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Re: いない ( No.1 )
日時: 2010/11/01 20:27
名前: ホシナギ


渓流は森の中で、燦然とせせらいでいました。


ごつごつと荒れた岩の中を、川はすいすいと流れていきます。
進み、当たり、砕けて、散って。
集まり、跳ね、飛沫いて、咲いて。
そして水は白くきらめき、また先へ先へと向かっていくのです。


深緑は泰然として佇み、足元までを染めていました。


濃淡色調さまざまな緑色が辺りを取り巻いています。
漏れ出る日光も、黄緑に薄く色づいているよう。
水面に落ちた光は、川の水の揺らぎに従って飛んでいきます。
渓流を包み込む森は、朝の光を浴びてきらきらと輝いているのです。


足取りは軽く、我先にと歩みを進めていました。


静謐とした森の中。
清冽なる渓流に沿い。
シャワーズは歩いていました。

せせらぎに耳を傾け悠々と。
深緑を目の端で追いすいすいと。
鼻歌でも歌うように軽やかに。
彼女は、川辺を歩いていきます。ゆったりと歩いていきます。


今森を散策するこの瞬間、彼女の至福を邪魔する者など、この世のどこにも、




   *   *   *











いない   、のです。











   *   *   *   



シャワーズは、ただ漫然と森の中を歩いているという訳ではありません。
彼女は、とあるポケモンを待っているのです。
そのポケモンとは、彼女の友人・オーダイルのことです。

しかし待っているといっても、明確に約束をしたのではなく、
恐らく今日もこの渓流をうろうろとしていれば会えるだろう、という
とても頼りのないものでした。

けれどもそれが彼女の日常。
なんとなく森の中を歩き、大抵は彼と落ち合い、
やっぱりうろうろと時間を潰したり、適当なおしゃべりに興じてみたり、少し遠出をしてみたり、
そうして日が暮れて、二人はそれぞれの棲家へと別れます。
それからまた次の日がやってきて、今日はどこへ出かけようかと思案を巡らせます。
出かけた先で彼と出会えるかはわかりません。
ですが、世界はきっとそんなに広いものではなく、
散歩が趣味の彼の事ですから、いつだって意味もなくどこだかを歩いている事でしょう。
彼女がどこにいたとしても、きっと彼は彼女を見つけて、こう呟くのです。

おいおい、一体全体なんでまたどうしてこんなところにいるんだよ、と。

それはこっちのセリフだよ。どうして君はボクの行く先々にいるんだい?
まさか、ボクのことをつけているわけではあるまいね?

彼女はそんな掛け合いを想像して、くすりと微笑みました。


   *   *   *   


彼と彼女は、ずっとずっと昔からの知り合いでした。
シャワーズがまだイーブイであったときに。
オーダイルがまだアリゲイツだったときに。
二人は出会ったのです。

大抵のイーブイは、家族で群れをなして生活しています。
彼女もご多分にもれず、たくさんの兄と共に生活していました。
末っ子で、かつたった一人の妹であった彼女は、それはそれは溺愛されていたことでしょう。

ある日、彼女はその兄たちからはぐれてしまいます。
きっかけはわかりません。忘れてしまいました。
自分から蝶々でも追いかけてはぐれていってしまったのでしょうか。
兄たちが自ずから自分を置いていってしまったのでしょうか。
とにかく、どこかへと消えてしまったのです。

たった一人になってしまった彼女は、途方にくれてしまいました。
いつも兄と一緒で、ろくに他のポケモンと接したこともありません。
それに、あたりを見回しても、誰かいるような素振りはなく、
世界の中でたった一人になってしまったかのような錯覚に捕らわれました。
もしかしたら誰かはいたのかもしれませんが、
突然全ての兄が消えてしまった彼女にとってはそんなもの、いないも同然だったのです。

何か縋るものを求めて、彼女は歩きはじめました。
にいさん、にいさん、とか弱い声で呼びながら。
疲労と恐怖に耐えながら。
とぼとぼと彼女は歩いていきました。

そうしてとてもとても長い時間が経ったような気がした頃、
彼女は1人のポケモンを見つけたのです。


それが、アリゲイツ――今のオーダイル――でした。


彼は木陰で仰向けになって、すやすやと寝息を立てていました。
時おりぐぐうと小さないびきすら聞こえてきます。
大きなお腹を揺らして、それはそれは幸せそうに眠っていました。
うららかな日差しが降り注ぐ午後のことだったので、
確かに、昼寝には最適であったかもしれません。

彼女の心には、おかしいやら不安やら、ようやく誰かに出会えた安堵もひっくるめて、
いろんないろんな気持ちが溢れ出してきました。
そうして緊張の糸が一気に緩んだ彼女は、
気を失うように彼の隣で眠ってしまったのでした。


それが、二人の出会いです。


   *   *   *


それから二人は大抵の時は一緒にいるようになりました。
彼女は彼以外に伝もなく(とはいっても彼すら伝というには怪しいものですが)、
なんだかんだで彼が面倒見の良い性格をしていたことも手伝って、
二人はまるで、兄妹のようでありました。

けれども彼女の兄は確かに別にいて、それは確実に彼ではないのです。
そのことが時々、彼女を寂しさで押しつぶそうとします。
そんな時に、彼はこう言ったのです。


「おれはお前の”にいさん”にはなれないよ」

「おれたちは”友達”、だろ?」


二人は、友達になりました。

それからの二人の関係はそこまで大きく変化したわけではありません。
彼女が彼を慕って、彼は彼女の傍にいて。
が、彼女にとってはその言葉はとてもとても重要だったのです。

彼女は兄以外のポケモンとはほとんど接した事がありません。
彼女にとっては、自分以外は全て、兄であったのです。兄が世界だったのです。
突然その兄が彼女の前からいなくなってしまい、
その兄のスペースに彼が滑り込んでしまえば、
彼女の”いままでの世界”も、兄らともに消えてしまったことでしょう。



彼はとにかく散歩が好きでした。
森に行ったり山に行ったり海へ行ったり。
洞窟を抜けて湖に潜って川を下って。
彼はいつだってどこかへぶらぶらと歩いていきます。
”散歩”という生易しいニュアンスを大きく逸脱する事も多々ありましたが……。
彼はとにかく散歩が好きでした。


「こうやっていろんなところを歩いて見ていると、
 世界の広さだとか美しさだとか、
 おれたちの小ささだとかせせこましさだとか、
 そんなおれたちが世界の中にいることのすごさだとか、
 いろいろ、なんというか、生命賛歌じゃあないんだが、
 とにかく、何か感じるものがあるだろう?
 ……おれは、そういうのが好きなんだ。
 だから、やめられないんだよなァ……」


彼は一度だけ彼女にそう言ったことがあります。
それを聞く頃には、ずっと彼と一緒にいたためか、
彼女もとっくのとうに散歩が大好きになっていましたが。



イーブイというものは、その遺伝子の不規則さからくるものなのか、
得てしてか弱いものです。
だからイーブイは群れをなして生活しているわけですが、
それでもやっぱり小さく弱いイーブイたちは狙われやすい存在であると言えるでしょう。

彼女も例外に漏れず、時々襲われることがありました。
それを助けてくれるのは、やはりいつだって彼でした。
彼女はバトルが得意ではなく、むしろ不得手でありましたが、
彼はそこそこバトルが強そうに見えました。
とりあえず彼女は、ここ一番というときに彼が負けるところを見たことがありませんでした。
まあそんな時に負けられてしまえば、彼女が今どうなっているやら想像もつかないのですが。

いつだって彼女が襲われそうになった時、
彼は小さな身体で、自分より大きな相手に立ち向かっていきました。
そうして傷だらけになって血みどろになっても、決して負けませんでした。
勢いを殺さずむしろ乗算させるべく行動してつまりは回転によりなんちゃらかんちゃら。
強さの秘訣はそんな事だと言われた事があるような気がしますが、良く覚えていません。
何故なら、敵を撃退した直後で血まみれのべたべたになった彼を気遣う方に精一杯だったからです。


「どうして、どうしてだよ!」

「ん? なにが」

「なんで君はこんな、こんなボクのためにぼろぼろになってまで……、
 助けてくれるのさ! 意味がわからないよ!」

「んー、だって」



「……お前がいなくなったら、静かになるなあ、なんて思って」



   *   *   *


あるとき、彼はとうとうオーダイルへと進化しました。

水辺でしゃくしゃくと彼女が木の実をかじっているときのことです。
遠くから聞きなれない低い声がして、おーい、と誰かを呼んでいました。
知らない声であったため、まさか自分を呼んでいるとも思わず、
とりあえず反応することなく、彼女は木の実をかじりつづけました。

なんだよ、無視するなよな?

背中をちょんとつつかれて振り向いた先にいたのは、
にこにこ笑顔のオーダイルでした。
自分を見せびらかすように両腕を広げて、
唾を飛ばすような勢いで嬉しそうに言いました。

ほら、見ろよ! 進化したんだ!

対して彼女は、あ、と呟いて木の実を取り落としました。
それから一歩二歩じりじりと後ずさり。
あたりをきょろきょろ見回して、ぎゅっと目を瞑って一言。


「あ、ああ、あああ……、……助けて、食べないで!」


進化した彼の大きな身体は、彼女にとっては、
いつだって彼女に危害を加えようとした、外敵のようなものでした。
大きな身体で彼女を追いまわして、
大きな手で彼女を鷲掴もうとして、
大きな口を弓のように歪めて笑う、恐怖の姿でした。
こんなにも接近を許してしまうなんて。
もう、すぐに捕まってしまうのに。
ああ、助けてくれる彼も、今はここにいないのに……!

……おれだよ。

ああ、え? ……ダイ? ダイなのか?

そうだよ。

え……、あ、あのっ、そ、


「ごめんな、驚かせて。
 よく考えりゃあわかることだったよな。お前がびびることくらい。
 そうだよな、怖いよなァ……。
 悪かった。配慮が足りなかった。
 だから、ほら、もう泣く必要なんて、ないんだから、な?
 大丈夫か? 立てるか?」


彼は悲しそうな顔で微笑みながら、彼女に手を伸ばします。
少し身構えてしまったものの、そっと彼女の頭を撫ぜた手は、
いつだってどこだって変わらない、たった一人の彼の手でした。


そうして、彼女の頭には、また新しい感情が浮かび上がってきました。

あんなに酷い事をしたのに、彼はただ笑って、許してくれた。
もっと怒ったり、バカにしたり、責めたりするのが、正当な彼の感情だろうに。
ああそれは、きっとそれは、ボクが彼にとってそういう位置付けであったからだ。
どんなことをしても許してやって、命をかけても助けてやって、
ボクはそういう、彼にとっての、”妹”なんだ……!

それは、なぜだかものすごく嫌なことに思えました。
彼が怒った時には怒って欲しいし、嫌な時にはいやがって欲しいし、
そうやって、自分のために彼を制限して欲しくなかったのです。
それから、そんな自由な彼の隣で、彼女は笑っていたかったのです。
その時ボクは、ダイの妹では、いたくない!
ボクは、ダイと対等な関係でいたいんだ!! 


たぶん、そのときだったのではないでしょうか。
彼女が、彼のことを好きなのかもしれないなあ、と思ったのは。



「ねえ、ちょっとボクはこれから君との距離感をもう少しばかり意識したいと思うんだけど、
 どうかな?」

「は? ……え?」

「あーいやいや、勘違いしないでくれよ?
 別にボクが君のことを嫌いになったとか、そういうわけでは全然ないんだから、さ。
 むしろボクは君のことが好きだよ。……うん、大々、だーいすき。
 でもさ、やっぱりボクはすこぅしばかり君とベタベタしすぎてたっていうか、さ、
 やっぱり、申し訳なかったかなあと思うところもあるんだよね。
 君だってボクみたいなのが周りをちょろちょろしてたら邪魔だろう? なーんて、
 思い上がったことは言わないけどさ、
 それでもまあ、あんまり君に迷惑ばっかりかけるのも忍びないからね?
 だからボクはそろそろもうちょっと自立すべきだろう、って思ったんだよ」

「…………」

「そんなにボクが心配? いやいやもう、大丈夫だってば。根拠はないけどね。
 たとえボクが君と別れようとも、ボクらは”友達”。それは変わらないよ」

これからは変わるかもしれないけれども。




「それじゃあダイ、これから先いつまでも末永くよろしくね?」





Re: いない ( No.2 )
日時: 2010/11/01 20:29
名前: ホシナギ

大きな岩が段々とつみあがり、小さな滝を作っています。
わずかな滝壷はシャワーズがようやく泳げるか、といったものでありましたが、
そこから連なる流れは穏やかな淵となって、緩やかに流れています。

そこは、この森の中を流れる川で、彼女が一番好きなところでありました。
日の光と川が交互にきらめきあっていて、
川のせせらぎと風のそよぎが響き渡って、
時間がゆったりと流れているような気持ちになります。
森の奥の方であり、もしかしたら秘境と呼んで差し支えないのかもしれません。
もしかしたら、知っているのはオーダイルとシャワーズの、二人だけかもしれません。

シャワーズは岩の上でぐぐーっと伸びをして、ちょこんと腰を降ろしました。
午前の太陽は優しく彼女に微笑みかけます。
ほのかに温かな岩が気持ちよく、そっと腹這いに伏せました。
お腹の奥の方からじんわりと熱を帯びていきます。
耳をそばだてれば、木の葉のこすれる音がどこか遠くで聞こえました。

そっと彼女は目を閉じました。
最初は、より深く辺りの音に浸るためでしたが、
心地よい空間で、次第にシャワーズはまどろみに落ちて行きます。


   *   *   *


そして、彼女は異臭に目を覚ましました。
物が腐るような臭いがどこかからか漂ってきます。

しまった。逃げなきゃ。

どんなに人が立ち入らない領域であるといっても、さすがに気を抜きすぎた。
彼女は自分を恨みました。
そしてそのときにはもう遅く、
川べりから紫色のヘドロが這い上がってきます。


それは、うずたかくつもった、立派なベトベトンでした。


ベトベトンはシャワーズを見て、にやりと口で弧を描き、
じわじわと跡を残して迫ってきます。


   *   *   *


いくら彼女がシャワーズに進化したと言っても、
バトルが苦手な事は大して変わりありません。
ただ昔と違うのは、昔より少し逃げ足が遅くなったこと。
そして、相手の虚を突いたり、隙を作り出して逃げたりする、ごまかしがきくようになったこと。

いくら川から上がってきたといっても、相手は所詮ベトベトン。
泳ぎに関しては圧倒的に分があるはずです。
せっかくの川辺です。地の利を生かさない道理がありません。
見る限りそこまで俊敏な動作はできなさそうなベトベトンです、走って逃げてもいいのですが、
逃げる背中にヘドロこうげきやダストシュートを当てられてしまえば、
大きなダメージを受けてしまうでしょう。
その間に追いつかれないとも限りません。
ここはやはり川へ逃げるのが得策かと思われました。

そうなると問題は、自分と川の間にヤツがいることです。
なんとかしてベトベトンの横をすりぬけ、川へ突入する。
彼女にはひとつの策がありました。

(……”とける”だ!)

シャワーズの特徴のひとつとして、体の細胞のつくりが水分子に似ている、というものがあります。
それを利用して、身体を水とそっくりの液状にすること、”とける”ことが彼女には出来ました。
突然目の前の獲物が”とけ”はじめれば、確実に相手は動揺し隙が生まれるでしょう。
ひとたび”とけれ”ば、これが思ったより目立ちづらくなります。
川まで辿り着くのも楽になるはず。川に入ってしまえば水と見分けがつきません。
さらに、”とけ”てしまえば相手の物理攻撃を受け流す事も出来ます。
相手はベトベトン、得意とする攻撃は物理攻撃のはずです。

まずは、”とける”。
”とけ”きる前に、ふいうちやかげうちをされるかもしれないので、それには用心する。
そして、相手の攻撃を受け流しながら川へと向かい、
そのまま、川の流れに従って逃げる。

(これで、大丈夫なはず……!)




じりじりとベトベトンが迫ってきます。

シャワーズは”とけ”はじめます。

突然どろりと融解しはじめたシャワーズを見て、ベトベトンは大きく目を見開きました。

そうしているうちに、彼女は全身すみずみまで”とけ”きりました。

(これで、逃げれる!)

それから、ベトベトンは何かうめき声を発して。

にやり。

「え、」

「ええええ、」

「えええええええええええええええええええ」







「嘘だろおおおおおおおおおおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!」








彼女が見たのは、押し寄せる紫色の濁流。
もはやそこに、うずたかくつもったヘドロの姿はありません。
粘性を失ったヘドロが、波と化して彼女に襲い掛かったのです。


ベトベトンがとった行動は、”とける”。













紫の波が、小さな水溜りを攫って、流れていきました。




Re: いない ( No.3 )
日時: 2010/11/01 20:29
名前: ホシナギ

森の中を流れる渓流などどこにもありませんでした。
足元を染める深緑すら存在しませんでした。
けれども、彼女は”そこ”にいて、目を覚ましました。

「…………よーし、ちょっと落ち着こうか」

とりあえずあたり一面を見わたします。

”そこ”には、何もありませんでした。
ただ真っ暗、いえ、真っ黒な世界です。
真っ暗だから真っ黒なのかと思えますが、それは違いました。
彼女自身の姿は見えますし、足元は赤茶けた岩となっているのが見えます。
真っ黒だから、黒しか見えないのです。

その黒でさえ、一概に黒、といえるものではなく、
全ての色をまぜこぜにしてぶちこんだような、そんな複雑怪奇な黒でした。
ときどき、その黒はどろどろとうずまき、うねっていました。

「さあボク、ここに見覚えは? ……あったらボクは君をボクだと認めないよ?」

”そこ”は、この世界中のどこにも存在するとは思えない場所でした。
足場となっている岩場は、そこまで広いともいえず、すぐそばに端が見て取れます。
恐らく、端から端まで、三十歩ほどなのではないでしょうか。
足場のふちから下を覗いてみると、下のほうにも延々と黒が続いています。
恐る恐る手を伸ばしてみても、やはり足場からこぼれれば、落っこちてしまいそうです。

「とりあえずまずは状況確認が先決、かな?」

全く訳のわからない状況で、シャワーズはひとり呟いていきます。
たった一人で、黒く塗りつぶされてしまいそうだからこそ、
彼女は声を出しているのです。

「まずボクは今日も今日とてのんびりゆったり適当に散歩を楽しんでいた。
 これはどうしようもない事実たりえるだろうね。
 まあ、あわよくばダイ――友人のオーダイルだ――に会えるかもしれないしね?
 それで、今日は天気がいいから川を歩くことにしたんだよ。
 あそこはいいよ? 風は気持ちいいし、水はきれいだし。
 それから、奥の方まで行けばこれが案外人がいない。
 あんなにきれいな場所なのにどうしてだろうね?
 まあ、人だらけになっても困るけどさ。
 やっぱり、ヒミツの場所ってのはいいもんだよ、うん。
 それで、そのヒミツ中のヒミツ、小さな滝に差し掛かったところで、
 まあ、その……、無警戒にもうたたねをしてしまったわけだ。
 だって、仕方がないじゃないか! あんなにも気持ちがいいんだもの……。
 まだ太陽が南中すらしていないってのに、我ながらなんていう怠惰だ、ってのは確かに思うよ?
 でも、あんなにも穏やかで落ち着いてたら、誰だって昼寝のひとつくらい、
 嗜みたくなるだろう? なるんだよ! ボクは!
 とにかく、ボクが少々睡魔に負けているとだな、
 なんだかいやーな臭いが漂ってきて、それで目を覚ましたワケ。
 そうしたら、川の中からベトベトンがコンニチハ、と相成りました、ってな感じだ。
 ああああああああああ! そんな近くにくるまで気付かなかったなんて、なんていう体たらく!
 それにしても、なんであいつに気付けなかったんだろう?
 川を流れてきたから? でもそれだとすると、必ず滝に引っ掛かるよね。
 あそこの滝は素直じゃないからね、段々の岩を段々にだんだん流れてくるんだよ。
 それに、臭いで気付いたんだから、もっと川の上流のうちから漂ってきてもおかしくないよね?
 うーん……。なぜだろう……?
 ヘドロ? 地面に染み込んできたとか? 川の下の。
 ……なんかもうそういうことでいいか。起こってしまったことは変えられないよ。
 それから、ボクはそのベトベトンに狙われそうになって、
 ボクは”とけ”てからあいつの目を盗んだり、攻撃を受け流したりして、
 川に流れて泳ぎながら逃げる作戦を立てた。
 で、見事ボクが”とけ”たところで、あいつも”とけ”て……。
 以上、これがここまでのあらすじ、もとい、ボクの記憶」

一呼吸。

「さて、問題です。ボクとは一体、誰なんでしょう。
 ……ボクの記憶によれば、ボクはシャワーズのはずなんだけど、間違ってないよね?
 間違ってたら大問題だよ。先述の記憶って一体なんだったのさ」

彼女は自分の身体を見回します。
水色の毛並みに、ひれのついた尻尾。襟飾りも、頭のひれも、全部いつもと変わらない、彼女のものでした。

「間違っちゃあいないね。
 じゃあ、いったいこれはどういうわけなんだ?
 どこかに、連れ去られたとか? ない、よねえ。
 だって足場がここにしかなさそうだもの。
 ベトベトンは空を飛べない。宙にも浮けない。ボクもしかり。
 こんな孤島、あはっ、まさしく孤島だね!
 これが海だったりしたらまだ泳いで逃げられそうなんだけどな、
 さすがにこんなわけのわからないどろどろうずまきの中に突撃する勇気はないや」

そう言って彼女はきょろきょろと眺め回します。
辺りは変わらず、やはり全ての色という色を内包したかのような、
入り混じってぐちゃぐちゃで濁りきった、黒。
そうして時々揺らいで歪んで、どよめいていました。

「なんなんだろうねえ、もう」

ダイ、君ならこの状況はなんなんだと思う?
なんとなく呟いてみるものの、答えはもちろんありません。
そのまま、呟きは黒々とした闇に吸い込まれていきました。

「まずボクは、ベトベトンに巻き込まれちゃったんだろ?
 となると、ここはベトベトンの体内とか?
 ……どう考えても広すぎるよなあ。それになにより、臭くない。
 うーん、意味がわからないよ。
 ……死後の世界とかそういうジョーク? まったくもって笑えないよそんなの。
 んー、……ん?」

とぐろをまく暗黒の中に、なんだか赤みを帯びた箇所がありました。
わずかに、ほんのわずかに、周囲より赤っぽく見えなくもありません。
じっと目を凝らして見てみました。
なんだか……、赤っぽい……、点がある?
点が、集まってる?
そうやって見てみると、他にもどことなく青っぽい部分や、緑っぽい部分など、
ところどころ色が強い部分もありました。
そして、得てしてその部分は、色の点が集まっているように見えます。

「点、かなあ……? 色の点?
 色の点が集まって、黒く見えてるのか?
 赤い、色の点……。揺らいで? 炎!?」

シャワーズは崖のふちから下を覗き込みました。
ねっとりと広がる黒の中を、覗き込みます。
目を凝らして、じっと見つめて、もっと、良く見るんだ……!



「ポケモン、だ……」



”そこ”は、ポケモンがひしめく空間でした。
たくさんの、数え切れない、那由他の彼方へも及ぶ数のポケモンが、
上にも、下にも、右も左も全部全部を占めているのです。
色とりどりのポケモンたちが、集まる事によって、真っ黒に見えていたのです。

そして。










「わかったよ、”ここ”がどこだか」



「”ここ”は、おまえの精神世界。違う?」


シャワーズは後ろに語り掛けました。
より正確を期すなら、後ろから漂う異臭に話し掛けました。







はたしてそこには、例のベトベトンがいて。

















「原理は知らない。まったくもってオカルティックだとは思う。
 けれども、ゴーストポケモンもエスパーポケモンもいるのに、
 オカルトを信じないのはナンセンスだ。
 だからボクは信じよう。信じるさ。
 ボクたちは互いに”とけ”て液状になった。
 それで、ボクはお前の波に攫われたんだ。

 ボクたちは、そこで入り混じったんだ。

 液体と液体が混じって、一体となった。
 だから、ボクは”ここ”にきたんじゃないか?
 なんといっても、大きさとか、いろいろ圧倒的に優位だったのはお前だろう?
 だから、お前の”精神世界”――それとも、”心象世界”だったりするのかな――にきてしまったんだろう」


ベトベトンはにやにや笑顔を崩さずに、シャワーズに迫ります。


「それでは、この周りにいるポケモンたちはなんなんだろう。
 そんなもの、決まっているだろう。
 みんな、お前が喰った、融かした、取り込んだ、ポケモンたちだ!
 お前に吸収されたら、”この世界”を形成する”黒”の十把百把万把兆把那由他把一絡げの
 色の点となるんじゃないのか? まあ憶測にはすぎないんだけどね。
 ボクも本来なら、こうなるはずだったんじゃないかなあ?
 だけどボクは、運が良かったのか悪かったのか、ここにいる。
 それはやっぱり、”とけ”合ったからなのだろうね。
 おまえの一方的な吸収でなく、細胞どうしが入り混じった状態なのだろう」


ベトベトンは迫って。迫って。迫る!


「わかるかな。要するにね、こう言いたいんだよ。
 ”世界”の黒は、全てお前が殺したポケモンたちによるもの。
 ボクは、その一端を担っている状況では、ない」




つまりだ。




「ボクはまだ、喰われてない! ボクはまだ、生きてる!!」




とうとうベトベトンは、シャワーズのもとに辿り着きました。
にやにや笑顔は、依然としてそのまま。
だからなに? とでも言うように、ヘドロの腕をシャワーズへと伸ばします。


「ボクを呑みこもうっていうのか?」


シャワーズは、きっ、とベトベトンを睨めつけます。
ベトベトンの手がもう目前にありました。
にやにや笑顔は、いっそう大きく歪んでいます。










「ボクは、ボクを、お前には渡さない!!」









ベトベトンの腕が、ひいては体が、彼女に触れました。
顔に触れて、首を、胸を、足を、腹を、全身を撫ぜます。掴みます。這いまわります。


けれども、シャワーズは決して目を閉じることなく、ベトベトンをきつくきつく睨みつけます。


Re: いない ( No.4 )
日時: 2010/11/01 20:32
名前: ホシナギ










































































ああ最後に、ダイに会いたかったかも、しれないなあ。
そんなことを、思ったり、思わなかったり。