「おーっす、直斗。一緒に帰ろ?」 「いいですよ、久慈川さん――――それじゃ皆さん、さようなら」 おーっす、また明日な。そんなクラスメイト達の声に送られて、直斗はりせと共に教室を出たのだった。 夏の日。ありふれた一日。 「変わったよね、直斗」 下駄箱でローファーを履きながらのりせの言葉に、直斗は首を傾げた。 「変わりましたか?」 「うん。明るくなった」 「――――そうですか?」 靴箱の中には、誰からともわからない手紙が一通。差出人の書かれていない封筒に、溜息一つ。この街に来てからもうすぐ一年が経とうというのに、彼女の靴箱はまるでポストのように、毎日毎日誰かからの手紙が放り込まれている。 「お、またラブレター? どっちから?」 「ハートマークのシールもありますから、女子からでしょうね」 また溜息をつきながら、それでも直斗は鞄の中に手紙を放り込む。そうしないと、りせが怒るからだ。一度、開封もせずに焼却炉に捨てようとして、小一時間ほど説教をされたのだ。りせにとって、手紙とはそれだけ重要なものなのだろう。おそらく、アイドル時代にファンレターを貰っていたからだろうが。 「ちゃんと読むんだよ。答えは決まってるだろうけどさ」 「いい加減にして欲しい、という気持ちではありますけれどね」 サラリと毒舌を吐く直斗に、りせは苦笑する。確かに、女性から想われたところで、直斗としては戸惑うしかないだろう。それが単なる憧憬であったとしても、だ。本気ならば――――なおのこと。 「けど、女子はいいとしても、男子はね。いい加減、諦めればいいのに」 「まぁそれでも随分と減った方ですよ。誰かさんが噂を流して下さったおかげでね」 たっぷりの皮肉と共に冷たく見つめられてりせは、アハハ、と誤魔化すように笑った。 「けどね、私だって大変だったんだから。直斗狙いの男の子が、皆、こっちに来てさ」 「そう言われても……」 困惑の顔に、反撃が上手くいったことがわかり、りせは安堵する。 りせが流した噂というのは、根も葉もないものではなかった。純然たる真実の話。 白鐘直斗と、この春に転校していった少年が、恋人同士の仲だということを公にしただけだ。もっとも、当人達はそれを隠したがっていたのだが。何故か。 校門を出た二人が向かったのは、商店街の中にある惣菜大学。安価で量が多く、出来立てのものが食べられるこの店は、放課後の学生に人気だった。 「それよりさ。今度の週末、直斗は暇? どっか遊びに行かない?」 「あ、それなら僕、行きたい所があるんですが」 彼女の言葉に、コロッケを頬張っていたりせは少なからず驚く。普段、直斗は積極的にどこかに行こうと提案するタイプではない。いつもりせが場所を決めて、直斗を連れ回していたのだが。 「ふんふん。で、どこに行きたいの?」 「……ええと……」 頬を染めて俯いた後、直斗はりせに顔を寄せて小さく囁く。 「水着を、買いたいんですが」 「………………」 驚きの声を、かろうじてりせは飲み込む。目を丸くして見つめていると、さすがに驚いたことが伝わったのだろう、照れ臭そうに直斗はまた視線を下げる。 「急に、どうしたの?」 ようやく口を開いたりせが問いかけると、 「それが、その……あの人が、夏に帰ってくるじゃないですか。その時、一緒に海に行こう、って言われて……」 真っ赤になりながら説明する彼女の言葉に、ああ、なるほど、とりせは頷いた。もうすぐ夏休み。二人も色々と計画を練っているに違いない。 「……ってあれ? 直斗、水着、持ってるでしょ? ほら、文化祭でクマにもらったアレ」 結局、着ているのを見たことはなかったが、決して派手なものではなく、なかなかのチョイスだったと思う。着たら似合っていたはずだ。 「あ、あれは……!!」 ところが、りせの言葉に直斗は思わぬ動揺を見せた。首を傾げながら言葉を待つと、渋々といった感じで彼女は口を開いた。 「その……サイズが合わなくなって……胸が入らないんです」 「………………」 「………………」 「…………直斗」 「…………何ですか?」 「揉まれた?」 「せ、成長期っていうだけです!!」 そして、週末。 さすがにジュネスでは誰に会うかわからず恥ずかしい、ということで、二人は沖奈へと向かう電車に乗った。並んで座る二人は、艶やかな花のように輝いている。 「それにしても、りせちーは嬉しいな」 しみじみとした呟きに、直斗は首を傾げて隣を眺める。その姿は、薄水色のワンピース。以前にりせと一緒に出掛けた時に買ったものだ。 「なにがですか?」 「直斗が段々、女らしくなったことが」 りせの言葉に、カァ、と直斗は一瞬で首元まで真っ赤になる。 「こ、これは久慈川さんが言ったんじゃないですか!! 女の子の格好をしてこいって」 「当たり前じゃん。男の格好で行って、女物の水着の試着なんて許してくれるわけないでしょ――――って、そういう意味じゃなくてさ」 にこやかに笑うりせの顔は、普段のからかい交りのものでなく、純粋な嬉しさが溢れていて。 「ちょっと、心配だったからさ。直斗、今でも男子の制服だし。でも、ちゃんと女の子してるんだな、ってわかったから」 「……というと?」 意味がわからずに問い返すと、りせはアハハと小さく笑ってから、 「だって、先輩の為に水着を買うんでしょ? 可愛く見られたい、って思っちゃったりしたわけでしょ?」 言葉に詰まって、直斗は硬直する。確かに、りせの言う通りだったから。可愛く、かどうかはともかく、あの人に喜んでもらいたい。そう思っていたから。 「やっぱり変わったよ、直斗は」 「そうですか?」 「うん。クラスメイト達とも仲良くやってるみたいだしさ。明るくなったって感じ」 「――――それは多分、あの人のお陰ですよ」 直斗はそう言って膝の上で手を組んだ。 「先輩の、おかげ?」 「はい。最初は、怖かった。僕みたいな存在が受け入れられるのか、どうか――――そんな時、あの人のことを思い出すんです。そうすると、遠く離れているけれど、近くにいるような――――なんていうのかな、強くなれる気がして」 側にいなくても、存在は感じられるんです。そう、続ける。 それは直斗の本心。彼がいる。遠くても、確かにいる。それがどれだけ心落ち着くことか。言葉にすることは難しいが、あえて一言で表すなら。 「好きなんだね、先輩のこと」 「――――ええ、好きですね」 以前の直斗ならば、恥ずかしくてとても言えなかった言葉も、今は。 素直に、口にすることが出来る。それは多分、彼と積み重ねた絆というだけでなく、りせとの間に築き上げた絆のせいでもあって。 「やっぱり変わったよ、直斗は」 その横顔を優しく見ていたりせは、そう呟いてから、一瞬でジト目に変わって言った。 「――――平気でノロケるようになったんだから」 「……!! ノロケとか、そういうつもりは全然……!!」 「はいはい、あーあ、私も早く彼氏欲しいなぁ」 「次はこれ、試着してみて」 「またですか……」 いい加減、うんざりしながらも直斗は渡された水着を受け取る。ワンピース、ビキニ、パレオ、ショートパンツ風のものと、次から次にりせは売り場から水着を持ってきては、直斗に試着させていたのだ。 「お、なかなかいい感じ」 シンプルな形の黄色のビキニを着た彼女に、りせは目を光らせる。 「けどこれ、ちょっと露出が多すぎませんか?」 「何、言ってるの。これぐらいフツーよ、フツー」 アイドルのフツーと比べられたくない。そんな風に思うが、口に出すのも躊躇われるほど、精神的に直斗は疲れていた。何しろ、かれこれ1時間以上、彼女の着せ替え人形になっているのだから。 「直斗は肌が綺麗だから、シンプルに黒ってのも捨てがたいか……」 ブツブツと呟きながら、りせは売り場と試着室を往復している。自分の我侭で付いてきてもらったのだから、文句もあまり言えないのだが。 「うん、これが一番、オススメかな」 「……どうも」 最終的にりせがOKを出したのは、淡い黄色のビキニだった。下は取り外し可能なパレオのついたものだが、ブラは首の後ろで結んで吊るすタイプで、胸の谷間がはっきりと見えている。普段の直斗ならば絶対に断っていたろうが、心を磨耗されてしまっていたせいで、それに決めようと思ってしまったのだ。 「それにしても……」 「何ですか?」 胸の谷間に視線を向けて、りせは呟く。 「揉まれたでしょ?」 「だから成長期ですって!!」 「揉まれてないの?」 「……少しは揉まれましたけど」 「少し?」 「……いっぱい」 「やー。楽しかったね」 満面の笑みを浮かべるりせに、直斗は苦笑する。すでに太陽は傾き、夕の帳が落ちてきている。それでもまだ明るいとはいえ、そろそろ帰らなければ、八十稲羽に着く頃には夜になってしまっていることだろう。 最初に水着売り場で消耗したものの、その後は直斗も楽しく過ごすことが出来た。同年代の女の友人と二人、遊び歩くというのは、いつも新鮮な気分になれる。 「水着もバッチリ可愛いの買ったし。これで先輩もメロメロだね」 「…………ハハハ」 今度の苦笑は、先ほどより若干、ビターなものだ。一刻も早く休みたいと買ってしまったものの、かなり扇情的なものだったように思われる。一体、どんな反応を示すか、少し怖い。 「大丈夫、大丈夫。先輩なら、可愛い、って褒めてくれるよ」 「……そうでしょうか?」 「うん。絶対にそうだって」 「だといいんですが」 想像して、直斗は少し頬を染める。可愛いなんて言葉、言われ慣れないし、他の男に言われても何とも思わないだろうに、どうしてだろう。想像の中だというのに、彼に言われると嬉しく思えるのは。 「直斗」 「はい?」 「今、直斗、乙女の顔、してたよ」 「……か、からかわないで下さい!!」 そうして。 「なんだ。皆、一緒だったんだ……」 遠い目をしながら、りせは呟いた。目の前に広がるのは、海。そして、聞こえてくるのは潮騒と、 「あははー、海ー」 「こら、奈々子。言うことを聞かんか」 「いいですよ、堂島さんは休んでて下さい。あたし達が奈々子ちゃんの面倒を見ますから」 「奈々子ちゃん。走ったら危ないよ」 「皆の水着が見れて幸せクマ〜」 「やっぱ夏は海だよな」 いつもの面々の声。考えてみれば当たり前か、と溜息を付く。彼が帰ってきたとして、二人だけで海に行く筈がないのだ。何しろ去年、奈々子と海に行く約束をしてたのだから。 「おい、完二。お前も目に刻んどけよ……って又かよ」 「ぬぉぉ? カンジ、死んでる感じ?」 「ほっとけ、鼻血出してぶっ倒れてるだけだ」 いつもと変わらぬ喧騒。先輩、それでいいんですか。彼女を大事にしなくていいんですか。仲間が大事なのはわかりますが、それでいいんですか。 一言、文句を言ってやろう。思いながら探すが、ふと気付くと彼の姿は側になく。 「…………あ」 少し離れたところで、直斗と二人、並んで座っているのを見つける。 笑顔の直斗は、いつか以上に乙女の顔で。彼に何を言われたのか、耳まで真っ赤になっていて。 きっと、可愛いと言われたんだな。 思ってりせは。 良かったね。 そう、心からの祝福を送ったのだった。 目次 / 戻る |