イメージとしては二月頭、“直斗の好きでいい”ルートです。

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 身が引き締まるように寒い土曜日の放課後、彼は教室の一角でストーブにあたり、眉間に皺を寄せながら何かのカタログを眺めていた。
 緑色のジャージを上着代わりに来た少女が、寒そうに体を縮こまらせながら教室に入ってきて彼に気づくと言う。
「あれ、どうしたの? キミが教室にずっと残ってるなんて珍しいじゃん」
「千枝」
 彼はその少女の名前を呼んだ。
「帰ったんじゃなかったのか?」
「ううん。猫いじりに屋上行ってた。寒いから顔見せ程度ですぐ戻ってきたけどね」
 千枝はストーブに近寄ると両手を擦り合わせながら、立ち上る熱気にかざす。
「この寒いのによくやるね」
「あたしに結構懐いてくれてるから、できるだけ顔出してあげないとなんだか落ち着かなくって。それ、何読んでんの?」
 千枝が彼の読んでいる本を指す。
「数日前、朝起きると雪が降ってた」
「そんなこともあったっけ。それで?」
「歯を磨きながら、洗面所の窓越しに雪を眺めていると、頭の中で勝手に連想ゲームが始まった。寝ぼけてると頭の中を訳の分からないイメージがよぎったりするだろ?
雪、餅、食いすぎ、腹痛。正月は大変だったよ。雪、雪子、温泉、流血。責めてるわけじゃない。
雪、白、ホワイト、ホワイトデー、プレゼント。そこである事を思い出した」
「何を?」
「ある人から貰ったクリスマスプレゼントのお返しを、まだしてなかったって事を。
それで慌てて手元の通販カタログを掻き集めて、何を贈るべきか悩みながら数日が経過したというわけさ」
 そのある人とは直斗の事だが、直斗と自分が付き合っている事は、まだ誰にも言っていなかった。積極的に秘密にする事も無いだろうとは思っていたものの、吹聴してまわるのはもっとためらわれる事だ。加えて、今までのところ二人の逢瀬はあまり人前には出ないのが常だったので、二人の関係は誰にも発覚せずにいた。
 少なくとも彼はそう思っていた。
「クリスマスのお返しって、今もう二月だよ?」
 千枝が呆れた声を出す。
「分かってるさ。色々とあってね、忘れていたと言うか延び延びになってしまったんだよ」
 クリスマス以降は二人で過ごす事ばかりに夢中で、すっかり舞い上がっていて考える余裕も無かったというのが本当のところだった。堂島と奈々子がめでたく退院して、気兼ねする事なく高校生活を楽しめるようになってからこの一ヶ月ほどは特に、この上も無い歓喜と勝利感の大波が二人をずっと包んでいた。
 堂島が当直の日を狙って、日が暮れるまで部屋で過ごし、薄い暗がりの中で二人ソファに座って、窓辺から街灯が照らす冷たい夜の空を眺め、お互いの温もりを感じながら幸福な沈黙を堪能しているような時には、クリスマスの想い出そのものは別として、プレゼントがどうしたという細かい事が頭をよぎる余地はなかった。
 しかし、バレンタインデーが近づくにつれて、ホワイトデーのことやそのプレゼントのことを考えるようになり、それに引き摺られてとうとう、クリスマスプレゼントはお互いに贈りあうべきものだったのではないか、と言う当然の事に思い至ったのだった。
 直斗は恐らく気にしていないどころか、自分から彼女へのプレゼントが無い事に気付いているかどうかも疑わしいが、自分が気付いてしまった以上は放っておくのも寝覚めが悪い。それでこうしてストーブの前に陣取って、益体もない“時価ネット倶楽部”を端から端まで眺めているというわけだった。
「でもやっぱり、通販じゃなかなか都合のいいものは見つからないな」
「時価ネットじゃねぇ。いいのがあっても、TV限定だったり日付限定だったりするし」
「沖奈に行って店を巡るしかないか」
 カタログも後数ページを残すのみとなり、彼は一旦顔を上げて言った。
「なあ、千枝。良かったら、何がいいか意見を聞かせてくれないかな?」
「えぇ?」
 千枝は驚いた声を出す。
「あたしの趣味じゃ参考にならないんじゃない? ブルース・リーのイエローヌンチャク貰って喜ぶ人が、そうそういるとは思えないけど」
「それが君の好みなら、今年のクリスマスに進呈するよ」
 彼は笑って言う。
「一般論で構わないよ。それが通じるかどうか分からないけど、何も目安がないよりはいいからね。
こうもタイミングを外してたんじゃ、本人に聞くのもなんだか抵抗があるし」
「それならいいけど」
 千枝は眉間に皺を寄せて考える。
「でも、ある人ってどんな人? それによって何がいいか変わってくると思うよ」
 恋人がいるかもしれない、と匂わせるぐらいの事はしても構わないだろうと彼は思い、カタログを残りをめくりながら冗談めかして言った。
「ううん。大切な人、かな。バレンタインが来るまでにはお返しをあげたいような関係。
つまりバレンタインのお返しホワイトデーとごっちゃにならないようにね」
 本命チョコを確実に貰える相手というわけだ。
 千枝はそれを聞くと、しばらく悩むように沈黙してから、遠慮がちな態度ながらも声の節々に好奇心をにじませつつ言った。
「その大切な人ってさ、ひょっとして、直斗くんのこと?」
 彼は思わずカタログから頭をあげて、千枝をまじまじと見つめた。千枝は彼の顔を見て苦笑しながら――その反応を見て、俺はさぞかし間抜けな顔をしているに違いない、と彼は思い、顔を片手でこする――続ける。
「あ、心配しなくていいよ。学校で噂になってるとか、無いから。これはあたし個人の想像」
 しばらくそのまま千枝を見つめてから、彼は気を取り直したように言った。
「ああ、だろうね。この小さい学校で噂になっていたりしたら、嫌でも俺たちの耳にだって入るだろうから」
 特にその手の話に敏い陽介が、何か言ってくるのは確実だったろう。
 ともあれ、さっきの自分の表情は自白したも同然だったに違いないのに、言葉だけで誤魔化しても仕方が無い。千枝ならば言い触らすような事もちょっかいを出してくるような事も絶対に無いのだし。彼はそう考えると、素直に認める事にした。
「千枝の言うとおりさ。でも、いつから気付いていたんだ? 俺と直斗が付き合っているって。
まさか、いつもみたいに思いつきだけで当てたって言うんじゃないだろう」
「あたしの思いつきはそこまで凄くないよ」
 千枝はおかしそうに言うと、いい加減立ったままでいる事をやめ、彼の隣に手近な椅子を引っ張ってきて、それに腰掛けた。
「直斗くん、十一月辺りからキミと話す時だけあからさまに態度違ってきてたし、テレビの中であたしと二人で話してるときも、キミの話の時だけ態度が変だったんだよね。
目を逸らしたり、はぐらかしたり。これって、意識してるって事でしょ? 好きか嫌いかどっちかって事だよね。
でも、キミが直斗くんに嫌われるような真似するとも思えないし」
 千枝は彼のほうに身をのり出すと、目を指差して続ける。
「それにキミの目。直斗くんを見る時のキミ、怖いぐらい真剣な目になる事があるもん。あれは仲間とか友達に向ける目じゃなかったわ。憎い相手か愛する相手の二者択一、恋する少年の危険な瞳って感じだった。二人とも意識しあってるんだったら、答えは一つでしょ」
「愛憎は表裏一体とは言うけど。でも、本当に俺はそんな目をしていた?」
 確かに、胸の奥の甘い痛みが強すぎて、微笑みを浮かべる余裕も無く、ただ真剣な表情で彼女を見ているしかなくなる事はよくあった。しかし、他人が見て分かるほどの視線をしていたとは思わなかった。彼は思わず、眠気を覚ます時のように目を強く閉じて瞬かせる。
 千枝は姿勢を戻すと頷いて言った。
「まあ、二人が付き合ってるって確定したのは、たった今キミが認めてからなんだけどね」
「今までは、薄々気が付いてはいても、黙っていてくれたわけだ」
「あたしが口出すことじゃないもん。“恋人のいる人間に友人が口を出すのは、喉の乾いている人間にパンを与えようとするようなものだ”ってね。だから知らない振りしてたし、他の皆にもフォロー入れたりしてた」
「君がカンフー映画以外から引用するとはね」
 彼は苦笑して言った。
「ともあれ、その気づかいに感謝するよ」
 事実、心の底からそう思った。
「あたしたち親友でしょ」
 千枝も笑いながら彼の腕を親しげに一度叩く。
「他の皆って言ったけど、君の他に気付いている奴はいるのかな。どう思う?」
「そうね、りせちゃんはそういう事に敏感だから気付いてるかも。でもあの子なら、言いふらすような事はないから問題ないんじゃない?  もしかすると直斗くんとは、今のあたしとキミみたいにバラして話してるかもしれないし。雪子はあまり直斗くんと接点ないし、多分シロ。 男連中はあたしもバレないようにフォローしてたし、全然気付いてないと思うよ」
 “全然”を強調して言う千枝に彼は言葉を返す。
「そうである事を祈るよ。周りの人間がみんな俺たちの関係を知っていて、しょっちゅうからかわれたり噂になったりするような状況になった日には、俺はともかく直斗が恥ずかしさのあまり死にかねない」
「直斗くんのこと、大事にしてるんだ」
「もちろん。どれぐらい大事にしているか、詳しい話が聞きたいかい?」
「やめとく。いくらキミが親友でも、のろけ話はたくさん。っていうかキミのイメージ変わっちゃいそうだし」
 千枝は苦笑して言った。
「ああでも、クリスマスプレゼントが何だったかだけ、聞かせてくれる? それが分からないと、お返しに何がいいか考えられないもんね」
「ペアウォッチだよ。モノ自体は安いけど彼女なりの改造がしてあって、まあ手作りみたいなものだね」
 時間が分かる事以外にも機能がある事については、言わないでおく事にした。直斗のあまりにひたむきで赤裸々な感情の表われである距離測定機能についてしゃべるのは、睦事の詳細を語るに等しい事だと思えた。
「ぺあうぉっち!?」
 千枝は目を丸くし、馬鹿みたいな口調でオウム返しに言う。
「ペアウォッチねぇ。それってなんか意外だわ」
「そうかな?」
「そうよ。“ペアウォッチ、それは永遠の時間を二人で築くことへの架け橋”」
 千枝は何かの宣伝文句のようなことを言った。
「それ何のCM?」
 千枝は彼の言葉を無視して続ける。
「時計って時点で束縛系のプレゼントなのに、ペアで手作りだもんね。ただのおそろいアイテムなら珍しくも無いけど、直斗くんがねぇ」
 千枝は腕を組んで、人生は意外性の連続だ、とでも言うかのように何度も頷いている。彼女が彼におそろいのリストバンドをくれた事は忘れているのか、普段から使うものではなく記念品のようなものだからまた別だという事なのだろうか。
 しかし反論できないところもある。
「まあ、束縛系ってところは同意するしかないね」
 ペアウォッチというのがそれほど意外に思われるならば、無線トランスミッターが内蔵されていて二人の距離が測れるなどと言ったら、驚きで天井まで飛び上がるのではなかろうか。言わなくて良かったと彼は思った。
「うーん。そうなるとやっぱ、自分がプレゼントされる時も同じタイプのプレゼントが嬉しいんじゃない?」
「同じ束縛系ってことかい?」
「そうね。消えモノ以外。やっぱり、身につけるものかな。それもマフラーみたいなのより、素肌につけるアクセサリー。
 ネックレスは直斗くんの私服には合わせにくいと思うから、腕輪や指輪とか?」
 直斗が宝石狂いマテリアル・ガールだったなら確かにアクセサリが最良だろう。買える範囲内で最も高価なアクセサリかブランド物でも贈っておけば話は済む。しかし、彼女はそうではないし――そんな女性ならそもそも好きになってはいない――、女としての自意識に目覚めたばかりの彼女に、女性向けのプレゼントを贈る事がどの程度正しいのか、彼は悩んでいた。
 まして指輪というのは、プレゼントとしてはあまりにも特別なものと言う意識が強かったし、何よりサイズも分からない。
「男としては、あまり束縛感の強いものはプレゼントしにくいね。自分で自分が怖くなる。
あまりの重たさに彼女のところまで持っていけるかどうかも怪しいよ」
「重たいのは婚約指輪や結婚指輪で十分ってわけね」
「そんなところさ」
「なら、次は日常的に使うものとか長く使うものかな。二人の専用携帯とかどお?」
「高校生の身でそれは難しいな。今の携帯だって俺が通話料を払っている訳じゃないし」
 それに春以降ならばまだしも、同じ学校に通っていて会おうと思えばすぐに会える現状では大して必要とも思えない。
「それもそっか。じゃあ――」
 続けようとする千枝をさえぎって彼は言った。
「やっぱり、束縛系に拘ることはないんじゃないかな。一般論から離れてる気がするし、時期外れの埋め合わせなんだから、もっと無難な物のほうがいいと思うよ」
 なによりも、へたなものをプレゼントして、ただでさえ慣れない恋愛感情をコントロールしようとして四苦八苦している直斗を無闇に刺激する必要は無いと思えた。
「無難なところだと、定番のマフラーとか? でも普通は贈り手が女子だよね。部屋に飾るものとかは?」
「インテリア?」
「うん。直斗くんが面白がりそうなギミックのついてるものとかがいいんじゃない? 要するに、
無難にいきたいなら、恋人相手って言うより友達相手にあげるつもりで考えたほうがいいと思うよ。
キミと直斗くんが、その、どれぐらい進んでるか知らないけど」
 千枝は少し顔を赤らめた。
「高校生のカップルなら、友達感覚のプレゼントでも全然おかしくないと思うし」
「なるほど。へたに特別な関係だって事を意識しなければいいわけだ」
 確かに、“好きな女性に贈るもの”として考えていたせいで、ピンとくるものが見つからなかったのかもしれない。あくまで直斗個人に贈るものとして考えれば、面白みのあるインテリア、パズル、カードゲーム、いくらでも考え付く。そういうものなら、彼女も顔を真っ赤にしたりせず素直に受け取ってくれるかもしれない。と彼は思った
 恋人向けを意識したプレゼントもあげたいところではあるが、それはホワイトデーまでとっておけばいいだろう。
「ありがとう。参考にするよ」
「こんなのでよかったの?」
「うん。助かったよ。一番簡単なことが、なぜか一番分かりにくいものだから――お礼がしたいな。昼飯がまだなんだったら、肉丼でもおごろうか?」
「今日は肉丼より熱いチャーシューメンって気分だけど」
 千枝は手をひらひらさせて、結露した窓の向こうの寒空を示して言った。
「でも、お金はプレゼント代にとっておいたほうがいいんじゃないの? 友達に親切にしても減るものは無いけど、お金は使えば減っちゃうよ」
「食事するぐらいの余裕は十分にあるよ」
 彼は笑って言う。
「うーん。だったらお言葉に甘えよっかな」
 千枝も笑い返して言う。
「それと、結局何を買ったかっていうの、今度教えてね」

(つづく)





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