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Re: いない ( No.10 )
日時: 2010/11/11 18:57
名前: ホシナギ



段瀑は岩肌を飛ぶように落ちて、いくつもの白い糸を降ろしていました。


水の流れは、積み重なる壇を滑ってはまた新たな壇にぶつかって、
小刻みに分かれながら美しく滝を作っています。
隠れるもののない澄んだ水も、段となる際には光に照らされ、白い幕となっています。
主張しすぎない、謙虚でも確かな美を持った滝が、そこにはありました。


渓畔林は午後の光を一身に浴びて、ときどき風にそよいでかさりと鳴りました。


うららかな日差しが森を照らしています。
じりじりとした厳しさはもうすっかりと影を潜め、
すっかり太陽が昇った今でも、やさしく光は森に降り注ぎます。
木の葉の擦れる音は、水のせせらぎと織り交ざって、しとやかでありました。


足取りはしっかとして揺るがず、けれども一歩一歩が踊るように軽妙でした。


秘めやかなる森のそば。
清らかな滝を追って。
オーダイルは歩いていました。

落ちる滝を横目に悠々と。
葉擦れを遠巻きにしてすいすいと。
鼻歌を歌いながら軽やかに。
彼は滝を降りました。そして、一言つぶやきました。

「んー? ……なんだ、まだいないのか、珍しい」

オーダイルは、シャワーズに会えるだろうと思って、この渓流を下ってきたのでした。
この滝は、彼女が世界で一番気に入っている場所であることですし、
彼自身とても好きな場所でありました。
景観もさることながら、ほとんど誰にも知られてはいないという専有感が、
彼女と二人の秘密であるような気がして、心弾む空間だったのです。

うろうろと散策をしていたため、すでに太陽が真上を少し過ぎてしまったのは失敗でしたが、
今日は天気もいいことだし、きっと彼女はうたたねでもしているだろうと思っていました。
もしも無警戒にも居眠りしているようだったら、どうやって驚かせてやろうか。
そして、彼女はきっとこんな言い訳をするのだろうな、と想像をしてほくそ笑んでいたのです。

べ、別に油断してたわけじゃないんだぞ?
ほら、ダイだし? ダイだってわかってたからボクは寝続けてたんだよ。
いずくにかのなにがしさんだったら、ちゃっちゃと起きてとっくのとうに逃げてるさ。

ところがそこに彼女はいなく、彼は少し拍子抜けしたのでした。


   *   *   *


木々の向こう側で、オーダイルが辺りを見回しているのが見えました。
オーダイルは眉間にしわを寄せて、きょろきょろと周囲を伺っています。
それは、何かを探すかのように。

見つかったか。

そう思って、少し身構えます。
オーダイルはそのまま、こちらに背を向けて、腰をおろしました。
川に足を浸して、右手で水を跳ね上げます。
水は少し宙に舞って、音を立ててまた水面に還っていきました。
どうやら、こちらには気付かなかったようです。

バレては、面白くない。

一安心。思わず息が零れて、慌てて口を抑えます。
オーダイルは退屈なのか気にいったのか、あるいはその両方か、水をもう一度投げました。
見た目に似合わないかわいらしい行動に、少し口元が緩みます。
恐らく、今の自分はものすごく意地の悪い顔をしていることでしょう。
口元の大きく歪んだ、意地の悪い笑顔を。

さて。

木々の隙間を縫うように、そっと森から這い出ました。
オーダイルの青い背中に忍び寄ります。


   *   *   *


「やっほー。ご機嫌いかがかな? ダイ」

「おう? なんだいたのか。隠れてるなんて意地の悪いやつだ……、!?」

「あはは、気付かない方が悪いってば。のんきなやつ」

「お前……、それ、……え?」

「ああ、これ? うーん、やっぱりびっくりしちゃうよねえ」





「こーんな、ドロドロじゃあ、ねえ?」







木々を薙ぎ倒しながらオーダイルに忍び寄ったのは、

ヘドロの体。

見慣れた顔。

少年のようにおどけた喋り。

いつもつるんでいるあのシャワーズの、変わり果てた姿。




   *   *   *


彼女の姿は、彼が最後に見たものとは大きく異なりました。

まず、全身がヘドロで形成されています。
腰から下はドロドロと崩れ、一般のベトベトンのようにとろけています。
這った跡はヘドロで汚染されて、草木が枯死していました。
尾ひれのついた尻尾が、ずるずると引きずられています。
ヘドロの体だというのに、不思議とにおいは感じません。
それから、積もったヘドロの頂点より、シャワーズの上半身が生えています。
背筋がすらりと真っ直ぐ天に向かって伸びて、まるで二足で歩くかのよう。
なぜだか、彼女の顔が近くに感じました。

「お前、それっ、どうしたんだよ! 大丈夫か!」

「わわ、だめだってば!」

「……っ!」

オーダイルは彼女に掴みかかりましたが、
手の平が少し触れた途端に走った痛みに、思わずその手を離しました。
触れた部分が少し、赤く爛れています。

「あ、悪ィ……」

「一応今のボクの身体はベトベトンなんだから、触っちゃだめだよ! 見てわかるだろう!?
 ……あーあ、ほら言わんこっちゃない。手がとけちゃうよ?」

「ごめん」

「なーに謝ってるのさ。まったく、お人好しなんだから」

「それでも、やっぱり突然こんなことされたら、傷つくだろ」

むしろ。
ボクがこんなんでも、迷わず掴みかかろうとしてくれるのは、少し、ううん、かなりすごくとっても嬉しいかもね。
そんな照れくさい言葉は噛み殺して。
焦りながら少ししょげるオーダイルにかけるのは、別の言葉でした。

「別に、当たり前だろう? ベトベトンは毒なんだから」

「……どうして、こんなことに?」

「かくかくしかじか」

「意味わかんね―よ」

「ジョークジョーク」

「ふざけてる場合じゃないだろ!!」

オーダイルの怒る様に、彼女は少し驚いて目を見開きました。
なんだか、彼が怒るのはすごく久々な気がします。
殊、自分に向かって怒るのは。
それだけ自分のことが心配なのかな、と思うとなんだか嬉しくなりました。
一方彼は、彼女が予想以上に驚いたので若干申し訳なくなり、あー、と声にだして呟いていました。
ちゃんと教えてくれよ、という意味もこめて、真剣な顔で彼女をじっと見つめます。
吸い込まれるような眼差しに、彼女は顔に血が昇りそうでした。
昇る血なんて、もはや通っていないのに。

「だって、お前それ……、大丈夫、なのか? 辛くないのか?」

「当面のところ、不調はなさそうだよ」

「どうして、そうなった?」

「ベトベトンに襲われて、一体化しちゃったみたい」

「……喰われたってこと?」

「いや、一概にそう決めつけられるわけじゃなくってだね……、
 話すと長くなるんだけど、しかもボク自身あんまり理解してないんだけど、
 簡潔に言うとね、ボクはたぶんベトベトンに勝ったんだよ」

「はァ?」

「いやまあまずは取り込まれちゃって、それからたぶん、精神面で勝った。
 誰があいつにボクなんて差し出してやるもんか」

それがダイならいざ知らず。

「精神的に優位だったのは、ボクの方なんだよ。
 そうだね、”ボクはベトベトンに取り込まれた”んだけど、
 ”意識でボクはベトベトンに打ち勝った”んじゃないかな?
 だから、ベトベトンの身体でボクの意識の、極めて奇妙な複合体が誕生した、んじゃない?」

「んー、そんなことが本当にあるのだろうか? なーんて言ってみたとして、
 現実には、そうなってるわけだもんなあ……。
 起こってしまったことは変えられないよな、うん」

ちょっと俯き、腕組みをして考えるオーダイルの姿はなんだか妙に様になっていて、
少し惚れ惚れとしてしまいました。
何かを考える際に腕を組むのは彼の癖でしたが、
うつむくのはあまり見たことがないなあ、とのんきなことを彼女は思います。

「何か、変わったことはあったか?」

「うーん、ボク、臭いかなあ? 自分のにおいは自分じゃ気付けなくってね」

「……そういえば、全然臭くないな」

「あ、そうなの? 良かった、それはちょっと救いだな。
 ベトベトンはけっこうにおってたから、心配だったんだよ。
 これでも女の子なワケだし? やっぱり臭いのは恥ずかしいよ、ごめんこうむりたいね」

なんといっても、君の前であるわけだし。
そんなこそばゆい言葉は呑みこんで。
オーダイルは呆れながら次の言葉を紡ぎます。

「ていうかさっきからお前、すっごくのんきだな……。
 どっちがのんきなやつだって話だよ。
 どうせあれだろ? ベトベトンに襲われたのだって、のんびり惰眠をむさぼってるからだろ?」

「むぐぐ、耳に痛いお言葉」

「しかも身体がヘドロになっちゃったというのに、妙に飄々としてやがる。
 挙句の果てには、気にするものがよりにもよってにおいときたもんだ。
 まったく、心配する気も失せるだろうが」

「あは。心配してくれてありがとう。
 でも腫れ物を扱うように接されるのはごめんだね。ヘドロだけど」

「とにかくさ、なんとかしなきゃいけないだろ?」

「なんとか?」

「お前を元通りにする。シャワーズとベトベトンに、分ける」

彼は彼女を見つめて、そう言いました。
いつだってこいつはそうだ。何かがあっても、大抵は隠す。
それが強がりだってことくらい、こちとらわかってるんだよ。
本当は不安だろう。怖いだろう。精一杯虚勢を張って、ごまかしているんだろう。
君には迷惑をかけたくないんだ、とでも気取るつもりか?
いいじゃねーか。迷惑ぐらいかぶってやるよ。
その分おれだってお前に迷惑かけてやんよ。それでいいだろ。
本当に一番辛いのは、突然わけがわからないことに巻き込まれた、お前なんだから。

彼女は彼に見つめられて、そっと息を吐きました。
まーたお節介なことを考えてるんだろうなあ。
まったくもう、昔っからほーんと、お人好しなんだから。やんなっちゃう。
そりゃあ、心配してもらって嬉しいよ? 構ってちゃんみたいでちょっとみっともないけどね。
これだけ真剣にボクのこと考えてくれるんだもん、嬉しくならないわけないじゃないか。
でもさ、でもね。
その”心配”は、何に起因する感情?
その”心配”の対象は、君にとっての、何?
ちくりと痛んだのは、彼女の胸の、なんなのでしょうか。

「……そんなことできるのかな」

「おれができなくとも、誰かにさせてみせるさ」

「なんだよそれ、無責任なやつ」

「世界は広いんだ。絶対どこかにそんな芸当ができるやつがいるだろう」

「いやいや世界は案外狭いんだよ? 君とボクが出逢えるくらいに」

「それなら話はもっと早い。狭い世界ならそいつを探すのも楽ちんじゃないか」

「もう、なんでそんなにポジティブなのさ」

「ネガティブよりかはよっぽどましだろ?」

「おれを頼れと言わんばかりのやつがネガティブだったら責任問題に発展するね」

「見つかるまで、ずっと一緒に探してやるよ」

「……へえ。ずっと?」

「ああ」

「一緒に?」

「一緒に」

「男に二言はないね?」

「もちろん」

「ふうん」

ヘドロのからだをぐにょりと伸ばして、オーダイルを覗き込みます。
品定めをするように目前まで接近しても、彼はこちらを見据えたままでした。
ヘドロの彼女に触れたら大変だというのに、少しも避ける素振りを見せません。
触れても別に、即なんとかなるわけじゃあありませんし、
そもそも自分が言い出したことなのですから、それに対する覚悟を見せるのは当然のことに思われたからです。

「……ふうん」

彼女はもう一度呟いて、身体を元に戻します。
これで避けられでもしたら、どうしていたことでしょう。
彼が避けないだろうという確信があったのですが、それでも不安は不安でした。
けれども、やはり彼は避けませんでした。
触れば毒に侵される、そんな自分が触れそうになっても、全然気にしませんでした。
やはり彼は、他の誰とも違う、たった一人の決定的な、彼であって……。

「な、行こうぜ」

「そだね、うん。
 …………ありがとうね」

「……お前さあ」

「ん? なあに?」

「バレバレだって。
 本当は、不安なんだろう?」

「あは、べっつにー? なんでボクが不安がらなきゃならないのさ」

「嘘つけ。お前、わかりやすすぎんだよ。
 最初っからずーっと、不安を押し隠したような顔してさ、
 自分の顔見てみたか? すごく泣きそうな顔してるぞ? 超涙目なんだぞ?
 まったく、どこが不安じゃないって?
 そんな顔されたら、」


放っておけるわけ、ないじゃねえか。









放っておけない? 放っておけない。
放っておけない、ねえ……。

ねえ、ダイ。





Re: いない ( No.11 )
日時: 2010/11/11 18:58
名前: ホシナギ

「なんで? なんで放っておけないの?
 ボクが弱いから? ボクが危なっかしいから?
 ボクが大事だから? ボクが世話ばっかりかけるから?
 ボクを世話する自分に陶酔したいから?
 ボクが一人じゃなんにもできないような子どもみたいだから?
 ねえ、なんで、どうしてよ。
 ダイ。ボクはダイにとって一体なんなの? なんだっていうの?
 面倒みてやんなきゃならない、妹なの?
 ちょっと手のかかる、友達なの?
 わかんない、わかんないよ、ダイ。教えて、ダイ。
 ああ、ダイ。やっぱり言わないで。
 もしもボクがダイにとって妹なんだったら、家族なんだったら、
 ボクはそれに耐えられない、絶対に耐えられない。
 ねえ、ダイ。なんでダイは気付いてくれないのさ。
 ボクのことはなんでもお見通しのくせに、
 ほんのちょっとの機微ですら気付くくせに、
 今日だってうっかり寝ちゃってたことすら知ってたくせに、
 ついてまわってるんじゃないかってほど、ボクの気まぐれな行く先々で遭遇するくせに、
 ボクが精一杯隠してた、不安でいっぱいだったことでさえ、
 こんなあっけなく見抜いちゃったくせに、
 どうしてこんな簡単なことには気付いてくれないんだよ。
 なんでボクが不安だったと思うの? 何がボクは怖かったって思うの?
 なあ、言ってみろよ。本当は知ってるんだろ? 気付いてるけど黙ってるんだろ?
 わけのわからないことに巻き込まれて、っていうのはなしだぞ?
 そんな無難な答えなんかでボクはごまかされてやらないんだから。
 いまどき鈍感なんて流行ってないよ。朴念仁なんて時代遅れだよ。
 ダイ、ねえダイ。答えはたったひとつに決まってるじゃないか。

 ボクはね、君に嫌われないか、たったそれだけが心配だったのさ!

 ああ、ダイ。こんなわけのわからないことになっちゃって、
 一番不安だったのはそれだよ。心配だったのは、たったそれだけだよ。
 ダイ、こんな触れもしない、どろどろのヘドロの身体になっちゃってね、
 ボクはダイに嫌われないか、怖くて仕方がなかったんだよ!
 避けられないか、すごく恐ろしかったんだよ!
 ダイならきっと大丈夫だって、思ってた。信じてた。
 違うね、思いたかったんだ。信じていたかったんだ。
 ダイはきっとこんなことくらいでボクを嫌ったりしない、
 むしろ、心配してくれるに違いない。それこそ、自分の妹のように!
 はたして、予想は当たったよ、ダイ。良いことも悪いことも、ぜーんぶ。
 ダイ。君はボクを嫌わなかった。避けなかった。
 あまつさえ、なりふり構わず掴みかかろうともしてくれたね。
 ……すごく、すっごく嬉しかった。やっぱり、ダイはダイだった。
 でもね、ダイ。ボクはわからないよ。どうしてダイがそんなにもボクを気にかけてくれるのか。
 誰にだってそうかもしれない。ダイは優しいから。お人好しだから。
 ボクにだけそうかもしれない。だとすれば、それはなぜ?
 ”肉親のように”ボクに善くしてくれるのはなんで?
 ダイ。もう一度聞かせて。ダイにとってボクはなんなの?
 ボクはね、ダイ。ボクは……。

 君のことが、好き、だよ。

 あは、あはは、ばかみたいだって笑うかな? でも仕方がないんだ。
 ダイ。ボクは君のことが好き。ずっとまえから好きだった。
 最初は肉親に向ける家族愛だったのかもしれない。
 でもそれはダイが払拭してくれたね。ボクのダイに対する感情は友愛へと変わった。
 そして、それはそのうちに、愛情になったんだ。
 いつだかは知らない。気が付いたらそうだった。
 気付かされたきっかけはあるけれども、その時には既に君のことが好きだったんだよ。
 世界に生きる、他者として。生物における、雄性として。
 ダイ、ボクは一人の男である君が大好きなんだよ。ずっとずっと、好きだったんだ!
 いつだってどこだって変わらない、広くて狭い世界の中の、たった一人の君が好き。
 だから、ボクは嫌だよ。ダイの妹は嫌だ! ダイの肉親は嫌だ!
 ダイ、ボクは君の家族でいたくない。ボクは君の家族になりたいんだ。
 だから、ねえ、ダイ。ボクは君にとって、どんな存在だったの?
 ねえ、ダイ。

 ダイは、ボクのこと、どう思ってるの……?

 ああ、ああああ、あはは、あは。
 ごめん、ごめんね、やっぱり嘘かもしれない。
 ボク、嘘ついてた! あはは。ごめんね。
 ずっとずっと好きだった、って言ったけど、ごめん、あれは、嘘だったんだ。
 本当はね、自分でも、よくわからなかったんだよ。
 ダイのことは好きだった。でも、それが恋愛感情なのか、よくわからなかったんだ……!
 ダイの妹でいたくないっていうのは、本当だよ。
 でも、でもね、ダイ。ボクは、ダイと対等な関係でいたかったんだよ。
 一緒にいて、適当におしゃべりしたり笑ったりあっちへ行ったりこっちへ行ったりケンカしたりして、
 どちらかが一方的にもう片方に依存したりしない、そんな、対等な関係でいたかったんだ。
 よく考えてみて。それって、別に、友達でも構わないんじゃないかい?
 ただおしゃべりしたり笑ったりあっちへ行ったりこっちへ行ったりケンカしたりするだけなら、
 別に友達でもいいんじゃないのかな?
 ボクはね、気付いちゃったんだよ、そういうことに。
 だから、自信がなかったんだ。
 ダイのことは好きだ。これは確かである。
 でも、この気持ちがはたして本当に恋愛感情であるのか。
 ただの友情なのではないだろうか。
 はたまた、ただ単にダイを、ボクを守ってくれる都合のいい存在としてみなしていて、
 その便利だと思うのを、好きだと勘違いしているだけなのか!
 ……わかんなかったんだよ。

 だけどね、ダイ。今はもう、わかってるから。
 ボクのこの気持ちは、本物だって、もうわかったんだ!
 不思議とね、ダイ。それはこの身体になってからなんだよねえ、皮肉なことにも。
 ダイに嫌われないか、不安で不安で、そうしたら、自分がダイのことを好きだって、気付いたの。
 なんだかね、このとろけた身体になったら、
 無駄なプライドとか、くだらない考えだとか、
 全部そういうものも一緒にとけていってしまったみたいなんだ。
 なんだか心が熱く湧きあがって、止まらないんだよ!
 ねえ、ダイ。辛くないかって聞いてくれたよね。
 なんだかあの答えをはぐらかしてしまったような気がしていたから、今答えるよ。
 すごく、すごく気分がいいんだ!
 今ならなんだってできる気がする。身体の底から気持ちが昇ってくる!
 自分の気持ちに素直になれる。辛くなんかないんだよ!
 ああダイ、好きだ。大好きだよ。
 この気持ちに気付けたのも、このヘドロの身体のおかげだよ。
 それにね、いいこともあったんだ。
 ダイ、こうやってね、背筋を伸ばして、前を見るの。
 そうするとさ、ほら。

 正面を向いたダイと、目が合うんだよ。
 今までずっと大きくて高く高くそびえていたダイの顔が、こんなにも近くにあるんだ!

 あは、ダイ。今までダイはずうっとボクのために見下ろしていてくれたんだもんねえ。
 ダイ、ボクはまだまだ君のことを知らないみたいだ。
 考え事をする時に少し下を見る、なんて、そんな些細なことも知らなかったんだよ。
 ねえ、ダイ。ボクはもっともっとダイのことが知りたいよ。
 ダイ。ボクのことも、もっともっと知ってほしいな。
 ダイには必要ないかもしれないけどね、もうとっくのとうに知ってるかもしれないけどね、
 それでもね、ダイ。ボクは好きな人に、ボクのことをもっともっと詳しくなってもらいたいんだよ。
 ダイ、ダイ、ダイ!
 ねえダイ、ずっと一緒にいてくれるの?
 いてくれるんだよね、そう言ってくれたもんね!
 健やかなるときも病めるときも喜びのときも悲しみのときも富めるときも貧しいときも、
 ずっとずっと、一緒にいてくれるよね!
 ダイ、好きだよ、大好きだよ、
 ボクは、





 君が、好きだああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!





 」













彼女は深く彼を抱きしめて、それから優しくキスをして。




Re: いない ( No.12 )
日時: 2010/11/11 18:58
名前: ホシナギ



そっと背びれを撫ぜました。
ああ、彼のことを抱きしめられる日がくるなんて、彼女は予想だにしませんでした。
以前の彼女では、彼の背まで手を伸ばす事などできなかったでしょう。
けれども、この身体なら、それができるのです。

「――――!!」

彼女が触れた肌が痛みました。毒が侵食をはじめます。
声をあげようとするも、口は彼女の唇によってふさがれていて、声ならぬ叫びが漏れるのみです。
彼女を見遣ります。律儀に目を瞑っている顔を見ます。
その顔は、するはずもないのに、どこか上気しているように見えました。

「えへへ、……あ、目開けてたでしょ。
 ずるいなあ、もう……。恥ずかしいじゃないか。
 そんなずるいダイには……、……もう一回」

一瞬口を離し、再度口付け。
そのまま彼女は舌で彼の唇を探って、そっと優しくこじ開けると、彼の口内をなぞりはじめます。
彼女が口の中に這入って、そのひんやりとした感触に、少し身震いしました。
それから彼女が口をまさぐって、そして、彼女の顔がどろりと変形しました。
舌はそのまま彼女の顔を引き連れて、より奥へ、奥へ、喉まで到達します。
ヘドロでできた彼女が、顔から体内に雪崩れ込みます。

「ダイ、大好きだよ、ダイ。
 あは、なんかこう言っちゃうと、しょうもないだじゃれみたいでいけないね。
 なんかうまい言葉はないものかな?
 愛してる、なんて陳腐な言葉はごめんだな。いくらなんでも芸がなさすぎる。
 ……やっぱり、大好き。それが一番いいよ。
 ダイ、大好き」

もともとは彼女の首筋であったあたりに、また新しく彼女の顔が形成されました。
その彼女が、彼に語りかけます。
背中に回すべきものは、もう腕だけじゃ足りません。
この気持ちを伝えるには、二本の腕だけでは余りにも無力です。
もっともっとずっと深く、彼をぎゅっと抱きしめたいのです。
体内へ分け入ってくるヘドロの塊はじりじりと熱く――いや、熱いのはおれの方か?――、
まるで口が喉が焼かれるようでありました。

「ああっ、これでも、……ずっとずっとダイに近づけたこの身体でも、っ、まだ足りないなんて……!
 まったく、……もうっ、本当に君には恐れ入るよ。
 もう少しねぇっ、小さい方が、可愛げがあって、い、いいと思うんだ・……。
 ボクのこともさっ……、考えて欲しいなあ。けっこうね、苦しいんだから。
 この、小さな身体で、……君の背に手を回すの。まあ、前よりかは幾分かましだけれどもね。
 図体ばっかり、で、でかくなっちゃってさあ……。
 そうはいっても、……そんな、大きな君も、嫌いじゃない、よ……っ?」

異物を排出せんと、彼は自然にえづきましたが、彼女の猛攻の前には無意味でした。
腰からヘドロがまた伸びて、彼の背中に回されます。
ああ、これでいい。彼をさらに強く抱きしめます。
この気持ちを、余す所なく伝えたいのです。共有したいのです。
苦しい、気持ち悪い、痛い。彼はなんだか涙が込み上げてきます。
ぐずぐずと崩れた彼女の顔が、自身の顔にかかりました。
ヘドロはべしゃりとそのまま広がって、顔を覆い――おい、息がァ……――ます。

「ダイ……! ダイなら、大丈夫だよねっ。絶対に、平気、だよね、っ。
 ダイは、……そんじょそこらの十把一絡げとは違う、世界で一人きりの、ダイだもんね。
 ボクの目に入らない、どうでもいいモブなんかとは違う、もんねっ!
 あの日、初めてダイに会ったあの日から、ダイは他のポケモンと全然違ったんだから。
 兄さんがみんないなくなっちゃって、どうしようもなかったボクの目に、
 唯一映ったポケモンなんだよ? 他のやつらなんか、まったく見えなかったんだ。
 ダイは違う、絶対他とは違う。だから、ダイなら大丈夫、……だよね?」

自然と言葉が流れていきます。身体のように、とろけた心が言葉となって、流れていきます。
彼を全身で受け入れて、包み込んで、ああ、なんて幸せなのでしょう。
思考は鈍るようでいて、決して回転数が落ちることはありません。
徐々に思考が止まっていきます。考える余裕がなくなっていくのです。
ヘドロは鼻腔からも侵入してきました。痛みを伴って、這入ってきます。
体内を侵す痛みに忘れそうに――っぅ……――なりますが、全身がびりびりと痛んでいました。
彼に、毒が染み渡っていきます。彼女が融け込もうとしています。

「ダイは、その他大勢になんかならないよ。
 真っ暗で真っ黒な世界の、溢れる那由他の色の粒になんかならないよ。
 だって、ダイはダイなんだもん。オンリーワンの、ダイなんだもん。
 ダイは絶対にあの足場に辿り着く。絶対。絶対!
 そこではね、ダイ、ずっとずっと、二人きりなんだぞ。
 ずっとずっと、一緒にいられるんだ。
 ダイ、そこで思う存分、いちゃいちゃしよーぜ?
 周りなんてどうせ有象無象の雑多なんだ。
 思い切り見せつけてやっても、だーれも見もしないよ。見なんかできっこないよ」

ああ、口から鼻から目から爪の隙間から傷口から総排出口から、
彼女が彼を押しつぶします。塗りつぶします。苛みます。
彼の全身を余すところなく隅々まで、抱きしめたいのです。愛したいのです。
この手は小さく非力ですが、小さな心は誰よりも強く彼を愛しているのですから。
こうやって強く強く抱きしめていれば、二人はやがてすぐに一つになって、
それから先はずっと一緒にいれるのです。





「……………………」


痛みに涙を流そうとも、流すべき目はもうなく、
痛みに声を上げようとも、上げるべき喉はもうなく、
痛みに身を捩ろうとも、捩るべき手足はもうなく、
そもそも痛みを感じるべき脳すら彼の手には既になく、
もはや全ては彼女の腕の中であることに
―――――は、気づいたのでした。





ごとり、と彼の尻尾が根元から落ちました。
この身体をもってしても、大きな彼の身体をすっぽりと包みこむことはできなかったのです。
彼女にとって、いつだって彼は堂々とそそり立つ、大きな大きなものでした。
いくらこの身体とはいえ、そんな彼を覆いつくすことなど、できるわけないじゃありませんか。



抱きしめそこねた、最後の彼。
彼女はそっと腕を伸ばし、尻尾を掴んで、ぎゅっ、と抱きつきます。










ダイ。










君を残らず隈なく全部。


「まるごと愛してあげようね」





Re: いない ( No.13 )
日時: 2010/11/11 19:00
名前: ホシナギ


黒々とうねる暗黒が、世界を満たしていました。


重く広がる黒は、ただの黒ではありません。
それらは全て、元ポケモンの姿なのです。
たくさんの、数え切れないほどのポケモンが集まっていて、
遠目から見ると黒く見える、ただそれだけなのです。


荒れ果てた足場が、どろどろうずまきの中にぽっかりと浮かんでいました。


どこを見ても果てしなく広がる闇の中に、足場はありました。
赤茶けた岩のような足場は、不安定なようでいて、どっしりと構えています。
ただし、上を見ても下を見ても周囲を見回しても見えるものは、無数の色の黒一色です。


シャワーズはその中央に佇み、今か今かと彼を待っていました。


ふと気が付いてみるとまたこの空間に戻っていた彼女は、
むしろ好都合とばかりに、彼を待ち望んでいます。
今更ながら、なんて恥ずかしいことを言ってしまったものだとは思いますが、
もうやってしまったことなのですから、後悔する意味がありません。
それに、あれは彼女の本当の気持ちだったのでしょう。
今まで押し隠してきた、溜め込まれていた、本当の気持ち。
それらを全て吐き出して、彼女は晴れ晴れとしていました。

彼女はぐぐーっと伸びをして、ちょこんと腰を降ろしました。
不思議とこの空間では、彼女はヘドロの身体ではなく、従来のシャワーズの姿をしていました。
ですから、腰を降ろす、というようなことができるのです。
いつも彼を待っているときのように、
いつもの彼と別れてから残った一日のように、
時間がゆっくりと流れているような気持ちになります。

「もうダイったら、なにやってるんだよ。こんなに人を待たせてさあ。
 のこのこと来てくれちゃったら、どうしようか?」

そっとひとりごちます。
おいおいそりゃねえよ、と苦笑する彼の顔を想像して、
彼女は一人でくすりと笑いました。


彼女は彼を探します。
彼の大きな青い身体を、彼の大きな優しい手のひらを、彼の大きな顔がにこにこと笑う様を。
彼女は彼を探します。
上を見ます。右を見ます。左を見ます。下を見ます。
彼は、そこにいました。



彼女が彼を発見したのは、
真下に広がる深淵を背景とした、断崖絶壁の壁面でした。



「ダイ!!」

彼女は下を覗き込んで、叫びます。
彼は、彼女がいるところから幾分か下のほうに、手をかけてぶら下がっていました。
彼女を見て驚いた様子で、少しぐらつきました。

「何してるんだよ! 離しちゃダメだ!」

彼は崖を掴んで、上を見据えています。呼吸も荒く、辛そうです。
ただでさえ、陸上では巨体を支えるのが大変だ、と言っていた気もします。
壁面に掴まっていることは、どれだけ大変なのでしょうか。

「大丈夫!? もうすぐだから!」

彼女は叫びます。まだ彼女の手の届く範囲にはいない彼へ向かって、ただ叫びます。
それしかできない無力な自分が、とてもとても悔しくてたまりません。

「――――――!」

その時、彼がなにか喋りました。
しかし、彼女の耳に彼の声は届きません。

「なに? 聞こえないよ!」

「――――!! ――!!」

今度は怒鳴ったかのように見えました。
それでも、彼の声は彼女には聞こえてきません。
彼女の声は彼に聞こえているはずでしょうに。

「わかんない! 聞こえないんだ!
 とにかく、そこは危ないから、上がってきて!」

彼は、口を動かしながら、ゆっくりと上ります。
取っ掛かりを見つけて、その安定性を確かめてから、体重を掛けます。
幸いにして、この足場はごつごつと荒れているため、突起には事欠きませんでした。
しかし、どんどん近づいてくるというのに、やはり彼の声は聞こえません。

「ダイ! がんばれ! ダイ!」

彼女には、彼を応援するしかできませんでした。
それでも、何もしないではいられなかったのです。
彼が一歩上がるたびに大きく喜び、ふらつくたびに汗を垂らして慌てます。
彼女の声は彼に届くらしく、時々声に反応して表情が変わりました。

「ダイ! あとちょっと……! ほら、捕まって!!」

彼がもう目前に迫って、彼女はついに自分の右腕を差し出します。
少しでも、彼の力になりたかったのです。彼を、助けたかったのです。
彼は左手を持ち上げ、彼女の手へと伸ばします。


そして、寸前で、その動きが止まりました。


「ダイ!? 何してるんだよ! 早く上がってこいよ! 危ないん――」


そこで、彼女ははっきりと見ました。彼の口が動くのを。
声は聞こえませんでした。届きませんでした。
それでも――










「Soushitara……、――omaeha mata ore wo korosu noka……?」



それでも、何を言っているのか、わかりました。











彼はじっと、彼女を見つめます。

鳶色の瞳で、彼女を見つめます。

心の奥底まで見透かすように、見つめます。

彼女は、身じろぎすらできません。

口から漏れるのは、言葉になり損ねた音だけ。

「……そんな、そんな、つもりじゃ」

途中までは形をなした言葉も、彼の瞳に射抜かれて、落ちていきます。

彼から目を逸らしたいのに、背けることができません。

がっしりと強固に掴まれて、何もすることができません。







そのまま、長い長い時間が――あるいは、たった一瞬の時間が――流れました。

「と、とにかく、まずは、上がらないと、ね、ほら!」

彼女はもう一度、彼へと右腕を突き出します。

差し出された右腕を一瞥して、彼は悲しそうな顔で微笑みました。

そして、彼の左手が伸びて――、

























右腕が、にたりと笑いました。

















「え?」




右腕はぐにゃりと伸び、意地の悪い笑顔をして、こちらを見ました。




「え?」




右腕はぐにゃりと伸び、意地の悪い笑顔をして、彼を見ました。




「え?」




右腕が、彼の右手へと伸びました。




「え?」




右腕が、彼の右手に触れました。




「え?」




彼が、顔を強くしかめて、大きく口を開けました。




「え?」




紫色の右腕が、口元の大きく歪んだ、意地の悪い笑顔を浮かべていました。




「え?」




支えるものを失った、彼の身体が落ちていきます。




「え?」




支えるものを失った、彼の身体が落ちていきます。




支えるものを失った、彼の身体が落ちていきます。




支えるものを失った、彼の身体が落ちていきます?






















「嘘だああああああああああああああああああああああああああああああああアアアアアアアア!!!!
 うわああああああああああああああああああああああああああああああああアアアアアアアア!!!!」

















絶叫の向こう側に聞こえた最後の彼の言葉は、

もしかしたら、彼女の妄想だったのでしょうか?



Re: いない ( No.14 )
日時: 2010/11/11 19:00
名前: ホシナギ

































「ヴィオラ」

























「こんなことしなくったって、おれも、お前が好きだったのに」