素早く正確に動く細い指をなんとなく不思議な気分で見つめた。 ニッパーで余裕を持って切り離し、カッターで丁寧に削り取る。彼も決して不器用ではないのだが、やはり手際良くこなせるまでには少しかかった作業を同じく生まれて初めてプラモを組み立てるのだという直斗はそつなくこなしていた。 「流石にうまいもんだな」 素直な賞賛の言葉を贈る。普段であれば彼に何か褒められようものならたちまち赤くなって俯いてしまう直斗も今日ばかりは幼さの残る笑顔を返した。 「細かい作業、好きですから。なんというか……自分の頭と指をちゃんと使ってやれてる気がして」 喋りながらも手先は正確にパーツを組み立てている。最近のプラモは以前に店じまいの店主から渡された古いものと違って簡単に見栄え良くできるようにはなっているが、それでも丁寧に作るか雑に作るかで出来は全く違うものだ。 見慣れた無骨な自分の手とは全く違う華奢で白い指が、自分が使っているものと同じ工具を鮮やかに操る様にすっかり見入ってる己に気付いた彼は思考を逸らす為に切り離されたパーツを一つ手にとって弄ぶ。よく見なければ切り離しあとも判らないぐらい鮮やかに削られていた。 直斗が器用なのも工作が好きなことも既に知るところではあるけれど実際に作業している所を見るのは初めてだ。生き生きしていると彼は思った。いつの間にか馴染んだ仲間達と馬鹿騒ぎしているときだとか、目の前に突きつけられた謎を紐解いてゆく様だとか、勿論『生き生きしている』ような場面は他にもあるのだけれど、今こうしてパーツを切り出し、整え、組み立てているその表情はどんなときよりも輝いていて、まるでとびきりの宝物を手にした子供のようだ。 (なんて言ったら怒られるんだろうけど) 子供のような、というのは何も悪いことばかりではない。そうやって輝けるものがあるというのは大事なことだと彼は思う。けれどそれを誤解されずに伝えられる自信はちょっとないので胸にしまっておくことにした。 ふと以前受け取ったバッジや、今現在左腕に収まっている腕時計のことを考える。これらもああやって大事に大事に組み立てられたものなのだろう。そう思うと急に愛おしく感じてそっと文字盤に触れる。直斗本人には照れくさくて言えないが、これでもこまめに磨いたり手入れをして大事に使っているのだ。 視線に気付いて直斗が手を止める。 「先輩、作らないんですか?」 彼の前に置かれたニッパーや切り離されたパーツに視線を落とす。 「今回はLED仕込んでやるんだってあんなに張り切っていたじゃないですか」 「ああ、小休止。気にしないで続けてくれ」 直斗は首を傾げるがやはり手元に気が行くようでまたすぐに作業を再開する。付き合うようになって直斗の色々な姿を見てきた彼であるが、今日また新しい姿を見ることが出来た。恐らくは「おじいちゃん」や薬師寺ぐらいしか見たことのないであろうこの無邪気な姿を今は自分一人が独占出来ていると思うとそれだけで至福、と彼は眼を細める。 「直斗は可愛いなあー……」 「ふぇっ!?」 しみじみと呟く声に直斗の肩が跳ねた。がり、とプラスチックが盛大に削れる音がする。驚いた拍子に手元が狂ったらしい。 「あ」 「……せ・ん・ぱ・い?」 無意識のうちに口に出ていた呟きに気付いた頃にはカッターを握り締めたままジト目で睨まれていた。 流石に今のは節操がなかった。こういうときはさっさと謝ってしまうに限る、と即刻謝罪の言葉を口にする。直斗は小さい溜息をついて持っていたカッターを置く。よくもまあ毎度毎度臆面もなく、と呟きながら左手を押さえる僅かな仕草を彼は見逃さなかった。 「手、切ったのか」 「少し……大丈夫、大したことありませんから」 「悪い。消毒液と絆創膏持ってくるから」 「いえ、本当に大丈夫です。このぐらいなら慣れてますから」 言いながら手を広げてみせる。パーツに当てていた刃が滑ったのだろう、人差し指の中程がぱっくりと切れて赤い筋が浮いている。そうやって傷を確認する間にも少しずつ傷口から溢れてくる血液が赤く小さな球を作るので彼は少し驚いてしまったが、当の直斗は平然としていた。 「ね、大したことないでしょう?こういう工作にこの程度の傷はつきものですから」 「ああ、まあ――多少はあるだろうけど」 「むしろこうやって怪我しながら道具の扱いを覚えるものだと思いますよ。……そういえば、まだ工具の扱いに慣れない頃はよくやりました」 そうやって傷に落とす視線はどこか懐かしそうで、先程とはうって変わって少し大人びた表情に彼は再び見入ってしまいそうになる。 「あ、でも血が付いたら汚れてしまいますよね。絆創膏だけ頂けますか?」 すぐに直斗が顔を上げたので、それで彼も我に返った。全くこの子はどれだけの姿を持っているのだろう。恐らく本人も意識していないうちにくるくると変わる表情は仲間達にも滅多には見せることのないものばかりで、一つ一つの何気ない仕草ですらやけに引きつけられずにはいられない。 「そこの引き出しに入ってるよ。でもその前に消毒しないとな」 「ちょ……ひゃっ!?」 いきなり手を引かれ戸惑う直斗は直後、指に舌を這わされ小さな悲鳴を上げた。 傷口に浮き上がった血を舐め取ると口内に独特の鉄臭さが広がり、そのまま小さな傷の端から端まで丁寧に舌を這わせると、彼の手の中で直斗の腕がふるふると震えた。 「せ、先輩。もう大丈夫ですから、離して……」 「駄目だ。ちゃんと消毒しないとな?」 上擦る声にあえて真顔で答えてやると、射竦められたように直斗は口を噤んでしまった。それをいいことに今度は指ごと口に含む。びくりと直斗の体が大きく震え、手を引こうと力が入るが一回り大きな男の両手で包み込まれるようにしっかりと捕らえられた小さな手には逃げ道はなく、かといって残った右手で抵抗することもできず、直斗はただ指先を蹂躙する暖かく濡れた感触に耐えるしかなかった。 細い指の形をなぞるようにゆっくり丁寧に舌を這わせることしばらく、なすがままにされて小刻みに震える手の様子とは裏腹にずっと声が聞こえないのが気になってそっと様子を窺えば、直斗はぎゅっと目を瞑り唇を食いしばってひたすら声を抑えていた。紅潮した頬がそれが怯えや怒りによるものではないと語っている。 指を解放し、最後にちゅ、と音を立てて軽く傷を吸う。ん、と小さい声が漏れて直斗が体を震わせると、口の中にまた僅かな鉄の味。 微かに芽生えた悪戯心がすっかり満たされた彼は、最後に手の甲に唇を触れさせてから直斗に視線を戻す。目が合うと今度こそ乱暴に手を引っ込められた。 「……じゃあ、絆創膏を」 「どうして何事もなかったような態度なんですか、そこで!」 平然と立ち上がろうとする彼に直斗は机を叩いて抗議する。ツッコミ待っていましたとばかりに彼は意地悪な笑みを浮かべた。 「消毒、足りないか?」 「…………ッ!!」 「すまん、ごめんなさい、やり過ぎました。だから落ち着いてくれ。工具投げつけるのは感心しないなお父さんは」 無言のまま手近なニッパーを鷲掴んで振りかぶった直斗を必死に宥める。あのぐらいなら切っ先が当たらなければどうという事はないが、カッターまで飛んできた日にはちょっと無事でいられる自信はない。 顔面を庇いながら弁明する彼をしばらく睨み付けていた直斗はやがて大きな溜息をつきながら得物を机に戻した。 「本当、どうしようもない人ですね。貴方は」 「悪かったって。ほら、絆創膏。……あんなに夢中になってる直斗ってのがどうしても新鮮だったから嬉しくなっちゃって、つい、な」 「そういうところがどうしようもないんです……」 目を伏せて絆創膏を受け取った直斗はそそくさと包装を剥がして指にあてがう。そこでしばらく手を止め、傷を眺めること数秒。絆創膏を巻き付ける前に再び赤い筋を浮かせていた傷口の血をぺろりと舐め取った。その仕草に彼は仰天する。 無論、こういった怪我はよくあることらしいので半ば癖のようなものではあるのだろうけど―― 「――たまに無意識に大胆なことやらかすよなあ」 「え?……あっ」 始めはなんのことやら測りかねていた直斗もすぐに彼の言葉の意図するところに思い当たったようだ。そう先程までそこに口を付けていたのは。 「い、い、いえ、そういうつもりじゃなくてですね。なんというか、もう、……ああっ!そもそも先輩が変なこと言うからですよ!」 意識しなければ自然な行動もひとたび意識してしまえばこんなものだ。ついに論理的思考を放棄した直斗は背後にあったソファに顔を伏せてしまった。 こうなるともう本格的に子供だ。彼は笑いを堪えることもせずにソファの空いたもう半分に腰掛けると、傍らに伏せた頭にそっと手をやった。 「そうだな、全部俺が悪い。だからほら、機嫌直してくれよ」 優しく撫でてやると不貞た顔が見上げてくる。 「……時間、もうないです」 「ん?ああ、そうだな。そろそろ外も暗いし……まだ全然出来てないけど今日はお開きかな」 「また今度、一緒に作ってくれるなら……許します」 思わず目を丸くし、手を止める。 「嫌ならいいですよ」 はていくら何でも今日は可愛いすぎやしないだろうかと彼が考えている間に、今度は少し拗ねた声。嫌なわけがあるかと頬に手を添え、自分の方へ向くようそっと促す。 「むしろこんな時間が過ごせるならいつでも歓迎だ」 「次は真面目にやってください」 「なるべくそうする」 そういう答え方が狡いんです、と文句を言う直斗の顔には言葉に反して笑みが浮かんでいた。微笑みを返す際、視界の端に棚のプラモが目に入る。傍らに置かれたモコイさんまでなんだかニヤニヤ笑っているような気がした。 ああ、どうせバカップルですよ。笑わば笑え。 ========================================================== 「ドゥフフ」 目次 / 戻る |