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竜と絆の章 4 【火竜の印】
日時: 2009/12/24 23:33
名前: F



コメント

ただ、そこに餌があるから喰らう。
一匹の竜である彼女にとって食事とは、それだけのことだった。
喰らって、喰らい続け獲物の味に飽いた彼女が、真に欲した獲物とは……?


※注意 絆の章においてこのお話しは鬼畜よりとなっています。






作者からのご挨拶。

『初めに言います、またしても長いです。
 とにかく長い。私自身も書いていて本当に書き終わるかと思うぐらい長かったです。
 メモ帳で約180KB
 これを私が最初から最後まで読み切ったら一時間以上かかりました。
 なので、時間があるとき適度に休みながら、拝読お願いいたします。
 
 因みに捕食描写が始まるのは(3)からですが、
 出来ることなら最初から、物語を根気よく読んでくださると嬉しいです』


では、本編をどうぞ……






竜と絆の章 4 【火竜の印】




(1)


〜 古の王国 終末の物語 〜

その王国には一人の王と一人の后がいた。
お互いが足りぬところを補う為に、王は武を司り、王妃は知を司る。

国が乱れると王がその力を使い、国軍の指揮を執り国を守った。
国が安定していれば、王妃がその知恵を使い、政の指揮を執って国を治める。

この伝統は王国がおきたときから続いており、凡そ三千年に渡り守られてきた。


国がもっとも栄えていた頃……新たな王と王妃が即位した。
すでに王妃が王の子供を身ごもっており、経過も順調であと数日ほどで王の子供が生まれる……筈だった。
国を滅ぼす悲劇の原因……それは一匹の竜によってもたらされる。

その竜は国の幸せと共に訪れた。


とある日に王の子供の誕生を祝うため、国民は盛大なパーティーを王と王妃のために催すと、
当然のように王はこれを喜び、そのパーティに参列し皆に祝福を受けていた。
しかし、当事者の一人である王妃は数日後に出産を控えており、
周囲の抑えもあって、お城の自室で城下の祭りを眺めていることしか出来なかった。
どこか寂しげに祭りを楽しむ王妃をよそに、
より華やかに、より賑やかになってくる祭りを楽しむ王は幸せの絶頂にいた。

そんな折に、城から大きな衝撃音が鳴り響く!
祭りは一気に静まりかえった。


慌てて城に帰還した王が見たのは、王妃と多くの従者がいたはずの部屋が
変わり果てた瓦礫の山となっている光景。
そして、王妃が寝ていたはずのベットに丸くなり眠っているドラゴンの姿である。

王は唖然とし、周囲にいる自分の部下を問いつめた。

『何故こんな所に竜がいる?! 王妃はどこに行ったのだ?!』

激しい激昂を見せる王に対し、国の側近達は言いにくそうに事の顛末を告げる。
その言葉は王を絶望の淵へと誘うことになった。


『まず最初に、竜王の子を名乗る一匹の竜が王妃の部屋へと乱入した。
 その時に巻き起こったのが、あの衝撃音である。
 
 部屋を破壊し、中へと入り込んだ竜は王妃に自分の物になれと一方的に告げ、近寄っていった。
 しかし、王妃がそれを拒絶すると、自分の物にならないモノは何も無いと竜が声を荒げ、
 部屋にいた従者に襲い掛かり次々と丸呑みにすると、最後には王妃までも丸呑みにしてしまった。
 
 力づくで欲しいモノを手に入れた竜は、誰も逆らうモノはいないとばかり、
 こうして王妃のベットに寝ているのだという』


立ち尽くしたまま王は側近の話を聞き終えると、徐に腰に下げた剣を抜きはなった。
普通の剣では竜の鱗に傷は付けられない。

だが、この国の王は最強の武人。
その手に持つ剣にも、強力な魔力があり万物を両断する力を秘めていた。
しかし、王妃を喰らった竜は竜王の息子。

手を出せば、竜王にどれほどの怒りを買うかと恐れた側近が王を止めようとしたが、
激昂した王の狂気は手がつけられず、王は竜を斬り殺してしまう。


それから暫くして、息子の死を知った竜王は人に戦争を仕掛けた。
人と竜、異なる二つの種族の争いは、一方的だったという。

空を埋め尽くすかのような無数の竜の軍勢が国に押し寄せ、王国は人々の悲鳴で満ちあふれた。
最強であった王は数多の竜を斬り殺したそうだが、
自ら手をかけた竜の親……竜王の牙にかかり、食い殺されてしまう。

こうして、王国の歴史は瞬く間に幕を閉じたのである。


                                  〜 完 〜


           ※    ※    ※




”パタンッ”


本を閉じる乾いた音が、廃墟となった塔の一階で鳴り響く。
すでに長年の月日で土に埋もれてしまったその場所は、地下といった方がいいのかも知れない。
内部はかなり薄暗く、明かりといえば僅かに地上から光がまばらに差し込む程度だ。
特に夏場の季節でもあることから、蒸し暑く空気も淀んでいる。

お世辞にも居心地がいいとは言えない。
そんな場所にどうして本の音が……?

いや、それよりも声がする。それも複数の人の声が……


「それで首領、その話がどうしたんですか?」
「くくくっ……実はなこの朽ち果てた塔が、この本にある城の残骸という噂があるんだ。
 詳しくは分からんが……とりあえず、お前も読んでみろ」
「あっ! わっわっ……とっ……」

片方の大柄な男が本を手荒く投げ渡し、向かい合っている小柄な男がそれを何回かお手玉し辛うじて受け取った。
両手に収まった本を見て、小柄な男は安堵するとさすがに批難の声をあげる。


「ふぅ……首領はモノの扱いが乱暴すぎますよ」
「つべこべ言わずにさっさとしろ!」
「は、はい!」

しかし、立場がよほど低いのか大柄の男の怒鳴り声一つで、急いで本に目を落とす。

部屋の中はかなり薄暗い筈なのだが、思いのほか本の内容を、読み進める動きに淀みがない。
たまに手が止まるときもあるが、それは次のページをめくるときぐらい。
常に一定の間隔で、パラパラとページをめくる音が、薄暗い部屋の中で響き続けている。


人間なら確実に目が悪くなりそうな行為だが、彼等にはそんな心配は無用だろう。
彼等のどちらもが『獣人』と呼ばれる種族だからだ。

多様な彼等の獣の外見は伊達ではなく、人間とは一線を画すほどの身体能力にくわえて、
視覚、嗅覚などに代表される感覚器官は野生の獣並み。
それらの基本能力は、彼等のベースとなる獣の力によって変わるが、人の基準を明らかに凌ぐ。
そんな彼等を別の言葉に『あえて』言い換えるのなら……
『獣の姿をした亜人間』でも構わない。

もっともそれは彼等にとって、酷い侮辱の言葉となるから注意が必要だ。
獣人達は歴とした人であり、この世界では全ての人々がそれを常識だと同じ世界を生きる仲間として受け入れている。




首領と呼ばれた大男は『狼』
小柄な男は『猫』


それぞれが元となる獣の姿に違いはあるが、共に暗視を備える生き物である。
だから、暗闇の中でも本を読むことぐらい造作もなかった。

それらの要因の御陰で、彼等の中には世界を巡る冒険家……その中でも、
一発当てればもっとも実入りが多い遺跡潜りを、主とする探検家になるものも少なくない。
危険が潜む遺跡には彼等の能力が非常に有効に働くからだ。
だが、その恵まれた能力を悪用し、悪事をはたらく者も……いる。

そして、彼等は……


「……おい。まだか?」
「い、、今読み始めたばかりですよ? もう少し待ってくださいっ」
「……ちっ、早くしろよ」

じっくりと本を読み進めようとする猫の獣人に対して、大きな瓦礫の上にあぐらをかいて座っていた狼の獣人が
痺れを切らしたように苛立った声で急かしはじめる。
どうも待つのが嫌いな性格をしているようだが、様子を見る限り他にも理由がありそうだ。


(たく……とろくさい奴だな)

狼の獣人である彼は冷めた目で相方を見つめながら、軽く溜息をつく。
数週間ほど前までのことだが、彼は……大きな盗賊団の首領を努めていた。

『漆黒』

まさにその名の通り闇に紛れる漆黒の毛並みに、恵まれた体躯と鋭敏な感覚が彼を優秀な盗賊へと成長させた。
それだけでなく狼という種族柄か、意外と面倒見がいいこともあり、
リーダーとしての素質が、短期間で彼を首領という立場まで押し上げることとなった。

気が付けば仲間も増え……五十を超える大所帯の盗賊団にまで成長したまでは良かったのだが、
派手にやりすぎた結果、王国警備隊の討伐対象に選ばれてしまった。
そうとは知らない彼等は、巧妙な罠にかかり王国警備隊の奇襲にあう。
この世界の盗賊に与えられる罰は一つ、死罪のみだ。
その場で斬り殺された仲間や、捕縛されて結果の決まった裁きを受けた者もいるだろう。

だから、彼も必死に逃げた。

逃げる途中で偶然に助けることが出来たのが、目の前の部下一人だけ。
確認したわけでもないが他の仲間は恐らく……
彼は誓った……次は、もっと強固で強靱な組織を作ると、今回の宝探しはその資金集めだ。
こうした確固たる目的が彼にはある。

だからこそ焦りがあり、それがイライラとして噴き出しているのだ。


「おい! まだ……」
「……しゅ、首領……読み終わりました!!」

早くしろと再度声を出しかけた首領を遮り、部下が本を閉じた。
こちらは本を粗末な扱いはせずに、持ち主に返すため傍に歩み寄ると丁寧に本を差し出している。

首領はその本を一瞥すると……


「……こんなもの、一度読めば十分だろ」

差し出された本を無造作に掴みあげ、遠くへと放り投げる。




”ドサッ!”


「ああっ! また本を粗末にして……一体どうして首領は、ものを大切にしないんですか!」
「んなもの、探索の邪魔になるだろうが!」 
「ひっ! ……す、すみません」

閃光のような首領の一喝が、部下の口を一瞬にして閉ざさせた。
その一声で部下は項垂れて肩を落とす。


「どうしても欲しかったらお前にやるよ。
 俺は先に行くから、拾ったらさっさと追いかけてこい」

それでも未練がましそうに、本を見つめる部下の姿に閉口すると、
首領は投げやりのように言葉を投げかけ、座っていた瓦礫の山から飛び降りる。
結構な高さがあったが、足音もさせずに着地すると言葉通り、
一人で奥へと歩いていってしまった。


「あっ……ま、、待ってくださいよー!!

慌てて部下は制止を呼びかけるが、首領はそのまま奥へと消えていった。
一瞬どうしようかと、拾い上げた本を抱きしめ右往左往したが、
どうしても本を諦めることが出来なかったのか、手持ちのリュックサックに本を手早く放り込み……


「首領〜!! 本当に待ってくださいよぉ〜!!!!」

何とも情けない声を出しながら、駆け足で首領の後を追って走り出したのだった。



          ※    ※    ※



あれから追いつくまで少し時間がかかったが、問題なく部下は首領の元へと合流を果たしていた。
いま二人がいるのは、本当に日の差さない真っ暗闇。
完全に土砂や瓦礫で埋め尽くされ、通れなくなった通路も数多くある。

そんな具合だから、ろくに探索が進んではいなかった。



大体そんな調子で瞬く間に一時間程が過ぎ去った頃。


「首領……ところで、本当に噂は真実なんでしょうか?」
「お前、今更そんなことを聞くのか?」

突然に疑問を口にした部下に、首領が首だけ振り返る。
浮かぶ表情は何処か呆れたような顔であり、首領の心情をありありと語っていた。

そして、言ってのける。


「まあ、嘘だろうな」
「へっ!? な、なななっっ……あぅっ!!」

部下にとって首領の発言は衝撃的なものだった。
まさに呆気にとられて、惚けたまま直進してしまい首領が立ち止まったことにも気づかない。
二人の間隔もそれほど離れていなかったことも災いし、部下は目の前の大きな背中に顔からぶつかってしまう。
顔が潰され、何とも情けない悲鳴が響き渡った。

身体の鍛え方がまるで違せいでもあるが、体重差もかなりある。
まさに部下は筋肉の壁にぶち当たり、ものの見事に跳ね返されてしまったわけだ。

対して首領の方は衝撃にも微動だにもせず、


「気持ちは分かるが、お前のような部下を持って俺は情けないぞ……」

尻餅をついて痛そうにしている部下の醜態を目にして、半ばあきれ顔を浮かべている。
こんなドジで華奢な部下と一緒に盗賊団を再建できるのか、彼自身かなり不安になってきた。
昔はそれこそ頼りになる仲間に囲まれていたのだが……
思わず優秀だった仲間と目の前の部下を見比べても、今となっては空しくなるだけで、
自嘲気味に首領は頭を振る。

こんな部下でも、彼の仲間だ。
何処か憎みきれない仲間を助け起こそうと、首領は手を貸した。


「す、すみません……首領……
 でも……嘘だと分かってるなら……何で?」
「いや嘘だと確信している訳じゃない。だが……恐らく十中八九そうだろと言うだけだ。
 お前は知らんだろうが、お宝探して遺跡に潜っても空振りが殆どなんだよ。
 俺も何度か挑戦したことがあるが、有名どころは大抵……先客がいてだな、そいつらにめぼしい宝は……」
「だめだったわけですね……」

それは苦い思い出なのだろう。
盗賊としては腕が立っても、遺跡荒らしとしては素人同然なのだからしょうがない。
それでも無念そうに顔をしかめる首領の表情を見て、
ようやく部下もこの塔に来た目的の真意を察したようだ。


「つまり……あれでしょうか?
 遺跡荒らしは早い者勝ちだから、とにかく早めに手をつけろと言うことですね?」
「そう言うことだ。一応……情報屋には金を掴ませて、
 この噂話は差し止めて貰ってるが、せいぜい二〜三日程度だからなぁ……」

彼等は一番近場の街からこの塔に来るまで二日以上の時間を移動で消費していた。
すでに差し止めの期限が切れていてもおかしくない。
……とは言え、タダでさえ出所の怪しい噂話だ、それほど情報料がかかったわけでもなく、
他の探検家や遺跡荒らしからは随分と先行しているのも確かだ。

それに未だ収穫がゼロとは言え、まだまだ探索を始めたばかりなのだから諦めるには早い。


「さて、そろそろ無駄話は止めだ」
「は、、はい! 首領……頑張って一発当てましょう!!」

いきなり元気よく張り切りだした部下に対して、首領は少し微笑する。
数撃てばあたるような今回の目的を教えたら、部下がやる気をなくすのを恐れて秘密にしていたのだが、
ここまでやる気になってくれるなら、秘密にせずに最初から話した方が良かったかも知れない。

これからは少しぐらい、頼りない部下を信じてみるか。

少しだけ部下の評価を高めながら、歩き出そうとした首領の目に何かが映る。
鈍い光を放つそれに素早く目が動いた。


「……ん? おい、その足下で光ってるのは何だ?」
「えっ……ええ? なんかありますか?」

慌てて部下がその場を退くと、首領は見つけた黒い塊を拾い上げた。
少し古ぼけて、泥や土などで汚れて黒ずんではいたが……


「汚れが酷いな……だが、擦れば落ちる……」
「しゅ、、、首領……それって……?」
「ああ……金貨だな」

しだいに綺麗に汚れが剥がれ落ち、黒い塊だったものが元々の姿を現した。
黄金色に輝くそれに部下の目が釘付けになる。
彼等の世界での貨幣は銀貨が主流となっており、少数だが金貨も流通はしている。

ただし、金貨の価値は桁が違った。


「これ一枚で……銀貨千枚ぐらいか?」
「や、やったじゃないですか! もしかしたらもっと一杯?!」
「落ち着け、良く回りを見てみろ」

明らかに目の色が変わる部下の様子に、首領は落ち着くように諭した。
そんなにいっぱいあるなら、いままで気が付かないはずがない。

事実……念のため暫く周辺を探したが、見つかった金貨はさっきの一枚だけだった。


「見つからないですね……はぁ……」
「そう落ち込むな、望みが出てきただけでも収穫だからな」

肩を落とす部下を宥めながら、首領は軽く握りしめていた金貨をズボンのポケットにしまい込む。
少なくともこの塔に宝があるという可能性が、少しは出てきたわけである。
最悪だと金貨一枚きりだけという可能性もあるのだが、この状況でその考えは邪推だろう。

二人はその後も一階の宝探しを続け、簡単な塔の内部の地図を作成しながらの探索は数時間にも及んだ。

しかし、結局この階層で見つけた宝は金貨は一枚だけ。
数時間の探索は徒労に終わった。

……が、それ以外に一つの収穫を彼等は得ることが出来た。
通常の塔とは違い、やたらと広く複雑な通路を歩いている最中に上の階に続く階段を発見したのである。


「この階に宝はもう無さそうだな、仕方がない……上を目指すぞ」
「首領、了解です!」

二人は見つけた階段を使い、更に上の階へと探索の範囲を広げていった



          ※     ※     ※



―― 朽ちた塔 五階 ――



あれから二階、三階と探索を続けていた二人はついに五階まで探索範囲を広げるに至っていた。
残すは最上階だけなのだが……
ここまでの探索の成果はハッキリ言って芳しくない。

ゲームなどで良くあるように分かりやすく、宝箱でも置いてあるのなら苦労もないのだが、
実際は床や瓦礫の隙間に目を凝らしての地道な探索が必要だ。
それこそ盗人のように、家屋に侵入し盗みを働いていたのならまだ勘も働くだろうが……
彼等は盗賊団である。隊商などを集団で襲い、金品を略奪して逃げるというのが彼等のやり方であり、
こういった家捜しはハッキリ言って苦手な方だった。

それでも見つけ出した金貨が十数枚。
素人にしては中々上出来な成果だと言えるだろう。

はっきり言って、これだけあれば一般人なら一年ほど遊んで暮らせる金額である。




しかし、これでは盗賊団を再建するには足りなかった。

そこで彼等は残された最上階に望みを託して、階段を探し五階を歩き回っていたのだが……
無数の罅割れ、大きな亀裂が走しる石床が彼等の行く手を阻む。




”……ガラガラッ”


「ちっ……此処も崩れかけてるみたいだな」
「はぁ……はぁ……しゅ、首領……さすがにそろそろ引き際では?」

剥離し崩れ落ちた瓦礫を目に、二人は安全な足場までゆっくりと後ずさった。

迂闊に足を踏み出せば床を踏み抜き、数メートルはある下の階へ真っ逆さま。
運が悪いと落ちた衝撃で更に床が陥没し、更に下へ……そうなれば獣人の彼等でも命はない。
特に体格が良く、体重の重い首領にとっては歩くだけで神経をすり減らしていた。
それを考えると尻込みしている部下の気持ちが痛いほどよく分かる。


(さすがに引き際か……だが……)

常に冷静に行動してきた首領の心に迷いが生まれた。
普段の彼なら言葉通り、この辺が引き際だと判断して撤収を計っただろう。

だが、その判断がいまの彼には出来ない……と言うより、選べない。
これまでに見つかった金貨が足かせとなり、あるかどうかも分からない宝に対して欲が吹き出てしまう。
良くも悪くもそう言った欲に縛られるのが人なのだから……

そして、縛られた以上、彼はもう引き返せない。


「ようやく、ここまで来たんだぞ……? 今更引き返せると思うのか?」
「で、ですが首領……いいじゃないですがこれだけで、これ以上は危険すぎますよ!」
「……分かった」

部下の訴えに首領は妙に低い声で答える。
それでも部下はホッと息をつくと、いそいそと引き返すための準備を始めた。
そんな部下を尻目に首領は前に進む。

気づかれないように低く『……すまない』と呟き、慎重にひび割れた石畳に足を踏み入れた。



          ※    ※    ※



「じゃあ、早く引き返しましょう……?」

ようやく準備を終え、リュックを背負い直した部下が顔をあげると目の前に誰もいなかった。
戸惑いながら周囲を見渡し首領の姿を探していると、


「ああ……だが、お前一人で引き返すんだ」
「……えっ? あ……首領…………」

少し離れたところから首領の声が聞こえて、そちらへと顔を向けると絶句する。
一人で石畳を渡って佇む首領の姿と、言われた言葉の意味。

『このままだと、置いて行かれる』

しだいにそれらの意味を理解すると……思わず叫ばずにはいられなかった。


「しゅ、首領! 一体どうやって……それより何で?!」
「止まれ! お前には無理だ!」

思わず駆け寄ろうとした部下を首領の怒声が押し止める。
その声に辛うじて立ち止まった部下の目の前で、床が大きく崩れた。




”……ピシッ……ガラガラッ!!!”


「……あっ」

絶対的な距離、これを飛び越えることは部下の彼では出来ない。
どうにも出来ず崩れた床と、首領を交互に見つめ……その場にへたり込んでしまった。
それを見届けた首領は頭を掻きながら、溜息を洩らす。


「安心しろ、すぐ戻ってくる。 だから、お前は先に外で待ってろ」
「で、、ですが……首領……」
「信用が出来ないなら、これもお前に預けておくよ」

そう言って、首領が小袋をいきなり放り投げた。
拳大のそれは違わず部下の手の中に収まり、ジャリッと音を立てる。

思わず部下が中身を確かめてみると……これまで集めた金貨が全部入っていた。
盗賊団を再建するための大事な資金。
それを預けられると言うことは、それだけ信頼されていると言うことだ。

……少なくとも部下の彼はそう思った。


「念を押しておくが……絶対になくすなよ?」
「は、はい!」

絶対に戻ってくると約束する首領の言葉に、部下は力強く頷いた。
納得したわけでは無さそうだが、彼も分かっているのだろう……自分は足手まといでしかないのだと。
何かに耐えるような涙ぐんだ表情を浮かべ立ち上がり、
首領に背を向けると小袋を守るように抱きかかえ塔を引き返していった。
すぐに姿が見えなくなり、足音もしなくなる。


そして、首領は一人残された。


「……たく、世話が焼ける奴だ」

憎々しげだが、どこか楽しそうに首領が笑う。
それからゆっくりと背後に向き直り、歩いていくとすぐに最上階へと続く階段が見つかった。
この上に宝があるのか分からない。

けれど首領は躊躇無く塔を昇っていった。





そして……





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Re: 竜と絆の章 4 【火竜の印】 ( No.1 )
日時: 2009/12/24 23:34
名前: F





(2)


『塔の中に宝がある』


そんな噂が流れ幾月が過ぎていた。
人づてに広まる噂はいつの間にか、遠い街にまで届くようになっている。
……それがとても奇妙だ。
普通の噂話はこんなに長続きなどしない……
何度も話題に取り上げられるような話、世間を騒がせている有名な話ならまた変わってくるのだが、
広がっているのは子供が作ったような根拠もない、信憑性のかけらもない、
まるで御伽話のような単なる噂話が……だ。

それが何時までも消えずに残っている。奇妙だと思わないだろうか?

どうやら、そう思った者達がこの世界にも数多くいたようで、
塔の周辺にある近隣の村や町には、物好きなもの達が集まり賑わいを見せてようになった。
誰が流したのかも分からない噂を頼りに、よくこれ程の数が集まったモノだが、
よくよく考えると分からないから、夢中になるのかも知れない。

だが、それは幾月の時間が経過したいまも、これだけ噂が広がると言うことは、
いまだ塔の真実を確かめて、帰還した者がいないと言うことだ。



          ※    ※    ※



遅すぎるぐらいだが、少しだけ塔のあるこの土地について説明しておく。

地理的には南国……といったふうだろうか?
気温は南国らしくやや高めで、天候は……温帯な地域にしては雨が少ない(ただし、降るときは凄まじいが……)。

雨があまり降らないにしては不思議なほど、鬱蒼と茂るジャングルを連想させる広い森が、
この地域の半分を覆っていて、残りの半分の半分が広い平原になっている。
人間達はこの平原に幾つかの街をつくって住んでいると言った具合だ。
そして、残りの四分の一は川だ。
大きな川が森を東と西に分けるように流れていていて、長い時間の間にできた支流が森の中を
網目模様のように流れている。

このとてつもなく広い森の中央に……塔が立てられていた。


それゆえ塔を目指すには、必ずこの森を通って行かなくてはならない。
それが困難な試練になると分かっていてもだ。

背が高く生い茂る木々が視界を遮り、同じような風景が容易く方向感覚を奪い去る。
もし翼を持つ者ならその心配も要らないだろうが、多くの者はそうはいかない。
進むことも戻ることも困難なこの森を行くには、常に磁石を使用して自分の位置を確認することが必須だ。
それを怠った者はいずれ力尽き、弱り果てたところを森に住む、
獰猛で狡猾な生き物たちに襲われ、食われてその命を落とすことになるだろう。

さらに道を進む者の前に立ちふさがる、幾多もの川。
川と言っても、川幅が恐ろしく広いものもあって運が悪ければコースを変更しなければ、
前進することも出来ないと言う状況もざらである。



          ※    ※    ※



そんな森の中を一人の少年が歩いている。
それも真っ直ぐに塔を目指していて、もうすぐ森を抜けそうなのだ。


あともう少し……そう、目の前の茂みを抜ければ……




”ガサガサッ!”


「はぁ……はぁ……ようやく……着きました……」

茂みをかき分けて急に開けた視界に、安堵する少年の額からは一滴の汗が流れ落ちる。
背丈は小学生の高学年と言ったところだ。
森を舐めているのか、身に付けている衣服も素肌が剥き出しの半袖半ズボンという出で立ちで、
滴り落ちる汗を肩口で拭いさると、疲れたように息を吐き出した。




”ドサッ……ズッ”


汗を拭った際に力を抜いたのか、少年の背中から背負っていたリュックが滑り落ちた。
随分と重そうな音を立て落ちたリュックが、自重で傾きそのまま横倒しになる。
この森を抜けるためや、塔を探索するために用意したものを沢山詰め込んだ大切なリュックだが、
長旅に備えて少々詰め込みすぎ、かつ大きすぎたようだ。
更に付け加えると、少年はリュック以外にも、肩から提げる大きなカバンまで身に付けていた。

見た目からして明らかに重量オーバー……
疲れきっていて当然である。


「……さ、さすがに疲れましたよ。少し休憩にしましょう……はぁ……ふぅ」

呻くように呟く少年の額からは、再び汗が噴き出してポタポタと地面に滴り落ちてる。
汗でびっしょりと身体に張り付く衣服を引っ張りながら、
少年は身体を休めるため下ろしたカバンの上に座り込んだ。

このような少年が、分不相応な荷物を身に付けて、
大の大人も音をあげる程の、過酷な長旅に耐え森を抜けてこられたものだと感心する。

しかし、彼の素性を知る者なら、不思議ではないと納得するかも知れない。



少年の名前は『ライト』

小学生ほどの幼い外見からは想像も付かないが、かなりの腕利きの探検家なのである。
それもかなりの上位資格を持つ、一級の……
信じられないかも知れないが少年……ライトは、世界の各地にある様々な遺跡に潜り、
そこで見つけたアイテムを売りながら生計を立てる生活をしていた。
この年ですでに五年のキャリアを持ち、探検家でも実力はすでに中堅に位置している。

幼い外見の御陰も相まって意外なほど有名人で、『遺跡巡りのライト』が彼の通り名だ。

ライトがここまで探検家として成功したのは、優れた才覚の御陰もあるが、
それよりも彼もまた……『獣人』であることが、もっとも大きな要因である。

どんな小さな物音も逃さない耳。
身に迫る危険に鋭く反応する反射神経。
そして、それらから逃れるための凄まじい逃げ足。
とにかくあらゆる危険に素早く気が付き、危険から逃れる力に長けている。

そんな力を持つ彼は『兎』の獣人だった。
……正確には獣人のハーフである。
ライトの見た目はほぼ人間の姿を残しており、大きな兎耳とズボンに隠れた丸い尻尾だけが
彼を獣人だと証明してくれる。
逆を言えば容姿に限り、年相応の人間と何ら変わらない姿をしていた。
分かりやすい特徴的の耳がなければ、誰も少年が獣人だと気がつけないだろう。




……と、ライトが唐突に空を仰ぎ見た。


「雨……?」

その呟きに反して、真っ青な空には雲一つ浮かんではいない。
目映い太陽の日差しが燦々と大地に降り注いでいて、普通なら雨の心配などする必要も無いと思われるのだが、


「凄く空気が湿っている。それに妙に蒸し暑いですし……やはり、雨が降るようですね」

敏感に感じ取った、この土地では珍しい雨の気配。
それにライトは表情を曇らせて、少し困った表情を浮かべている。
この辺の土地では非常に雨が少ないと聞いていたので、簡易的な雨具しか持ってきていないのだ。
これでは『スコール』と呼ばれる激しい雨には何の役にも立たない。
少しでも荷物の重さを減らすために必要なことだったのだが、
その所得選択をしたのはライトの判断だ。
だからこれは少年の責任である。それに……誰も助けてはくれない。

もっとも、丁度いい雨避けが目の前にある。
リュックの上に座り込んだままで、ライトは塔を見上げながら呟いた。


「仕方ありませんね。その時は塔の中で雨宿りしますか」

かなり古びた塔で、完全に雨風を防げそうにはとても思えないが、短い雨をやり過ごすにはそれで十分の筈である。
それに今回の探検では、時間の殆どを塔の中で過ごすつもりだったのだから、
雨の問題はそこまで気にする程でもなかったのだ。


「ふぅ、さて……もう少し休憩したら、さっそく探索を始めるとしましょう」

……気まぐれに吹く風に含まれた雨の気配を感じながら、ライトはそう呟いたのだった。




          ※   ※   ※





あれから数十分後、疲労から回復したライトは持ってきた荷物の内、
重量のあるリュックをだけを、その場に残して塔周辺の散策を開始していた。
すぐに塔の内部の探索を初めても良かったのだが、目的はあくまでも調査が優先。
あるかも分からない宝探しよりも、
雨が降り始める前に周囲の探索を済ませてしまいたかったからだ。

最初に彼がいた所では、目の前にそびえ立つ塔以外は特に目に留まるものは無かったが、
そのままグルリと塔の背後に回ると……


「これは……一体何が……?」

それを見つけたライトが、唸るように声を漏らした。
目に映る光景に半ば絶句しながら歩み寄る。

複数の燃え尽きた焚き火の痕。
その中の幾つかには調理に使う竈と鍋まであった。
少し離れたところには、ライトも持ってきた野営のために使う簡易型のテントが
幾つか設置されて放置されている。
明らかに先人達がこの塔にたどり着き、ここで一夜を明かした後だった。


別段……驚くようなことではない。

ライトが驚いたのは他のこと……その一つにこの簡易なキャンプが凄まじく荒れ果てていたことがある。
まるで盗賊襲われたかのように、テントの中は様々なもので散乱し、
酷いものになるとテントそのものが倒壊しているものまで……

それともう一つ……人間の足跡に紛れて、異形な足跡を発見したからだ。
森に住んでいる獣の足跡ではない。何故なら、この足跡は余りにも大きすぎる……


「……まるで、巨大な何かがキャンプ地を襲ったように見えます」

ポツリと口にでた自分の声に、ライトはまるで怯えたように身体を震わせた。




”……パキィッ”


「ふわぁぁっ!」

自然と崩れ落ちた焚き火の燃え痕に、過剰に反応して叫び声を上げてしまう。
鼓動が跳ね上がった心臓に手を当てて、それをゆっくりと落ち着けていくとライトは再び塔を見つめた。


「……いったい、この塔周辺で何が起こってるのでしょうか?」

その問いに答えをくれる相手はいない。


この塔を訪れる前に、ライトは調査は綿密に行った。
古い図書館にも何回も通い詰め、文献を集めそれを調べ上げていく内に分かったことがある。
気が付いたことを纏めた分厚い資料をライトはカバンから取り出した。

徐にそれに目を落とすと、まず最初に自分がつけた簡潔なタイトルが目に入る。




『赤熱の塔について』


この塔は『赤熱の塔』と呼ばれ、手に入れた資料によると、
大昔……酷い水害がこの地方を襲い、大きな被害をもたらしていたと記されていた。
つまり余りにも長く続く被害を止めるためだけに、
この赤熱の塔は建てられたそうなのだ。

その話の中に『宝』という単語は一つも見つけることが出来なかった。

もっとも可能性がないわけではない。
あくまで資料にそう記されていただけだが、この塔が建設された直後から、
確かにの地域で雨の被害が減少したと記述があった。
つまり特別な何かが……

それは強大な魔力のこもったオーブなどかも知れないし……
この塔の造りに秘密が隠されているかも知れない。
また、それまでの常識を覆すような、古代の知識によるものかも。

天候を操る力を持つ何かが……存在し、
もしも宝が本当に存在するなら、それこそが貴重な宝だろう。


「ですが、人を襲うような化け物の記述なんて無かったはずですし……
 だれかが……宝の守護者ガーディアンの罠でも発動させてしまったのでしょうか?」

それは遺跡に良くある罠である。
重要な宝を盗人達から、守るためにつくられた魔法生物、もしくは使役された魔物達。
そう言った危険なものが塔が崩壊したことによって、
暴走した可能性も無くはない。


「一度、荷物の所まで引き返しましょう
 それから対策を練って……どうにもなりそうに無ければ……」

そこから先をライトは口にしなかった。
もし自分の手に余りそうなら、この場から退却もやむなし。
それはいかなる危険も恐れずに、遺跡に立ち向かう彼等探検家にとってもっとも恥ずべきことだから。

しかし、明らかに無謀なものに挑戦し、命を落とすのはライトの本意ではない。
何にせよ、このまま塔の中へと入るのは危険が大きいと彼は判断した。


……その判断は懸命だったと言える。
だが、運命は時に過酷……事態は一気に動き始めていたのだった。



          ※    ※    ※



「あれ? ぼ、、僕の荷物がないのですが……?」

一度元いた場所に引き返してきたライトは、まずその事に激しく困惑した。
冷や汗混じりに周囲を見渡し、勘違いなどではないことを確認すると、彼の顔から血の気が引く。

ライトは大まかに荷物を二つに分けていた。
細々とした便利品や、いざというときの緊急用のアイテムは肩掛けカバンに、
長旅に必需品なテントや、十分な食料など重量のあるのはリュックへ。
その必需品が詰め込まれたリュックがない。

ここまで来るのに数日かかったのだから、この場から引き返すにも同じだけ時間がかかる。
つまりリュックがないと、この場から引き上げることも出来ないわけで……


「……ど、、、どうしましょう?!! あ、あれですか?! 泥棒でしょうか?!」

ことの重大さをすぐに理解したライトは、すぐに荷物の行方を探し始めた。
とても重量のあるリュックとはいえ、子供の体格のライトが背負えるぐらいだから盗むぐらいは誰にでも出来る。
迂闊にも荷物を置き去りにしたことに自分を叱咤しつつも、
ライトは必死に頭を巡らせて、不自然な痕跡が残っていないかと必死に目を凝らす。

……それは意外なほどあっさりと見つかった。


「……これは足跡……みたいですね?」

実際に冷静になれば、すぐに気がつけるほど足跡が、くっきりと地面に残されていて、
時間にすると探し始めて数分もしないうちの出来事だった。
そもそも彼が荷物のある場所から離れていた時間は、多く見積もっても十分も無かった筈で、
迂闊な旅人から荷物を盗んで逃げられる距離も知れたものだ。

余りにも無造作に付いている足跡を追って、ライトは荷物の行くへと追っていくと……
それは塔の中へと続いていることが分かった。


「ここが塔の入り口ですか、森に逃げないと言うことは……
 まだ、荷物を取り返すチャンスがありますね!」

血の気の引いていた顔色に生気が戻る。
しかし、表情はいまだ硬いまま……


「ですが、そうなると……塔に……大丈夫でしょうか?」

多くの不安が、ライトの足を鈍らせる。

居所の知れない先人のキャンプ地を襲った正体不明の存在に加え、
この塔を根城にしているらしき盗人の問題。

いま一番問題なのは後者の存在だ。
地の利もずっと向こうが有利な上、追跡を予期して罠などを張り巡らせている可能性も十分考えられる。
それをかいくぐり追いかけて、リュックを取り返さなければならない。
戦闘能力が、ほぼ皆無なライトにとってそれは極めて困難だ。


「……上手く相手を出し抜いて、リュックだけを取り返し逃げ出す……
 無力化して捕縛できれば、一番良いのでしょうが……」

考えを口に出しながら、これからの行動を頭の中で整理する。
……ライトの覚悟は決まった。
どちらにせよリュックを取り返さなければ、のたれ死ぬ可能性が高いのだ。
なら……やらないわけにはいかない!


「さて……そうなると、とにかく相手の意表を突かないと行けないのですが、
 どこか良さげな突入場所は……」

慎重な面持ちでライトは塔の様子を探っていく。
壁には破損が激しい部分が幾多も見受けられ、最上階など殆ど吹きさらしと言っていいほど、
大きく崩れ落ちているのが分かった。
これだけ崩壊が酷いのだから、内部の様子も似たようなものだろう。

……それだけ分かれば十分だった。

幼いときから探検家として培った能力、見ることに関しての観察力には自身がある。
速やかに塔の構造が、ライトの頭の中で立体的に構築された。


「……二階から、入ってみましょうか。さすがに罠も無いでしょうし」

言いながらライトは、手持ちのカバンに手を入れる。
何を探しているのかと思えば、取りだしたのは一つの大きな円盤だった。

この世界には様々な遺跡が存在する。
無数に存在するそれら遺跡の中から発見される異物のことを、主にアーティファクトと呼ぶのだが、
その中でも特に奇異なもの、今の技術では到底実現し得ないものを、
魔法のアーティファクトと呼ぶ。
ライトが手に持っている円盤も、それら魔法のアーティファクトの一つだ。


『エアボード』 

発見の事例すら極僅かの貴重な魔法アイテムで、ライトがこれを発見したのはまさに偶然と言えた。
中心に制御の要となる球が埋め込まれており、形状は円盤状である。
さらに名前から察せられるとおり、この魔法の道具は翼を持たぬ者に空を飛ぶ力を与えてくれるのだ。

ただ……完全な一人乗り専用であり、操作性にも難があって乗りこなせるものは少なかった。


「よっと、さて……行きましょうか!」

つま先で軽く円盤を蹴り、力を発動させる。
すると音も立てず静かにライトを乗せた円盤が宙に浮かんだ。
中心にある制御球から白い粒子のような光が溢れ、それがライトの意志をくみ取り高度を高めていく。

それからゆっくりと塔の周囲を旋回し……目当ての場所、
一際崩落の激しい壁面を見つけると、そこへエアボードを走らせた。


「此処から入れる……みたい……ですね?」

塔の内部を伺うように視線を巡らせると、懸念していた罠は見あたらない。
ライトの予想通り、ここには仕掛けられていないようだ。
念のため慎重にエアボードを進め、音もなく塔の中へと侵入を果たした。


「……誰もいないですね?」

それでもライトは気を緩めずに、エアボードを降下させて床に降り立つと素早くバックに仕舞う。
それと同時に周囲の気配を探った。
……野生の兎が周囲を警戒するように耳を動かすように、ピンと伸びたライトの耳が動く。

僅かな物音も聞き逃すまいと、耳に全力を傾け……


(下の階には……何も物音がしませんね。
 二階……僕がいる階層も………気配はないですか……
 なら……三階は……?)

しかし、いくら気配を探っても何ら物音すら聞き取ることが出来なかった。
ライトの耳は調子の良いときで、百メートル離れている相手の心音も聞き取れるだけの聴力があるが、
さすがに塔の中では障害物が多すぎる。
彼の聴力を持ってしても、探れるのは三階までが限度だった。

そうなると四階以降が怪しいなと、ライトは気配を探るのを止める。
変わりにカバンから細長い棒を取り出し、


「さて、とりあえず盗賊捜しを開始しますか」

取り出した細長い棒で、罠がないかと床などを叩きながら行動を開始した。





          ※      ※     ※





―― 赤熱の塔 四階 ――


さすがは探検家と言うべきなのだろうか、塔の中でのライトの行動は常に的確だった。
手早く二十分弱で二階の探索を終えてしまうと、すぐに階段を昇り三階へ……
その道中に罠がありそうなところは、ぬかりなくチェック済みである。

まだ、二階と三階しか踏破してないとは言え、遺跡としての難易度は低いとライトは拍子抜けしていた。
手を抜くことはないが、仕掛けられた罠は無く。
内部は迷路のようだとはいえ、ライトにとっては子供だましも良いところ。
すでに先人が殆どの罠や仕掛けを、解除してしまっている可能性も含めて考えても、

『素人にでも、どうにかなるレベル』

……それが、ここまでの塔に対するライトの評価である。
その評価が次の階層―― 四階 ――に入ってから、やや上向きに修正……理由は、


「ここもですか、罠が無いのは良いのですが……こうも足場が悪いのは頂けませんね」

そう言いながらも、ライトは軽く跳躍し目の前の大穴を飛び越えた。
余計な衝撃を与えないように手加減された跳躍は、着地したときも殆ど物音を立てない。

しかし……




”ガラガラララ!!”


「ふひゃあああ! ま、また……っですか!」

殆ど完璧と言っていい跳躍だったが、それでも脆くなった足場を踏み抜くには十分だったようだ。
慌てて飛び飛び退くと、背後には見事な大穴が迂闊な輩を呑み込もうと閉じることのない口を開けている。
それを見つめながらライトは胸に手を当てて、激しく鼓動する心臓が落ち着くのを、
荒い息を吐き出しながらひたすら待つはめになった。


……とまぁ、四階に入ってから万事この調子。

迂闊に気を抜くと足場の床が崩れたり、ちょっとした振動で壁や天井から石が転げ落ちてきたり、
ライトの予想よりもずっと塔の痛み具合が激しい。


「ふぅ……それにしても他に道はないのでしょうか……?」

塔の中に逃げ込んだ盗人も重量のある荷物を背負って、歩いて移動しなければならないのだ。
これだけ脆い床だと、下手をすれば荷物の重量だけで崩れかねない。
恐らく安全なルートが別にあるのだろうと、思いながらもライトにはそれを知る術がなかった。

しかし、それらの問題を一挙に解決する方法はある。


「はぁ、せめてこれを使えれば楽が出来るのですが……」

『エアボード』この塔を探索するのにこれ程便利なものはないだろう。
重力が働く場所なら高度は自由自在。さらに床を崩す心配もせずに塔の探索が出来るのだから、
こんな反則のような便利アイテムを使わない手はない。

そもそもこのエアボードに何度も助けて貰ったことが、
探検家とは言え、子供のライトが大きく広がる森を越えることが出来た要因の一なのだ。



……そして、助けて貰ったから、こうして少し苦労している訳なのだが。


「今回の冒険では、少し無茶させましたから魔力の充電が追いついてないんですよね……」

いくらアーティファクト級の遺物でも、その内包するエネルギーは無限ではない。
ライトの持つエアボードもその例に漏れず、時間の経過で消費した魔力を自動的に蓄えるが、
連続稼働にも限界があった。
持続時間はおよそ一時間。魔力が尽きればタダの円盤になってしまう。
魔力の充電はほぼ丸一日必要なことから、あまり気軽に多用は出来ないのだ。

そんな諸々の事情で、不本意ながらライトは歩きでの探索を余儀なくされていたわけなのだが、
探検家は元々己の肉体が資本である。


「まぁ、これぐらいなら何とかなりそうですから、とりあえず先を急ぎましょう」

便利な道具が使えないからと言って、立ち止まるようでは話にならない。
けっきょく特に名案も浮かばなかったのだが、ひとまずライトは先に進むことにした。

結果として……それがもっとも功を奏すことになる。


長年の探検家としての経験が生き、しだいにライトはこの塔の歩き方を掴んでいったからだ。
四階の探索が終盤にさしかかると、それが顕著に表れていて、
よほど油断をしていない限り、床を踏み抜いたりはしないようになっていた。

その分だけ探索のペースも上がり、時間にしてみればものの三十分もかからずに
四階の探索を終えてしまい、まだ痕跡すら見つからない盗人を追って、ライトは五階へと階段を登っていった。






―― 赤熱の塔 五階 ――



「…………っ!」

もうすぐ塔の5階へと続く階段を、ライトが登りきろうとした時だった。
彼の耳が何かの物音を聞き取り、反射的に身を伏せる。
……それは微かな話し声、何を喋っているのかは分からないがこの先に誰かがいる気配があった。


(ようやく追いつきましたね……さて、どう動きましょうか?)

そう理解した途端に自然と気が引き締まり、ライトは緊張のあまりゴクリと喉を鳴らす。
馬鹿のように真正面から突入はせず、僅かな逡巡のあとにライトは数歩階段を降りて身を隠すことにした。


「……とにかく、様子見が一番無難でしょうね」

真っ正面から戦いを挑んでも、子供であるライトに勝機はない。
そうなってくると勝機を掴むためには、どうしても相手に気が付かれずに奇襲をかける必要があった。

……ここで、問題なのはどうやってその奇襲を仕掛けるかだ。


ひとまずライトは周囲を伺う。
四階より外壁の痛みが激しく、ライトのいるすぐ傍の壁際が大きく崩れ落ち、
かなり強めの風が吹き付けてきている。
ライトが覚えている限り、他にも壁が崩れているところが幾つかあったはずだ。


(……もしかして)

ちょっとした思いつきで、ライトは落ちないように崩れた壁から少しだけ身を乗り出す。
外壁の状態に探りを入れると、回り込むのには都合の良い位置に穴が開いていた。

怖いぐらい思い通りだが、足がかりになるような所は殆どない。


「回り込んで不意打ちするには丁度良さそうですけど、伝って行くには危険すぎますね。
 まぁ、ここまで来たら出し惜しみする必要も無いでしょうし……」

真剣な顔つきでカバンに手をやるとエアボードを取り出す。
銀色に輝く円盤の中央にライトは目をやった。
そこに収められた宝玉には光が灯っており、それを見てライトは残り時間を推測する。
フルに魔力が蓄えられているときなら、目映い程の光を放っているが、
いまは淡い光に衰えていて、残り魔力は半分もないことを示していた。

それでも必要なときには出し惜しみしないのがライトの信条である。
他にも奇襲に必要な幾つかの道具を取り出し、


「さて、作戦は決まりました。荷物は返して貰いますよ!」

起動させたエアボードに乗り、ライトは塔の外壁の外へと飛び出していった。



          ※    ※    ※



赤熱の塔のある一角に隠されていた秘密の部屋。
ライトは階段を登らなかったから、気づく余地も無かったが階段を登ったすぐ先の曲がり角、
ほとんど壁と見分けが付かない隠し扉を抜けた先にその部屋はあった。

手狭ではあるが、絶好の隠れ家となるその部屋で重そうな音が響く。




”ドサッ!”


「はぁ……はぁ、、、こ……これで、当面の食料は大丈夫かな?」

盗み出した荷物を手荒に下ろし、疲れ切ったように盗みを働いた男が座り込んだ。
みすぼらしく煤けた衣服を身につけ、全身に体毛が生えている姿を見ると男も獣人のようだが……


「……ねぇ…………首領……何時になったら帰って……」

何処か遠くを見るかのように、やるせなく男が呟く。
随分と窶れているが、男の正体はかつてこの塔に挑んだ盗賊団『漆黒』の片割れ、
猫顔の獣人に間違いなかった。

洩らした言葉から察するに、彼の敬愛する首領は戻ってこなかったのだろう。

それなのに彼はずっと待っているのだ。
何時か首領が帰ってくると、あの時そう約束したのだと金貨の入った袋を握りしめながら。
いや、すでに金貨だけではない。
この隠し部屋の片隅に、量は少ないが金貨や銀貨、それ以外にも価値の高そうな物が積み重なり、
はっきり宝の山と言えるほどのものが出来上がっていた。


それらは全て彼が集めた物だ。

留守を狙って塔を訪れたもの達の持ち物から金品を強奪し、時には食料も奪い、
彼は生き延びてきたのである。

しかし、彼にとってはそんなことはどうでも良いのだ、


「……うぅ……何時になったら迎えに来てくれるんですか……」

全ては首領に褒めて貰うためだけに、彼は数多くの盗みを繰り返していただけなのだから。




”ガラッ”


「な、、なに?! 何だこれ……?」


突然、何かが部屋の中に転がり込んできて彼は跳ね起きた。
警戒するようにそれを見つめると、彼には正体も分からない妙な物で……


「…………???」

よく見るとそれは、何か筒状の物だった。
拳大の大きさで少し黒光りするそれに興味を引かれ、視線が集中する。

その瞬間、筒状の物は破裂!


「…………ぎゃっっっっっ!!!!!」

音もなく割れた筒の中から飛び出してきたのは、目映いばかりの閃光。
一瞬にして部屋を埋め尽くす光が、猫の獣人の彼が悲鳴をあげる姿すら覆い隠していく。
それでも衰えない目映い光は、そのまま彼のに意識を闇に呑み込んだ。





          ※    ※    ※





少し高い位置に開いた穴から隠し部屋に入り、足下に転がっているそれを見てライトは呟いた。


「さすがにねぇ……もう少し警戒しましょうよ」

どこか哀れむような視線の先では、完璧に気絶した様子の猫顔の獣人が大の字になって倒れている。
すでに手際よく猫顔の獣人の両手を、後ろ手に固定するように手持ちのロープで縛り上げ、
両足も同じく動けないように足首を固く縛り上げていた。

抜かりはないつもりだが、こういった盗人を捕縛した経験はなく。
こうもあっさり捕まえられたことに、ライト自身も拍子抜けなのは否めない。


今回のライトが取った作戦は、実にシンプルな物だった。
まず、声のする方へとエアボードを走らせ、姿を隠したまま適当な穴から中の様子を密かに伺い、
何個か目の穴からついに盗人の姿を捕らえると、相手の隙を作るため秘密兵器を投入する。
秘密兵器とは簡単に言うと、自作の『手投げしきの閃光手榴弾』だった。

ただ……どんな手を加えたのか、放つ光の強さは通常の数倍の光量を誇る。

それを気づかれやすいように部屋の中に放り込んだ後、盗人が逃げ出すなり、
怯んだところを不意打ちするつもりだったのだが……まさか、興味げに閃光手榴弾をジッと見つめた据え、
まともにその光を浴び、一瞬にして失神してしまうとは……

さすがに相手のこの間抜けっぷりにはライトも呆れてしまった。


「まぁ、僕としては手間がかかりませんから、そっちの方が良いんですがね」

はっきり言って、自分の荷物さえ無事に戻ってくればそれで良かったのである。
問題なのは、この後どうするかだが……

足下に転がしてある盗人に関しては、あえて放置することに決めていた。
出来ることなら、ライトとしても町に連れ帰って警備隊に突き出したほうがいいと思うのだが、
足手まといを連れて森を抜けるのはかなり至難と言っていいだろう。
このまま放置してしまえば、手足を縛ってあるため、最後まで抜け出せずに餓死する可能性もあるが、
この世界では犯罪者に対する同情は少ない。

それに職業柄、ライトはこの手の相手とは事を構えることも多い。
普段は自分から逃げるが、こうして捕まえた相手に対して、ある程度見切りをつける覚悟を持っていた。


「……自業自得ですし、恨まないでくださいよ」

喋りながら、ライトは自分の荷物の状態を確かめる。
何度か引きずった痕があり、リュックの底の布地が擦れてきているが、
この程度なら致命的な問題にはならない。


「ふぅ、無事なようです。破れでもしていたらどうしようかと思ってました」

荷物が無事なことに、ライトは安堵したようだ。
その際、彼の視線が宙を泳ぎ、取り戻した荷物の傍に小袋を見つける。


「おや……これは?」

見覚えはなく、すぐに捕縛した盗人の物だと分かりそれを手に取ってみた。
袋の中でカチャカチャと音が鳴り、中身は何かと袋を開いてみる。
すると袋の中から金色の輝く光が溢れだした。

誰が見ても決して見間違えることのないそれに、ライトは目を見開き驚きを口にした。


「これは金貨ですね、これも盗んだ物なのでしょうか?」

再び盗人に目を向け、次ぎに部屋の片隅にある宝の小山へと目を向ける。
一見するだけでライトには分かった。
あの小山一つだけで、慎ましい生活をするなら恐らく一生食べて暮らすには困らない価値があると……


しかし、ライトは目の前にある宝の山に手を伸ばそうとはしなかった。

取り返したリュックを背負うライトの姿を見ただけで、その理由の見当は付く。
これだけの宝を持ち帰るには、彼の持っている装備では到底無理なのだ。
そもそも根拠の知れない宝の存在など信じずに、塔の探索だけを目的に訪れていたライトは、
大量の宝を持ち帰る用意をまるでしていなかったのである。

ライトとしても目の前に、宝をちらつかされては心が惹かれる物があるが……


「持って帰れない物は、仕方がないですよね……残念です。
 まぁ、記念にこれだけでも貰っていきますね」

そういって、ライトは隠し部屋から出ていく。
その手には金貨が入った古ぼけた小袋が、しっかりと握られていたのだった。



          ※    ※    ※



荷物も無事に取り返したライトは、どういう訳か未だ塔の五階の探索を続けていた。
すでに盗人の問題は片づいたが、まだ別の問題が残っているというのに……

いまだ姿を現さない正体不明の生き物。
まだ、ライトがお目にかかったこともないような凶悪な生き物が、
この塔の中を徘徊しているかも知れないのだ。
勿論……それはライトも分かっている。
彼もこのような危険な場所に長居をしたいわけではなかった。



『雨』


エアボードで外に出たときに、見えたのだが……遠くから真っ黒な雲がこちらへと近づいてきている。
ライトの目測が正しければ、雨雲は一時間ぐらいで到達するはずだ。


前にも説明したが、この土地で雨が降ることは非常に稀である。
数ヶ月に一度も降れば多い方で、それぐらい珍しい。
だが、やっかいなことに一度雨が訪れると、凄い……いや、凄まじい豪雨が大地に降り注ぐ。
その豪雨の直撃を受けよう物なら、瞬く間に体温は奪われ、体力を無駄に消耗することになってしまうだろう。
いくら何でもそんな状態で、森を抜けようとするのは自殺行為だ。

少なくともライトには自殺願望など無い。
そんな理由から、少なくとも一時間以上は塔に留まざるを得なくなったというわけだ。


「ふぅ……それにしても、この文字は何でしょうか?」

空いた時間を使い、塔の探索を続けていたライトは歩きながら周囲の壁に興味深そうに目をやっていた。
これまでは荷物を取り返そうとする焦りと緊張からか、まるで気が付いていなかったのだが、
塔の内壁には所々奇妙な文字が描かれている部分がある。

しかし、残念ながら、余りにもかけている部分が多すぎて、このままでは解読不能だ。


「……塔に何か関係が?
 ふむ……いえ、…………ん……違いますね」

多少の古分や古代語の知識があり、ライトは壁に書かれている文字の形状を復元しようとして、
頭で思い描くものが、断片的にライトの口をついて出る。

こうした理解が出来ない分を補うように、色々と想像を重ね遺跡の昔の姿を考えるのは
彼としても嫌いではない。
そんな感じで幾つかの文字を、手持ちの資料に書き留めながら、
塔の探索そのものは順調に進み、ライトはさらに興味深いものを発見することとなった。



          ※    ※    ※



壁に書かれた文字を書き留めながら、ライトが歩いていると通路の行き止まりまで来てしまう。
まるで文字に誘導されたような錯覚を覚え、徐に道を塞ぐ壁に触ると……


「これは、妙ですね手触りが……もしかして!」

それに怪訝な表情を浮かべ、ライトは強く壁を押してみると、
壁に偽装された扉が容易く開かれた。


「……昔は……ここも隠し部屋だったのでしょうか?」

過去形なわけは、部屋全体が無惨にも崩壊しており、隠し部屋としての役目を果たせない状態だったからである。
それだけなら特に興味を引くことでもないのだが、
部屋の中に入ったライトは驚きに目を見張り、激しい興奮で身体が震えた。


「こ、これは……!」

見渡す限り部屋の中の壁という壁に、びっしりと文字が刻まれて埋め尽くされているのだ。
大半が部屋の崩壊に巻き込まれて、台無しになっているがそれでも今までの中で最大の発見である。


「もしかして、ここがこの塔の秘密の中枢でしょうか?!
 いや、それにしては崩壊が酷すぎますし、塔の機能も停止しているはず……?!」

明らかに何か重要な役割が、この部屋にはあったのだろう。
その何かを想像、推測を繰り返しているライトの目が、子供のように輝いている。
出来ることなら、時間の許す限り調査をしたいのだろうが……

そう都合良く彼の運命は回ってくれなかったようだ。




”ひゅんっ!”


鋭い風切り音。何かが空気を切り裂き高速で飛来する。
狙われた当人……ライトは発見に夢中になりすぎていて気が付いていない。
その致命的な隙を狙われた。
銀色に光るそれは、隙だらけのライトの背に向けて吸い込まれるように命中する。




”ドスッ!”


鈍い音を立ててそれは突き刺さり、ライトの身体が衝撃で震えた。


「ふわっ! な、投げナイフ…?!」

背中に伝わる軽い衝撃と物音に、慌ててライトがリュックを背中から下ろすと、
小振りのナイフが深々とリュックに突き刺さっている。
運が良かったのか。それとも狙いが甘かったのか。
奇跡的にライトの背負っていたリュックが、背後に襲い掛かった危険から彼を守ったのだ。

もし狙いが頭だったとしたら。

……ゾッとするような想像が頭を過ぎるが、休む暇を与えては貰えない。
恐ろしい早さで迫る足音に我に返ったライトは、後ろを振り向く暇も惜しんで横っ飛び。
部屋の入り口の壁に張り付き……振り向く。 

その僅かな間に先ほどまで、ライトがいた場所へナイフが振り下ろされていた。
だが、攻撃を回避されるやいなや、襲撃者はライトに反撃する機会を許さず素早く身を翻して距離を取る。


「ええっ! ど、どうやって抜け出し……」
「……を……返せ!」

ようやく襲撃者を視認したライトが、驚愕に声を荒げるが、
それを遮るように襲撃者……捕縛しておいた筈の猫顔の獣人が構え直したナイフを片手に叫ぶ!
思わず聞き逃しそうなほど、恐ろしく低い声色。

そして、冷たく……怒気……いや、殺気を伴った声だった。


「……ぅ……な、なにをそんなに怒ってるんですか……?」
「黙れ! 早く金貨の入った袋を……返せ!」

狼狽えてまるで見当はずれな事を喋るライトに向かって、猫顔の獣人は自分の要求を再度叫ぶ。
その間にもジリジリと間合いを詰め、途中でライトのリュックに刺さっていた投げナイフを回収する。
それをもう片手に握り締めると……


「返さないなら……殺して奪い取る!」

先ほどと同じ声で叫び、恐ろしい早さで距離を詰めライトに飛びかかった。
冷たい光を放つナイフが、首筋の目掛けて容赦なく振り下ろされる!


「ふひゃあああ! 絶対初めからその気だったでしょう!!」
「五月蠅い、避けるな!」

明らかに殺すつもりの一撃を、ライトは咄嗟に身を捩り大きく転がって回避する。
首筋をナイフが掠めたような冷たい感触。
思わずライトは首に手を当てて、切られて無いことを確認するが、
安堵している暇もなくナイフの連続攻撃は執拗に続く。


共に獣人……両者の動きは恐ろしく速かった。
だが、二人の争いにはすぐに大きな差が現れる。

猫顔の獣人がこれほど怒る理由も、事情を知っている者なら理解できるだろうが、
まったく事情を知らないライトには、鬼気迫るような相手の迫力に呑まれてろくな反撃が出来ない。
身体を掠めるように突き出されるナイフを避けるので精一杯だ。
それに生業としているモノの差か、格闘戦は猫顔の獣人の方が一歩上手のようだ。

それでもライトがナイフを未だに回避できているのは、


「……くぅっ……避けるな!」
「避けますよ! それ……に、逃げることだけは自信があります!」

鋭敏な反射神経、特に戦闘の緊張で集中力が高まっている今のライトの急所に
ナイフを押し当てるのは至難と言っていいだろう

それに猫顔の獣人のナイフの扱いが、玄人には及ばないのも大きい。
身体能力にまかせて繰り出される一撃は早いが大振り、ナイフ特有の回転の速い攻撃や、
予測不能な変幻自在な責めが見られないのだ。
さらに時間が経つにつれ、疲れが出てきたのか相手から早さが少しずつ失われて来ている。

しかし、疲れてきているのはライトも同様。
相手が警戒していない今だけが、この場を切り抜ける唯一の機会だ。


(……これなら、どうにか隙を作りさえすればっ)

それはライトも分かっている。

必死に目で相手の動きを追いかけ、隙を逃すまいと更に集中力を高めながら、
突き出された何度目かのナイフを避けると、


(い、いまです!)

踏み込みすぎたのか相手の戻りが若干遅い。
その大振りの隙を狙い、ライトは勇気を振り絞って自分から間合いを詰めた。
今まで逃げ回っていた相手が、攻勢に転じたことに猫顔の獣人には驚きの表情が浮かぶ。


「……くそぉっ!!」

不十分な体勢で突き出してきたナイフは掠りもせず、ライトはナイフを持つ手を掴んで思いっきり引っ張った。
そのため猫顔の獣人の身体が大きく前につんのめる。
ここで猫顔の獣人は大きなミスを犯した。
無理に倒れるのを堪えようとして踏ん張ってしまったのだ。
そのせいでますます体勢が悪くなり、致命的な隙――完全に動きが止まる――が生まれる。

もたつく相手の様子を尻目にライトは素早く体勢を整え、
自らがつくりだした、有利な状況……勝機をライトは逃さず掴み取る!


「これで……どうです!」

渾身の一撃。相手の最大の弱点……軸足目掛けて思いっきり蹴りを放った。
体重の軽いライトの蹴りは、たいした威力はない。

それでも体勢が最悪に近い相手のバランスを崩すには十分だった。


「うわぁ!!」

膝裏を打ち抜く蹴りに、猫顔の獣人は見事に転倒する。
僅かに宙に浮く感覚の後に、だらしなく尻餅をついた衝撃で彼の手から武器がこぼれ落ちた。
すぐに拾わなければと手を伸ばそうとするが……

そんなことはライトが許さない。




”ガッ!”


素早く二本のナイフの柄頭を蹴り飛ばし、片方は部屋の隅へ、
もう片方は床を転がり、崩れた外壁を飛び出して落下していった。

それを見届け、ある程度相手を無力化したと悟ると、


(よしっ……さぁ、逃げましょう!
 何時までも、こんな危険な人を相手してられません!)
 
このまま放っておくと、再びつけ回されることになるかも知れない。
その可能性は高いが……ロープで拘束しても無駄なのはすでに分かっている。
もはや無理に相手を取り押さえるようなことはせず、ライトは即座に踵を返し脱兎の如く逃げ出した。
リュックを片手に回収し、素早く背負い直すと、
部屋から飛び出して、見事な逃げ足で通路を駆けていく。


「ぐぅっ……まっ、、待てっ!!」

後ろから恨めしそうな叫び声が、聞こえてくるがライトは止まらない。
逆に声からも逃げだそうと足を速め、曲がり角を曲がり姿を消した。


……猫顔の獣人は、為す術無くそれを見送ることになった。


「……うっ……ぐぅぅぅっ……絶対に逃がすものか!!」

血走った目がライトの逃げた通路をとらえ、猫顔の獣人は走り出した。
ライトよりも更に早く、通路を駆け抜けていき……その背中を追って姿を消した。


……そして、


「ふわぁああ! もう追いついて来たんですか!」
「返せ、お前が盗んだ物を返せ!! じゃないと……殺す!」
「どちらもお断りです、そもそもあなたが僕の荷物を奪ったのが原因じゃないですか!?
 それにあんなにいっぱいあるんですから、ちょっとぐらい見逃してくださいよ!」
「見逃さない……返さないならっ!!」
「えっ……ええ! 何本ナイフ持ってるんですか!!」

予想通りの展開……二人の間には叫び声と、ナイフが飛び交い。
無我夢中で逃げるライトには分からない、自分がどこに向かっているのかを……
狂気で我を忘れている猫顔の獣人は気が付かない、自分がどこへ相手を追いつめているのかを……

命がけの鬼ごっこはもう暫く続く。



Re: 竜と絆の章 4 【火竜の印】 ( No.2 )
日時: 2009/12/24 23:36
名前: F





(3)



一方の塔の騒がしさから、少し目を遠ざけて外を見る。
とても静かだった。何事もなく広大な森林が塔を中心に広がっていて平和そのもの……そう思える。

ライトが発見したキャンプのメンバー達も、最初は同じ事を思っていた。




―― 時間が遡ること一日前 ――


彼等の仲間の数は六人。最初はもっと数がいたのだが、最後まで生き残ったのがそれだけ。
それでも皆が助け合い、苦労して塔にたどり着いた彼等の士気は高く、
拠点として塔の周辺付近にキャンプを作り、これからの探索に備えて一時の休憩をとることにして、
ただ一人、旅の護衛のために雇った者が周辺を警戒していた。

順調だったとは言い難い冒険だったが、それを乗り越えた分だけ皆も少しだけ気が緩んでいたのは確かで、
彼等の一人が笑いながら呟いた。


「なぁ、誰が一番凄い物を見つけるか競争しないか?」
「気が早いですね、ですが私は遠慮しておきます。事を急ぐと大きな失敗を招きますから」
「何だよ、のりが悪いな……」
「まぁまぁ、そんな顔するなよ。それよりも腹が減ったな」

さらに誰かがそう呟いたとき、彼等の中で唯一の女性の仲間が大きな声で、


「みんな〜そろそろご飯が出来たわよ!!」

元気の良い声が届くと同時に、美味しそうな料理の香りが辺りに漂う。
それに皆が返事をしながら、竈にくべた鍋をオタマでかき回している女性の元へと移動を開始した。
その間にも再びたわいもない会話が始まり……

そして、彼等の平和はここで終わる。



          ※    ※    ※



『……五月蠅いわね』

心地よい眠りを騒々しい物音に妨げられ、彼女は目を覚ました。
直ぐに意識は覚醒を果たしたが、眠りを妨げられた彼女の顔は不機嫌なまま。
気だるさを感じる四肢に活を入れ、人とは比べものにならないほどの巨体を持ち上げると、
翼に尻尾と順に力を込めて眠気を取り去る。

眠っていた時間は三日ほどだろうか、完全に消え去った眠気の後に、
少しばかりの空腹を感じながら彼女は歩き始めた。


『……あら、今度はどんな馬鹿が縄張りに入ってきたと思ったら』

塔の周辺で騒ぎ立てる馬鹿共を彼女は見下ろし、率直に感想を呟いた。
他者を全て餌として見下す、非常な声で、


『……美味しそうね』

それに応じて彼女のお腹が音を鳴らす。
真っ赤な舌が艶めかしく這い回り、ジュルリと音をたてて口元を湿らすと、
彼女は大地を這い回る餌を見つめた。

品定めを終え、ルビーのような真紅の瞳に浮かぶ、より深紅の瞳孔が縦に細まる。
そして、彼女は狩人へと変貌し……


『そうね、まずは……』

彼女の住処……吹き抜け状の赤熱の塔の最上階から、羽ばたいて飛び出し、
空から獲物を狩るため急降下を始めた!




”ズシーーンッ!”


凄まじい地響きと共に、最初は護衛の男が狩られた。
一人遠くで周辺を警戒していた事が、更に皆の視界から外れたところにいた事が彼の不運だった……
いや、幸運だったのかも……
少なくとも彼は何も感じる暇が無かったのだから。

一方、突然のことでキャンプの五人は騒然とする。


「な、なんだ今のは!!」
「地震……ではないみたいですね。一体なんでしょうか?」
「俺……ちょっと行ってみてくるよ!」
「まった! おい、一人で行動するなよ!」

一人は慌てふためき、一人は何をするわけでもなく。
方や個人行動、それを追いかけてもう一人が皆から別れて行動する。


「みんな、落ち着いて……それより、みんなで固まっていた方が安全だよ!」

そんなバラバラな皆を纏めようと、女性が声をあげるが……誰も聞いてはいない。
誰も聞いてはいなかったが、結果として皆の視線が彼女に集中せざるを得ない事態が起こった。
何故なら、手早く最初の獲物を食べ終えた狩人は、
直ぐに次の獲物を探し行動を開始しており、次の獲物として狙い定めたのが……


「もう! みんなっ!」

声を荒げる女性。彼女が次ぎに狙われた。
とても静かに獲物に気が付かれないように……狩人は再び空から迫る。

周囲が薄暗くなったと感じるほど、大きな影に覆われた女性がそこで初めて頭上を見上げた。


「えっ?」 

頭上を見上げた彼女が見たのは、真っ暗な闇……その中に蠢く赤い何かが覗く。
それが何なのかを理解する前に彼女はそれに押し倒された。
強すぎる衝撃にそれだけで意識が闇に呑まれる。

いや、意識だけでなく肉体も、そのまま闇に呑まれ……音が鳴った。




”ゴクリッ!”


『フフフ……ジュルリ』

狩人は悠々と狩った獲物を丸ごと飲み下し、ぐぐっと膨れあがった喉の膨らみがスルリとお腹の中へ、
そんな一連の食事の様子を、餌となった女性がお腹に入る様を周囲の観客に見せつける。
最後に軽く涎に塗れた口を舌なめずりをして綺麗にしながら、
次の獲物はどれにするかと、狩人は観客――獲物達――に目を向けた。


『次は誰から食べて欲しい……?』

他者を餌としか思っていない、冷たい感情のない赤い瞳が全員を品定めするかのように見つめ、
狩人が言い放った言葉の理解が行き渡ると……

必然的に周囲の観客はパニックに陥った。


「な、、、なんだよあれ!! ひ、人を食ったぞ!」
「逃げましょう! 早く!」
「わ、分かった。みんな逃げるんだ!」
「ひぃぃっ……助けてっ! 助けてくれ!!」

逃げまどう獲物達、狩人はあえて動かずにその動きをじっくりと観察していた。
飢えた獣の様に本能で襲い掛かることはしない。
人語を理解し、喋ることも加えると、この狩人が高い知性を持っていると分かるだろう。

そして、今動かない理由は、


『逃げなさい、一人ずつ遊んであげるからね』

誰一人として、逃すつもりはない……
しかし、ある程度腹は満たされた狩人は、少し身体を動かすような遊びがしたいと思っていた。

その内、バラバラに逃げ始めた獲物達が次々と森の中へと逃げ込んでいく。
妥当な判断だった。
固まって逃げていたら、あっさりと捕まえていただろう。

楽しくなってきたとばかりに、大きな口を歪め狩人は笑う。


『フフフ……さぁ、楽しい鬼ごっこを始めましょう』

そう言って、適当に誰かの後を追いかけるため、狩人は動き出したのだった。



          ※    ※    ※



……そんな出来事から丸一日。
丁度、ライトが盗人に襲われた頃だろうか?

騒ぎとは無縁であるかのような広々とした森林の中で、長い狩りを終えた彼女は長い首を擡げていた。




”クチャクチャ……ゴクリッ!”


彼女が捕らえた獲物を呑み込みゆっくりと喉を鳴らすと、
頭から呑み込まれた獲物はズルリと喉の中に落ち、高く擡げた首の中を通って胃の中へと落ちていく。

あれから彼女は、何人もの獲物を平らげて胃袋に押し込んでいた。
その数はすでに五人。
随分と胃袋に詰め込んだ様に感じられるが、その割には彼女のお腹の膨らみは大きくない。
実は三人目と四人目は、直ぐに捕らえてしまったのだが、
残りの二人が意外と手強く、彼女の目を欺いて今まで逃げおおせていたのだ。
その間にすっかりと消化が進み、胃の中はもう空っぽである。

けれど、その五人目もすでに彼女の胃の中に収まり、
残る一人も、すでに狩人の足下だ。まだ生きてはいるのか巨大な彼女の足に踏まれて藻掻いている。

つまり狩りは終わった。食欲の赴くままに暴食の限りをつくし、
残された最後の獲物に向けて、彼女が口を開いていく。


『……頂き』

しかし、それを邪魔する無粋な気配を感じて開きかけた口を閉じた。


『……雨が来るわね』

遠くにはどんよりとした空が目に入り、彼女がますます顔をしかめる。

彼女は雨が嫌いだった。と言うより水が苦手……否、生理的に合わない。
自慢の肌に小さな水滴が落ちるだけで不快感を感じるほどだ。
だから雨の少ないこの地方に移り住んできたのだが、どうもここ最近は以前よりも雨が多い気がする。
そろそろ狩り場の移動を変えた方がいいのかも知れない。
随分と慣れ親しんだ狩り場なのだが……

ちょっとした気まぐれで、地面に押さえつけていた獲物に彼女は声をかけた。


『ねぇ、あなたはどう思うかしら?』
「…………ぇ……ぁぁ……助け……て……助け……食わないで」
『はぁ……またそれ?』

質問になっていない彼女の呼びかけで、返ってきた答えはやはり見当違いな答えで、
何度も繰り返される言葉に彼女はつまらなさそうに嘆息した。
興味が失せた冷たい視線を、足下の獲物に送り彼女は言って聞かせる。


『……私の縄張りに入っておいて、生きて帰れると思うの?』
「ひぃっ……助け……」
『……黙りなさい。それはもう聞き飽きたの』

無駄な命乞いを繰り返す、獲物に彼女は顔を寄せた。
体重が前にかかり、踏まれている獲物の肺から空気が吐き出され命乞いが止む。
変わりに恐怖に染まりきった獲物の目に、彼女の姿が映っていた。


真っ先に目に飛び込むのは、彼を押さえつける前足。
四本の鋭いかぎ爪の生えた細身の前足には、燃えさかる炎を思い起こされる赤い鱗が覆い、
それらが翼、尻尾と全身も覆っている。
唯一……腹部が蛇に酷似した蛇腹状の鱗に包まれて。

それからゆっくりと彼が視線を戻すと、変わらずに獲物を見つめる深紅の瞳。
人を軽く丸呑みできるほどの口から、火傷をしそうな程の熱い吐息が声と共に彼にかかる。


『ふふふ……頂きます』
「…………っ……っっっ!!!」

開かれた口に生え並ぶ鋭い牙は、食われた彼の仲間の血で赤く。
這い出てきた長い舌が、獲物を絡め取ろうと伸びていって…………

そして、『竜』の彼女はゆっくりと口を閉じ、彼もまた意識と共に闇に呑み込まれていった。




”バグッ! ゴクリッ”


直ぐに喉が鳴り、彼女のお腹に獲物が入ると膨らみが更に大きくなる。
満腹の余韻に浸りながら、器用に前足でお腹をまさぐった。


『ふぅ……少し食べ過ぎね』

さすがに一度に食い過ぎたのか、彼女は少し身体が重く感じた。
幸いなことに竜の肉体は非常識で、どれだけ大食いしてもそうそう太ることなどあり得ない。
その証拠にゴボゴボとさっそく消化が始まる音が響いている。


だから身体が重く感じるのは別の理由で、単に飽きから来るものだった。
詰まるところ人を食い飽きているのである。

最近やたらと自分の縄張りに人がやって来る事に、彼女も疑問を抱いたことはあった。
何時も小腹の空いたときに来てくれるから、都合が良いと思っていたのだが、
さすがに頻繁にやって来るとなると、話は別である。
それもこれも、塔に隠された宝の噂のせいなのだが、彼女はそれを知らない。

……かといって、眠りの妨げになる者を放置しておくのも我慢ならず、
空腹を満たすついでに摘んでいるというのが、彼女の現状だった。


……そろそろ肉が軟らかい幼い子供を食べてみたい。

更に注文をつけるなら、出来るだけ獣人の肉が彼女の好みに合う。
それなら飽きもせずにいくらでも食べられる。


『そうね、久々に狩りに行くのも良いわ』

想像だけで貪欲なまでに食欲が湧き上がり、涎が零れる。

特に好みの味はじっくりと味わうのが彼女の流儀で、
鋭い牙で獲物に洗礼を与え、味を噛みしめ十分にそれを舌の上で転がし、
それから思い切って生きたまま丸ごと呑み込んでやるのだ。
いくら竜の彼女でも丸ごと丸呑みでは、少しばかりお腹が張ってしまい消化しきるのに時間がかかってしまうが、
その長く続く甘美な時間が彼女は好きだった。

しかし、今は消化が終わるまで食後の休憩をする必要があるようだ。


『ん……そろそろ眠くなってきたわね』

食事を取った後は何時もそう、身体が消化に専念したいと訴えているかのように強い眠気が彼女を襲う。
それに雨が来る前に一度は身を隠す必要があった。


『……ふわぁ……帰りましょう』

暢気に大きな欠伸をすると、彼女は翼を広げた。

それを一度羽ばたかせるだけで、食後の重くなったからだが大空へと舞い上がると、
円を描くようにその場で旋回し塔を目指した。

塔の最上階。藁や草木を集めて作った寝床が彼女の定位置だ。
さほど時間もかからず、塔の上空へとたどり着くと彼女はゆっくりと降下を始めた。
何度か羽ばたき、降り立つときは後ろ足から……




”ズシッ”


巨体の重量を受け止めた床が、悲鳴をあげるが不思議と崩れはしない。
しっかりと四肢で体重を支えると翼をしまい、歩いて寝床へと向かい柔らかな藁の上で、
膨らんだお腹を下にして、俯けに寝そべった。
心地よい消化の音が、微睡みに落ちていく彼女には子守歌のように響き……
竜の目が静かに閉じた。

次ぎに目覚めるときは、消化が終わり再び食事を始めるとき。
それまでは竜の眠りを妨げる物は現れない。



……そのはずだったのだが……



          ※    ※    ※



塔の主が帰還を果たし、より危険が増した塔の中であの二人は未だに追い駆けっこを続けていた。
かれこれ十分以上は経つはずなのに、両者のスタミナは底なしなのか、
執拗に後を追いかけてくる猫顔の獣人に対し、ライトは顔を引きつらせ逃げ回る。


「はぁ……はぁっ……い、、い……加減に諦めたらどうですか!」
「金貨を返せっ! ……っ……返せ!」
「か、返したら追いかけるのを止めてくれるんですか?!」
「そんなわけはないだろう!!」
「だったらどうすれば良いんですか!!」

心からの絶叫。ちょっとした出来心を抱いた自分にライトは心底、後悔しながら走り続けた。
それにしても走りながら、よくこれだけ叫ぶことが出来るものである。

しかし、そんな長く続いた鬼ごっこがそろそろ終演を迎えそうだ。

手当たり次第塔の中を走り回ったライトが、長い通路を走り抜けると広々とした部屋にでる。
部屋の片隅にはさらに上の階へと続く階段が見え、
逃亡の舞台をさらに上の階へと移すと思われたが、ライトの足が唐突に止まってしまう。
部屋の中央に開いた巨大な穴。
助走をつけても走って飛び越えるには広すぎて、大きな障害物となっていた。


「……こ、こんなときに!」
「追いつめたぞ……さぁ、金貨を返せ!!」

ライトが振り向くと、猫顔の獣人がナイフを逆手に構え、もう片手を突き出している。
後ずさることはもう出来ない……


(そろそろ、覚悟を決めないといけませんね。
 しかし、どうやってこの大穴を……?)

追いつめられた状況でライトは焦るどころか、逆に冷静になっていた。

危機はチャンス……この大穴を飛び越せば、相手との距離を大きく引き離し、
無事に逃げおおせる事が出来るかも知れない。
頭の中をフル回転させ、ライトはこの場を打開する策を巡らせる。


(……エアボードはさすがにだめでしょうねぇ)

最も簡単な方法のエアボードを取り出すような隙は、さすがに与えてはくれないだろう。
ならばと手持ちの道具を頭の中で吟味する。

ライトの持ち物の多くは、逃げるため相手の意表をつくものが大半だ。
例の『閃光弾』は残り二つ。
足止め用の『まきびし』『とりもち玉』は、まだ手持ちに余裕がある。
他は『予備のロープ』が一本に『万能用途の楔』が幾つか。
少々心とも無いが、これらが直ぐに使用できるライトの持ち物の全て……

後は使い方しだいと、道具を取り出す隙をどうやって作るかだが……


「早くしろ! 金貨を返せ!!」
「わ、わかりましたよ……少し待ってください……」
「ようやく素直になったみたいだな。……さあ、早く!」

歓喜を帯びた猫顔の獣人を尻目に、道具袋をゆっくりとまさぐり、
いかにも探していますという演技をしてみせて、ライトは気が付かれないように部屋の内部を見渡した。
時間はあまりない、素早く目的の物に目星をつける。
後は勇気を持って実行するだけだ


「あっ……見つかりました。 ……これですね?」
「それだ、こっちに寄越せッ!」

取り出した古い小袋を、猫顔の獣人はライトの手の中からひったくるようにむしり取り、
警戒するように油断無く鋭いナイフを突きつけたまま、


「まだ動くなよ……中身をすり替えてないだろうな?」
「ははは、そんなわけ無いじゃないですか……」

内心……鋭いとライトは冷や汗を掻く。
すり替えるというのは、この作戦でとても重要な位置を占めている。
ゴクリと息を呑むライトの目の前で、猫顔の獣人が小袋の口を開け中を覗き込んだ。




”ピンッ”


「へっ?」

猫顔の獣人が袋を開けた途端に、中から何か小さな金属片が飛び出してくる。
思わずそれを目で追いかけて、直ぐに袋の中に目を戻した。

次の瞬間、凄まじい閃光が再び猫顔の獣人の目を焼こうとする……が、


「二度も引っかかるか!」

袋の中にある閃光弾を認めた瞬間に、猫顔の獣人は袋を放りだしている。
素早く光から顔を背け、手で光を遮った。
けれども溢れだした光は止まらない。強い光が弾け、部屋の中を白く染め上げて完全に視界を塞ぐ!


その僅かな時間を使い、ライトは動いた。
丈夫そうな天井に向けて、とりもち玉と共に楔を括り付けたロープを投げつける。
普通なら固い石の天井に楔は簡単には刺さらない。
だが、強い吸着力があるとりもち玉が、打ち付けられた楔を吸着してくれた。

後は天に運をまかせ……ライトは大穴に飛び出す。


「ふわぁぁぁあ!!」

加重がかかり、楔が今にも外れそうに軋み、ロープはしがみつくライトを乗せて、
大きく振り子のように揺れていき限界まで振れると、勢いに負けてとりもち玉から楔が剥がれ落ちる。

楕円を描くように一度高く放りだされ、辛うじて大穴を飛び越えるが、
宙を泳いだライトはそのまま落下した。




”ドサッ!”


「げふっ……痛い……うぅ……でも、何とか成功したみたいですね」

激しく身体を打ち付けたようで、かなり痛そうにライトが石畳に這い蹲りながら身体を捩る。
それでも辛うじて受け身の御陰で、何とか打ち身程度ですんだようだ。
危険な賭だったが、運命はライトに少しだけ味方をした。

ヨロヨロと立ち上がっていくライトに向けて、猫顔の獣人が対岸から焦った声を投げかけてくる。


「ま、まてっ!」
「……痛……残念ですが、そろそろ諦めてもらいますよ」

正直、これ以上の追い駆けっこは御免である。
悪あがきをするかのように、対岸に取り残された猫顔の獣人がナイフを投げつけてくるが、
今更そんな物に当たるようなライトではない。

悔しげに顔を歪ませる相手から目を離さないようにしつつ、
ジリジリと後ずさって階段を背にすると、


「お互いそろそろ不毛なことは止めましょうよ。一応……金貨はお返ししたのですから、
 これ以上は、追い掛けてこないでくださいね?」
「ぐっ……ぐぅぅっ!!」
「そ、そんなに睨んで無駄ですよ。じゃ、じゃあ……僕はこの辺で失礼します!」

この期に及んで猫顔の獣人が自分を追いかけてくる……
そんな気がしてライトは脱兎の如く逃げ出すと、螺旋状になっている階段をひた走り、
猫顔の獣人の前から姿を消したのだった。



          ※    ※    ※



相手を取り逃した。最後の最後で何も出来なかった。
その事に大きなショックはない。

猫顔の獣人は、一度投げ出した小袋を拾い上げる。




”ジャリッ”


「……全部ある」

中身の金貨を数えると、十四枚全て揃っていた。
自分の大切な物を奪い去った事は、正直……殺してやりたいほど許し難いがことだったが、
無理をして相手を追い掛ける必要はなくなったのである。

それに、この先に足を踏み入れることが彼には出来ない。


「俺には首領との約束が……」

呟く彼の顔からは、ライトを追い掛けていたときの狂気が消え失せていた。
最後に彼の敬愛する首領と交わした最後の会話が、静かに脳裏に思い起こされる。

『ここから先には来るな、帰ってくるまで待っていろ』

それが彼の全てだ。
この大穴を飛び越えて首領を探しに行きたい、そう思わなかったわけではない。
だが、その約束を違えることが今日まで出来なかった。


それに彼は知っている。この先に化け物がいると……竜がいると。

あの恐ろしい竜を見たのは、塔に滞在してから凡そ三日目の事だった。
運良く見つけ出した隠し部屋に隠れ住み、帰らぬ首領を待つ焦燥で激しい焦りを感じ、
手持ちの食料も尽きて空腹も合わさり彼は衰弱していた。

そんなとき……恐れてたもの達が現れてしまう。
宝の噂を聞きつけた彼等の後続。

しかし、それをどうすることも出来ずに猫顔の獣人は、隠し部屋から彼等の姿を見ていることしかできない。



そんな時に……竜が舞い降りた。


『フフフ……頂きます』

遠く離れていたはずなのに、彼の元にまで竜の呟いた声がはっきりと聞こえた。
見る者に声を聞く者に恐怖を振りまいた後、竜は後続に襲い掛かり、
巨大な口で容赦なく食らいつき一人ずつ貪っていく。
暴力的なまでの強さに食欲に、悲鳴をあげながら人が逃げまどい、
無謀にも立ち向かう者もいたが、一人残らず竜の腹の中へと収まってしまった。

腹が膨れた竜が立ち去った後……生き物の気配はなく。
残されたのは、無傷の荷物だけ。
猫顔の獣人が、荷物を奪い食料を得ようと思いついたのはこの時だった。


その後も宝を求めてこの塔にやってくるものは後を絶たなかった。
人間に獣人、遺跡荒らしに、盗賊、探検家……様々なもの達が、欲に駆られて宝を探し求め、
その全てに竜は平等に襲い掛かり、全てを喰らう。
竜に食い散らかされた後に残された物の掃除が、彼の仕事となるまでそれほどかからなかった。

そうやって猫顔の獣人は何度も食料を金品を奪って生き延び、
気が付いたら数ヶ月も経過していたのである。

そして、ライトがやってきた。





……あとは、知っての通りだ。
まだ、持ち主が生きてるとは思いもよらず、不意を打たれて首領から預かった大切な物を奪われる。
慣れない格闘戦や追い駆けっこのすえに、それを取り戻したが……
今まで聖域とかし、訪れることの無かったこの部屋を見て心が揺れた。

そんな彼の目の前に幻影が現れる。
猫画の獣人に背を向けて、無言なままで口だけを動かし『来るな』と告げるために。


「…………首領、俺は」

久々の首領の姿、幻影だがそれでも彼は涙を流す。
本能的にその声に頷き、踵を返し歩き出し……そして、止まった。

本当にこのままで良いのかという迷い。
首領の背中を追い掛けたいという思いが彼の足を止めた。
今まで誤魔化していた思いが、首領の幻影を見た途端に噴き出して……

彼は初めて首領の言葉に背く。
道を阻むのは大穴一つ……問題ない、すでに穴の越え方を先人が教えてくれたのだから。



          ※    ※    ※







”ガラガラ”


「ひっ……追い掛けて来ない……ですよね?」

背後の階段が少し崩れ、その物音に怯えてライトが後ろを振り向いた。
そこには執拗に彼をつけ狙う、猫顔の獣人の姿が見えそうで彼としては非常に怖い。

しかし、姿は見えずライトは、ほっと一安心した。


「ははは……はぁ、当分夢に見そうですね」

自分の呟いた事に悪寒を感じて、空笑いをしながらブルブルと身震いする。
ひとしきり怖がった後で、ライトは気を取り直し再び歩き始めた。

彼の見立てでは次の階が最上階の筈だった。
一体何が待ち受けているのか、怖くもあるが同時に好奇心が膨らむ。
怖いもの見たさとも言えるかも知れないが、それがライトだけではなく探検家という生き物の性なのである。

もっともそれが災いして酷い目に合うことも多々あるのだが……


「そう言えば、結局……ガーディアンは出てきませんでしたね。
 いるとすればこの上……でしょうか?」

考えるまでもなく、その可能性は非常に高い。

静かにライトは目を閉じると、耳に意識を集中し音を探った。
最初は何も聞こえない。より集中力を高め、高め……耳の感度を敏感にする。
すると微かな物音をライトの耳が捕らえた。

とても穏やかに息を吸い、深く吐き出す……呼吸の音。


(寝息……? 誰か眠っているみたいですね?)

相手の存在、状態の情報を得ると、ライトは耳に集中させて意識を戻す。


「ふぅ……上手くやればやり過ごせるかも知れませんね。
 人を襲うような相手とは、もう戦いたくありませんから好都合です」

それにこれはライトの推測だったが、『幻獣』と呼ばれるような、
未知の生き物がいるのではないかと思っていた。

名の記すとおり、幻獣とは人にとっては滅多にお目にかかることのない生き物だ。
各地を渡り歩く探検家であるライトでも、その姿を見たことがない。
彼が知っているのは書物で得られた、少しばかりの知識だけだ。
その知識の中に人を喰らうような、巨大な幻獣の記述があったはずである。
もしもこの先にいるガーディアンが、そのようなたぐいの幻獣だとしたら危険極まりない。

実際にこの先で、凶暴極まりない幻獣である『竜』が眠っているのだが……
しかし、それでもライトは前に進むつもりだ。


「何にしても、この塔に入ると決めたときから多少の危険は覚悟の上です。
 それにここまで来たからには、一度その姿を見てみたいですしね」

この先に待ちかまえる相手に対して、余りにも心とも無い準備と決意でライトは階段を登る。
いざというときのためか、すでに彼の切り札であるエアボードを脇に抱えていて、
何時でも逃げ出す用意だけはしている。
大抵の相手なら空に逃げれば、まず逃げおおせるはずと言う魂胆だ。


「さて、そろそろ階段も終わりみたいです。
 最後の守護者の姿を、見せて貰いましょうか……」

好奇心という物を満たすためとはいえ、今回のそれは余りにも無謀な行為だ。
馬鹿な獲物は自ら死地へと飛び込んでしまい、



そして、『兎耳の獣人・ライト』は初めて竜と出会う。




Re: 竜と絆の章 4 【火竜の印】 ( No.3 )
日時: 2009/12/24 23:37
名前: F





(4)



―― 赤熱の塔 最上階 ――


ライトが階段を登り切ると、そのまま狭い通路に出た。
たどり着いた通路には殆ど奥行きが無く、歩いて直ぐの右手に木製の扉が崩れ落ちた門がある。
侵入者の行く手を阻む術を失っている門の中を覗き見ると、
最上階のスペースを殆ど使用しているのではないかと、思われるほどの広い部屋が広がっていた。

部屋の内部は一定の間隔で、無数の太い柱が立ち並んでいる。
遙か昔は天井を支えていたのだろうが、幾つかの柱は折れたり倒れたりしていて、
役目を果たしていない物が多く見られた。
柱がそんな状態だからか、天井も半ばから崩壊していて、その部分が大きな吹き抜けとなっており、
崩壊に巻き込まれたのか周辺の壁面も崩れ落ちている。

まだ部屋の入り口付近にライトのいる場所から、遠くまで広がる森や空が見えるのだから、
崩壊の大きさがうかがい知れるだろう。


「…………ゴクッ」

今までとは雰囲気がまるで違う。雰囲気に呑まれて軽く息を呑みこんだ。
ガーディアンの姿は彼の位置からはまだ見えない。

僅かな足踏みの後、意を決してライトは門をくぐり部屋の中に入った。


「ふわぁっ……な、なんですか?」

明らかに空気が変わる。気温が高い。まるで大気が動いていないのだ。
正確に比べる方法がないが、体感できるだけでも外と中では数度は違うのではないだろうか?
まるで全てが異質な別の世界、そんな場所に入り込んだような……
空気に重さを感じて、酷く息苦しかった。


「はぁ……はぁ、なんか息苦しいですね」

肺に入り込む温度の高い空気が、どうしてもなじめずライトの息は荒くなる。
恐らくこの部屋自体が、異質な何かに包まれている……そんな感じがした。
それが何なのかを探して、ライトは崩落した壁面へと移動する。

……その途中で崩れた柱の瓦礫の山があり、ライトはそれを迂回いすることになった。
その際に今まで死角になっていた瓦礫の向こう側を覗き見て。


「……っ……ふっ……ふわっ」

叫ぼうにも声にならない。
特徴的な耳が思いっきり立ち上がり、毛も全体的に逆立っている。

勘違いしてはならないが、ライトの耳は決して万能ではない。
聞くことに集中している時ならいざ知らず、常時の状態だとかなり耳の良い人間に収まる程度だ。
だから、気を抜いていると物音に気が付かないこともある。

今回の事もそう言うことだった。



何気にライトが覗き込んだ瓦礫の向こう側が、竜の彼女の寝床になっていて、
なおかつ二人の距離は数メートルほど……


(ほ、、本当に幻獣?!! し、しかも……竜……火竜ですか!)

書物の記述が確かならば火竜とは、出会ってはならない幻獣の一つに数えられる。

この世界に竜と名の付く生き物は、数が少ない割に意外と種類が多い。
ライトが知っているだけでも、『火竜』『水竜』『風竜』『地竜』……など、竜を代表するモノを
あげるだけでもこれだけ居るのだ。
それら全ての総称として竜族と、大まかなカテゴリーで括っているのだが、
例外として獣人の中でも、竜に近い姿を手に入れた竜人という種族も存在する。

それら竜族の中でも、『火竜』とはかなりの凶暴性を秘めていることで有名だ。
目当ての獲物を手に入れるために、森一つ平気で焼き払うとまで言われている。

さすがにそれは誇張だとライトは思っていたが……
実物を目の前にして、それを誇張だと言い切ることは出来ない。
それほどまで目の前で眠っている火竜から感じる気は、かなり高圧なものなのだ。
大抵の物はこの気を浴びて、身体を硬直させてしまい命を落とすことになる。


(……じゅ……寿命が縮みます!!)

間近でそれを浴びたライトも例外なく、身体が硬直し逃げるに逃げられない状況に陥っていた。
最初に決めていた覚悟などあっさり粉々に砕け、微塵も残っていない。


出来ることと言えば、目の前で安らかに眠る火竜の寝姿を観察するぐらいだ。

幸運にも火竜の彼女は、ライトに気が付かないまま、安らかに眠っている。
こうしてライトのように間近で見ていると、竜が静かに寝息の音が規則正しく繰り返し、
小山のような身体を僅かに上下させて呼吸をしているのがよく分かった。
俯けの姿勢以外はとれないのか、寝返りを打つ気配はない。


(意外と……お、大人しいですね? 折角ですし、もっと観察させて貰いましょう)

時間と共にライトは落ち着きを取り戻し、随分と大胆な考えを抱くにいたった。
確かに探検家としては、幻獣である竜は興味が尽きない対象だろう。

だがライトは火竜である彼女の本性を知らない。
他者を餌と見なす、あの瞳を知っていれば落ち着いて観察する事など、
出来はしなかったはずだ。

まさに知らぬが仏である。


そんな調子で竜の身体をよく見れば、火竜の中でも少々小型の部類に入るだろうと分かった。
大きな翼の生えた巨躯は全長十メートルほど、全身を守る鱗はかなり堅固に見え、
それとは逆に腹部は、柔らかい蛇腹に覆われている。

もっとも、ふくよかに見えるのは、彼女が食事を終えてさほど時間が経ってないからだが、
その膨らみは明らかに一回り小さくなっているように伺えた。
彼女が食事を終えてから、小一時間も経っていないというのに、竜とはいえ驚異といえる消化能力である。
……いや、そう考えると、むしろ膨らみと言うより、
消化を終えた後のお腹に僅かな蟠りが残っている感じに見えなくはない。


もはや彼女の目覚めは、時間の問題……それは今かも知れないのだ。


しかし、そろそろ竜が起きるかも知れないという危険性に気づく気配はなく。
ライトはつぶさに火竜の肉体を観察し続けていた。
湧き上がる興味は留まることを知らず、より細部に至るまで。
そこまでライトを夢中にさせてしまうほど、完成された姿と言うべきか……
火竜の姿には目を惹き付ける魅力があった。

特にライトは二本の角がある竜の頭部に生えた、ブロンドの髪に目を奪われているように見えた。
前髪は顔にかかるほど長めで、後ろ髪は首の付け根まで伸びている。
体色よりは赤くはないが、燃えるような輝きを放ち、
結構動きのあるウェーブ状のくせっけも伴って、まるで炎を連想させた。

それは、まさに火竜に相応しい。
強大さ、恐怖、畏怖……火竜の姿に様々な物をライトは抱いたが、最終的に一つの感想を洩らすに至る。


「……美しいですね」

観察をすればするほど、ライトは虜になる。

もっと近くで見てみたい……そんな欲求が噴き出す。
瓦礫が散らばる足下を疎かにしたまま、ごく自然と足が前に出た。

そして、躓く。


「ふわっ……あ、足が……っ!」

さすがに転倒はしない。だがライトは思わず近くの瓦礫にもたれ掛かってしまった。
……それも両手で。




”キンッ!”


左の小脇に抱えていたエアボードが支えを失って滑り落ちる。
そのまま石畳に落下すると、金属の円盤は決して小さくはない音を立て転がり、
少し離れたところで横倒しになった。


「……あっ」

その物音でライトは現実に引き戻された。
自分がしでかした事の重大さ、致命的失敗を理解して顔が青ざめる。

……息の詰まる静寂が訪れた。


しばらくすると何かが動く気配を間近で感じる。
その気配のする方へ、息をする事も出来ずライトがゆっくりと火竜へと目をやるのと、
眠りを妨げられた火竜が目を覚ますのとは、ほぼ同時だった。

ゆっくりと立ち上がり、眠りを妨げられた火竜は首を振りながら不機嫌そうに呟く。


『……五月蠅いわね』
「あっ……ぁぁ…………やってしまいました」

目の前で立ち上がった火竜。
再び恐怖感が蘇り、ライトは腰が抜けたようにその場に座り込んでしまう。


『誰……?』

そして、火竜の彼女は領域を侵す侵入者に気が付いて視線を向ける。
燃えるような真紅の瞳を細めて……



          ※    ※    ※



普段の彼女は夢を見ることはない。
眠っているときは、何時も暗闇の中に意識が溶け、心地よい静寂の中で惰眠を貪る。




”キンッ”


そんな心地よい眠りに紛れ込んだ、不快な物音を彼女の耳は聞き逃さなかった。
静かだった暗闇の中に投じられた音が、波紋のように騒がしく広がって眠りを妨げる。
それは無理やり叩き起こされる様なものだ。

最初は無視を決め込み、眠ろうと思ったが一度覚醒すると中々寝付けない。
その御陰で、ますます彼女は気分が悪くなった。


『……五月蠅いわね』

中途半端な睡眠の御陰で、だるい身体をのっそりと持ち上げて立ち上がり、
首や尻尾を何時も通りに伸ばして、こりを解す。
そこで彼女はようやく、自分以外の存在に気がついた。

目の前で座り込んでいる小さな侵入者を見下ろし、彼女は問いかける。


『……誰?』
「……ら、ライトです」

相手の反応を期待していなかった分、返事が返ってきたことに彼女は驚いた。


『へぇ、私の声を聞いてまだ返事が出来るの……?』

これほど間近で向かい合って、冷静さを保っていられた相手は初めてだった。

気性が穏やかな『水竜』ならともかく、彼女は気性の激しい『火竜』。
小柄な個体とはいえ、その体から放たれる強烈な気は、他の火竜に勝るとも劣らない力がある。
更に特筆するべくは声にあった。
火竜の声には魔力があり、精神に作用する魔力が聞く者の冷静さを奪い去る。

だからこそ、大抵の生き物は竜を恐れるのだが、
怯えながらも返事を返してくる相手に、彼女は少しだけ興味を抱いた。

少しだけ相手に付き合ってみようと彼女は思う。
最後に食べてしまうまで。

それまでの本当に少しの間だけ……


そんな気まぐれを彼女が抱いたことで、身体から放たれていた威圧感が少しだけ軽減される。
それを見計らったようなタイミングで、ライトが声を投げかけた。


「あ、、あのう……?」
『……ん? 何かしら、黙ってないで言ってみなさい』
「あなたの名前は何というのでしょうか……?」

またもや目の前の小さな相手に驚かされた。
面と向かって彼女に名前を問いかけた相手など、同じ竜の同族を覗いては初めての経験である。

思わず彼女は頬を緩め、微笑みを浮かべた。


『へぇ……坊やって面白いわね』
「えっ……あはは、い、、いやなら別に答えなくても……」
『そうね、礼儀正しく返事が出来たご褒美に教えてあげてもいいわ……特別よ?』

……本来なら、直ぐに食べてしまう獲物を相手だった。
しかし、彼女は構わずに名を名乗る。

『火竜・フレイア』と。


そして、付け加えるように忠告した。


『言っておくけど、私を名前で呼ぶことまでは許さないからね?』
「は、はい! 分かってますよ……はは……あはは」

それにライトは何度目かの乾いた笑いを浮かべてしまう。
どうやら、名前で呼ぶつもりだったようだ。


『……ふふふ』
「……ははは」

静かな笑いの声が響いた後、二人の間に会話がついに途切れてしまう。
ライトにとっては居たたまれない時間の訪れであり、フレイアにとっては会話の終わりを意味していた。
楽しい時間は瞬く間に過ぎるもの……
フレイアはこの会話が楽しいと感じ、ライトに僅かながら好感まで抱いた。

しかし、それでも彼女にとって、他者とは『餌』でしかない。

それに会話が切れたのも丁度良い。
そろそろ彼女もアレの押さえがきかなくなってきた頃だった。


『ふふふ、それにしても命知らずな坊やね?
 名前についてはいいけど、折角気持ちよく眠っていた私を起こしたのは許し難いわ。
 ……竜の眠りを妨げた罰は受けて貰うけど、どうなるかの覚悟はあるわよね……?』
「ふわぁぁ……ご、ごめんなさ……」
『謝ってもだめ、知らないの? 竜の眠りを妨げた物の末路は……』
「…………ま、末路はどうなるのでしょうか?」
『知りたいの……?』
「ふわっ……や、やっぱりいいです。……ははは」




”ゴクッ”


自分の運命を悟って必死に空笑いを浮かべる目の前の獲物に対して、フレイアは異様なほど、
唾液が湧き上がるのを感じて思わず喉を鳴らす。
どうしようもない食欲に胸が高まり興奮が、抑えられない。


―― なんて、美味しそうな子なのかしら ――

最初から見たときから思っていた。

久しぶりに見る子供の姿だけでも食欲をそそられるのに、彼女が好みの華奢な体付きに加え、
見ため以上に幼い顔立ち、さらに好物の一つである獣人だ。
ごく自然と彼女は、この獲物に牙を食い込ませる瞬間を脳裏に展開させてしまう。
その時に感じる味は一体どれほどのものか……




”ジュルリ”


目の前に現れた理想の獲物を求めて、本能がそうさせるのか彼女には舌なめずりを止めることが出来ない。
これほど美味しそうな獲物を前にして、どうしてそれが押さえられようか!

際限なく高まる食欲に彼女は喜んで身を委ねた。





          ※    ※    ※




(ひぃぃ……やっぱり僕を食べるつもりなんですね)

その一方で蛇に睨まれた蛙……もとい、竜に睨まれた草食獣のような状況にライトは追い込まれた。
背中に滲み出す嫌な汗は止めることが出来ない。
動いてしまったらこの静寂を破る切っ掛けになってしまいそうで、それも出来ず……

心が張り裂けそうな緊張感の中でライトが思ったことは……


(……み、、見逃してくれないでしょうか?)

余りにも都合のいい考え、そんな考えを抱く暇があるのなら、
まだ逃げようとした方が良かったであろう。



そう……彼女は火竜だ。

食べたいと思ったときに食べるのが彼女の常。
だから……それは唐突だった。






”ガバァッ!”


火竜・フレイアが僅かに身を屈めるように姿勢を変え、目の前のライトがそれに気が付く頃には、
すでに獲物に食らいつかんと巨大な口が眼前にあった。
目の前一杯に広がる真っ赤な火竜の口に……蠢く舌……ライトの視界にはそれしか映らず、
反射的に避けることも、叫ぶことも出来ない。
余りにも唐突で、巨体に見合わぬ火竜・フレイアの高速な捕食行為。

……それは、人が反応できる速度を超えていた。


「えっ? うぶっ!」

惚けたように声を出すライトの姿は、あっと言う間に火竜・フレイアの口に覆い隠されてしまう。
この時にライトにとって幸いな事が二つ起こった。

その内の一つ。火竜・フレイアが獲物を生きたまま丸呑みにするために口を閉じる時だけは、
力加減をして比較的緩やかに口を閉じようとしたこと。
もう一つは、彼女の口がライトに覆い被さった時に、突き出た舌が彼の身体を突き飛ばしたことだ。




”ガチィッ!”


そして、音を立てて噛み合わさった竜の牙の間には、あわれな獲物の姿はない。
勿論噛み合わさった牙の内側にも居ない。


「う……ぐっ?!」

舌に突き飛ばされたライトは、訳も分からぬ間に仰向けに倒れ込んでいた。
リュック越しにも背中を打つ衝撃で、顔が歪むが……

そんな顔に何かが滴り落ちる。




”ボタ……ボタ”


滴り落ちたのは、火竜の涎……それは非常に高い熱を持った液体だ。

火竜であるフレイアの体温は常温で四十度を超えている。
それが獲物を狩るためすでに臨戦態勢にはいり、気が高ぶるにつれ、百度……いや、それを超える。
すでにフレイアを中心として風景を歪めるほどの陽炎が現れ、恐ろしいまでの熱気が、
部屋の温度を急激に上昇させていった。

今の彼女の肌に触れでもしたら……タダではすむまい……

それは彼女の体液も同様だ。人間とは成分が異なるのか百度を超えていても沸騰していないが、
有る意味……熱湯に近い涎が、ライトの肌に熱を伝える。


「ふわぁぁああああ!」

途端に灼熱する顔に手を当てて、ライトは地べたを転げ回った。
少量だった御陰で火傷こそしていないが、ひりつくような痛みでライトの目から涙が溢れている。
……が、指の間から覗く狭い隙間に、火竜が大きく前足を擡げたのを認めて、
焼け付く痛みを無視し、ライトは必死に横に転がった。

その直ぐ後に、火竜・フレイアは足を踏み下ろす。




”ドシッ!”


踏み下ろされた衝撃は石畳を揺るがすほど。
実際にはかなり手加減していたようだが、それをライトは辛うじて回避する。


『あら? 良く避けられたわね?』

手加減していても、これまで避けられたのは意外だったのか火竜・フレイアが思わずそれを口に出した。
直ぐに気を取り直して、再度足を上げライトを取り押さえようと踏み下ろす。

しかし、すでにライトは体勢を立て直していた。


「ひぃぃっ! 食べられるのは勘弁です!!」」

悲鳴をあげながら、両手で石畳を突き放すようにして前にでながら素早く立ち上がる。
小柄な背丈も幸いして、火竜・フレイアの前足を上手くかいくぐり、二度目の踏みつけも避けることが出来た。
真後ろに響く地響きを聞いても、ライトは後ろを振り返らない。

彼のもっとも得意技、文字通り火竜の手の中から脱兎の如く逃げ出す!


『待ちなさい!』
「待ちません! ま、待ったら食べるつもりでしょう!!」

己の懐の内から逃げ出していく、獲物に火竜・フレイアが焦ったような声で制止を呼びかけるが、
それをライトは当然の様に無視をした。
ついに本性を顕わにした竜の恐怖は、今までとは比較にならないほど怖い。
今にも身が竦んでしまい、足がもつれて今にも転びそうだ。

それでも止まってはならないと、ライトは身をもって理解していた。
必死に走って、相手の手、牙の届く範囲から逃げ出さないと待ち受ける運命は一つ。

それは『火竜の餌食』だ。


「あと……もう少しです!」

あの時に落としたエアボードの元にまで、ライトは真っ直ぐに駆け寄っていく。
その距離が残り数歩の所で、ライトは追いつかれてしまった。


『ふふふ、あらあら……逃げられると思ってるのかしら?』
「ふわぁあ! い、いつのまに……そんな?!」

舌なめずりする音、火竜の声がライトの真後ろで響いた。
逃げ切れる……そう思っていたから、驚きでライトは思わず後ろを振り向いてしまった。

そのせいで足取りが鈍る。




”ドスッ!”


僅かな隙を逃さずに、火竜・フレイアは完全に追いつき、今度は鼻先でライトを突き飛ばした。
華奢な身体がくの字に曲がり、軽く宙を泳いでライトは倒れ込む。


「あぐっ……」

それを見届けて、火竜・フレイアは嗜虐的な笑みを浮かべた。
これからこの獲物をどうやって食べてやろうか、そんな思惑が見て取れるような……そんな笑い方だ。


『結構早かったわね、私ほどじゃないけど……ふふふ、逃げられると本当に思ってたの?』
「うぅ……もうすこ……」
『無駄な抵抗ね、逃がさないって言ったでしょう?』

それでも這いずって、少しでも逃げ出そうとするライトに向かって、火竜の手が伸びる。
どんな獲物でも容易く括り殺せそうな鋭い爪が、背中のリュックを摘み上げると、逃げた分だけ引きずり戻した。
そうやって自分の懐の内へとライトを引き寄せると、
食事の邪魔になりそうなリュックは剥ぎ取り、投げ捨ててしまう。

次はカバンの方だ。それすら奪い去ろうとする火竜の魔の手から、
ライトはカバンを抱きしめて必死に抵抗した。


『ほら、それも渡しなさい。食事の邪魔になるでしょう?』
「……やめて……見逃して…………見逃して下さいよ」
『ふふふ、必死に足掻く姿が素敵ね』

明らかに火竜は遊んでいる。
その気になったら、容易く奪い取れる筈なのにあえて加減して、
綱引きを楽しんでいるようだ。

時間をかけて、相手の必死な抵抗を弄ぶかのように徐々に力を入れていく。
しだいにライトの手が、力負けして伸びていき……


「うくっ……もうだめ……!」
『しょうがないわね、仕方ないからカバン一つぐらいは見逃してあげる』
「よ、よか……ふわああっ!」

綱引きに飽きたのか火竜・フレイは、ライトが死守するカバンから手を離した。
その変わり、安堵するライトの服襟を摘み、そのまま持ち上げる。


「あ……今度は僕をどうするつもりなんでしょうか?」
『分からないの? それぐらいなら呑み込むときも、消化にも支障は無いし、
 今回は特別サービスに、一緒にお腹に入れてあげようと思ったの、優しいでしょう?』

何をされるか分からないと言うより、分かりたくないというのがライトの表情から読み取れるが、
火竜は事も無げにそう言ってのけた。

容易く肉をかみ切れそうな牙に反して、竜とは不思議と獲物を頭から丸呑みにする食性であることが多い。
確かにフレイアは小柄な火竜だが、彼女も同様に丸呑みを好む。
そのためか竜の消化器官は、同時に複数の人を受け入れられるだけの機能を備え、
それに合わせて喉も胃袋も強靱で柔軟だ。

いくらライトがカバンを抱えていても、大の大人にも及ばない。
火竜である彼女が、その気になれば造作もなく丸呑みにしてしまうことだろう。


「えっ……あ……ぼ、僕としてはその……食べられるのは、ご遠慮願いたいのですが……」
『だめよ、ここまで私が譲歩してあげてるんだから。
 いい加減に、坊やも覚悟を決めなさい』

ついに食べられてしまうのかとライトは青ざめるが、一部の望みを託してお願いをしてみた。
それを火竜は当然のように拒否。

会話はここまでだと、言わんばかりにライトの戯れ言を切り捨てると火竜が口を開け放つ。
熱い吐息が吹きかかり、焼け付くようなそれにライトは身を捩る。
そんなライトに見せつけるかのように火竜の口からは涎が滴り、長い舌がだらしなく垂れ下がると……
急激に舌先が跳ね上がって、ライトの顔を舐めあげた。




”ベロッ”


「ふぁぁっ!? 熱っ……な、舐めないでくださいっ!」
『あら、どうして? 食事の前に味見するのは誰でもやることじゃないの』
「やめっ……止めてくださいっっ!」

制止の声を全て意に返さず、火竜・フレイアはライトの顔を執拗に舐め回す。
舌の這った場所には、湯気がでる程の熱い唾液が付着し、熱せられた部分からライトの肌は赤く変色していった。

ライトもただやられまいと抵抗をするのだが、肉厚の舌がまるで蛇のように蠢いて、
押し返そうとするライトの手の合間を縫ってすり抜けてしまう。
それでいて時には抵抗する腕に巻きついたりと、
火竜の舌は予測不可能な変幻自在な動きを見せて、ライトは舌に舐め回されるばかりだ。




”ペロ……ピチャ……ジュルジュル”


単なる味見……だが、火竜の舌の動きには一貫した動きに特徴があった。
温度の高い粘液質の舌は、常にライトの肌が露出した部分のみを狙い続けているようなのだ。
幾重にも重ねるように唾液を塗り込まれ、
皮膚を滴り落ちる唾液は衣服にまで染みこみ、水分を含んだ生地は重みを増す。

動くだけでも無駄に体力を消耗させられて、ライトの動きが目に見えて弱々しくなってきた。


「うっ……ぁぅ……」
『んっ……んっ……ふふふ、大分大人しくなってきたわね』

ろくな抵抗も無くなったところで、火竜はようやく舌を引き離す。
彼女の口回りも、ライトに負けず涎まみれだが意に返した様子はない。


『随分頑張ったわね、坊やみたいに生きの良かった子は久々よ。
 大抵は直ぐに気絶しちゃうから……でも、そうね、確か……坊やの他にも頑張った子がいたかしら?』

滴る涎をそのままに、思案する火竜はライトを見つめ少し興奮した様子だ。
すぐに火竜は何かを思いだしライトに顔を寄せる。


『そう……一人だけいたわね、坊やと違っておっきな『わんちゃん』だったけど。
 数ヶ月ぐらい前だったかしら?
 宝はどこだって、私の寝床に入ってきたから罰を受けて貰ったわ』
「……そ、それって」
『勿論……今から坊やが受ける罰と同じ』

火竜は大きく口を限界まで開き、真っ赤な口内をライトに見せつけた。
それだけで容易に察することが出来る。

……食われたのだ。この火竜に。

より明確になった己の運命に震えるライトを尻目に、
その時のことを思い出したのか、火竜は饒舌にその時のことを語り出す。


『正直……人を相手にして、苦戦したのは初めてだったわ。
 生きたまま丸呑みするのが好みなのに、とっても頑張るから捕まえるのに苦労したのよ。
 こんな部屋の中じゃ、私の力は半分も使えないのも苦労した理由ね。
 そんな感じで色々と苦労はしたけど、その分に見合うぐらい食べ応えは合ったわ。
 味は申し分なかったし。
 ふふふ、そう言えば坊やとあの子とはまるで正反対ね。
 でも、最後に私に食べられるのは一緒よ。ねぇ、坊や……聞いてるかしら……?』

一度言葉を切ると、火竜は息をため軽く吐息をライトに吹き付けた。


「ふわっ……ゲフッゲフッ……ぁぅ……」
『あら、ご免なさい、坊やには少し熱かったみたいね』

間近で熱風を浴びせられたライトが、息の熱と生臭さに激しく噎せ返る。
直ぐに火竜は謝罪をするが、それに対してライトには僅かに目を上げる程度の動きを見せただけだ。
ろくに身体を動かさないところを見ると、すでに味見で体力を消耗しきってしまったのか?

摘んだまま様子を見るように、火竜はライトを左右に揺らす。


『そろそろ限界かしら、坊やは早く楽になりたいと思ってる?』
「はぁ……はぁ……」
『もう、返事をする力も無いみたいね』

無言を肯定と判断し、火竜・フレイアはライトを一度自分の顔から遠ざけた。
ついにこの獲物を口に入れるときが来たと、口元が大きく裂け妖艶な笑みがうっすらと浮かぶ。


『ふふふ、力を抜いて私に身をまかせると良いわ。そうすれば痛くないから。
 そのあとは私の中で、ゆっくりと休みなさい』
「……ふぁぁ」

僅かな呻き声を洩らすライトの目の前で、裂け目が大きく広がっていった。
これで何度目かの火竜の口内が覗く。
すると上から落とし込むように呑み込むつもりか、火竜は上向きに頭を擡げると、
吊し上げていたライトを高々と持ち上げて、口の真上にまで移動させた。

湧き上がる唾液に火竜の喉が何度も何度も音を鳴らす。
それは、彼女の喉が自分の意志を持って、獲物を早く呑み込んでしまいたいと訴えているかのようだ。
促されるままに火竜は、口の中へとライトを摘んだまま手を下ろしていく。


『んっ』

小さなライトの身体はスッポリと口に包まれた。
舌に振れる獲物の味を感じて、フレイアが少し嬉しそうな声を漏らす。

後は爪を離し、口を閉じるだけ。


『……んくっ、頂きます』

軽く喉を鳴らし、火竜・フレイアはライトに軽く謝辞を贈る。
いつの間にか覚えた人の真似事だが、この言葉の響きが何となく彼女は好きだった。




”ヒュンッ!”


その心地よい、時間に紛れた物音。
正確に彼女の頭部を狙い投げられたそれは、確かな殺意を持って火竜・フレイアに迫る。
しかし真紅の瞳はそれを瞬時に認め……

この無粋な横やりに、火竜・フレイアは激怒するのだった。



          ※    ※    ※



『邪魔!』

素早く身に迫る危険を察知した火竜の表情が激変し、怒りに満ちた目をある一点に向けると、
なぎ払うように振るわれた尾が、高速で飛来する何かをはじき飛ばす。
遠くで石畳に何かがぶつかる音がするが、火竜は初めからそれには興味を示さず、


『出てきなさい、それとも引きずり出されたい?』

真っ直ぐに部屋の入り口へと、視線を動かし声を投げかける。

不機嫌だと言うことをまるで隠さない声に、隠れていた者は自ら姿を現した。
……目から涙を零し、両手にナイフの変わりに短刀を握った猫顔の獣人が、
同じ……怒りの形相を顕わにして。


「こ、殺してやる!」
『礼儀を知らないみたいね。私を殺す……食い殺されるの間違いじゃないの?』
「黙れ! 首領の仇だ!!」

それで全てが察せられる、彼は全部聞いていたのだ。
火竜がライトに語った、手強かった獲物の話を盗み聞きして直ぐに理解したのだろう。
その時に食われた者が自分の敬愛する首領なのだと。

今の彼にはライトの姿は映ってはいない。
憎しみにぎらつく瞳で、火竜であるフレイアを睨みつけ、復讐者となった猫顔の獣人が動く。
竜に立ち向かうなど誰もが止める無謀な行為だが、敬愛する首領を待ち続けても、彼の元にはもう帰ってこない。
苦労して集めた資金も首領が居ないのなら必要ない……彼は全てを失った。

もはや、猫顔の獣人には自分の命すら興味がなかった。
あるのは仇を討つ……それだけだ。


「よくも! よくも首領を……覚悟しろ!!」

叫びながら猫顔の獣人は、真っ直ぐに火竜へと突っ込んだ。
まるで防御を考えていない捨て身の攻撃。

向かってくる相手の姿を見据え、火竜は振るわれる凶刃から身をかわそうともしなかった。
無防備な相手に猫顔の獣人は刃を少しでも深く食い込ませようと、
勢いよく飛びかかり、跳躍の勢いを利用して短刀を振るう。
弧を描く軌跡で振るわれた斬撃は二回。十字に交差するように火竜の肌を斬りつけた。
激しい火花が散り、確かな手応えに彼は狂気の笑みを浮かべる。

だが、その笑みは次の瞬間に驚愕の表情へと変わった。


「なっ?! 傷一つ無い?」

捨て身で放った渾身の一撃、彼の出来る最高の技を、火竜の鱗は容易く受け止めてしまったのだ。
逆に彼の持つ短刀の方が手酷いダメージを負っている。
たった一太刀振るっただけで、激しい刃こぼれでもう使い物にはならない。

壊れた短刀を二本とも捨て去り、変わりにいつものナイフに持ち替えながら後ずさり、
猫顔の獣人は、自分が立ち向かおうとしている者の姿を見る。

彼の首領を喰らった火竜はまさに……


「こ、、、この、化け物!」
『ふふふ、覚悟する必要はなかったわね、気が済んだかしら?
 気が済んだなら、次は私の番よ』

自分が弱らせた獲物――ライト――は、戦闘の邪魔になると、適当に石畳の上に転がしておいて、
火竜・フレイアが僅かに姿勢を変えた。
若干低めに身を屈めて、相手に対して背中を向けるように斜めに構えると、
それだけで唯一の急所である柔らかな腹部が隠れてしまう。
さらに姿勢を落としたことにより、石畳すれすれにまで降りてきた頭部が牙を剥いて、
相手を牽制し、背後から回り込もうにも油断無く尻尾が揺れている。

元々猫顔の獣人は竜に共通する弱点が、腹部だと知らなかったことから、
弱点が隠れたことよりも、無傷で相手に攻撃を凌がれた方にショックを受け狼狽えていた。


「く……くっそぉ!!」
『先のが唯一のチャンスだったのに馬鹿な猫ちゃんね。
 もしも、最初から私が本気を出したらもう何度も死んでるわよ?
 例えば……こんな風に!』

相手が手をこまねいている間に火竜・フレイアは先に行動を起こした。
とは言え、単に翼を軽く上から下へと振り下ろしただけ。

それだけで、凄まじい突風が吹き荒れた。




”ヒュゴォオオッ!”


巨体を軽々と宙へと舞い上がらせる程の力を持つ翼から、広範囲に巻き起こった風は、
その影響範囲にある者全てを吹き飛ばし荒れ狂う。


「うっ……うわああああ!!」

体重の軽い猫顔の獣人は、それに抗う術はない。
一瞬の停滞も許さず、彼の身体は宙に浮き後方にはじき飛ばされるように空を飛んだ。
それに巻き込まれて飛ばされた砕けた無数の石片が、彼の身体を打ち据える。

瞬く間に満身創痍となった彼は、そのまま数メートルを滞空し地面に落下した。


「がふっ! ぐぅ……う、、動けない……」

大きな痛手を負い、満足な受け身もとれずに石畳に落ちたせいで、しばらくは身動きが取れそうにない。
飛ばされたときに取り落としたのか、ナイフも手元に残ってはいなかった。

いわば戦闘不能の状態である。


『呆気ないわね。まぁ、例え獣人でも普通の奴ならこんな感じかしら?』
「……あぐっっ……くそぉ……殺してやる!」

石畳に転がったまま、呻くだけしかできずにいる相手に、火竜は悠々と歩み寄っていく。
向けられる殺気など取るに足らないと気にも留めずに。

傍まで来ると、彼女は身体を起こし器用に二本足で立ち上がった。
立ち上がって何をするかと思えば、長い尾を動かして相手の両方の足首に巻き付けていく。
尻尾を通して火竜の肌と直に触れて、猫顔の獣人の顔が苦痛に歪むが、
手向かった相手に容赦をする彼女ではない。

最終的に膝まで尾を巻き付けると、猫顔の獣人を逆さに吊し上げてしまった。


『ふふふ、捕まえた。
 残念だけど、やっぱり食い殺されるのは猫ちゃんの方だったみたいね』
「うぁっ! は、はな……せっ!」
『いいわよ、そんなに望むなら離してあげる。
 ただしこの中へだけど……』

そう言って、ことさらゆっくりと火竜・フレイアは口を開けた。
どろりとした涎が、口の裂け目からこぼれ落ち、口内では蜘蛛の巣のように糸を引いて、
それら生理的嫌悪を催す光景に、思わず猫顔の獣人が怯む。


「ひぐっ!」
『私に食べられるのが怖いかしら? 逃げたい? それなら命乞いしてみる?
 ほら、早くしないと猫ちゃんは私に呑まれちゃうわよ?』
「うわああああ! や、やめろっ!!」

尻尾を引きはがそうと、灼熱の鱗に手をかけ猫顔の獣人が足掻こうとするがビクともしない。
無情にもタイムオーバーの宣告が告げられた。


『ふふふ、時間切れよ。馬鹿ね……命乞いごときで止めるわけ無いじゃない』
「なっ?! くそおぉぉぉぉ!!!」
『……頂きます!』

例の言葉を投げかけると、火竜は軽く尻尾をしならせて口の中へと獲物を投げ入れた。
飛び込んできた猫顔の獣人を舌が受け止め、即座に口が閉じるのだった。



          ※    ※    ※







”バグゥッ!”


涎の飛沫が飛び散るほど強く牙が噛み合わさり、僅かに膨らんだ頬の中は、
熱く噎せ返るような強い湿気に包まれていた。

実際に中に入ってみると、火竜の口の中は見かけよりもずっと狭い。
口が完全に閉じてしまうと上顎と舌の間に挟まれて、身動き一つ出来きなくなってしまう。
それに凄まじい熱気が籠もって居心地は最悪で、
特に熱い唾液が傷に酷く染み、猫顔の獣人は気が遠くなりそうな脱力感に襲われていた。

しかし、この唾液が多少の熱を遮断する保護膜のような役割を果たさなければ、
もっと酷いことになっているに違いない。

それでも口内の熱気は、確実に猫顔の獣人の体力を気力を削り取っている。
火竜の意のままにはならないという意地で彼は今も辛うじて意識を保ってはいるのだが……

そんな意地もいつまで続くことだろう。


「……ぐっ……出せぇ…………ゲフッ……ゲフッ」

辛うじて声を絞り出すが、口を開けるために噎せ返るような唾液が口の中にまで流れ込む。
さらに火竜は彼の訴えを分かりやすい形で示してきた。




”ジュル…ピチャピチャ”


「あぅ……んっ……あ……」

僅かに顎を緩めたのか火竜の口内で、舌が動かせるだけの空間が生まれる。
すると彼が顔を埋めていた肉厚の舌が激しく蠢きだしたのだ。
余すところ無く全身を荒々しく愛撫され、唾液と肉に包まれて、彼の意識は更に溶けていく……

完全に意識が溶けた時、その先で行き着く場所は火竜の胃袋。


(……もう駄目みたいだ、何も出来ない)

もうすぐ食われて死ぬ。
すでに命に意味を見いだせない彼にはその事に恐怖はない。
無念なのは首領の仇を討つどころか、その仇にもうすぐ食われてしまうと言うことぐらいだ。

……だが、あいつはどうなるのだろうと彼は思った。

火竜の口の中へと放り込まれそうになっていたとき、偶然にも石畳を這いずって動いている
ライトの姿が目に飛び込んできたのだ。
向こう側からすると、猫顔の獣人が身代わりになった形だが、
火竜の力を身をもって思い知った彼には、あのまま気づかれず最後まで逃げられるとは到底思えない。


それとも見つかっても逃げ切れるのだろうか?
自分から逃げ切ることが出来たあいつなら、この火竜からも逃げ出すことが出来るだろうか?
それとも逃げ切れずに捕まって、やはり食べられてしまうのだろうか?


自分の命に興味が失せた猫顔の獣人は、それを最後まで見届けたいと思う。
それには火竜に食われるのを、見逃して貰わなくてはならない。

……なら、やはりそれは叶わない夢なのである。


『一応聞いてあげるけど、言い残したいことはあるかしら?』

ついに猫顔の獣人の味見に飽きたのか、火竜が最後の言葉を彼に問いかけてくる。

だから、彼は言ってやった。
精一杯生きようとしているあいつに負けないように、
精一杯の憎まれ口で、命乞いを期待する火竜に彼の意地を見せつけてやるつもりで!


「俺を食って、腹でも壊したらいいさ!」
『最後まで生意気な猫ちゃんね。残りの憎まれ口は私の胃袋で好きなだけ言ったらいいわ!』

……言ってやった。一泡吹かせてやった。
猫顔の獣人は、不思議な達成感を感じて力がスッと抜けるのを感じる。
怒り狂った火竜の怒声も怖くない。

激しく動き出した顎と舌に翻弄されても、何故か熱くも痛くもなかった。
されるがままに猫顔の獣人は翻弄され……


(ああ首領……また……一緒に付いていっても……いいですか?)

閉じた目蓋の闇の向こうに見えたのは、幻の首領の姿。
来るなと言う言いつけを守らなかった部下に、幻の首領は溜息をつきながら手を差し出す。
猫顔の獣人はその手を取り、幻の首領と共に旅立った。

……火竜の胃袋、灼熱の体内へと。





          ※    ※    ※







”ゴクリッ”


心の中で荒々しく頂きますと告げた後、フレイアは口の中に含んだ獲物を喉の中へと滑らせた。
つるりと滑り込む獲物で、自分の喉が膨らむのを感じる。
空になった口からは、今もダラダラとだらしなく涎がこぼれ落ちており、




”ジュル、ペロペロ”


それを綺麗に舐め終わる頃には、フレイアのお腹が一回り大きく膨れていた。


『ふぅ……ご馳走様』

立ち上がっていた身体を倒し、元の四足歩行へと戻すとフレイアはそう呟いた。
何時もと何も変わらない食事の筈なのに、あまり楽しくない。
最後の最後まで逆らってきた獲物のせいだ。

憎々しげに彼女はお腹に手を当てると、さっそく消化が始まる気配が手の平を通じて感じる。


『なによ……はぁ…………』

獲物の恨みの声を聞くのは初めてではない。
あんなモノよりももっとオドオドしい呪詛のようなモノまで聞いたことがある。
だが、こんな気分になったことはなかった。


『……さっさと忘れましょう』

調子が出ない、こういうときはさっさと眠るのが一番だと、フレイアは寝床へと踵を返した。


『えっ?』
「ふわぁあ!」

同時に二つの視線が重なり、二つの声がフレイアの寝床で響く。
片方はフレイア、もう片方はライトのものである。
お互い予想外なことが起きたようで、しばし両者は見つめ合ったまま硬直したまま動かない。

……先に我に返ったのはフレイアの方だ。


『そういえば、坊やのことすっかり忘れてたわね。
 ……所で動けなくなっていたはずなのに、どうしてそんなところにいるのかしら?』

問いかける問題の相手は、崩れた壁面のすぐ傍にいた。
フレイアの記憶が正しければ、ライトは彼女の寝床の近くに寝かせておいたはずなのだが。

それより解せないのが移動距離だ。
寝床と壁際はまるで逆方向であり、距離的にもかなりある。
動く体力も残ってないだろうと思って、放置したあの時から考えて直ぐに移動できる距離ではない。
いつの間にか取り上げたリュックに、エアボードまで回収されており、

その事から導き出される結論は一つだ。


「あっ……そ、それはですね」
『力尽きたように演技をして騙してたのね。この私を……?』
「うぐっ……!!」

焦って弁解しようとするライトに、フレイアが気が付いた結論を投げかける。
即座に押し黙った様子を見ると図星……

竜の目を欺いたことには、フレイアは賞賛を心の中で贈る。
自分が欺かれたことには、無言で相手を睨みつける事で今の自分の気持ちを相手に伝えた。


「……ひっ……ふわぁああああ!!!!!」
『行かせないわよ、坊や!!』

素早くエアボードを起動させて、ライトは崩れた壁際から飛び出し塔の外へと逃げ出した。
それを追い掛けて恐ろしい俊敏さで、フレイアが壁際に駆け寄る。

だが、壁際にたどり着いた彼女が見たのは、そのまま森へと逃げ込むライトの姿だ。


『ふふふ、逃げられちゃった……大した坊やね』

実のところを言えば、逃げられたと言うより見逃したという方が近い。
走らずに翼を広げて飛べば、いくらライトがエアボードで空を飛び逃げ出しても、
すぐに追いついて、真後ろから襲い掛かり食らいつく事も出来た。

しかし、フレイアはそれをしなかった。

―― すぐに食べるのは、やはり勿体ない ――

ただでさえ、今は陰鬱な気分になっていることもあり、
フレイアは思いっきり身体を動かしたい気分に捕らわれていた。
どれだけあの坊やが自分から逃げることが出来るのか、彼女はそれを楽しむつもりなのである。

当然のように獲物が自分の手から逃げられるなど、つゆほども思っていない。
フレイアは楽しい遊びの始まりに頬を楽しげに歪めると……


『さぁ、狩りの始まりね』

大きな翼で大気を打ち据えて、崩れ落ちた塔の大穴から飛び出し大空へ舞い上がった。




Re: 竜と絆の章 4 【火竜の印】 ( No.4 )
日時: 2009/12/24 23:38
名前: F





(5)



僅かな逃げるための時間をライトに与え、そのあとを追い掛けた火竜・フレイア。
優雅に空を飛ぶ彼女の眼下には、広大な森が広がっている。


「今度は逃がしはしないわよ……坊や早く出てきなさい」

フレイアは自分の力に絶対の自信を持っていた。
とりわけ空中での早さにはどんな竜にも負けない自信がある。
なぜならもっとも優れた翼を持って生まれたことに、強い誇りを持っているからだ。
彼女は火竜にして、風。
同種ではあり得ない音速で空を駆ける能力は彼女だけのものだ。


それは時として共食いまで見られる、獰猛な火竜の一匹として最高の武器となり得る。

何度も言うようにフレイアは、火竜という種族の中でも、かなり小柄な部類だ。
竜の雌というのは雄よりも体が大きくなりやすく。
平均で十五メートルはゆうに越えるはずなのだが、彼女の全長はそれを明らかに下回っていた。
そのため彼女の天敵の一つは同族と言うことになる。

だが、火竜の中では、誰もフレイアに追いつけない。
そして、一度フレイアに……狙われた獲物は誰も彼女から逃げられないのだ。


そのためか、彼女は狩りの際に『追い駆けっこ』という、遊びの要素を取り入れることが多かった。


わざと獲物を逃がし、必死に逃げ回る様を上空から眺めながら、逃げ切ったと獲物が安堵したときを狙い、
それをあざ笑うかのように上空から降り立ち、絶望に落とすのが良くあるパターンだ。
今回もそうするつもりで、彼女は森に潜伏を続けているライトの姿を探し、森の上空を旋回しているのである。

しかし、今度の相手はかなり手強く、苦戦を強いられていた。


『少し時間を与えすぎたかしら、坊やはどこまで逃げたの?』

遙か上空からも竜の瞳は、一度獲物を捕らえたら相手を逃すことはない。
フレイアは翼を大きく羽ばたかせ、若干身体を傾けるようにして大きく旋回した。


『おかしいわね……?』

旋回を続けながら、フレイアはゆっくりと高度を下げていく。
ずいぶんと時間がたつのに、一向に獲物が姿を見いだせない事に不安を抱いたのだ。


『さすがに……見える場所に隠れてはいないようだけど」

旋回を終えると、森の上空で留まり目を凝らして獲物を探そうとする。

だが、森の木々が邪魔をして中々それが出来ない。
鬱蒼と生い茂る森の中までは、さすがのフレイアもそれを見通すことは不可能だ。
油断しきった獲物ならともかく、竜がいると分かっているのに襲える場所に姿を見せるほど獲物も馬鹿ではなかった。

森の動物たちなら、直ぐに見つけられるのだが、今の彼女の獲物はライトだけ。
他の手頃な獲物には目もくれず、執拗にライトの姿を探す……


『見つからない、参ったわ……』

てっきり怯えて冷静さをなくした獲物が、すぐに飛び出してくると思っていたのに当てが外れた。
何度か上空を旋回していたのも、自分の存在を見せつけるためである。


『……ふぅ、面倒ね。いっそのこと、炙り出してみようかしら?』

言ってしまうと見も蓋もないが、火竜は基本的に気が短い。
フレイアもその例に漏れず、そぐわないことがあると直ぐに機嫌が悪くなる。

火竜の生態を僅かにも記していた文献をライトも見たようだが、その中に見つけた一文……
『目当ての獲物を手に入れるために、森一つ平気で焼き払うとまで言われている』
ライトも危惧していたようだが、これは嘘ではない。
機嫌を損ねた火竜は、それぐらい平気でやってのけようとするのだ。

勿論彼女たちは、本能だけで生きているような獣ではない。
さすがに何も理由無しにそのようなことはしないが、する理由があれば躊躇無くやる。


『坊や、早く出てきなさい。じゃないと焦げても知らないから』

今は理性が勝っており、フレイアも森を焼き払う暴挙を行おうとは思っていなかった。
この森は彼女の食欲を支えるのに十分な狩り場であり、とても有益な土地だ。
それを失うのはとても大きな損失、そのはずだが苛立ちが限界を迎えれば、その価値が無になる。

このままでは、フレイアは目的のために森を焼き払うだろう。
見つからなければ全てを燃やし尽くすかも知れない。


一体、ライトはどこに行ったのか?
実は意外なところに、彼は潜んでいたのだった。



          ※    ※    ※





ーー  雨の森 ーー

今となっては、そぐわない名前の森。

その森の中で低く身を伏せながら、ライトは僅かに顔を上げ上空に目をやった。
森の切れ目から僅かに覗く空……そこに火竜・フレイアの姿を認めて慌てて頭を下げる。


「ふわぁぁ……まだいますよ」

下手に動くわけにも行かず、僅かな隙をついて相手の死角へ、死角へ……常に移動を繰り返す。

これが実に巧妙で、相手に自分の存在を気取らせない。
且つとても地道な努力として、ライトは伏せて移動しているた。
その御陰でライトは全身が泥まみれ……いや、これは自分で泥を浴びたのだ。
……どのみち彼の身体は衣服も含めて、火竜・フレイアが行った味見のせいで涎まみれになっている。
彼女の粘液質な涎は、土や落ち葉などを良く吸着してくれる御陰で、
竜の目ですら見破れないほど、隠密せいの高いなカモフラジューを施すことが出来たのだ。

そんな思いつく限りの知恵を絞り、時間を出来るだけ稼ぎながら、
ライトは命がけの鬼ごっこを乗り切ろうと苦心していた。


「はぁ……はぁ、絶対に見つかりませんよ」

見つかったらまず命がない。即座に食われて死という状況で手段など選んではいられない。
ライトは極度の緊張を感じていていた。

激しい動悸と息切れはその現れ……

これまでの数多くの冒険で、ライトは何度か死にかけた経験があった。
遺跡の中を探検するということは、常に危険と隣り合わせ。
罠にかかり重傷を負ったことも、陰険な罠で閉じこめられて、長い時間飲まず喰わずで過ごしたこともあった。

だが……これは彼の血に混じる獣人の遺伝のせいかもしれないが、
 
―― 喰われる ――

その単語が頭に浮かんだとき、異様な嫌悪感を感じたのだ。
あの長い舌にまた舐められるかと想像するだけで、ライトは身体の震えが止まらない。

さらにあの火竜は獲物を生きたまま丸呑みするのだ!

塔の最上階でライトは、火竜が獲物を呑み込む過程をまざまざと見せつけられていた。
一人の獣人が悲鳴をあげ、何も出来ずにあっさりと呑まれていく様を……
例えそれが自分の命を執拗に狙っていた相手だとしても、その悲惨な死に方を目にしては同情を感じてしまう。
同時にそれと同じ目に合うなど、ライトには考えられなかった。




”ギュ……ギュゥ”


「喰われて死ぬなんて……僕はごめ……んです……っ」

動悸を押さえつけるようにライトは少しだけ身を起こして、自分の身体を抱きしめる。



……暫くして、動悸が止まり呼吸が元に戻った。
ずっと抱きしめていた身体を解き、ライトは気取られないように上空を確認する。

空を遮るように森の木々の枝葉が生い茂っているが、
その僅かな割れ目から覗く危険な生き物。
今もライトを諦めずに森の上空を旋回している火竜の姿が、彼からはよく見えた。


「……いきますか、見つからないうちに」

少し長居をしすぎたと、ライトはその場から移動を再開する。

それにしてもライトは、いつまでこんな事を続けるつもりなのだろうか?
こんなペースでは火竜から逃れることなど出来はしないのに……

しかし、そんな疑問とは裏腹にライトはほぼ勝利を確信していた。
勝利とは勿論、火竜から完全に逃げ切ること……つまり火竜の追跡を振り切れるということ。
それは根拠のない自信ではなく、彼なりのある確信に基づいている。
その為に今は時間稼ぎをしなくてはならない。


……これまでのライトの逃げっぷりを見て分かって貰えるだろうが、彼は逃げの天才である。
その天才が苦心して編み出した策が、『雨を待つ』
実にシンプルだが、恐らく現状ではもっとも可能性が高い作戦だとライトは思っていた。

その理由は彼がエアボードを所持しているから。
だからこそ、空を飛ぶ……その最大の欠点も彼は知っていた。
確かに上空から探すのは、かなり効率がいい。
頭上を警戒しながら歩くのは、追われる者としてはとても大変なことだ。
その利点はライトも理解している。

しかし、雨が降るとその利点が消滅してしまう。
……特に視界が遮られるほどの雨に遭うと、飛行は非常に危険な行為になるのだ。

遮られた視界では、森の中に隠れている相手を見つけるなど至難の業であり、
むしろ眼下に気を取られていると、知らないうちに高度が下がれば墜落の危険もある上、
下手をすれば背の高い大木に激突することもあるだろう。

その事を自在に空を飛ぶ火竜が知らないわけがない。


「……十分でいいのです。そのまま見失っていてください」

それを過ぎれば、多少は前後しても必ず雨が降る。

雨が降れば、雨天時の飛行の危険性を知る火竜は撤退するはずだ……
あんな大きな竜が、すでに獲物を食べた後で、自分のような小さな獲物に固執するはずがない。

それが、ライトの考えだった。



だが、数分後……ライトの予想は早くも覆されることとなる。
すべてを焼き尽くす、火竜の炎が森を焼き払ったのだ。




       ※   ※   ※



ーー いない! いない! ーー

一向に姿を見せない獲物、それを探し回るフレイアの様子がかなり狂気を帯びてきた。
彼女の竜の目に宿るのは危険な怒りの色。
時には紅玉とも呼ばれるほど、彼女の瞳の全てが鮮やかな赤い色へと変色していく。
その色はとても希少で、すばらしく美しいといわれるが……
怒り狂った竜の紅玉を見て、生き残っているものは数少ない。

それに伴い、彼女の理性は怒りに追いやられ、衝動的な破壊衝動が湧き上がってくる。


『……どうやら、姿を見せるつもりはないようね』




”バサッ!”


火竜である彼女が、冷たさすら感じさせる声で呟いたかと思うと、
巨大な翼が激しく大気を打ち据えた。

フレイアの巨体が更に空高く持ち上がり、森全体が一望できるほどの高度まで駆け上る。


『ふふふ、坊やのせいよ。私をここまで追いつめる坊やが悪いんだから……』

遙かに下……百メートル以上も下に広がる広大な森をフレイアはジッと見つめた。
この森のどこかに自分を出し抜いた獲物が隠れている。

だが、それを探す時間が彼女には残されていない。
その理由は空にあった。


『……何処までも忌々しい雲ね』

空には視界を遮るモノ何もない。それ故に彼女の目にはそれがはっきりと見える。
今や空一面を覆い尽くす、厚い雲……雨の気配。
降り出すまでもうしばらく時間はありそうだが、これ以上手間取るわけにはいかなかった。


『ふふふ、できるだけ加減してあげるから、がんばって生き残りなさい』

まずはゆっくりと口を開ける。
浅く何度も息を吸い、吐き出すを繰り返すうちに吐息に炎が混じり始めた。

……先に誤解を解いておく。

火竜であるフレイアは炎の吐息を吐くことはできない。
これはこの世界の竜すべてに言えることだ。

フレイアの口元から漏れている炎の正体は、彼女の魔力。
竜の吐き出す様々な吐息(ブレス)と呼ばれる技は、すべて魔力による技である。

すべてを焼き付くす炎の吐息。
すべてを穿つ水の吐息。
すべてを蝕む毒の吐息。

これらはすべて魔法なのだ。
だからこそ、強大な魔力を持つ竜の吐息は防ぐことができない。


『……じゃあ、まずあの辺から』

狙いを定め、フレイアは練り上げた膨大な炎の魔力を咥内に集中し……それを吐き出す!
……途端に世界はまばゆい光に包まれた。

それも僅かな間のこと、すぐに森を覆い尽くすような炎が森に広がり、触れるもの全てを無に帰した。
手加減している様子などまるでなく、炎に触れるはしから森の木々が灰すら残らず消滅する。
魔力が続く限り消えることのない竜の吐息は、広範囲にわたって次々と森の木々を飲み込んでいくが、
不思議と彼女を中心とした一定の範囲を超えて燃え広がることはない。
これも竜の吐息が魔力の炎であることの証明だ。
完全に魔力で制御された炎は、彼女が狙いを定めた場所のみを焼き尽くし、
役目を終えると自ら消滅してしまう。

それほどの高温の炎を自在に操れるから、このようなことができる。
枝葉の生い茂る木々の上半分を燃やし尽くし、その中に隠れているものを見つけやすくするということが……


(さぁ、坊やはどこにいるの……?)

変わり果てた森の跡をフレイアは、上空からつぶさに見渡していった。
かなりの範囲に渡って随分と見通しが良くなっているが、その事に彼女は何ら罪悪感も抱いてないようだ。
ただ目当ての獲物を求めて、上空で旋回を続ける。

数十秒程度の地味な作業が続き、フレイアは何か違和感を地面に認めて旋回を止めた。


『んっ? ……あれは何かしら?』

だが、明らかな違和感……その場所に微妙にそぐわないものに彼女は視線を集中させる。
最初にそれを見留めたときは、単なる土の塊のように思えた。
それがしだいに動いているように見え始め、ついには人の形に見えるようになると……

急激に怒りが消えていき、変わりに全身が灼熱するような興奮に支配される。


『ふふ……見つけたわよ』

正確に土の塊の正体を見通した途端に、フレイアは歓喜に震えた。

見通しがよくなった森の木々の間に、捜し求めた獲物の姿が恐ろしいほどよく見える。
どうやら炎に気が付いて、素早く伏せて熱気から逃れたようだが、
こちらに背を向けている無防備なこの状況を逃すほどフレイアは愚かではない。




”バサバサッ!”


彼女は翼を何度か羽ばたかせると、下向きに姿勢を変え猛スピードで降下を始める。
重力も加わり速度が加速的に上昇するなか、フレイアはさらに翼の位置を調整し流線型に姿勢を変え、
全体的な空気抵抗が減少し、加速力が更に増す!

より速度が増した彼女は瞬く間に獲物へと接近。
そして、地面に激突する間際にフレイアは急激な減速を行った。



”バフゥゥゥウウウ!!”


急制動のために魔力を付加した翼が打ち下ろされ、巻き起こす風圧の轟音がそのあとに続き、
間髪入れずに竜巻のような突風が周囲をなぎ払う。
何本かの木々が根から倒れ、辺りにさらなる破壊をまき散らすと、ついでに獲物の悲鳴まで森に響き渡った。


「ふわぁぁぁぁ! な、何なんですかーー!!!」 

這い蹲った姿勢でいたとは言え、それほどの突風に体重の軽いライトが抗えるはずもない。
地面から引きはがされ、吹き飛ばされると二転三転と転がり続け……


「あでっ!」

半分に燃え尽きた大木にぶつかり、ようやく制止する。

その傍にフレイアは地響きすらさせず、静かに大地に降り立つと、
表現しがたい体勢で、目を回している自分の獲物にフレイアは優しく声を投げかけた。


『ふふふ、坊や……ねぇ、大丈夫なの?』
「は、はいぃぃ〜だいじょうぶでふぅ〜???」
『ほら、しっかりしなさい……』

明らかに呂律が回っていない。
そんなライトにフレイアは己の尻尾の先を差し出した。


「はひぃ〜」

するとライトはそれに捕まりヨロヨロと立ち上がった。
まるで無防備……そんなライトの姿に猛々しく高ぶる竜の本能が……貪欲な食欲が、
今すぐ獲物を食らえとフレイアを責め立ている。

その影響を受け、紅玉とかしていたフレイアの瞳はますます鮮やかさを増していった。


『ああ……今すぐ坊やを食べてしまいたい』
「ふええ〜?」




”ベロリッ”


「ふひゃあっ! 何を……ふあっ!!」
『ようやくお目覚めかしら、随分と手間取ったけど追い駆けっこはこれで終わりよ』

味見の記憶を呼び起こすフレイアの一舐めが、ライトの正気を瞬時に引き戻す。
頭の巡りの良いライトは、直ぐに自分の状況を理解し逃げようとするが……それより先にフレイアが釘を刺した。
さらに彼女の前足が覆い被さるようにして、ライトの身体をその場に固定する。


「あぅ……逃がしてはくれないのですね」
『本当なら坊やと、もう少し遊んであげても良かったんだけど、
 早くしないと無粋な邪魔が入るから、そう言うわけにも行かないのよ』
「……わ、分かりました。僕も……覚悟を決めましたよ」

潔いセリフを呟いて、ライトはギュッと目を閉じた。


『何を企んでも無駄よ、そんな体勢じゃ何も出来ないでしょう?』
「な、何も企んでませんよ!」
『本当かしら、嘘つきな坊や…………ん……ぐっ』

余りにも素直すぎて一度騙されたこともあり、フレイアは逆に少し警戒心を抱くと……
獲物の思惑を見透かすため、息が吐きかかるほど近くまで顔を寄せ、柔らかそうな獲物の身体をやんわりと噛んだ。


「ひっ! ……う……ぅっ……ぁぅっ…………」
『動いたら余計に食い込むわよ?』

フレイアの牙は恐ろしく鋭い、下手に触るだけで皮膚が切り裂かれそうなほど。
その辺は普通の肉食の生き物と変わらないが、犬歯に当たる上顎の二本の牙が異様に細長くなっており、
まるで毒蛇のそれのような形状をしている。

その二本の牙が、ライトの身体に食い込んでいた。
後一押しで牙が皮膚を突き破る……いや、僅かに血が滲む程度のギリギリの力加減だ。


『……本当に逃げないのね』
「……っ……あっ!」

これでも逃げる様子を見せない獲物の様子に、フレイアは牙を獲物の身体から離した。
さすがに拘束する手を緩めはしないが、彼女には抵抗しない獲物を必要以上に痛めつけるつもりはない。


「……ひぁ、酷いっ……ですよ」
『自業自得よ……坊やには一度騙されてるから。
 でも、本当に覚悟を決めたみたいだから、苦しまないように優しく食べてあげる……』

傷を付けたせめてもの謝罪としてフレイアは、ライトをひと思いに丸呑みにするつもりだ。
驚くことに自然と顎が外れ、フレイアの口が更に一回り大きく開く。
これなら牙に引っかかることもなく、ライトを簡単に呑み込んでしまえるはずだ。

さすがにこの状態で喋ることは出来ず、フレイアは心の中でライトにあの言葉を贈った。


(ふふふ、坊や……頂きます!)

頭部を軽く揺らすように後ろに引き、戻る動きに合わせて一気にフレイアは顔を獲物へと寄せる。




”ピンッ!”


そこへ……僅かに動く手首の力だけで、ライトはあるモノを投げ上げた。
フレイアが頭を引いたことにより、丁度二人の中間点に滞空する。


(えっ?)

初めてそれを見るフレイアは、それが何なのか分からなかった。
それに対してライトは、頑なに目を閉じて……時を待つ。

そして、最後の閃光弾は爆発的な光を解き放ち、フレイアの目は光に焼かれ白に染まった。



          ※   ※   ※



『キシャァアアアア!』

初めて味わう焼けるような痛みに、火竜・フレイアは我を忘れたように絶叫していた。
彼女の瞳は人の十数倍の視力を誇る竜眼である。
閃光によって受けたダメージは、ライトの想像以上の効力を発揮してくれた。

捕らえた獲物の存在を忘れ、のたうち回る彼女の苦しみが。
竜が発する悲痛な咆吼がそれを知らしめている。


『グガッ! ギャウゥゥ!!』
「これが僕の決めた覚悟です! 絶対に逃げ切って見せますから!」

拘束から解き放たれ、素早くその場から這い出たライトはそれだけを言い切ると、全力で走り出す。
今度は絶対に捕まってはならない。
捕まったら無慈悲の元に火竜・フレイアはライトを喰らうだろう。
下手をすれば食べる前に、殺されるかも知れない……その覚悟の上での行動。

つまり真に火竜の怒りを買ってしまう覚悟をライトは決めたのだ。
だが、逃げ切れるかは正直……五分五分。

カモフラージュを高めるために、先の最後の切り札であった閃光弾を除いて、
全ての荷物を別の場所に隠して置いてきたのだ。
もはや、ライトにはピンチを切り抜けるための心強い道具がない。
体が動き続ける限り全力で逃げる。

全てを出し尽くし、生き残るためにライトは最後の鬼ごっこへと身を投じたのだった。



          ※    ※    ※



『まっ……待ちなさい!!』

逃げ去る足音を耳にしながら、フレイアは立ち上がることが出来なかった。
全身が沸騰しそうなほど怒りが沸き立つが、平衡感覚を奪われ身体が言うことを聞かない。
涙が溢れる目を何度も擦り、蹲り……フレイアはひたすら視力が回復に努めなければならなかった。

しかし、その間にも獲物の足音は遠ざかっていく。
……待てるはずがなかった。


『逃がさない……あの坊や、絶対に逃がさないわ!』

フレイアは目を閉じたまま、ふらつく身体を意志の力でねじ伏せて立ち上がる。
閃光で受けた目のダメージは抜け、痛みはすでに無いが、未だに彼女の視力は光を取り戻せてはいない。
だが、相手がどちらに逃げたのかは分かった。

目はなくとも、彼女にはまだ鼻があり、耳がある。
逃げ出した獲物の身体に付着した彼女の唾液の匂い、がむしゃらに逃げる足音は追い掛けるには十分だ。
ただし、空を飛ぶわけにはいかない。
翼が巻き起こす突風が匂いと音をかき消してしまうからだ。

ならば走ればいい。


『グルゥゥ!』

唸り声をあげながら四肢に力を込めると、次の瞬間にはフレイアの巨体が加速する

平衡感覚を失っていても、彼女の走りは恐ろしく早かった。
強靱な足腰、さらに鋭いかぎ爪が、どんな場所でも巧みに大地を捕らえ加速を手助けする。
初速ですでに人が走るよりも速く、力づくの加速でぐんぐんと速度を上げ、
まるで視力が回復していないというのに、その健脚には怯えも戸惑いもない。

瞬く間にフレイアは最高速の時速五十キロへと達した。
立ち直るのが早かったためか、二人の距離はみるみる間につまり、フレイアは獲物を元へと追いつく!


「ふわぁああ! な、何で目が見えないはずですよ!」
『甘いわよ坊や、目を潰されたぐらいで竜は獲物を諦めたりはしないわ!
 それに悪戯が過ぎた子にはお仕置きが必要よ!』
「いい加減に諦めてくださいよ!!」

必死の形相でライトが後ろを振り向く余裕もなく走っているが、速度は圧倒的にフレイアに分があり、
森に逃げ込もうにもその森は広範囲にわたって、彼女の炎に焼き払われている。
さらにこの速度差だ……どうしようもない。


『ふふふ、追いついたわよ!』

完全に追いついたフレイアの荒々しい息が、ライトの後ろ髪を揺らす。


「ひぃっ……あっ!」




”ベシャ!”


間近に迫る死の気配にライトは限界を超えて、更に速く走ろうとしていきなり躓くように転けた。
木の根に足を引っかけたような転び方だったが、それにしては様子がおかしい。
立ち上がろうとしても立ち上がれないでいるのだ。
よく見れば両足とも酷い痙攣を起こしており、筋肉がパンパンに張っている。
どうやらこれまでの度重なる足の酷使によって、ライトの足はついに限界を迎えてしまったようだ。

もはや走ることは叶うまい、ライトの運命は決した。

フレイアは動けなくなり這い蹲る獲物の元へ……傍まで歩み寄ると、
今まで閉ざされていた目を見開き、視力の回復した彼女の紅玉の瞳がライトを見据える。


『……もう、逃げないのかしら?』
「……ぼ、、、、僕なんか食べても、美味しくないですよ……?」




”ベロリ”


ありきたりな命乞いを黙らせるため、フレイアは獲物の身体を味見した。
確かに泥の味はいただけないが、数回味見してやればすぐに獲物の味が姿を現して舌を楽しませてくれる。


「ふわぁ……ぁぁ……」
『嘘はだめよこんなに美味しいじゃない』

勿論これだけで許すつもりはない。

舐めると言うより、舌を思いっきり押し付けるようなやり方で、味見を進め獲物から無理やり味を奪い取る。
休む間もなく何度も続き、ライトが纏っていた邪魔な泥をあらかた剥ぎ取ってしまうが、
剥ぎ取られたのは泥だけではなかった。

押し付けるように舌を這わせる味見で、何度も舌がライトの服の上を往復している最中に、
ブチッと何が千切れる音がする。千切れたのライトの上着のボタン。
フレイアの舌は肉厚で弾力に揉んでおり、舐められてもさほど痛みはないが、
こうして何度も舐められるとボタンの強度が持たなかったようだ。

物音には構わずフレイアが更に舌を這わすと、ボタンの千切れた胸元がしだいにはだけていく。
涎の滴る舌は必然と、はだけた胸元の地肌にまで這い回った。


「……あぅ……や、、、やめて……ひゃぅ……くださいっ!」

ライトにしてはこうして、フレイアに味見をされるのは二度目だ。
しかし、以前の味見は顔などを舐められただけ、衣服に守られた胴体はそれほど舐められたりはしなかった。

……今度はそうはいかない。




”ジュルッ”


舌が蛇のような動きを見せ、スルリと胸元から服の下へ……
味見でフレイアも興奮しているのか、灼熱するように熱いそれは獲物の着ている服の下で蠢いた。


「ふわぁあああ!」
『んふ、暴れたらだめっ』
「ふぐっ……んんぁ!!」

身体を左右に捻り、服の下で暴れる舌を押さえつけようとライトは必死に身体を抱きしめる。
それを押さえつけようとフレイアも、更に舌を動かしているようだ。

果たして服の下でどのような攻防が繰り広げられているのか……




しばらくすると、フレイアが舌を引き抜いた。


「……あっ……はぁ、はぁ」

抜け出た瞬間にライトの身体が僅かに震え、抜け出た彼の胸元からは比喩ではなく文字通り、
ジュルジュルと音を立て唾液が糸を引いている。
もはや身体を動かす力もなく、息絶え絶えの様子だが、それはフレイアも同じだ。

違うのは彼女は興奮で息が荒いと言うことだけ……


『はぁ、はぁ……ふふふ、美味しかったわよ』

顔を寄せているフレイアの口元も、涎の汚れが酷く凄い匂いをさせている。
だが、あまり汚れを気にしない彼女は構わず続けた。


『……よく頑張ったわね。今度は私の胃袋の中でしっかりと反省してきなさい』
「はぁ……うっ……!」
『ああ、これでようやく坊やを食べられる……』

思わずライトが目を背けた理由は、彼女の口元から発せられる涎の臭気のせいか、
はたまた興奮に熱せられた灼熱の吐息のせいなのか……
今度は無駄に大きく口を開けるような手心は加えず、姿を見せた肉厚の舌がライトの首に巻き付いていった。
その舌にライトは、無意識に抵抗しようとして手をかける。


「んっ…………んぁっ……はぁ……はぁ……」
『んんっ……』

だが、手には殆ど力が込められておらず、どれほど伸びるのかライトの首を一周しても、
まだまだ這い出してくる舌が粘つくような水音を響かせていた。

ついには二、三周出来そうなほど舌を伸ばしたが、それでもフレイアにはまだ若干の余裕を残す感じで見受けられる。
推定でも頭部の大きさの数倍以上。
これは彼女の体格から考えても恐ろしく長い舌だ。


「……ぁっ……やめ……さ…………い」

当然それだけ巻き付けば、締め付けてくる舌にライトの呼吸は妨げられてしまう。
弱々しい力と声でそれに抗うが、脱することは不可能である。

このあとは舌を引き込み、獲物を頬張るのかと思われたがフレイアには別の思惑があるようで、
そうはせずに舌を巻き付けたまま、急激に二本足の姿勢に移行。
獲物ごと頭部を力強く振り上げ、フレイアは綺麗に直立して真上を向いた。
その反動で舌が撓っていき、緩やかに拘束を解きながらライトを真上へと放り投げてしまう。
あとは、落ちてくる獲物を待ちかまえるように彼女が口を開く。

かなりの力業だが、フレイアは落ちてきたところを丸呑みにするつもりのようだ。


「ひぃっ! ふぁぁああああ!!!!!」

しかも、投げ方が悪かったのか、それとも意図的か強い回転が加わっており、
どこにこれだけの力が残されていたかと思うほど、ライトの死期を孕んだ悲鳴が絶叫が辺りに響き渡る。
すぐに重力に捕まり高速で真下に開いた巨大な口へと、落下を始める彼の視界は涙で掠れ……

落ちてくる獲物を待ちかまえるフレイアは、軽く舌なめずりをして彼を迎え入れる。
そして、ライトは頭からではなく、足からフレイアの口の中へと滑り込んだ。


『ふふふ、いただきまーす!』




”バグゥッ!”


タイミングを完璧に捕らえたフレイアが素早く口を閉じ、
食われた獲物は体を襲う強い衝撃に晒され、柔らかな口内の肉壁に挟み込まれてしまう。


「ふあぁっ、くぅぅ……っ!」

かなり落下の勢いを殺されたが、それでも完全には止まらずライトはズルズルと更に奥へと落ちていくのを
自らの身体が口内の肉壁に擦れていくことで感じ、反射的に目の前のそれを抱きしめる!


『ふぐっ……んんっ!』
「んくっ……ふぁぁぁっ…!?」

目の前のそれとはフレイアの舌。
まさかそんな抵抗をしてくるとは思っていなかったのか、フレイアが口と喉に思わず手を当てて呻き声を上げる。

しかし、なりふり構っていられないライトは、全力で高温の火竜の舌にしがみつき、
それでようやく落下は完全に止めることが出来た……が、
次の瞬間には今まで感じたことのないおぞましいモノが、彼の下半身を包み込んだ。
狭い口内の中だから、いくら小柄なライトでもそれを見ることは出来ない。

……いや、むしろ見れない方がいいのだろう。

頭まで完全に口に入り込んだライトは、すでに下半身までフレイアの喉の中へと入り込み、
蠕動を繰り返す食道に包まれていたのだから……


ただ、さすがに両者ともこの状態で何時までもいるわけには行かない。


『んふっ……往生際が悪いわよ?』
「ひゃっ! 喋らないでくださ、あぶぅ……うぁぁん……」
『あら、意外としぶとい……』

フレイアが喋る度に蠢く舌に軽く愛撫され、思わず唾液でも飲み込んだのかライトが咽せるように喘ぐ。
するとフレイアは面白がって、ますます舌を揺り動かし振り落とそうとする。

何時でもこんな風に遊びたがるのは彼女の悪い癖だ。
彼女の言い分としては、ちょっとしたお遊びで楽しんでいる間は、命乞いをしていた獲物も、
少しは寿命が延びて喜ぶことだろう……と、何時もそんなことを思いつつ、
そろそろ遊びに飽きてきた彼女が喉を鳴らした。




”ゴクッ!”


急激に喉の筋肉が収縮し、ライトを引きずり込もうと蠢いてフレイアの喉が大きく動く。
その動きに従って喉の膨らみが若干滑るように動いたように見えた。


「…………うっ!」
『ふふふ、悲鳴をあげる余裕もないの?』

フレイアは獲物の最後の抵抗を楽しみながら、何度でも喉を鳴らす。

その度に彼女の強く舌にしがみつく獲物の細腕、灼熱の胃袋へと続く喉の中で感じる両足の僅かな足掻きは、
ライトの最後の抵抗だが、いくら必死に呑み込まれるのを堪えようとしても、人には体力の限界がある。
それにフレイアの体内は常に高温で長時間触れる事を妨げ、粘つく筈の唾液はこんな時に限って手を滑らせた。

徐々にだが、確実にライトの両腕は舌から剥がれていき、
その分だけフレイアの喉の膨らみが体内へと滑り落ちていく。


……この時、ライトは諦めというものを心に抱いてしまった。



          ※    ※    ※



すでに殆ど伸びきった腕は、辛うじて舌の付け根に引っかているだけ。
随分と遠くなってしまった外の光を、火竜・フレイアの口内から見つめながらライトは呟いた。


「はぁ、はぁ……ふあっ……もう、だめ…………です」

どんな絶望的な状況でも、ライトは今まで完全に諦めたことはなかった。
諦めを口で呟きながらも常に状況を打開するため、冷静に頭を巡らせて生き延びてきたのに……

『早く楽になりたい』と、完全に心を折られてしまった。

外に見える光が霞んで見えるのは、ライトが泣いているせいか、それとも滴る涎のせいなのかも分からない。
後は手を離すだけで、グイグイと身体を引きずり込もうとする喉の筋肉が、
彼を呑み込んで全てを終わらせてくれるだろう。
その後は、火竜・フレイアの灼熱の胃袋が、優しく彼を抱いて全てを溶かしてくれるはずだ。

そうなればもう苦しまなくてもいい……

しかし、ライトはそれでも手を離そうとはしなかった。
心は折れたのに、今まで生き抜いてきた彼の身体はまだ諦めていないのだ。

生きよう……生きようと諦めた心に反して足掻き続ける。


「あはは……どうして、こんな事になったんでしょう?」

ライトは泣きながら笑った。
心は諦めたのに、身体は生きろと自分を叱咤する。

わけが分からない……だが、火竜の喉は無慈悲に音を鳴らす。




”ゴクッ”


「ふあぁっ!」

喉が鳴ると同時に完全に腕が伸びきった。
ここまで来ると止めようがない。弾力のある舌から指が剥がれていく……後は何もしなくても、
ライトは肉の洞窟へと吸い込まれてしまうだろう。

だが、それでも身体は足掻く。
最後の引っかかりを探して指が、口内の肉壁をつかみ取ろうとする。


「あぅ……はぁ……はぁ、どうして……僕は」

終わりたいと望んでいるはずなのに……矛盾する心と体。


……だから、火竜・フレイアが全てを終わらせた。
周囲にも分かるほど力強く喉を鳴らし、早く入ってこいとライトを体内へと招き入れる。




”ゴクゥッ!”


「……ああっ……ん!」

心と体が分離していたライトには、それに抗うことが出来なかった。
ついに手が指が舌から引きはがされ……火竜・フレイアの食事を妨げるモノは何もなくなる。


「んんぅっ……ふぁぁ……」

安らぎを求めてライトは喘ぎ、喉の中へと吸い込まれるように落ちていった。
すでに胸元まで呑まれていたから、残りはあっと言う間だ。
一番出っ張っている肩が喉に入り込むと、頭、腕と続き指先まで呑み込まれていく。


(……ぁ……これでやっと)

視界は完全に闇に閉ざされ、光のない肉の洞窟の中では暗視すら役に立たない。
だから、ライトは目を閉じる。
火竜・フレイアに呑み込まれた他の犠牲者達と同様に意識を手放そうとした……が、彼がいくらそれを望んでも、
生を渇望する肉体が邪魔をして、意識を呑み込む闇が訪れることはなかった。


それでも心が折れたライトにはさほど問題ではない。

狭い喉の肉壁の蠕動で、強く身体を揉み潰されても……
口内よりも熱く高温な体内へと、入り込んでいっても……

何も感じず、何も思わず、ライトは火竜・フレイアの胃袋の中へと入り込んだのだった。



          ※    ※    ※







”ゴクリッ!”


『ん……ふぅ……ご馳走様』

喉を下っていくライトには届くことはない呟きをフレイアは漏らす。

後は胃袋の中に獲物がしっかりと入り込むまで、じっと動かず膨らみの動きを目で追い掛けていた。
喉を膨らませジュルリ、ジュルリと響く音と、その喉越しに身体が震えている。

普段のフレイアなら、ここまで食事に時間をかけない。
彼女にとって食事とはそのままの意味である。
軽く味見した後に喉の中へ通せば、餌ごときがどうなるのか興味を抱くことはもう無い。


しかし、今回の獲物は違った。

追い掛けて、追い掛けてようやく手に入れた獲物の味、生きようとする足掻きの全てがフレイアを興奮させ、
それをあざ笑うかのように無理やり呑み込んだ瞬間。
素晴らしい幸福感が彼女を包んでくれた。

そして、その獲物は今し方フレイアの糧となり、彼女のお腹を僅かに膨らませている。


『すごい、この感じ……本当に美味しかったわ』

感極まるというものを生まれて初めて、フレイアは感じたような気がした。
無意識に優しくお腹を撫で回し、満足行くまで揉み込むと、ゆっくりと姿勢を戻していく、
お腹を揺らさないように静かに四足歩行へ。

出来るだけ消化を遅らせて、この幸福感を長く感じるために……


『……ふぅ、少し疲れたわね』

フレイアがそう洩らすのも仕方がない。

獲物を追い掛けて、塔の外へと飛び出してから優に三十分は経っている。
いつもの狩りとは違い、逃げまどう獲物の激しい抵抗が彼女の体力を激しく消耗させた。
速度重視の狩りをするフレイアは、竜にしては体力が少ないのである。

遊びとはいえ獲物を取り逃がすと時間がかかるのはこのためだ。


『帰りましょう……あとは寝床で……』

言いながらフレイアは塔へと踵を返すと、翼を広げた。
お腹を揺らさないように気を使っているので、少々動きが鈍くなっている。


そこへ、ついに……あれが来てしまった。




”ピチャっ ピチャッ”


『えっ? ま、まさか?!』

身体を打つおぞましい気配。視界を過ぎる無数の水滴にフレイアは素早く頭上を見上げた。
空には変わらず一面の雲。
しかし、先ほどまでとは様相が一変している。
後続の大量の水分を蓄え終えた雨雲が到着し、空を更に分厚く覆い尽くしていたのだ。
オマケに雷まで連れてきたのか、凄まじい稲光を響かせて。


……だが、遅すぎた。
雨を待ち望んでいた当人はすでにフレイアの胃袋の中である。
これでは何の意味もない。




しかし、フレイアは思いがけないほど過剰な反応を見せる。


『ひぃっ!』

しだいに粒の大きな雨粒が降り始めたことで、フレイアがあからさまに狼狽える。
雷雲を見つめるその顔が恐怖に引きつり、怯え方が尋常ではない。
たかが雨ごときで、竜がどうしてここまで怯えるのだろうか?

それはフレイアが火竜だからだ。

火竜の体内に秘める膨大な火の魔力、通常は竜の吐息など強力な魔法に使われる様に思われるが、
むしろそれらは汎用的な使い方であり、実際にはこれら膨大な魔力は、彼女らの肉体の維持に使われている。

巨体を誇る彼女らが食物でそれを維持しようとすると、膨大な食料を必要とする事は、
フレイアの食べっぷりを見ればよく分かるだろう。
あの様な事を続けていては、いくら食物があっても足りはしない。
そのため火竜だけではなく多くの竜は、自身の魔力を消費して肉体の維持に努めている。
勿論、適度な食事は必要だが、魔力の消費を併用するだけで格段に身体の維持が容易となるのだ。


ならばその無尽蔵の魔力をどこから得ているのかと言うことになるが、答えは簡単。
彼女たちが住むその場所から。

火の魔力を求めるなら、火山や砂漠など、気温の高いところ。
水の魔力を求めるなら、湖や海など水の多いところ。
風の魔力を求めるなら、山岳や高地など風の強いところ。

このように自然から発生するそれらは属性をもち、土地によって大きく変化する。
つまり自然の全てには何らかの属性が秘められていると言うことだ。

……すなわち、単なる雨にも。




”ボタ…ボタ……ザアァァァァァ!!”


ついに本格的に降り出した雨がふりだし、
フレイアの高温の肌に触れる端から、水蒸気となって白く彼女の周囲に渦巻いていく。


『いやぁぁあ、早くしないと……っ!』

周囲を取り巻いた強い水の気配にフレイアは、悲鳴をあげて塔を目指し空へと舞い上がった。
だが、すでに飛んで塔へと逃げ帰るのも難しい状況。
フレイアの翼を持って、全力で塔を目指したとしても降り注ぐ雨からは逃れられない。

水の魔力を秘める雨粒は、相反する火の魔力を打ち消してしまうのだ。
命の源でもある彼女の火の魔力が、雨の水の魔力とぶつかり次々と溶けるように減衰していく。


『あっ……くぅ……』

半ばも飛ばないうちに、フレイアの飛行速度が目に見えて落ちてきた。
真っ直ぐに飛ぶことも出来なくなり、激しく蛇行すると不時着するような形で地面に降り立ち、
崩れ落ちるように前のめりに倒れ込んだ。

泥と水飛沫が舞い散り、フレイアは無惨な姿を晒す。
それほどまでに降り注ぐ大量の雨が、フレイアから力を奪い去っているのだ。
いくらフレイアが無尽蔵の魔力を蓄えていても、あくまでも彼女は個……一匹の生き物でしかない。
大自然の起こす雨が内包する魔力は彼女のそれを圧倒した。

まだ、森の木々が存在していれば、ある程度雨を防いでくれたのだろうが、
フレイアは自らそれを焼き払っている。


『はぁ、はぁ……あと、もう少し……』

震える身体を叱咤して、フレイアは再び立ち上がり歩き始める。
辿々しい足取りからは、獲物を追いつめるあの力強い姿がまるで見受けられない。

……そして、立ち止まり蹲った。




”ドチャッ!”


『……だめ、力が入らなくなってきたわ』

再び泥と水たまりの中に身を埋め、今度こそフレイアは動けなくなった。
こうなると、多くの魔力を消費してしまう竜の吐息まで、使ってしまったことを後悔するが今更それも遅い。

……彼女は、フレイアは時間をかけすぎたのだ。

あれほど雨を気にかけていたのに、思わぬ獲物の反抗で我を忘れ、
獲物を食べることに固執してしまった。
フレイアがライトの味見を済ませた時点で、この雷雲は空を覆っていたのである
それに最近のフレイアは、塔を訪れる多くの獲物を狩ることに時間を費やし、
魔力を蓄えるどころか激しく消費を続けていた。

……こうなったのも、全てフレイア自身の責任である。

助けを求めようにも、他の生き物を餌としか考えず、喰らってきた彼女には友達などいない。
自力で何とかするしかないのだ。

しかし、体が動かない。
足も翼も何もかも動かす為の力が、雨に溶かされてしまう。


『何で私がこんな目に……』

全てを食い荒らしていた火竜が涙する。
命の危機に瀕して、本来なら誇りを持って死ねるつもりでいたが……
こんな死に方をするなど情けなかった。


『ぐっ……な……ゲフッ!』

突如、胸にまで込み上げる不快感にフレイアは激しく噎せ返った。
大きな咳を繰り返す彼女の口からは、唾液と一緒に強い刺激臭がする液体が吐き出されてくる。
身体が弱り切ったことで、強靱な彼女の胃袋も食べ物を受け付けなったのだ。
胃袋は痙攣を起こし、収縮して内容物を吐き出そうとフレイアに強く働きかけていく。

しばらくすると、腹部の膨らみが迫り上がるように喉へと登り始めた。


『あぐぅ……うぅ…………』

ますます大量の体液が、フレイアの口から溢れだしてくるが、彼女にはそれを押し止める力もない。
強い不快感と嘔吐感に促されるまま、彼女は獲物を吐き戻した。




”ぐぐっ……グバッ!”


一瞬だけフレイアの頬が膨らみ、口の中から大量の体液と共に呑み込まれていた獲物……ライトが滑り落ちてくる。
数分とはいえ、彼女の胃袋に収まっていたのだから、無事で済むとは思えないが……
驚くことに、まだ意識があるようなのだ。


「…………うっ」

フレイアに負けず、遅い動きでライトが身を起こしていく。
戸惑うように周囲を見渡す彼の虚ろな目が、やがて傍に倒れ込んでいたフレイアを捉えた。


「ふあぁっ……ど、どうして?!」
『お願い……たす…………』

悲鳴をあげ後ずさるライトの姿に、フレイアは思わず助けを求めようとして止めた。
あんな小さな生き物が、どうやって自分を助ける事が出来るのか思い浮かばなかったからだ。
そもそも喰らおうとした張本人を助ける理由がない。
何処か諦めが心をよぎると、こうして一度食べた相手に看取られて逝くのも一つの生き様のような気がした。
そして、彼女は物言わず闇に意識を呑まれ死ぬ。

……死んだつもりだった。




Re: 竜と絆の章 4 【火竜の印】 ( No.5 )
日時: 2009/12/24 23:39
名前: F





(6)







”ザァァァァァ”


「止みませんね……何時までふるのでしょうか?」

外は相変わらずの雨、激しい水音が何時までも響いている。
一向に止む気配がないこの雨を避けるため、鉛のように重く感じる身体を引きずりながら、
ライトは道中で見かけた洞窟へと身を寄せていた。
洞窟の内部は若干上り坂なのか、入り口から奥へと水が流れ込む事もなく。
奥は意外と広めの空間が広がっており、雨宿りには最適だった。

隠していたライトの荷物も雨が若干弱まる気配を見せたとき、外に赴いて回収済み。
現在は回収した荷物にあった、熱を発する特殊な鉱石を使用して、ライトは暖を取ろうと試みているのだが。


「くしゅんっ! さ、寒いです……」

さすがに携帯用のそれは、こちらで言うところの懐炉(カイロ)ぐらいしか熱を出さない。

しかも着ている衣服は火竜・フレイアの体液塗れだった上に、胃袋の内部で短い間だが胃液に触れていた。
どのような有様かは容易に察することが出来るだろう。

回収した荷物も悪いことに度重なる乱雑な扱いで、予備の衣服を入れておいたリュックには穴が開いており、
この大雨でずぶ濡れで、当分は着ることが出来そうになかった。
仕方がないので手持ちのロープを使い、簡易な干し物ロープとして着替えを乾かそうと奥の岩場に吊してある。


「うぅ……仕方がありませんね」

結局……ライトは渋々と、とっておきを出すしかなかった。
震えながら広間の中央に赴き、ライトは小さな赤い水晶のようなものを設置すると……それを踏みつぶした。




”パキッ!”


赤い水晶はいとも簡単に砕け、水晶の内部に内包された熱が広間を包む。
寒さが大幅に和らぎ、春のような暖かさだ。
これは炎水晶と呼ばれる鉱石で、実に希少……且つ高価だ。


「今回は大赤字ですよ……あはは……はぁ…………」

乾いた笑いが何故か哀愁を誘い、ライトはガックリと項垂れて広間の隅へと移動する。
そこにはライトが造った一時的な居住スペース……とは良く言ったもので、とても簡易的なものを設置してあった。

まず小さなテントを設置すると、その脇に荷物置き場と称してシーツを引き、
そこにずぶ濡れのカバンとリュックを、適当に転がしてあるといった感じになっていて、
近くには例の洗濯物が吊られていて水音を立てている。
その他にも水気を取るため荷物の中身が整理されて一緒に並べられていた。

テントの中には唯一無事だった毛布が一枚敷いてあり、ランプが仄かな暖かみのある光を放っており、
最低限の寝床の確保は出来ているようだ。


「……入りますよ?」

不思議とライトがテントの前で中に声をかける。
それから入り口を開き中の様子を覗き込むと、静かな寝息が彼の耳に届く。


『…………すぅ』
「まだ、眠っているようですね」

一人用であるため手狭なテントの内部を殆どを占有し、眠りについているのは一人の『竜人』だった。
実はライトが竜人を見るのはこれが初めてである。

背丈はライトよりもずっと大きく、竜の鱗のような肌は噂に聞いたとおりだった。
ただ、どういうわけか衣服を身につけておらず、サイズ的にライトのもので代用することも出来ないことから、
下に敷く筈の毛布を今は『彼女』に被せている。
彼ではなく、彼女だ……毛布を被せていても分かる胸の大きな膨らみがその証拠。


「…………////」

何を思い抱いたのやら、赤い鱗の肌に覆われた竜人の彼女を見ているライトが顔を赤く染めた。
しばらくそのままテントの入り口から、見つめ続け……
手当のため額に乗せていたタオルが、竜人の彼女の額からずり落ちているのに気が付く。

「まだ、眠っているようですね」
「……そ、そろそろタオルも変えてあげないと!」

自分を誤魔化すのに丁度良い言い訳を見つけて、ライトは狭いテントの中へ這うようにして潜り込んだ。
なるべく竜人には触れないようにしながら、彼女の枕元――雑魚寝で実際に枕は無いが――へ……
ずり落ちたタオルを取り、形を整えると元の位置へと戻す。


……することが無くなった。

何もすることがないと、落ち着かないのかライトはソワソワしながら、何度も竜人の彼女を見つめ始めた。
眠っている竜人の彼女を気遣うのなら、さっさと外に出るべきなのだろうが、
生憎とランプの御陰か、中は外よりも更に暖かい。
元々このテントは自分ものなのだから、少しは長居する権利はあるはずだとライトは心の中で主張する。

……本音を言えば、初めて見る竜人を観察していたいからなのと、
様子の経過を確認しておきたいからだった。

今は静かに眠っているようだが、一時期は意識を失っていて非常に危険な状態だったのである。
体温は氷を思わせるかのように冷え切っていて、呼吸も止まっていて、
今も彼女がこうして息をしていられるのは、念のためと常備していた高価な薬と、
ライトの的確でマメな看病の御陰だ。
……正直、ライトにはこの竜人にそこまでする義理も必要性もない。
倒れている者を助けるのは常識だと言いたいが、その者に一度食い殺されかけたとなると話は変わる。
普通ならそのような者を助けようとはしないだろう。

しかし、気が付けばライトは予備の濡れたタオルで、眠っている竜人の顔を拭いている。
目の前に横たわる竜人を、竜人に化身した火竜・フレイアを……


「……どうしてなんでしょう?」

それは何度も呟かれた疑問。
自分にも、目の前の彼女にも問いかける言葉だった。

最初にそれを呟いたのは、火竜の胃袋の中で……



          ※    ※    ※







”トクン……トクン”


変わらぬ音、規則正しく同じリズムを刻むそれに、ライトが気が付いたのはずいぶん後のことだった。
火竜の体内へと誘われ、たどり着いた胃袋という名の肉で出来た部屋。
息をするのも難しいほどの熱気、臭気に包まれ、本来ならこのまま溶かされてしまう筈なのに……


(まだ……僕はいきて…………?)

ライトは生きていた。
静かな胃袋に響く、火竜の鼓動に目覚めさせられて。


しかし、状況はそれほど良くはない。

動かずにいるとグニグニと蠢く柔らかな胃壁が、少しずつ収縮し身体に密着しようとするが、
少し力を入れるだけで、身体を起こし手足を伸ばすぐらいは楽に出来た。
だが、ここは胃袋の中なのだ。
食物を消化するための消化器官に、長時間いればやがて……ドロドロに溶かされてしまう。

現にライトが動こうとすると身体の至る所にひりつくような痛みが走った。
僅かながら胃液が胃壁から分泌されてきているのだろう。


「……ぁ……つぅ…………はは、どうしてなんでしょう?」

だからこそ、自分がまだ溶かされていないことが不思議だった。
すぐに火竜の強力な胃液で消化されてしまうと思っていたのに、どういうわけかそうはなっていない。

ライトの呟きはそんな疑問からだ。




”ジュル……二チュ…………グジュ、グジュ”


不意に蠢いた胃壁に引きずられ、ライトはひっくり返る。
ヌメヌメの体液に覆われた胃壁には掴むところもなく、蠢く胃壁に揉まれ揺すられて、
胃袋の底で大量の体液を浴びることになった。

そこへ急激に胃壁が収縮し、ライトは押さえつけられるように胃袋の底へ沈んでいく。


「ふわ……うっ……ケホッケホッ」

そこから何とか身体を捻って、体液の水たまりからは顔を出しライトは激しく噎せ返った。


「一体……何が、ふわぁぁあ?!」

胃袋の異変を知らしめるのは、それだけではなかった。
急激な温度の上昇、胃壁、体液の温度が急激に上昇しただけに留まらず、
内部に規則正しく響いていた心音が、早鐘を打つように早くなり喧しく響いてくる。

何かが起こっているのは間違いない。

ライトは知る由もないが、この異変は激しい雨が降り出したのとタイミングが合致する。
ただでさえ熱気による地獄のような場所が、さらなる地獄へと変わった瞬間。
その事に気が付く暇がないほど、ライトは凄まじいまでの胃袋の蠕動に巻き込まれていくのだった。


「ちょっ……あぐっ……ふひゃぁああ、止まってくださいぃーー!!」

その最初の洗礼がついにライトに襲い掛かる。

瞬く間にライトの悲鳴が、火竜の胃袋の中で響き渡り、
激しい蠕動がそれをかき消すほどの生々しい音を立て始めた。




”グジャッ! グジュル……ゴボゴボッ!”


柔らかく柔軟に動くため、火竜の胃袋は次々と形を変え、中身を執拗に揉み潰すかのように蠢いていく。
擦り合わさる度に体液が飛沫を上げ、泡立ち音を立てる。
その中にライトの悲鳴が混じっているが、分厚い胃壁がそれを外へと漏らすことはない。


「んふぁっ……ぶっ!!」

それならばと手を突き出したライトだが、押し返すどころか胃壁に両手が埋まる。
予想外の事態に驚きの声をあげようとした途端に、蠢く胃壁がライトの顔を完全に覆い尽くした。
口の中にまで胃壁が入り込み、体液が流れ込んでくる。
喉を通り、胃の中へと落ちる熱湯のような体液に、ライトは更に悶え苦しむのだった。


これが本来の火竜の胃袋、獲物を蹂躙し、
完全に栄養と変えてしまうまでこの動きは続く……

時間が経つにつれ、胃壁の温度はますます上昇し、泡立つ体液が熱によってより粘りけのある液体へと変化を始めた。
それによって内部で響き渡る音はより生々しくなり、そして、獲物を絡め取っていく。
それらの強烈な責めによって、ライトにも変化が現れる。

熱に脳が麻痺を始めたのか、苦痛に歪んでいた表情がトロンとした惚けた感じになってきたのだ。


「あは……やめ……はひゅぅぅ……///」

喘ぐ声もどことなく気持ちよさそうであり、さらに激しく悶える度に手足から、
粘度の強くなった体液が強く糸を引く様子は、さながら蜘蛛の巣に捕まった虫といったところか。




”ジュル……ジュルルゥ”


真っ暗な胃袋の中では、判別することは不可能だが、明らかに色の違う液体が混じり始めた。
ついに胃液が分泌され始めたのである。

それに触れたライトの肌を焼いた。


「あはぅっ! くぅっ………はぁっ……あっ」

さすがにそれには痛みを感じたのか、ライトが大きく仰け反り身悶える。
そうやって動けば動くほど胃壁から分泌される胃液の量が増え、このままではライトは自らの手で消化を早め、
遠からず栄養として消化されてしまうだろう。


しかし、そうはならないのを私達は知っている。




”グジャァアア!”


「はぶぅぅ!!」

突如強い衝撃が胃袋を襲った。
まるで外から押しつぶされたような圧迫感で、ライトは胃壁に包み込まれる。

狭い隙間に胃液が流れ込み、逃げ場もなくライトにまとわりつくが、
それらが彼を消化してしまう前に、次の異変が起こる。




”ググッ……グジュッ……ジュルルルゥ!!”


「はぁ……はぁ、次は一体……ふわぁっ!」


次々と襲い掛かる異変に、ライトは息絶え絶えになりながら肌を焼く痛みに耐えていた。
そんな彼にさらなる追い打ちが襲い掛かる。

胃壁が激しい痙攣を起こして、無秩序に蠢きだしたのだ。
今までとは比べものにならないほど強い蠕動が、ライトを襲いかかり彼を拘束する。
そこからは彼にも何が起こったのか分からず、
上下も分からないほど、揉みくちゃにされ気が付いたときには、とても狭い洞窟に押し込まれていた。

覚えのある身動きできないほどの狭い肉の洞窟を、流れに逆らって逆流する感覚。


そして、急に視界が開けた。




”グバァッ! ドチャリッ!”


光の中へと吐き出され、ライトは水たまりの中に転がり落ちる。
今まで灼熱の中にいた身体には、とても冷たい水が染み渡り薄れかけた意識を回復させてくれた。

仰向けのまま、ライトは空を見上げる。


「はぁ……はぁ……(……冷たい……雨が降ってますね)」

荒い息を吐き出す、自分の呼吸だけが耳に響いていたが、
直ぐに身体を打つ冷たい水滴に気が付いた。

空から降り注ぐ冷たい雨に打たれながら、ライトは少し身体を動してみる。
強烈な責め苦のせいで、疲労が溜まり動くのも億劫だが身体はしっかりと反応してくれた。
次ぎに気になるのは、胃袋にいた事による怪我の度合いだが、
胃液に触れていたにもかかわらず、思ったより軽傷で済んでおり、火傷をしたように少し肌が赤く腫れた程度だ。


(さすがに……少し寒い、凍えそう……です)

冷たい雨は、容赦なく身体の体温を奪っていく。
体力は回復しきってはいないが、ライトは一度俯けになると手を突き、ゆっくりと立ち上がる。


「…………うっ」

すると少しだけ身体が痛んだ。
それにライトは顔をしかめるが、動けないほどではない。

それよりもここがどこなのかライトは知りたかった。
火竜の体内にいて、時間の経過がまるで分からず今自分がどこにいるかも分からないのだから、
現在地を知るのは重要なことだ。

ライトは周囲を見渡し、彼女と目が合う。


自分のすぐ傍に横たわる火竜・フレイアの瞳とまともに視界が重なり、反射的に体が動いた。
思いっきり腰が引けて後ずさる身体。

それと同時に再び疑問が浮かび、それが言葉として出る。


「ふあぁっ……ど、どうして?!」
『お願い……たす…………』

横たわる火竜の口から出たのは、問の答えではなかった。
こちらを獲物としか映していなかった赤い瞳には、縋るようでいて諦めのようなものが浮かんでいる。


「えっ?」

助けを求められたライトは、呆然と座り込んだまま火竜・フレイアを見つめた。

彼女はそれ以上話し掛けてこようとはせず、じっと蹲ったまま動かない。
浅く細かな呼吸を響かせつづけ、やがて目を閉じてしまう。
ライトの目にも火竜から生気が抜け落ち、命が尽きようとしているのが分かった。


「…………もう、わけが分からないですよ!」

本当に分からないことだらけ。

何故、火竜は自分を消化してしまわなかったのか。
何故、火竜は自分を外に吐きだしたのか。
何故、火竜がこんなに弱っているのか。
何故、火竜が助けを求めてきて、それを自分が助けなければならないのか。



どうして?

どうして?

どうして?



……どうして?

無数のその言葉がライトの中に渦巻く。


「…………っ!」

迷いを抱きながら、ライトは立ち上がった。
横たわる火竜・フレイアに近寄り、目を閉じた顔にそっと触れた。


「もう……分かりましたよ、助けますよ」

分からないからこそ、助けようとライトは思った。
どうしてそのような考えに至ってしまったのか、のちの彼でもよく分からないそうだが、
とにかく助けよう……そう思って彼は行動を開始する。

だが、それを成すには大きな問題が、彼の知識と力ではどうしようも無いモノがある。


「しかし、どうすればフレイアさんを助けることが出来るのでしょう?
 ああっ……それにどう運べば……」
『…………ひ……火をちょう……だい』
「火ですか?! 火があればいいんですね?!」

頭を抱え思案するライトの声に、火竜・フレイアが譫言のように『火』と呟いた。
それが彼女の最後の力だったのか、ライトが何度か聞き返しても答えは返ってこなかった。

……変わりに、火竜・フレイアの身体から光が溢れる。
それは命の危機の際に、竜が持つ防衛反応が起こす現象であり、劇的な変化への始まりだった。

魔力を無駄に浪費する身体から、消耗の少ない身体へ。
もっとも無駄な巨体は変化の最初で、真っ先に切り捨てられる。
肉体の体積が急激に減少を始め、緩やかに手足までもが短く小さくなっていった。
更に形状まで大きな変化が現れる。
獣の手足や体付きが、まるで異形の存在へと変化を始めたのだ。


「ふわぁ、これは……」

竜の巨体が骨格からして違う、まるで別物へと変化していく光景は、そうそう見れるものではない。
探検家としての好奇心から、ライトは夢中でその過程を見守ってしまう。

光が消えたとき、変化は終わっていた。
竜の姿から人へと……フレイアは竜人へと姿を転じて、今も力無く横たわっているが、
これでライトでも運ぶのは決して不可能ではなくなる。

問題だった二つは、フレイア当人によって解決方を示され、
この期に及んで躊躇するライトではない。


「……と、驚いている場合じゃないですね。早くしないと!」

我に返るなりライトは直ぐに横たわる竜人・フレイアの身体の下に潜り込み、
リュックを背負う要領で彼女を背負い上げるとした。
重量のある荷物を背負って旅をするライトは、こういう時の力の出し方を心得ている筈なのだが、、
予想以上の重量に悲鳴をあげてしまう。


「ふわぁぁぁあ! フレイアさん……重たすぎですっ!」

返事のない相手に文句を言いながらも、ライトは歩き始めた。

行く当ては、ここから歩いて数時間の所にある洞窟。
火竜・フレイアとの鬼ごっこの際、最終的にそこへと逃げ込むつもりだったのだが、
まさかこういう状況になるとは夢にも思わなかった。

問題はそこまで自分の体力が持つのか。
そして、フレイアが持ちこたえられるのかだが……


「はぁ……はぁ、頑張ってくださいね」

今はその事を気にかけている暇はない、それよりも前へ……
雨の降りしきる中、ライトは歩き続けた。



          ※    ※    ※



その後、全てが落ち着きを取り戻したのはすでに半日が過ぎていた。
奇跡的に洞窟の中へとたどり着き、フレイアが息を吹き返すまで、どれほどの苦労があったのか。

それでも疲労の度合いが色濃く浮かぶ顔で、ライトは笑う。


「ははは、我ながら馬鹿だとは思うんですけどね……本当にどうしてなんでしょう?」

本当に色々と分からないことだらけだ。
でも、一番分からないのは自分の心なのかも知れないとライトは思う。

果たしてフレイアが目を覚ましたとき、一体彼女はどのような反応をするのかも、
その時に自分はどうするべきなのかよく分かりもしないのに、どうして助けてしまったのか……
やっぱり分からない。
考えれば考えるほど……やはり自分は馬鹿なのだと確信が深まるばかりだ。

結局その程度の結論しか出なかったが、何となくライトは気が抜けた。
するとやはり疲れているのか、眠気が彼を襲う。


「ふわぁぁ……少し眠くなって……来ました」

眠気を堪えるようにライトは何度か目を擦るが、一度気が抜けてしまうと眠気は強まるばかりで、
しだいに頭が不安定に上下に揺れ始める。
頻繁に瞬きを始めた眉が、そのまま完全に……閉じた。

そのまま、前のめりにライトが崩れ落ち……




”ドサッ”


横たわっていた竜人・フレイアの胸元へと倒れ込んだのである。
その瞬間僅かに彼女の腕が動く、眠っていたと思われた彼女の目がゆっくりと開いていき、
ライトを見つめると……


『本当に坊やって、無防備ね……』

可愛らしい寝顔に手を添え、そう呟いたのだった。



          ※    ※    ※



冷たい暗闇の中に響く、水の音……それから逃げようと彼女は走り回っていた。
しかし、何処まで行っても水音は追い掛けてくる。


『水は……水はいやなの! あっ!』

悲鳴をあげて逃げ回る内に、フレイアは何処かで足を踏み外し落ちた。
水飛沫を上げ大量の水の中へ……
泳ぐことも叶わず、彼女は水のそこへと沈んでいき……暗転。

そして、再び水音から逃げ回るループが繰り返される。

まさに悪夢だった。
夢であるがため、彼女自身が目覚めない限り終わりがない。


『もう水はいや……誰か、助けて……』

何度その悪夢が繰り返されたか、どこに行っても水が彼女の元に付きまとう。
竜としてのプライドも誇りも消え失せて、必死に助けを求める。
さらけ出された彼女の本音。

夢の中の彼女は必死に助けを求めていたのだ。
そこへ声が響いてくる。


「もう……分かりましたよ、助けますよ」
『だれ?! 誰でもいいから助けて!』

聞き覚えのある声だが、半ば錯乱しているフレイアには声の主が分からない。
それよりも悪夢の中にいた彼女に、差しのばされた救いの手。

その声の主にフレイアは躊躇無くしがみつこうと叫んだ。


「しかし、どうすればフレイアさんを助けることが出来るのでしょう?
 ああっ……それにどう運べば……」
『それなら………………ひ……火をちょう……だい!』

自分にもっとも足りないもの、それは火の魔力。僅かばかりの小さな火にもそれは存在する。
それが身体に満ちれば、竜は並大抵のことで死ぬことはない。
がむしゃらにフレイアは求めるものを誰かに懇願し、最後の魔力を身体から解き放った。

他者には晒すまいと思っていた脆弱な身体、竜人へと躊躇無く変化し、


『運べないなら、これで良いでしょう?! だから、早く助けて……』

力を使い果たしたフレイアは、夢の中で力尽き……更に深い闇へと沈んでいく。
沈みながら、千切れるかと思うほど一杯に手を伸ばし……

その手を誰かが掴んでくれた気がした。



そして……


『……………あっ』

気が付くと彼女は何処かに寝かされていた。
衰弱が激しい肉体は、まるで動かすことは出来ないが生きている。


『……どうして? 私は……』

死んだと思っていた。雨に全ての魔力を命の源を奪われて、本当に死んでしまったのだと。
あの地獄のような悪夢は、フレイアにそう思わせるほどの恐怖を抱かせていた。

だが、現実はどうだ?

フレイアは己の身体の中に、僅かながら火の魔力が満ちてきているのが分かる。
まだ少なすぎて、動く力も出せないが……
自分の周囲に多くの火の魔力の気配が感じられた。

その中で最も近くに感じる力の出元へ、彼女が何とか顔を向けると。


『……ランプ?』

まず目に入ったのは仄かな暖かみのある小さな炎。
幻想的に揺れる炎を見つめていると、何かが額からずり落ちてそれを覆い隠した。


『……んっ……?(なに……冷たい……みず……水……水!)』

ヒンヤリと顔を冷やすその正体は濡れタオル。
例え微量でも、肌に感じる水の感触にフレイアは嫌悪感をあらわにして、
首を振りそれをどかそうとする。

そんな些細な努力の甲斐あって、濡れタオルは顔から滑り落ちていった。


『ふぅ、忌々しいわね』

実に嫌そうな視線を、フレイアが枕元に落ちたタオルに向けている。


「……入りますよ?」
『……っ』

こんなに近くまで来るまで気が付かなかった自分を叱咤しながら、
フレイアは素早く目を閉じ、寝たふりに徹する。

聞こえてきた声には覚えがあった。夢の中でも何度も聞いた声……今なら分かった。


「まだ、眠っているようですね」
(坊や……私は……この子に助けれたの?)
「……そ、そろそろタオルも変えてあげないと!」
(えっ……いや、要らないわよ!!)

この場は気づかれない方がいい、そう思って寝たふりを続けていたのだが、
先ほど聞こえた声は聞き流すことが出来ない。
いっそのこと目覚めていることをばらしたい欲求にかられながら、どうしてかそれが出来ず……


(……ぁぅ)

再び乗せられたヒンヤリとした濡れタオルの感触に、おぞましい感覚が全身に走り抜ける。
フレイアは表情を動かさずに、それを耐えた自分を褒めたい気分だった。

だが、さらなる困難が彼女を襲う。
ライトが別の濡れタオルを使い、フレイアの顔を拭き始めたからだ。
湿り気を帯びる肌に、フレイアは再度心の中で悲鳴をあげる。


(だから、やめてぇ……!!)

その声が届いたのかどうかは分からないが、しばらくすると顔を拭く手の動きが止み。


「……どうしてなんでしょう?」
(……何がよ?)

その呟きが、まるで自分に向けられているような気がして、フレイアは思わず聞き返した。
同時に寝たふりが気が付かれているのかと、内心身構える。

……が、直ぐにそれは間違いだと気が付かされた。


「ははは、我ながら馬鹿だとは思うんですけどね……本当にどうしてなんでしょう?」
(……独り言? 妙ね、私に聞いているように思えたのに……)

それはあながち間違ってはいなかった。
だが、今のライトの呟きでは、その意味を全て読み取ることは出来はしないだろう。
そもそも彼自身が、その問いの意味がよく分かっていないのだから……


「ふわぁぁ……少し眠くなって……来ました」




”ドサッ”


しばらく無言が続き、やがてライトの欠伸が耳にはいるとフレイアは胸元に衝撃を感じた。


(……んっ…………身体が動く?)

僅かな衝撃に身体が動いたような気がして、フレイアは自分の腕を動かしてみた。
すると腕が思うとおりに動く。
まだまだ反応は鈍い気がしたが、力が通い始める実感があった。

もう動ける。その確信が出来て、フレイアは目を開く。
丁度目の前に、だらしなく眠りこけている、可愛らしい顔が目に入ってきた。


『本当に坊やって、無防備ね……』

思わずそう呟いてしまいながら、フレイアはその寝顔に誘われるかのように頬に手を添えた。
間近に匂いを嗅いで喉が、お腹が音を鳴らす。

……食べたい。

弱り切った身体が、足りない分の魔力の変わりを欲している。
今食べたところで竜の姿を取り戻すには足らない。それでも食べたいと本能がそれを求めた。
本能が彼女に鋭い牙の生えた口を開かせ、顔を近づかせていく。

あともう少しで、フレイアの口がライトの寝顔に食らいつく寸前……


『……気分じゃないわ』

今まで本能に従って生きていた彼女が、それに逆らった。
目の前に眠りこけている無防備な獲物を見逃して、食欲で高ぶる気持ちを別なものに転嫁させるため、
フレイアは無防備な獲物の唇を奪う。

舌も吐息も他の生き物よりも遙かに暖かなそれが、ライトの中に流れ込んだ。


『……んっ』
「…………っ!!!」

それは即座にライトの目を覚まさせたが、何が起こっているのかは分かっていないようだ。
ただ、目を開きそこに目を閉じたフレイアの顔が見えた……それだけである。

そこをフレイアの両手に抱えられるようにして、頭を捉えられる。
反射的にライトは逃げようと頭を引くが、弱っているとは言え竜の力には逃れられない。
そのまま引き寄せられ……

唇はより密着。


「…………ふ……ぅっ!!」

わけも分からぬうちに起きた初めての出来事に、ライトは本当に何も出来ず、
重なる二人の口づけは、凡そ五分ほど続くこととなった。



          ※    ※    ※



(……なっ……僕は一体なにを? フレイアさんが何で目の前に……ええ!!!)

キスをされている。ようやくその事に気が付いたライトの目に正気が戻った。
鈍いにも程があるが、瞬時に頬が灼熱し、勢いよく相手を突き飛ばす!


「…………っ!」
「キャッ!」
「……けほ! けほ!」

口が離れフレイアの舌が抜け出た瞬間、ライトは喉の中に凄まじい違和感を覚えた。
思わず咳き込み喉をさする。
彼女の舌は食道の中にまで入り込んでいたのだ。

竜族の舌は長いことで知られているが、彼女はその中でも特に長いようである。
一方突き唾されたフレイアは、痛そうに体を捩っていた。


「もう、突き飛ばすなんて乱暴ね」
「はぁっ……はぁ……な、なななななななにをするんですか!!!!!」

ようやく落ち着いたかと思えば、口から垂れた暖かい唾液を拭い、
ライトは凄い剣幕で相手に詰め寄り捲し立てるが、体は何かに襲われたかのように腰が引けているのが彼らしい。


『……食べるよりはいいでしょう?』
「へっ?」

そんな彼にフレイアは即座に見事な切り返しをしてのけた。
その切り返し方が、また彼女らしく捕食者を連想させる笑みを浮かべ、逆にライトに詰め寄る。
するとライトは逃げようとするが、狭いテントの中だ逃げ場はない。

巧みに獲物を追いつめて、フレイアはこう呟いた。


『ふふふ、そっちの方がいいのなら、私も構わないんだけど……』

目は据わっており、半開きになった口からは牙と舌が覗く。
フレイアの真意は恐らく違うのであろうが、ライトには彼女が本気に見えた。


「……ごくっ……や、止めて……下さい」

息を呑み、辛うじてそれだけを口にするのがやっとだ。


『なら、文句言わないの。今は食べないから安心しなさい……』
「い、今は……?」
『そう……今はね……』
(それって、今度会ったら喰うつもりなんですね! やっぱり、助けなければ良かった……)

その異様な迫力は、フレイアの言葉に真実みを持たせ、ライトは卒倒しそうになる。
彼女を助けたことを、今更のように後悔しているようだが、


『……ありがとう、貴方のおかげで命拾いしたわ』
「な……な、何ですか突然?」
『まったく、坊やは本当に鈍感ね、こう見えても感謝してるのよ?』

それまでの表情を一変させると、フレイアは優しげな笑みを浮かべた。
今まで彼女ともっとも親しかった竜族しか、彼女の心からの笑顔を見た者はいない。

だから人ではライトが最初だ。
問答無用で餌と見なされる人では決して見れない笑み。
それにライトは言葉を失った。
頬が赤く染まり、その笑みに見取れてしまう。


『だめよ、私の前でそんなに隙だらけになったら……今すぐ食べたくなるじゃない』
「ふぇっ! あわわっ!!」

自分に見取れる相手の姿に、フレイアは小さな笑い声を響かせると惚けた相手の鼻を舐める。
ちょっとした悪戯のつもりだったのだが、相手にはそうではなかったようで、
フレイアが呆気にとられるほど、ライトは過剰な反応をして見せた。




”ガシャン!  バサァッ!”


『きゃっ、何やってるのよ!』
「しょ、しょうがないでしょう、ビックリしたんですから!」

下がれるスペースがないのに思いっきり後ずさった結果、見事にテントの骨組みを壊したのである。
崩れたテントの天幕が二人の上から覆い被さり、仲良く悲鳴をあげた。
もみ合うように二人が蠢く様が、天幕の動き具合でよく分かる。

かなり苦戦をしているようだが、先にそこから這い出たのはフレイアだ。
後に続いてライトも這い出してくる。


『たく……ふぅ、驚いたわ』
「驚いたのは僕の方ですよ、テントも壊れちゃいましたし……って、燃えてます! 燃えてますよ!」
『そう言えば、ランプがあったわよね……』

煙を上げ始めたテントにライトが、悲鳴をあげて大騒ぎ。

まぁ、崩れたテントの中で、二人ともあれだけ暴れたのだから、ランプの一つや二つ蹴倒すだろう。
本格的に炎が燃え上がるまでに、何とか鎮火させようと奮闘する様を他人事のように見つめ、
淡々とフレイアはそう呟き、心の中でそんな事を思っていた。

……と、そんな彼女にいきなりバケツが突き出される。


「フレイアさんも、そんなところで見てないで消すのを手伝ってください!」
『えっ? ちょ、ちょっと何させるつもりよ!』
「水を汲んできてください、今なら何とかなりますから!」
『何で私がそんなこと……ねぇ、聞いてるの?!』
「頼みましたよ! ああっ、火が出て……フレイアさん早くお願いします!!」

働かざる者食うべからずと言うべきか、なし崩し……と言うより、ライトの迫力に押され、
何時の間にやらフレイアは水くみを押し付けられてしまった。
よく見ればライトも同じようなバケツを手に持っている。

どうやら二人でバケツリレーで炎を消すつもりらしいが、水が嫌いなフレイアには受け入れられない提案だ。


『な、なんで私が水くみをしなくちゃいけないのよ!』
「いいから早くお願いしますよ!」
『もう、わかったわよ!』

釈然としないままで、フレイアは受け取ったバケツを放り投げる。
この一時を争う状況で明確な拒否を示した彼女に、ライトが非難の声をあげようとするが、
フレイアは先に声を荒げて、それを封じ込めた。


『坊やも炎が消えれば文句はないでしょう?!』
「えっ……そ、そうですが?」

相手の了承がとれたことで、フレイアは火の手の上がったテントに手を掲げ、早口で何かを呟き始めた。
呟かれる言葉は、それ自体に意味はない。

―― 炎よ……その源である火の魔力よ、私に隷属せよ ――

だが、高速で紡がれた言葉は呪となり、込められた魔力に従いこの世にあらざる現象を発動させる。
燃え上がり始めていた炎は、フレイアの魔力の奔流に絡め取られ不自然に揺らぎ、
次の瞬間には掲げた彼女の手へと吸い込まれ始めた。
炎もそれ自身が持つ火の魔力も、根こそぎ吸われ……食い尽くされると、炎は跡形もなく消え去る。

するとフレイアは手を下ろし、最後に一言だけ呟いた。


『……ご馳走様』

それと心の中で安堵する。力の落ちた状態……つまり竜人の姿だと、
身体能力だけでなく、扱える魔力の量、コントロールの精度も共に極端に落ちているからだ。
失敗すれば、反動が全て己に返ってくることから、
フレイアはこの姿で、あまり魔法を使いたくなかったのである。

そもそも水くみを押し付けられなければ、テントが燃え尽きるまで見守っていた可能性が濃厚だ。


「凄い……でも、そんなことが出来るなら最初からやってくださいよ!」
『消えたんだから、文句はないでしょう?』

ライトの意見もっともだが、事情を知らないからこそ言える言葉であろう。

しかし、彼女の言うとおりテントの炎は消えた。
もっとも、大穴の開いたあの様子では、新しく買い換える事にはなるだろうが、
そこまではフレイアも面倒は見れない。


『ともかく、これで坊やに助けて貰った借りは返したわよ』
「はぁ、それはいいのですが……っ」
『……どうしたのよ?』

突然後ろに向き直って、こちらを見ようとはしないライトに、フレイアは怪訝な表情を浮かべた。
この火事騒ぎで、すっかり失念していたのフレイアは何も着ていない。
フレイアは火竜であり、そもそも最初から裸。
例え竜人の姿を取っていても、服を着るという概念が薄かった。

だが、ライトの方はそうも行かない。
目のやりどころに困って、声をかけられても後ろを振り向けず硬直していた。

……だから、彼女の言葉に上の空で答えてしまう。


『……? まぁ、いいわ。坊や、私はそろそろここから出て行くわね』
「は、はい!」
『素っ気ないわね……じゃあ、またね』

声のする方、足音のする方を出来るだけ見ないように……
ライトはそれだけしか考えていなかった。

こちらを無視するような態度に、フレイアは軽く肩をすくめると、一人洞窟の外へと歩き出す。
洞窟の外へ出ると雨はすでに止んでいるようで、まだ空はどんよりと曇っているが、
この風の流れからすぐに綺麗な青空が覗くだろう。

彼女が留まる理由はすでに無いのだ。

しかし、すこし気になってフレイアが後ろを振り向くと、未だにこちらに
背を向けているライトの姿が目に入った。


『ふふふ、可愛い坊や……次ぎ会うときが楽しみよ』

その言葉を最後に残し、フレイアはこの場を立ち去り、
洞窟の奥に残されたライトには、その言葉は届くことはなかったのである。









(エピローグ)



火竜に食われ、灼熱の胃袋の中から生還するという壮絶な冒険を経て、
世界を股にかけて冒険をしているライトは、現在……シャルナ平原という場所にいた。
時が過ぎるのは早く、アレからすでに一月が経過している。


そして、今回の冒険でも……


「ふわぁぁ!!! またですか、いい加減にしてくださいよ!!」

ライトは叫びながら、高原を全力で逃げていた。
それを追い掛けるように、彼の背後では巨大な影が大地に映し出されている。

彼を追い掛けている相手は空にいた。
巨大な翼を持ち、赤き鱗を纏う火竜・フレイアが付かず離れず獲物を追い回し、
小さな火球を相手の足下へと打ち出す。

大きさはロケット花火程度だが、ライトの直ぐ背後に着弾すると……




”ドンッ!”


かなり大きな音を立てて爆発する。
実際には威力は大したこと無いのだが、発する爆音が凄まじい。

ついついそれに騙されて、ライトは咄嗟に前方にダイブし頭を抱えてしてしまう。


「ふひゃぁ……あ、あれ?」
『ふふふ、坊や……隙だらけよ!』

そんな無防備な背中へと、フレイアは高度を下げて飛びかかりながら獲物を捕獲しようとする。
正確に獲物を捕らえ、空中へと連れ去ろうと迫り来る鋭いかぎ爪!

それをライトは、神業的反応で避ける。


『今のを避ける?!』

まさか避けられるとは思っていなかったフレイアは、そのまま地面に着地し地響きを上げながら
体勢を立て直すと、素早く獲物へと向き直った。


『坊や……最近ドンドン手強くなってきたわね』
「いい加減に諦めてくださいよ! どうして僕を追い回すんですか?!」

こうしたフレイアの襲撃は、これで三回目。
それも時を選ばず、脈絡無く突然襲い掛かってくるので堪ったモノではない。

ライトが叫ぶのも当然なのだが、それをフレイアは平然と聞き流した。



          ※    ※    ※



それにしても、世界中を旅する彼を、フレイアがどのようにして見つけ出しているのだろうか……?
これはライトも知らぬ事だが、すでに彼の中にはある印が刻まれているのである。

それがレーダーの役割を果たしているわけだ。

彼女がライトに印を刻んだのは、洞窟の中……二人で長く唇を重ねていたとき。
あの時ライトの喉の中へと、流れ込んでいたのは彼女の舌だけではない。
舌を伝う唾液に混ぜて、彼女は自身の魔力を注いでいたのだ。

ライトの体内に注がれた彼女の魔力は、ちょっとした作用を彼の体に施す働きをし、
表には現れない変化……体内の何処かに彼女の姿を象った紋章が刻まれる。

この紋章は本来なら親しい者に施し、お互いの居場所を相手に伝えるために使用する魔法なのだが。
その魔法をフレイアはライトに使った。
つまりライトが、どれだけ遠くに逃げたとしても、
フレイアはこの紋章の気配をたどり、何時でも相手の位置を知ることが出来るという事になる。

これでは絶対に逃げられない。

文字通りフレイアに自分の物であると唾をつけられたわけだ。
もっとも大まかな位置までしか分からないため、近づきすぎると効果が薄くなる欠点もあるが、
明らかなハンデを知らぬ間に背負わされていることには違いない。



          ※    ※    ※



詰まるところ……唇をフレイアに奪われた時点で、
彼の人生に平穏という言葉が消え失せ、気の抜けない毎日が始まったのだといえるだろう。


『ふふふ、私……坊やのことが気に入ったの、それが理由。
 それに再開したときに言った筈よ、私が坊やを食べるまで永遠と追いかけ回してあげる。
 今度は絶対に吐き出さないから、覚悟していなさい!』
「ひぃぃぃ! た、食べないでくださいよ!」

獲物との会話の最中……フレイアは自分の心が、興奮に包まれてくるのが分かった。
後ずさる獲物へ、彼女はしだいに距離を詰めていきながら、更に続ける。


『だめよ、だって坊やは隙だらけじゃない。
 放っておいたら何時か別の奴に食べられてしまいそうだから、誰にもあげない。
 私だけが坊やを食べるの』




”ジュル”


ついに我慢できなくなったのか、フレイアの口元からは涎の滴る舌が姿を覗かせる。
滴り落ちる涎に、ライトは青ざめて脱兎の如く逃げ出した。

以前よりも随分と早くなった逃げ足で、一直線に平原を駆け抜けながら叫ぶ!


「無茶苦茶な理由じゃないですか、フレイアさんは我が儘すぎますよ!」
『待ちなさい! 絶対に逃がさないわよ!!』

こうして二人の鬼ごっこが再開された。
果たしてライトはフレイアの魔の手から逃れ、今回も逃げ出すことが出来るのだろうか?
それとも今回こそ捕まって、美味しく食べられてしまうのだろうか?

彼の運命が、そのどちらになるのかは分からない。
ただ……少なくとも『火竜の印』が刻まれた者に、穏やかな平穏が訪れることはないだろう。



それが火竜に絆の証を刻まれた、彼の運命なのだから……


The End
Re: 竜と絆の章 4 【火竜の印】 ( No.6 )
日時: 2009/12/25 02:25
名前: ケイル

いやぁ、大作お疲れさまですっ

スピードキャラの主人公が、結局力に屈してしまい
逃げ回った分だけと言わんばかりに味見攻めされて
めちゃめちゃにされちゃう流れが、個人的に好きな部分です。
そして終盤の展開エロイw
Re: 竜と絆の章 4 【火竜の印】 ( No.7 )
日時: 2009/12/25 15:21
名前: セイル

大作大変お疲れ様でしたっ!
唾液、口内、体内、捕食描写全て神です!
もう最高でした。本当に!
個人的には首領の話を是非書いていただきたい!
Re: 竜と絆の章 4 【火竜の印】 ( No.8 )
日時: 2009/12/26 04:15
名前: SQN

大作乙です!!!

ヤバイ…読んでる途中でいろんな情景が浮かんできて最高でしたwww


只でさえ好きなキャラだからなおさら……w

姐さんマジパネェっすwww

とにかく乙です!!
Re: 竜と絆の章 4 【火竜の印】 ( No.9 )
日時: 2009/12/27 19:34
名前: Sido

大作お疲れ様ですw
これだけの量がありながら時間を忘れて熱中してしまいましたw

もう描写が凄くて各シーンを鮮明に想像させる文章力は圧巻の一言ですw

改めてお疲れ様です!w
Re: 竜と絆の章 4 【火竜の印】 ( No.10 )
日時: 2010/01/03 20:03
名前:

読んでたら続き気になって一気に読み干しちゃいました。火竜姉さんの鬼畜っぷりがぶっ飛んでますねー。
総合的に助からなかった人が多過ぎて人食いモンスターパニック映画的なドキドキ感がありました。
うーん獲物の恐怖とか悲痛とかを楽しみながら食う描写が・・もう素敵すぎました。ぽっ

猫ちゃんが食われるくだりが個人的にお気に入りです。死を覚悟した最後の抵抗・・><
あと私もセイルさんと同じくオオカミ首領さんが食われた時の詳細が気になる(笑
あんな逞しそうなお方がどんな恐ろしい食われ方したのだろうか・・。

兎にも角にも大作お疲れ様でした。次回作も頑張って下さいー。

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