アニマル界。 以前この世界で起こった、聖なる軍団ホワイトナイツと 暗黒の軍団ダークフォースの戦いからおよそ一年が過ぎた。 数ヶ月前までこの世界は、ダークフォースや絶滅動物達によって危機に晒されていた。 しかし、若きヒーローの覚醒や甲虫戦士の参戦により絶滅動物達の暴虐は鳴りを潜め、 ダークフォースに至っては元々部下達に間の抜けたところがあった上に 蘇った師匠のシゴキによって首領のゴルザードさえもヘタレと化してきたため 実質世界の脅威となるような要素は皆無となり、 現在は一時の平和が訪れていた。 ホワイトナイツの戦士達も第一線を退き、それぞれが好きなように時を過ごしていた。 「…まったく、シュバルツの奴…。呼び出すのは構わないが急すぎるぞ…」 海底を走る一匹の白い狼。 ホワイトナイツの作戦参謀、聖なるヨーロッパオオカミのシュナイダーだ。 彼はダークフォースの一員であり彼の幼なじみでもある 邪悪なるヨーロッパオオカミ、シュバルツに呼ばれて 彼が住む街への近道である水路を渡っていた。 …なお、どうして狼が海底を平然と移動できるのかは気にしてはいけない。 何故ならここはアニマル界だからである。 「どうせまた貸家を追い出されたとかそんな話だろうな… まったく、深夜の町中で遠吠えするなと何度言えばわかるんだか…」 などと呆れたようにぼやいてはいるが、彼としては別に迷惑に思っているわけでもなく 単純に友人のところへ遊びに行く感覚だった。 幼い頃から何事に関してもライバルだったシュナイダーとシュバルツは、 同時に趣味がよく合う親友でもある。 道を違えた今でも交流を続けているのも、その現れと言えるだろう。 そんな彼の背後に、影が一つ。 「ちょっといいかしら?」 「!?」 突如現れた背後の気配と高い声に、シュナイダーはギョッとし思わず立ち止まった。 気を抜いていたとはいえ、彼は歴戦の勇士である。 その彼に全く気付かれずに背後をとれるということは、 間違いなく声の主も闘いに身を置く者だという証明になるのだ。 そして雌と思われる高い声と喋り方…。 今のところ、アニマル界に雌の戦士はあまりおらず、自然と選択肢も限られてくる。 海中に住む雌の戦う動物…。シュナイダーの脳裏にとある姿が思い浮かぶ。 (まさか…こいつが噂の「ジュゴン」か!?) ジュゴンとは最近になって参戦した動物の一匹だ。 彼女には相手に思いっきりキスをするという恐ろしい技がある。 ただでさえ吸い付くようなおぞましい口付けである上に、 一部の者はファーストキスを奪われることになるため、 「三日ほど食事も喉を通らなかった」「闘いには勝ったが大事な物を失った」 といった悲痛な意見が後を絶たず、ホワイトナイツでもエイのジンライが 彼女の毒牙にかかって今まさに寝込んでいる最中なのだ。 (…ジュゴンならば即座に逃げる! 勝てる自信はあるが技を避けられる保証はない! こんなところで奪われてたまるか!!) いつでも走り出せる体勢で、恐ろしげな表情を浮かべてシュナイダーは振り向いた。 相手を確認せずに逃げ出すことも考えたが、それは流石に失礼なのでやめた。 聖なる軍団に属する以上、相手への礼儀を失うのは許されないのだろう。 …ところが、声の主はジュゴンではなかった。 頭部から突き出した、先端が発光する特徴的な突起。そして馬鹿でかい口を持つ魚。 それはジュゴンと同じく、最近になって参戦した動物であった。 「…チョウチンアンコウ?」 「ええ、そうよ。あなた、ホワイトナイツのシュナイダーさんでしょ?」 「あ、ああ…。よく知っているな…」 正直、この容姿からこの声と口調が聞こえてくるということに シュナイダーは違和感が拭えなかった。だが、聞いた話では チョウチンアンコウの雄は体が極端に小さく、矮雄と呼ばれるのだという。 つまりこの外見のチョウチンアンコウは、雌にしか有り得ないのだ。 「だってホワイトナイツといえばみんなのヒーロー的存在でしょ? しかもあなたは特に有名よ、天下一品の戦闘テクニックの持ち主って! 私、一度あなたと戦ってみたかったの!」 「…! ほう…それは光栄だな! ならば全力でお相手しよう!」 先程の逃げ腰は何処へやら、その言葉を聞いた瞬間、 シュナイダーは機嫌良さそうに戦闘体勢に入った。 シュバルツの用事のことは一旦忘れることにしたようだ。 彼は戦士なのだ。 闘いを好むのは戦士の性である。 そして自らの強さに憧れを抱かれるということは、戦士にとって誉れ高い栄誉である。 この闘いは勝敗に関わらず、互いにとって「良い結果」となりそうな気がした。 「ふふっ、ありがとう! それじゃ、よろしくね!」 「ああ、来い!」 「アンコールビハインド!!」 チョウチンアンコウが先手をとり、周囲の岩を放り上げた。 身の丈より大きな岩だ、これに潰されれば致命傷は免れないだろう。 …だが、数々の闘いを繰り返してきたシュナイダーにとって、 このように大振りな攻撃をかわすことは容易いものである。 瞬速の走りで落ちてくる岩をあっさりとかわし、 そのままチョウチンアンコウの背後に回り込む。 「甘いっ!」 鋭い体当たりでチョウチンアンコウの体が宙を舞った。 「…つっ……!」 シュナイダーの攻撃はそれで終わりではない。 突き飛ばしたアンコウの進行方向へ、再び瞬速の走りで回り込んだ。 「ショットガンライズ!!」 後ろ足で飛ばした無数の石つぶてが、アンコウめがけて飛んでいく。 受身をとる間もなく全弾命中し、チョウチンアンコウは倒れ伏した。 だが彼女は、倒れて僅か一、二秒で平然と起き上がる。 「……いたたた…流石はシュナイダーさん、効いたわ…」 「そうは言うが…まだまだ平気、という風に見えるな」 大きな体の持ち主が多い水棲生物には必然的に耐久力が備わっているものである。 たった一回の技で大ダメージを与えられるとは、 シュナイダーも初めから思ってはいなかった。 (…とはいえ、もう少しは効くだろうと期待していたんだがな。 ここはダメージが残っている内に畳みかけるか…!) そう判断するや否や、シュナイダーは空高く跳び上がる。 そしてチョウチンアンコウの真上辺りに到達すると、 全身をドリルのように回転させながら急降下した。 「ジョルトスクリュー!!」 「!!」 そのまま二匹の姿が地中へと沈み込む。 そして地面に開かれた穴からシュナイダーだけが跳び上がってきた。 …が、それは技が成功したからではない。 「先に地中に潜られた、か」 普通に回避してもスピード差で捕まると判断したのだろう。 攻撃が命中するより一足先にチョウチンアンコウは地面の中に逃げ込んでいた。 地中移動能力に欠けるシュナイダーでは、彼女に追いつくことはできない。 とはいえ、当然ながら地中にいるだけで闘いに勝つことは不可能である。 勝つには相手を攻撃する必要があり、地上の相手を攻撃するには 体の一部なり全部なりを表さなければいけない。 そこを回避して反撃を喰らわせる… 難しそうに思えるが、とりあえず地に足をつけてじっとしていれば 音や振動で相手が地表近くまで来るタイミングはわかる。 シュナイダーにとっては、それがわかれば経験上大抵の場合は回避できるのだ。 地中からではどう足掻いても下からの攻撃しかできないのだから。 「…今だ!」 シュナイダーが素速く後方へ跳び、刹那地中からチョウチンアンコウが現れる。 大口を開けているところを見ると、あれで食らい付こうとしていたのだろう。 しかし即座に腹部への体当たりを受け、 攻撃を当てることなく再びアンコウの体は地面の上を転がった。 「あいたたた……これもダメかぁ」 再びチョウチンアンコウが起き上がる。それ程のダメージは受けていないようだが どうやらそれよりも地中移動で必要以上に体力を使ってしまったらしい。 先程まではピンとしていた頭の突起が、淡い光を発しながらブラブラと揺れ 心なしか表情も前より苦しそうに見える。 「…どうする? 疲れたのならここで戦闘終了でも構わないが…」 シュナイダーはチョウチンアンコウの様子を見て、そう問いかけた。 闘いが好きとはいっても、そこは正義の軍団に属する者である。 体力を失った相手に執拗な追撃を行うことは、 彼にとってあまり望ましい行為ではなかった。 もっとも、相手に闘いを続ける意志があるならば話は別だ。 その時は相手が戦闘不能になるよう叩きのめす。 それが彼が考える、相手への礼儀というものである。 「…そうね…確かにしんどいし、お腹も空いてきたけど…」 チョウチンアンコウは突起を揺らしながら少し俯いて考えていたが、 すぐに結論を決めて頷く。 「うん、決めた。最後まで戦うわ」 「わかった。手加減はしないっ!」 シュナイダーの奥義、ヘブンズファイアー。 相手の周囲を高速で回転し、火柱を起こして攻撃する技である。 最後の一撃は最強の技で決めてやろう、そう思った彼はこの技を繰り出すことにした。 勿論疲れているとはいっても向こうの反撃もあるだろう。 相手の動きにも細心の注意を払いながら、 白き狼は目にも止まらぬ素速さで駆け出した。 …筈だった。 「なっ…なんだこれは!?」 気付けばシュナイダーの体は全く動かなくなっていた。 前脚を振り上げようと思っても、首を振ろうと思っても 体は言うことを聞かず、石のように固まって動かない。 「ふふっ、どう? 驚いた?」 チョウチンアンコウの声が響いてくる。 気付けば、先程までは眼前にいた筈の彼女の姿も消えている。 いや、それどころではない。 周囲の光景が海底ではなく、暗い異空間のような場所になっていたのだ。 「これは…幻術の類か!」 今広がる光景に近い光景を、シュナイダーは知っていた。 蛇系の動物が視線を使い幻術にかけてきた時の光景によく似ているのだ。 しかし、いつの間にこんな術を… 「!! まさか、先程の突起の動き…」 「流石シュナイダーさん! そう、あれは疲れていたんじゃなかったの。 あなたを催眠術にかけるために振り子のように動かしていた、ってわけ」 再びチョウチンアンコウの声が響く。先程よりさらに大きな声で。 …今まで戦ってきた相手にはない特徴を持つ動物を相手にするのだから、 その部分を真っ先に警戒するべきであった。 しかし、これまで参戦していた魚系の動物は、近接攻撃と飛び道具は使っても 術の類を仕掛けてくる者はいなかった。その経験を当てはめてしまい、 せいぜいあの突起の先から弾を撃つ程度の攻撃しか想定していなかったのだ。 これまでの経験に頼りすぎたこと、それがシュナイダーの命取りとなった。 そして、今更後悔しても後の祭りだった。 「見せてあげるわ、シュナイダーさん。これが私の最強の技…ディープバクリアン」 シュナイダーの真下に、巨大なチョウチンアンコウの目と口が現れる。 先程と全く同じ、下からの攻撃だというのに。 今度は避けるどころか、一歩足を進めることすらできなかった。 「そうそう、この空間はあなたの幻覚でも私の顔は本物よ。 これ、どういう意味かわかってくれるわよね?」 「…や…やめろ…」 先程、何気なく言っていた「お腹も空いてきた」という言葉。 そして下からせり上がってくる巨大な口。 これだけで自分の絶望的な末路を想像するには十分だった。 「それじゃあ… い た だ き ま す 」 「やめろぉぉぉぉぉぉ!!」 …バクリ。 悲鳴ごと包み込むようにチョウチンアンコウの大口はシュナイダーを捕らえ、 その姿を隠してしまった。 それと同時に、催眠術で作られた空間も消滅する…。 大きく膨らんだチョウチンアンコウの体が、波打つように揺れている。 中にいる者が暴れているわけではない。 食べられてから大して時間もたたずに、彼の意識は途切れてしまったのだから。 では、これは何か。 「うんっ、そろそろいいかしらね」 そう言うと彼女は波打っていたお腹の中から、何か「白いもの」を一つ吐き出した。 地表めがけて吐き出されたそれは、コロコロと転がって止まる。 …そう。シュナイダーの骨である。 彼の肉は既に、胃袋の中に溜まった消化液でドロドロに溶かされてしまったのだ。 先程の揺れは胃液の分泌による胃袋の蠕動。 今チョウチンアンコウの腹の膨らみの中に入っているのは、 溶け残った肉と吐き出した分以外の骨。 そこにホワイトナイツの精鋭である、聖なる白狼の面影は残っていなかった。 「うふふ…とっても美味しかったわよ、シュナイダーさん……。ゲェェェップ!!」 吐き出した白骨を見つめながらチョウチンアンコウが呟き、大きなげっぷをする。 視線の先にある骨は、まるで食べたという証拠を残すために わざわざ吐き出されたかのようだった。 「あなたはどうだったかしらね? 私に食べられて…ふふっ」 チョウチンアンコウにとって先の闘いはまさしく「良い結果」となったようだ。 先程の味を思い出し、思わず笑みがこぼれる。 彼女からすればシュナイダーはそれ程のご馳走だったのだろう。 しかし、そのご馳走ももういない。彼女の問いに答える者は、もういなかった…。 「いや、そんな感想を求められても困るんだが」 「あらら、つれないわねぇ」 …ということもなかった。 何故ならシュナイダーはチョウチンアンコウの真後ろにいたからである。 先程の食事が幻だったわけではない。 現にアンコウの腹は膨らみ、骨はそこに確かに転がっている。 亡霊が喋っているとか、別の動物に乗り移ったというわけでもない。 彼の体は食べられる前と全く同じ、実体をもった白狼の体である。 ならば何故こんなことになっているのか、答えはもっと単純なものだ。 「…しかし、生き返らせてもらった立場で言うのも何だが… 正直、あの攻撃手段はないだろ…」 「あら、無茶苦茶な攻撃手段ばかりのこの世界で 今更そんな事を言うのは野暮じゃないかしら?」 「いや、それはそうなんだが…」 …そう。生き返らせたのである。それも何も特別な能力ではない。 これはアニマル界において闘いに身を置く動物たち全てが使える能力なのだ。 そんな能力でもない限り、相手が死んでもおかしくないレベルの技ばかりある この世界で「闘いを楽しむ」など、不可能に近いだろう。 無論、生き返らせるのには制限もあるが、少なくとも 闘いで死なせた相手を蘇らせることに不都合することはない。 余談だが、ゴルザードの禁断の秘術やサンゴ師匠の復活は この能力を応用してグレードアップさせたものである。 「…一応聞いておくが、俺と一度戦ってみたかった、というのは 別に戦士として憧れて、というわけではなく…」 「ええ、そうよ。一度どうしてもシュナイダーさんを食べてみたかったの」 その言葉を聞き、シュナイダーは項垂れた。 誉れ高い栄誉でも何でもなかった、ただ食べ物として気に入られただけだったのだ。 項垂れた時に「元々自分だった白骨」が視界に入り、 余計に気が滅入っているように見える。 「でもね、シュナイダーさんが凄い戦士というのはよくわかっているわよ。 今回は不意打ちみたいな形だったから美味しく食べられたけど、 二度目はそう簡単には食べられそうにないもの。 だから今後もあなたを食べられるように…」 「わ、わかった、お互い頑張ろうな。また戦おう、じゃあな」 「ふふっ、ありがとう! じゃあね〜」 いい加減、食べ物扱いにウンザリしたのだろうか。 チョウチンアンコウの言葉を遮るように、半ば引き気味に再戦の約束をすると 逃げるようにその場を退散するシュナイダーであった。 「…やはり、おかしいんだろうな」 一匹でトボトボと歩きながら、シュナイダーは先程の様子を思い出していた。 大きな口の中に収められた時の質感、胃袋の中で味わった胃壁の圧迫感、 そして自らの肉を消化していく胃液の痛み…。 恐怖や苦しみを感じながらも、それ以上に湧き上がってきた感情。 「…そんなものに快感を感じてしまうなど、ホワイトナイツとして… いや、それ以前に動物として問題があるよな…」 そう、先程逃げるように退散したのは気が滅入ったからでもウンザリしたからでもなく 「食べられたことに興奮したのを悟られたくなかった」からである。 取り敢えず今回は気付かれずに済んだが、もう一度戦おうという話になったら 今の状態では確実に先程の技が来た時、わざと避けずに食べられてしまうだろう。 そうなれば相手に被食願望がバレる。それがもし巷に広まってしまえば… いや、それ以前に再戦の約束をした時点で既に感付かれたか? 「い、いかん…! 取り敢えず今はこの事について考えるのは後回しだ! そうだ、シュバルツ! あいつに会いに行く為にここを通っていたんだ、 まずはあいつの用事を…」 …ふと彼の脳内に、とある考えがよぎる。 そう、彼とシュバルツは「趣味がよく合う」のだ。 もしも今自分に生まれた趣味もまた、よく合うものだとしたら…。 「…要するに俺一匹だから恥ずかしいんだよな。 あいつがアンコウに食べられて、俺と同じような感情を抱けば… よし、試してみる価値はあるな! やってやろう!」 こうして、聖なる軍団の参謀に正義の味方には相応しくない性癖が生まれた。 これが彼にとって「良い結果」となったのか。 それは結局彼の価値観次第なので、外野は口を挟まないことにしよう。 おわり |