鮫川の土手。東屋の屋根に激しく雨が打ちつけている。
 遠景は冷たい雨に煙り、雨音に掻き消されて周りの音は聞こえない。
 まるで東屋にふたりきりで閉じこめられてしまったかのようだ。
「“小雨がパラつくかもしれない”でこの雨ですか。天気予報も案外当てになりませんね」
 直斗が溜め息混じりに言う。
 陰にいるのも手伝って、直斗の横顔はいくらか血色を失って見えた。確かに肌寒い。
 学ランを脱いで直斗の肩にかけた。直斗がきょとんとした顔を向けてくる。
「夜中まで降るようだったら、一応テレビチェックしないとな」
「そ…そうですね」
 笑顔を向けると、直斗はばつが悪そうにうつむいた。頬が少し赤くなっている。
「その、ありがとうございます…」
 寒がりの直斗にはこの雨の冷たさは余計に染みるだろう。
 照れや羞恥を抜きにしても、いつもより声に張りがない。

 腕時計に目を落とす。
 東屋に逃げこんでからどのくらいの時間が経っただろうか。突然降り出した雨はすぐには止みそうにない。
 運良くほとんど濡れずに済んでいるものの、東屋から抜け出す方法も見つからないままだ。
 それにしても、だ。いつまでも足止めを食らっているわけにはいかない。
 あと一時間もすれば日が落ちてますます気温が下がる。さすがにそんな時間まで直斗を外には置いておけない。
 と、ふんわりと右肩に重みと温かさを感じた。
 顔を覗きこむ。寄り添ってきた直斗は耳元まで真っ赤にして睫毛を伏せていた。
「あの…くっついたほうが温かいかと思って…」
「うん」
 肩をそっと抱き寄せる。
 たとえ布越しであっても、肌を合わせると温かく感じるのは不思議だった。
「しばらくこのままだったら、多少濡れるの覚悟で俺の家に行こう。やっぱり寒いだろ?」
「はい。でも――」
 ざあっ、と風が一斉に木を薙ぐ音がした。雨に加えて風も出てきたらしい。
 言葉を遮られた直斗は、しばらくもじもじしていた。
 幾許かの沈黙を経て、続く言葉を躊躇いがちに綴りなおす。
「…先輩と一緒なら、雨宿りも悪くないです」
 虚を衝かれて、思わず目を丸くした。
 視線が合うと直斗は狼狽して頭を振る。
「あ、や、やっぱり今のは忘れてください! ごめんなさい、変なこと言って」
 自然と顔がほころんだ。変だと感じるならこんなに嬉しいはずがない。
 速くなった鼓動を悟られないようにするのが精一杯だ。
「変じゃないよ」
 顔を寄せ、唇に唇で触れた。

「……!」
 柔らかい感触を唇に覚えた刹那、直斗は頬を染めて仰け反るように身を離した。
 そのまま勢いで立ち上がってあたりを見回し始める。
 あまりの慌てぶりに苦笑が漏れた。一応人影があるかどうかくらいは確認してある。
「せせせ、先輩! もし誰かに見られたらどうするんです?」
「見せつけてやればいいんじゃないか?」
「また、すぐそうやって…」
 直斗が口を尖らせる。
 冗談めかして言ったものの、冗談なのは半分だけ。
 残り半分は至って本気だということを、直斗が気づいているかどうかはかなり怪しいところだ。
 ベンチの傍らを指先で二、三回叩いて合図すると、直斗が座り直す。
 もう一度肩を抱き寄せた。
 直斗が遠慮がちにもたれかかってくる。

 居心地のいい沈黙。
 もう少しだけこの雨の檻の中にいるのも、いいかもしれない。


 (終)





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