どこかにある辺境の森。 とりわけ珍しい特徴があるわけでもなく、この辺一体の樹木はみな大きくもないが、 森自体の大きさは決して狭いわけでもない。 そんな感じの……それこそどこにでもあるようなごく普通の森だ。 季節は春を迎えて、森の中では陽気が漂い…… 色取り取りの春に実をつける木の実が、まだ熟し切れていないものも含めて木々の枝を重くしならせている。 それら木の実に多くの生き物たちが群がっていた。 皆が思い思いに好きな木の実を囓り、溢れる果汁がこぼれ落ちている。 だからみんな気が付かない。 甘い木の実の香りに紛れて、漂う危険な香りに…… ”ガサガサ” 今一匹の生き物が夢中で木の実を食べている。 そんな彼に向かって忍び寄るのは、腹を空かせた肉食の生き物が一匹…… 木の実に夢中な獲物に彼等は忍び寄り、襲い掛かる。 「……………っっ!!!」 森の中で、悲痛な悲鳴が木霊した。 ※ ※ ※ 「ピカ?」 その悲鳴を聞き一匹の小さな生き物が足を止める。 特徴的な鳴き声と、尻尾……『ピカチュウ』と呼ばれる電気ネズミ。 愛くるしい外見とは裏腹に意外と危険なポケモンとしても知られている生き物で、 丸く真っ赤なホッペに電気を蓄え、それを狙った獲物や敵に向けて放ち、相手を感電させる力を持っている。 この森の中では特にピカチュウ達が多く生息しており、彼はその中の一匹だ。 そして、先ほど響いた悲鳴も同じ…… 「……チュウ」 ピカチュウは暫く棒立ちで、仲間の悲鳴が聞こえていた方を見つめていたが、 生憎と何時までも気にしている暇はない。 一度前を向くと、彼が再び後ろを向くことはなかった。 今はかくれんぼの最中で、仲間内で良くやる遊びの一つなのだが。 遊びとはいえ、当人達は真剣そのもの……というのも、これは捕食者達から身を隠す訓練も兼ねていて、 当然負けたら罰ゲームがある。 それは何かのお手伝いだったり、勇気試しだったり、なけなしの木の実を渡すことになったり。 だから隠れる方も見つける方も必死だ。 それに素早く身を隠すのに最適な場所を探し出すのは、意外と骨が折れるものだ。 本当なら立ち止まっている暇もない筈なのだけど、 悲鳴に気を取られて足が止まったピカチュウは他の皆より少し行動が遅れてしまった。 もうすぐ鬼が動き出す時間だ……それまでに身を隠しておきたい。 そう考え走るピカチュウの首には何かが揺れている。 ……緑に光る石。石英だろうか? それに草の蔓を巻き付けて、即席のペンダントにして身に付けていた。 日の光を受け、キラリと光る石は……意外なほど彼にお似合いのアクセサリーだ。 『緑の石は幸運を呼ぶ』そんな噂を何処かで聞いたことのあった彼は、このペンダントをいたく気に入っていた。 実際にどうだったのかといえば…… かくれんぼは連戦連敗と散々な結果だったりする。 それでも彼は今もペンダントを手放そうとはしなかった。 効果はなくても験担ぎ(げんかつぎ)として、この綺麗な石は彼の宝物だったから…… ”ガサガサ” 「ピカァ?」 鬼が動き出す時間ギリギリに運良く見つけた手頃の茂み。 ピカチュウは『先客は居ないよね?』と声をかけると茂みの中に入り込む。 少し葉がチクチクして居心地は決して良くはなかったけど、尻尾の先までスッポリと隠れられた。 今回はここを隠れ場所として、彼は身を潜める。 ※ ※ ※ ……あれから三十分が過ぎ去った。 その間に鬼が彼の隠れている茂みのすぐ前を通り過ぎること……実に四回。 運良く……まだ、見つからずにすんでいた。 しかし、他の仲間達は着実に見つかっているようで、 見つかった仲間の声が、時折…彼の隠れている所にまで聞こえてくる。 「……チュウ」 そろそろ自分も見つかる頃かなと、ピカチュウは小さく溜息を洩らす。 罰ゲームは一番最初に見つかったものだから、今すぐ見つかっても特に問題はない。 そんな諦めにもにた気の緩み…… それを引き締めるかのように、すぐ近くの茂みが音を立てる。 ”ガササッ!” 見つかるかも知れないという緊張感が、ドキドキとピカチュウの鼓動を高鳴らせる。 やはり……勝負事は一番になりたかった。 鬼をやり過ごすため、ピカチュウは今まで以上に息を潜めていく…… しかし、茂みを揺らす音は大きくなり、明らかに彼の元を目指してきている。 見つかりたくはないが、どうにもやり過ごせそうにはなかった。 そして、ついにピカチュウは見つかってしまう。 ”バサァッ!” 「……ピッ?」 「シュー……ペロペロ」 鬼と向かい合ったピカチュウは硬直する。ピンッと立った尻尾が彼の驚きを如実に示していた。 茂みから顔を覗かせたのは彼の仲間などではない。 むしろ彼等の天敵……本物の鬼が茂みから顔を覗かせている。 「シャー!」 「ピ、ピカァ!」 激しい争いが始まったのか、ガサガサと激しく藪が揺れ始め、 両者の鳴き声が騒がしく森の中で響き渡り、ピカチュウの電撃が藪の中からあらぬ方向へと放たれる。 ついには二人とも絡み合うように藪の中から転げ出てきた。 ゴロゴロと両者は地面を転がり、ついに戦いの全容が明らかになる。 この激しい戦いはピカチュウが劣勢だった。 元々素早い動きが武器であるピカチュウが、地面に横倒しになっていては力を十分に発揮できるはずもない。 電撃の狙いは定まらず、襲撃者のいいように翻弄されているようだ。 それでも諦めまいと必死の抵抗を試みているが、襲撃者の長い身体が徐々に巻き付いて、 ピカチュウの無駄な抵抗を押さえ込んでいく。 五分と経たずにピカチュウは文字通り、手も足も出なくなってしまった。 ”ギシリィッ” 「……ピッ……カァ」 身体の骨が軋む音がする。ピカチュウの身体に幾重にも巻き付いた紫の長い身体が、 ギリギリと徐々に締め付けを強くしているのだ。 満足に呼吸も出来ず、ピカチュウの口が浅く開いて小さな舌が覗いている。 口元から垂れた涎が頬を伝いゆっくりと地面を濡らした。 それを見下ろし、ペロペロと先の割れた舌を覗かせる襲撃者の正体は、 『アーボ』という、蛇の姿をしたポケモンだ。 森の中に住む捕食者の中で、小型のポケモンを好んで餌食にしているピカチュウたちの天敵! たちが悪いことに此奴らは地面を這って移動するため、まったく足音がしない。 油断した獲物に忍びより、恐ろしい早さで筋肉の塊である胴体で巻き付き、締め上げるのだ。 一度巻き付かれたら最後だ……死の抱擁から逃げることなど出来はしない。 まさに今のピカチュウのように…… 「ピ……カ………ゥ」 「シュ〜」 早くも息絶え絶えになり始めたピカチュウの様子を探るように、アーボの無機質な目が光る。 独特の呼吸音を響かせて、じっくりと獲物が弱るのを待っているのだ。 待ちきれないと浅く開かれた口に涎を滲ませて。 そして、更に数分後…… 「…………」 意識を失ったのかピカチュウはまったく動かなくなった。 それを確認したアーボがとぐろを解いていくと、ピカチュウの手足がずり落ちる。 全身に巻き付かれた後が痛々しい痣になっていた。 此処からは楽しい食事の始まりだ。 アーボは己の身体をくねらせて、変わり果てたピカチュウを食べやすい位置に調整をしていく。 ずっとアーボは喋らない。先の割れた舌をしばしば出し入れさせるだけだ。 よくよく見ると、不自然なほどアーボの身体が太く見える。 数十分前にピカチュウが聞いた仲間の悲鳴……もしかしたら、その犠牲者がこの中で…… ……考えるのはよそう。それにしても妙に静かだ。 沈黙が周囲にも伝染したかのように…… そうしている内に、ピカチュウの頭が上手い具合に持ち上がり、 アーボは自分の口を獲物の頭にあてがい、その大きさに合わせて顎を外して大きく開いていく。 獲物を頭から丸呑みにして、アーボの頬の肉が柔軟に伸びていった。 ”……ズル……ズル” ついには頭が呑み込まれていき、アーボの喉元が醜く膨れあがる。 ピカチュウの頭部の形に浮き出た膨らみは見るに堪えない。 貪欲に獲物を呑み込むため、顎を外して大きく開かれたアーボの大口は獲物を音もなく呑み込んでいく。 それこそ尻尾の先まで綺麗に喉の奥へと吸い込まれ…… ついに喉を鳴らすこともなく、アーボは静かに食事を終えた。 ”……ズブ……ッ……” 外れていたアーボの顎が元に戻り、収縮する筋肉の動きが呑み込んだ獲物を胃の中へと滑り込ませる。 獲物を呑み込み始めてから、僅か数分の出来事だ。 たったそれだけの短い時間でピカチュウが一匹、また捕食者の餌食となった。 僅かながら蠢くアーボのお腹の膨らみがその証明である。 その分だけ随分と身体が重くなっただろうが、アーボは速やかにこの場を立ち去っていく。 お腹の膨れた状態では、次の瞬間に自分が獲物になるかも知れないからだ。 藪の中へアーボが姿を消すと、森に音が帰ってきた。 生き物たちの声に風の音……それまで怯えるように姿を隠していた音達が、 まるで何事もなかったかのように…… 二人が争い乱れた草むらも直にその痕跡すら消えてしまうだろう。 ただ……争っている最中に紐が千切れたのか。ピカチュウが身に付けていた緑の石が地面に転がっている。 アーボに呑み込まれていったピカチュウの姿を最後まで見届け、 持ち主がいなくなった後も、空高く登った日の光を受け綺麗な緑色の光を放ち輝いていた。 ……と、その石を誰かが拾い上げる。 しげしげと物珍しそうに石を眺め、まるで魅入られたように石を持ち去ってしまった。 再び新たな主を得た石は、その者と共に森の中へと姿を消していき…… 悲劇が再び。 それは石が新たな持ち主の手に渡り数ヶ月経った頃だった。 石の持ち主が暢気に昼間からうたた寝をしていると……隙を付くように忍び寄る影。 逃げる暇も抵抗する事も出来ずに襲われ、食べられてしまう。 満腹になり満足げに腹を膨らませる捕食者の傍らに、あの緑の石だけを食べ残して…… これは偶然などではなかった。この緑の石はこのように持ち主を犠牲にして 新たな持ち主の手へと転々と渡り歩るき、この森にたどりついたのだ。 ……魔性と言ってもいいかえてもいいほどの魔力秘めたこの石は、幸運の石などでは決してない。 むしろ、不幸を呼ぶ石と言った方がいいだろう。 不幸を呼ぶ緑の石はこののちも転々と森の中をさまようこととなる。 そして……一年が経った頃。 不幸を呼ぶ緑の石は幾多もの犠牲を生み出した末に、ピカチュウと呼ばれる生き物の手に再び渡っていた。 ※ ※ ※ まるで何かに追いたてられるように一匹のピカチュウが森を走っている。 上下に揺れる尻尾には古い小さな傷跡が見えた。 「ピカッ、ピッ……ピッ……」 息を切らしてピカチュウは木の影に身を潜め、暗雲が立ちこめる空を見つめる。 辺りには激しい雨が降り注ぎ、稲光が不規則に森を照らす。 ……何も見えない。 それでもある危険な生き物に追われている彼は不安を隠しきれなかった。 そもそもどうして自分がこんな目に会わなくてはならないのか? 余りにも理不尽な状況に、目に涙が浮かんでいる。 やりようのないストレスをピカチュウはある自分の持ち物にぶつけた。 ”バシャッ” 手荒く尻尾に巻き付いていたあの不幸を呼ぶ緑の石を、泥だらけの地面に投げ捨てる。 この石に出会ってから、もうすぐ半年ほど経つが…… 石が呼び込む不運は日を追うごとに、危険の度合いが上昇し続けていた。 毎日が危険と隣り合わせで、ピカチュウは死の危険にも何度も巡り会い運良く生きながらえてきた。 「ピッ!」 ピカチュウは続けざまに電撃を石に向けて放つ。 その衝撃で吹き飛ばされ、泥にまみれ無惨にも地面を転がっていく緑の石には、 かすり傷すら付いていない。 何時もそうだった。これまでに何度もこうして捨てようとしても、この石は無傷で彼の手元に戻ってくる。 一度主と決めた者からは決して離れないのだ。 遠くへと転がっていく石を見つめるピカチュウの目には、おぞましいものを見る恐怖が浮かんでいた。 そもそもこの石をピカチュウが拾ったのはただの偶然だった。 森の中を走り回っていて、気が付くと尻尾に違和感を感じ振り向くと緑の石に括り付けられた紐が、 尻尾に絡みついていたのである。 それからというもの、いくら捨てても戻ってくるこの石にピカチュウは恐怖に近いものを抱いており、 普段尻尾に括り付けているのも、出来るだけ身体から遠ざけたいからだ。 ”ピッシャァァーーン!” 「ピカァッ!」 轟音と共に雷が大地に降り注ぐ。その衝撃波にはじき飛ばされたかのようにピカチュウは尻餅をついた。 本来電気を操るポケモンである彼だが、此処まで大きな雷は怖い。 そして、それ以上に……ピカチュウは雷雲の中に見え隠れする相手に恐怖の視線を向けた 今のピカチュウには大きな絶望が迫ってきている。 彼が逃れようとしている訪れた死の危険。それは『レックウザ』と、呼ばれる伝説のポケモンであった。 頭部だけでもピカチュウの倍以上の大きさで、蛇のように長い体はかなりの長さに及ぶ。 その巨体は並のポケモンなど比較にもならない…… 天候を操るという伝説も恐らく本当だろう、レックウザが姿を見せた途端に 綺麗な月夜が陰り、どす黒い雷雲が空を埋め尽くしたのだから。 ただ、このポケモンは通常遙か天空の彼方…… 成層圏というピカチュウたちとは全く別次元に生息しているはずなのである。 どうしてそんな相手に一介のポケモンであるピカチュウが追いかけられなければいけないのか? 理由は分からないが、いくら逃げても雷雲と共に追いかけてきて…… まるでピカチュウを狙うように雷が降り注いでくるのだ。 そんな鬼ごっこが小一時間ほど続いていた。 「ピカチュゥ……!」 今にも泣き出しそうな彼だが、意を決して大木の下から飛び出して駆け出した。 いつ何時彼の隠れている大木に雷が落ちるとも限らないからだ。 ぬかるんだ大地を必死に駆けて……駆けて……駆けて転ぶ。 ”ドチャッ!” ぬかるんだ大地に足を取られ、盛大に転ぶ。 泥を巻き上げ、全身にそれを浴びて泥だらけ。 「ピカチュ〜ゥ」 口に入った泥をいやそうに鳴きながら吐き出す。 っと、目の前にすさまじい雷が! その衝撃波に弾き飛ばされ、ピカチュウは目の前が一瞬真っ白になった。 文字通り世界を真っ白に染めあげた稲光が、再度轟音とともに大地に突き刺さり、近くの木をへし折る。 折られた木ははいつくばるピカチュウの真上にゆっくりと倒れていく! 危険が迫る中……ピカチュウはまだ冷静さを保っていた。 倒れたまま痛みをこらえ、四肢に力を込める! そして、跳んだ。 「ピ……カッ!」 電光石火の跳躍、倒れたままで短い距離を飛んだだけだが、かろうじて倒れてきた木をよける。 受け身をとる余裕すらなくて、またもや頭から泥の中に顔をつっこんだが、代わりに生き延びた。 「ピカチュウッ!」 全身に激しい痛みがあるが構わずピカチュウは立ち上がると、その場から駆け出していく。 一泊遅れて、巨大な何かがピカチュウの代わりに折れた木を巻き込み締めあげる。 ベキベキと音を立てて木がへし折られていく音に振り返れば、 レックウザが太い胴体を木に絡み尽かせ、軽々とへし折っていた。 無惨にも砕かれた木片が周囲に散らばっている。 青ざめた顔でレックウザの顔へと目を向けると…… 獲物を逃したことを悔しがるように、凶悪な顔を彼に向けてくる。 「ピッ……ピ、ピカチュウッ!」 その怒りに恐怖を抱き、わき目もふらずピカチュウは逃げ出した。 立ち直れず木のそばから逃げ出すのが遅れたら、 彼もへし折られた木と共に巻き付かれ運命を共にしていただろう。 命を賭けた追いかけっこはまだ続く。 ※ ※ ※ 「キシャァァ……」 遠ざかるしとめ損なった獲物が遠ざかるのを見据えながら、自らへし折った木を荒々しく投げ捨てると、 長いからだをくねらせて宙を泳ぎ、雷鳴とどろく雲海へと上っていく。 レックウザはまだ獲物を諦めてはないのだ。 口からのぞく鋭い牙、長い舌が獲物を求め、稲光の光を浴びて怪しく鈍く光っていた。 ※ ※ ※ 決して空から見つからない場所、地上からも見つからない場所に隠れ場所を探して、 大きな大木の生い茂る枝葉にその場所を見つけた。 「ピィ〜」 太い木の枝に跨り、幹に背を預け胸をなで下ろす。 ここなら見つからないはずだと。 雷雨は未だ続き、雷がこの木に直撃する可能性もあるが、この場合……雷より、 明らかにレックウザの方が驚異だった。 「ピカッ?」 さらに幸運はピカチュウに味方する。 あれほど激しく降り注いだ雨の勢いが弱まり、遠くの空からきれいな夜空がのぞき始める。 これ落雷の心配も消えた。 そう思って、ふと右を向けば…… 「ピ?」 どうしてそこにそれがあるかわからなかった。 雨宿りをしていた先客のヤミカラスが、くわえている物に目がいく。 きれいな緑の石。 やらないぞとヤミカラスが警戒する目をピカチュウに向けているが、 彼としては欲しければどうぞという気分である。 「グガァァァアアア!」 晴れ渡った夜空を切り裂くほうこうが二人の身をすくませた。 ピカチュウは月の見える夜空に目を向け、 ヤミカラスは緑の石を捨てて、一目散に飛び去った。 再び舞い戻った不運を呼ぶ石。 その魔力が発動する。 月の光を受け目映いばかりの緑色の輝きを放つそれに、レックウザが気が付き 凶暴な光を湛える双眸がピカチュウをしっかりと捉えたのだ! その凶暴な意志……レックウザのプレッシャーにピカチュウは酷く混乱した。 「ピ、、ピカ……ビカァァ!!」 どうしてこの石がいつまでもつきまとうのか? どうしてあんな化け物が自分を襲うのか? どうして自分がこんな目に遭わなければならないのか? とにかく生き延びるためには逃げなくてはならない。 「ピッ!」 一目散にこちらを目指して迫るレックウザから目を離し、ピカチュウは急いで木から降りようとする。 急げばまだ間に合うはずだ。降りさえすれば、素早く森の中に逃げ込める。 少ない望みに身を託し、木を降りようと幹にしがみついた拍子に尻尾にふれた緑の石がそのまま張り付く。 ピカチュウは気がついていない。 まるで緑の石はレックウザを呼び寄せるかのように光輝く。 夜空に浮かぶ月の光を一心に受けて。 レックウザはその光を頼りにピカチュウのいる大木に肉薄する。 惑わされることがないから、その早さはピカチュウの予測を遙かに上回っていた。 ”シュルルルル!” 木の先端から螺旋を描くように巻き付いていき、レックウザが大木を駆け降りる。 恐ろしい早さ、瞬く間にピカチュウに追いついた。 逃げ道を塞ぐように太い胴体が大木の幹を締めあげる。 「ピッ……ガッ!」 数メートルだった。 あと数メートル降りることができていれば、飛び降りて一目散に藪の中へ富を隠すことができたのに…… ”ビキビキッ!” ピカチュウがしがみついている大木が折れていく。 垂直だった大木が水平に持ち上がり、降りられない高さまで持ち上げられていった。 怪我をすることをいとわずに飛び降りていれば、 運命も少しは違っていたかもしれないが、それもすでに無理、閉ざされてしまった。 「……ピ、カ、、、、チュウ」 大木の半ばにしがみつき、落ちないようにするのが精一杯だった。 段々と地面が遠くなっていき……そして止まった。 変わりに背中に触れてくる生暖かく湿った風が、ベットリとピカチュウに冷や汗を流させる。 そして、恐る恐る上目ずかいにレックウザを見上げると…… 「キシャゥ!!」 「ピッ!」 巨大な口から放たれたレックウザの鳴き声は、竜の咆吼である。 竜の咆吼を浴びたピカチュウは、より強い恐怖で心を締め付けられ相手の目に釘付けとなった。 締め付けられているわけではない。体が動かないわけでもない。 なのに逃げることが、逃げようとする気すら起こらない…… 漆黒の闇に浮かぶ月のようなレックウザの瞳に睨みつけられ、 恐怖におびえるピカチュウの姿は、圧倒的な捕食者を前にして身がすくんだ獲物そのものの姿だった。 ”グバァア!” そんな獲物の目の前でレックウザが口を開け放つ。 限界まで大きく裂けた口の端には上顎と下顎を繋ぐピンク色の皮膜が覗き、月明かりを浴びて鈍く光る 無数の牙の間から大量の涎が口元から溢れる。 ……同時にだらりと先の尖った舌が口から滑り落ちて垂れ下がった。 無秩序にこぼれ落ちていた涎が舌を伝い、重力に引き付けられ舌先から滴り落ちていく。 「グルルル」 うなり声が喉の奥から響き、白く靄のかかる湿った息が吐き出され、 余りにも小さすぎるピカチュウの身体を湿った吐息がスッポリと包み込んでしまった。 その生臭さにピカチュウの全身の毛が総毛立つ。 「ピ……ピカァァア!」 赤い頬から恐怖のあまり電気がほどばしり、力一杯幹にしがみついて泣き叫んだ。 来るなと言わんばかりに尻尾を振り、懸命にレックウザを牽制する。 ”ベロリ” 「ピッ!」 勿論そんな抵抗などまるで意にも返さず、涎まみれの舌で容赦なくピカチュウの身体を舐めた。 生暖かな感触にますます強く気にしがみつくピカチュウのお腹の下に、太く長いレックウザの舌先が潜り込み、 幹から引きはがそうと舌に力がこもる。 体格差、各の力……明らかに抵抗できるはずもない。 ”……グッ……ググッ……” そのはずなのにピカチュウはまだ、幹にしがみついている。 恐らくレックウザは遊んでいるのだ。僅かな抵抗を楽しむかのようにあえて弱められた力で。 無表情なレックウザの顔が、今だけは笑っているように見える 「……キシャゥゥ」 「ビカ……ピカァァァ……!!」 遊ばれている。それはピカチュウにも分かっていた。 まるで何時でも食べられるデザートのような扱いを受けて、それでも幹にしがみつくことしかできない。 レックウザにとってピカチュウは食べ物だ。つまり餌なのだ。 小腹が空いたときに、ちょっとしたスナックを食べるような感覚で襲ってもいいそんな相手。 それでも……そろそろレックウザは遊びに飽きてきた。 これ以上楽しそうな反応も出てこないと判断して、絡めていた舌をピカチュウから引き離す。 変わりにレックウザはもたげていた頭をわずかに後ろに引かせ、 その反動で一気にピカチュウに食らいついた! ”バグゥッ! ベキベキ……バギィィ!” 鋭い牙にかみ砕かれ、えぐりとられた部分が無惨な姿をさらしている。 レックウザの口からこぼれ落ちる木片。 この巨大な口はピカチュウごと、大木を半ば喰いちぎってしまった。 「…………っ!!!」 「グルゥ……クチャ……クチャ」 レックウザが口を上下する度に生々しい音が響く。ピカチュウの悲鳴はその物音にかき消され、 牙の隙間からさらに木片がこぼれ落ち、何か光る者が一緒にこぼれ落ちていった。 あの緑の石だ。 ピカチュウの尻尾に張り付き、レックウザを招き寄せて一緒に喰われたはずのあの石が、 木片の影に紛れて逃げ出していく。 まるで、自分の身代わりにピカチュウを生け贄にしたかのように…… ”ゴクッ” 口の中に紛れ込んだ異物をすべて吐き出すと、レックウザは悠々とのどを鳴らす。 呑み下された獲物はゆっくりと細長い食道に通されて、胃袋を目指し突き進む。 わずかにレックウザの胴体が膨らんでいた。 その部分に今し方呑み込まれた獲物が通っている。 たっぷりと涎に塗れ、肉の管の中をズルズルと引きずり込まれるかのように、 ピカチュウは落ちていく。 「……ピカァ」 もう逃れられない運命にピカチュウは絶望する。 ポロリと一際大きな涙がこぼれ落ち、自分より先にレックウザの胃袋へと流れ落ちていった。 生きたまま、意識を保ったまま丸呑みにされ……彼は胃袋の中へと入る。 とても小さな獲物だ、レックウザのような巨大な生き物がとうてい満足できるようなサイズではない。 それにも関わらず、今し方ピカチュウが入り込んだお腹はやけに大きく膨らんでいる。 ……それもそのはずだ。 満足げに舌なめずりをしているレックウザの胃袋の中にはピカチュウだけではなく、 他にも数匹のポケモンが収まっていたのだから…… みんなすでに意識はなく胃袋の中に押し込まれ、胃壁から滲み出る胃液に浸され消化されつつあった。 もしかしたら、すでに消化されてしまい跡形もなくなった者もいたかも知れない。 そして、遠からずみんな同じ運命をたどるのだ。 「……グルゥ……ゲフッ」 一体ピカチュウはレックウザが貪った何匹の目のポケモンなのだろうか? 満腹になり、少し匂うげっぷを吐き出すと、レックウザは速やかに自分の居場所へと帰るため、 天空へと上っていく。 結局……伝説のポケモンであるレックウザが地上へと降りてきた理由は分からずじまい。 意外と単純な理由なのかも知れないが…… レックウザが暴れ回った大地は、まるでそこにだけ嵐が過ぎ去ったかのように荒れ果てていた。 へし折られ打ち捨てられた大木。辺りに散乱する木の実。 それらに紛れ、傍らに光る石が…… |
|
不幸を招くあの石が新たな持ち主を捜し、ひっそりと輝いていた。 The End |