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【保】動かないからだ − 旧・小説投稿所A

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【保】動かないからだ

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不気味な夜の帰り道、虫の鳴き声だけが響く静けさがひたすら恐怖を煽る。
真っ暗で視界が狭まり道を歩く足がおぼつかない。

イタズラ好きの風が気まぐれに、周囲の藪をガサガサと揺らしたときなんか心臓が口から飛び出そうだ。


”ガサ……ガサ”


そんな僕を弄ぶかのように、風が不定期に藪をざわめかせる。
本当に意地悪な風だけど、その度に驚いてしまう僕自身もかなり情けなかった。
それもこれもちょっと前に見たあれのせい……

あれとは巨大なアーボの抜け殻だ。

カサカサに乾いて朽ちていたけど、あの抜け殻だけで最低でも僕と同じぐらいの大きさ。
あの朽ち方からして随分昔の筈だから、
今ではどれだけ巨大なアーボになっていることか想像も付かない……
そんな相手に出会ってしまったら大変だ。
まず勝ち目は無いだろうし、逃げ切る自信もまるでなかった。

どうして僕は美味しい木の実の噂に釣られて、こんな森の奥に来てしまったんだろう……
あの抜け殻を見たときから僕は後悔してばかりだ。


……早く森を抜けてしまおう


そうすればこんな不気味で危険な森とはおさらばできるし、いちいち怯えずにもすむ。
ずっと歩き通しだったから疲れているけど、僕はもう少し足を速める事にした。


”ガサッ!”


……けれど、不意に響いた物音に僕の足は止まってしまう。
またも藪をざわめかせる意地悪な風……最初はそう思ったけど、何かが違う感じがする。
まるで誰かに見られているような視線を感じるんだ。

とても嫌な予感がして、揺れた藪に恐る恐る目をやると……やはり何かがいた。
暗いせいでよく分からないけど、藪の上に爛々と輝く目が見える。


そして、漂う獣の匂い。

この匂いを漂わせる相手は、大抵肉食の生き物。
僕は怯えを押し殺し、鳴き声を上げて牽制しながら身構えて、相手の出方をうかがう。
もちろん相手がこれで立ち去らなければ、尻尾を巻いて逃げ出す算段だ。

出来ることなら、これで立ち去って欲しい……

そんな僕の願いとは裏腹に、藪に身を潜めている者は立ち去ろうとはしない。
身構えたことが逆効果になってしまった。
同じように僕を威嚇するような『シャー』という、呼吸音にも似た声が響く!

最初から僕を襲う気だったのかは分からないけど、僕の軽率な威嚇が相手を刺激してしまったようだ。
ズルズルと何かが這う音がして、何者かが藪の中から這い出してくる。

相手の全貌をようやく目に入れて、僕は総毛立つ恐怖を覚えた。


生い茂る藪の中から這い出してきたのは、僕よりもずっと大きくて紫の鱗で覆われた身体をしている、
『アーボ』という蛇の姿をしたポケモンだった。

最悪の事態だ……恐れた相手に出会ってしまった。


見上げるほど大きな体を擡げて、僕を睨んでいるアーボは間違いなくあの抜け殻の主。
太い胴体は通常のアーボの何倍も太く、巻き付かれたらひとたまりもない。
それだけでも驚異なのに、コイツは僕を見て舌なめずりをしている。
ネットリと涎が絡んだ舌はとても不気味で、半開きに開かれた口は僕をひと呑みに出来そうだ。

戦うなんて論外、直ぐに捕まって食べられてしまう。
僕はもうアーボの姿を見ただけで、完全に気圧されてしまっていた。


……逃げなくちゃ、隙を見て出来るだけ早く!


一歩……二歩と後ずさり僕はアーボとできるだけ距離を取る。

そんな僕を見てアーボは笑うだけで追いかけようとはしない。ずっと僕を見ているだけだ。
見逃してくれるのかなと甘い考えが僕の脳裏をよぎる。

それは浅はかで甘い考えだった。


”ピリッ!”


言葉では言い表せない衝撃が、電流の様に僕の体を駆け抜ける。

何をされたのかまったく分からない。正体不明の攻撃を受けて頭の中が激しく混乱した。
とにかく逃げようと身体に力を込めても体が動かせず、
全身がピリピリとした感覚に縛られていて、まるで自分の体じゃないようだ。


”ズルズル”


ようやく一歩二歩と歩いたところで、後ろから何かが這いずる音が聞こえてきた。
……アーボが這い寄ってくる音だ。
痺れる身体に鞭を打ち振り返ると、僕を嘲るようにアーボは悠々と笑みを浮かべ、此方へ這い寄ってきていた。
怪しく輝く赤いアーボの目の光に僕はようやく思い至る。

『蛇睨み』

見つめた相手をその名の通り、蛇に睨まれたカエルのように動きを拘束する技。
すでに僕はその技にかかり、マヒの状態異常にかかっていたのだ。

この時、僕は理解した。

どうしてアーボは逃げようとする僕を追わなかったのかを……追いかける必要が無かったんだ。
こうすればどんな相手も鈍重な獲物に早変わりするんだから。
そして、最悪なのが獲物がそれを理解した時には、すでに手遅れということである。
蛇睨みで捕らえた後はなおさら急ぐ必要がアーボにはない。

じわりじわりと這い寄られる恐怖に震え、今の僕のように涙を流す獲物には耐え難い時間が続くことだろう。
その恐怖に耐えられず、僕は固く目を瞑ってしまった。


”ズル…ズルズル……………”


極度の緊張で鋭敏に研ぎ澄まされていた僕の耳から、ずっと聞こえていた這いずる音が聞こえなくなる。
けれどちりつく肌が、アーボが直ぐ近くにいると教えてくれた。

僕の目の前であの大きな口を開いて、今にも僕を丸呑みにしようとしているのだろうか?





…………とても静かな時間だけが過ぎる。
無駄に過ぎていく沈黙の時間に、目を閉じて暗闇の中にいた僕は思わず目を開いてしまった。


そして、直ぐに後悔する。

アーボはいた。僕の直ぐ傍に……
首もまともに動かせずにいる僕の視界の端で、アーボが美味しそうな者を見る目で僕を見つめている。
瞳孔が縦に裂けた黄色い瞳にシャワーズである僕を映し出し、舌なめずりをしながら……

コイツは……このアーボは、あえて僕が目を開くのを待っていたんだ。
間近でこぼれ落ちる涎を見て、涙を溢し悲鳴をあげる僕の姿を見たいが為にわざと。


……嫌だ、こんなのって!


助ける求める声も声帯がマヒしたように掠れて消えてしまう。
まるで口の筋肉までマヒしたような錯覚を覚えた。

アーボの蛇睨み意外にも、僕を縛っているもの……それは恐怖だった。

それがより僕の体を縛り、身動きを封じてしまっている。
アーボにとって僕はさぞかし狩るのが楽な獲物に見えていることだろう。
そのアーボはもう僕の目の前にいる。
僕の周囲を取り巻くように長い体を這わせ、吐き出す獣臭い息が肌にかかるほど近くに。


……動け……動いてっ!


今ならまだ逃げられるかも知れない……マヒさえ解けたら開かれる未来。
しかし、現実は残酷だった。


<2011/06/10 21:42 F>消しゴム
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