Re: キスが好き ( No.1 ) |
- 日時: 2010/05/13 23:04
- 名前: ホシナギ
- キミは、白鳥座にまつわる神話を知っているだろうか。
星座の神話というものは確かにたくさんの種類があるが、 ここで取り上げたいのは、ギリシャ神話の大神ゼウスが変身した姿である、という説だ。 ゼウスは恋多き男であり、女神ヘラという妻がいたものの、たくさんの女神や人間の女性と関係を持ったらしい。 ある日ゼウスは、スパルタ王妃であり人間のレダという女性の美しさに魅了される。 そこでゼウスは白鳥に化け、鷲に追われている振りをしてレダの憐憫の情を誘い、まんまと思いを遂げた……そうな。
そう、男は白い翼をはためかせ、女に会いに行くものなのだ。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「ふーむ、ふむふむ」
ひんやりとした空気が漂う、海底の空間に男はいた。 海底ではあるが、男の白い巨体は少しも濡れている様子はない。 岩の上に腰を下ろし、黒く縁取られた目を瞑っている。
「なるほどなるほど」
男は満足げに呟く。 口角をニヤリと吊り上げるが、閉じた目は開かれることは無い。
「美しいな、可愛らしいな、凛々しいな、そうだな、ワタシの……」
好みだ。 そう言って男は目を見開く。 それから、急上昇。 海水を掻き分け、すさまじいスピードで海面に達する。
バ、シャ ア ア ァァァン――
もはや爆発音のような水音を轟かせ、男はその身を外界に晒した。 白く滑らかな肌、目元を飾る紺色、背や尾に生えたこれもまた紺色の突起。
男は――ルギアは、白い翼をはためかせ、音にも匹敵するかのスピードで飛び去った。
海底で、先ほどまでルギアが"視て"いたもの。 遠く離れた地の草原に佇む、一匹のポケモン。
ウインディ。
そのウインディが、今。 突如として現れた颶風に。 消えた。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
そう、男は白い翼で女に会いに行ったのだよ。
キ ・ ス ・ が ・ 好 ・ き
「キミは、案外冷静なのだな」
ルギアはウインディに言った。 場所は、また戻って冒頭の海底空間。 ルギアは椅子代わりの岩に腰掛け、ウインディは海底の砂の上に座っている。
「もっとこう、大騒ぎをするものだと思っていたよ。 泣いてみたり、叫んでみたり、ワタシに飛び掛ってみたり」
「……泣かれたり、叫ばれたり、飛び掛られたりする自覚はあるんですね」
二人の体格差から、ルギアがウインディを見下ろし、ウインディはその逆の構図である。 しかし、ルギアはウインディの顔を覗き込もうとするものの、ウインディはプイと顔を背けている。
「うーん、前の子はそうだったなあ、と思い出しただけだだけどね」
「前!? あたしは被害者二人目!?」
「ふた……り……? えーっと何人だったかな……」
「忘れるほどの人数なんですか! って指折り数えるの速い! もう50は突破しましたよね!」
「たぶん二桁はいかないはずだな、うん」
「…………はあ」
まあ、突然自分をさらったかと思えば、猛スピードで飛び、ましてや海底に連れ込むポケモンのことだ。 まともな精神を期待しても無駄だろうと思った。
「あれですよ、別に……驚くのに疲れちゃっただけです」
「疲れちゃっただけとな」
「あたし、飛べませんし、飛んだこともありませんし、突然飛んだかと思えばめちゃくちゃ速いし、本当に怖くて、 しかもそれから、海に飛び込むだなんて、死ぬかと思いました。 そのときに、泣いたり叫んだり攻撃してみたり、驚くだけ驚いちゃって、なんだかもう疲れちゃいました……」
「ああ、なんだか飛んでいるときに妙に強く抱きしめられていたが、あれは攻撃だったのか」
「暴れましたし、爪も立てましたし、噛み付きもしましたけど、むしろ攻撃以外になんだと思ったんですか」
「愛の抱擁。だからお礼にワタシも強く抱きしめたじゃあないか」
「そのおかげでむしろ圧死しそうでしたけどね!」
「まあいいじゃないか、生きている事だし」
「それにしても、すごいですね、ここ」
海の底なのに、息ができる。 ウインディはそう続けた。 そう、ここは確かに海の底だが、海水が無い。 海の底に半球状にできた見えないドームの中に、彼らはいるのだ。
「ワタシは、海水が苦手なんだ」
「へ?」
「しょっぱいじゃないか。目にも染みるし。それにワタシは泳げないんだ。 羽根がぬれたら重くて飛べたもんじゃないし、乾いたら乾いたで結晶が析出して大変なんだ。 だから、水が入らないようにしたんだよ」
「そういえば、海に飛び込んだときも濡れませんでしたね」
「あの時はあれだ、ワタシの周りに空気の層を作ったんだ」
「そんなこと、どうやってできるんです?」
「ワタシはエスパーポケモンだからね」
「エスパーだからといったって、万能なわけではないでしょう。 並大抵の力ではできないですよね。……あなた、なんなんですか?」
「えっ」
「えっ、て」
「知らない?」
「知らないです」
「海の底に住んでて、すごいエスパーなポケモンっていったら、あれしかいないじゃないか」
「聞いた事も無いです」
「…………まあ、そうだな、そうだ。 うん、一応伝説のポケモンらしいし、まあ、一般のポケモンが知らなくてもおかしくはない。 うん、大丈夫、大丈夫、伝説だし」
「聞こえるように独り言で凹むのやめてくれません?」
「えっとね、ワタシはルギアっていうポケモンなんだ。海の神とか呼ばれる事もあるがね」
「はあ。海の神、ですか」
「そんなジト目で見ないでくれるかな、事実なんだから」
「海水が苦手なのになあ、と思いまして」
「仕方がないじゃあないか、種族的に海の神なんだから海に住まなくちゃあならないだろう」
「まあ、そうですかね。 それで、海の神だとかなんとかのルギアとやらさんが、あたしになんのようですか? あれだけ怖い思いとかさせて、ぶっちゃけ乙女かなぐりすててまで抵抗させたんですから、 何もないからさようならだとか、ちょっとチーゴの実ちょうだいだとかじゃあ許しませんよ」
「むしろキミはあれだね、すこぉし危機感が無さ過ぎるんじゃないのかな」
「もう危機感感じるのにも疲れちゃったんです。命の危機をどれだけ繰り広げたと思ってるんですか」
「危機感感じるって感がダブってるな。 とりあえず、これからキミが感じるべきは命の危機じゃあなくて貞操の危機なのかもしれないよ」
「へ?」
「だってそうだろう、男が女を人気の無い所に拉致してすることがチーゴの実だと思うかい?」
「じゃあ、なんだって言うんですか……!」
「ナニだっていうんだろうねえ」
「そ、そうしたら、逃げますよ、あたしこう見えても走るのは得意ですから!」
「ワタシも飛ぶのは得意だねえ。それに、キミは海の底から走って逃げれるのか、すごいなあ」
「あ」
「この空間を抜けたら、海底だ。 キミはわからないかもしれないがね、水にも圧力があってだな、ここからでたらすぐにぺしゃんこだよ」
「……な、なんで、あたし、なんですかっ。 あ、さっき、前の子とか言ってましたよね、たまたま偶然、ってことですか……!」
「いや、選んだよ。選んださ。ちゃんとここから”視て”選んださ。 ワタシはエスパーだからね、地上を見るくらい簡単だよ。ここにいると暇でね、たまに世界中を見渡すんだ。 そうしたらいるじゃあないか! 草原に一匹のウインディが! 美しい毛並みに、可愛らしい仕草で、凛々しい顔立ちの、素晴らしいウインディがいるじゃあないか!」 もう、ぜひともお近づきになりたい思ったね」
「…………」
「おっとそうだ、付け足しておくかい? もしもキミがダイビングか何かが得意だったとして、運良くワタシから逃げられても、ワタシはすぐにキミを見つけるだろうねえ。 そういえばキミはさっき『飛んでいる間に何度も攻撃をした』と言ったね。 全然気が付かなかったなあ……。実力差も、あるんだろうねえ。歯向かっても、無駄だろうねえ」
「…………ご、ごめんなさい」
「ん?」
「すみ、すみませんでしたっ! 許して、許してくださ、ください……!」
「え、え、そんな謝らなくても! キミは何か悪い事でもしたのか! ワタシに! えっと、何されたかな、何されたかな、何もされてないはずだぞ!」
「だって、ナニするって……、言うから……」
「わ、泣いてる! なーかした、なーかした! って泣かしたのはワタシだよ! すまなかった、悪かった、少し怖がらせすぎたね、何もしないさ。 ジョークのつもりだったんだよ」
「……ほ、本当、に?」
「本当本当! ほら、にっこり! にっこり笑顔の海の神がナニするわけ無かろう!」
「ご、ごめんなさい……」
「ぎゃあ、逆効果! 笑顔は歯を剥き出しにする敵意行動から派生したって言うけれども、 ワタシは今別にそんなにキミに敵意を表したいわけじゃあないんだよ! キミに危害は加えないから!」
「な、なんか、気を使わせて……ごめんなさい」
「じゃあ、泣き止んでくれる?」
「は、はい、もうちょっとしたら、……止まると思います」
「じゃあ、お互いごめんなさいのにっこり笑顔だ はい、にっこり」
「……にっこり」
「やっぱり笑うとかわいいじゃないか」
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Re: キスが好き ( No.2 ) |
- 日時: 2010/05/13 23:05
- 名前: ホシナギ
- 「それでは仕切りなおしだ」
「えっと、あたしに何の用ですか……ですよね」
「そうそう、確かそんな感じだったな。でもその答えはもう言ってしまってるんだ」
「あたしと、お近づきになりたい、ですか?」
「うん、やっぱりキミは冷静だな、よくあの状況の言葉を覚えているねえ」
「でもそれって、やっぱり……」
「最近はな、オトメよりオトコの方がロマンティックだったりすることもあるそうだよ。 ワタシはね、そんなムリヤリなんてはいやだなあ。男女の合意がないと。 それから、あれだよ、やっぱり物事には順番というものがあるはずだ」
「えっと、ちょっといいですか」
「別に構わないよ」
「さっきから、男女男女とご自身を男扱いしてますけど……、 伝説のポケモンって性別不明じゃありませんでしたっけ」
「そもそも男女の区別というものは、比較によって生まれるものではないかな 絶対的な個体数の少ない我々だ、性差を区別できるだけのサンプルがなかったのだろうね」
「つまり、伝説のポケモンにも一応性別はある、と?」
「伝説ポケモンと同じようにね。そして、ワタシは男だということだ。 信じられないならわかりやすい証拠があるけど見るかい?」
「見ません」
「まあそう遠慮するなって。伝説のポケモンの伝説を見た伝説ポケモンなんて一体どれだけいると思うんだい? ものすごいラッキーじゃないか。時代の生き証人になれるのだぞ」
「見ませんから! 見ませんっていってるでしょう!」
「びっくりするかもしれないねえ。 『俺のビックマグナム』とかいう表現があるらしいけれどもさ、 まあ自分をビッグマグナムだなんて、おこがましくて称してはいられないが、 ワタシとキミのこれだけの体格差だからねえ、相対的にビッグマグナムだろうよ」
「噛み砕きますよ!」
「じゃあ、やめる」
「やめてください」
「やっぱり見る?」
「見ません!」
「そうかい」
「さっき、ご自身で順番がどうとか言ったの忘れたんですか。すっ飛びすぎじゃあないですか」
「別にすっ飛んではないとは思うがなあ」
「……ほぼ初対面の女性に、み、見せつけるのがあなたの普通なんですか」
「見せ付けるものの名前は?」
「変態!」
「まあほぼ初対面だが、これだけいろいろ楽しくおしゃべりしてるのだから、この程度のジョークは許されるステップだと思ったのさ」
「ジョーク?」
「ソー、イッツアジョーク」
「嘘ですよね」
「まあ、あわよくば」
「変態」
「そんな変態とおしゃべりしちゃう君も大概変だな」
「だって、そうでもしないと帰れないでしょう?」
「おお、よくわかってるじゃあないか」
「どうせあたしはあなたの力を借りないと帰れないんです。あなたのご機嫌をとるより他はないです」
「世間では女性は少しバカなくらいがかわいいというらしいが、ワタシは聡明な女性は好きだよ、うん」
「ありがとうございます」
「嘘だな」
「当然。あなたに好かれても嬉しくないです」
「素直じゃないねえ」
「あたしと仲良くなりたいんでしょう?」
「そのために連れてきたんだからね」
「帰るために仕方なくおしゃべりしてるだけですからね」
「ツンデレ?」
「ツンデレなら二人きりのこの状況でデレデレしなくてどうするんですか」
「おや、旧ツンデレをご所望かい? なかなか古風だねえ」
「別に望んではないです」
「ワタシはキミにデレデレだけどね」
「あたしはあなたにはデレませんけどね」
「そんなこと言っていいのかな? そうしたら、キミがワタシにデレデレするまで帰さないかもしれないぞ?」
「そんな事言っていいんですか? そうしたら、あたしはあなたにデレデレする振りをするかもしれませんよ?」
「それじゃあ、そろそろ帰るかい?」
「えっ」
「えっ、て」
「帰してくれるんですか?」
「ああ、もうそろそろ夜になるよ」
「意外でした。3日くらいの長丁場は覚悟してたのに」
「泊まっていきたい?」
「帰ります」
「じゃあ送ろう」
「嘘じゃないですよね?」
「嘘じゃあないさ。今日はもう結構キミとは仲良くなれた気がするよ」
「帰りは、ゆっくりでお願いします」
「それじゃあワタシからもお願いだ」
「なんですか?」
「別れる前に、キスをしよう」
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Re: キスが好き ( No.3 ) |
- 日時: 2010/05/13 23:06
- 名前: ホシナギ
- 「は?」
「まあキミが疑問に思うのも最もだ。確かキミは東洋の生まれだったね。 東洋の方ではキスというのは親密な、特に恋愛関係にある男女がする行為であるという感覚が一般的だと聞いた事がある。 ただしここは東洋ではなく、海底だ。そのルールは通用しない。 というわけでワタシがキミに要求するキスというのは、確か西欧の方の文化たる、いわゆる挨拶としてのキスだ。 男女だろうが家族だろうが友人だろうが恋人だろうが関係なくなされる極めてグリーティングなキス。わかるね?」
「グリーティングは形容詞じゃありません」
「そこは決して問題ではない」
「必死ですね」
「必死でもない」
「わかります」
「話を戻してくれて感謝するよ。で?」
「やりますよ」
「そうしないと帰してもらえませんからね、……だろう?」
「その通りです。だから、ほら」
「ほら?」
「屈んでください。届きませんよ。地面にキスとか、足にキスはさすがに嫌です」
「やった! 地面より格が上だ!」
「仕方なくですからね」
「それでも、地べたの方が1000倍マシと言われるより1000倍良いさ……」
「言われたんだ……」
「……」
「おしまいです」
「頬か」
「挨拶でしょう?」
「挨拶だが」
「じゃあ、いきましょうか」
「今度はワタシの番だろう?」
「いや、別にいいですって」
「女性にだけ挨拶させるなんて紳士のやる事じゃあないな。 そもそも紳士たるもの、まずは自分から行動すべきだったのではないだろうかとワタシは今思っているよ」
「レディ・ファーストという言葉もありますが」
「じゃあやっぱりワタシは紳士だな。 というわけでお返しだ、受け取ってくれたまえ」
「いや、だからそんな、ひゃうっ!」
ルギアの白い翼がウインディを抱えた。 そのままウインディは軽く持ち上げられ、ルギアの眼前に顔を突き出す。
「もらえるものはもらっておくべきだと思うがね」
「む、むしろこの場合与えるのがあたしじゃないですか!」
「じゃあもらえるものはちゃあんともらっておこう」
「う、」
「……」
ウインディは自分の身体が、他者の意思によって動くのを感じた。 そんな無理な表現をしないでも、ただ、ルギアによって動かされているだけだ。 よってこの思考は、ただの、彼女の現実逃避にすぎない。
「ううう、」
「…………」
白い顔だと思っていた。しかし、よく見ると銀色にきらめく顔であった。 目を閉じたその顔は精悍で、到底おしゃべり好きでニヤニヤとした笑みを絶やさない、女性を住処に攫ったりもする伝説のポケモンには見えなかった。
「ぅぅぅぅぅ……、」
「………………」
徐々に近づく顔に、目を開けているのが申し訳なくなる。 だが、目を閉じたらいけない気もする。
「……………………」
「……………………」
直視の限界。目を瞑る。
「そうだ」
「ひとつお話をしようじゃあないか」
「キスというのはご存知のとおり、口と口、粘膜と粘膜による電解質的な接触だ」
「行為の意義は、『愛情表現』であること。これはもはや疑いようの無い事実たりえるね」
「どこぞの世界では、親が幼い子供に『キスによって子供ができる』と嘘をつくほどの愛情表現なのだよ」
「それでは」
「考えてみてほしい。比較的ライトなキスの形として、頬や手にキスをする、というものがあるだろう」
「考えてみてほしい。比較的ディープなキスの形として、舌同士を絡み合わせる、というものがあるだろう」
「そこでワタシは思いついたんだ。そう、思いついたのだよ」
「つまり、『キスの愛情度は、粘膜の接触面積に比例するのではないか』とね」
「"コレ"はワタシからキミに捧ぐ愛情のカタチだ」
「そう思って、受け取ってくれたまえ」
ルギアは大きく口を開け、その中ウインディを放り込む。
「え、うあああああああああああああああああああああああああああああああ」
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Re: キスが好き ( No.4 ) |
- 日時: 2010/05/13 23:07
- 名前: ホシナギ
- まずは、顔面から口内に不時着。
叫び声を上げた口に何かが入り込んで気持ちが悪くなる。
「冗談じゃ、ないっ!」
口の中に入れることがキスだって? そんな横暴が許されて然るはずが無い。 急いで体制を整えようとするも、四肢が蹴ったはずの底面がニチャアと音を立てるように移動する。 そうしてまた底面、ルギアの舌とキスをする羽目になる。
『物語には"行間を読む"という読み方があるだろう』
舌はウインディを包み込むように丸く反りあがる。 再度あげた叫び声はくぐもって、自分にすらあまり届かない。 柔らかくて温かい、それだけならまだ良かったかもしれないが、液体で溢れているのは非常に気持ちが悪い。
『つまり、表現されない事が最も重要だという考え方だ』
全身がじっとりと重くなる。毛が液体を吸ったのだろう。 それとともに、ウインディの鼻は自分の匂いが少しだけ薄れたように感じた。 ――いや、塗りつぶされたの方が適切であろう。 周囲の空間いっぱいに蔓延する彼の匂いが彼女の匂いを覆い潰したのである。 男の匂いに塗れた自分に寒気を感じて、ウインディはもう一度四肢に力をこめる。
『表立って現われたる言葉は、その深遠に覆い隠された真実を導く鍵とでも言うのかね』
丸まった舌がほどけ、足元が平らになる。 チャンスと見越してウインディは駆け出すが、一歩もせずに挫折する事になる。 足場が一気に崩れたのだ。ただでさえ滑りやすい場と重い身体ではこれはたまらない。
『逆説的に言えば、表現されない事は全て表現されているという事に他ならないのだけれどもね』
「確かにあなたは、あたしをな、舐めまわしたいなんて一言も言ってませんけどっ! だからといってこんなことをして良い訳はな……きゃうっ!」
反論を試みた自分の声が残響を残す。 それから、突如圧力に押しつぶされそうになった。 一つ目の理由は、舌がウインディを壁面に押し付けたから、 二つ目の理由は、突然現れた空気が逃げ場をなくして満ちたから、である。 ルギアが口を呼気で膨らませたのだ。
『極論ではあるが、表現された事は表現されていない事を推理させるための道具でしかない、といえばいいのかな?』
ウインディは屈することなくもう一度立ち上がる。 そして、前足で壁面を殴る。殴る。殴った! 爪を立て、貫くように突き出す。突き出す! ズズ、と動いた足元にその牙を突き立てる!
『まったく、人がせっかく説明しているというのに、お転婆な子だな……。まあそんな所も』
素敵だけれどね。 声と共にウインディを乗せた舌が上方へ移動。 硬口蓋へ向かい、彼女をギュウギュウと押し潰す。骨の軋む音が聞こえた。 そのまま舌の上で軟口蓋へとスライド、舌がウインディを押し付け、全身が柔らかな圧迫感を捉える。
『まあ要するにだ。ワタシがキミを見て抱いた感想を覚えているかな?』
ウインディの視界が少し揺れた。 散々暴れて息を荒げ、さらに肺が圧迫されて呼吸が出来ない、 しかも吸えた所でその空気は二酸化炭素を多く含んでいる。酸素が足りない。 おとなしくなった彼女の下でルギアの舌がズルリと動き、あるべき位置に戻る。
『美しい、可愛らしい、凛々しい……。その根幹に位置する、表現される事のない大前提の"条件"があったのだよ』
グッタリと頽れるウインディに光が差した。 本来は差すほどの強さではない小さな光。それは深海のチョンチーたちの光だった。 ルギアが、口を開けている。
『美しいな、可愛らしいな、凛々しいな、それより何より……』
『美味そうだ』
「うまそう……」
『そうだ。キミは十分に美味そうだった。存分に美味かった。 ……随分と呆けているが大丈夫かい? やりすぎたかな? キミは今どこにいるか、わかっているかい?』
「あたしは、いま……?」
『ワタシの、口の中だ』
「くち……」
『キミが暴れるからいけないんだ。と言いたいところだが、ここまで消耗させる気は無かったんだよ。ごめんね。 いやあ、でもこれはこれでそそるものがあるなあ。おっと涎が』
「よだれ」
『レロレロレロレロと舐めさせてもらったけど、いや失敬、キスだったよキス。 ともかく舐めさせてもらったけど、やっぱりうん、ワタシの目に狂いはなかった』
「なめ、」
『そうだ、キミは"あまりにも美味そうだったから"、"ワタシの口の中で"、"舐められていたんだ"』
「た、た、た、たべっ」
『キミは、美味そうだなあ』
「いやあああああああああああああああaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaahhhhhh!!」
ウインディは駆け出した。 小さな光明輝く出口はそこにある。 覚束ない足元に神経を巡らせ、震える筋肉に鞭打ち、走る!
あと少し。 倒れるな! 1歩!!
バクン。
『ああそういや、きっとキミが聞きたくて聞きたくてうずうずしてるようなことだけどね、先回りして答えておくとしよう』
『どうして口がいっぱいなのに喋れるかって? エスパーだからさ』
ゴックン。
全身に纏わりつくような熱気と湿気が充満していた。 辺りは脈打ち、時々ウインディを締め付けた。 彼女にはもう、首を上げる力すら残ってはいなかった。
『あー、あー、聞こえるかな? 聞こえるよな? 聞こえたら返事をしてくれ』
耳元でルギアの声が聞こえた。 最初と変わらない、先程と変わらない、いたって普通の声だった。
『返事が無いな。まあ、聞こえているよな。ふふ、額面どおりの全身にキスの嵐だな。 せっかくだから、たっぷりと液をご馳走しようかな』
上からベッチョリと液体が降ってきた。顔全体にかかって、息苦しい。 これは、……唾液?
『はは、びっくりしたかい? 胃液かと思っただろう? いくらエスパーでも胃液を自由自在に分泌はできないなあ』
ほんの少し首の角度を変え、唾液から鼻を守る。 たったそれだけの事でさえ、重労働だ。
『まあでもあれだ』
どうせ、すぐに出てくるさ。 ピリリとした痛みを感じた。胃壁を伝う、唾液とは違うサラサラした液体が見える。
『いやあ、それでも安心するがいいさ』
『せっかく見つけた最高の女性なんだ、一気に全部食べてしまっては勿体無いだろう? ワタシは好物は最後に食べるタチだからね、大丈夫だよ。 キミは、死なない』
『万が一蕩けてしまったらだね、ワタシはキミを偲んで泣くだろう。 キミはワタシの血肉となって、キミはワタシの心の中で、いつまでも生きているだろうね』
その声を聞いている者は、いない。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
それからのお話をしよう。
それから。
端的に言うと、ウインディは生きていた。 彼女が次に目を覚ましたのは、すみかのそばの湖畔であった。 全身がびしょ濡れで、そしてそれはどうやら唾液ではなくて、湖の水によるものらしい。 また、彼女のそばには小さな赤い花が一輪置かれていたという。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
白鳥座の神話には続きがあってだね。 スパルタ王妃レダは、その後2つの卵を産む。 その卵からは、カストルとポルックスの兄弟が生まれ、 他にも、クリュタイムネストラとヘレネの姉妹、合わせて4人の子供が産まれたというのさ。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
ふむふむ。それでは。
白い鳥に出遭った"彼女"が生むもの。
それはいったいどんな"感情"なのだろうね?
キスが好き おわり
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Re: キスが好き ( No.5 ) |
- 日時: 2010/05/14 23:53
- 名前: ケイル
- うほおお、なんという変態紳士w
コメディ調にも関わらず萌えポイントはしっかり際立って感じられました。 たぶん私が捕と被の温度差を好きだからだと思いますw 変態だけど強者、紳士だけど捕食者。いいなぁ
そして前半の会話の部分も大変面白くて引き込まれました。 会話だけの文章でこんなに面白く書けるとはなぁ。 知的なセンスに嫉妬してしまうw
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Re: キスが好き ( No.6 ) |
- 日時: 2010/05/15 00:07
- 名前: 名無しのゴンベエ
- voreには珍しいコメディですね!
前半の軽妙なやりとりが笑えただけに、『美味そうだ』以降の流れには正直ゾクッとしてしまいましたw 新手の言葉責めですね、わかります。 ギリシャ神話を元にした構成もキスという表現もすごく好きです('∀`)
とても面白い作品をありがとうございましたー!
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Re: キスが好き ( No.7 ) |
- 日時: 2010/05/16 10:01
- 名前: W.WOLF
- おおー!いいですね、ウィンディがうらやましい!俺もこんなふうにキスをされたいなぁ。こういう作品も大好きです!
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Re: キスが好き ( No.8 ) |
- 日時: 2010/05/16 17:42
- 名前: くじら
- さすがホシナギさんの文章は味わい深いです。
色々あいまってとても萌えます。 要素がお互い複雑に影響していてどこがよい、とか言えない感じ。 こういうものを文芸、と言うのでしょうね(^-^)
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Re: キスが好き ( No.9 ) |
- 日時: 2010/05/17 22:39
- 名前: ホシナギ
- すみません、誤字修正いたしました。気づけよ自分。
>ケイルさん ルギアは随分と使われてるだけあって、キャラクターには苦心しました。 その分、気にいっていただけたのなら万々歳です。ありがとうございます! 捕食者と被食者の温度差は最高だと思います。シンクロしてても萌えますけど( 実は地の文より会話文の方が、テンポさえ気をつければさくさく進んで楽ちんだったりしますw
>名無しのゴンベエさん なんか食べられてる最中に全然関係ないことまくし立てられたら、めちゃくちゃばかばかしいけどなんだかとっても怖いんじゃなかろうか! みたいなあほくさい閃きが根底にあるお話なので、コメディタッチ→パニックテイストを意識しました。 ですのでそこらへんを突っ込んでいただけると、作者冥利に尽きます。 キスのくだりも神話のくだりもなんとか独創感を出そうと捻出した部分なので、喜んでいただいたようで安心しておりますw
>W.WOLFさん どこからともなく現れる白い風にご注意ください。 気付いた時にはきっと手遅れですがw
>くじらさん あ、味わい深いとな……。そんなこと言われたのは初めてです。ありがとうございます! 思いついたことはとりあえず全部全部ごちゃ混ぜにして突っ込んでいったので、ぶっちゃけ入り混じってるだけです、はい。 単に捕食だけを書いていくとどうしても技量的に見劣りしてしまうので、別要素で飾り立ててるだけだったり( 文芸なんて恐れ多いものではありませんw これからも萌えられるものを搾り出すべくがんばります!
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