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【保】いない − 旧・小説投稿所A

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【保】いない

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渓流は森の中で、燦然とせせらいでいました。


ごつごつと荒れた岩の中を、川はすいすいと流れていきます。
進み、当たり、砕けて、散って。
集まり、跳ね、飛沫いて、咲いて。
そして水は白くきらめき、また先へ先へと向かっていくのです。


深緑は泰然として佇み、足元までを染めていました。


濃淡色調さまざまな緑色が辺りを取り巻いています。
漏れ出る日光も、黄緑に薄く色づいているよう。
水面に落ちた光は、川の水の揺らぎに従って飛んでいきます。
渓流を包み込む森は、朝の光を浴びてきらきらと輝いているのです。


足取りは軽く、我先にと歩みを進めていました。


静謐とした森の中。
清冽なる渓流に沿い。
シャワーズは歩いていました。

せせらぎに耳を傾け悠々と。
深緑を目の端で追いすいすいと。
鼻歌でも歌うように軽やかに。
彼女は、川辺を歩いていきます。ゆったりと歩いていきます。


今森を散策するこの瞬間、彼女の至福を邪魔する者など、この世のどこにも、




   *   *   *











いない   、のです。











   *   *   *   



シャワーズは、ただ漫然と森の中を歩いているという訳ではありません。
彼女は、とあるポケモンを待っているのです。
そのポケモンとは、彼女の友人・オーダイルのことです。

しかし待っているといっても、明確に約束をしたのではなく、
恐らく今日もこの渓流をうろうろとしていれば会えるだろう、という
とても頼りのないものでした。

けれどもそれが彼女の日常。
なんとなく森の中を歩き、大抵は彼と落ち合い、
やっぱりうろうろと時間を潰したり、適当なおしゃべりに興じてみたり、少し遠出をしてみたり、
そうして日が暮れて、二人はそれぞれの棲家へと別れます。
それからまた次の日がやってきて、今日はどこへ出かけようかと思案を巡らせます。
出かけた先で彼と出会えるかはわかりません。
ですが、世界はきっとそんなに広いものではなく、
散歩が趣味の彼の事ですから、いつだって意味もなくどこだかを歩いている事でしょう。
彼女がどこにいたとしても、きっと彼は彼女を見つけて、こう呟くのです。

おいおい、一体全体なんでまたどうしてこんなところにいるんだよ、と。

それはこっちのセリフだよ。どうして君はボクの行く先々にいるんだい?
まさか、ボクのことをつけているわけではあるまいね?

彼女はそんな掛け合いを想像して、くすりと微笑みました。


   *   *   *   


彼と彼女は、ずっとずっと昔からの知り合いでした。
シャワーズがまだイーブイであったときに。
オーダイルがまだアリゲイツだったときに。
二人は出会ったのです。

大抵のイーブイは、家族で群れをなして生活しています。
彼女もご多分にもれず、たくさんの兄と共に生活していました。
末っ子で、かつたった一人の妹であった彼女は、それはそれは溺愛されていたことでしょう。

ある日、彼女はその兄たちからはぐれてしまいます。
きっかけはわかりません。忘れてしまいました。
自分から蝶々でも追いかけてはぐれていってしまったのでしょうか。
兄たちが自ずから自分を置いていってしまったのでしょうか。
とにかく、どこかへと消えてしまったのです。

たった一人になってしまった彼女は、途方にくれてしまいました。
いつも兄と一緒で、ろくに他のポケモンと接したこともありません。
それに、あたりを見回しても、誰かいるような素振りはなく、
世界の中でたった一人になってしまったかのような錯覚に捕らわれました。
もしかしたら誰かはいたのかもしれませんが、
突然全ての兄が消えてしまった彼女にとってはそんなもの、いないも同然だったのです。

何か縋るものを求めて、彼女は歩きはじめました。
にいさん、にいさん、とか弱い声で呼びながら。
疲労と恐怖に耐えながら。
とぼとぼと彼女は歩いていきました。

そうしてとてもとても長い時間が経ったような気がした頃、
彼女は1人のポケモンを見つけたのです。


それが、アリゲイツ――今のオーダイル――でした。


彼は木陰で仰向けになって、すやすやと寝息を立てていました。
時おりぐぐうと小さないびきすら聞こえてきます。
大きなお腹を揺らして、それはそれは幸せそうに眠っていました。
うららかな日差しが降り注ぐ午後のことだったので、
確かに、昼寝には最適であったかもしれません。

彼女の心には、おかしいやら不安やら、ようやく誰かに出会えた安堵もひっくるめて、
いろんないろんな気持ちが溢れ出してきました。
そうして緊張の糸が一気に緩んだ彼女は、
気を失うように彼の隣で眠ってしまったのでした。


それが、二人の出会いです。


   *   *   *


それから二人は大抵の時は一緒にいるようになりました。
彼女は彼以外に伝もなく(とはいっても彼すら伝というには怪しいものですが)、
なんだかんだで彼が面倒見の良い性格をしていたことも手伝って、
二人はまるで、兄妹のようでありました。

けれども彼女の兄は確かに別にいて、それは確実に彼ではないのです。
そのことが時々、彼女を寂しさで押しつぶそうとします。
そんな時に、彼はこう言ったのです。


「おれはお前の”にいさん”にはなれないよ」

「おれたちは”友達”、だろ?」


二人は、友達になりました。

それからの二人の関係はそこまで大きく変化したわけではありません。
彼女が彼を慕って、彼は彼女の傍にいて。
が、彼女にとってはその言葉はとてもとても重要だったのです。

彼女は兄以外のポケモンとはほとんど接した事がありません。
彼女にとっては、自分以外は全て、兄であったのです。兄が世界だったのです。
突然その兄が彼女の前からいなくなってしまい、
その兄のスペースに彼が滑り込んでしまえば、
彼女の”いままでの世界”も、兄らともに消えてしまったことでしょう。



彼はとにかく散歩が好きでした。
森に行ったり山に行ったり海へ行ったり。
洞窟を抜けて湖に潜って川を下って。
彼はいつだってどこかへぶらぶらと歩いていきます。
”散歩”という生易しいニュアンスを大きく逸脱する事も多々ありましたが……。
彼はとにかく散歩が好きでした。


「こうやっていろんなところを歩いて見ていると、
 世界の広さだとか美しさだとか、
 おれたちの小ささだとかせせこましさだとか、
 そんなおれたちが世界の中にいることのすごさだとか、
 いろいろ、なんというか、生命賛歌じゃあないんだが、
 とにかく、何か感じるものがあるだろう?
 ……おれは、そういうのが好きなんだ。
 だから、やめられないんだよなァ……」


彼は一度だけ彼女にそう言ったことがあります。
それを聞く頃には、ずっと彼と一緒にいたためか、
彼女もとっくのとうに散歩が大好きになっていましたが。



イーブイというものは、その遺伝子の不規則さからくるものなのか、
得てしてか弱いものです。
だからイーブイは群れをなして生活しているわけですが、
それでもやっぱり小さく弱いイーブイたちは狙われやすい存在であると言えるでしょう。

彼女も例外に漏れず、時々襲われることがありました。
それを助けてくれるのは、やはりいつだって彼でした。
彼女はバトルが得意ではなく、むしろ不得手でありましたが、
彼はそこそこバトルが強そうに見えました。
とりあえず彼女は、ここ一番というときに彼が負けるところを見たことがありませんでした。
まあそんな時に負けられてしまえば、彼女が今どうなっているやら想像もつかないのですが。

いつだって彼女が襲われそうになった時、
彼は小さな身体で、自分より大きな相手に立ち向かっていきました。
そうして傷だらけになって血みどろになっても、決して負けませんでした。
勢いを殺さずむしろ乗算させるべく行動してつまりは回転によりなんちゃらかんちゃら。
強さの秘訣はそんな事だと言われた事があるような気がしますが、良く覚えていません。
何故なら、敵を撃退した直後で血まみれのべたべたになった彼を気遣う方に精一杯だったからです。


「どうして、どうしてだよ!」

「ん? なにが」

「なんで君はこんな、こんなボクのためにぼろぼろになってまで……、
 助けてくれるのさ! 意味がわからないよ!」

「んー、だって」



「……お前がいなくなったら、静かになるなあ、なんて思って」



   *   *   *


あるとき、彼はとうとうオーダイルへと進化しました。

水辺でしゃくしゃくと彼女が木の実をかじっているときのことです。
遠くから聞きなれない低い声がして、おーい、と誰かを呼んでいました。
知らない声であったため、まさか自分を呼んでいるとも思わず、
とりあえず反応することなく、彼女は木の実をかじりつづけました。

なんだよ、無視するなよな?

背中をちょんとつつかれて振り向いた先にいたのは、
にこにこ笑顔のオーダイルでした。
自分を見せびらかすように両腕を広げて、
唾を飛ばすような勢いで嬉しそうに言いました。

ほら、見ろよ! 進化したんだ!

対して彼女は、あ、と呟いて木の実を取り落としました。
それから一歩二歩じりじりと後ずさり。
あたりをきょろきょろ見回して、ぎゅっと目を瞑って一言。


「あ、ああ、あああ……、……助けて、食べないで!」


進化した彼の大きな身体は、彼女にとっては、
いつだって彼女に危害を加えようとした、外敵のようなものでした。
大きな身体で彼女を追いまわして、
大きな手で彼女を鷲掴もうとして、
大きな口を弓のように歪めて笑う、恐怖の姿でした。
こんなにも接近を許してしまうなんて。
もう、すぐに捕まってしまうのに。
ああ、助けてくれる彼も、今はここにいないのに……!

……おれだよ。

ああ、え? ……ダイ? ダイなのか?

そうだよ。

え……、あ、あのっ、そ、


「ごめんな、驚かせて。
 よく考えりゃあわかることだったよな。お前がびびることくらい。
 そうだよな、怖いよなァ……。
 悪かった。配慮が足りなかった。
 だから、ほら、もう泣く必要なんて、ないんだから、な?
 大丈夫か? 立てるか?」


彼は悲しそうな顔で微笑みながら、彼女に手を伸ばします。
少し身構えてしまったものの、そっと彼女の頭を撫ぜた手は、
いつだってどこだって変わらない、たった一人の彼の手でした。


そうして、彼女の頭には、また新しい感情が浮かび上がってきました。

あんなに酷い事をしたのに、彼はただ笑って、許してくれた。
もっと怒ったり、バカにしたり、責めたりするのが、正当な彼の感情だろうに。
ああそれは、きっとそれは、ボクが彼にとってそういう位置付けであったからだ。
どんなことをしても許してやって、命をかけても助けてやって、
ボクはそういう、彼にとっての、”妹”なんだ……!

それは、なぜだかものすごく嫌なことに思えました。
彼が怒った時には怒って欲しいし、嫌な時にはいやがって欲しいし、
そうやって、自分のために彼を制限して欲しくなかったのです。
それから、そんな自由な彼の隣で、彼女は笑っていたかったのです。
その時ボクは、ダイの妹では、いたくない!
ボクは、ダイと対等な関係でいたいんだ!! 


たぶん、そのときだったのではないでしょうか。
彼女が、彼のことを好きなのかもしれないなあ、と思ったのは。



「ねえ、ちょっとボクはこれから君との距離感をもう少しばかり意識したいと思うんだけど、
 どうかな?」

「は? ……え?」

「あーいやいや、勘違いしないでくれよ?
 別にボクが君のことを嫌いになったとか、そういうわけでは全然ないんだから、さ。
 むしろボクは君のことが好きだよ。……うん、大々、だーいすき。
 でもさ、やっぱりボクはすこぅしばかり君とベタベタしすぎてたっていうか、さ、
 やっぱり、申し訳なかったかなあと思うところもあるんだよね。
 君だってボクみたいなのが周りをちょろちょろしてたら邪魔だろう? なーんて、
 思い上がったことは言わないけどさ、
 それでもまあ、あんまり君に迷惑ばっかりかけるのも忍びないからね?
 だからボクはそろそろもうちょっと自立すべきだろう、って思ったんだよ」

「…………」

「そんなにボクが心配? いやいやもう、大丈夫だってば。根拠はないけどね。
 たとえボクが君と別れようとも、ボクらは”友達”。それは変わらないよ」

これからは変わるかもしれないけれども。




「それじゃあダイ、これから先いつまでも末永くよろしくね?」






<2011/12/16 21:52 ホシナギ>消しゴム
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