翌日の日曜日、沖奈市の駅に降り立ち改札を出ようとした彼は、逆側のホームから階段を登ってくる人物に心当たりがあることに気付き、立ち止まった。
 ダークスーツにサングラスをかけ、首には小さめにノットを結んだネクタイとベージュのマフラー、カシミヤのチェスターコートを羽織ったその男の姿は、メルヴィルの映画にでも出てきそうだった。
「薬師寺さんじゃないですか」
「おお、これはこれは」
 彼が声をかけるのと同時に薬師寺はこちらに気付き、向き直るとそのまま一礼をして言った。
「その節はご迷惑をおかけしました」
「よしてくださいよ。あれは俺にとっても興味深い体験でしたし、謝ってもらうような事だとは思っていないんですから」
 それは社交辞令ではなく本心からの言葉だった。
 彼も会釈を返すと、近づいて右手を差し出す。薬師寺は右手に下げていたアタッシュケースを左手に持ち替えてその手を握った。その手は力強く、革の手袋越しでもゴツゴツした硬さが伝わってくる。それは秘書にはふさわしからぬ手だった。
「そうおっしゃって頂けると気が楽になります」
「こんなところで会えるとは思っていませんでしたよ。一体どうしたんです?」
「直斗様に用事があって稲羽に向かうところだったのですが、今日は少々列車の時間が中途半端でしたので、一度沖奈で降りて昼食をとろうかと思いましてね。あなたは日曜日を楽しみにでもいらしたのですか?」
「そんなところです。楽しむというか買いたいものがあるんですが、稲羽じゃとにかく店が少ないですから」
 彼は胃の上辺りを撫でながら続ける。
「でもまあ取りあえずは、俺も昼食が先ですかね。腹が減った」
 それを聞くと、薬師寺は少し考えてから言った。
「唐突な申し出と思われるかもしれませんが、よろしければ今から昼食をご一緒致しませんか?」
 薬師寺はどこか含みを持たせた言葉で続ける。
「あなたとは一度お話をしたいと思っておりましたもので」
「俺と?」
 突然の申し出に、彼の心臓はドラムのような鼓動を刻み始めた。薬師寺が自分と話をしたがる理由に、心当たりがあったからだ。なんと言っても、自分は薬師寺が仕える家の一人娘と交際しているのだから。
 もっとも、問題なのは話をする理由よりもその内容なのだが、何にせよ断る事はできないようだ。額面通りに昼食の誘いだと受け取ったふりをして、適当な理由をつけて逃げる事もできるかもしれないが、ここでそのような誠実さに欠ける行動をとって悪い印象でも与えようものなら、自分が損をするだけだ。そう思うと、彼は続けた。
「ええ、いいですよ」
 内心の緊張を顔や声に表さないよう注意しながら言う。
「でも、どこがいいでしょうね? 俺はこの辺りの店は若者向けの所しか知りません」
「ご心配なく。私がいい店を知っておりますから」
 薬師寺は人差し指を立てて自分に考えがあることを示すと、先導するようにこちらの様子を伺いながら改札に向かって歩き出した。

 薬師寺が案内したのは、駅の繁華街から若干外れた住宅街にある、一階がビストロになっており二階からが住居と言う構造の小規模なマンションだった。ビストロのテラスに張り出した幌には“パリ菜”という駄洒落のような名前が書かれている。
 ドアの脇に置かれた立て看板には有機農法の野菜を使った料理がウリと書いてあり――だから菜なのか、と納得はしたものの、やはり駄洒落にしか思えないのは変わらない――ランチコースは二千円とあった。高校生を連れてくるには少々高い気がしたが、名家に仕えていると金銭感覚が庶民とは違ってくるものなのかもしれない。あるいは高校生と見なされていないのか。さらにもしかすると奢ってくれるつもりなのかもしれないが、引け目を感じる原因を作りたくは無かったので、どう言われたとしても彼は自分で払うつもりだった。
 薬師寺は入り口でコートを預けると、道路側の日の当たる席に座った。彼が向かい側に座るのを待って手袋を脱ぎ、メニューを彼のほうに向かって開く。
「どうぞ。私はもう決めておりますので」
 彼は無難にランチコースを選び、メインは子牛のエスカロップ、飲み物はクラブ・ソーダにした。薬師寺はグリーク・サラダとスタッフドトマトに、食後のコーヒーを注文する。
 注文が終わると、薬師寺はテーブルの上で手を組んで礼儀正しい笑みを口元に浮かべ、こちらを見る。サングラス越しで分からないが、恐らくは値踏みをするような視線をしているのだろう。自分は薬師寺に値踏みされても仕方の無い立場だ。
「度入りでしてね。かけたままで失礼させて頂きます」
 彼がサングラスを見ている事に気付き、薬師寺が言った。
 彼は視線を逸らして店内を見回した。店内の雰囲気は悪くなかった。剥き出しの木の筋交いに、適当に塗ったようなでこぼこの漆喰、高い天井。蚤の市で買ってきたような生活骨董がそこかしこに配置され、テーブルクロスは赤いチェックだった。こまっしゃくれたレストランとは違う、どこか野暮ったい感覚に好感が持てる。
 これで料理が気に入れば、今度は直斗を連れて二人で来るのもいいかもしれない。と彼は思った。もちろん、薬師寺との対話が円満に済めばの話だが。
 料理が来るまでは、何気ない世間話が続いた。天気の事、ニュースの事、高校生活についての当たり障りの無い話、時宜を得た話題の数々。
 前菜とクラブ・ソーダが来たところで、彼は言った。
「直斗はここ最近忙しいみたいですね? 遊びに誘っても、やる事があるからってさっさと帰ってしまうんですが」
 忙しさの理由は知っていたが、あえて聞いたのは、直斗の話題を出すことで探りを入れてみようと思ったからだ。こんな生殺しのような気分では、食事を楽しむこともできない。
「ええ。直斗様があの怪奇連続殺人事件の捜査に関わっていた事はご存知でしょう? どんな事件でもそうですが、犯人を捕まえただけで解決する訳ではございません。その後にこそ、やるべき事が多々あるのですよ。特に依頼主が警察となると、事後処理の書類を山ほど書かなければなりません。今日私が直斗様のところに伺う理由も、その関係でしてね」
 それは自分たちと直斗で大きく違う点だった。彼女には特別捜査協力員という公的な立場と義務がある。彼女の捜査を手助けする事はできても――もっとも自分達が犯人を見つけることができたのは、誰が誰を助けたというようなものではなく、みなが互いに協力し合っての成果だった――さすがに書類仕事の手伝いをする事はできない。少なくとも、今はまだ。
「まあ、この週末で一段落つくとは思います。そうすれば時間の余裕もできるはずですよ」
 薬師寺はそう言うと、サラダにコショウとビネガーを振り掛け、オリーブオイルをたっぷりと注いで食べ始めた。
「それとスタッフドトマトだけで足りるんですか?」
「年をとるとこの程度の量で十分になるのですよ。本当はそれほど食欲も無いのですが、だからと言って食事を抜くのは健康に悪いですからな」
 薬師寺は本題に入る気がなさそうなので、彼は迷った。もしかして、薬師寺が自分を誘ったのは本当に文字通りの話、世間話をしてみたかっただけなのだろうか? 単に自分が過剰な反応をしているだけなのかも。
 いやしかし、自分と薬師寺はただの世間話をするために食事を共にするような気の置けない間柄ではないし、薬師寺がそこのところをわきまえていない筈が無い。話があるとすれば、やはりそれは直斗との関係について以外考えられない。

「それで、薬師寺さん」
 彼は前菜のホウレンソウのキッシュを食べ終わったところで、クラブ・ソーダを一口飲んでから聞いた。
「一度話してみたい、というのはただの雑談を意味してるわけじゃないでしょう。包み隠さず言って欲しいんですが、一体俺に何の話があるんです? 俺が権利の無いものを求めている事を止めようとしているとか?」
 薬師寺はサラダをつつくのを止めて笑った。
「あなたは随分と警戒しておられるようだ」
「ええ。しかし警戒しないでいるほうが無理だと思いますよ。これは言わば――」
「ある日突然、恋人の父親に会う羽目になったようなものだと?」
 薬師寺はフォークとナイフを置いて、手を組む。
「やっぱり知っているんですね。俺たちのこと」
 彼は薬師寺の視線から逃れるように目をそらし、グラスを持ち上げてその中を覗き込んだ。
「あなたこそ、私が知っていると言うことを知っておられるようだ」
 彼は視線を薬師寺に戻して言う。
「俺たちのことは誰にもしゃべっていないのに、思いがけない友人が実は俺達の関係を知っていた、と体験をしたばかりなんですよ。友人にバレているぐらいなら、あなたの立場なら分からないわけが無いですからね。だいたいあなたには、直斗から打ち明けていてもおかしくないんだから」
「お生憎ですが、直斗様は一言もおっしゃっておりません」
 薬師寺は苦笑して言った。
「何か言いたげに私に声をかけてくる事はありましたが、結局何もおっしゃらずにいるばかりでした。しかし、言葉が無くとも、態度が雄弁に語るという事もございます。思春期の少女が机に向かいながらも何も手につかない様子で、悪戯にペンをいじりながら、どこか幸せそうな顔で溜息をついているのを見たら、恋をしているという事以外にどんな結論が出せますかな?」
 直斗と付き合いだした直後の自分も、似たようなものだった事を彼は思い出す。彼女はそんな様子のままで、時計を改造したのだろうか。よく手を怪我しなかったものだ。
「確かに、それ以外の結論は出ないでしょうね。俺とは比べ物にならないほど昔から直斗を見てきたんですから、尚更の事だ」
 自分は、目の前の男に少し嫉妬めいた感情を感じているのかもしれない。と彼は思った。
「ええ。それに私はあなたをじかに見知っておりましたから、お相手の察しをつけるのも簡単でした」
 ウェイトレスがスタッフドトマトとエスカロップを運んできたので、そこで会話が一旦途切れた。彼はクラブ・ソーダをまた一口飲むと、エスカロップには手を付けずに話を続ける。
「直斗のお祖父さんは知っているんですか?」
「大旦那様はご存知ありません。大旦那様にとっては、直斗様はまだまだ女性以前の存在なのですよ。背伸びをしなくていい。昔のように純粋な気持ちに戻って欲しい。そして心を許せる友人を作って欲しい。そのためにわざわざ一芝居打ってみたら、友人どころか一気に恋人ができました、などという事が発覚するのは、今までお酒を飲んだことのない子供にいきなりアブサンを飲ませるようなものです。死んでしまいますよ。お仕えする方に心臓発作を起こさせる訳にはまいりませんからね。私からも一切話しておりません」
「直斗も話していないわけですか」
 薬師寺は頷いた。
「ええ。高校生の恋愛と言うものは、いわば恋愛予備校のようなものです。交際を始めて間もない内から家族や保護者に打ち明けるようなことは少ないものじゃありませんかな? あなたとてそうなのでしょう? 誰にもしゃべっていないとおっしゃった」
 彼は黙って頷く。
「あなたは私が、お二人が黙って交際している事を怒っているとでも思っておられるのかもしれませんが、それは違います。お二人の邪魔をしようと思っているわけでもありません」
「これは何かのテストだというわけでもないんですか?」
「私がそのような事をするのは僭越というものではありませんか?」
 彼を安心させようとしたのか、薬師寺は先ほどまでとは雰囲気の違うくだけた笑いを浮かべて言う。
「それに、私は直斗様がお幸せならそれでよいのです。あの方の幸せそうなご様子を見た時点で、答えは決まっているのですよ」
 それは彼も同じだった。直斗が幸せならば、それで他のあらゆることが報われると言う事。彼女の幸せの高みに押し上げたいと言う事。自分が彼女を幸せにするなどと考えるのは傲慢かもしれないが、自分が彼女が不幸せにしてしまうかもしれないと思うのは、傲慢以上に悪い悲観論だ。
「私はただ、直斗様の幸せのためにお二人を手助け出来る事が無いか知りたくて、あなたとお話をしてみたかっただけに過ぎません。ですから、ただの雑談で良かったのです。私はそう、父親と娘を仲立ちする母親役のようなものと思っていただきたい。お二人にはアドバイスをし、娘が自分の手を離れたという知らせが父親の元にいきなり伝わって卒倒しないよう、少しずつ情報を漏らして慣らしていく。理解ある母親の役です」
「『最近あの子浮かれてるわね。いいお友達でもできたのかしら?』『あの子もそろそろじゃない?』『仲のいい男の子がいるみたいよ』って言うヤツですね。そうやって段階を経て、徐々に父親は子離れの準備をし、覚悟を決めて行くわけだ」
 自分の場合は一人息子だから、卒倒するのは母親の役で、父親に仲介役をしてもらうことになりそうだが、あまり期待は出来なさそうだ。しかし、一人娘に比べれば一人息子はよほど気楽だ、当分は気にする事でも無いだろうと彼は思った。
 薬師寺は頷いて言う。
「私が本当に母親であれば、直斗様にまずお話しするところなのですが、やはりここはまず男同士でと思いましてね。もったいぶって不安にさせてしまったようで、申し訳ございません」
「おかげさまで、ずっと緊張のし通しでしたよ。心臓に悪い」
 安堵したように息を吐いて彼は言う。
「それはいけません。ここであなたに倒れられたら、直斗様に合わせる顔がない」
「なに、破裂しそうだったのは左だけで、右のは静かなもんです」
 冗談を言える余裕も出てきたようだ。二人は互いの間にあった緊張が解けた事を了解しあうかのように、笑みを交わした。
 それから、さっきまでよりはずっと気楽に食事を楽しみながら、二人は話をした。
 直斗との馴れ初め――さすがに二人の仲の具体的な進展についていきなりぶちまける事はできないが、それぐらいはいいだろう――や、学校での直斗の様子、怪盗X事件の時に薬師寺が見守っていられなかった部分について。
「なるほど」
 自分がナイフを取り出して逃げた直後にあった出来事を聞いて、薬師寺は面白そうに言った。
「それは確かに、私が何度も謝るような事ではなかったのかもしれません。実は自分が母親役以前にキューピッド役をしていたなどとは、思いもよりませんでした。これでは尚更お二人の邪魔をするわけにはいきませんな」
「ええ。ですからむしろ、俺が薬師寺さんにお礼を言わなきゃいけないんですよ。あなたが俺を巻き込んでくれなかったら、俺は今でも彼女に告白してすらいなかったでしょうから」

               §

「お味のほうはいかがでしたかな?」
 食事が終わった後、薬師寺はコーヒーに二人分の砂糖とミルクを入れると、金属と陶器の擦れる鈴に似た音を楽しむかのように、ゆっくりとスプーンでかき混ぜながら言った。
「気に入りましたよ。また来てみたいですね。高校生の収入じゃ、そうしょっちゅうとはいかないでしょうけど」
「それはよかった。直斗様にもいずれ教えて差し上げたいと思っておりましたが、その役はあなた様にお譲りします」
 薬師寺はコーヒーカップを持ち上げ、乾杯するかのように揺らすと、一口飲んでカップを受け皿に戻し、脇にやって続ける。
「直斗様のこと、よろしくお願い致します」
 薬師寺はテーブルに額がつきそうなほどに深く一礼をした。それは駅で出会った時のような社交辞令めいたものではなく、本気の願いと親密さの込められたものだった。
「ええ、分かっています。彼女のためにやるべき事はないのか、俺は常に探している」
「男と言うのは、やるべき事を探さずにはいられない生き物ですからな」
「男だけとは限らないんじゃないですか? 男の行動力と責任感、そして女の繊細さと美しさを併せ持った我らが姫君とか?」
 薬師寺は楽しそうな声で言った。
「その通りですな。お二人とも、お互いのために自分に何が出来るか、常に考えておられるのでしょう。あえて私が釘を刺す必要も口を出す事もないのかもしれない」
 薬師寺は懐から名刺を取り出して彼に差し出す。
「それでも一助が必要な時はあるはずです。その時は声をおかけください」
 彼はそれを受け取ると、薬師寺と堅く長い握手を交わした。
「それにしても」
 薬師寺は手を外して言った。
「こうした話をする事になるのは、もっと先のことだろうと思っておりましたよ。少なくとも、お相手は酒を酌み交わせるぐらいの年齢だろうとね」
「未成年の身なのが、我ながら残念です」
 女であることを受け入れたと言っても、直斗の憧れの探偵像自体は変化していないはずで、いずれは彼女も酒を飲むようになるのかもしれない。彼は直斗と薬師寺と三人で酒を酌み交わしているところを想像しようとしてうまくいかず、思わず苦笑して続けた。
「でも、俺が酒が飲めるようになるまではたかだか二・三年だ。その時には薬師寺さんに、いい酒の飲み方を教えてもらう事にしますよ」
「その時を楽しみにしておくとしましょう」
 またしても了解を示す笑みを交わすと、そのまま二人はしばらくの間、食後の気だるい雰囲気を楽しむかのように無言で飲み物をすすっていた。
「そうそう。言っておりませんでしたが、ここの料金は私がお支払いいたします」
 席を立って勘定を払おうかという段になって、伝票を持ち上げて薬師寺が言った。
「いえ、俺が払いますよ。別に払えないような額じゃないんですから」
 素材で稼いだ金はみんなのために使うべきだと思っていたから、こういう時には使えないが、幸いにしてお年玉やテストのご褒美、バイト代などで懐にはずいぶん余裕があった。
「しかしお誘いしたのも、この店を選んだのも私です」
「それを言うなら誘いにのったのも、ここで食べる事になったのに異議を唱えなかったのも俺です。俺は自分の選択に責任を持ちたい。金銭的な事については特に」
「そこまでおっしゃるなら、それぞれで払うことにしましょう」

               §

「それでは、失礼致します」
 ビストロを出たところで、薬師寺は会釈して駅のほうへ歩き出した。
「薬師寺さん」
 去っていく薬師寺の後姿に向かって彼は声をかけ、振り返るのを待って続ける。
「さっき、あなたは怒っていないって言いましたけど、本当は少しは思うところがあったんじゃないですか? サングラスを外さずに視線を隠したのも、本題をわざわざもったいぶったのも、俺をせいぜいビビらせようっていう魂胆からだった。違います?」
「カードをお渡ししたあの時に思ったとおり、あなたには探偵の素質があるようですな」
 薬師寺は楽しそうな笑みを浮かべる。
「しかし、世の中には正解があるものばかりとは限りません。人の心というものは特にそうです。その質問には答えないでおくと致しますよ」
 薬師寺はサングラスをずらして一瞬だけその素顔を見せると、去って行った。サングラスの下にあったのは、ゴツゴツした手の印象とは違って、茶目っ気のある優しげな目だった。

 薬師寺に食事に誘われた時には、清水の舞台から飛び降りるような覚悟をしたが、終わってみれば実りある会食だった。ショッピングモールに向けて歩き出しながら、彼はそう思った。自分とは積み重ねてきた年月が二周り以上も違うのだから、薬師寺の事が良く分かったなどとは到底言えない。確実に分かったと言えるのは、薬師寺が直斗のことをとても大事にしていると言う事ぐらいだ。しかし、薬師寺からすれば、あれだけの話でも俺という男の事はよく分かってもらえたはずだ。
 薬師寺はテストではないと言ったが、やはりこちらの立場からすれば、この小一時間はある種の試練以外の何物でもなかった。しかし、どうやらそれは乗り越える事ができたようだ。

(つづく)





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