目を覚ましたのはあまり馴染みのない場所だった。 天井を見上げながら、状況を把握しようと直斗は思考を巡らせた。 だが、頭がぼんやりとして、上手く働かない。 寝かされているのはソファのようだ。肩まで毛布と思しきものが掛けられている。 額に載っているのは水枕だろうか。冷たくて気持ちいい。 「大丈夫か?」 不意に視界に入ってきたのは、先輩だった。直斗は反射的に頷いて答える。 彼は水枕を取り去ると、直斗の額に手を当てた。ほっとする温もりが染みるように伝わってくる。 「まだ熱あるっぽいな。これ、熱冷まし。起きられるか?」 ずるずると身を起こし、ソファの背もたれに肩を預ける。ひどくだるい。 何となく、思い出してきた。彼のことを考えすぎて熱を出してしまったのだ。そして、学校からの帰り際に倒れた。 熱の原因になった人に家まで運んでもらったうえに介抱してもらっているのだから、情けないことこの上ない。 渡された錠剤を2錠、コップ半分くらいの水で押しこむ。 本当は充分に水分を摂っておかないと粘膜を荒らす原因になるのだが、これ以上は飲めそうになかった。 水を飲んだところを見計うように、彼が取り上げてくれる。 またずるずると毛布の中に潜りこんだ。考えすぎて疲れたかもしれない。 とにかく、何もかも忘れて、泥のように眠ってしまいたかった。 「後で送って行くよ。それか、泊まって行くか? 一人暮らしなんだろ? お祖父さんが心配するようなら、こっちから連絡するし…」 本当に気の回る人だと思う。だからこその仲間からの信頼なのかもしれないが。 視界から彼がいなくなり、足音が離れていく。遠く、氷の弾ける音がした。 足音はすぐに戻ってきた。彼が再び覗きこむ。額にひやりとした感触が戻った。 「…ご迷惑をお掛けして、本当にすみません…」 ようやく言葉が出た。続いて溜め息が漏れる。何よりも先に言わなければならない言葉だったというのに。 彼は穏やかに微笑んだ。 「迷惑なんて思ってないよ。こっちは好きでやってるんだから」 ――好き。その言葉に、頬が熱くなる。 「あの…」 「ん?」 実際に好きだと言われた覚えはない。ただ、気まぐれに頬にキスされただけかもしれない。 たとえ、そうだとしても。 「あの、その…」 確かめなければならない。 直斗は身を起こした。氷枕が滑るように床に落ちた。 相変わらず鉛のように重い体、熱でぼんやりとした思考。思うがままにならない自分に苛立ちさえ覚える。 「どうした?」 「僕は…」 確かめて、想いを告げなければならない。 でなければ、いつまで経っても同じ場所に立ち尽くすだけだ。 だが、肝心な時に肝心な言葉が出てこない。思わず、視界が潤んだ。涙は頬を伝い、腿のあたりに落ちる。 彼が心配そうな顔をしている。いきなり泣き出したりしたから、変に思われたかもしれない。 手の甲で慌てて涙を拭う。だが、涙は収まるどころか留まることなく溢れてくる。 ふんわりと彼に抱きしめられた。手が背中をあやすように優しくさする。 ああ、この人のことが好きだ。好きなんだ。その事実は、最早変えようがない。 「好きだよ」 耳元で、彼がそう囁いた。 弾かれたように直斗は顔を上げる。一瞬にして涙は止まってしまっていた。 彼は少し困ったような、照れたような、今までに見たことのない顔をしていた。その唇が、もう一度同じ言葉を形作る。 「…好きだよ」 「ぼ、僕も…」 それ以上は言葉にならなかった。また涙が堰を切ったように溢れ出したのだ。 彼が再び抱きしめてくる。彼と同じ言葉を紡ぐ代わりに、直斗はぎゅっと抱きしめ返した。 「ありがとう…」 彼がそう言った。今まで聞いた彼の言葉の中で、一番優しい響きだ。 いつの間にか直斗の涙は止まっていた。 だが、もう少しだけ彼の腕の中にいたかった。直斗は目を閉じて、彼に体の重みを預けた。 (終) 目次 / 戻る |