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【保】竜と絆の章4 火竜の印 − 旧・小説投稿所A

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【保】竜と絆の章4 火竜の印

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僅かな逃げるための時間をライトに与え、そのあとを追い掛けた火竜・フレイア。
優雅に空を飛ぶ彼女の眼下には、広大な森が広がっている。


「今度は逃がしはしないわよ……坊や早く出てきなさい」

フレイアは自分の力に絶対の自信を持っていた。
とりわけ空中での早さにはどんな竜にも負けない自信がある。
なぜならもっとも優れた翼を持って生まれたことに、強い誇りを持っているからだ。
彼女は火竜にして、風。
同種ではあり得ない音速で空を駆ける能力は彼女だけのものだ。


それは時として共食いまで見られる、獰猛な火竜の一匹として最高の武器となり得る。

何度も言うようにフレイアは、火竜という種族の中でも、かなり小柄な部類だ。
竜の雌というのは雄よりも体が大きくなりやすく。
平均で十五メートルはゆうに越えるはずなのだが、彼女の全長はそれを明らかに下回っていた。
そのため彼女の天敵の一つは同族と言うことになる。

だが、火竜の中では、誰もフレイアに追いつけない。
そして、一度フレイアに……狙われた獲物は誰も彼女から逃げられないのだ。


そのためか、彼女は狩りの際に『追い駆けっこ』という、遊びの要素を取り入れることが多かった。


わざと獲物を逃がし、必死に逃げ回る様を上空から眺めながら、逃げ切ったと獲物が安堵したときを狙い、
それをあざ笑うかのように上空から降り立ち、絶望に落とすのが良くあるパターンだ。
今回もそうするつもりで、彼女は森に潜伏を続けているライトの姿を探し、森の上空を旋回しているのである。

しかし、今度の相手はかなり手強く、苦戦を強いられていた。


『少し時間を与えすぎたかしら、坊やはどこまで逃げたの?』

遙か上空からも竜の瞳は、一度獲物を捕らえたら相手を逃すことはない。
フレイアは翼を大きく羽ばたかせ、若干身体を傾けるようにして大きく旋回した。


『おかしいわね……?』

旋回を続けながら、フレイアはゆっくりと高度を下げていく。
ずいぶんと時間がたつのに、一向に獲物が姿を見いだせない事に不安を抱いたのだ。


『さすがに……見える場所に隠れてはいないようだけど」

旋回を終えると、森の上空で留まり目を凝らして獲物を探そうとする。

だが、森の木々が邪魔をして中々それが出来ない。
鬱蒼と生い茂る森の中までは、さすがのフレイアもそれを見通すことは不可能だ。
油断しきった獲物ならともかく、竜がいると分かっているのに襲える場所に姿を見せるほど獲物も馬鹿ではなかった。

森の動物たちなら、直ぐに見つけられるのだが、今の彼女の獲物はライトだけ。
他の手頃な獲物には目もくれず、執拗にライトの姿を探す……


『見つからない、参ったわ……』

てっきり怯えて冷静さをなくした獲物が、すぐに飛び出してくると思っていたのに当てが外れた。
何度か上空を旋回していたのも、自分の存在を見せつけるためである。


『……ふぅ、面倒ね。いっそのこと、炙り出してみようかしら?』

言ってしまうと見も蓋もないが、火竜は基本的に気が短い。
フレイアもその例に漏れず、そぐわないことがあると直ぐに機嫌が悪くなる。

火竜の生態を僅かにも記していた文献をライトも見たようだが、その中に見つけた一文……
『目当ての獲物を手に入れるために、森一つ平気で焼き払うとまで言われている』
ライトも危惧していたようだが、これは嘘ではない。
機嫌を損ねた火竜は、それぐらい平気でやってのけようとするのだ。

勿論彼女たちは、本能だけで生きているような獣ではない。
さすがに何も理由無しにそのようなことはしないが、する理由があれば躊躇無くやる。


『坊や、早く出てきなさい。じゃないと焦げても知らないから』

今は理性が勝っており、フレイアも森を焼き払う暴挙を行おうとは思っていなかった。
この森は彼女の食欲を支えるのに十分な狩り場であり、とても有益な土地だ。
それを失うのはとても大きな損失、そのはずだが苛立ちが限界を迎えれば、その価値が無になる。

このままでは、フレイアは目的のために森を焼き払うだろう。
見つからなければ全てを燃やし尽くすかも知れない。


一体、ライトはどこに行ったのか?
実は意外なところに、彼は潜んでいたのだった。



          ※    ※    ※





ーー  雨の森 ーー

今となっては、そぐわない名前の森。

その森の中で低く身を伏せながら、ライトは僅かに顔を上げ上空に目をやった。
森の切れ目から僅かに覗く空……そこに火竜・フレイアの姿を認めて慌てて頭を下げる。


「ふわぁぁ……まだいますよ」

下手に動くわけにも行かず、僅かな隙をついて相手の死角へ、死角へ……常に移動を繰り返す。

これが実に巧妙で、相手に自分の存在を気取らせない。
且つとても地道な努力として、ライトは伏せて移動しているた。
その御陰でライトは全身が泥まみれ……いや、これは自分で泥を浴びたのだ。
……どのみち彼の身体は衣服も含めて、火竜・フレイアが行った味見のせいで涎まみれになっている。
彼女の粘液質な涎は、土や落ち葉などを良く吸着してくれる御陰で、
竜の目ですら見破れないほど、隠密せいの高いなカモフラジューを施すことが出来たのだ。

そんな思いつく限りの知恵を絞り、時間を出来るだけ稼ぎながら、
ライトは命がけの鬼ごっこを乗り切ろうと苦心していた。


「はぁ……はぁ、絶対に見つかりませんよ」

見つかったらまず命がない。即座に食われて死という状況で手段など選んではいられない。
ライトは極度の緊張を感じていていた。

激しい動悸と息切れはその現れ……

これまでの数多くの冒険で、ライトは何度か死にかけた経験があった。
遺跡の中を探検するということは、常に危険と隣り合わせ。
罠にかかり重傷を負ったことも、陰険な罠で閉じこめられて、長い時間飲まず喰わずで過ごしたこともあった。

だが……これは彼の血に混じる獣人の遺伝のせいかもしれないが、
 
―― 喰われる ――

その単語が頭に浮かんだとき、異様な嫌悪感を感じたのだ。
あの長い舌にまた舐められるかと想像するだけで、ライトは身体の震えが止まらない。

さらにあの火竜は獲物を生きたまま丸呑みするのだ!

塔の最上階でライトは、火竜が獲物を呑み込む過程をまざまざと見せつけられていた。
一人の獣人が悲鳴をあげ、何も出来ずにあっさりと呑まれていく様を……
例えそれが自分の命を執拗に狙っていた相手だとしても、その悲惨な死に方を目にしては同情を感じてしまう。
同時にそれと同じ目に合うなど、ライトには考えられなかった。




”ギュ……ギュゥ”


「喰われて死ぬなんて……僕はごめ……んです……っ」

動悸を押さえつけるようにライトは少しだけ身を起こして、自分の身体を抱きしめる。



……暫くして、動悸が止まり呼吸が元に戻った。
ずっと抱きしめていた身体を解き、ライトは気取られないように上空を確認する。

空を遮るように森の木々の枝葉が生い茂っているが、
その僅かな割れ目から覗く危険な生き物。
今もライトを諦めずに森の上空を旋回している火竜の姿が、彼からはよく見えた。


「……いきますか、見つからないうちに」

少し長居をしすぎたと、ライトはその場から移動を再開する。

それにしてもライトは、いつまでこんな事を続けるつもりなのだろうか?
こんなペースでは火竜から逃れることなど出来はしないのに……

しかし、そんな疑問とは裏腹にライトはほぼ勝利を確信していた。
勝利とは勿論、火竜から完全に逃げ切ること……つまり火竜の追跡を振り切れるということ。
それは根拠のない自信ではなく、彼なりのある確信に基づいている。
その為に今は時間稼ぎをしなくてはならない。


……これまでのライトの逃げっぷりを見て分かって貰えるだろうが、彼は逃げの天才である。
その天才が苦心して編み出した策が、『雨を待つ』
実にシンプルだが、恐らく現状ではもっとも可能性が高い作戦だとライトは思っていた。

その理由は彼がエアボードを所持しているから。
だからこそ、空を飛ぶ……その最大の欠点も彼は知っていた。
確かに上空から探すのは、かなり効率がいい。
頭上を警戒しながら歩くのは、追われる者としてはとても大変なことだ。
その利点はライトも理解している。

しかし、雨が降るとその利点が消滅してしまう。
……特に視界が遮られるほどの雨に遭うと、飛行は非常に危険な行為になるのだ。

遮られた視界では、森の中に隠れている相手を見つけるなど至難の業であり、
むしろ眼下に気を取られていると、知らないうちに高度が下がれば墜落の危険もある上、
下手をすれば背の高い大木に激突することもあるだろう。

その事を自在に空を飛ぶ火竜が知らないわけがない。


「……十分でいいのです。そのまま見失っていてください」

それを過ぎれば、多少は前後しても必ず雨が降る。

雨が降れば、雨天時の飛行の危険性を知る火竜は撤退するはずだ……
あんな大きな竜が、すでに獲物を食べた後で、自分のような小さな獲物に固執するはずがない。

それが、ライトの考えだった。



だが、数分後……ライトの予想は早くも覆されることとなる。
すべてを焼き尽くす、火竜の炎が森を焼き払ったのだ。




       ※   ※   ※



ーー いない! いない! ーー

一向に姿を見せない獲物、それを探し回るフレイアの様子がかなり狂気を帯びてきた。
彼女の竜の目に宿るのは危険な怒りの色。
時には紅玉とも呼ばれるほど、彼女の瞳の全てが鮮やかな赤い色へと変色していく。
その色はとても希少で、すばらしく美しいといわれるが……
怒り狂った竜の紅玉を見て、生き残っているものは数少ない。

それに伴い、彼女の理性は怒りに追いやられ、衝動的な破壊衝動が湧き上がってくる。


『……どうやら、姿を見せるつもりはないようね』




”バサッ!”


火竜である彼女が、冷たさすら感じさせる声で呟いたかと思うと、
巨大な翼が激しく大気を打ち据えた。

フレイアの巨体が更に空高く持ち上がり、森全体が一望できるほどの高度まで駆け上る。


『ふふふ、坊やのせいよ。私をここまで追いつめる坊やが悪いんだから……』

遙かに下……百メートル以上も下に広がる広大な森をフレイアはジッと見つめた。
この森のどこかに自分を出し抜いた獲物が隠れている。

だが、それを探す時間が彼女には残されていない。
その理由は空にあった。


『……何処までも忌々しい雲ね』

空には視界を遮るモノ何もない。それ故に彼女の目にはそれがはっきりと見える。
今や空一面を覆い尽くす、厚い雲……雨の気配。
降り出すまでもうしばらく時間はありそうだが、これ以上手間取るわけにはいかなかった。


『ふふふ、できるだけ加減してあげるから、がんばって生き残りなさい』

まずはゆっくりと口を開ける。
浅く何度も息を吸い、吐き出すを繰り返すうちに吐息に炎が混じり始めた。

……先に誤解を解いておく。

火竜であるフレイアは炎の吐息を吐くことはできない。
これはこの世界の竜すべてに言えることだ。

フレイアの口元から漏れている炎の正体は、彼女の魔力。
竜の吐き出す様々な吐息(ブレス)と呼ばれる技は、すべて魔力による技である。

すべてを焼き付くす炎の吐息。
すべてを穿つ水の吐息。
すべてを蝕む毒の吐息。

これらはすべて魔法なのだ。
だからこそ、強大な魔力を持つ竜の吐息は防ぐことができない。


『……じゃあ、まずあの辺から』

狙いを定め、フレイアは練り上げた膨大な炎の魔力を咥内に集中し……それを吐き出す!
……途端に世界はまばゆい光に包まれた。

それも僅かな間のこと、すぐに森を覆い尽くすような炎が森に広がり、触れるもの全てを無に帰した。
手加減している様子などまるでなく、炎に触れるはしから森の木々が灰すら残らず消滅する。
魔力が続く限り消えることのない竜の吐息は、広範囲にわたって次々と森の木々を飲み込んでいくが、
不思議と彼女を中心とした一定の範囲を超えて燃え広がることはない。
これも竜の吐息が魔力の炎であることの証明だ。
完全に魔力で制御された炎は、彼女が狙いを定めた場所のみを焼き尽くし、
役目を終えると自ら消滅してしまう。

それほどの高温の炎を自在に操れるから、このようなことができる。
枝葉の生い茂る木々の上半分を燃やし尽くし、その中に隠れているものを見つけやすくするということが……


(さぁ、坊やはどこにいるの……?)

変わり果てた森の跡をフレイアは、上空からつぶさに見渡していった。
かなりの範囲に渡って随分と見通しが良くなっているが、その事に彼女は何ら罪悪感も抱いてないようだ。
ただ目当ての獲物を求めて、上空で旋回を続ける。

数十秒程度の地味な作業が続き、フレイアは何か違和感を地面に認めて旋回を止めた。


『んっ? ……あれは何かしら?』

だが、明らかな違和感……その場所に微妙にそぐわないものに彼女は視線を集中させる。
最初にそれを見留めたときは、単なる土の塊のように思えた。
それがしだいに動いているように見え始め、ついには人の形に見えるようになると……

急激に怒りが消えていき、変わりに全身が灼熱するような興奮に支配される。


『ふふ……見つけたわよ』

正確に土の塊の正体を見通した途端に、フレイアは歓喜に震えた。

見通しがよくなった森の木々の間に、捜し求めた獲物の姿が恐ろしいほどよく見える。
どうやら炎に気が付いて、素早く伏せて熱気から逃れたようだが、
こちらに背を向けている無防備なこの状況を逃すほどフレイアは愚かではない。




”バサバサッ!”


彼女は翼を何度か羽ばたかせると、下向きに姿勢を変え猛スピードで降下を始める。
重力も加わり速度が加速的に上昇するなか、フレイアはさらに翼の位置を調整し流線型に姿勢を変え、
全体的な空気抵抗が減少し、加速力が更に増す!

より速度が増した彼女は瞬く間に獲物へと接近。
そして、地面に激突する間際にフレイアは急激な減速を行った。



”バフゥゥゥウウウ!!”


急制動のために魔力を付加した翼が打ち下ろされ、巻き起こす風圧の轟音がそのあとに続き、
間髪入れずに竜巻のような突風が周囲をなぎ払う。
何本かの木々が根から倒れ、辺りにさらなる破壊をまき散らすと、ついでに獲物の悲鳴まで森に響き渡った。


「ふわぁぁぁぁ! な、何なんですかーー!!!」 

這い蹲った姿勢でいたとは言え、それほどの突風に体重の軽いライトが抗えるはずもない。
地面から引きはがされ、吹き飛ばされると二転三転と転がり続け……


「あでっ!」

半分に燃え尽きた大木にぶつかり、ようやく制止する。

その傍にフレイアは地響きすらさせず、静かに大地に降り立つと、
表現しがたい体勢で、目を回している自分の獲物にフレイアは優しく声を投げかけた。


『ふふふ、坊や……ねぇ、大丈夫なの?』
「は、はいぃぃ〜だいじょうぶでふぅ〜???」
『ほら、しっかりしなさい……』

明らかに呂律が回っていない。
そんなライトにフレイアは己の尻尾の先を差し出した。


「はひぃ〜」

するとライトはそれに捕まりヨロヨロと立ち上がった。
まるで無防備……そんなライトの姿に猛々しく高ぶる竜の本能が……貪欲な食欲が、
今すぐ獲物を食らえとフレイアを責め立ている。

その影響を受け、紅玉とかしていたフレイアの瞳はますます鮮やかさを増していった。


『ああ……今すぐ坊やを食べてしまいたい』
「ふええ〜?」




”ベロリッ”


「ふひゃあっ! 何を……ふあっ!!」
『ようやくお目覚めかしら、随分と手間取ったけど追い駆けっこはこれで終わりよ』

味見の記憶を呼び起こすフレイアの一舐めが、ライトの正気を瞬時に引き戻す。
頭の巡りの良いライトは、直ぐに自分の状況を理解し逃げようとするが……それより先にフレイアが釘を刺した。
さらに彼女の前足が覆い被さるようにして、ライトの身体をその場に固定する。


「あぅ……逃がしてはくれないのですね」
『本当なら坊やと、もう少し遊んであげても良かったんだけど、
 早くしないと無粋な邪魔が入るから、そう言うわけにも行かないのよ』
「……わ、分かりました。僕も……覚悟を決めましたよ」

潔いセリフを呟いて、ライトはギュッと目を閉じた。


『何を企んでも無駄よ、そんな体勢じゃ何も出来ないでしょう?』
「な、何も企んでませんよ!」
『本当かしら、嘘つきな坊や…………ん……ぐっ』

余りにも素直すぎて一度騙されたこともあり、フレイアは逆に少し警戒心を抱くと……
獲物の思惑を見透かすため、息が吐きかかるほど近くまで顔を寄せ、柔らかそうな獲物の身体をやんわりと噛んだ。


「ひっ! ……う……ぅっ……ぁぅっ…………」
『動いたら余計に食い込むわよ?』

フレイアの牙は恐ろしく鋭い、下手に触るだけで皮膚が切り裂かれそうなほど。
その辺は普通の肉食の生き物と変わらないが、犬歯に当たる上顎の二本の牙が異様に細長くなっており、
まるで毒蛇のそれのような形状をしている。

その二本の牙が、ライトの身体に食い込んでいた。
後一押しで牙が皮膚を突き破る……いや、僅かに血が滲む程度のギリギリの力加減だ。


『……本当に逃げないのね』
「……っ……あっ!」

これでも逃げる様子を見せない獲物の様子に、フレイアは牙を獲物の身体から離した。
さすがに拘束する手を緩めはしないが、彼女には抵抗しない獲物を必要以上に痛めつけるつもりはない。


「……ひぁ、酷いっ……ですよ」
『自業自得よ……坊やには一度騙されてるから。
 でも、本当に覚悟を決めたみたいだから、苦しまないように優しく食べてあげる……』

傷を付けたせめてもの謝罪としてフレイアは、ライトをひと思いに丸呑みにするつもりだ。
驚くことに自然と顎が外れ、フレイアの口が更に一回り大きく開く。
これなら牙に引っかかることもなく、ライトを簡単に呑み込んでしまえるはずだ。

さすがにこの状態で喋ることは出来ず、フレイアは心の中でライトにあの言葉を贈った。


(ふふふ、坊や……頂きます!)

頭部を軽く揺らすように後ろに引き、戻る動きに合わせて一気にフレイアは顔を獲物へと寄せる。




”ピンッ!”


そこへ……僅かに動く手首の力だけで、ライトはあるモノを投げ上げた。
フレイアが頭を引いたことにより、丁度二人の中間点に滞空する。


(えっ?)

初めてそれを見るフレイアは、それが何なのか分からなかった。
それに対してライトは、頑なに目を閉じて……時を待つ。

そして、最後の閃光弾は爆発的な光を解き放ち、フレイアの目は光に焼かれ白に染まった。



          ※   ※   ※



『キシャァアアアア!』

初めて味わう焼けるような痛みに、火竜・フレイアは我を忘れたように絶叫していた。
彼女の瞳は人の十数倍の視力を誇る竜眼である。
閃光によって受けたダメージは、ライトの想像以上の効力を発揮してくれた。

捕らえた獲物の存在を忘れ、のたうち回る彼女の苦しみが。
竜が発する悲痛な咆吼がそれを知らしめている。


『グガッ! ギャウゥゥ!!』
「これが僕の決めた覚悟です! 絶対に逃げ切って見せますから!」

拘束から解き放たれ、素早くその場から這い出たライトはそれだけを言い切ると、全力で走り出す。
今度は絶対に捕まってはならない。
捕まったら無慈悲の元に火竜・フレイアはライトを喰らうだろう。
下手をすれば食べる前に、殺されるかも知れない……その覚悟の上での行動。

つまり真に火竜の怒りを買ってしまう覚悟をライトは決めたのだ。
だが、逃げ切れるかは正直……五分五分。

カモフラージュを高めるために、先の最後の切り札であった閃光弾を除いて、
全ての荷物を別の場所に隠して置いてきたのだ。
もはや、ライトにはピンチを切り抜けるための心強い道具がない。
体が動き続ける限り全力で逃げる。

全てを出し尽くし、生き残るためにライトは最後の鬼ごっこへと身を投じたのだった。



          ※    ※    ※



『まっ……待ちなさい!!』

逃げ去る足音を耳にしながら、フレイアは立ち上がることが出来なかった。
全身が沸騰しそうなほど怒りが沸き立つが、平衡感覚を奪われ身体が言うことを聞かない。
涙が溢れる目を何度も擦り、蹲り……フレイアはひたすら視力が回復に努めなければならなかった。

しかし、その間にも獲物の足音は遠ざかっていく。
……待てるはずがなかった。


『逃がさない……あの坊や、絶対に逃がさないわ!』

フレイアは目を閉じたまま、ふらつく身体を意志の力でねじ伏せて立ち上がる。
閃光で受けた目のダメージは抜け、痛みはすでに無いが、未だに彼女の視力は光を取り戻せてはいない。
だが、相手がどちらに逃げたのかは分かった。

目はなくとも、彼女にはまだ鼻があり、耳がある。
逃げ出した獲物の身体に付着した彼女の唾液の匂い、がむしゃらに逃げる足音は追い掛けるには十分だ。
ただし、空を飛ぶわけにはいかない。
翼が巻き起こす突風が匂いと音をかき消してしまうからだ。

ならば走ればいい。


『グルゥゥ!』

唸り声をあげながら四肢に力を込めると、次の瞬間にはフレイアの巨体が加速する

平衡感覚を失っていても、彼女の走りは恐ろしく早かった。
強靱な足腰、さらに鋭いかぎ爪が、どんな場所でも巧みに大地を捕らえ加速を手助けする。
初速ですでに人が走るよりも速く、力づくの加速でぐんぐんと速度を上げ、
まるで視力が回復していないというのに、その健脚には怯えも戸惑いもない。

瞬く間にフレイアは最高速の時速五十キロへと達した。
立ち直るのが早かったためか、二人の距離はみるみる間につまり、フレイアは獲物を元へと追いつく!


「ふわぁああ! な、何で目が見えないはずですよ!」
『甘いわよ坊や、目を潰されたぐらいで竜は獲物を諦めたりはしないわ!
 それに悪戯が過ぎた子にはお仕置きが必要よ!』
「いい加減に諦めてくださいよ!!」

必死の形相でライトが後ろを振り向く余裕もなく走っているが、速度は圧倒的にフレイアに分があり、
森に逃げ込もうにもその森は広範囲にわたって、彼女の炎に焼き払われている。
さらにこの速度差だ……どうしようもない。


『ふふふ、追いついたわよ!』

完全に追いついたフレイアの荒々しい息が、ライトの後ろ髪を揺らす。


「ひぃっ……あっ!」




”ベシャ!”


間近に迫る死の気配にライトは限界を超えて、更に速く走ろうとしていきなり躓くように転けた。
木の根に足を引っかけたような転び方だったが、それにしては様子がおかしい。
立ち上がろうとしても立ち上がれないでいるのだ。
よく見れば両足とも酷い痙攣を起こしており、筋肉がパンパンに張っている。
どうやらこれまでの度重なる足の酷使によって、ライトの足はついに限界を迎えてしまったようだ。

もはや走ることは叶うまい、ライトの運命は決した。

フレイアは動けなくなり這い蹲る獲物の元へ……傍まで歩み寄ると、
今まで閉ざされていた目を見開き、視力の回復した彼女の紅玉の瞳がライトを見据える。


『……もう、逃げないのかしら?』
「……ぼ、、、、僕なんか食べても、美味しくないですよ……?」




”ベロリ”


ありきたりな命乞いを黙らせるため、フレイアは獲物の身体を味見した。
確かに泥の味はいただけないが、数回味見してやればすぐに獲物の味が姿を現して舌を楽しませてくれる。


「ふわぁ……ぁぁ……」
『嘘はだめよこんなに美味しいじゃない』

勿論これだけで許すつもりはない。

舐めると言うより、舌を思いっきり押し付けるようなやり方で、味見を進め獲物から無理やり味を奪い取る。
休む間もなく何度も続き、ライトが纏っていた邪魔な泥をあらかた剥ぎ取ってしまうが、
剥ぎ取られたのは泥だけではなかった。

押し付けるように舌を這わせる味見で、何度も舌がライトの服の上を往復している最中に、
ブチッと何が千切れる音がする。千切れたのライトの上着のボタン。
フレイアの舌は肉厚で弾力に揉んでおり、舐められてもさほど痛みはないが、
こうして何度も舐められるとボタンの強度が持たなかったようだ。

物音には構わずフレイアが更に舌を這わすと、ボタンの千切れた胸元がしだいにはだけていく。
涎の滴る舌は必然と、はだけた胸元の地肌にまで這い回った。


「……あぅ……や、、、やめて……ひゃぅ……くださいっ!」

ライトにしてはこうして、フレイアに味見をされるのは二度目だ。
しかし、以前の味見は顔などを舐められただけ、衣服に守られた胴体はそれほど舐められたりはしなかった。

……今度はそうはいかない。




”ジュルッ”


舌が蛇のような動きを見せ、スルリと胸元から服の下へ……
味見でフレイアも興奮しているのか、灼熱するように熱いそれは獲物の着ている服の下で蠢いた。


「ふわぁあああ!」
『んふ、暴れたらだめっ』
「ふぐっ……んんぁ!!」

身体を左右に捻り、服の下で暴れる舌を押さえつけようとライトは必死に身体を抱きしめる。
それを押さえつけようとフレイアも、更に舌を動かしているようだ。

果たして服の下でどのような攻防が繰り広げられているのか……




しばらくすると、フレイアが舌を引き抜いた。


「……あっ……はぁ、はぁ」

抜け出た瞬間にライトの身体が僅かに震え、抜け出た彼の胸元からは比喩ではなく文字通り、
ジュルジュルと音を立て唾液が糸を引いている。
もはや身体を動かす力もなく、息絶え絶えの様子だが、それはフレイアも同じだ。

違うのは彼女は興奮で息が荒いと言うことだけ……


『はぁ、はぁ……ふふふ、美味しかったわよ』

顔を寄せているフレイアの口元も、涎の汚れが酷く凄い匂いをさせている。
だが、あまり汚れを気にしない彼女は構わず続けた。


『……よく頑張ったわね。今度は私の胃袋の中でしっかりと反省してきなさい』
「はぁ……うっ……!」
『ああ、これでようやく坊やを食べられる……』

思わずライトが目を背けた理由は、彼女の口元から発せられる涎の臭気のせいか、
はたまた興奮に熱せられた灼熱の吐息のせいなのか……
今度は無駄に大きく口を開けるような手心は加えず、姿を見せた肉厚の舌がライトの首に巻き付いていった。
その舌にライトは、無意識に抵抗しようとして手をかける。


「んっ…………んぁっ……はぁ……はぁ……」
『んんっ……』

だが、手には殆ど力が込められておらず、どれほど伸びるのかライトの首を一周しても、
まだまだ這い出してくる舌が粘つくような水音を響かせていた。

ついには二、三周出来そうなほど舌を伸ばしたが、それでもフレイアにはまだ若干の余裕を残す感じで見受けられる。
推定でも頭部の大きさの数倍以上。
これは彼女の体格から考えても恐ろしく長い舌だ。


「……ぁっ……やめ……さ…………い」

当然それだけ巻き付けば、締め付けてくる舌にライトの呼吸は妨げられてしまう。
弱々しい力と声でそれに抗うが、脱することは不可能である。

このあとは舌を引き込み、獲物を頬張るのかと思われたがフレイアには別の思惑があるようで、
そうはせずに舌を巻き付けたまま、急激に二本足の姿勢に移行。
獲物ごと頭部を力強く振り上げ、フレイアは綺麗に直立して真上を向いた。
その反動で舌が撓っていき、緩やかに拘束を解きながらライトを真上へと放り投げてしまう。
あとは、落ちてくる獲物を待ちかまえるように彼女が口を開く。

かなりの力業だが、フレイアは落ちてきたところを丸呑みにするつもりのようだ。


「ひぃっ! ふぁぁああああ!!!!!」

しかも、投げ方が悪かったのか、それとも意図的か強い回転が加わっており、
どこにこれだけの力が残されていたかと思うほど、ライトの死期を孕んだ悲鳴が絶叫が辺りに響き渡る。
すぐに重力に捕まり高速で真下に開いた巨大な口へと、落下を始める彼の視界は涙で掠れ……

落ちてくる獲物を待ちかまえるフレイアは、軽く舌なめずりをして彼を迎え入れる。
そして、ライトは頭からではなく、足からフレイアの口の中へと滑り込んだ。


『ふふふ、いただきまーす!』




”バグゥッ!”


タイミングを完璧に捕らえたフレイアが素早く口を閉じ、
食われた獲物は体を襲う強い衝撃に晒され、柔らかな口内の肉壁に挟み込まれてしまう。


「ふあぁっ、くぅぅ……っ!」

かなり落下の勢いを殺されたが、それでも完全には止まらずライトはズルズルと更に奥へと落ちていくのを
自らの身体が口内の肉壁に擦れていくことで感じ、反射的に目の前のそれを抱きしめる!


『ふぐっ……んんっ!』
「んくっ……ふぁぁぁっ…!?」

目の前のそれとはフレイアの舌。
まさかそんな抵抗をしてくるとは思っていなかったのか、フレイアが口と喉に思わず手を当てて呻き声を上げる。

しかし、なりふり構っていられないライトは、全力で高温の火竜の舌にしがみつき、
それでようやく落下は完全に止めることが出来た……が、
次の瞬間には今まで感じたことのないおぞましいモノが、彼の下半身を包み込んだ。
狭い口内の中だから、いくら小柄なライトでもそれを見ることは出来ない。

……いや、むしろ見れない方がいいのだろう。

頭まで完全に口に入り込んだライトは、すでに下半身までフレイアの喉の中へと入り込み、
蠕動を繰り返す食道に包まれていたのだから……


ただ、さすがに両者ともこの状態で何時までもいるわけには行かない。


『んふっ……往生際が悪いわよ?』
「ひゃっ! 喋らないでくださ、あぶぅ……うぁぁん……」
『あら、意外としぶとい……』

フレイアが喋る度に蠢く舌に軽く愛撫され、思わず唾液でも飲み込んだのかライトが咽せるように喘ぐ。
するとフレイアは面白がって、ますます舌を揺り動かし振り落とそうとする。

何時でもこんな風に遊びたがるのは彼女の悪い癖だ。
彼女の言い分としては、ちょっとしたお遊びで楽しんでいる間は、命乞いをしていた獲物も、
少しは寿命が延びて喜ぶことだろう……と、何時もそんなことを思いつつ、
そろそろ遊びに飽きてきた彼女が喉を鳴らした。




”ゴクッ!”


急激に喉の筋肉が収縮し、ライトを引きずり込もうと蠢いてフレイアの喉が大きく動く。
その動きに従って喉の膨らみが若干滑るように動いたように見えた。


「…………うっ!」
『ふふふ、悲鳴をあげる余裕もないの?』

フレイアは獲物の最後の抵抗を楽しみながら、何度でも喉を鳴らす。

その度に彼女の強く舌にしがみつく獲物の細腕、灼熱の胃袋へと続く喉の中で感じる両足の僅かな足掻きは、
ライトの最後の抵抗だが、いくら必死に呑み込まれるのを堪えようとしても、人には体力の限界がある。
それにフレイアの体内は常に高温で長時間触れる事を妨げ、粘つく筈の唾液はこんな時に限って手を滑らせた。

徐々にだが、確実にライトの両腕は舌から剥がれていき、
その分だけフレイアの喉の膨らみが体内へと滑り落ちていく。


……この時、ライトは諦めというものを心に抱いてしまった。



          ※    ※    ※



すでに殆ど伸びきった腕は、辛うじて舌の付け根に引っかているだけ。
随分と遠くなってしまった外の光を、火竜・フレイアの口内から見つめながらライトは呟いた。


「はぁ、はぁ……ふあっ……もう、だめ…………です」

どんな絶望的な状況でも、ライトは今まで完全に諦めたことはなかった。
諦めを口で呟きながらも常に状況を打開するため、冷静に頭を巡らせて生き延びてきたのに……

『早く楽になりたい』と、完全に心を折られてしまった。

外に見える光が霞んで見えるのは、ライトが泣いているせいか、それとも滴る涎のせいなのかも分からない。
後は手を離すだけで、グイグイと身体を引きずり込もうとする喉の筋肉が、
彼を呑み込んで全てを終わらせてくれるだろう。
その後は、火竜・フレイアの灼熱の胃袋が、優しく彼を抱いて全てを溶かしてくれるはずだ。

そうなればもう苦しまなくてもいい……

しかし、ライトはそれでも手を離そうとはしなかった。
心は折れたのに、今まで生き抜いてきた彼の身体はまだ諦めていないのだ。

生きよう……生きようと諦めた心に反して足掻き続ける。


「あはは……どうして、こんな事になったんでしょう?」

ライトは泣きながら笑った。
心は諦めたのに、身体は生きろと自分を叱咤する。

わけが分からない……だが、火竜の喉は無慈悲に音を鳴らす。




”ゴクッ”


「ふあぁっ!」

喉が鳴ると同時に完全に腕が伸びきった。
ここまで来ると止めようがない。弾力のある舌から指が剥がれていく……後は何もしなくても、
ライトは肉の洞窟へと吸い込まれてしまうだろう。

だが、それでも身体は足掻く。
最後の引っかかりを探して指が、口内の肉壁をつかみ取ろうとする。


「あぅ……はぁ……はぁ、どうして……僕は」

終わりたいと望んでいるはずなのに……矛盾する心と体。


……だから、火竜・フレイアが全てを終わらせた。
周囲にも分かるほど力強く喉を鳴らし、早く入ってこいとライトを体内へと招き入れる。




”ゴクゥッ!”


「……ああっ……ん!」

心と体が分離していたライトには、それに抗うことが出来なかった。
ついに手が指が舌から引きはがされ……火竜・フレイアの食事を妨げるモノは何もなくなる。


「んんぅっ……ふぁぁ……」

安らぎを求めてライトは喘ぎ、喉の中へと吸い込まれるように落ちていった。
すでに胸元まで呑まれていたから、残りはあっと言う間だ。
一番出っ張っている肩が喉に入り込むと、頭、腕と続き指先まで呑み込まれていく。


(……ぁ……これでやっと)

視界は完全に闇に閉ざされ、光のない肉の洞窟の中では暗視すら役に立たない。
だから、ライトは目を閉じる。
火竜・フレイアに呑み込まれた他の犠牲者達と同様に意識を手放そうとした……が、彼がいくらそれを望んでも、
生を渇望する肉体が邪魔をして、意識を呑み込む闇が訪れることはなかった。


それでも心が折れたライトにはさほど問題ではない。

狭い喉の肉壁の蠕動で、強く身体を揉み潰されても……
口内よりも熱く高温な体内へと、入り込んでいっても……

何も感じず、何も思わず、ライトは火竜・フレイアの胃袋の中へと入り込んだのだった。



          ※    ※    ※







”ゴクリッ!”


『ん……ふぅ……ご馳走様』

喉を下っていくライトには届くことはない呟きをフレイアは漏らす。

後は胃袋の中に獲物がしっかりと入り込むまで、じっと動かず膨らみの動きを目で追い掛けていた。
喉を膨らませジュルリ、ジュルリと響く音と、その喉越しに身体が震えている。

普段のフレイアなら、ここまで食事に時間をかけない。
彼女にとって食事とはそのままの意味である。
軽く味見した後に喉の中へ通せば、餌ごときがどうなるのか興味を抱くことはもう無い。


しかし、今回の獲物は違った。

追い掛けて、追い掛けてようやく手に入れた獲物の味、生きようとする足掻きの全てがフレイアを興奮させ、
それをあざ笑うかのように無理やり呑み込んだ瞬間。
素晴らしい幸福感が彼女を包んでくれた。

そして、その獲物は今し方フレイアの糧となり、彼女のお腹を僅かに膨らませている。


『すごい、この感じ……本当に美味しかったわ』

感極まるというものを生まれて初めて、フレイアは感じたような気がした。
無意識に優しくお腹を撫で回し、満足行くまで揉み込むと、ゆっくりと姿勢を戻していく、
お腹を揺らさないように静かに四足歩行へ。

出来るだけ消化を遅らせて、この幸福感を長く感じるために……


『……ふぅ、少し疲れたわね』

フレイアがそう洩らすのも仕方がない。

獲物を追い掛けて、塔の外へと飛び出してから優に三十分は経っている。
いつもの狩りとは違い、逃げまどう獲物の激しい抵抗が彼女の体力を激しく消耗させた。
速度重視の狩りをするフレイアは、竜にしては体力が少ないのである。

遊びとはいえ獲物を取り逃がすと時間がかかるのはこのためだ。


『帰りましょう……あとは寝床で……』

言いながらフレイアは塔へと踵を返すと、翼を広げた。
お腹を揺らさないように気を使っているので、少々動きが鈍くなっている。


そこへ、ついに……あれが来てしまった。




”ピチャっ ピチャッ”


『えっ? ま、まさか?!』

身体を打つおぞましい気配。視界を過ぎる無数の水滴にフレイアは素早く頭上を見上げた。
空には変わらず一面の雲。
しかし、先ほどまでとは様相が一変している。
後続の大量の水分を蓄え終えた雨雲が到着し、空を更に分厚く覆い尽くしていたのだ。
オマケに雷まで連れてきたのか、凄まじい稲光を響かせて。


……だが、遅すぎた。
雨を待ち望んでいた当人はすでにフレイアの胃袋の中である。
これでは何の意味もない。




しかし、フレイアは思いがけないほど過剰な反応を見せる。


『ひぃっ!』

しだいに粒の大きな雨粒が降り始めたことで、フレイアがあからさまに狼狽える。
雷雲を見つめるその顔が恐怖に引きつり、怯え方が尋常ではない。
たかが雨ごときで、竜がどうしてここまで怯えるのだろうか?

それはフレイアが火竜だからだ。

火竜の体内に秘める膨大な火の魔力、通常は竜の吐息など強力な魔法に使われる様に思われるが、
むしろそれらは汎用的な使い方であり、実際にはこれら膨大な魔力は、彼女らの肉体の維持に使われている。

巨体を誇る彼女らが食物でそれを維持しようとすると、膨大な食料を必要とする事は、
フレイアの食べっぷりを見ればよく分かるだろう。
あの様な事を続けていては、いくら食物があっても足りはしない。
そのため火竜だけではなく多くの竜は、自身の魔力を消費して肉体の維持に努めている。
勿論、適度な食事は必要だが、魔力の消費を併用するだけで格段に身体の維持が容易となるのだ。


ならばその無尽蔵の魔力をどこから得ているのかと言うことになるが、答えは簡単。
彼女たちが住むその場所から。

火の魔力を求めるなら、火山や砂漠など、気温の高いところ。
水の魔力を求めるなら、湖や海など水の多いところ。
風の魔力を求めるなら、山岳や高地など風の強いところ。

このように自然から発生するそれらは属性をもち、土地によって大きく変化する。
つまり自然の全てには何らかの属性が秘められていると言うことだ。

……すなわち、単なる雨にも。




”ボタ…ボタ……ザアァァァァァ!!”


ついに本格的に降り出した雨がふりだし、
フレイアの高温の肌に触れる端から、水蒸気となって白く彼女の周囲に渦巻いていく。


『いやぁぁあ、早くしないと……っ!』

周囲を取り巻いた強い水の気配にフレイアは、悲鳴をあげて塔を目指し空へと舞い上がった。
だが、すでに飛んで塔へと逃げ帰るのも難しい状況。
フレイアの翼を持って、全力で塔を目指したとしても降り注ぐ雨からは逃れられない。

水の魔力を秘める雨粒は、相反する火の魔力を打ち消してしまうのだ。
命の源でもある彼女の火の魔力が、雨の水の魔力とぶつかり次々と溶けるように減衰していく。


『あっ……くぅ……』

半ばも飛ばないうちに、フレイアの飛行速度が目に見えて落ちてきた。
真っ直ぐに飛ぶことも出来なくなり、激しく蛇行すると不時着するような形で地面に降り立ち、
崩れ落ちるように前のめりに倒れ込んだ。

泥と水飛沫が舞い散り、フレイアは無惨な姿を晒す。
それほどまでに降り注ぐ大量の雨が、フレイアから力を奪い去っているのだ。
いくらフレイアが無尽蔵の魔力を蓄えていても、あくまでも彼女は個……一匹の生き物でしかない。
大自然の起こす雨が内包する魔力は彼女のそれを圧倒した。

まだ、森の木々が存在していれば、ある程度雨を防いでくれたのだろうが、
フレイアは自らそれを焼き払っている。


『はぁ、はぁ……あと、もう少し……』

震える身体を叱咤して、フレイアは再び立ち上がり歩き始める。
辿々しい足取りからは、獲物を追いつめるあの力強い姿がまるで見受けられない。

……そして、立ち止まり蹲った。




”ドチャッ!”


『……だめ、力が入らなくなってきたわ』

再び泥と水たまりの中に身を埋め、今度こそフレイアは動けなくなった。
こうなると、多くの魔力を消費してしまう竜の吐息まで、使ってしまったことを後悔するが今更それも遅い。

……彼女は、フレイアは時間をかけすぎたのだ。

あれほど雨を気にかけていたのに、思わぬ獲物の反抗で我を忘れ、
獲物を食べることに固執してしまった。
フレイアがライトの味見を済ませた時点で、この雷雲は空を覆っていたのである
それに最近のフレイアは、塔を訪れる多くの獲物を狩ることに時間を費やし、
魔力を蓄えるどころか激しく消費を続けていた。

……こうなったのも、全てフレイア自身の責任である。

助けを求めようにも、他の生き物を餌としか考えず、喰らってきた彼女には友達などいない。
自力で何とかするしかないのだ。

しかし、体が動かない。
足も翼も何もかも動かす為の力が、雨に溶かされてしまう。


『何で私がこんな目に……』

全てを食い荒らしていた火竜が涙する。
命の危機に瀕して、本来なら誇りを持って死ねるつもりでいたが……
こんな死に方をするなど情けなかった。


『ぐっ……な……ゲフッ!』

突如、胸にまで込み上げる不快感にフレイアは激しく噎せ返った。
大きな咳を繰り返す彼女の口からは、唾液と一緒に強い刺激臭がする液体が吐き出されてくる。
身体が弱り切ったことで、強靱な彼女の胃袋も食べ物を受け付けなったのだ。
胃袋は痙攣を起こし、収縮して内容物を吐き出そうとフレイアに強く働きかけていく。

しばらくすると、腹部の膨らみが迫り上がるように喉へと登り始めた。


『あぐぅ……うぅ…………』

ますます大量の体液が、フレイアの口から溢れだしてくるが、彼女にはそれを押し止める力もない。
強い不快感と嘔吐感に促されるまま、彼女は獲物を吐き戻した。




”ぐぐっ……グバッ!”


一瞬だけフレイアの頬が膨らみ、口の中から大量の体液と共に呑み込まれていた獲物……ライトが滑り落ちてくる。
数分とはいえ、彼女の胃袋に収まっていたのだから、無事で済むとは思えないが……
驚くことに、まだ意識があるようなのだ。


「…………うっ」

フレイアに負けず、遅い動きでライトが身を起こしていく。
戸惑うように周囲を見渡す彼の虚ろな目が、やがて傍に倒れ込んでいたフレイアを捉えた。


「ふあぁっ……ど、どうして?!」
『お願い……たす…………』

悲鳴をあげ後ずさるライトの姿に、フレイアは思わず助けを求めようとして止めた。
あんな小さな生き物が、どうやって自分を助ける事が出来るのか思い浮かばなかったからだ。
そもそも喰らおうとした張本人を助ける理由がない。
何処か諦めが心をよぎると、こうして一度食べた相手に看取られて逝くのも一つの生き様のような気がした。
そして、彼女は物言わず闇に意識を呑まれ死ぬ。

……死んだつもりだった。


<2011/06/15 23:03 F>消しゴム
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