時計を見る、23時43分。あと20分足らずで日付が変わる。そうすればまた一つ『大人』に近付くのだ。 ――あくまで書類上の話だけれど。直斗は部屋で一人、自嘲気味に笑った。 思えば去年まではこの日が待ち遠しくもあり、また酷く忌々しい日でもあった気がする。それは少しでも早く大人になりたいというどうしようもなく子供じみた願望のせいでもあり、同時に変えようのない時間の流れでしか解決できないジレンマに自分の無力さを思い知らされる日でもあったからだ。 けれど今は違った。歳を取るばかりが大人ではないと知ることが出来たし、この一年間は本当の意味で成長出来たのだと実感する。 それに今年の誕生日は今までとは少しわけが違う。先日、りせと完二と三人で勉強会を開きながら――もっぱら直斗は教える方ではあったけれど――そろそろ忙しくなり始めた三年生の話から将来の話になり、年齢の話を経てなんとなく誕生日の話題に飛んで、たまたま誕生日の直前に皆の知るところとなったため、ささやかながら祝ってもらえることになったのだ。ジュネス、フードコートのあの場所で。 今まで祖父や薬師寺は祝ってくれていたけれど歳の近い友人にそんな扱いを受けるのは初めてのことで、正直くすぐったい気持ちはありながらも、わざわざ受験勉強の合間を縫って時間を作ってくれるという三年生達の好意も合わせて直斗は素直に受け取ることにした。 けれど。 心にひとつだけちくりとした痛みを感じて天井を仰ぐ。仲間と過ごしたあの場所で、皆が居て――でも一人足りない。 我儘であることはわかっていても、つい一ヶ月前に送り出した彼のことを考えない訳にはいかなかった。連絡こそ取っているが声ばかりではやはり寂しいと思わなくもない。それに。 (……覚えていてくれるのかな) 彼を送り出す少し前、二人でそんな話をしたことがある。きっかけは忘れた。でも互いの誕生日を教え合い、そしてどちらの誕生日もとうに過ぎていることが判って、じゃあ次はちゃんと祝おうと残念そうな顔をされたのを昨日のことのように覚えている。 無論誕生日の話をしたのはそのときだけで、だから彼が覚えていなくても仕方ないとは思っている。が、どうしても淡い期待を追い出すことが出来なかった。 そうして漠然と色々なことを考えているうちふと時計に目を戻せば短針も長針もほぼ真上を向いていた。結局、考え込んだまま20分近くを過ごしていたようだ。 じきに日付が変わる。 なんとなく。本当になんとなく、電源が落ちたままのテレビを見た。 全てに決着をつけた3月20日以来なにも映らなくなったマヨナカテレビは既に噂からも忘れられつつあるし、無論何が映る訳でもない。そもそも雨の降っていない今は条件すら満たしてはいないのだけれど、テレビの上の時計と画面とを視界に入れながら直斗は日付の変わる瞬間を待った。 あと3秒。 2。 1。 4月27日、午前零時。 何かを懐かしむような気持ちで何も映らない画面をぼうっと眺めていた直斗は、突如けたたましく鳴った携帯の音で我に返る。 ディスプレイを開くとそこに表示された名前にとくんと胸が高鳴った。 「……もしもし」 その高鳴りを隠すように電話に出る。発した声は押さえきれない高揚で少し震えてしまっていた。 『直斗?――悪い、起こしたかな』 「いいえ、大丈夫です。起きていましたから」 声の調子からもう寝ていたと誤解したのだろうか、遠慮がちに問う彼に直斗は努めて冷静に答える。 「それより、どうしたんです?こんな時間に先輩が電話してくるなんて珍しいですね」 『ああ……どうしても言っておきたいことがあったから』 「?」 珍しく歯切れの悪い様子に直斗が首を傾げていると、しばしの沈黙の後、驚くほど穏やかな声がスピーカーから流れ出す。 『誕生日、おめでとう。直斗』 「え……」 ゆっくりと、けれどその言葉は一言ずつ確実に直斗の耳に届いた。優しい口調に優しい言葉がこれまで言われたどんな『おめでとう』よりも胸を揺さぶる気がして、折角落ち着きを取り戻しかけていた鼓動がまたリズムを乱す。 一瞬の感嘆を漏らしたまま次の言葉を紡げずにいる直斗のその「間」を別の意味に取ったのか、あれ、と戸惑いがちな彼の声。 『今日、で合ってるよな?27日』 「……あっ?え、ええ、大丈夫です、合ってます」 よもや外してはいまいかと不安げな彼に直斗は慌てて肯定した。 「その、先輩が覚えててくれたっていうのが……嬉しくて。びっくりしてました」 『酷いな』 正直な気持ちを伝えると電話の向こうで彼が失笑した。直斗も笑いながらごめんなさいと返す。 「でも、どうしてこんな時間に?」 こんなふうに急ぐなんて珍しいことだと思う。それを告げると、彼はまたしばし口籠った。 『――真っ先に祝いたかったからさ。一番に』 本当は会って伝えたいけれど、それができないからせめて誰よりも早く。照れ臭そうに繋ぐ彼の声に直斗は口元を押さえた。始めは驚いていたその顔は、しかし今では気を抜くとどんどん緩んでしまいそうで。 『迷惑だったか?』 「まさか」 ちっともそんなことを思っていないような声であえて問う彼は少し意地悪だと思う。けれど今はそんな彼らしさに安らぎすら覚えて直斗は微笑んだ。 「本当に嬉しくて……どうしていいかわからないぐらいです」 『それは良かった』 「ふふ、本当に意地悪ですね。いつもそうやって僕を困らせるんですから」 電話を挟んで笑い合う。変わらぬその様子に、いま目の前に彼がいるような錯覚すら覚えた直斗はしかし、一方でここに彼が居なくて良かったとも思う。 目の前に彼が居たらきっと抑えきれないだろうと考えながら、喜びに滲んだ涙をそっと拭った。 『そうだ、明日からゴールデンウィークだよな。俺、今日中には稲羽に着くから』 「えっ、本当ですか」 『と言っても学校終わったあとだから着くのは夜になるし、遅くなるから今日は難しいかも知れないけど――』 やはり急いている彼の様子に、直斗はマイクが拾わないよう声を殺しながらクスリと笑った。きっと彼も同じ気持ちなのだ、早く会いたいと、とにかくそれだけで。 「――ええ。待っています、いつでも」 『ああ。……ありがとう』 安堵の声を漏らす彼に、むしろ礼を言いたいのは直斗の方だったが、こんな気持ちは初めてでどう表現して良いのか今の彼女にはわからなかった。 最後に、プレゼントもちゃんと用意してるからと締めて彼は電話を切る。おやすみなさい、また明日と直斗も返し、二人を繋ぐ電波はそこで途切れる。 また明日。 完全に一人に戻った空間で直斗は自分の言葉を噛み締める。彼に会えるのだという実感が湧き出てきた。 誰よりも早くとわざわざ電話で祝いの言葉を述べた上、律儀にプレゼントまで用意しているというところが非常に彼らしいと思う。 ――でもね、先輩。 直斗は心の中に彼を想いながら呼びかける。 ――僕にとっての一番のプレゼントは、貴方に会えることなんですよ。 黄金週間はもう目の前だ。 ===================================================== 2012年4月27日は金曜日。 28日からの9日間が所謂ゴールデンウィークとなります。 東日本の山間部や北日本では遅咲きの桜が見頃でしょう。 皆様、良い連休を。 目次 / 戻る |