もしも、貴方がこう聞かれたら何と答えるだろうか?

真っ暗な場所、生暖かく湿った空気、踏みしめれば柔らかく沈み込む地面。
そして、周囲の壁が生々しく蠢いている場所。

さぁ、どう答えるだろうか?
少なくとも、彼女は……ニューラはこう答えるだろう。


―― 口の中だと ――


「……いやぁ……もう、いったい何で私が……」

誰かの口の中、ニューラの悲痛な声が響く。
『何で自分がこんな所にいなければならないのか?』そればかりが彼女の頭の中を駆けめぐていた。
ヌルヌルとする肉の壁……恐らく頬の肉壁であろう強靱なそれは、
必死に逃げ出そうと足掻く彼女の手足をたやすく跳ね返す。

ならばと閉ざされている牙の隙間に手を差し込み、
こじ開けようとするが、当然のようにビクともしなかった。

頑丈な肉の檻……そんな言葉が彼女の脳裏に浮かぶ。
暴れ続けたせいで手は痺れ、激しい息苦しさを感じるほど疲れ果てた身体。
ニューラは自分の非力さに悔しそうに表情を歪め、ゆっくりと肉の壁にもたれ掛かった。
それにあわせ頬の肉が僅かに撓み彼女の身体を優しく受け止める。

その感触がニューラの言いようのない不安を煽り、彼女は居心地が悪そうに身を捩るが、
次第に諦めたようにそれに身を任せていった。

「はぁ、はぁ……此奴……絶対に私を出さない気でいるみたい……」

疲れた身体を休めながら手で顔を拭おうとして、気がつき手を止める。
顔はもとより、すでにニューラの全身は唾液まみれなのだ。

「……一体どうしてこんな事に……?」

ベタ付く自分の身体を惨めに感じながら、手に付いた唾液を振り払うと、
ニューラは少しずつ記憶の過去に遡っていく。

(そう、私はあの時湖へ遊びに……)




     ※  ※  ※




「今日も良い天気ね……この湖も凄く綺麗……」

とある湖の畔でニューラは目の前に広がる風景に見とれていた。
吹き付ける風で緩やかに揺れる水面、鏡のように周囲の風景を映し出すさまは、
それに足りるものであった。

時間が立つのも忘れるほど風景に夢中になるニューラだが、不意にハッと気が付く。

「あっいけない! 今日は友達の所に遊びに行く約束が!」

慌てて駆け出すニューラ。
その慌てようが周囲の風景と一緒に水面に映し出されている。
それにもう一つ……水面は彼女以外の生き物をも映し出していた。

慌て駆け出すニューラを空から狙いを定め、
その生き物は、音もなく羽ばたきながらずっと後をつけていく。

自分に忍び寄る危険にニューラは気が付いていない。

「はっ……はっ……怒ってるかな?」

軽快に地面を蹴り走るニューラ。
彼女は走ることには自身があり、中々の健脚ぶりを見せているが、
そんな彼女の足を持ってしても到底時間に間に合うものではなかった。

ニューラの脳裏に怒って角の生えた友達の姿が浮かぶ。
普段は気の良い友達なのだが、時間にはとても五月蠅い性格で、
度々遅刻する彼女は何度も友達を怒らせていた。

彼女の経験上……これだけ遅れたのなら、どれだけ友達が怒るのかたやすく想像が付き。
想像に走りながらも彼女は身震いする。

『少しでも早く! 友達の機嫌を損ねる前に!』と、ニューラは必死に足を動かしていく。
暫く走っていると広い草原に出た。

見通しの良い本当に広い草原……
ニューラの友達はこの近くに住んでいるはずだった。

「はぁ……はぁ、あと……もう少しね」

急いでいるせいでさすがのニューラも息が上がっている。
それでも、もうすぐ目的地に到着すると休まず足を動かした。


だが、ニューラは未だ気が付いていない。
湖からずっと後をつけてきている生き物がいることに……

まるでニューラが疲れ果てるのを待っていたかのように、その生き物を大きく翼をはためかせる。
次の瞬間、姿が霞むほどの早さで急降下。

高速で流れる視界の中、ニューラの姿をしっかりと捉え、
その生き物は大きく口を開く。
自身が巻き起こす突風で、涎が頬を伝い背後に流れるが気にも留めない。

圧倒的なスピードの差……その生き物に取っては、
走っているだけのニューラなど止まっているも同然であった。

一瞬で間合いは詰まり、
二人の姿が交差するその瞬間に……


バグゥッ!


ニューラの身の丈以上の大口は閉じられ……
彼女の身体は草原から、その大口の中へと消え失せたのであった。




     ※  ※  ※




(ああ……私……あの時此奴に食べられたんだ……)

半分蕩けたような頭で、ニューラはようやくその事に気が付くことが出来た。
しかし、気づくことが出来たからと言って、この口から逃げ出すことは出来ない。

だが、望みも僅かに存在していた。

「だけど…此奴……私を呑み込もうとしない……?」

口内に溜まった唾液に下半身が浸かりながら、ニューラが試すように右足に力を入れる。
グチュッと柔らかな舌が凹み、足が付け根まで埋まってしまう。
拍子に溜まっていた唾液が流れ込んだ。

「ひぅ……うくっ……気持ち悪いわね……」

右足を包み込んだヌルヌルとした唾液と生暖かい肉の感触が、
背筋にゾクゾクとしたモノを走らせ、ニューラは思わず喘いだ声を出してしまう。

「うぅ……あんまりやりたくないけど」

かなり気持ち悪さが彼女を襲っていたが、我慢して埋めた右足を何度も強く舌に押し付ける。
それに何の意味があるのだろうか?
ニューラが右足を動かす度に溜まった唾液が生々しい音を響かせる。


グボッ……グチュ〜……


「あぅ……ひぐっ……もう、少し……」

再び走る感覚にニューラは頭がおかしくなりそうだった。
それでも舌を刺激する行為を止めない。

これは実験であった……この口の持ち主の意志を確かめるための。


グチュッ!


「ひゃっ! うぶっ!」

ついに巨大な舌が動き出し、いい加減にしろとばかりにニューラを取り押さえにかかる。
自分を取り押さえようとする舌に、ニューラは自分の背を押し付けそれに耐えた。

「ん……ぐっ……なんて……力なの」

必死に堪えるニューラだが、徐々に身体が折れ曲がり始める。
右足を舌に埋めているせいで、殆ど踏ん張りが効かないのも原因であった。

巨大な舌が自分を押さえつけようと力強さを増す度に、背中に強く感じてしまう柔らかな感触……
だからこそニューラは気が付いた。

「……っ! いやっ!」

とっさに気が付きニューラが素早く右手を上げる。
間一髪、背中から折り返してきた舌先が、彼女の顔に届く前に右手に遮られ寸前で止まっていた。

「……くぅ!」

苦しそうな呻き声が巨大な口内に響く。

両手両足、背中頭部……自分の身体全てを使って、
押さえつけようとする舌に対抗するニューラ。

舌を刺激しすぎたら、こうなることは分かっていたはずなのに、
彼女はどうしてあんな事をしたのであろうか?
とにかく今は、必死に抵抗を続けて……

「えっ? キャッ!!」

一際大きな悲鳴が響く。
突然持ち上がった舌にニューラは体制を崩して前のめりに突っ伏した。
顔が埋まり呼吸が止まる。

「んぐっ…うぷっ……あぐっ!」

空気を求めて顔を上げようとしたとき、
ニューラは持ち上がった舌によって上顎に強く押し付けられてしまった。

「ああ……う……く、くる……しい……」

上顎は舌とは違い、それなりの堅さを持って身体を押しつぶす。
舌は上顎とは違い、かなりの柔らかさを持って身体を埋めてしまう。

「……息……させて……お願い……」

二つの違う堅さの肉壁に挟み込まれ、ニューラは呼吸を求めてもがき続ける。
その動きが次第に緩慢になり始めた所で、ようやく解放された。

「あっ……はぐっ! ハァ……ハァ!」

力の入っていない身体が、上顎から剥がれ落ち舌の上に叩きつけられる。
柔らかな舌の御陰で怪我はしていないが、ようやくありつけた空気をニューラは貪るように吸い込んだ

数分それを続けたところでようやく呼吸が落ち着く。

「……ふぅ……助かった……」

状況は変わってはいなかったが、ひとまずニューラは無事に感謝した。
そして、やはりと確信する。

「やっぱり……此奴……私を呑み込む気がないみたい……」

いくらでもチャンスがあったはずであった。
さっき空気を貪って動きが止まっていた時など、絶好のチャンスだったのに……

何故だか分からないが、それだけでも分かるとニューラは少しだけ安心できた。
だが、長くは安心出来ない。
この生き物の気が変わり呑み込まれないとも限らないからだ。

それに……

「あっ…いや! あぅ……あぅん……」

ニューラがちゃんと起きているか、調べるように舌が軽く身体を擽る。
出したくもない喘ぎ声が口から漏れ、思わず悶えてしまった。

舌の行為は直ぐに収まったが、余韻でニューラの身体が僅かにビクついている。

「はぁ……はぁ……ひぐっ!」

ニューラは荒い息を吐き出しながら思っていた。
気持ち悪いこの場所から抜け出したい……そうしないと……

(んくっ……早くしなきゃ……じゃないと私……)

次第に芽生え始めた感覚…今の気持ち悪いと思う自分の正常な感覚から、
唾液と舌に弄ばれることが快感に思ってしまう感覚に、自分が変化してしまいそうだから。




     ※  ※  ※





それから、ニューラは必死の抵抗を続けた。
出してくれと必死に懇願し、ダメなら暴れたりも、再び両手で口をこじ開けようともした。
その度に声は無視され、暴れても強靱な肉壁に跳ね返され、口は頑なに閉ざされたまま。

「はぁ……はぁ……もう駄目……」

この口にニューラが収まってから、そろそろ三十分ほどが経過する。
精根尽き果てた身体は彼女の意志を離れ、自然と舌の上に仰向けに倒れ込んだ。

もはや何かをするための力もなくニューラは荒い息を吐き出し続けるだけ……

(……もう、此処の空気に慣れちゃったみたい)

何処か他人事のようにニューラは心の中で呟いた。

此処の湿った独特の匂いのする空気が不快でなくなり、今では普通に呼吸が出来る。
時折思い出したように身体を擽る舌にさせるように舐めさせたり、
自ら手を絡め柔らかくヌルヌルとした感覚を楽しめるまでにもなっている。

それに、もはやこの口から出ようとする気が薄らいでいることに気が付いていた。
置かれた異常な状況に身体が次第に適応していっているのだ。

「そういえば……未だ、待ってくれてるのかな……?」

心に余裕が出来た御陰かニューラは友達の顔を思い出していた。
彼との思いでが走馬燈のように、記憶の底から湧き上がり消えていく。


そして、最後に彼と会った記憶が蘇る


『それじゃ、ちゃんと時間通りにここに来るんだぞ。
 まぁ、お前のことだから絶対遅刻しそうだが……』
『そんなこと無いわよ! 覚えてなさい、絶対遅刻しないんだから!』
『ほぅ……言い切ったな。 なら、遅れたときは覚悟しろよ?』
『いいわよ! 絶対に時間通り行くからジッと待ってなさい!』

自信満々に言い切り、ニューラが友達の元から立ち去る。
其処で彼との思い出は途切れた。


結局、ニューラは遅刻をしてしまい、
このような事態になった御陰で会いに行くこともできなかった……
それどころか……二度と会えないかも知れない。

そう思うと……ポロリとニューラの瞳から涙が溢れた。

今も自分を待って、『遅い!』と怒っている友達の姿が目に浮かびそうで、
ニューラは謝らずにはいられなかった。

「ご免なさい……約束破って……」

震える声で呟かれた謝罪の言葉。
その声には、彼女の思いが沢山詰まっていた。


故に……ようやく巨大な口の持ち主は彼女を許すことに決めた。


「なら、次からは時間厳守だ」
「……えっ? ええっ?」

突然、聞き知った声が耳に届きニューラが戸惑った声をあげる。
そして、あれだけ頑張っても開かなかった口が開いていくのを見て、
さらに戸惑った声をあげた。

「一体……どうして?」
「ほら! さっさと出てくれ、そろそろ俺も舌が疲れた」
「あ……ああ〜! その声……って、きゃあっ!」

舌で突き飛ばされるように口から放りだされて、
ニューラの身体が宙を舞い、地面に落下する彼女を巨大な両手が受け止めた。

手荒いやり方ではあったが、ニューラの身体には傷一つ付いてはいない。
もっともニューラとしては文句の一つも言いたくなるであろうが、そんな体力もないのか?
巨大な手の平の上で突っ伏したまま、ピクリとも動こうとせず。

そんなニューラの姿を見て、巨大な手の持ち主……
カイリューは満足げに頷き、

「よし、大丈夫だな」
「何が大丈夫なのよ!」

あんまりな言葉に、頭に血が上ったニューラが跳ね起きて言葉を叩きつける。
だが、当の彼は平然とした表情の侭で肩をすくめて見せた。

「ほら、やっぱり全然平気じゃないか」
「全然平気じゃないわよ! 何でいきなり私を食べようとしたのよ!

激しい怒りで顔が真っ赤になるニューラ。
凄まじい剣幕をまき散らし早口で捲し立てるが、手慣れたようにカイリューはそれを聞き流す。

一向に堪えているようには見えない相手にニューラも頑張るのだが、
一方的な会話では怒りを持続させるのは難しく。
時間が立つにつれ込み上げる怒りが萎むように消えていった。

其処をねらい澄ましたように……

「落ち着いたみたいだな」
「……何よ……もう会えないかもって泣いちゃったじゃない……」
「まぁ、それは誤る……すまなかった。
 だがな……俺との約束をすっぽかしていたお前も悪いんだぞ」

カイリューの言葉にピクリとニューラの眉が怪しく動いた。
此処にいたり、カイリューが何故自分を食べたのか検討がついたのだ。

「まさか……時間に遅れたから私を食べたの?」

ニューラの目つきが鋭くなり、声も再び険悪さを帯る。
これで迂闊なことを言おうものなら、再び爆弾が爆発しかねない状況だが……

「そうだが?」
「そうだがじゃないわよ!
 ちょっと遅れただけであんな事しなくても良いじゃない!」

まったく悪びれた様子もなく、答えて見せた彼に再びニューラの怒りが爆発する。
だが、間髪入れず口を挟んだカイリューの声がそれを鎮火させる。

「……ちょっとじゃないぞ。……一日だ」
「えっ?」
「えっ? じゃない……お前は一日約束を間違えていたんだ」

少しカイリューの語気が荒くなる。
それはそうだろう……彼は約束の場所でニューラを待ち続けていたのだ。
そう、ニューラとの約束通りに一日中……

律儀に丸一日待ち続けたカイリューの方にも、少なからず問題がありそうな気もするが、
自らした約束を破ってしまったニューラが、一番悪いのは言うまでもない。


何時までも来ない彼女を待ち続け、カイリューも最初はいつもの遅刻かとため息をついていた。
だが、そのまま日が暮れ夜になりしたがって、さすがにおかしいと夜明けまで周囲を探し、
ようやく探し当てたニューラが、湖でぼけっと立ち尽くしているのを見たときは、
さすがのカイリューも呆れてしまった。

「さすがに……何もせずには怒りが収まらなくてな
 しかし、まさか約束の日を一日間違えているとは……」
「うぐっ……ご、ごめんなさい……」

消え入りそうな声でニューラは頭を下げる。

「まぁ、いいさ……俺も少しやり過ぎたようだし」
「んっ……」

落ち込むニューラの頭にカイリューの巨大な手が被さり……
彼女を撫でていく。

「……これで仲直りだ」

続けて掛けられた優しい声。
彼女は何も言わず、その手に甘えるように自分の頭をすり寄せた。

「それじゃ、いくか?」
「……うん」

何処へとは聞かなかった。
カイリューはニューラを自分の肩に乗せ、空に飛び上がる。
彼の行きたいところが、ところが彼女の行きたいところなのだ。

空を飛んでいく彼らの声が風に乗って聞こえてくる。

「ねぇ……私の味どうだった……?」
「ん? 何だいきなり……さすがに長く口に入れすぎたか?」
「んもう……誤魔化さないで答えなさいよ〜!」

二つの声が混じり合って周囲に響き消えていく。

次第に遠ざかり小さくなっていく彼ら……
ニューラを背に乗せてカイリューは何処へ行くのだろうか……?

そして、彼らの姿は空の何処かへ消えていった。


The end

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