鬱蒼と茂る木々で10メートル先も見えない誰も足を踏み入れた事のない密林。そこでの生物調査が、彼の仕事だった。この仕事についてからというもの、全く休む暇もないほど働いていた。と言っても、自分の冒険心をかきたてるこの仕事を彼は嫌いではなかったが。その日の調査も終わりに近づき、既に日が傾いていたので野営できる場所を求めて歩き回っていた。

木々の間を抜け、背の高い草を切り倒しながら、テントの張りやすいできるだけ平らな場所を選ぼうと1時間ほども歩き回っていると、運のいいことに開けた場所を発見することが出来た。そこは密林にしては不自然なほど木がまばらで、背の低い草しか見えずに地面さえ見えているところもある、まるで草原のような不思議な場所だった。ほんの数十メートル先にはまた密林が広がっているのに、ある方向には視界がかすむあたりまでさっきのような地形が続いている。

 

「こんな場所があったかな……」

 

日はもう暗くなりかけていた。彼は不思議がりながらも選択肢を取り上げられてしまい、そこでキャンプをすることになった。彼も慣れたもので数分でテントを組み立てると、テントの中にもぐりこみ、その日のレポートを作成すると、また明日からも続くであろう調査のために眠りについた。そう、明日があれば続いていた。

 

 

静かな夜が続いていた。彼は寝袋なしで探検用の服のまま眠っていた。十分な防寒性があったからだ。突如、森の静寂を破る音がした。

 

ゴォォォォン!!!!

 

耳をつんざくような音に目を覚ましたのは、真夜中のことだった。眠りが浅かったためすぐに我に返った彼だったが、視界がぐるぐるに回っている。ふらついて動けない。いや、身体を支えていないと横向きに落ちていってしまいそうだった。

 

「え……」

 

横ではなかった。彼はテントの入り口を真下にして、明らかに落ちそうになっていた。ぐらぐらと揺れる視界。彼は反射的に必死でテントの床を掴んで落ちないようにする。ぐにゃり。地面が外にあるにしてはやけに柔らかかった。それは彼を混乱から醒ますのに十分な感触だった。

 

「ま、まさか…!!」

グォォォォン!!!

 

もう一度聞こえる咆哮。それも真後ろから。背丈ほどのスピーカーの前にいるかのような音圧で、彼は身を硬くする。床がゆれている。月明かりで明るく照らされた入り口の外が、乗り物に乗っているかのように動いている。そんな外の景色の上下に時折みえる山のような陰は、もうひとつの事実を示していた。

 

「た、食べられ!!」

 

何ものかは分からないが、彼はテントごとその巨大な口の中に入れられていたのだった。気づいた瞬間、外に見えていた歯がかみ合わさってしまった。

 

「!!!」

 

暗い口の中。外の空気が遮断されたことで、その蒸し暑く、生臭い空気が彼のまわりを包んでいった。同時に、急激に彼のいる空間が持ち上がった。

 

「う、うわあぁぁ」

 

揺れる口の中で半分パニックに陥りそうにもなっていたが、暗くて何もできない。彼は持っていたヘッドライトを付けてみた。

いつもの見慣れたテントの外に、自然に開いてしまった入り口から恐らく舌であろう、ピンク色でぬらぬらと光る肉塊と、がっちりと閉じ合わさった歯、歯茎が見えていた。とがった歯は肉食の動物、舌の質感から言って爬虫類だろうかとその職業柄、彼の脳内で勝手な思考がめぐっていた。テントの上部は押しつぶされ、ぐにゃぐにゃと動いていた。恐らくテントは今口の奥で挟まれており、自分はテントごと呑まれようとされているのだということを示していた。

 

ビリッ!ビーッ!!

 

テントの裂ける音と共に、天井あたりの外にある、肉感的な壁が見えるようになった。テントが壊れるのも時間の問題か。そうこうしているうちに、舌と上あごの間でテントが押しつぶされ、彼も何度となくテントの中で押しつぶされそうになる。天井にあいた穴を介して上あごに触れるたびに粘性の強い唾液が彼の背中と糸を引いて伝わり、繰り返すことでテントの中をネバネバと濡らしてしていった。もう落ちる心配はないが、ぬめる唾液のせいで、今は回りを柔らかい肉に囲まれてしまったテントの中で姿勢を保持することは難しい。むしろ後ろのほうにテントごと落ちていってしまうことのほうが心配だった。もう彼が這う程度の空間しかテントの中にはなかった。まだ呑まれてはいないのか、あぐあぐと口を開閉しているのがかろうじて見えた。準備が整えば、一瞬で呑み込まれてしまうのだろう。ピンクの柔らかな舌が外に向かってまるでロールカーペットのように伸びている。

 

「こうなったら、いちかばちかだ!」

 

彼は決断すると、テントから素早く飛び出し、うねうねと動く舌の上を通り、口の外に飛び出した。舌の上で転んでしまい、顔をぐにゃぐにゃとした面に押し付けてしまったが、そのまますべり、彼は口の外にぬるりと出ることができた。口から地面までは高さがあったが、粘性のある唾液と地面に生えていた草のせいでいくぶんかショックがやわらいだ。

 

「はぁっ、はぁっ、うぐっ……!」

 

 興奮状態で外の冷たい空気を吸うと、ようやく身体の痛みが襲ってきた。骨は折れてはいないだろう。大丈夫。ヘッドライトから、粘度の高い唾液がゆっくりとしたたりおちる。ライトだけでなく、彼の全身も包んでいたそれのせいで、夜の空気が経験したことのないほど冷たかった。が

 

 グルルルルル

 

 冷静になったのは彼だけではなかった。ヘッドライトを付けたまま外に飛び出した彼を、さっきまで彼を口の中に入れていた主がにらみつけていた。

 

「ド、ドラゴン…」

 

 こんな場所にいるなんて。絶滅したかと思われていた生き物がこんな場所にいるなんて。彼は感動と恐怖の入り混じった感情で、身体が動かなくなってしまっていた。

 

 

つづく

 



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