もしもし?どちら様ですか?」
「おう、白鐘か?春休み中悪いな!俺、生活指導の……」

 それは生活指導の教師からだった。通知された番号は固定電話からだったところを見ると学校の番号だろう。 生活指導される悪い行いをした覚えはないが、心当たりが一つだけある。…心当たりというより、あからさまな校則違反だ。

「で、用件なんだが。あー、お前は成績も素行も問題ないのだが…」
「……わかってます。制服の件ですよね」
「わかるか?そうだ、新入生も入ってくるし、制服を規定の物に変更して欲しい」

 他の生徒や教師に迷惑はかからないが、今まで言われなかったのがおかしかったくらいだ。 今は亡き諸岡ならば認められるはずもなかった。腐ったミカンやら、罵声を浴びせられること間違いない。 この生活指導教師もだが、他の教師も大らかな人柄が多く、生徒に自主性を持たせる意味でも校則はかなり緩いほうであるが、 制服の件はいつか言われるだろう、と直斗もそれなりの覚悟はできていた。言われなければもちろんこのまま男子の制服で通い続けるつもりであったが。

「おまえに憧れた下級生が真似したら困るからな、頼むよ」
「…わかりました。今まで黙認して頂きありがとうございました」
「女子の制服、あるか?」
「…ありますけど」
「なんだ、なら話は早い。じゃあ、頼んだよ」

 電話は切れた。
 直斗はハンガーにかけられたまま数ヶ月がたち、すでに部屋のインテリアと化している女子の制服にチラリと目をやった。 着用したのは彼と過ごしたクリスマスの1回きりだ。
 思い切った行動だったが、彼はすべてを受け入れ、直斗を優しく抱き締めてくれた。

 直斗は服を脱ぎ衣装ケースから下着を取り出す。ちゃんとつけるのが女の子のマナーだよ、 いざというときに1つくらいは持ってないとダメ、そうりせに言われ半ば無理やり見立てられた女性用下着。 直斗が持つたった一つのものだ。慣れない手つきで腕を通し苦労しながらホックを止め、なんとか形を整えると女子の制服に腕を通してみる。
 鏡を見てみると、映っているのはまぎれもなく女の子。華奢な肩、胸から腰にかけたなだらかなライン、どう頑張っても男性には見えない。

(もう…無理なのかな…)

 成長が止まって欲しいという思いとは裏腹に順調に育った胸は、最近また少しボリュームを増したようだ。 鏡で姿を横から見ても胸元は美しい丸みをおびて、女子の制服が綺麗にフィットしている。
 もう腹をくくるしかないのだ。教師の指導を無視する気はないし、クリスマスのとき彼が言ってくれたかわいいよ、似合う、の言葉を支えにやるしかない。
 直斗は小さなため息をひとつ、ついた。





「わ!?白鐘さん!?どうしたの!?」
「おい見たか!王子が女の制服着てる!」
「まじ!?見に行く!」
「とうとう生活指導のメス入ったらしいぞ!普通にかわいいんだよ!!しかも意外に胸でけぇし!」
「今までもったいねぇことしてたんだな王子」

「やっべ、ちょっとタイプかも」
「今まで全然ストライクゾーン外だったのに現金だなお前も」
「狙っちゃおうかな、俺」

 ウワサが広まるのは早いもので、教室には女子の制服を着た直斗を一目見ようとギャラリーが集まっていた。
 女子の制服姿をジロジロ見られるというのはやはりいい気がしない。
 しかも皆が好き好き口にしているのが時々聞こえてくるというおまけ付きだ。
 直斗はいい加減にしてください、そういってやりたい気持ちでいっぱいだったが、時計に目をやるとチャイムが鳴るまであと3分。
 文庫本を読み続け時が過ぎるのを待つとギャラリーは自分の教室へと帰っていった。

 新学期初日だから早く終わるにも関わらず通常授業よりも一日が過ぎるのが遅い気がした直斗だったが、ようやく帰りのホームルームも終わり 解放された。図書室で調べたいものがあったが、少し遠くの図書館まで足をのばすことにして今日は学校から早く出てしまおう、そう思ったときであった。
 後ろの席に座っている女生徒が、友人と話しているのが聞こえた。

「あー、もう新学期そうそう最悪!!この時計、彼氏とペアなのに!」
「壊れちゃったのー?」
「分解してみようかなーだめもとで」
「やめなよー。余計壊れちゃうと思うよ?おとなしく修理だしなよ」
「今金欠でさー…どこからあけるんだろ、これ」
「やめなってー」

 友人の静止も聞かず、無理やりどうにかしようと、針が止まっている時計を裏返したその女生徒を見て、直斗は、帰ろうと持ち上げた学生カバンを椅子に一度置くとその女生徒に手を差し出した。

「…壊れたの?見せて」
「あ、白鐘さん」

 直斗は、学生カバンから小さなドライバーのセットを取り出すと、手際よく時計をいじりはじめた。
 女生徒は、何も言わずにただその姿を見つめていた。直斗の白くて細い指先が時計の部品と小さなドライバーの間で華麗に動く。

 よし、直斗がそう口にすると時計の針は見事動きを取り戻していた。

「うわー!なおった!!」
「一応直ったけど…大事なものなら、一度ちゃんと見てもらった方がいいかもしれない」
「白鐘さんすごい!ありがとう!なんかカッコいいよねぇ〜女なのにメカ強いなんて…あ」

 女生徒はしまった、そんな顔をする。
 「女のくせに」「女なのに」そういう表現されることを直斗がすごく嫌うのはわかっている。
 禁句とわかっていた。機嫌悪くしたかな、何かフォローの言葉を言わなくちゃ、そう考えていると、直斗は小さく笑った。

「そうかな?ありがとう」

 直斗の長い睫毛が揺れる。
 1年の時から同じクラスだったが、今まで見たことのないやわらかい表情だった。
 女生徒は何を言っていいかわからなくなったが、直してもらったお礼の意味を込めて口を開いた。

「え、あのね!白鐘さん!!なんか、噂になってるみたいで…その、白鐘さんが女子の制服着てるコト。3年の人とか、校門で待って る奴らいるらしいから、気を付けて!今は珍しいから気になるだけで…2、3日すればほとぼりさめるよ、きっと!!」
「そうなんだ…わかった、気をつけるよ」
「……制服、似合ってるよ」
「あ、ありがとう」

 直斗はもう1度そっと笑うと、ドライバーをカバンにしまい、スカートを翻しながら教室から出ていった。
 女生徒は元気よく動いている時計の針を見つめ、その時計を左手にはめた。

「白鐘さん、カッコいいよねー」
「なんかさー、白鐘さんー、すごい変わったよねー」





 上履きから靴に履き替え、昇降口からそっと校門を覗いてみる。
 クラスメイトにもらったアドバイス通り、いつもよりにぎやかで男子生徒が多く校門前にたむろしていた。
 好奇心で直斗の制服姿を見ようという連中だろう。
 直斗は、とんとんと地面でつまさきを叩き靴をしっかり履きなおし、左右の黒いハイソックスをぐっと上にひっぱり、
大きな深呼吸をひとつすると、校門へ向かって全速力でダッシュをした。

 小柄な体は、下校途中の生徒と生徒の間を軽やかにすり抜けていく。

「あ、王子!」
「王子!一緒に写真撮ってよ!」


 いろいろな声を振り切り、走り抜け、たどり着いた先は土手だった。
 時計に目をやるとまだ昼すぎだ。太陽は高くのぼり、鮫川の水面をきれいに照らしている。
 小さな魚が一匹、跳ねた。

「はぁ…はぁ……ここまで来れば」

 周りは、釣りをしている老人1人だけだった。
 朝からの慌しい数時間を経てやっと落ち着く場所へたどり着けた直斗は、芝生の上へとそっと腰を下ろしハイソックスに包まれた両足を放り出した。
 スカートの中身が見えないように、気を使った。前は気にしなくてよかったことを気にしなくてはいけないなんてやはりわずらわしい、直斗はそう思った。
 この場所は、彼と2人で来た事がある。来たときは、もちろん男子の制服を着ていた。
 それでも彼はそっと頭を撫でてくれたことを思い出した。
 女子の制服に変わっただけでやたら騒ぐ連中と違い、彼はどんな格好をしていてもすべて受け入れてくれた。


 今は遠くにいる、その恋人の存在が、恋しくなった。




「……もしもし?先輩?」

 週に何度かは夜、電話をしているがこの昼に直斗から彼に電話をかけたのは始めてだった。
 彼も新学期初日で学校はすでに終わったらしい。
 彼は、学校始まった?こんな時間に珍しいな、と電話越しに笑った。
 直斗は生活指導の教師から電話があり女子用の制服を着なければいけなくなってしまったこと、制服のせいで学校で見せ物状態になってしまった事、なんとか逃げて土手で休んでいる、そんなことを簡潔に話した。

「大変でしたよ。今まで違反していたものから、本来の制服になっただけのことなのに」

 彼は言う。
 きっと魅力的だからだ、と。
 直斗は思わず顔を赤らめながら制服の襟元につけているバッヂを撫でた。
 2年生を意味する「U」のバッヂ。離れ離れになる際、最後に2人きりで会ったときに彼から渡されたものであった。
 直斗はそれを大事に制服につけているのだ。

「久しぶりにクラスメイトの女子と話しましたよ。ありがとうって言われるのも悪くないものだと思いましたよ」

 風が吹いて、今日は帽子を着用していない、直斗の短い髪がそっと流れる。
 彼は、仲間以外の同性の子と少しでもコミュニケーションが取れたことが嬉しいのか、よかったな、心からそう言った。
 そして、女の子と仲良くするのはいいことだが男の子とはほどほどにしろよ、そうつけたす。

「わかってますよ。心配しないでください。

……え?スカートの丈?校則の通り、ふ、普通…ですけど…」

 スカートの丈、短すぎないか?と忠告したのち、自分しか見たことなかったのに今じゃみんなが見ているんだな、と言う彼。
 直斗はあの夜、本当に心臓が飛び出るくらい勇気を振り絞って彼の前で女子の制服を着て見せた。
 そして、あの夜の彼との幸せだった出来事を思い出して直斗はまた顔を染めた。

 そして電話越しに彼が言った言葉を聞いて直斗の表情は驚きに変わった。
 これから図書館でも行くのか?と彼が言ったのだ。

「え、なんで分かるんですか?」

 小さい学校ながらも意外と本が揃っていて直斗が図書室を愛用していることは彼は知っている。
 しかし今日は制服のせいで学校で困った思いをした、もう土手にいることから調べ物をするなら 学校の図書館ではなく、今日のところは遠くても図書館に行くのではないか、という彼の推理らしい。

「…さすが、ですね。見事な推理です。じゃあ、僕も当てましょうか、先輩がこれから何をするか。 …そうですね、バイトでしょうか」

 見事な推理だ、そう彼は言う。そして、バイトをする理由まで推理してみろ、そう問題を出してきた。
 直斗は携帯電話を持っていない方の手をそっと顎に当てる。推理するときのちょっとしたクセらしい。

「そうですね…推理というか、あくまで希望ですけど。
ゴールデンウィークに、こちらに来るための旅費を…稼ぐため、でしょうか。

…だといいんですけどね」

 完璧な答えだ、さすが直斗だな、そういわれ直斗はふふっ、と笑う。
 自分の望みが答えになっていたことが嬉しかったようだ。
 ふと見た時計には『測定不能』の文字が浮かび上がっている。ずっと変わることないこの文字。
 今、耳元で彼の優しい声を聞いているのに測定不能だなんて、直斗はなんだか不思議な気分になった。


「本当に…楽しみに待ってますから、絶対、会いに来てくださいね」

 彼は、楽しみにしてる、絶対行く、そして最後に少し間をあけて……好きだよ、と言った。
 直斗も小さな小さな声で、彼からもらった言葉と同じものを恥ずかしそうに口にすると、電話を切った。



 直斗が学生カバンを持って立ち上がると、春の風が制服のスカートを小さく、揺らした。



END





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