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バイオソルジャー・フランク − 旧・小説投稿所A

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バイオソルジャー・フランク

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この作品はフィクションであり実際の団体及び事件には一切関係ありません。

主要登場人物紹介
・フランク 米軍研究機関により開発された人工生体兵器 米国沿岸警備隊(USCG)所属 三等兵曹
・ジェフリー・キシモト 日系ハーフの通信兵 フランクとは仲が良い。USCG所属 二等兵曹
・エリザベータ・イワノワ 東欧出身 国防高等研究計画局(DARPA)職員 フランクの研究開発責任者であり、現在はフランクの担当医。
・ティモシー・アディントン 救難ヘリ“ホワイトグース”搭乗員 以前は海兵隊所属であり、射撃の名手 USCG所属 上等水兵
・ブレンダン・ロジャース 救難ヘリ“ホワイトグース” 操縦士 趣味はポーカー。暇を見つけては隊員達とポーカーに興ずる USCG所属 大尉
・マーカス・パウエル 警備艇パーシビランス艦長 情に薄い冷血漢 USCG所属 大佐
・スーザン・ヘリオット テレビ局新人女性レポーター 非常に好奇心旺盛
・ジャネット・H・アダムズ 米国国土安全保障省副長官 フランクの存在を良く思っていない
・ポール・バーネット 国防総省事務次官補 海兵隊出身 中東、中央アジア等数々の戦場を歴任 最終階級は中将
・デニス・オールドマン FBI捜査官 訳あってフランクと知り合う
・カタリーナ 自称、中米某国陸軍特殊部隊の女性兵士 ペドロサを追っている。姓は不詳 
・カルロス・フェルナンド 中米国際麻薬カルテル「紅の豹」幹部
・レオポルド・ペドロサ 中米国際麻薬カルテル「紅の豹」首領 
・イグナシオ・ドミンケス 中米某国公安省長官
・ゴールドスタイン 謎の男
 
ACT1 海からの脅威

05.29 Time: 18:21
中米某国 沖合25マイル
カリブの海に夕闇が迫っていた。コバルトブルーの海原は紅く染まり、美麗という言葉では到底言い表せない程の光景が溢れんばかりに広がっている。海上にはぽつんと一隻の船が錨を下ろして波間に漂っていた。周囲には他の船は一隻も見当たらない。よくよく見るとこの船、普通の船ではない。ほぼ白一色に塗り固められた船体、船首に光る一門の砲身、何よりも側面に大きく黒塗りの文字で描かれた“U.S. Coast Guard”がそれを物語っているだろう。
そう、この船は米国沿岸警備隊が保持する警備艇である。カリブ海でバカンスを楽しんでいる観光客達を尻目に血眼になって双眼鏡で海原を見回し、船舶の航行情報を示すレーダーに目を光らせているような人種は彼らを除いてあまり多くは居ないだろう。この警備艇に乗り込んでいる船員も然り、そんな人種の一部だった。彼らに与えられた主な仕事は麻薬密輸船、密航船に対する警備および拿捕であり、このカリブの海は正に彼らにとって麻薬カルテルとの戦場であった。
そんな中、しばらくすると、警備艇の後部甲板付近に動きが出てきた。複数のクルーと共に一人、いや、一匹と言うべきか、甲板に上がってきたのは二本足で歩く大型のトカゲのような生物であった。尻尾は太長く、体長は5メートルを優に超えており、胴も太く筋骨隆々として、正に怪物と言うにふさわしい容貌であった。
背中にはとても人間の手には負えないような大型のアクアラングを装着しているが、全く重そうな素振りは見せていない。その怪物は悠々と甲板の上を歩き船尾付近に備え付けられているクレーンに近付いていった。
甲板に上がっていた下っ端のクルーの一人が笑いながら横に居た彼の同僚と思しき隊員と喋っている。彼はゆっくりとした歩調で歩いて行く怪物を眺めながら
「フランクの奴のせいでまた俺達の仕事が減ってしまうな」
と呟くと、近くに居たもう一人のクルーが
「全くだ。それに俺達のこの船での勤務時間と経験は奴の比じゃないのにあいつは俺達から見りゃ上司だ。何ともやりにくいご時世だな」
とわざと声を大きくして呟く。すると、フランクと呼ばれたそのトカゲ男は顔を微妙に上げる。
「そんなに仕事が欲しいなら自分で探すべきだ。毎朝誰より早起きして船室のトイレ磨きと甲板の掃除でもしていれば、嫌でもお前らのお株は上がるだろう」
トカゲ男はまるでこの二人のクルーの事などは完全に見下しているとでも言うような口振りで一蹴した。愚痴を垂れていた下っ端のクルー達は軽く舌打ちすると、トカゲ男に背を向け船室の方向に歩き始めた。
一方のトカゲ男はというと複数のクルーに手伝われて、クレーンの先端に付けられたゴンドラに乗り込む準備を進めていた。
準備が完了に近付いた所で一人の初老のクルーがトカゲ男に近付き、おもむろに話し掛ける。
「フランク、これがお前の初めての仕事だ。失敗は許さん。必ず成功し生還するように。同時にTACSの実戦投入は合衆国では初の試みとなる。存分にお前の力を見せつけろ」
「身に染みております、パウエル艦長。ベストを尽くし必ず成功させて見せます」
「幸運を」
その一言を残し艦長はトカゲ男から離れて行った。
やがてゴンドラの準備が完了し、トカゲ男を乗せたゴンドラが動き出し、ワイヤーを徐々に下ろしてゆき、ゴンドラを海面に近付けていった。
海面に近付いた所で一度ゴンドラが一旦停止する。
「後、1.2メートルだ。もう少し下げてくれ」
トカゲ男が上に向かって叫ぶと、先程と比べてゆっくりしたペースでワイヤーが下ろされ、更にゴンドラは海面に近付いてゆく。十分に海面に接近したところでトカゲ男はクレーンを操縦しているクルーに合図を送りクレーンを停止させた後、出撃準備完了のサインである右手を高く上げるポーズをとった。水中ゴーグルを装着しアクアラングから伸びた酸素チューブを口に咥え、ゴンドラの手すりを外し、彼は大きな水しぶきを上げてカリブの海に飛び込んだ。水面を赤く照らしていた太陽の光は弱まり、カリブの海を徐々に夜の闇が支配していった。

---二十一世紀となり既に四半世紀が経過した。今世紀に入り中近東方面で激化した対テロ戦争は泥沼化しており、いまだに解決の糸口が見出せない状況である。合衆国の戦死者及び軍事費は増大が続いており、世論の反発もあって国家予算に占める軍事費の割合は大きく縮小したため大規模な作戦を行えない状況であり、十分な人員と兵装を戦場に供給できていない状況が続いていた。そんな中、米国が対テロ戦争に気を取られている隙を突いてか、中南米では一時は勢いを失っていた筈の麻薬カルテルが再び台頭し始め、カリブ海諸国に大きな影を落としていた。近年では新興国の軍事面に於ける発展も目を見張るものがあり、相対的に見た米軍の重要性もかなり低下が進んでおり、もはや合衆国が世界各地に軍事力を配置し安全保障を図るという構図は過去の物となってしまっていた。また、国民の意見の多数がこれ以上の国民の命を不毛な戦争の犠牲にすることを望んでおらず、そんな背景もあってか二十世紀末には脇役でしかなかった無人兵器は目覚ましい発展を遂げ、わざわざ高い賃金を払って生身の兵士を危険な任務に就かせる必要性はほとんど皆無となってしまった。
しかしながら、敵施設内の偵察や破壊工作、特に敵勢力主要メンバーの拘束等の作戦は無人の機械が苦手とする分野であった。そこで、そのような危険で難易度の高い作戦に従事することに特化した人工生命体を作り出すという防衛構想が持ち上がった。遺伝子操作技術、及びクローン技術が発達した現在では決して不可能ではない計画であったが、倫理的な見地からの反発意見が当初は目立っており計画を実行に移せない時期が暫くの間続いていた。だが、次第に合衆国の防衛と世界秩序の維持のためなら止むを得ないという意見が多数を占めるようになって行き、やがて防衛構想は実行に移され、人工生命体の開発が開始された。程無くして開発は成功し、東南アジアのコモド島に住む大トカゲをベースに、軍事目的上、戦術的にあらゆる脅威に対して有利になるよう遺伝子の多くを組み換え、人類に匹敵する知性と理性とを兼ね揃え、愛国心に溢れたトカゲの戦士が誕生した。
彼は正に現代科学技術が生み出した「フランケンシュタインの怪物」であった。それに因んでか、彼には”Frankenstein” から取ったのであろうか、”Frank”、フランクという名前が付けられたという。---

アクアラングから伸びた酸素チューブの先端から吐き出された空気が無数の気泡となって海面に向かってゆく。
私は黄昏のカリブ海の海中を南に向かって泳いでいた。水面から海底までは十メートルも無く、それなりに陸地から離れているというのに目の前にはサンゴ礁が広がっており、遠浅の海であると言う事が身をもって分かる。目の前を小魚の群れが行き交っているが、夜が近付いているためか、色彩豊かな熱帯魚たちはサンゴの陰に隠れてあまり動こうとしない。
私が今までにこの地に足を運んだことは無い。だが、この熱帯の海原を泳いでいると、本当に何となくではあるが懐かしい気分になってくるのは、不思議な感覚であった。
もう一時間近くは泳いだだろうか、徐々に海底が上がってきているのは陸地に近付いている証拠だろう。思えば目に映るサンゴの数も増えてきた。私はもう一度、通信衛星から送られてくるGPSで位置情報を確認した。針路に異常は無いようだったが、当初の予定より若干東側にずれているのが分かった。微妙に方向を調整し、私は目的地へ向けて再び泳ぎ出すのであった。
更に二十分近く泳ぎ続けるとかなり陸に近付いてきたのが分かる。その時、突然自分の進行方向から大きな気配が接近してくるのが感じられた。伝わってくる振動の種類から、モーターボートがこちらに向かって接近していると私は確信した。問題はモーターボートに乗っている輩がどのような人種であるかということであった。私は近くの岩場に身を寄せ、オペレーターに自分の近くを航行しているモーターボートの情報を収集するように指示を出した。
私が身につけている通信機器だが、なかなかの優れものである。音声を用いた通常の交信を行う機能に加え、自分の脳波を通信機器が読み取り、喋らずしてオペレーターと交信を行うことも可能なのである。スイッチを入れると、自分が相手に伝えたい内容を頭に思い描くだけで、それによって生じる脳波の変化を機器が読み取り、その内容を電気信号に変換させて伝えたい相手のモニターに送信してくれるのである。水中からの交信も不自由なく行う事が可能で、お陰様で水中で活動している時も何一つ不自由なく交信が出来るのである。因みに私はこの作戦の間、常にスパイ衛星によって監視されている。「任務の遂行を確実にするため」との説明は受けたが、本部は心底私を信用していないのだろう。監視の目的も十中八九あるに違いない。
何よりも今回が初の戦術人工動物部隊(Tactical and Artificial Creatures Squad)の実戦投入なのである。信頼が無かろうと文句は言えまい。当たり前のことなので断わっておくが、今のところ部隊と言っても私一人(一匹と言うべきか)だけである。しかしながら良くも悪くもスパイ衛星の活躍で私の周りの出来事はリアルタイムで映像化され、衛星から送られてくる映像にオペレーター達が常に目を光らしているのである。モーターボートの速度に針路、装備や搭乗者の特徴を割り出すのは造作もないことであった。
次第に気配が大きくなってきた。ボートの針路は変わっていないが速度を落としたらしい。海中を伝わってくる振動がそれを物語っている。程無くしてオペレーターから連絡が入った。
「高速航行が可能なエンジンを二基搭載したモーターボートだ。フランクの四百メートル前方を航行中。針路はまっすぐそちらに向かっているが、速度をかなり落として航行している。甲板には人が二名確認できるが、夜が近いため画像が暗く、所持品や様子は今の所よく分からない。衛星のカメラを暗視モードに切り替え、ズームして確認するので少々待っていて欲しい」
オペレーターの声が骨伝導のスピーカーを通して伝わってくるにつれ、私は段々と不安になってきた。と言うのも、目的地の港に接近してきているため、自分に向かって進んでくるモーターボートが輸送船の警備に当たっている麻薬カルテルの船舶であったとしても全く不思議ではないからである。
なおも岩場から動かないでいると、再び連絡が入った。果たして、私の不安が現実のものとなってしまった。
「搭乗員の一人が短機関銃を所持しているのを確認。服装からしてほぼ間違いなく麻薬カルテルの戦闘員だ。それと、今フランクが居る海域に他にも複数のモーターボートが出張っていることも分かった。ここで見つかれば、相手に気付かれて作戦が水の泡になってしまうだろう。無論、交戦は許可できない。何とか見つからないようにやり過ごしてくれ」
拳銃や短機関銃程度の弾丸では、私の分厚い皮膚層を貫通せず、かすり傷程度のダメージすら与えることができない。(実際に自分の耐弾性能を測るテストで撃たれたことがある。) ボートに乗っている二人を排除することなど朝飯前だが、警備に当たっている他のボートによって異変を察知されてしまう危険が高い。私は指示通り、動かずにその場で待機してボートをやり過ごすことにした。岩に密着した自分の体の表皮の色が岩場の色彩と同調するように変化している。これは、私の持っている特殊能力の一つであった。私は実際に見た事は無いが、「カメレオン」という動物の能力にヒントを得て、文明の力が私に授けてくれた能力らしい。この暗さでなら発見されることはまず無いだろうが、このような状況下では有難い能力だった。
ボートが目視できる距離まで接近してきた。アクアラングから出てくる気泡で相手にこちらの存在を気付かれる可能性があったため、アクアラングの空気圧を調節するネジを完全に閉め、息を止めてボートの通過を待った。私は長くて八分程度呼吸を止めていられる。ボートの通過までは息は問題なく続くだろう。ボートがヘッドランプで海面を明るく照らしながら低いエンジン音を上げて私の目の前を通過してゆく。まず見つからない状況ではあったが、緊張はするものであり、体が強張った。しばらくしてボートは大きく針路を変え、エンジンを吹かし、速度を上げて走り去った。私は心の中で溜息をつき、再びアクアラングのネジを開けて新鮮な空気を胸一杯に吸った後、夜の闇が支配するカリブ海を再び泳ぎ出した。
私は暫く泳ぎ続けて自分の周囲を航行するボートが居ない事を慎重に確認した後ゆっくりと浮上し、海面に頭だけを出して周りを確認すると、距離にしておよそ3キロメートル先に目的地の港が目に映った。埠頭には大型のコンテナ輸送船が一隻停泊しているが、電灯は灯っていない。港の横側にはヨットハーバーが見えており、多数のヨットやクルーザー、モーターボート等が停泊しているようである。作戦前に前に受けた説明(ブリーフィング)通りであった。あの輸送船にターゲットが積み込まれると見て間違いないだろう。再び潜行して輸送船が接岸されている港に急ぐ。
海岸にかなり接近してきた。前方百メートル程度の所にヨットハーバーの桟橋の海底まで伸びた支柱が見える。一隻、モーターボートがどこからか帰ってきたのかゆっくりとした速度で、ヨットハーバーに入港してゆく。そのモーターボートを見て私はおやっ、と思った。何と帰って来たボートは先程、私に近付いてきた麻薬カルテルのモーターボートだったのである。
彼らの動きを知るため、自分の存在を気付かれない程度の距離まで接近して様子を窺うことにした。モーターボートは桟橋の空いていたスペースに停船し、ボートから短機関銃を肩に下げた男が降りて来てボートから伸びたロープを慌ただしく桟橋に巻き付けて接岸作業を始めていたが人数はやはり二人であった。一通りの接岸作業を終えると二人の男は互いに言葉を二言三言交わし、一人の男はもう一人を置いてヨットハーバーを後にした。内容までは分からなかったがどうやらスペイン語で会話をしていた様子であった。もう一人はと言うと、煙草でも吸うつもりなのか、さっきの男とは反対に桟橋の先端の方向に歩き出した。
これは誰の目から見ても敵から情報を聞き出す大きなチャンスであった。私は即座に通信機のスイッチを入れる。
「敵の密売組織のメンバーの一人と思われる人物を確認した。無力化した後、拘束して情報提供者に関する情報を聞き出そうと思う。交戦許可を求める」
オペレーターからの返答を待つ僅かな間に、私は背負っていたアクアラングを外し、静かに海底へと落とした。これだけの重量があれば、潮で流される心配も無い。更にゴーグルを外し、上陸の準備を完了させた瞬間に返事が返ってきた。
「こちらの映像からも確認できている。周囲に奴を除いて人は確認できない。交戦許可。フランク、もしかしてお前、アレで奴を仕留めようっていうのか?」
「もちろん。一発で決めてやるさ」
「そうか、分かった。奴も運が無いな。よし、お前の十八番でたっぷり可愛がってやれ」
最後には笑い交じりのオペレーターの声が返ってきた。
私は再び潜行し、桟橋の下をくぐって男の後方に回り込む。停船しているボートの間からそっと水面に顔を出し、桟橋の先端の様子を窺うと、男は桟橋の先端に立ち、カリブの満天の星空を眺めながら煙草にライターで火を付けている所であった。私は桟橋の縁に手を掛け、水音を立てないよう注意して、静かに桟橋の上によじ登った。男は全く気が付く素振りを見せず、リラックスした様子で煙草を吹かしている。私は前足を地面に着けて四つん這いになり、足音を殺しつつ一歩一歩、男の背後に忍び寄る。
十分に間合いを詰めた後、私は前足を地面から離し、後ろ脚だけで立ち上がり、唾液の染み込んだ大きな舌で一度舌なめずりをする。私は大きな口を開け、男が発砲できないよう羽交い絞めにすると同時に男の頭にしゃぶりつき、男を首の根元まで一気に咥え込んだ。男は何が起こったのか理解出来ていないようで、助けを求めて叫ぼうとするが、頭を完全に私に咥えられているために叫び声は叫び声にならず、くぐもった小さい声が私の口から洩れるだけである。私の口の周りからは生温かく粘り気のある唾液が滝のように流れ出ており、流れ出た唾液で男の服はぐっしょりと濡れ、長い糸を引いて桟橋の上に垂れ下がってゆく。カルテルの男は私の口の中の唾液で溺れているのか、しきりに咳き込んでいる。腕を押さえられているので、足を動かして必死の抵抗を試みるものの、成果は無に等しかった。
次の瞬間、男は床の唾液に足を滑らせたのか派手に尻もちを付き床に倒れこんだ。私もすかさず姿勢を低くし、相手が立ち上がれないように腕の自由を奪いつつ腰を抑え込む。麻酔も徐々に効いてきたのか男の抵抗は段々と鈍くなってきた。私は次に咥えた相手の両肩に大きな舌を伸ばして舐め回し、唾液に塗れさせる。舌が擦れる湿った音が静かなヨットハーバーに響いてゆく。肩が十分に唾液で滑りやすくなっているのを確認した後、相手の胴体に舌をらせん状に巻きつけ、一気に腰まで呑み込む。相手の体は私の口の中に吸いこまれてゆき、口から出ているのは脚だけとなった。男が持っていた短機関銃のベルトに舌を引っ掛けて器用に口の中で外してやり、男を吐き出さないように注意しつつ短機関銃を吐き出す。もう抵抗する気力もないのか、相手の足はだらりと垂れてほとんど動かない。止めを刺すため相手の両足を掴み、口の中に押し込んでやると何の抵抗も無く相手の脚は舌の上をぬるりと滑り、大きく開いた私の口の中に消えていった。完全に相手の体が口に入ったのを見計らってから口をゆっくりと閉じ、ごくりと大量の唾液と一緒に相手を絡めて呑み込む。男がゆっくりと食道を落ちていくのが分かり、その後すぐに私の胃袋に収まった。膨らんだお腹を確認し、口の周りを舐め、一つ大きな深呼吸をしてから男が持っていた銃を拾い上げてその場から立ち上がる。
肝心の情報は聞き出さなかったのは、私にとある打算があったためである。今、呑み込んだこの男は言わば「人質」であった。銃を桟橋の先端に置き、ゴーグルを掛けて大きく息を吸い込み、もう一度静かに海の中に身を沈めた。桟橋の先端から二メートル程離れた海底に身を潜めて桟橋の先をじっと見つめひたすら待ち続ける。一分、二分、三分・・・時間が刻々と過ぎてゆく。やがて、海中にかすかな振動が伝わってくる。誰かが桟橋の上を歩いているのだ。振動の伝わり方から、どうやら一人だけのようである。恐らくボートに乗っていたもう一人の男が相方の帰りが遅いので様子を見に来たのだろう。男の歩調が早まる。どうやら先端に置いてある短機関銃に気が付いたようだ。男が桟橋の先端で立ち止まり、銃を拾い上げようと腰を下ろす。私はその瞬間を逃す筈など無かった。
後ろ足で海底を思い切り蹴り、男を目がけ速力を付けて水中から飛び出す。盛大な水しぶきを上げ桟橋の上に体を乗り上げると同時に私の両腕はがっちりと男の肩を掴んでいた。そのまま男を床の上に押し倒し、全身で圧し掛かって相手の自由を奪った後、助けを求められないように急いで両手で男の口を塞ぐ。初めは状況が理解できずに呆気にとられていただけの男の顔に徐々に恐怖の表情が浮かび上がり、体が震え出した。自分の身長の二倍以上もあるトカゲの怪物に襲われているのだから無理も無いだろう。早速自分が知りたい情報を聞き出すべく、男に話し掛けようとした所で思い止まってしまった。
そういえば、この男たちはスペイン語で会話をしていた。英語は通じないことも無いだろうが、彼らが主として用いる言語にこちらが合わせたほうが無難だろう。幸い、スペイン語及びフランス語は私の教育プログラムに入っており、かなり入念に学んだので一応はマスターしていた。私は少々英語なまりのスペイン語で男に話し掛ける。
「絶対に騒ぐな。それと私の質問にさえ答えれば命だけは保障してやる。フェルナンドは何処だ。カルロス・フェルナンドだ。お前達の上司の筈だ。知っているだろう?」
男は驚いたような表情を見せる。まさか目の前の怪物が言葉を話せるなどとは思っていなかったのだろう。男が会話をできるように両手を口から離してやると、息を切らしながら答える。
「お前はだ、・・・誰なんだ。化け物に話してやることなんて何も・・無い・・。煮るなり焼くなり好きにしたらどうだ・・?」
途切れ途切れに返事をするが、どうやら私の質問には答える意思が無いようだ。私は話題を変えることにした。
「ところで・・・お前は誰か人を探している様子だったな。誰を探していたんだ?」
「誰をって・・・誰でも構わないだろう。第一、お前に何の関係があるって言うんだ」
「ふふん・・・関係は無いことも無いかも知れないな。」
そう言って私は顔に笑みを浮かべつつ、上半身を起こし膨らんだ腹を男に見せてやる。時々、思い出したかのように膨らみがもぞもぞと動いていた。押さえつけていた男の顔がみるみる青ざめてゆく。どうやら自分の仲間が置かれている状況を理解したようだった。
「お、お前・・・ま、まさか・・そんな・・」
男の言葉の最後の部分はもはや言葉になっていなかった。私は不敵な笑いを浮かべつつ顔を近付け、舌を伸ばして男の頬を舐め上げる。べっとりと唾液を塗りたくられ、男は恐怖で今にも失神してしまいそうな様子であった。
「答える気にはなったか?質問に答えさえすればもう一度こいつに会わせてやる。但し、早くしないと手遅れになってしまうかもな。どうするんだ?」
「畜生・・・。化け物め・・。分かった。答える、答える。フェルナンドは・・処刑されるだろう。奴は俺達を裏切った」
「そのまま続けろ。居場所を言うんだ。フェルナンドは何処に居る?さあ、もう時間が無いぞ。そろそろ溶け始める頃だろうな」
「港に停泊している貨物船があるだろう・・?操舵室周辺の警備を入念にやれとの命令が出ていたから・・恐らく奴は貨物船の操舵室の中だ。処刑は船が目的地に着いてから執行される。そう・・・処刑は奴の故郷で行われる。日付が変わり次第・・船は出港する。頼む、本当に頼むから・・命だけは・・・俺の・・俺の弟なんだ・・」
かなり詳細な情報が手に入った。人質をとった甲斐があったというものである。フェルナンドという情報提供者が港から運び出されるのは今日であることは事前に諜報部の工作員が突き止めてくれたが、正確な時刻と詳細な場所までは知ることが出来ず、自分が現地で聞き出すしかなかった。しかし、今となってはその問題も解決した。後はいかにして安全に情報提供者を救出するかという事だった。時刻は十時半を丁度過ぎた所であった。タイムリミットまではまだ一時間以上あるから、余程のことが無い限り十分に間に合うだろう。
しかし、何よりもその前に自分の体の下敷きになっているこの男を何とかする必要があった。とは言ってもこのまま解放しても応援を呼ばれるのは目に見えている。選択肢は一つしか無かった。
「そうか、分かった。心配しなくても約束通りお前の弟に会わせてやる。但し・・・」
「・・・?」
男の顔に疑問の表情が浮かぶ。
「お前がこいつに会いに行くんだ」
言い終わると同時に男の口内にぬるりと舌を滑りこませる。男が抵抗できないよう更に体重を掛け、肘を使って肩を押さえつつ、掌で仰向けになった男の額を押さえつけ完全に体の自由を奪う。口から流れ出た唾液が無数の筋となって舌を伝い男の口内に注ぎこまれてゆく。私は舌を動かして口内を隅々までゆっくりと舐め回した後、喉の奥までずぶりと舌を差し込んで体内に無理やり唾液を流し込ませる。男は全身を使い激しく抵抗しようとするが、体を押さえつけられているためにそれは叶わず、唾液を飲み込むまいと努力はしているもののその努力とは裏腹に気管には流れ込んでいるようで、顔を赤らめて苦しそうな表情を見せている。唾液が気管に入り込まないようにさせるため、舌を喉から抜いてやると激しく咳き込む。       隙あらば叫んで助けを求めようとしていたので、間髪を入れずに再び喉までゆっくりと舌を差し込み、更に唾液を流し込むと、また激しく抵抗し、抜いてやると再び咳き込んだ。何度も繰り返す内に男は息が持たなくなってきたのか、抵抗を止めて流し込んだ唾液を自発的に飲み始めた。苦しそうな表情は消えたが、代わりに屈辱感と諦めに満ちた表情を浮かべていた。
暫くすると徐々に私の唾液に含まれる麻酔成分が効いてきたのか、明らかに男の体から力が抜けてゆき目がまどろみ出した。抵抗はおろか自由に体を動かすことすらできない状況なのだろう。私はゆっくりと舌を引き抜き、押さえていた腕を離し、身を起して男の足元に立った。男は反撃するために必死に短機関銃を掴み持ち上げようとするが、全身が麻痺しているために体は言う事を聞かず、何度も機関銃を地面に落とし、結局持ち上げることはできなかった。男の靴を脱がし、身に付けていた短機関銃を奪うと、倒れている男の腰を両手で掴み、高々と持ち上げたあと、大きく開けた私の口の中に両足から落とす。歯で傷つけないように慎重に男を咥え、そのまま嚥下すると重力も手伝ってか、一気に胸の辺りまで呑み込めた。    
そのまま口を上に向けると、ずるずると男の上半身が口の中に消えてゆく。
「ば、化け物め・・・呪ってやる・・」
掠れた声で精一杯の捨て台詞を吐いて男の体は完全に口の中に沈んでいった。そのまま口を閉じて最後に一つ、大きく嚥下する。
喉を通ってゆく感触が妙に心地よかった。程なくして落下が止まり、どうやら胃の中に収まったようである。ちょうど感動の再会を二人は味わっていることだろう。もっとも、暗い胃の中で私の消化液を全身に塗れさせながらではあったが。初めに呑み込んだ男はもう身動きすらしていないようだった。恐らく完全に麻酔が効いて昏睡しているのだろう。ついさっき足から丸呑みにした男はまだ痺れた体を使って精一杯の抵抗を試みているのか時折、胃の中で動いているようだった。私にはくすぐったくて堪らなかったが、間もなく全身に麻酔が回り、先に呑み込んだ男と同じ運命を辿ることになるだろう。
二人を呑み込んだためにでっぷりと膨らんでいるお腹を一度さすった後、戦利品の機関銃に目をやる。二人が持っていたのはどちらも同じ型の銃であったが、先に呑み込んだ男が持っていた機関銃の銃身は全体が粘液で濡れており銃身の内部まで及んでいたので(理由はご察し願いたい)、誤作動を引き起こす可能性があったため弾倉を引き抜いた後、本体は海中に沈めた。弾倉を手にするとずっしりと重く、見るとどうやら銃弾は三十発近く装填されているようであった。身に着けていた防水ケースに弾倉をしまい、もう片方の機関銃を手に、無線機のスイッチを入れる。
「敵勢力メンバーの二名を無力化し装備品の機関銃を奪取。一人から人質に関する情報を入手した。出港は二十四時。“積み荷”は操舵室の中、こいつらは腹の中ってな」
「了解、フランク。よくやった。通信衛星でずっと見ていたぞ。モンスター映画を観ている気分だったぜ。それにしてもフランク、熱々のキスをプレゼントしてやるなんて、お前も気前が良いもんだな。奴もさぞかし喜んだだろう?」
と笑い交じりに返してくる。
「お前にもプレゼントしてやっても良いんだぜ?遠慮はするなよ」
「ははは、冗談きついぜ。考えるだけでも鳥肌立っちまう。そんなことよりフランク、奪った機関銃の特徴を教えてくれないか?」
特徴を伝えると程無くしてオペレーターの返事が聞こえてきた。
「ドイツ製の軍用短機関銃だと思う。各国の特殊部隊も採用しているタイプのものだ。そんなに古くない型だし命中精度も申し分ないだろう。どうも銃口部分にサイレンサーが付けてあるようだ。それにしても、下っ端の奴に持たせてやる程安い代物じゃあないはずなんだが・・。まぁ、とにかく持っていて損はしないだろう。お前なら片手で十分扱える筈だ」
「それと、今フランクが居る場所から海に向かって右隣りの桟橋の先の方にビニールカバーが掛かったモーターボートが泊まっているのが衛星の映像で確認できる。お前の“営倉”の中に入っている奴らはそん中に吐き出してやればいい。他にもカバー付きのボートは幾らでも泊まっているし、恐らくは当分は誰も見付けられないだろう。映像を見る限りお前以外そこには誰も居ないから泳いで行かなくても大丈夫だと思うぜ」
「了解。ありがとう、ジェフ」
私は無線の電源をオフにして桟橋を歩き始めた。すると、オペレーターの言葉通りのボートを迷うことなく見つけた。後から呑み込んだ男も徐々に動かなくなってゆき、今では完全に動きが止まっている。どうやら完全に麻酔が効き、眠り始めたようだ。そろそろ二人共吐き出してやるべき時分であった。桟橋から身を伸ばしてボートのビニールカバーを捲りあげると、船底の部分に人が二人程横になれそうなスペースがあった。私はその場にかがみこみ、口の中に手を入れて喉の奥を刺激し、吐き気を催させる。一人が食道を逆流して腕が喉から出てきたので、手を使って呑み込んだ男の腕を掴んで引っ張ると大量の唾液と共にボートの上にずり落ちた。続いてもう一人の男を吐き出すと、今度は補助をする必要もなく一気に全身が勢いよく口からボートへと滑り落ちた。吐き出した二人を横に寝かせ、呼吸の状態と負傷している箇所が無いかどうかを確認する。先に呑み込んだ煙草を吸っていた男の皮膚が少々かぶれている以外に特に問題は無かった。呼吸も深く、二人とも熟睡しているようだった。この調子だと、夜明けまでは眠り続けるだろう。よくよく顔を見てみると、二人とも顔の特徴が非常によく似ている。私に命乞いをしてきた男の言葉通り、この二人は兄弟なのだろう。
それにしても・・・兄弟揃いも揃って麻薬カルテルの構成員とは・・・。他人事ながら呆れてしまった。全身をべっとりと私の消化液で濡らしながら、安らかな寝息を立てている二人に一瞥をやり、ビニールカバーを元に戻して二人の体をボートの中に隠した。
ところで、私は今回の任務では余程の場合を除き、いかなる場合も敵勢力の殺害は禁止されている。たとえ相手が麻薬カルテルの構成員という犯罪者であったとしても、人工的に開発された生体兵器が殺戮を行ったという事実が各国に知れ渡れば、すぐさま政治問題化し、合衆国が国際社会から非難を浴びるのは避けられないというのが一番の理由らしい。更に、万が一の混乱を避けるために、私の存在を各国がすぐさま信じてくれるかどうかという事は別問題として、合衆国は私の存在をカリブ海周辺国と国連主要国に事前に外交ルートを通じて各国の首脳部に知らせていたそうである。私が「軍事機密」で居られなくなるのは、もはや時間の問題であった。
幸いな事に私は先程のカルテルの二人がそうであったように、相手を殺害せずとも眠らせる事によってかなりの長時間無力化を図ることが可能である。そう、毒だ。私のベースとなったコモドオオトカゲという世界最大と言われるトカゲは歯間に毒腺があり、そこからは非常に強力な出血毒が分泌されているらしい。聞いた話によると、そのトカゲに噛み付かれ毒液を注入された動物は出血が止まらなくなり、確実に出血性ショックで死亡してそのトカゲの餌食になってしまうという何とも背筋が凍りそうになる話であったのを覚えている。そのような動物がベースになった訳なので、当然ながら私にも毒はある。しかしながら幸か不幸か“殺害”という行為を固く禁じられている立場の私がそのような毒を持たされる筈もなく、遺伝子操作によって出血毒から麻酔毒に成分を変更されており、更に相手に噛み付いて怪我を負わせた上で体内に直接注入しなくても経口で十分に効果が表れるように改良されていた。更に私の場合は独立した毒腺があるという訳ではなく、麻酔毒は唾液腺から四六時中唾液と共に口内に分泌されているので、対象に噛み付く必要性は皆無であり、無力化を図るためには殺害どころか相手を負傷させる必要もない。
それに、私にむやみに相手の命を奪うような趣味は無い。相手を食べて自分の命を繋ぐわけでもないのに殺害するというのは何だか恐ろしい気がしてならなかった。もし、自分が誰かの殺害を命令されたら・・・。
いや、今は任務に集中するべきだろう。余計な事を考えている暇はなかった。情報提供者が囚われている貨物船に急がなくては。短機関銃を防水ケースに入れて、ゴーグルを締め直し、ん・・・?人間の匂いが近付いて来た。口から舌を伸ばし匂いの粒子を十分に捉えた後、口の中に戻し、詳細な情報を探ると三、四人程が近付いているらしい。すると唐突にオペレーターから連絡があった。
「フランク!その場から早く離れろ!どうやら奴らの仲間が探しに来たみたいだ。もうその場に用はない筈だから、貨物船へと向かってくれ。」
私はゆっくりと漆黒のカリブ海に身を沈め、貨物船に向けて泳ぎ出した。

‐二時間前 
中米某国 港湾地帯 市街地
闇の中、三台のトラックが街中の道路を走っていく。急いでいるのか、かなりスピードを上げてはいるものの、一定の車間距離を保ちつつ整然とした感じで道を進んでいる。街の港へと続いてゆくメインストリートであったが、街灯は殆どと言って良いほど灯っておらず、深夜でもないのに、通りに面した商店もごく一部を除いて、シャッターを下ろしてしまっているという異常な光景が広がっている。
日が昇っている間は通りには人が溢れ、日用品や青果、新鮮な魚介が店先に並び、ストリートミュージシャン達がギター片手にご自慢の楽曲を披露するという陽気な中米の港町の風景を目にすることができるが、いったん日が沈み夜の闇が街を覆うと、余程の目的でも無い限り街の人々は外を歩きたがらなかった。この港町では夜な夜な町中に銃声が響き渡る。そう、麻薬カルテル同士が激しい抗争を繰り広げているのである。
数年前、本格的に警察と軍の治安維持部隊が麻薬カルテルの掃討を試みるために全国で大規模な作戦を展開し、一時は治安が安定したように見えたが、その後各地の警察署が襲撃され警官に甚大な数の死傷者を出し、警察組織や地方政府の指導者やその家族が多数誘拐されてしまい多くは悲惨な最期を遂げるなど、麻薬カルテルによる悪夢のような報復攻撃が行われた。近年では麻薬カルテルによる大規模な警官の買収が明るみに出、治安維持機関のメンバーを含めた大量の人員が解雇処分となるなど公的機関の腐敗は深刻に進んでいた。長引く景気低迷により財政難に陥っている政府が十分な人材を確保し、組織を再編成することなど到底叶わない希望であり、警察機関の活動も委縮してしまって余程の事が無い限り麻薬カルテルに対する取り締まりを行わなくなってしまった。おかげで、全国のほとんどの街は麻薬カルテル同士の戦場となり、毎日のように、夜が明けた街には抗争の犠牲者達の遺体が転がり、港には水死体が浮かんだ。
そんな犠牲者達を収容するのは警察組織の仕事であり、夜明けの街は回収作業にあたる警官が溢れ、警察の数少ない仕事の場となった。一体誰が呼び始めたのかは定かではなかったが、そんな作業ばかりしている警察を人々は「葬儀屋」と呼び、罵った。もはや国家は自分たちを守ってはくれないという意識が国民を支配しており、まして夜の街を歩くことなど人々にとっては自殺行為であり、避けるべき行動であった。夜は出歩かない。これが街の人々の暗黙のルールになっていた。
先頭を走るトラックは信号の無い交差点を港へ向かう方向に曲がった。後続の二台も後に続いてゆく。大通りを離れて港へと続いてゆく道に入り、しばらく進むと道の脇には工場や倉庫が立ち並び街の中心部とはまた異なった風景を見せ始める。ただ相変わらず人気が感じられないということに変わりはなかった。更に道の突き当たりを右折するとトラックの左側に貨物用の大型コンテナが積み上げられているのが見え始める。しばらくコンテナを横目に走り続けた後、トラックが通り抜けられる程のコンテナの隙間を見つけたのか、更に左折してトラックはコンテナの山の谷間を抜けてゆく。谷間を抜けるとそこは大型船が停泊するための岸壁であった。コンテナ用のクレーンが等間隔で数台並んでおり、貨物を保管するためと思われる倉庫もクレーンから少々離れた場所にあったが、これもやはり岸壁に近い位置に設けられている。規模はそこまで大きい訳ではなかったが、並んでいるコンテナの数から推測するとそれなりに繁盛している港のようではあった。
トラックは岸壁に沿って走ってゆき、貨物船が停泊している埠頭へと急ぐ。徐々に貨物船に接近して行くにつれて岸壁に駐車している車が目に付くようになってきた。やがてトラックは停泊している貨物船の近くに停車した。停車後も直ぐにはトラックからは人は降りてこなかったが、合図を送ったのか、トラックが何度かヘッドランプを不規則的に点滅させると近くにあった建物の中から数人の機関銃で武装した男達が出て来て、トラックの四方を囲んだ。出てきた男の一人がトラックの側面の窓を叩くと側面の窓が下にスライドし、座席と助手席に座っていたトラックの搭乗員の顔が明るみになった。助手席には三十歳後半と思われる男が座っているが、屈強な体つきで眼光も鋭く、何とも言葉にし難い威圧感を放っている。トラックの窓を叩いた男が助手席の男に話し掛ける。
「ミスター・ペドロサ、わざわざご足労頂きありがとうございます。我々にとっても何とも光栄なことで・・」
「余計な話は慎め。この街の状況は?」
助手席の男は鋭い眼光で相手を見つめ車外の男の話を遮る。
「既に敵対カルテルの活動地域の八十パーセント以上を制圧しており、重要な敵対カルテル幹部の潜伏先も把握できております。近いうちに大規模な攻勢をかける予定でありまして、地元警察の重役の買収も着実に進んでおり、最早我々の活動を邪魔をするような警官は一人として居ません。買収出来なかった者については・・・言うまでも無いでしょう」
「よろしい。先に連絡してあった通りだ。トラックの荷台を開けて奴以外を降ろせ。後ろの二台にはロシア人から購入した武器が積んである。重い物が多いがくれぐれも壊さないよう気を付けて急いで船に積み込め。」
「了解致しました。おい、お前達、トラックの荷台を開けろ」
トラックの荷台を男達が開け始めると、先頭のトラックの積み荷が明らかになる。積み荷はなんと目隠しをされ、口をガムテープで塞がれた十数人の人間であった。両手を後ろに回されて手錠をはめられており自分ひとりで降りることが出来ないため、数人の武装した男がトラックの荷台に乗り込み、降ろす作業を始めた。降りるのを拒否しているのか動こうとしない者は銃床で容赦なく殴りつけ、目隠しをされた者は一人を除いてトラックの荷台から半ば強制的に降ろされた。降ろされた後は武装した男達によって貨物船が停泊している横側の岸壁の縁に一人一人等間隔で陸の方に向かって一列に並べさせられた。当然、皆助けを求めて叫び声を上げているが、やがてカルテルの戦闘員達に脅されて黙ってしまった。
いつの間にかトラックの助手席に座っていたペドロサと呼ばれた男はトラックから降りて来ており、岸壁に並んだ人達の手前に立っていた。何処から取り出したのかシガレットケースから葉巻を一本取り出して火を付け、悠々と吹かし始める。
「悪い眺めではないな。よし、一番右側の奴を除いてやってしまえ。無駄弾は使わず一発で片すんだ。葬式は静かに執り行うものだからな」
葉巻片手に命令を出すと消音器付きの機関銃を持った男達が岸壁の縁に並んだ人々と一対一で向かい合い銃を構える。それぞれの機関銃に付けられたレーザーポインターは岸壁に立つ人々の額を捉えており、男達は次の命令を待った。
「始めろ」
葉巻の火を消し、煙を吐き出した後、静かな口調で命令を出した。次の瞬間、並んだ男達は機関銃の引き金を絞る。ほとんど音も無く、岸壁の縁に立った人々は叫び声を上げることも許されることもなく、不気味なほどの静けさの中で額から血を噴き出しながら漆黒の海へと全員がほぼ同時に転落してゆく。転落してから間もなく激しい水音が辺りに響き渡った。一番右の一人を除いて全員が海に落ちて行ったのを確認した後、葉巻を吸っていた男は最後に残ってしまった一人の方に向かって歩き始める。歩きながら腰に付けたホルスターから拳銃を引き抜き、サイレンサーを装着する。近寄るなり目隠しとガムテープを外してやり、片手に拳銃を構え岸壁の男に話し掛けた。
「長旅はいかがでしたかな?閣下。少し海の方向をご覧になられるといい。想像は出来ていると思うが面白い見世物をご用意したものでね」
「・・・見たくもない。何故私だけを残した?殺したければ早く殺せ」
ガムテープを外されたばかりの男は苦しそうな表情で答える。汚れてはいるものの、かなり高価なものと思われるスーツを着ており、身なりは立派である。
「我々としてもあなた程の重要人物をそう簡単に殺してしまう訳にはいかなくてね。最後に長官にチャンスを差し上げようと思いまして。いや何、簡単な質問に答えて頂くだけです。それもあなたが今までに散々聞かされていた内容をね」
スーツの男は暫く黙ったままであったが、やがて口を開いた。
「・・・これまでに何度もお前達は私の買収を試みてきた。その度に私は断わり続け、お前達のような癌細胞をこの国から抹消すべく軍と警察を指揮し、全身全霊を掛けてこの国の将来のために戦い続けてきた。お前達に卑怯にも長年の私の親友だった者の命、果てには愛すべき妻と娘の命までも奪われてさえ私は決して屈する事などは無かった。この国の国民が本当の意味での平和と豊かさの内に暮らせるように、そして何よりも掃討作戦で命を散らせていったこんな頼りない国のために自ら志願して命を掛けて戦ってくれた軍人や警察官達の若い魂に報いるために。私がお前達のような屑に心を売ってしまえば私はそんな国のために戦った英雄達や私の苦悩を理解し、いつも励ましてくれた妻、警官になってお前達と戦うことを夢見ていた男勝りな性格の娘にあの世で顔向け出来ない。これが私の・・・私の最後の答えだ。ノーだ。この身が果てようとも魂だけはお前達には譲らん」
ペドロサという男は感心した様子で話に聞き入っていた。
「このような状況でも実に見上げた愛国心をお持ちになられているようですな、閣下。あなたのような志を持たれたお方が一人でも多ければ多いほどこの国の先行きは明るい。そんなお方の命を頂戴するのは本当に惜しい事ですが、これ以上あなたに我々の邪魔をさせる訳には参りませんな。誠に残念だがここでお別れだ」
そう言って銃口を額に向け引き金に指を掛ける。
「願わくは天の裁きがこの者達に下らんことを」
額に銃を突き付けられた男が喋り終えると同時に
「アディオス」
一言別れを告げ、ペドロサと言う男は躊躇なく引き金を引いた。僅かな発砲音と共に非情にも弾丸は岸壁の男の額を貫通し、額から血しぶきを上げながら男の体は力なく地面のない後ろへと倒れてゆき、岸壁から海へと落ちて行った。硝煙が銃口から立ち昇っている拳銃を下げ、処刑を終えたばかりの男は岸壁に背を向け歩き始めていた。彼は自分が撃った男の体が着水する瞬間さえ見届けようとはしなかった。グローブを手に着けサイレンサーを外した後、拳銃をホルスターに仕舞う。
「これで奴を除いて全員が消えた。我々の邪魔をする奴らも粗方片が付いた。これからは今まで以上に仕事がやりやすくなる筈だ。早く奴と武器を貨物船に積み込め。奴にとっては故郷まで楽しい船旅となる筈だ。くれぐれもしっかり持て成してやるように。それでは私はこれで失礼する。車を出してくれ」
「わざわざご苦労様です。・・・おい、誰かボスを隠れ家まで送って差し上げろ、急げ」
初めから港にいた男達のリーダーと思しき男が一言発すると近くに停車していたスポーツカーがヘッドランプを付けて走りだし、ペドロサと呼ばれた男の前に停車した。近くにいた男の一人が助手席のドアを開けた所で男は思いとどまった様子で彼を取り巻いていた部下達に話し掛けた。
「やはり運転は私がやる。申し訳ないが運転手は必要ない」
そう言って運転手に車から降りてもらった後、自ら運転席に座り、ドアを閉めハンドルを握る。窓を開け、一番近くに居た男を呼び止めた。
「一つ言い忘れていた。軍の諜報部が我々の動きを最近になって執拗にマークしているらしい。今朝、組織の情報を嗅ぎまわっていたスパイが我々に捕まり、拷問の末に吐いたそうだ。最も万一今日の我々の動きを知っていた所で、もはや手遅れなのだが。何時、何が起こるかなど誰も分からない訳だからくれぐれも用心することだ。それと、トラックは乗り捨ててもらって構わない。それでは諸君、幸運を」
喋り終えるや否やアクセルを踏み速度を上げて男の運転する車は夜の港を後にした。
「お前達、とっとと始めるぞ。出港の時間だが三十分繰り上げ、十一時半にはここを出港する。急いで積み込みを行え。遊んでいる時間はどこにもないぞ」
リーダー格と思われる男が周囲に居合わせた男達に向かって叫ぶと周りの男達は一斉に動き始める。後続のトラックの荷台も開けられ、運転手と助手席に座っていた者もトラックから降りて積み込みの作業を手伝う。数人が荷台の中に入って行き、何処から持ち出してきたのかフォークリフトをトラックの後方に着けて重そうな荷物はリフトに乗せて運び出し、貨物船に備え付けられたクレーンを使って船内へと次々と運び込んでゆく。時間を短縮するためなのか、複数個をロープで束ねてあった段ボールの山のロープを切り、一個一個を直接人の手で船内へと運んでゆく。なかなか重い段ボールが多いようで、運んでいた者は苦しそうな表情を見せていた。一方、リーダーと思われる人物はと言うと、先頭のトラックの荷台に乗り込み、最後に残ってしまった目隠しをされた男の前に立つ。
「おい、さっさと降りるぞ。妙な行動をとればその分命は短くなると思え。立つんだ。お前もいずれは消される運命だがな」
そう言って車外に連れ出してから部下二名に目隠しをした男の両脇を抱えさせて操舵室に運び込むように命じた。
やがて積み込みの作業も終わり、荷物を運んでいた者達は徐々に船内へと乗り込んでゆく。リーダー格の男は部下の一人を呼び付ける。
「沖合で警備に当たっている者達に帰港するよう連絡を入れろ。すぐにでもエンジンを掛け、いつでも出港出来るよう準備しておけ」
「了解致しました。ただ一つ問題がありまして・・」
「何だ?言ってみろ」
「モーターボートで警備に当たっていた二名と連絡が付かない状況で、帰港するとの連絡が最後に入ったきり、音信不通です。既にこちらに帰ってきてもおかしくない時間なのですが、いかがなさいますか?」
「直ぐにヨットハーバーの方に人員を送り捜索させろ。二十分探して見つからなかったら引き返せ。高々二人のために出港時間は変更できん。おい、そこで油売っている三人、早くトラックに乗り込め。仲間の捜索に行くんだ。運転はお前に任せる」
「了解しました。発見次第連絡をこちらから入れます。捜索時間の限界が来ましたらそちらから連絡下さい」
「よし、行ってこい」
先頭のトラックの荷台に男達が乗り込んだのを運転手が確認した後トラックは方向転換をして、もと来た道をヨットハーバーに向けて走り出した。
「さて・・と。俺も船に乗るとするか」
リーダー格の男は船に向かって歩き始めた。

23:05
中米某国 港湾地帯 海中
相も変わらず私は真っ暗なカリブ海の海中を泳いでいた。もうじき目標の貨物船に到着する筈であった。酸素ボンベを置いてきたため時々海面から顔を出し、息を吸い直す必要があったので、一度浮上して肺に溜まった呼気を吐き出し新鮮な空気を吸い込む。空を見上げるとさっきまでは満天の星空だったカリブの空には雲が掛かりほとんど星は見えなくなってしまっていた。天候が変わったためか潮の香りも微妙に変化してきた。星空が拝めないため少々残念な気持ちになったが、気にしている場合ではなかったので再び海中に潜り、泳ぎ始めた。暫くすると作戦本部から連絡が入りオペレーターの声が骨伝導のスピーカーに響いた。
「あー・・・フランク、分かっていると思うが今お前の居る港の上空に雲が掛かり始めていて、地上の正確な映像をキャッチ出来ていない状況だ。衛星カメラを赤外線モードに切り替えたい所なんだが、悪いことにどうも衛星に不具合が発生しているようで、切り替えに十五分近い時間が必要なんだ。その間、こちらから衛星を使ったサポートが出来なくなる。十五分の間、何とかうまくやってくれ」
私は無線機のスイッチを脳波通信モードに切り替え交信を開始する。
(丁度良かった、あんまりカメラ越しに皆に見られてばかりでは変に緊張してしまう。十五分はプライベートな時間を楽しませてもらおう)
「申し訳ないな。出来る限り切り替えは早く済ませられるよう努力する。それと・・・目標の貨物船の近くの海上に何かが複数個浮かんでいるんだが、画像が不鮮明でこちらからは何が浮かんでいるのか分からない。敵の罠の可能性も捨て切れないから注意してくれ。無線機は問題なく使えるから浮上物が何か分かり次第連絡を入れてくれれば助かる」
(浮上物か。了解、細心の注意を払って貨物船に接近する)
そのまま泳ぎ続けると前方百メートル先の海中に貨物船のものと思われるスクリューが見えてきた。
それにしても何だか海水の匂いがおかしい。貨物船に接近すればするほど匂いが強まってくる。余りにも気掛かりだったので、周囲を警戒しつつ一度海面に顔を出してみると、鼻を突くような強烈な血の匂いが辺りに漂っていた。海水を舐めてみても明らかに血の味がする。まさかと思い、前方に目を凝らすと貨物船の周りにキシモト二曹が言っていた物と思われる「浮上物」が幾つも漂っている。それが何であるかなど想像するのは容易なことであった。
貨物船の停泊している付近の岸壁には数名の人影が確認できる。ここで見つかってはまずい。大きく息を吸い込みゴーグルを締め直して潜水し、静かに貨物船に接近して行きながら無線機のスイッチを入れる。
(ジェフ、悪い知らせだ。貨物船の周りに浮かんでいたのは死体、それもどうやら他殺体だ。十人以上が浮かんでいるが、恐らく銃殺された後に海に投げ込まれたんだと思う。時間的にもまだ余裕があるから、出来る範囲で身元の確認を行いたい)
「何!?死体だったのか!分かった。まさかとは思うが情報提供者の死体がないかどうか調べて欲しい。死体から何かその人の身分を証明できそうな物を探し出すんだ。名前など何か分かったことがあればこちらで調べてみるから必ず連絡を入れてくれ」
(オーケー。身分証明書か、探してみよう)
手始めに私から一番近い位置に居合わせたうつ伏せになって海面に浮かんでいる死体から調査を始める。海中から海面に浮かぶ死体と向かい合うと後ろ手に手錠を掛けられた上で目隠しをされ、口にガムテープを貼り付けられているのが分かり、更に額に銃で撃ち抜かれたと思われる穴が開いていてまだ出血が続いていた。波を立てないように静かに近付き体に触れるとまだ温かく、体温が残っているのが分かる。死後一時間も経っているかいないかという所だろう。注意深くボディーチェックを始めると、ワイシャツのボタン付き胸ポケットの中に写真入りのIDカードを見つけた。見た限りでは公務員が庁舎内で使う身分証明書のようだ。前もって取り出しておいたジッパー付きのビニールケースにカードを入れ、次の犠牲者の調査に移る。
順々に調べてゆくと、どの犠牲者もズボンのポケットや胸ポケットの中に身分を証明する物を持っており、果てには首からIDカードをぶら下げていた者もいて、身分を証明する物を持っていない者は一人もいなかった。額に一撃を受け絶命していたのは皆同じであったが、格好は一人を除いて、目隠し、口にはガムテープと共通していた。一人を除いてと言うのは、一名だけスーツ姿の目隠しも無く、ガムテープも貼られていない男性が居たのである。その男性は気のせいかもしれないが何処かで見かけたような顔つきであった。注意深く写真入りの証明書を見ると、“イグナシオ・ドミンケス”という名前が読み取れた。全員の調査が終わり、岸壁から敵に見つからないよう貨物船の陰に隠れ、通信機のスイッチを入れて身分証明書に書かれた全員の名前と特徴を伝える。幸運にも情報提供者の遺体は無かった。
「ご苦労さん、フランク。こちらで調べてみるよ。何か分かり次第連絡を入れる。後五分足らずで衛星の機能が復活する。衛星の機能が復活してから貨物船に突入するんだ。焦る必要は何処にもない。それまでに準備を整えておいてくれ」
(了解した。いよいよだな)
「それとフランク、回収した身分証明書の件だがまず始めに・・・」
その時、突然重々しい船のエンジン始動音が辺りに響き渡った。貨物船がエンジンを掛けたのだ。余りにも予想外の出来事であった。急いでオペレーターに知らせるべく会話を中断し、貨物船の状況を報告する。
「そんな馬鹿な!?可能な限り偽装するために出港ぎりぎりまでエンジンは掛けない筈だ。出港は十二時じゃなかったのか?幾ら何でも早過ぎる。一体どう言う事なんだ」
(よく分からないが、出港の時間を早めた可能性もある。・・・待て、錨が上がり始めた。このまま本当に出港する気だ)
「それはまずいな・・あぁ艦長、どうなさいます?ええ・・貨物船が・・え?・・はい・・・分かりました」
指令室内の会話がこちらにも聞こえて来ているが、どうやらかなり混乱している様子であった。しばらくすると、オペレーターとは違う声がスピーカーから聞こえてきた。
「聞こえているかな?フランク三等兵曹。こちら警備艇パーシビランス艦長のパウエルだ。時間がないようなので手短に話す。よく聞いてくれ」
(了解しました。そのまま続けてください)
「君が持ち込んだ装備に、船の水密扉に鍵が掛けられていた場合に扉を吹き飛ばすための特殊プラスチック爆弾がある。今すぐ君が装着している防水バッグから取り出して欲しい。心配しなくても防水性能は完璧で、水中でも爆発するよう設計されている。出し終わったらそれを貨物船のスクリューに巻きつけて起爆させ、船の動力を奪ってやれ。少々荒っぽいがこの状況では止むを得ん。ちなみに起爆装置は時限式だ。セット完了後、二十秒で爆発する。くれぐれも爆発に巻き込まれないよう注意し給え。起爆後はこちらから突入の合図を送る。説明は以上だ。それでは始めてくれ」
言われた通りに防水バッグの一つを探ると、レンガ状の形をしたワイヤー付きのプラスチック爆弾が入っていた。安全装置を外し、そのまま爆弾片手に船尾へ向けて泳いでゆく。スクリューの真上に来た所で潜水してスクリューに接近し、手で直接爆弾のワイヤーをスクリューに巻き付けて爆弾をスクリューの根元に固定した後、起爆装置のスイッチを入れる。水中にかすかな電子音が響き、起爆装置の液晶部分に爆発までの残り時間が表示される。
私は急いで両足で海水を蹴り船首に向けて泳ぎ出した。そのまましばらくの間夢中で泳ぎ続ける。やがて船の船首部分が見えてきた。そのまま海中の船首部分にしがみつき船尾の様子を窺う。次の瞬間、耳を突き抜けるような凄まじい衝撃音と共に船尾の部分から岸壁の高さまで優に達するような巨大な水柱が立ち、爆発によって生じた波が船首部分にも押し寄せてきた。押し流されないよう船首を握る手に力を込めてオペレーターに連絡を入れる。
(こちらフランク、貨物船スクリューの爆破に成功。次の指示を待つ)
「よくやった。後一分で通信衛星からの映像が復活する。フランク、そのまま船体に貼り付いて甲板にぎりぎり顔が出ない所まで登って行ってくれ。艦長が言った通り突入のタイミングはこちらの指示に従って欲しい。ここからが本番だ。頑張ってくれ」
声の主は艦長から元のキシモト二曹に変わっていた。指示通り両手両足で船体に貼り付きほぼ垂直な壁を登ってゆく。人間には不可能だろうが、トカゲの私にとっては造作もないことであった。登るにつれて甲板の慌ただしさがこちらにも伝わってくる。貨物船の搭乗員だろうか。スペイン語で何やら騒いでいる。
「何が起こってる!?・・事故な訳・・だろう!・・敵が・・一体・・攻撃は何処から・・・・」
「早く様子を・・!損傷・・度合いは・・出港できるのか!?分かった・・ああ・・今から・・確認・・人員を・・に回すんだ・・浸水・・?いや、それは・・」
「駄目だ・・・スクリュー・・完全に吹き飛んで・・・一旦降りよう」
予想は出来ていたがかなり混乱しているようだった。出港も阻止でき、成果は上々といった所だろう。慎重に登り続けてオペレーターに指示されていた位置まで登り詰めた。片手で防水ケースの中を探って短機関銃を取り出して構える。
(所定の位置に付いた。いつでも突入出来る)
「了解、そのままスタンバイ。通信衛星復旧まで残り十秒。五・・四・・三・・二・・・復旧完了。赤外線測定カメラ異常なし。映像の感度良好。艦長、突入の指示を」
「・・よし、今だ!フランク、突入しろ!」
艦長の声がスピーカーに響き渡る。その瞬間私は手すりを掴み甲板へと躍り出る。甲板に降り立って直ぐにカルテルのメンバーが何人か目に飛び込んできた。ほぼ全員が先端部分にフラッシュライトが装着された機関銃を装備しており、辺りを明るく照らしていた。その内の一人の機関銃はこちらを向いており、ライトに照らし出された予想外の来客(しかもトカゲの怪物である)にしばらく呆気にとられていたが、やがて驚きの声を上げた。
「何だ!?いきなり驚かせるな!」
「ひっ・・ち・・違う・・後ろ、お前の後ろに・・・」
「後ろって・・・え・・・うっ、うわあっ!!ば・・ば、化け物・・!!し・・侵入者だ!撃て、撃て!!」
目の前に居合わせた全員がこちらの存在に気が付き、銃口をこちらに向けてくる。フラッシュライトの光が一点に集められ、まるでスポットライトを当てられているかのようであった。次の瞬間、各自が拳銃や短機関銃などの火器で集中砲火を私に浴びせ掛け、目いっぱいの鉛玉を私の体に撃ち込んできた。無論私にはダメージを与えられず、時間稼ぎにすらならない訳だが。
全員かなり怖気付いて浮足立っているようで、射撃もかなり乱雑なものであった。私は一歩ずつゆっくりとした歩調で私から一番近い場所で拳銃を乱射している男ににじり寄っていく。男は恐怖に満ちた表情で拳銃の引き金を引き続けていたが、やがて銃弾は発砲されなくなった。弾切れを起こしたのである。余程混乱しているのか、それでもなお男は悲鳴を上げながら引き金を引き続けていたが撃鉄の音が虚しく響くのみであった。私が男の目の前まで迫ると逃げることさえ忘れてしまったのか、腰を抜かしてその場に倒れ込んだ。倒れた拍子に拳銃を足元に落としてしまったが、未だに弾切れの拳銃への執着心を捨て切れないのか両手でしきりに地面を探っていた。
倒れた男に流れ弾が当たるのを恐れてかひとまず鉛玉の雨は止み、他のカルテルのメンバー達は甲板の上を右往左往していた。私は弾切れの拳銃を遠くに蹴り飛ばし、空いていた片手で男の服を掴み、男ごと空中に持ち上げた後、男の顔を自分の口元に近付け、大きな舌を伸ばして男の首筋を舐める。放心状態という言葉が一番よく当てはまるのだろう。目の焦点は定まっておらず抵抗する気力も失ってしまったのか、体は固く強張り全くと言って良いほど動かず、力のない悲鳴を上げていた。私が口を開くと、口の中に溜まっていた唾液が拘束した男の顔にだらりと滴り落ちる。口を大きく開けて男の顔面に生温かい吐息を十二分に吐き掛けた後、鋭い歯で負傷させないよう注意しつつ頭から肩までを咥え込み、嚥下する。一度の嚥下で男の上半身の全てが口の中に消え、臀部と両脚が残るのみとなった。そのまま舌をフックのように股に引っ掛け、更に口の中へと男を引きずり込む。ふと、他の甲板に居た構成員達に目をやると、皆銃を構え、まさに戦慄とでも言うべき表情でこちらの動きを凝視している。ちょうど正面に立っていた機関銃を持ったカルテルの戦闘員を睨み付けながら、最後の一呑みで男を胃袋に送り込む。べろりと舌を出して口周りに付いた唾液を舐め取り、一つわざとらしく大きなゲップをして見せる。次は誰だと言わんばかりに全員に目を向けると、私を囲んでいたカルテルの戦闘員達は引きつった表情を浮かべて一斉に大きく引き下がった。
「そ・・そんな・・呑み込みやがった・・!!それに機関銃が効かないなんて・・・!!」
「ひ・・嘘だろ・・スクリューは爆発するし、おまけに今度はトカゲの化け物・・!悪夢でも見ているようだ・・」
「怖気付くんじゃない!!しっかり狙って撃て!あいつのことはもう諦めろ!」
「二人が行方不明になっていたって・・・ま、まさか・・・こいつに!?」
「ご名答。腹の足しにもならなかったがな。それと、そんな豆鉄砲で私を倒せると思うなよ。・・・お前達、全員食い殺してやる」
我ながら恥ずかしい台詞ではあったが、この状況で相手を威圧するには十分過ぎたようであった。
「こいつ・・・しゃ・・喋った・・!!だ・・駄目だ、もう弾切れだ。このままじゃ勝てっこない。一旦逃げよう」
「俺も・・。な・・何だよ・・こいつは・・。一体どこから来たんだ・・・。に・・逃げよう。こんな所で死ねるか・・」
遠巻きに私を囲んでいた二名が機関銃を投げ捨てて逃げてゆく。悲しきかな、二人を引き止める者も居なかった。残された者も進んで私と一戦交えようとする者は一人として居なかった。戦闘員達は散発的に私に向かって発砲してきたが、弾切れを起こすと一目散に引き上げていった。
「そのエンブレム・・!お前、まさか・・アメリカの・・お、おい!俺を置いていくな!」
最後まで残った戦闘員も流石に一人で白兵戦に持ち込んでまで私と戦う意思は無かったらしく、自分一人だけ取り残されているのに気が付くと、私の動きと服装を気にしながら、どこかに走り去って行った。最後の一人の行方を見届ける間もなく、突然、スピーカーにオペレーターの声が響く。
「フランク!危ない・・・」
「分かっている。七時方向だろ?」
片手に持っていた機関銃を私の足元に落として後方を振り返り、素早く体を翻して身構え、後方からの攻撃に備える。見ると丁度、一人のカルテル戦闘員が両手で刃渡り二十センチ近い一振りのサバイバルナイフを握りしめ、気合いの籠った掛け声と共に、全力疾走で私の死角から真っ直ぐに突撃を仕掛けて来た所であった。薄暗い場所でも視界を効かせるためか、暗視ゴーグルを装着していた。
次の瞬間、私の腹部目がけて手にしたナイフを力一杯突き出してくる。私は落ち着いて片手でナイフの刃の部分を掴んで勢いを殺しに掛かるが、速力も伴った凄まじい力であり、止めるのに少々苦労した。もう片方の手で戦闘員が装着していた暗視ゴーグルを剥ぎ取り、海の方へと投げ捨てると突撃してきた戦闘員の素顔が目に入った。驚いたことに顔つきはまだ幼く、年は十五、六と言った所か、見紛うこと無き少年の顔であった。よくよく見ると両目の下には大きな隈が出来ており、かなり顔色が悪く、お世辞にも健康そうとは言えなかった。それにしてもこの少年は単独で、しかもナイフ一本で得体の知れない怪物(私のことである)と対峙しているというのに、恐怖心はほとんど感じられず、緊張による力みもなく、不思議なくらい落ち着き払っている。先程私に向けて発砲してきたカルテルの戦闘員達とは余りにも対照的であった。
少年はナイフによる攻撃は諦めたのか、ナイフから片手を離して拳を握りしめ、低く身構えた私の顔面に向けて力を込めた一撃を繰り出してくる。躊躇している様子は感じられず、ナイフから拳への攻撃の切り替えも尋常ではない早さであった。目はこちらの顔を真っ直ぐ見つめており、凄まじい殺気に満ちた表情を浮かべていた。私は突き出してきた少年の腕を受け止めると同時に、力ずくでナイフを奪い去り、遠くに放り投げる。ナイフを投げた方の手で少年の首元を掴んで体勢を崩させ、その場に押し倒して上に覆いかぶさる。少年は尚も抵抗を続け、息を切らしながらなんとか私の拘束を振り払おうと必死に手足を動かす。
その時、少年の呼気の特徴的な匂いが私の鼻を突いた。嗅覚には自信があったためこれだけは間違いない。大麻の匂いだった。どうやら薬物を常習的に摂取し、恐怖心と緊張感を極限まで抑え付けているようだ。顔色の悪さも副作用によるものだとすれば説明が付く。恐らくはカルテルによって薬漬けにされたのだろう。
「ふん、言葉通りのアサシンと言う訳か。勇気は称賛に値するが、その程度で私を倒せるとでも?なぜ君のような子供がこんな所に居る?」
「子供扱い・・するな。ボスは・・俺達の・・味方だ。俺は・・ボスの恩には身を持って・・報いる。ボスの計画を邪魔する者を・・消す・・ためだ」
落ち着き払った表情で何とも恐ろしいことを言う。本当にカルテルの「ボス」に恩義があるのか、それとも単に薬で洗脳されているだけなのかは私にとってはどうでもいい問題だったが、とにかく情報提供者の救出を急ぐ必要があった。良心が邪魔をするが子供とは言え容赦する余裕はない。通信機に声が響く。艦長の声であった。
「何をしているのだ、フランク!早く止めを刺して人質の救出に向かえ!」
(気が進みませんが・・・了解しました。艦長)
「悪い子にはお仕置きだ。覚悟しろ」
「何をする、やめ・・」
少年が喋り始めると同時に口を開き、私は顔を横に向けて覆いかぶさった少年の頭を左右から挟むようにして深々と咥え込む。当然、少年は先程以上に抵抗し、何としてでも私の口から脱出したいようで、激しく頭を動かしていたので、私が少年の顔を傷つけないか不安になる程であった。当然、私は脱出することを許さず、咥え込んだ少年の首に太い舌を伸ばし、頸動脈の位置を探る。
すると程無くして周期的に脈を打つ箇所を探り当てたので、その部位を中心に少年の首に舌を巻き付ける。徐々に舌に力を加えて首を締め上げて頸動脈を圧迫し、頭に向かう血の流れを鈍らせる。すると血の流量に比例するかのように少年の抵抗は次第に弱くなってきた。少年は息が詰まってかそれとも泣いているのか口の中で頻繁に咳き込んでいる。残念ながら今はどちらなのかを確認する手立ても暇もない。
私はためらいの気持ちを抑え付けて一気に頸動脈に巻き付けた舌に力を込めて締め付けを強める。少年の全身の筋肉が硬直し、やがて全身から力が抜け動かなくなった。
どうやら気を失ったようである。しかしながらこのまま解放してはすぐに意識を取り戻してしまう。可哀相だったがあらゆる可能性を考えた場合、この少年の戦闘力を完全に奪っておいた方が得策だった。それに目を覚ました後、全身に爆弾をくくり付けて捨て身の攻撃などして来られては流石の私でも堪ったものではない。薬漬けにされたこの少年の心理状態からすれば、命など惜しみはしないだろう。私は締め付けていた舌の力を緩めてその場にしゃがみ込み、少年を口内からは解放せず、そのまま嚥下を繰り返して少年の体を喉の奥へと送り込んでゆく。小さな体はあっという間に喉の奥に消えてゆき、唾液と共に胃の中に落ちて行った。
「溶け始める前にまず全身に麻酔が回る筈だ。完全に麻酔が効き次第外に出してやる。少々臭いだろうが我慢してくれ」
膨らんだ腹部を見つめて話しかけた後、落とした短機関銃を拾って素早く立ち上がる。辺りを見回すと人の姿は見えない。私は急いで甲板に積んであった操舵室に一番近いコンテナの陰に滑り込みコンテナに貼り付いて一旦身を隠した。コンテナの陰から顔を出し、操舵室の方向に目をやると、相変わらず大きな動きは見られない。乗組員の多くは貨物船の外に逃げ出したか、船室に立て籠っているのだろう。スクリューを爆破してからかなりの時間が経過していたが船体には異常な傾きはなく、どこか浸水している様子もない。ふと足元を見ると、逃げ出したカルテルの戦闘員が落としていった短機関銃が落ちていた。見ると、ヨットハーバーで奪った物と同じ型であったが、レーザー照準器や中距離用スコープが装着されており、中々豪華である。よくも弾切れなど大嘘がつけたものである。拾い上げて弾倉を引き抜くと銃弾が限界まで詰め込まれてあり、安全装置は外されていて連射モードに設定されていた。敵前逃亡もいい所だ。弾倉を元に戻して安全装置を掛けた所で、少し前にキシモト二曹や仲の良い水兵達と艦内のスクリーンで観た西部劇のワンシーンが脳裏に浮かんできた。主人公の青年が両腰に着けたホルスターからリボルバー拳銃を引き抜いて片手に一丁ずつ構え、襲いかかってくる悪人達を二丁拳銃で次々となぎ倒してゆく場面である。
「二丁拳銃ならぬ二丁機関銃か・・・悪くはないな」
拾い上げた短機関銃を片手に構え、もう片方の手で先に奪った短機関銃を構える。グリップも私の手に丁度合っており、かなり精密な射撃が出来そうである。目を閉じると、眼前には乾いた風が吹き荒れる荒野の風景が浮かんでくる。私は二丁の機関銃を腰に下げて荒れ道を行くガンマンであった。やがてどこからか数名の拳銃を持った男が現れ、私に向かって発砲してくる。私は近くにあった岩陰に身を隠して(命中した所で大丈夫な訳だが)両手に機関銃を構えて相手の隙を突いて飛び出す。拳銃の再装填に手間取っていた二人に銃口を向け引き金に指を掛けて発砲する・・・
私が頭の中のスクリーンの英雄で居られたのはその一瞬だけであった。残念ながら現実は私を白昼夢の世界には長居させてはくれなかった。トラックのエンジン音が貨物船の方向に近付いて来たのである。カルテルの戦闘員がトラックに向けて発砲しているのか、貨物船を降りてすぐの岸壁から断続的に発砲音が聞こえてくることからすると少なくともカルテルの応援部隊ではなさそうだった。急いで二丁の短機関銃を防水ケースにしまい、無線機のスイッチを入れる。
「ジェフ、トラックが一台こちらに接近しているようだ。何処のものかちょっと調べてくれないか」
「了解。・・・今見えた。あー・・・これは厄介な事になったぞ。兵員輸送用の軍用トラックだ。恐らく騒ぎを聞き付けて当局が軍隊を派遣したんだろう。フランクの救出作戦にはむしろプラスの要素になるだろうが、仮にもフランクは“合衆国防衛上の軍事機密”と言う存在だ。あまり下手に大勢の人に見られるべきではないからな・・・」
「軍機なんて糞喰らえだ。私はどうすればいい?このままじゃ犠牲者が出るぞ」
無線の声が変わる。艦長の声がスピーカーに響いてきた。
「フランク、軽率なことを言う物じゃない!それにしても忌々しいものだ。苦労してようやくここまで辿りつけたものを・・・。ええい、フランク、とりあえずその場で待機だ。制圧部隊が敵勢力と交戦し、奴らが戦闘に気を取られるまで待て」
「申し訳ありません、パウエル大佐。了解しました。この場で待機します」
静かにコンテナから身を乗り出し岸壁の様子を探る。既に体色はコンテナの色彩に同調しているし、目には付かないだろう。見ると、一台の軍用トラックがヘッドランプを明々と点灯させ、全速力で貨物船の方へ向けて岸壁を疾走してくる。時折車体から火花を飛び散らしているのは被弾しているためか。しかしフロントガラスも含めてある程度は防弾加工がなされているらしく、少々の被弾は問題ないようであった。やがてトラックは貨物船まで五十メートル程度という距離まで接近してきた所で、急ブレーキを掛けて激しいタイヤの摩擦音と共に車体をスライドさせつつ停車する。停車すると同時にヘルメット姿に自動小銃を手にした政府軍と思われる兵士達が軍靴の音を響かせながら一斉に荷台から降りて来た。彼らは小銃を構えて発砲しつつ続々と貨物船の方向へ突撃を仕掛けていく。中には小銃の先端に銃剣を装着している兵士もいた。当然貨物船から降りていたカルテルの戦闘員達も黙ってはおらず、遮蔽物に隠れながら応戦している。一瞬の内にして岸壁は激しい銃撃戦の場となった。カルテルのメンバー達にとっては私の登場に加えて政府軍のお出ましという正に泣き面に蜂という状況だろう。船外に繰り出していたカルテルの戦闘員の殆どが倒れ、自動小銃で武装した政府軍の圧倒的勝利かと思えば実際はそうでもないようであった。先頭を走っていた兵士達は貨物船まで後僅かという所で次々に銃弾に倒れてゆく。見た所、尚も船内から戦闘員が応援に駆けつけているようだったが、岸壁周辺に居たカルテルの戦闘員はあらかた片が付いている。これは何処かから狙い撃ちされていると考えるのが賢明だろう。とすれば、この地区の何処かに狙撃手が潜んでいる筈だった。
優れた嗅覚を利用して周囲の状況を探るため、目を閉じて精神を集中させながら、長い舌を出し入れして周囲の匂いの状況を探る。すると、貨物船の上方から強い硝煙の匂いと人間の体臭が混ざった匂いが漂ってきているのが感じ取れた。恐らくは艦橋の屋上だろう。確認を取るためにオペレーターに連絡を入れる。
「ジェフ、艦橋の屋上に何か見えないか?ちょっと確認頼む」
「了解、今カメラをそちらに回している・・・見えた。艦橋の屋上に腹這いになった人が二人見える。一人は銃身の長いライフルを操作しているな。恐らくは狙撃用ライフルだろう。もう一人は・・・双眼鏡か?双眼鏡の様な物を覗きながらスナイパーに何やら指示を出している。それにしてもあんな所によく登ったもんだ」
「ジェフ、駆けつけた政府軍の部隊だが少々旗色が悪い。恐らく政府軍を苦しめている元凶はそいつらだ。ここは一つ助太刀してやるのが筋って物じゃないだろうか?どう思う?」
返ってきたのは艦長の返事だった
「馬鹿者!イレギュラーな行動は慎め、フランク。そのまま待機だ。万が一にも失敗は許されんのだぞ!?」
「お言葉ですが艦長、当局の制圧部隊が岸壁から攻勢を掛けており、スクリューも私が爆破してしまいました。こいつらには最早逃げる術などありはしません。それとも艦長は不毛な犠牲が増えることをお望みでしょうか?スナイパーの始末が出来るのはこの場において私しかおりません。ここは私にやらせて下さい」
「パウエル大佐、暫くの間は余裕があると思われます。ここは一つフランクに賭けてみるのも一興では?」
オペレーターのキシモト二曹の声が聞こえてきた。どうやら私を援護してくれたらしい。
「ええい、好きにしろ」
一言艦長は言い残してその場を離れていったようである。私はすぐさまスナイパー制圧のために準備を始める。流石に胃の中に二人も詰めた状態では作戦行動に支障が出ない訳がない。二人共に呑み込んでからそれなりに時間が経過していたし、初めから気絶していた少年はとにかく、先に呑み込んでいた私に向かってパニック状態で拳銃を乱射していた男は呑み込まれてからようやく私の体内で暴れ始めたが、あっという間に全身に麻酔が回り昏睡してしまったようで、今はもうピクリとも動いていない。吐き出してやるには丁度良い時分であった。口を開いて喉を指で刺激して、その場に二人を胃の中の消化液と共に勢いよく吐き出し、その場に寝かせてやる。どちらもよく眠っているようであった。立ち上がりざまに吐き出した少年のズボンのポケットから小さな箱状のケースが飛び出しているのを見つけた。手にすると箱の表面はべっとりと濡れていたが、開けてみると中までは濡れていないようであり、乾燥させた大麻の匂いがその場に広がった。中には作りの荒い紙巻きタバコのようなものが何本も詰められていたが、お手製の大麻タバコと言った所だろう。こんな物が少年の健康に良い訳がない。少年の顔を見ると目の近くが腫れている。どうやら私の口の中で泣いていたようだ。
「子供が吸う物ではない。まだまだ先の長い君には不要な物の筈だ。それと・・・怖い思いをさせて済まない。これに懲りたらもう二度とこんな真似はしないでくれ。それにしても子供をこんな目に・・誰かは分からないが・・絶対に許さない・・」
眠っている少年に語り掛け、大麻タバコを箱ごと海に投げ捨ててからスナイパーの排除に向かう。人目を避けるため船の海側の側面に再び貼り付き、船の後方を目指した。移動している間にも激しい銃撃音と悲鳴が聞こえてくる。とにかく急がなくては。スクリューの真上付近に到達した所でオペレーターから通信が入った。
「フランク、移動しながら聞いて欲しい。銃殺され貨物船の近くに浮かんでいた犠牲者全員の身分が割れた。手短に言うなら犠牲者の全員が麻薬撲滅に力を入れていた地方の有力な政治家や警察組織の幹部などのかなり高い身分の公務員だ。特筆すべきはフランクが言っていたイグナシオ・ドミンケスという一人だけ目隠しもガムテープもされていなかったスーツ姿の男だ。驚かずに聞いてくれ。その男だが、当局公安省に務めている現役の長官だ。二週間近く前から消息を絶っていたらしい。ほらフランク、先週ニュースでやっていたあれだ。ニュースで顔写真が出ていただろう?俺と一緒に艦内でテレビを見ていた時だ。覚えているだろう?」
思い出した。先週何気なく艦内でテレビニュースを観ていた時、画面に大きく一人の男の顔写真が映し出され、その隣で女性アナウンサーが深刻な表情で原稿を読み上げていた。聞くと中米の国で現職の省のトップが数日前から行方不明となっており、全く行方が分からず混乱が広がっているとのことであった。アナウンサーは不確定の情報だと断わりを入れていたがどうやら麻薬カルテルが事件に絡んでいるらしく、関与が疑われるカルテル名を確か「紅の豹」だと言っていた。そう、その顔写真と額を撃ち抜かれ波間に漂っていたスーツ姿の男は全く同じ顔をしていたのである。
(そんな馬鹿な。嘘だろ)
「残念ながら現実だ。どうやら麻薬カルテルの力は一国の国家権力と十分渡り合える程度まで肥大しているようだ。このまま事態が悪い方向に進めばカルテルがその国の政権を掌握する可能性もゼロとは言い切れなくなってくるだろうな・・・」
話をしている間にも私は移動を続け、船の後部から再び甲板に上がった後艦橋の後部の外壁まで走り、外壁に貼り付いて屋上まで十メートル近くある艦橋を一気に登り始める。順調に登り続け、徐々に頂上が近くなってきた。屋上の床に手を掛け、狙撃手に気付かれないよう静かに全身を屋上に乗り出す。見るとライフルを二脚の銃座に載せスコープを覗いて狙いを定めている男、双眼鏡片手に岸壁の様子を探っている男が一人ずつ居た。二人とも腹這いになっており完全に私に背を向けている。私は静かに四つ足で二人の背後まで忍び寄り、片手を伸ばしてライフルのスコープを遮った。
「・・・おい、肘が邪魔だ。スコープを遮っているぞ」
「何を言っているんだ?俺じゃない。遮ってなんかいないぞ」
「・・・え?じゃあ誰が・・・まさか・・・!?」
ライフルを操作していた男はスコープから目を離し、手元に置いてあった暗視ゴーグルを着けて後ろを振り返る。すると、丁度私と目が合った。男の体の動きが一瞬止まるのと同時に私は話し掛けた。
「よう、大将。良い眺めだな」
次の瞬間、男は凄まじい大きさの悲鳴を上げた。余程驚いたのであろう。私は男の体を両手で持ち上げてそのまま大きく振りかぶって力一杯男を艦橋の屋上から海の方向に向けて投げ飛ばした。男は悲鳴を上げながら綺麗な放物線を描いて飛んでゆき、夜の海へと落ちていった。しばらくすると大きな着水音が聞こえてきた。恐らくは無事に着水出来たのだろう。双眼鏡を手にしていた男は一連の成り行きを唖然とした表情で見つめていたが、やがて我に返ったようで、その場から急いで立ち上がり緊急用に隠し持っていたと思われるオートマチックの拳銃を取り出して後ずさりしながら私に向かって発砲してきた。私も男に歩調を合わせて一歩ずつ歩み寄ってゆく。
「く・・来るな・・!まさかこんな所に・・!甲板の連中が相手していた筈じゃ・・」
「おいおい・・そんな玩具じゃ無理だ。それに甲板の連中は皆逃げてしまったぞ。もう諦めてこっちへ来い!」
私は出来る限りの恐ろしい表情と爬虫類らしい氷のような眼差しを作り、後退して行く男を一喝する。薄暗い中でも拳銃の発射炎で瞬間的には私の全貌が目に入るようであり、より一層緊張した表情を浮かべて歩調を速めて更に引き下がってゆく。もう屋上の床の縁まで二メートルもない。弾が尽きたようであり後退しながら弾倉を入れ替えて尚も絶望的な抵抗を続ける。その時だった。突然男が体勢を崩し、そのまま後方に倒れ始める。どうやら暗闇で床の端の位置を見誤っていたようだ。
「危ない!」
私は一言叫び全速力で男の元に走り寄る。尚も男は倒れて行き、屋上から甲板に向かって頭から落ちてゆく。私も屋上の縁から身を乗り出すが僅かに手を伸ばして届く距離ではない。恥ずかしい手段ではあったが、舌を思い切り伸ばして男の足に巻き付ける。すると何とか男の体の落下は止まった。そのまま手が届く位置まで引き上げてから両手で男の片足を落とさないようしっかりと掴んだ後、舌を口の中に戻した。
「ひ・・落ちる・・!頼む・・・助けてくれ・・!こんな死に方は真っ平だ・・!助けてさえくれれば何だってしてやる・・!」
「分かった、分かった。助けてやる」
私は一言返事をした後、両手に力を入れて男の体を屋上に引き上げる。男は私の出現、死への自由落下という二重の極限の恐怖を存分に味わい、暫くは足腰が立たないようであった。肩で息をしている男に向けて話し掛けた。
「何でもしてやるという話だった筈だ。早速だが私の言うことを聞いてもらおう。単刀直入に言うが私の餌になってもらう。どうだろう?落下して五臓六腑を撒き散らして犬死にするより余程お前にとっても有益な筈だ。それに・・・お前のような人殺しはそれ相応の報いを受けて然るべきだと私は思うな」
「よ・・よせ。俺は一人も殺してなんかいない。ただ・・狙撃手に敵の位置を教えていただけだ・・殺すなら・・あいつの方だ・・」
「ふん、それは違うな。お前のやっていたことは言うなれば殺人幇助、間接的な人殺しだ。奴は論外としてお前も同罪だ。それにお前達は政府の軍隊に銃口を向けていたな。これは国家権力に対する挑戦とも言えるのでは?さて、罰を受けてもらおうか」
「そんな・・い・・嫌だ・・怖い・・」
「これ以上は問答無用だ。さて、楽しませてもらおうじゃないか」
そう言って圧し掛かり体の自由を奪った上で男の顔面に唾液塗れの舌を伸ばして舐め回す。舌が乾いてくれば、口の中に戻して十分に舌を湿らせた後再び舐める。これを例えるならば、べっとりとした油絵具を絵筆でキャンパスに何層にも重ねて塗っていく感覚と言った所だろうか。あっという間にキャンパス、もとい男の顔面は粘液に塗れる。それでも尚、舌を使って唾液の重ね塗りを続けていくと恐怖心、絶望感、屈辱感といった負の感情が男の心にも存分に塗りたくられている事が男の表情の変化から十分に読み取ることが出来た。今度は服の隙間から舌を差し込んで胴体を舐める。気色の悪さに堪らなくなったのか男は声を上げた。
「うえっ・・頼む・・もう勘弁してくれ。二度と・・こんなこと・・辞めてやるから・・く・・許して・・」
その時無線連絡が入った。キシモト二曹からであった。
「フランク!遊んでいたい気持ちは分かるが、状況が状況だ。トラックに続いて軍の特殊部隊のものと思われるヘリコプターが貨物船に向けて接近している。当然カルテルの戦闘員は接近を妨害してくる筈だ。まだ操舵室付近には動きはない。フランク、狙撃用ライフルを奪い特殊部隊をカルテルの戦闘員から守ってやってくれ。ライフルの扱いについては十分に訓練を受けたと聞いている。こちらも衛星を使って可能な限りの援護をしたいと思う。フランク、急いでくれ。狙撃手を排除したことで政府軍は息を吹き返したようだ。もう一息だから頑張ってくれ」
(了解。私に任せてくれ)
「デッサン」に夢中で気が付かなかったが、遠くからヘリコプターの低いローター音が近付いていた。最後に限界まで舌を伸ばして胸から額までを一気に舐め上げる。
「もう少し遊んでやりたいのは山々だが、私も忙しい身の上でね。残念ながらここでお別れだ。それでは良い旅を」
「嫌だ・・許してくれ・・こんな死に方・・う、うわあああ!!」
大口を開けて男の体を掴み、頭を喉の奥まで差し込んでから口を閉じ呑み込んでゆく。全身に唾液が馴染んでおり抵抗が少なく、喉を通ってゆく感触は今までになく爽快であった。腰まで完全に口内に収まったのを見届けてから口を上に向け、重力を嚥下の力に加えて腰から下を一呑みにして男の体を食道の先にある消化液の海に叩き込んだ。
呑み込んでから男は激しい抵抗を始めたが気に留める必要は無かった。男と共に呑み込んだ空気をゲップとして吐き出し、銃座付きの狙撃用ライフルの元へと走り寄り、自分も腹這いになって(私にとってはこちらの方が自然な姿勢かもしれない)ライフルのグリップを握りスコープを覗きこむ。
箱型の弾倉が装着されており、スコープは暗視モードになっていて暗い中でも容易に照準が合わせられた。おまけに銃口の先端には消音装置が装着されており、軍の特殊部隊も真っ青になってしまいそうな代物であった。
空に目をやると徐々に遠くの空から明々とサーチライトを点灯させたヘリコプターが低空飛行でこちらに接近しているのが見えた。再びスコープ越しに貨物船周辺の様子を探ると貨物船へと接近してくる政府軍兵士と戦うためかカルテルの戦闘員が次々と貨物船から繰り出して来ている所であった。狙撃手によってかなりの被害を与えられたのか、見えている政府軍兵士の数は当初より減っていた。ふと貨物船付近に停車しているカルテルの物と思われるワゴン車の方を見ると車の陰に隠れて細長いケースから筒状の物体を取り出しているカルテルの戦闘員が居た。その男にライフルの照準を定めるがどうも照準が安定しない。どうやら呑み込んだ男のせいであった。激しく体を動かして抵抗するため、私の体も微妙に動いて精密な射撃の邪魔をしているようだ。
「少し大人しくしてくれ」
そう言って体をひねって腹部をよじり、そのまま腹筋にありったけの力を込めて体内の男の全身を思い切り締め上げた。何度も締め上げている内に気絶してしまったのか、男の抵抗は完全に止んだ。
気を取り直して照準をワゴン車の後ろの戦闘員に合わせると、筒状の物を肩の上に乗せて筒の先端をヘリコプターが接近している空へと向けていた。それは紛れもなく携行式の対空ミサイルであった。素早くミサイル発射器の上部に取り付けられているレーダー照射器と思われる部分にライフルの照準を合わせ直す。無線からオペレーターの声が響いた。
「フランク!岸壁のワゴン車の後ろに対空ミサイルを構えた・・・」
「ああ、知っている」
オペレーターの会話を遮り静かに引き金を絞った。次の瞬間、超音速で撃ち出されたライフル弾が覗きこんだスコープに映ったミサイル発射器の上部を貫通した。着弾時の衝撃からか男はミサイルを肩から落として、何が起こったかさえ理解せずに慌ててその場から走り去った。
「お見事。流石はフランク。奴ら何処からこんな装備を・・・ああ、済まない。それとフランク、船内から続々とカルテルの戦闘員が船外に出て来ている。今がチャンスだ。政府軍の援護をしてやってくれ」
「了解。但し、ここは私のルールに従ってやらせてもらおう」
手始めに岸壁のトラックに隠れながら機関銃を乱射している男の機関銃に照準を合わせて引き金を絞る。男が手にしていた機関銃は吹き飛んで行き、そのまま海へと落ちた。次に政府軍のトラックへと突撃してゆく戦闘員の足に照準を合わせて引き金を引く。見事足に命中し男は武器を落としバランスを崩してその場に倒れ込んだ。同じようにして立ち止まりながら発砲している戦闘員の銃器、走行中の戦闘員の足元に向けて次々と発砲してカルテル戦闘員の戦闘力を奪ってゆく。幸運にも銃弾は一発も無駄にはしなかった。通信機にオペレーターの感心に満ちた声が伝わってきた。
「ヒュー、ナイスショットだ、フランク。素晴らしくクリーンな戦いっぷりだな。さて、そろそろ・・・おっと、残念ながらお客さんがもう一人。貨物船の船首部分だ」
「了解・・・見えた。く・・少し岸壁に夢中になり過ぎたか」
見ると一人のカルテル戦闘員が船首部分に立ちながら携行ミサイルをヘリコプターに向けて構えていた。先程よりもヘリはかなり貨物船へと接近している。ミサイルが発射されれば撃墜は避けられないだろう。ライフルの照準をミサイル発射器の上部に合わせる。先程と比べて目標まで距離が離れている。良い具合に屋上から狙える位置でミサイルを構えていたが、外せばコンテナの陰に隠れられてしまうに違いない。一撃で決める。それ以外に方法は無かった。スコープの倍率を上げて息を止め、全神経をライフルの照準に集中させる。距離がある分、僅かな手ブレでも大きく着弾点が変化するため、慎重にじわりじわりと照準を発射器に合わせてゆく。
「よし・・今だ」
照準が最適な位置に重なった時、ゆっくりと引き金を引いた。僅かな発砲音と共にスコープの向こうでミサイルのレーダー照射器と思われる部分が吹き飛んだ。弾丸は見事に命中したのである。ミサイルは使い物にならなくなったらしく、男はその場にミサイルを捨てて走り出し、そのまま何故か海へと飛び込んだ。
「命中を確認。お見事、フランク三曹。シモ・ヘイヘもあの世で驚いていることだろう。まさかトカゲのスナイパーがこの世に生まれるとはなぁ」
「持ち上げ過ぎだぞ、ジェフ。訓練さえ受ければ誰だって出来るさ。・・・ヘリが到着した。どうやら貨物船に直接降下するらしい。良い降下地点を探しているようだ」
もう援護は必要ないだろう。ライフルをその場に放棄して屋上の真ん中まで四つ足で移動する。かなり空腹だったのでこのまま胃液で溶かして本当に私の餌にしてやっても良い気がしたが、私は怪物であっても悪魔ではない。理性だって備わっている。本能を抑え付けて男を吐き出し、吐き出したその場に大の字に寝かせてやった。屋上の中央ならば間違っても転落する心配はない。ヘリの音に混じって何かのエンジン音がする。音源を調べるために立ち上がった瞬間、緊迫したオペレーターの声が無線を通じて伝わってきた。
「操舵室付近に動きあり。船室から甲板へと二人出てくる。一人は両手を後ろに組まされており、目隠しか・・?目隠しの様な物で視界を奪われているのか、動きがぎこちない。はっきりとは言えないが情報提供者の可能性が高い。先回りして調べて・・ん・・?沖合にモーターボート・・?しまった、そういう事か!奴らモーターボートで人質ごとここから逃げ出す気だ。くそ、脱出の手段はまだあったのか。フランク!急いで艦橋の屋上から甲板に降りるんだ。時間がない」
「分かった。直ぐに向かう」
一言オペレーターに言い残し、艦橋の前方から垂直な壁に貼り付き、頭を地上に向けた姿勢で急いで降り始める。私の視線の先には拳銃を片手に、目隠しをされた男の肩を持ちながら階段をゆっくりと下ってゆく男の姿があった。ほぼ間違いなく目隠しをされた男は米軍に対する情報提供者、もとい麻薬カルテルの裏切り者であろう。カルテルの情報、目的を聞き出すためには必ずカルテルの魔の手から救出し、安全な合衆国まで連れて行かなくてはならない。万に一つの失敗も許されないのである。人質の救出作戦は何度も訓練を重ね、私はあらゆる状況に対応出来るように訓練されてはいたが、いざ実戦となり人質を目の前にすると緊張で僅かではあるが体が強張ってしまうのには我ながら閉口してしまう。私の存在を悟られないよう細心の注意を払いつつ垂直な艦橋を男の居る方向に向けて物音一つ立てずに降りて行く。半分以上艦橋を下りた所で男は更に階段を下り甲板まで後五段程度の所まで来ていた。タイミングも絶妙であり、この高さなら私も負傷する心配はない。
私は意を決し、前足で艦橋の壁を強く押し、体に回転の力を加えて艦橋から階段を降りてすぐの甲板へ向けて飛び降りるべく、空中に躍り出た。体をひねって回転を微調整して四足同時に着地できるように体勢を整え、大きな衝撃音を響かせ甲板に着地した。衝撃を四つの足と尻尾で受け止めたので着地時の痛みもほとんど無かった。
すぐさま立ち上がり、階段の前に立って男の逃げ道を遮る。男は私の出現にはさして驚いたような表情は見せず、階段の上で立ち止まって、手にしていた拳銃を目隠しされた男の頭部に突き付けて落ち着いた様子で私に話しかけた。
「部下達が言葉を話すトカゲの怪物に襲われていると連絡を受けたが、お前の事か。目的を聞かせてもらいたい」
「カルロス・フェルナンドだ。フェルナンドを渡せ。そうすれば直ぐにでも消えてやる。あんたにも危害は加えない」
「この男がそいつだが、残念ながらその要求には従えない。米軍やFBIに我々の計画をリークしようとするような危険分子を野晒しにする訳にはいかないし、裏切り者は最も残酷な手段で公開処刑にして見せしめにするのが我々のやり方だ。・・・察するにお前は米国政府の回し物だな?ふん、人間の都合で開発された生物兵器という所か。渡すつもりはないし、少しでも手荒な真似をしてみろ。こいつの頭を吹き飛ばしてやる」
「もう諦めろ。政府軍も包囲を固めているし、肝心のボートで脱出する方法もたった今潰えてしまった。逃げ場はないぞ」
そう言って私は階段に向けて歩き始める。階段に足を掛けようとした瞬間、男は目隠しをされた人質と共に階段を数段登り、人質の体を自分の体に密着させ拳銃を構え直した。
「そこで止まれ。それ以上近付けば取り返しの付かない事になる。こいつが死ねばお前がここに居続ける理由も無くなるだろう?とっとと道を開けろ。俺のプライドに掛けてもこいつは渡さない。」
「それ以上近付けば、か。いや、もうこれで十分だ」
「何を言っている?お前と遊んでやる時間は無い。ふざけた事・・・」
男の一瞬の隙を見逃さずに勢いよく拳銃を目がけて舌を吐き出し、拳銃を握り締めた腕ごと舌を巻き付けてそのまま引っ張り銃口を人質から逸らした。
「く・・!舐めた真似を!離せ!!」
男は人質に構っている余裕も無くしたのか、人質の肩から手を離し階段の手すりを掴んで何とか体勢を維持している。私はゆっくりと首を横に振り、一旦完全に舌から力を抜いた後、舌に有りっ丈の力を入れて自分の方向に向けて引き寄せる。すると男は体勢を大きく崩して階段を転げ落ち始めた。全身を階段に打ちつけて凄まじい音を立てており、見るからに痛そうである。最後の一段を転げ落ち、私の目の前で止まった。すぐさま男の腕から拳銃を奪い去り、男の手が届かない場所に落とした。ふと人質の方向を見ると、人質は何が起こっているのか分からないようで、階段の上にしゃがみ込み不安そうにしている。
「よくやった、流石はフランク。それとヘリコプターが船首部分の上空でホバリングをしている。恐らく貨物船に特殊部隊の隊員を直接降下させる気だ。隊員との接触は避けろ。万が一発見されれば面倒な事になりそうだ。今すぐに人質を拘束から解放しの身元の確認を行ってくれ」
「了解した。それとこの男だが、口ぶりからしてどうやら幹部級の構成員だ。当局者に引き渡せばカルテルに少なからずの打撃を与えられるだろう。少し眠らせておこう」
「それは名案だ。しかし確実だが時間の掛かるフランクお得意のあの汚らしい方法は止めといた方が良い。そんなに長時間眠らせる必要もないからな。お楽しみはお預けだ、フランク」
「ち・・・仕方ないな」
そう言って足元に倒れている男の服を片手で掴み強制的にその場に立ち上がらせて、もう一方の手を強く握りしめ拳を作る。男の顔をこちらに向け、男と向かい合ってから話し掛ける。
「少しでも手荒な真似をすれば・・・どうだったかな?」
「く・・やめろ。何をする気だ?畜生、こんなアメリカの犬に・・俺達が蹂躙されるとは・・」
「何、少しの間眠っていてもらうだけだ。最も目が覚める頃にはあんたはお縄を頂戴しているだろうな。それと、もう一つ・・・」
「な、何だ・・・?」
「私は犬じゃない。トカゲだ」
そう言って男の腹部を握りしめた拳に力を込めて殴りつけた。男からすればプロボクサーのパンチの直撃を受けた時の感覚だろう。男は立ち続けられる筈もなく、唸り声を上げてその場に倒れ込み、失神したのかそのまま動かなくなった。それなりに力加減はしたため、恐らく臓器には損傷は無いだろう。倒れた男から目を離して、階段にうずくまっている人質の元に駆け寄る。
「カルロス・フェルナンドさんですね?米軍の者です。貴方の救出に参りました。拘束具を外しますので私の指示に従って下さい」
「そうだ。アメリカ・・?いや、それならば尚良い。やっと助けが来たか。分かった。早く外してくれ」
「先ず手錠を外します。両腕を後ろに突き出して下さい」
すぐさま私の言葉通りに従ってくれた。私は防水ケースから短機関銃を取り出して銃口を手錠の鎖の部分に当てて引き金を引いた。消音機が装着されているため発砲音はほとんど聞こえず、代わりに鎖の飛び散る派手な音が響いた。
「よし、これで手の自由が効く。目隠しは自分で外せる。」
そう言って両手を使い目隠しを外し始めた。念のため人質の男に注意を入れる。
「くれぐれも目隠しを外した後、何を見ても驚かないで下さいね」
「いや、耳はずっと聞こえていたから大概の予想は出来ている。ただ百聞は一見に如かずとはよく言ったものだからね・・・」
やがて人質の男は目隠しを完全に外して視界を取り戻した。私と目が合う。さして驚いた表情も見せずに言葉を続けた。
「きっと助けが来ると信じて待っていたが、まさかアメリカはお伽話かSFの世界から助けを寄越してくるとは思っていなかった。質問したいことが山ほどあるが、今は脱出が先なんだろう?」
「ええ、申し訳ありませんが、後で幾らでも答えさせて頂きますので・・・危ない、伏せて!」
見ると階段の上にある艦橋の扉から武装したカルテル戦闘員が二名、階上の踊り場に飛び出して来てこちらに向けて発砲してきた。すぐさまフェルナンド氏の体に覆いかぶさり、身を挺して銃弾の雨から守った。
「ジェフ、まずい状況になった。どうすればいい?」
「フランク!大丈夫か?この際強硬手段だ。短機関銃でカルテル戦闘員の膝を撃ち抜いてやれ。怯んだ隙に情報提供者を連れてそこから脱出するんだ。それと特殊部隊の動きだが、隊員がヘリコプターからロープを降ろして続々と降下して来ている。時間がない、急げ」
「了解」
私は手にしていた機関銃を構えて戦闘員の足元を狙った。命に代えても人質を逃がす訳にはいかないのかカルテル戦闘員は私に銃口を向けられているにも関わらず攻撃を止めようとしない。私の体の下からフェルナンド氏の声が聞こえて来た。
「つい先週までは不甲斐なくも奴らの同志だったが、今となっては私の敵だ。遠慮はいらん。ぶちのめしてやれ」
危機的な状況であるにも関わらず声は落ち着いている。余程肝が据わっているのかそれとも私を信用し切っているのかのいずれかだろうが、この際はどっちでも良い。私が引き金に指を掛けた時、突然目の前のカルテル戦闘員の一人が頭から血を噴き出して声も無くその場に倒れ込んだ。もう一人はと言うと船首の方向をちらと見てから慌てて艦橋の内部へと引き上げて行った。
「ジェフ、私ではないぞ!?どこから撃ってきた?」
「分かっている・・・船首方向からだ。あー・・・駄目だ。特殊部隊の隊員達が艦橋に向けて走ってくる。接触は避けられそうにない。包囲されるぞ」
私はフェルナンド氏を抱え込み階段の下まで降りた。階段を降り切った所で甲板に積んであったコンテナの陰から短めの銃身を持ったライフルを手にした特殊部隊の隊員が次々と飛び出して来て私を包囲した。運悪く壁を背にしていたがために私は壁に追い詰められてしまう。ふと横を見ると何とか岸壁のカルテル戦闘員達に打ち勝ったのか甲板と岸壁を繋ぐ階段を政府軍の歩兵達が登って来て、甲板に展開し始めていた。少なからずの者が私を見るなり驚きの声を上げていたが、私ばかりに気を取られている訳にもいかないのか他の隊員に急かされて自分の持ち場に付いて行った。
海側の甲板に立っている兵士達が海に向かって発砲しているのか銃声が聞こえて来た。恐らく脱出用に貨物船に近付いて来たモーターボートを追い払っているのだろう。私を包囲していた特殊部隊の隊員のほとんどが後からやってきた政府軍の歩兵と交代してゆき、数名を残して他の隊員は歩兵部隊と合同で艦橋への突入準備を始めているようであった。私を包囲している歩兵達は無理もないだろうが、みな顔に緊張の色を浮かべており、いささか及び腰になっている。一方の特殊部隊の隊員はヘルメットを深く被って目から下をマスクで隠しており表情を読み取ることは出来ないが、意外に落ち着いた様子である。特殊部隊の隊員の一人が私の目の前に進み出て私に話し掛けて来た。
「貴方の事知っているわ。噂に聞いた。米軍の研究機関がトカゲの兵士を開発したってね。歩兵部隊からの連絡で投降してきたカルテル戦闘員が甲板で得体の知れない怪物が暴れていると言っていると聞いた時は、まさかと思ったわ。お互い時間に余裕の無い身でしょうけど少し質問に答えてもらおうかしら。先ず所属と名前を聞かせてもらいましょう」
声の調子からして女性のようだった。その割には背も高く他の隊員とも遜色が無い。
「まず自分から名乗るのが責めてもの礼儀では?それと・・・私に銃を向けないでくれ。私はお前達の敵ではない」
「これは失敬。・・・全員銃を下ろして。私はカタリーナ。この国の陸軍特殊部隊の者とでも言っておくわ。それで、あなたは?」
「・・・私の名前はフランク。少なくとも私の事をよく知る者は皆私の事をそう呼んでいる。アメリカ沿岸警備隊所属、階級は三等兵曹だ」
「グラシアス、ミスター・フランク。それと・・・そちらに居るのはカルロス・フェルナンドさん?我々は本国から派遣された救出部隊です。ヘリを用意しておりますので直ぐにでもお乗りください。安全な場所まで我々がご案内致します。・・・フランク、どうも有難う。本当に助かったわ。後は私達に全部任せなさい。それと・・・貴方が手にしている短機関銃、見た所カルテルの戦闘員から奪った物でしょう?良ければ渡してくれないかしら?カルテルの武器の押収も我々の仕事だからね」
私より先にフェルナンド氏が先に口を開いた。
「悪いがそいつはお断りだ。ペドロサの奴が何処に手を回しているか分からない。この国の警察は論外として軍隊も怪しいものだ。この国に居る限り長生き出来そうにない。生憎、俺は長生きをしたいものでね。フランクと言ったかな?頼む。アメリカに連れて行ってくれ」
「勿論ですよ、ミスター・フェルナンド。・・・ここは人質の意見を尊重するべきでは?それに救出作戦だが私一人でも十分成功していた筈だ。犠牲者も出さない筈だった。それなのにお前達は無謀にも兵員を満載した軍用トラックを貨物船へと突入させ、政府軍兵士とカルテルの構成員に多大な犠牲を強いた。私は見ていたぞ、多くの兵士が狙撃手に撃たれて無念の戦死を遂げて行く様をな」
私を囲んでいる政府軍の歩兵達を見つめて更に言葉を続けた
「それから・・・気付いていたか?その後、因みに狙撃手は私が排除した。勿論殺害せずに、だ。一人は海に投げ込んでやった。今頃は沖合で待機していた仲間のモーターボートに助けられているだろう。もう一人はとある方法で気絶させてやったんだ。まあ、この方法は企業秘密・・・いや、軍事機密って事にしておこう。最も大した手助けにはならなかったろうが・・・」
更に私はカタリーナと名乗る特殊部隊の隊員に目をやった。作戦を批判されてかなり不服そうにしていたが、構わずに話し掛けた。
「それとあんた・・・今自分が生きていることを誰にとは言わないが感謝すべきだと思うぞ?」
「何が言いたいの?はっきり言って頂戴」
「カルテルの戦闘員の中に携帯式の対空ミサイルをあんたらが乗っていたヘリに向けている奴らが居た。狙撃用ライフルでそいつらのミサイルを粉砕してやったのも私だ」
「何ですって?奴らそんな物まで持っていたの?それは予想外だったわ。でもね、ヘリには対ミサイルの装備だってちゃんと・・・」
「予想外?ヘリごとあの世行きになっても予想外で済ますつもりだったのか?一体、何人犠牲にすれば気が済むって言うんだ。はっきり言ってやる。今回の作戦ではあんたらは邪魔でしかなかった。それともう一つ。この短機関銃はアメリカへの土産にさせてもらう。コーストガードから支給されている拳銃は私の手には少々小さ過ぎてね。この位が丁度いい。見た所、使用する弾丸も拳銃と同じ物のようだ。こんなに良い物を手放したくはないな」
これには流石にカタリーナという隊員も腹を立てたのかホルスターから拳銃を引き抜き、他の兵士達の制止を振り切って一歩二歩と私に近付いて来た。拳銃を構えたまま私に言葉を投げかける。
「貴方を傷つけるつもりは無かったけれど、そこまで言われてはこちらも言い返さない訳にはいかないわ。私もはっきり言わせてもらう。フランクと言ったわね?貴方分かっているかしら?今回の事件、これは私達の国が抱え込んだ国内問題なの。解決するのは我々の仕事。米軍が出てくる幕ではないわ。そう、貴方にとっては命令だから仕方ないでしょうけど、貴方が行おうとしている事はいわゆる内政干渉。米軍に、しかも高々コーストガードの連中にパスポート無しで上陸された挙句、私達の仕事まで奪われてはたまったものじゃないわ。しかもこんな醜い怪物に手柄を取られては軍の面目丸つぶれも良い所よ。貴方が我々に協力する姿勢を見せないならばこちらも強硬手段を取らせてもらう。単刀直入に言うわ。フェルナンドを渡しなさい。貴方の協力には感謝している。これだけは嘘じゃない。確かに貴方の言っていることは一理あるかもしれない。でも私達は犠牲を払ってでもこの問題を解決しなくてはならないし、犠牲を払う覚悟もできている。自分達だけの手で解決すべき問題だとも強く認識している。先ず手に持っている武器を落としなさい。・・・十秒時間をあげる。よくよく自分が取るべき行動を考えることね」
「こいつらが作ったドラッグに多くの合衆国の国民が蹂躙されていても国内問題と言うつもりか?」
「・・・もうお喋りは止めにしましょう。残り十秒」
「フランク!米軍のプライドに掛けてでも要求は呑むな。少々荒っぽくても構わんからその場を切り抜けろ」
通信機に艦長の声が響いていた。そんな事は言われずとも分かっている。
(プライドか。そういえば以前、ジェフの奴が女性に暴力を振るう事は男のプライドがどうのとか言っていたような・・。そっちのプライドは・・・いや、今はそんなこと気にしている場合ではないな)
私は短機関銃の暴発を防ぐため安全装置を掛けて短機関銃を持っている方の手を高々と上げた。
「それでいいわ。後は床に捨てるだけ。後三秒、・・・二・・・一・・・」
私はぎりぎりの所で機関銃を足元に落とした。私を包囲していた兵士達に安堵の表情が窺える。それは目の前に立っていたカタリーナという女性兵士も例外ではなかった。案外、人間というのは感情が体に出てしまい易い生き物なのだなとその時感じられた。そう、彼らが示した反応は私が仕掛けた姑息な罠にまんまと引っ掛かっているという事を証明するには十分過ぎた。私は足元へと落ちて来た短機関銃を着地直前でカタリーナ氏の腹部目がけて蹴り飛ばす。見事に命中し、彼女は鈍い悲鳴と共に体を仰け反らせて拳銃を甲板に落とした。私は素早く前に飛び出して彼女を拘束し、自分の方向に跳ね返ってきた機関銃を回収し、彼女を連れて再び壁を背にした。安心し切っていたためか兵士達の動きは鈍く、彼らはなす術もなく私に彼女を拉致されてしまった。
「う・・・痛・・・しまった・・・」
「形勢逆転だな。特殊部隊の隊員が任務中に気を抜くような事があるとはな。・・・ミスター・フェルナンド、暫く私の背中に隠れていてください」
拘束した女性隊員のヘルメットとマスクを取り外すとはっきりと彼女の顔が見えた。顔つきからすると二十代半ばと思われ、ブロンドの髪を肩まで伸ばしていた。極限までトレーニングを重ねているのか、恐ろしい程筋肉質の体である。流石にこれ以上彼女の肉体を痛めつける訳にもいかなかったので、良心的な私は、代わりに他の隊員の面前で恥をかかせて彼女の精神とプライドに傷を付けてやることにした。早速、露出した彼女の首筋に舌を押しつけて舐めた。
「ん・・・中々良い味だな。ふふ、軍隊のお体裁を気にする前に、まず自分のそれを第一に考えるべきだったな。」
「うっ・・・止めなさい。あんた・・・ふざけているの?いい度胸だわ」
「た、隊長!この変態野郎め、隊長を離せ!」
流石の特殊部隊隊員も私が働いた狼藉には激高したのか、一人の隊員が私に向けて小銃を単発で発砲してきた。威嚇射撃が目的だったようで、私は勿論のこと拘束中のカタリーナ氏にもフェルナンド氏にも当たらなかった。それでも私の体のぎりぎりを狙ったらしく、背後のコンクリート壁に出来た弾痕がそれを物語っていた。弾痕からすると殺傷能力の高いライフル弾だろう。単発ならまだしも、連射で複数発命中すれば流石の私も内出血は避けられそうにない。
「止めろ、止めろ!隊長と人質に命中したらどうする積もりだ!?」
近くに居たもう一人の隊員が更に銃撃を加えようとライフルを構え続けている隊員を窘めた。どちらかと言えば彼らの味方である私の事はどうでも良いのだろうか。それとも、最早彼らはこのような暴挙に出た私を味方として認識していないのかも知れない。拘束した彼女だが威嚇射撃に怯えたのか、明らかに体が震えている。彼女の頬にも舌を這わせると、一瞬だけ彼女の体が痙攣し、更に震え始めた。
「おやおや・・・さっきまでの威勢の良さは何処に行ってしまったことやら。あんた、虚勢を張っているだけで本当は臆病なんだろう?仲間の射撃の腕を信頼していないとは中々の隊長だな」
「五月蠅い・・・!こんな下品なトカゲに・・・私達は・・・」
その時、彼女が装着していたトランシーバーに連絡が入ったようで、同じ特殊部隊の隊員のものと思われる声が聞こえて来た。
「・・・こちら制圧部隊、艦内の制圧完了。カルテルの奴らと来たら、どいつもこいつも腰抜けばかりで我々とやり合おうとする奴なんざほとんど居ませんでしたよ。勿論、数少ない勇敢なカルテルの戦闘員達には漏れなく全員に鉛玉を頭へプレゼントして差し上げましたけどね。生き残った奴らは全員、武器を捨てて我々に投降しています。これより船内に拉致されていると思われるフェルナンド氏を除くドミンケス長官以下十五名の捜索および武器、麻薬の押収作業に移行します。・・・隊長、甲板の様子は如何ですか?フェルナンド氏と一緒に居たあの怪物・・・一体何者なんです?我々に敵対する存在ではなさそうですが・・・余りにも現実離れし過ぎていると言うか何と言うか・・・それに甲板から数発の銃声が聞こえたのですが・・・とにかく隊長、ご無事ですか。応答願います」
私はカタリーナが装着していたトランシーバーを外してスイッチを入れ、彼女の口元に近付けてやった。
「・・・ええ、無事よ。直ぐに次の作戦を開始して。どうやら米軍が開発した人工生体兵器のようだわ。
米国コーストガードの所属だと言っている。多分、特殊部隊の所属ね。今、フェルナンド氏の身柄をどうするか話し合っている所よ。後少しで話はまとまると思うから気にせずに任務に集中なさい。終わり次第そちらに向かうわ。もう少しだけ時間を頂戴」
「・・・へえ、話し合っているってことはその怪物、喋れるんですか。やはりアメリカは凄い国っすね。そういうことなら安心しました。早く来て下さいよ、隊長。こんな仕事、とっとと終わらせてしまいましょう。」
艦内で活動している隊員達には心配を掛けたくはなかったのか彼女は大嘘をついていた。間違っても下品なトカゲの怪物に捕まり、皆の前で屈辱的な仕打ちを受けているとは言わなかった。そう言えば無線の声の主はドミンケス長官が何やらと言っていた。もしかすると、いや、しなかった。彼、ドミンケス氏を始めとする人達は額を撃ち抜かれ、貨物船の周りを漂っていたのだ。彼らはもう既にこの世には居ない人達を助けに来た事になる。私は近くに居た特殊部隊の兵士の一人に話し掛けた。
「おい、そこのお前」
「・・・何だ。話は隊長を解放してからだ」
「残念ながらそうはいかないが、あんた達に見てもらいたいものがある。・・・ジッパーを開けて中身を確認しろ」
私は兵士の足元に回収したIDカード入りの袋を投げた。兵士は警戒しつつもジッパーを開け、中に入っていたIDカードに一枚ずつ目を通し始めた。マスクを着けているため、表情は目からしか窺えないが、明らかに狼狽しているようだった。持っていたカードを落とし、震えた声で私に問い掛けて来た。
「どういう事だ・・・?あんた・・・こ、これを何処で手に入れたんだ。信じられない。そんな事が・・・」
「残念ながらそいつらは額を銃で撃ち抜かれ、貨物船の周りに浮かんでいた奴らだ。恐らくカルテルに処刑されたんだろう。貨物船の周囲の海を探すんだ。今ならまだ死体は回収できる」
「た、隊長・・・作戦はほぼ失敗です・・・。その怪物が言っている事・・・恐らく本当です。このIDカード、長官達が身に着けていた身分証明書です。・・・本部へ、フェルナンド氏を除く十五名は全員カルテルによって既に処刑されてしまっていたようです。・・・もう駄目だ。この国は・・・もう・・・」
「・・・嘘よ・・・そんな事信じられない。何を根拠に・・・そんな事が言えるって言うの?私は・・・信じない・・」
「いつ切り出すべきか迷ってはいたんだが・・・残念だがフランクの言う通りだと思う。俺がトラックで港に連れて来られた時、荷台に乗せられていた俺以外の奴らは先に降ろされた。降ろされた後、トラックに近い所で一緒に乗せられていた奴らの悲鳴がずっと聞こえていたが、ある時を境に悲鳴がぱったりと途絶え、激しい水音が聞こえて来たんだ。多分、岸壁に並べられて頭を消音機付きのピストルか何かで撃たれ、そのまま海に転落したんだろう。その後、暫くして俺も連れ出された。奴らが言っていたよ。“いずれ、お前も消される運命だ”とね・・・」
いつの間に私の背中から顔を出していたのか、フェルナンド氏がカタリーナに話し掛けていた。
「嫌よ・・・そんな事があって溜まるものですか。この日のために私達は、私は・・・!」
突然、カタリーナが暴れ始めた。これ以上理性を失いかけた彼女をそのままにしておけば、どんな行動を起こすか想像出来ない。腹癒せに投降したカルテルの戦闘員を射殺して回りそうだと言っても決して大袈裟ではないだろう。私を取り囲んでいた兵士達にも落胆の表情が見える。
「フランク!今しかない。その女性兵士を片して、フェルナンド氏と共に脱出するんだ」
キシモト二曹の声が無線機に響いた。私も強硬手段に出ざるを得ない。
「現実を見ろ。それとも失敗が受け入れられないのか?仮にも特殊部隊の仲間全員の命を預かる者がその程度の精神力しか持ち合わせていないとはな。それと・・・悪いがあんたにはちょっとした恐怖と屈辱を味わってもらう。だが、この位しなくてはアメリカに帰してくれそうにないからな」
私は大口を開き、彼女の後頭部に迫った。彼女は異様な気配を感じたのか、暴れるのを止め、前を向いていた彼女の顔がこちらを向いた。彼女と目が合う。彼女の顔からは表情が消え失せ、まるで凍りついたかのような無表情の顔がこちらを向いていた。彼女の視線は疑うことなく私の口内へと向けられている。これは以前キシモト二曹に教えてもらった話だが、日本の多くの人々は蛇に睨まれた蛙は動けなくなり、そのまま蛇の餌食になってしまうと思っているらしい。実際はそのような事は無い筈だが、少なくともこのカタリーナと言う女性にはそれが当てはまるようであった。
彼女が正気を取り戻す前に頭から肩までを両顎で挟み込む。カルテルの戦闘員ならまだしも、凡その目的を同じくする正規軍、しかも特殊部隊の隊長である。精神面でのダメージはともかく、万が一にも外傷を負わせる訳にはいかなかった。注意しつつも急いで嚥下を繰り返し、彼女の体を銃弾をも防ぐ、鋼のような乾いた表皮とは対照的な湿った柔らかい口内へと押し込んでゆく。彼女の腰に戦闘用のナイフが下げてあるのに気が付く。ナイフを奪い去り、その場に落とした。何発か手榴弾も装着していた様子であったが、歯にピンを引っ掛けないように注意してそのまま彼女と一緒に呑み込んでゆく。心配しなくとも彼女には手榴弾を使ってカミカゼをやる勇気も無いだろう。
半分ほど彼女を呑み込んだ時点で一度嚥下を止め、口と舌を同時に動かして喉に詰めないようにするため唾液を彼女の体に塗りこんでゆく。戦闘用ベストにやたらと装備品を装着しており、それらによる嚥下時の抵抗を少しでも和らげるためには不可欠な措置であったが、到底私を囲んでいる兵士達が理解してくれている筈もなく、最早私のことは完全な敵対勢力と見なしたのか、同僚への誤射を気にしつつも単発でのライフルの発砲を数名の兵士が開始した。私の下半身に次々と着弾してゆく。やはりカルテルの戦闘員が所持していた機関銃の弾丸とは異なったライフル弾のようで、鋭い針で刺されたような痛みが私を襲った。
「くそ・・効いてない。間違っても隊長とフェルナンド氏には当てるな!」
「隊長がやられる・・・!この下品な化け物め・・・!」
出血はしていないようだが、皮下出血を引き起こす可能性があった。だが、怯んでいる暇は無い。その間にも唾液を分泌して十分に彼女の体を湿らせる。私は思い切って彼女の腰から下を呑み下した。幸運にも喉には詰まる事は無く、膨らみはゆっくりと食道を落ちて行き、彼女は頭からゆっくりと私の体内を落下して行くのであった。
「そんな・・・隊長が・・・」
「貴様・・・ふざけるのもいい加減にしろ!今すぐ隊長を出せ!これ以上の狼藉はいくら米軍とは言え容赦せんぞ!」
特殊部隊の隊員の一人がもの凄い剣幕で捲し立てた。発砲をためらっていた兵士にも各々が呼びかけ、全員が小銃を構えた。緊張した空気が張り詰める中、私は落ち着き払って答えた。
「この際信じてくれとは言わないが、少なくとも私はあんたらの敵ではないし、敵対する理由も利益も無い。それに私はふざけてなどいない。これも立派な目的を達成するための手段の一つ。そう、彼女は私の要求を押し通すために使わせてもらう。簡単な要求だ。フェルナンド氏をアメリカに連れて行かせろ。抵抗を続けるなら彼女が傷つく事になる。分かりやすいだろう?」
「うう・・気持ち・・ゴホッ・・悪い。早く出しな・・い。そんな要求・・・ゴホッ・・応じら・・ない。」
まだ意識は保てているのか、カタリーナ氏は私の言葉は聞こえていたらしく、必死に胃の中から叫んでいた。ナイフを奪っていたので彼女の抵抗手段は手榴弾しか残されていなかった。最も使われる事など万に一つもあるまい。
「ああ、そうだった。隊長が死亡、又は戦闘不能に陥った場合、他の隊員の誰かが部隊の指揮権と決定権を引き継ぐ事になるんだよな?もう彼女に答えてもらう必要は無い。それに貴重な時間が彼女のせいで台無しになってしまった。さて・・・責任を取ってもらおうか」
私は腹筋を引き締め、立ったまま体を左右にひねった。同時に胃も収縮し、彼女の全身を弾力のある胃壁が締め付け始める。
「息が・・・ぐっ・・・詰まる。げほっ・・う・・」
徐々に意識を保つのが困難になってきたのか、反応が鈍り始めた。
「止めろ!隊長を殺す気か!これでも食らえ!」
隊員の一人が私の胸部に照準を合わせ、自動小銃を連発で発砲してきた。弾倉が空になるまで痛みに耐え、弾切れを起こした瞬間、小銃を発砲していた隊員に体を向けた。
「警告したにも関わらず攻撃をしたな。この程度で済ませてやる積もりだったが残念だ」
私は更に力を込めて腹筋を絞り、更に大きく体をひねった。流石にこれ以上は圧力に耐え切れず、恐らく彼女は失神するだろう。
「ぐ・・がっ・・・げほっ・・・母さん・・父さん・・・許し・・」
艦橋の屋上に居た狙撃手と同じように全身を締め付けられ、彼女はあえなく失神してしまった。
「心配しなくても気絶させただけだ。さて、話を戻そうか。私の要求を受け入れる気になったか?今は気絶しているだけだが、生憎、胃の中に入れてしまったのでね。決断が遅ければ彼女は私の養分となってしまうだろうな。私とフェルナンド氏を・・・」
「・・・もういい。分かった。フェルナンド氏は諦める。隊長を返してくれ。これ以上の犠牲はご免だ」
隊員の一人が私の会話を遮った。どうやら彼女と引き換えに私の要求を受諾したようだ。
「しかし、少尉・・・それでは・・・」
「これで良いんだ。確かにフェルナンド氏が言うようにペドロサは何処から手を回してくるか分からない。殺されてしまえば救出した意味も無い。それに・・・我々には隊長が必要だ。隊長を解放してとっとと消えろ。もしフェルナンド氏の身に何かあれば承知しないぞ。・・・指揮権は私にある。皆、武器を下ろして道を開けろ」
彼の言葉に従って、私を包囲していた兵士達は小銃の銃口を下げ私に道を開けた。
「これはどうも。それと・・・そこに倒れているカルテルの奴だが、どうやら幹部クラスの奴らしい。手柄が欲しいんだったら、捕まえておくことだ。・・・ミスター・フェルナンド、合衆国にご案内致します」
「ほほう、自由の国か。胸が高鳴るな。あんたら悪く思わんでくれよ。俺も自分の身が惜しいものでね」
「分かった。こいつは捕えておく。隊長を吐き出せ」
口を下に向け、失神して私の体液塗れになったカタリーナ氏を唾液と共にその場に吐き出す。甲板に横たわった彼女を中心に唾液が水たまりを形成していた。兵士達も気分を害したのか、渋い表情をしている。
やがて包囲していた兵士達は特殊部隊の隊員を残して甲板に積まれているコンテナの調査を始めた。
「ふう、これで何人目だ?言っても仕方のない事だが、吐き出すのは結構しんどい仕事なんだ。さあ行きましょう。早速ですが甲板から海に飛び降ります。合図を出したら私に捕まって下さい」
「分かった。中々エキサイティングなアトラクションを用意してくれるじゃないか」
私はフェルナンド氏と共に甲板を海側の方へと歩いてゆく。要求を呑んだ隊員は私の事をじっと見つめていた。彼が視界から消え、しばらくすると私の背後から話し掛けて来た。
「フランクと言ったな?一つ忠告しておくべき事がある」
「何だ?彼女の服のクリーニング代は自腹を切ってくれよ」
「はぁ・・・ふざけたトカゲだ。こんな奴が仮にも米軍兵士なのか。いいか?この船に乗っていたカルテルの奴らはともかく、絶対にフェルナンド氏とお前が一緒に居る所を他のカルテルの奴らに見られるな。もし、今回の事件での米軍の関与がカルテルに知れ渡れば米軍がカルテルからの報復攻撃を受ける可能性も否定できん」
「おいおい、高々麻薬カルテル如きが米軍に手を出して米国政府の逆鱗に触れれば、完膚なきまでに報復されるぜ?」
「とは言っても万が一の可能性も否定できない。・・・隊長をあんな汚い目に遭わせた事を差し引いても、我々はお前に突入の援護をしてもらったという大きな借りがある。我々も重要な情報を漏らさないために出来る限りの情報管理体制を敷きたい」
「ほう、そっちがその気なら協力せざるを得ないな。この港の横にあるヨットハーバーに、同じく汚い目に遭わせ失神させたカルテルの奴らを二人隠している。ビニールシートを掛けたボートの中だ。そいつらも捕まえるか始末するかはあんたらの自由だが、何とかしといてくれ」
「分かった。それと・・・これ以上は我々の国の麻薬絡みの問題に干渉しないでくれ。これだけは約束して欲しい。あんたに言っても仕方ないだろうが・・・」
「強がらなくてもいいぞ?必要があったらいつでも助け船を出してやりたい所だ。そんな頼りない隊長さんよりかは役に立つ筈だからな」
「・・・」
隊員は返す言葉を失ったのか、下を向いてしまった。私は再び歩き始め、甲板の端までフェルナンド氏と共に歩みを進めた。
「海まで十メートル近くありますが、ここから飛び降ります。それでは準備を」
「よし、俺は何時でも大丈夫だ。早くアメリカに連れてってくれ」
私はフェルナンド氏と共に漆黒のカリブ海へと飛び込んだ。
「我々としたことが米軍を介入させてしまうとは・・・本当にこれで良かったんだろうか。・・・隊長の容体は?」
「呼吸及び心拍には異常なし。命に別条はないと思いますが、何度呼びかけても反応がありません。応援のヘリコプターを要請し、先に回収させた方が賢明だと思います」
「了解。有難う。・・・作戦本部へ、隊長が敵勢力と交戦し負傷。至急、応援のヘリを・・・尚、本作戦の指揮権は現在より・・・」

04.30 Time03:52 中米某国 港湾地帯 ヨットハーバー付近
(ターゲットを確保し貨物船を脱出した。これよりプラン・アルファで作戦通りにここから真っ直ぐに北上し、領海を抜けてEEZへと離脱する。なるべく警備艇をラインぎりぎりまで接近させておいてくれ。それと不測の事態に備えてホワイトグースを機関砲で武装させ、いつでも出撃出来るよう待機させておいてくれ)
「ラジャー。こっちは受け入れの態勢も万全だ。夜明けまでには帰ってこい。仕事が楽になったからって最後まで気を抜くなよ、フランク」
(勿論だ。以上、通信終わり)
私は海中に落としてあった酸素ボンベを回収すべく、貨物船から再びヨットハーバーに向けてフェルナンド氏を背中に乗せ、朝が近付きつつある海の海面を泳いでいた。周囲を常に警戒していたが不審な船影は一つも見当たらない。間もなくヨットハーバーに到着し、フェルナンド氏を桟橋の上に降ろした。
「お疲れ様です、ミスター。気分を悪くなされませんでしたか?」
「服が濡れてしまったのは仕方ないとして、良い乗り心地だったよ。それにしても何でここに来たんだ?」
「酸素ボンベを回収するためです。私が貨物船に侵入する前、ここに酸素ボンベを置いて来たんです。これからの行動を説明しますが、沿岸警備隊の警備艇が我々の受け入れの態勢を整えてEEZラインぎりぎりの地点で待機しています。急いで当国の領海から離脱したい所ですが、貨物船に構成員を脱出させるために近付けて来たカルテルのモーターボートが未だに湾内に留まっている可能性があります。ですから酸素ボンベを使って潜水し、カルテルの残党による追跡を避けるため、時間が掛かりますが海中を移動しながら領海を抜けます。ですので、つまり・・・」
そこまで言い掛けて私は言葉に詰まってしまった。これ以上詳しく説明しても野暮としか言いようのない内容となってしまいそうである。私は口を半開きにして、ぺろっと舌を出した後フェルナンド氏に向けて、察してくれと視線を送った。
「・・・成程、そういう事か。隠密性を第一に考慮するなら仕方のない手段だな。しかし、そんなに長時間呑み込まれていては私が溶けてしまうのでは?それにさっきの特殊部隊の奴はともかく、窒息の危険は無いのか?」
いかにも素朴な疑問に答えるべく、私は身に着けている防水ケースの中から錠剤の入った金属製のシリンダーを取り出した。
「この中に“特殊作戦用”に開発された私専用の胃酸中和剤と胃液止めが入っています。少なくとも六時間は効果が持続します。窒息の危険性ですが、同僚の隊員の協力を得て何度も訓練を行ってきました。定期的に空気を飲み込んで胃の中に空気を送り込みつつ・・・恥ずかしい話ですが自発的にゲップを行い、ゲップと共に胃の中に溜まった二酸化炭素を追い出せば、ほぼ永久的に窒息はしません。自慢する訳ではありませんが、これだけに関しては私はかなりの熟練なんですよ」
「実証済み、と言う訳か。まさかこんな経験をする事になるとは。完全に未知の領域じゃないか。まあ自由のためだ。俺もこれ位は我慢するさ」
「申し訳ありませんね・・・居心地もお世辞にも良いとは言えそうにありませんが・・・それでは今からボンベを探してきます。おっと・・・何かあった時のためにこれを」
私はカルテルから奪った機関銃の一つをフェルナンド氏に渡した。
「ありがとうよ。なるべく早く帰って来てくれよ?頼んだぞ」
私は再び海へと飛び込み、潜水しながら酸素ボンベを探した。徐々に見覚えのある海中の風景が見えてくる。私はボンベを沈めた地点に到着した。岩場の形状からしても疑うことなくこの場所だった。潮の流れも無いに等しく、あれだけの重量を持ったボンベが流されることなどあり得ない事の筈だった。しかし、間違いなくこの場所に落とした筈である酸素ボンベは跡形も無く消え去っていたのである。急いでオペレーターへと状況を伝えた。
(問題発生。酸素ボンベが無くなっている)
「何・・・?場所を間違えた訳じゃないよな?」
(それは無い。投下した地点の海底の特徴も頭に入っているさ)
「・・・分かった。信じるしかないな。兎に角フェルナンド氏の元へと一旦戻ってから彼に状況をきちんと説明するんだ。衛星の画像を見る限り、桟橋にはフェルナンド氏以外は誰も居ないが、急ぐに越したことは無い。それにしても、一体何が起きたって言うんだ?」
(こっちが知りたい位だよ。了解。一度桟橋に戻る)
私は海水を力強く蹴って、ヨットハーバーの桟橋へと引き返して行った。フェルナンド氏の目の前に浮上すると、フェルナンド氏は桟橋に腰掛け、何処から取り出したのか、葉巻を口に銜えて悠長に吹かしていた。この状況下でここまで落ち着き払った様子を見せつけられては、こちらが彼の神経を疑いたくなる程であった。
「おや、何も持っていないようだが・・・見つからなかったのか?」
「申し訳ありませんが・・・何処を探しても・・・場所は合っている筈なんですがね・・・」
「ふむ、予定は未定とはよく言ったものだ。それならば俺に考えがある」
「と言いますと?」
「このヨットハーバーに停泊しているクルーザーを拝借すれば良い。何、悪く思う必要なんてないさ。確かここに泊めてあるクルーザーのほとんどが、俺が所属していた麻薬カルテルと組んでコカインの運搬に手を染めている海運会社の幹部級社員へカルテルが協力の見返りとして買い与えてやった代物だった筈だ。それと、ボートの品定めは俺がやる。なるべく足の速い奴を探したいからな。今度はあんたが待っている番だぜ」
ボートを探すためか、フェルナンド氏は桟橋を歩き始めた。
「待って下さい。名案だとは思いますが・・・ボートの鍵をお持ちでないでしょう?」
「ははは、自慢じゃないが、私がこのカルテルに入って、初めに身に付けさせられた技術は何だと思う?」
「・・・と言いますと?」
「車やクルーザーのエンジンを鍵を使わずして掛けることさ。そう、盗みの技術だ。俺が下っ端の頃は、この技術を駆使してよく敵対カルテルが所有する車やクルーザーを盗んでは俺達の隠れ家に運び込んだものだよ。まあ、俺にとっては鍵が有ろうと無かろうと関係のない話さ。心配は無用。特上の奴を探してくるぜ」
葉巻を吹かしつつ、フェルナンド氏は再び歩き始めた。一方の私はと言うと、手持無沙汰な時間を有効に利用するため、通信機のスイッチを入れた。
「・・・フェルナンド氏がモーターボートを奪って脱出する方法を提案してきた。ジェフ、他に何か良い方法は思い付かないか?」
「正直に言って他の方法は無いな。一番の得策だとは思う。ただ一点留意すべき点だが、もし、脱出用に貨物船に近付けてきたカルテルのモーターボートがその海域に留まっていた場合、発見される可能性が高い。」
「そうか、私も他の方法は思い付きそうにない。よし、ここはフェルナンド氏に頼ってみるか」
「その選択が吉と出る事を祈るぜ。・・・あ、艦長・・・」
「フランク、カルテルの奴らだけでなく、当局の軍隊にもお前の存在を知られてしまった。これ以上は是が非でも人目に付くような行動は許可できん。何度も言うがお前は軍事機密の存在だ。だから・・・」
「艦長の言われる通りですが、これ以外の手段を模索する余裕はありません。兎に角、合衆国までフェルナンド氏を生きて送り届けることが至上命題です。この際、方法には拘るべきではありません。お叱りなら戻ってから幾らでも受けます。一旦、通信を切ります」
私は一方的に通信を切った。
「はあ・・・」
不覚にも、思わずため息が出た。
その時、波音だけが聞こえていたヨットハーバーにボートのエンジン音が響き渡った。見ると一隻のクルーザーが私の方に向けてゆっくりと近付いて来ている所であり、私が立っていた桟橋に沿ってクルーザーは停止し、操縦室から葉巻を片手に持ったフェルナンド氏が出て来た。
「乗ってくれ。心配しなくても大丈夫だ。お前が乗っても沈まない奴を選んでおいたし、スピードも申し分なさそうだ。運転は俺に任せてくれ。内装も中々豪華だが、あんたの巨体じゃ中には入れないだろう。申し訳ないが甲板で我慢してくれ。こいつで一気に自由の国に行ってしまおう」
「そんな事は構いませんよ。流石はギャングスタですね。よろしく頼みます」
私はクルーザーの後部甲板に飛び乗った。クルーザーは私が乗った衝撃で大きく揺れる。一瞬ひやりとしたがやがて揺れは収まり、私が乗り込んだのを見計らってからフェルナンド氏はエンジンの出力を上げたのか、クルーザーは徐々に速力を上げ、ウェーキを後方の海面に長く引きながらうっすらと明るみ始めたカリブ海を北に向かって高速で疾走して行く。風防のお陰で後部甲板に吹き付ける風は強くはなかったが、時折、船体が大きく揺れる。速度は優に毎時四十ノットを超えており、領海を抜けEEZに到達するまでは三十分も必要ないだろう。後部甲板と船室を繋ぐ扉から首を船内へと入れ、操縦桿を握り、前方の海を見つめるフェルナンド氏に語り掛けた。
「クルーザーって、こんなにも速度が出るものですかね?」
「いいや、こいつはかなり特殊な奴だ。エンジンをかなりいじってあったし、リミッターも外してあるようだ。余程のスピード狂でなければ、ここまではやらないだろう」
「少なくとも、このクルーザーの持ち主はそうだったと?」
「そういう事だ。揺れが激しいが、くれぐれも海には落ちるなよ」
私は後ろ足で立つのを止め、四つ足になって後部甲板に腹這いになった。首をもたげて甲板の後部の縁に乗せて船尾に広がる風景を見ると、ヨットハーバーと港は既に小さくなっていた。
こうやって横になっていると、多少の揺れも非常に心地が良く、徐々に眠くなってきた。一晩中、激しい任務に当たっていた事による疲労が大きかったが、極度の空腹感による要因も無視できないだろう。こんな事ならカルテル戦闘員の死体か、名誉の戦死を遂げた政府軍兵士でも喰らっておけば良かったか。
いや、そんな野蛮な行為は慎むべきであろう。私は人間ではないが、誇り高き合衆国軍の兵士である。どのような状況に置かれていても常に理性の伴った行動を心掛けなくてはならない。それに寝ている場合でもない。不審な船影が周りに見受けられないか常に気を配らなくては。東の空に目をやると水平線の辺りがかなり明るくなってきている。日の出まで後僅かと言う所だろう。同時に私の眼は遠くから船影が二つこちらに向けて近付いて来ているのを捉えていた。何だろうと思い後ろ足で立ち上がり、視線を遠くの海原へと凝らした。どうやらクルーザーから私の巨体を晒したのは最悪の行動だったようである。船影は大きく速度を上げ、更にこちらへと接近して来る。私は堪らずに無線機のスイッチを入れた。
「ジェフ、まずい、こちらに向けて船が二隻接近してくる。どうやらカルテルだ」
「馬鹿、いきなり立ち上がったら気付かれるに決まっているだろう。もう少し発見まで時間を稼いで欲しかったんだが・・・ああ、言っても仕方ない。今から衛星を使って接近しているボートの情報を探る。可能な限りそのまま真っ直ぐに航行してくれ」
「ああ、了解。操縦中のフェルナンド氏に伝えておく。急いでくれよ」
私は再び操縦室へと首を突っ込む。
「ミスター、どうやらカルテルに気付かれたようです。東からボートが二隻こちらに向けて高速で接近してきます。作戦本部からの連絡ではこのまま真っ直ぐ航行してくれとの事です」
「何・・・?もう見つかってしまったのか。残念ながら真っ直ぐには行けないんだ。あと少ししたら北東に針路を変えなくてはいけない」
「何故です、真っ直ぐに北上するのが警備艇まで最短の距離ですよ!?」
「違う。この海域には何箇所も暗礁がある。このまま真っ直ぐに行けば大小様々の暗礁がある地点にぶつかってしまう。小型のモーターボートなら問題ないが、これだけの大きさのクルーザーは暗礁に引っ掛かる。これだけの速度で突っ込めば、船は木っ端みじんになってしまうぜ」
「そんな・・・」
衝撃の事実を告げられ、私は言葉を失った。無線が入り、私は更に打ちのめされる羽目となった。
「接近しているボート二隻にはそれぞれ三名ずつ乗っている。ボートの後部にはどちらも固定銃座が設けられており、搭乗員が銃座の機関銃を持った状態で待機している。それと悪い事に南の方向からもう二隻接近している。水上バイクだ。両方とも搭乗員は二人、幸いこちらは固定武装を搭載していない。これもカルテルのものだろう。フランク、EEZまで残り十海里だ。たった今、機関砲で軽武装したホワイトグースがそちらに向けて飛び立った。十分足らずで到着し、フランク達の援護に当たる。領空侵犯になるが、言い訳くらい後で幾らでも用意しておくから問題ない。それに空軍力の低い当国がスクランブルを仕掛けてくる可能性は極めて低いと考慮した上での判断だから心配無用だ」
「そいつはどうも。だが、そんな心配よりこっちにはもっと大きいのがあるぜ」
「何だ?」
「このまま真っ直ぐ行けないという事だ。フェルナンド氏が言っていたがどうやら東側に迂回しないと暗礁にぶつかるらしい。」
「おいおい、そんな事をすれば暗礁じゃなくて敵にぶつかってしまうぞ。他に迂回するルートは無いのか?暗礁か・・・しまったな」
「兎に角、今からもう一度フェルナンド氏に聞いてみる。ちょっと待っていてくれ」
私は再び船室へと首を入れる。
「ミスター、悪い知らせです。南の方向から更に二隻ボートが接近しています。それと西側には暗礁を避けるルートは存在しないのですか?」
「四隻になったか。悪いが西側には無い。暗礁はここを真っ直ぐ行った所の南西から北東に掛けて、斜めに広がっている。・・・そうか、奴らの行動が読めた。俺達を暗礁に追い込むつもりだ。・・・フランク、俺に考えがある。合図を出したら右舷にお前の全体重を掛けろ。クルーザーからは落ちるなよ?チャンスは一度だけだ」
ここはフェルナンド氏の作戦に賭けるしかあるまい。了解の意を伝え、再び後部甲板に立った。防水ケースから奪取した軽機関銃を取り出し、安全装置を外して連射モードに設定した後、左手に構え、東から接近してくるボートとの交戦に備えた。
「ジェフ、西に抜けるルートは無い。それと、フェルナンド氏に何か考えがあるようだ」
「ここはフェルナンド氏に従った方がいい。それとフランク、上層部からフェルナンド氏を守るための発砲は正当防衛として許可するとの通達が出た。正当防衛の結果カルテル戦闘員が死亡してもフランクの責任には問わない、と言う事だ。これから発砲は躊躇わなくても良い」
「・・・了解」
東の海に目をやると二隻のボートの船影はかなり大きくなっていた。距離にするともう一キロメートルも無いだろう。いつの間にか並行して走っていたボートの間隔が広がっている。どうやら私達を一隻は北東、もう一隻は南東の方向から北西の暗礁地帯に追い込む積もりらしい。いつの間にか後方にも船影が二隻確認できるようになってきた。無線機を使って連携を取り合っているのか、明らかに私達を暗礁へと誘い込んでいる。
かなり明るくなってきた。クルーザーの側面から身を乗り出し前方を窺うと、遠くに明らかに海の色が違う部分がある。暗礁だった。遂に北東から接近してきたボートの一隻が右舷前方から機関銃を掃射し始めた。揺れる船からの射撃のため、狙いは安定していないようだ。距離もあったため、近くの海上にさえ着弾せずに銃声が響くのみであった。しかし距離を更に詰められれば、高い火力であっという間に船体を蜂の巣にされてしまうだろう。それも時間の問題である。その時フェルナンド氏が舵を切ったのか、クルーザーは左の北西方向へと曲がり始めた。このまま直進すれば間違いなく暗礁に乗り上げてしまう。
私は船室に首を入れ、フェルナンド氏に向けて思わず叫んでしまった。
「ミスター!まだですか!?」
「あと少しだ。奴らは俺達を追い込んだと信じ切っている・・・もう少し引き付ける。フランク、合図を待て。・・・まだだ・・・まだだぞ・・・」
暗礁は目の前まで迫っており、焦る気持ちと不安が私を支配してゆく。私は自分の頭を何度も船室の内に外にと出し入れしていた。
遂に右舷前方のボートとの距離が間近になってきた。カルテルの船の上に居る搭乗員の顔がはっきりと見える。尚も機銃を発砲しており、時折近くの海上に水柱が立った。その時、鈍い音と共に、船体の側面に複数個の穴が空いた。発射された銃弾が船体を貫いたのである。幸いフェルナンド氏が居た船室、及びエンジンには被害は無く、航行には問題は無いようであった。反撃したい気持ちが募ったが、貨物船の時と違い、これだけ激しく揺れる船上で精密な射撃が出来るかと言えば出来ないし、弾数も限られている。今は我慢の時だった。
右舷後方からも発砲音が聞こえて来る。どうやら東からやってきたもう一隻のボートも射程圏内に入り、発砲を始めたようだ。前後を挟まれた状態で銃弾を浴びせられ、目の前には暗礁という絶体絶命の状況が出来上がってしまった。徐々に背後からの銃声が大きくなってくる。どうやら、このスピード狂所有のクルーザーの速力を持ってしても振り切れないようだ。
「ぐあっ・・・!」
その時、後部甲板と操縦室を繋ぐ扉のガラスが砕け散り、私の背中に今までに経験した事のないような激しい痛みが走った。
「おい、フランク!大丈夫か?」
私の異常を察知したのか、通信機にキシモト二曹の声が響いた。
「大丈夫だ。背中に銃撃を受けたが、もちろん致命傷ではない。く・・・痛いな」
必死になって片手で背中を探ると、首のちょうど真下の部分に細長い突起が出来ており、探った手に何やら液体のようなものが付着した。血だった。飛来した機関銃の弾丸が私の背中に突き刺さったのである。表皮を少し貫通した所で弾丸は止まっていたが今までに受けて来た銃弾に比べ、かなり高い威力である。鉛中毒が怖かったので直ちに銃弾を引き抜いたが、その代償として出血量が格段に増えた。仮に人間が手および足以外の部位に一発でも被弾すれば即死を免れる事は出来ないだろう。再び船室に首を入れて操縦室内の様子を窺うと、幸い、今回もフェルナンド氏に被害は無かった。突然フェルナンド氏が後ろを振り向き、大声で叫んだ。
「フランク!今だ!」
合図を受けて急いで後部甲板の右側に移動し、全体重を右舷に掛けて手頃な手摺りを探し、右手で掴んだ。次の瞬間、フェルナンド氏は右に大きく舵を切ったのか、クルーザーは右に急旋回を始めた。同時に船体は右側に傾き出し、甲板に急な斜面が出来始めた。
右側に転覆するのではないか、そんな思いが私の脳内を過る。更に高速で急な旋回を行う事により生じる強い遠心力が私の体を外向きに引っ張った。
立っていられない。右手で手摺りを掴みつつもその場に足を投げ出して四つん這いの姿勢になる。私自身の巨体に掛かる遠心力は私の体を徐々に左舷の方向に引き寄せてゆき、右側に傾いた甲板を左側へと登ってゆく。このままでは駄目だ。外側へと振り落とされる。手摺りを掴んだ右手に力を込め、短機関銃を握った左手も手摺りに巻き付ける。
しかし、金属製の手摺りは私の体重に掛かる遠心力に耐え切れないのか私が掴んだ所から大きく曲がり出した。尚もクルーザーは最高速度で急旋回を続けている。手摺りだけではとても身が持たない。更なる抵抗を試みるべく、両足を甲板に貼り付けて有りっ丈の体重を掛け力の限り踏ん張ったが、あっという間に両足に掛けていた筈の体重が奪われてゆく。どうやら気休めにもならないようだ。手摺りを固定していた金具の一つが外れ去り、二つ、三つと外れてゆく。もう駄目だ。今度こそ間違いなく振り落とされる。流石にこの楽観主義的なトカゲもこの時ばかりは最悪の結果を想像せざるを得なかった。
その時、船体は急に元あった水平の状態へと戻り、私を外側に吹き飛ばそうとしていた力が消えた。旋回を終え、クルーザーは再び直進を始めたのだった。カルテルの武装ボートの位置を探るため、直ぐに立ち上がり、後方の様子を窺った。右舷後方に回り込んできたボートは私達が完全に暗礁の罠に引っ掛かったものと確信し、自分は暗礁に乗り上げないようにすべく速度を落としたらしく、かなりの距離が開いていた。一方の右舷前方を塞いでいたボートは・・・?
弾切れでも起こしたのか機関銃の銃声も聞こえてこなかった。その時、操縦室からフェルナンド氏の叫び声が聞こえて来た。
「フランク!衝撃に備えるんだ。もう一度何かに掴まれ!」
急いで近くにあった甲板の手摺りに掴まり甲板から身を乗り出して前方を見ると激しい銃撃を加えて来たカルテルの武装ボートが側面をこちらに向けながら浮かんでいた。こちらのボートも私達が完全に暗礁に乗り上げるものと確信していたのか、完全にスピードを落としており、ほぼ停止している状態であった。フェルナンド氏は舵を微調整しているのか、私達が乗るクルーザーは前方のカルテルのボートの側面目がけて突撃してゆく。幸運な事に機関銃は弾切れを起こしたらしく、搭乗員の一人が他のカルテルの構成員に急かされながらベルト給弾式の機関銃の再装填を行っている所であった。武装ボートの運転手も必死にボートの速力を上げ、衝突を回避しようとしていたが、遂に彼らの努力も空しいものとなってしまった。無情にもフェルナンド氏が運転するクルーザーの尖った船首はカルテルの武装ボートの側面に激突し、ボートを真っ二つに引き裂いたのである。私が最後に見たのは、激しい破壊音と共に舞い上がる砕け散ったボートの破片と、ボートから空中に投げ出されて断末魔の悲鳴を上げながら海面へ叩き付けられてゆく搭乗員の姿であった。そのような光景も後方へと流れてゆき、あっという間に小さくなってしまった。それにしてもこちら側の被害が気掛かりでならない。心配になった私は、航行に支障が無いかどうかを聞くべく再び舵を取るフェルナンド氏が居る船室へと首を入れた。
「ミスター、振り落とされるかと思いましたよ。幾ら何でも無茶し過ぎでは?それにあんな激しいぶつかり方をしては航行に差し障りがあるのでは?」
「まだ生きていたようだな?あんたも俺と一緒で中々運が良い方だな。あぁ、その事なら心配ない。ほら、思い出してみろ。奴らのボート、追いかけて来る時は凄まじいスピードだっただろう?あれはドラッグの高速輸送のためにカルテルが調達した特注のボートだ。可能な限り速度を上げるため馬力の高いエンジンを二基搭載している事に加えて、船体は超軽量の素材を用いて極限まで軽量化しており、スピードと機動力は天下一品だが船体の衝撃に対する耐久力はかなり低い。クルーザーのこれだけの重量、かつスピードでぶつかれば奴なんて木端微塵さ。ちょうど自動車が三輪車に衝突する様なものだ。こちらに被害なんてあった所で何という事は無い。奴らも海上に停止して機関銃の再装填をしている所を俺に見せるとは愚かだったな。そんな事よりフランク、後ろの様子はどうだ?奴らまだ付いてくるか?」
私は急いで甲板の後方に移動し、後方から接近してくる船影を探した。機関銃を後部から撃ちまくってきた武装ボートは船首を此方に向けており、諦めずに追いかけて来る様子だった。
どうやら粉砕された仲間のボートに乗っていた搭乗員の救出は行わないらしい。全く以て冷たい奴らである。更に遠くの海面に目を凝らすと武装ボートの遥か後方の海上に豆粒のようなものが二つ浮かんでおり、それらもこちらに向けて走ってきているようだ。恐らく連絡にあったカルテルの水上バイクだ。一隻減って三隻、尚もこちら側に不利な状況に変わりなさそうである。通信が入った。キシモト二曹の声だ。
「凄かったな!完全にカルテルの奴らを出し抜いていたぜ。流石はギャングスタだ。本当に冷静かつ大胆な判断だった。画像を見る限りフランクとフェルナンド氏が乗っているクルーザーの様子に変化はないが・・・フランク、どこか損傷している箇所はないか?」
「恐らく損傷はない。あったとしても少なくとも警備艇に辿り着くまでは問題ない筈だ。ジェフ、応援のヘリの到着はまだか?怖くて死んでしまいそうだ。」
「応援のヘリは後五分以内で到着する筈だ。おやおや、ライフル弾が直撃してもかすり傷で済むくせに。図体はでかくても肝っ玉は小さいようだな。」
「そういう意味じゃない。フェルナンド氏の身に何かあったら私の首が飛んでしまう。それが怖いんだ」
「隠さなくったって良いさ。背中に一発もらってすっかり怖じ気づいたんだろう?このチキン野郎め」
「おい、ジェフ、帰ったら覚えていろよ。たっぷり可愛がった後、私の営倉送りにしてやる。感謝するんだな」
「おお、怖い怖い。フランクが帰ってきたら暫くどこかに隠れておこう。あー・・・こちら警備艇パーシビランスです。ホワイトグース、どうなさいましたか。・・・了解です・・・ええ、フランクに伝えておきます」
暫くキシモト二曹は救難ヘリの搭乗員と話している様だった。会話が終わり、再び私との交信に入った。
「フランク、救難ヘリ“ホワイトグース”のロジャース大尉から連絡があった。フランクのものと思われるクルーザーを視認したとの情報だ。レーダーにもはっきり映っているとの事だからもう少し頑張ってくれ」
「良かった、ヘリはもうそこまで接近しているのか。一隻はフェルナンド氏が撃沈したが、まだ武装ボート一隻と水上バイク二台に追われている。機関砲での援護を要請すると伝えてくれ」
「分かった。伝えておく。フランク、何度も言うがあと一息だ。よし、一旦切るぞ」
後方の海面を見ると、カルテルの武装ボートと水上バイクと思しき物体はかなり距離を詰めて来ている。最悪の場合、フェルナンド氏を呑み込み、海に飛び込んで泳ぎながら警備艇を目指すという手段があったが、まだその時ではない。急いでフェルナンド氏の居る船室へ首を入れ、カルテルのボートの状況を報告した。
「しつこい奴らだな。ところでフランク、前方の空に見えるヘリコプターはあんたの仲間のか?」
「良かった。やっと来てくれた・・・ええ、その通りです。頼りになると思いますよ」
その時、無線機にキシモト二曹や艦長とも異なる声が聞こえて来た。
「こちら救難ヘリ“ホワイトグース”のロジャースだ。フランク、まだ生きているか?今からお前の援護に当たる。ポーカー仲間が減っては困る」
「こちらフランク三曹です。そちらに向けて走っている船団の先頭のクルーザーにフェルナンド氏と共に乗っています。私達が乗っているクルーザー以外の船は全てカルテルの物です。現在カルテルの追撃を受けています。支援頼みます」
「了解。待っていろ」
ロジャース大尉の声だ。非常にクルー達からの人望が厚い救難ヘリのベテランパイロットである。やっと来てくれた。その一言を聞いただけで私の心に安堵の気持ちが込み上げた。

同日 04:12
中米某国近海 領海内 上空200フィート
救難ヘリ ホワイトグース
夜明けのカリブ海の上空をオレンジ色と白色に塗装されたヘリコプターが高速で飛んでゆく。日の出まで三十分足らずという所だろうか。ヘリコプター側面のドアは開いており、そこから突き出た銃座に備え付けられた機関銃を握る一人の隊員の姿が窺える。操縦室には左右の座席に一人ずつ座っており、操縦士と思しき人物がヘッドセットから伸びたマイクに向けて何やら喋っている。
「こちらホワイトグースのロジャース大尉だ。現在目標に向けて低空飛行で接近中。レーダーにも反応あり。こちらに向けて移動して来る船影、計四つ。尚先頭を走っている船体は目視出来ており、フランクが乗っているとの情報。他の三つは敵の船と聞いている。もう一度確認を取りたい。間違いはないか?」
「こちら警備艇パーシビランス。間違いありません。それと、武器の使用許可がたった今下りました。発砲を許可します」
呼びかけに応じているのは女性の声である。どうやら女性オペレーターのようだった。
「了解。・・・アディントン水兵、機関銃の最終チェックをしろ。異常はないか?」
「異常ありません。いつでも発砲可能です」
「今から船団の斜めの位置を確保する。射程圏内に入ったら先頭の奴を除いて全部やってしまえ。発砲のタイミングはお前に任せる」
「サー、イェッサー」
機銃を構えていた隊員の返事を聞き、パイロットは操縦桿を大きく左に倒した。ヘリコプターは速力を維持したまま大きく左側に旋回してゆく。やがてコックピットのガラスの右側に一つしか見えていなかった筈の船影が二つに増える。そして、四つに増えた。先頭を走るのは一際大きいクルーザーである。
「あれは・・・?」
機関銃を握っていた隊員が呟いた。視線の先にあった先頭を走るクルーザーの後方部分に何か大きな灰褐色の物体が動いているのに気が付いたのである。
「見えた、あれが噂のフランク軍曹か・・・。まずいな、かなり接近されている・・・」
先頭を走るクルーザーとその右舷後方に付けているボートの距離はもう二百メートルも無いだろう。どうやら敵のボートから銃撃を受けているらしい。ヘリのローター音にかき消されて発射音は聞こえなかったがクルーザーの周りの海面に時折水しぶきが上がっている。尚もヘリコプターと船団の距離は縮まってゆく。やがてヘリコプターは船団の斜め前に到着し、少し高度を下げて空中停止した。機関銃を握っていた隊員は落ち着きながらも急いでクルーザーを狙う武装ボートに照準を合わせる。向こう側もこちらの存在に気が付いている筈であったが、特に変わった動きを見せる事も無く、ひたすら先頭のクルーザーを追いかけている。恐らく、この距離からの発砲は無意味だと高を括っているのだろう。常識的に考えればそのような判断は間違っていない。しかし、この隊員は僅かではあったがその常識を覆すだけの能力を持ち合わせていた。機関銃が飛び出たヘリの側面は真っ直ぐ船団の方向を向いている。尚も機関銃の照準はしぶとく先頭のクルーザーを狙う武装ボートに合わせられている。更にボートとクルーザーの距離が狭まってゆく。最早、一刻の猶予も許されない状況である事は誰の目にも明らかであった。
「アディントン、自由に撃て!」
操縦席からパイロットの声が響く。機関銃を握っている隊員は目標から目を離さずに答える。
「了解。本部へ、こちらホワイトグースガンナー、敵勢力と交戦します。繰り返します、ホワイトグース交戦。・・・軍曹、今お助けしますよ。・・・ファイア!」
隊員は照準を確認しつつ、引き金を絞った。

同時刻 
中米某国近海 領海内部 海上
「ジェフ!後方の武装ボートから機関銃で撃たれている!ヘリからの支援・・・ぐっ!」
後方を向いていた私の腹部に激しい痛みが走る。急いで腹部に目をやると、銃弾が二発ウエットスーツを貫通して突き刺さっていた。私は必死になって刺さった銃弾を引き抜く。
「ジェフ、ひ・・・被弾した!・・・ミスター、舵は少々狂っても問題ありませんので、今すぐ伏せて下さい!」
「フランク!落ち着け!お前は何発もらった所で致命傷にはならない。兎に角フェルナンド氏を守ってくれ。フランク、何のために奪った短機関銃だ?反撃しろ。その距離なら揺れが激しくても数撃てば当たる」
「分かっている。しかし・・・」
「躊躇うんじゃない!狙え!ヘリからの支援に頼り切っては駄目だ」
「・・・分かった」
どうやらヘリによる支援攻撃の開始まで持ちそうにない。私は防水ケースからもう一丁の短機関銃を取り出し、片手に一丁ずつ構えて追撃を続けている後方のボートを狙った。揺れが激しく、狙いは安定しない。相手がどのような人種であれ、人間だけは私の手で殺したくはなかった。しかし、その希望もここで潰えてしまう。この状況では致命傷を負わない箇所を狙い撃つ事も叶わない。
「何だ?」
突如として後方の武装ボートの周辺の海面に何本もの細い水柱が上がった。何かがボートに襲い掛かっているようだった。こちらに向けて機関銃を撃っていたカルテルの戦闘員が血塗れになってその場に崩れ落ちる。異変に気が付いたのか、武装ボートは大きく私から見て右側に旋回して行く。しかし、どうやら手遅れのようであった。尚もその何かはボートを襲い続けている様子であり、やがてボートはエンジンに損傷を受けたのか黒煙を吹き始め、やがて燃料に引火したのだろう。ボートは大爆発を起こして搭乗員もろとも砕け散り、火の付いたボートの破片が辺りの海を覆った。何が起こったのか理解できなかったが、とにかく一難は去った。これで残るは水上バイク二台だけである。装備も手持ちの火器に限定されるだろう。徐々にではあったが、風向きが良くなってきた。通信機に連絡が入る。今度はロジャース大尉の声だ。
「フランク、少しは役に立ったか?」
まさかと思い右舷側の空を眺めた。遠くの空にヘリコプターが浮かんでいる。どう考えても射撃に適した距離ではない。
「ヘリコプターからの射撃だったのですか?まさかとは思いましたが・・・。有難うございます」
「礼ならば俺に言うのではなくアディントンに言っておけ」
「アディントン?誰です?」
「アフガニスタン帰りの凄腕だ。詳しい事は帰った後、礼を言うついでに彼から直接聞いておけ。これから我々は移動して、接近を試みる後続の二つの船影に打撃を加える。作戦本部からの情報では水上バイクとの事。・・・二手に分かれた。一機は針路を変えてはいないが、もう一機は反転して南西方向に離脱して行く。フランク、船の側面に気を配れ。奴は側面から狙い撃ってくると思われる。訳あって、我々は逃走してゆく水上バイクを追わなくてはならない。申し訳ないがもう一方の水上バイクはフランクに任せる。万一、我々への連絡があればキシモトに伝えろ。いいな?」
「了解です。無事に帰艦できるまでよろしく頼みます」
「あまり頼りにはするな。万が一の場合は自分自身で身を守れ」
ロジャース大尉との連絡はそこで切れてしまった。代わってキシモト二曹の声が聞こえてくる。
「命拾いしたな、フランク。早速だがミスター・フェルナンドに針路を3−4−0に変更するように伝えてくれ。少々東にずれている。ロジャース大尉から既に伝えられたとは思うが、カルテルの物と思われる水上バイクは二手に分かれた。こいつらもかなりのスピードだ。時速にして六十五ノット近くある。固定武装が無い分大きな脅威にはならないだろうが、接近された場合は十分気を付けて欲しい。フランク、針路を変えると正面にパーシビランスの船影が見えてくると思う。後は船影に向けて真っ直ぐ走るようにフェルナンド氏に伝えてくれ。こっちは現在EEZライン上に停船した状態で待機しており、パーシビランスとの距離は直線距離にして既に四カイリを切っている。本当にあと少しだ。この任務さえ終えればお互い一週間の休暇だ。とっとと片付けて楽しもうや」
「オーケー。3−4−0だな。フェルナンド氏に伝えておく。休暇か・・・そうだ・・・いや、この事は帰ってから言う事にしよう」
「何だ?まあ今はいいや。早く伝えてやってくれ」
私は再び操縦室を覗いた。一瞬、私の背筋が凍る。フェルナンド氏はうつ伏せになって倒れていたのである。銃撃を受けたのだろうか。私はすぐさま呼びかけた。
「ミスター!大丈夫ですか?起き上がれますか!?」
「ああ、一々騒がないでくれ。伏せていろと言ったのはあんただろう?爆発音が聞こえたが・・・後ろの奴は片付いたのか?」
フェルナンド氏はゆっくりと立ち上がる。どうやら私が出した指示通りにその場に伏せていたらしい。
「良かった・・・。ミスター、針路を3−4−0に取ってください。前方に船影が見える筈です。針路を変更したらそのまま船影に向けて走り続けて下さい」
フェルナンド氏はハンドルを操作し始める。船体が小さく左側に傾き、やがて元に戻る。
「おい、フランク、あれのことか?」
私もフェルナンド氏と同じように前方の窓の向こうに広がる景色を見ると、遠くの海上に昇り始めた太陽の光に輝く真っ白な船体が浮かんでいる。
我らがコーストガードの誇る最新式の多目的警備艇、パーシビランスだ。
「ええ、その通りです。さあ、もう少しですよ!後は真っ直ぐ進むだけです」
「よし・・・少し大きいな。あんな船を造るとは合衆国も麻薬カルテルの台頭をかなり深刻に見ているようだな・・・」
「ええ、全体的に大きいでしょう?特に後部甲板が広く取られているんですよ。最近になって本格的に運用が開始された垂直離発着式の輸送機が着艦するにも十分なスペースがあり、定期的に飛んで来ては必要な物資の殆どを配達してくれます。水も逆浸透膜システム・・・と言っていましたっけ・・・とにかくそれを使って必要な用水は自前で確保できます。おまけに動力は原子力ですので基本的には補給のために帰港する必要がないんです。レーダーも非常に広範囲の船や航空機の動きを感知することが可能な最新式のものを搭載しており、海上の監視塔の役目も果たしています。あの船に乗っている限り、良くも悪くも私は限られた隊員以外の目に付く事なんて殆ど無いんですよ。まあ、私も軍事機密の身ですから好都合なんですけどね」
「ほう、丁寧な解説をありがとう。原子力船なんて海軍だけが持つものだと思っていたが・・・コーストガードまで持つ時代になったのか。フランク、話は変わるが、悪いがもう一度甲板に行って後ろの様子を見て来てくれないか?万一、ヘリが水上バイクに対応出来なかった場合は大変だからな」
「いえ、水上バイクですが、ヘリの追撃をかわすために二手に分かれたようです。事情はよく分かりませんが・・・ヘリのパイロットも一機を相手にするのが精一杯のようです。ですから確実に一機は私が相手をする必要があります。・・・ちょっと行ってきます。ミスター、必ず貴方を守り通して見せますよ」
「頼もしいトカゲだな。よろしく頼むぞ」
短機関銃を両手に私は後部の甲板に再び後ろ向きに立ち、海上の様子を窺った。左舷の後方から急接近してくる水上バイクが見える。水上バイクはその一機しか見えない。もう一機はヘリコプターが引き付けているのだろうか。そう信じるしかない。とにかくこれで最後だ。意地に懸けてもフェルナンド氏には指一本触れさせない。水上バイクに乗っているのは情報通り二人であった。恐らく肉薄して攻撃を仕掛けて来るだろう。そこを逃さず確実に狙いたい。
「さあ、掛かって来い。返り討ちにしてやる」
私は短機関銃をゆっくりと構えた。

04:19
中米某国近海 領海内部 上空100フィート
ヘリコプターは高度を極限まで下げ、低空飛行で水上バイクを追い掛けていた。水上バイクは再三再四の停船命令にも従おうとせず、威嚇射撃も目に見えるような効果がない。本来ならば、フランクが搭乗しているクルーザーの上空に待機しつつ、接近を試みる船舶を迎え撃つべきだったが、今回ばかりは事情が違った。カルテルにコーストガードの関与を悟られないよう、更に合衆国の軍事機密に触れた敵対組織のメンバーは可能な限り拘束、又は殺害するようにとペンタゴンから命令を受けていたのである。
当然、ヘリの搭乗員達は不満であった。最悪の場合、戦意のない者に手を下す事になるし、フランクはともかく、救出したカルテルの情報提供者の身を危険に晒す羽目になってしまう。
「このままでは埒が開かない。もういい。アディントン、奴を沈めろ」
操縦桿を握っていたロジャース大尉は前方の景色から目を離さずに、声を荒げて後方の銃座の機関銃を握るアディントン水兵に命令を出した。このロジャースという男、趣味がポーカーという事も関係してか、感情の起伏が声にも表情にも殆ど表れない正にポーカーフェイスの男であった。なので、このようなあからさまに感情が読み取れるような話し方をするのは異例の事であった。余程この状況に腹を立てているのだろう。
「了解。攻撃します」
機関銃を握っていたアディントン水兵はもう一度水上バイクに照準を合わせ直した。先程の武装ボートより的は小さかったが、この距離ならば大した問題もない。突然水上バイクの後部座席に乗っていた搭乗員が後ろを振り返った。両手には何やら握られている。
「アディントン!身を隠せ!」
叫んだのはロジャース大尉だった。アディントン水兵は水上バイクの異変に気が付き、既にヘリコプターの内部に身を隠していた。次の瞬間、機体の外部に何かが叩き付けられたのか、鈍い金属の音が複数回響いた。水上バイクから銃撃を受けたのである。
向こうがその気ならこちらも容赦する必要はあるまい。銃撃が途切れた瞬間を突き、アディントンは機関銃を握り水上バイクを狙って銃撃を浴びせた。瞬時に威嚇射撃ではないと悟ったのか、水上バイクは大きく左に針路を変え、銃撃を避ける。お陰でバイク本体に損傷は負わなかったものの、その代償としてか、水上バイクの後部座席に座っていた搭乗員が銃弾の直撃を受けて海へと転落した。
パイロットは一人になってしまった水上バイクの動きに合わせて操縦桿を切る。もう一度バイクの真後ろに付ける事が出来たら今度こそゲームセットだ。そんな思いがパイロットの脳内を過った。しかし、勝利を確信した瞬間、自分のHMDに備え付けられたスピーカーに女性オペレーターの緊張した声が聞こえて来た。
「作戦を中止して直ぐに帰艦してください。繰り返します。作戦中止」
「どうした?何があった?」
あまりの出来事にパイロットは反射的に聞き返していた。
「警備艇の対空レーダーがホワイトグースに向けて南から高速で接近する機影を二つ捕捉しました。信じられませんが・・・当局空軍の軽攻撃機がスクランブルを仕掛けて来たものと思われます。その場に居ては危険です。ミサイルによる攻撃を受ける可能性がありますので、直ぐにEEZまで退却して下さい」
まだヘリコプターのレーダーにはそのような機影は映っていない。現時点ではかなり距離は開いているようだが、ヘリコプターと航空機の速力には差がありすぎる。直ぐにでも離脱を開始しないと追いつかれてしまう。それに警告なしの攻撃は有り得ないだろうが、米軍のヘリコプターが領空侵犯を行っていたと確認されてしまっては外交的な摩擦に繋がりかねない。既にフランクが停泊中の貨物船に侵入して人質の救助を行ったため、これ以上摩擦の要因を増やす訳にはいかなかった。ロジャース大尉は追跡を諦め、針路を北にとった。アディントン水兵の不満そうな声が聞こえてくる。
「大尉!どうして引き返すのです?まだ止めを刺していません」
「残念だが、当局が迎撃機を飛ばしてきた。作戦中止だ。一気に北に逃げる」
ヘリコプターは速度を上げ、北の方向へ飛んで行った。

04:24
中米某国近海 領海‐EEZライン付近 海上
二人乗りの水上バイクがクルーザーの真後ろを走っている。距離にして二十メートル位だろうか。時折、バイクの運転手がハンドル片手に短機関銃を発砲してくる。私は運転室で舵を握るフェルナンド氏への被弾を防ぐため、後部甲板と船室を結ぶ扉の前に立ち続けていた。時々私の体に着弾し、僅かな衝撃が走る。どうやら貨物船で撃たれた短機関銃の弾丸と同じ物だ。こちらの弾丸ならば痛くも痒くも無い。クルーザーは度重なる銃撃により、船体の所々に穴が開いていたが、機関部には幸い今の所ダメージを受けてはいない。やがて水上バイクは後方からの攻撃を断念したのか、速度を上げてクルーザーの側面に付け、ハンドルを切って距離を縮めて来る。十分に狙いを付けられる距離に達したのか水上バイクの二人はクルーザーの方向を向き、短機関銃を構えた。銃口は私の方向に向けられていない。どうやら船室を狙っている。彼らの次の狙いはフェルナンド氏のようだ。だが、彼らが引き金を引く前に、私が両手に構えていた短機関銃が火を噴いた。
そう、自分が敵の射程に入った時は、敵も自分の射程に入っているのだ。私が狙い撃った弾丸は見事に水上バイクの二人の脚に命中したのである。痛みに耐え切れなかったのか、水上バイクの運転手はハンドルから手を離してしまった。すると、水上バイクは大きくバランスを崩して搭乗員の二人はほぼ同時に海へと転落した。運転手を失った水上バイクは明後日の方向に走り去ってゆく。これでクルーザーを狙う脅威は全て排除された。フェルナンド氏もそれに気が付いたのか、クルーザーを一旦停止させて後部甲板へと出て来た。
「終わったな。あんた最高のトカゲだぜ」
フェルナンド氏は安堵のため息をついた。
「まだ終わっていません。彼らを救出しなくては。致命傷は負わせていない筈です。ミスター、先に警備艇に向かって下さい。私はカルテルの二名の完全な武装解除と、艦載の小型救難艇が到着するまでの応急処置に向かいます」
「あんた、俺達を殺そうとした奴を助けようってか?つい最近まで奴ら組織の幹部だった俺が言うのも何だが、あんな奴らは助けてやる価値も無い。知ってるか?ここら辺の海域には凶暴なイタチザメがわんさか居る。十分と経たない内に奴らは血の匂いを嗅ぎ付けたイタチザメの餌食になるだろうな。ふん、奴らにはお似合いの最期だ」
「いえ、サメの餌にはさせません。奴らは最近のカルテルの動向を少なからず知っているでしょう。彼らは貴重な情報源でもあります。生け捕りにして尋問すれば何か重要な情報が入手出来るかもしれません。死なせては大損なんですよ」
「尋問しても無駄だ。何も吐きはしないだろう。奴らの多くはカルテルに忠誠を誓っている」
「まあ、尋問では終わらないでしょう。合衆国は吐かせる手段なんて幾らでも持っていますよ。兎に角、行ってきます。先に警備艇に向かっていて下さい」
言い終えると同時に私は急いで海に飛び込み、カルテルの二人の方向へと泳ぎ始めた。泳ぎつつ無線のスイッチを入れ、キシモト二曹に連絡を入れた。
(救難艇を直ぐに発進させてくれ。水上バイクの二名だが、脚に銃撃が命中し海に転落した。フェルナンド氏の話によると急がなくてはサメの襲撃を受けるとのこと。私は救難艇に先行して二名の応急処置に当たる。位置情報は私の発信機を参照して欲しい。尚、フェルナンド氏は先に警備艇に向かった。クルーザーから収容してやってくれ)
「オーケー。直ぐに発進準備をさせるように要請しておく。これでフェルナンド氏の危険は去った訳か。フランク、くれぐれも救助に夢中になり過ぎてお前がサメに食われないように気を付けろ」
(心配しなくてもそんなサメは返り討ちにして私が食ってやる。急いでくれよ?早くしないと貴重な情報源が失われてしまう。一旦切るぞ)
無線を切り、私は全速力でカルテルの二人の元へと泳いでゆく。急がなくては出血多量でショック死するか、サメの餌食になるかの二択しか残らない。海上に浮かぶ二人の姿が見える。フロートは付けているようで、溺死の心配は恐らくは無い。私の接近に気が付いたようで二人とも私の方向を見つめている。出血により体力を消耗しているのか、逃げようとする素振りは見せていない。それとも彼らは救助される事を望んでいるのだろうか。
考えている間にも私は泳ぎ進み、二人の元へと到着した。驚いた事に両人とも武器は手放していないようで手にはクルーザーへの銃撃に用いたと思われる短機関銃が握られていた。海水からは血の匂いが感じられる。すぐにでも止血を試みなくては出血多量、及びサメの襲来という二つの意味での危険な状況に陥る事は間違いない。何はともあれ、武器を放棄させる事が第一である。
「おい、助けて欲しかったら武器を捨てる事だ。そうすれば直ぐにでも応急処置をしてやる。もうじき警備隊の救難ボートが来る。さあ、どうするんだ?」
返事は返ってこない。出血は続いているようだが、重症に陥ってしまう程の出血量ではないと顔色から分かる。返事くらいは出来る筈だ。もう一度二人に呼び掛ける。
「返事くらいしろ。助けて欲しいんだろう?イェスかノーか、どっちなんだ?」
「答えは・・・ノー、だ」
一人が小さな声で返事をすると同時に、二人は持っていた短機関銃の銃口をそれぞれ自分のこめかみに当てる。
「よせ!やめろ!」
私の制止の呼びかけも空しく、二人はほぼ同時に引き金を引いた。凄まじい量の血しぶきが二人の頭から噴き出し、辺りの海面に飛び散った。共に短機関銃を落とし、頭は力なく前に倒れている。頭部からの出血は非常に激しく瞬く間に海面を赤く染めてゆく。
「そんな・・・ああ、畜生・・・」
最悪の結末に私は只々彼らの行動を憎む他なかった。無線機のスイッチを入れ、状況を伝える。
「最悪だ、ジェフ。奴ら銃で自分の頭を撃ち抜きやがった。もう救難ボートを出す必要は無い。これから私も警備艇に引き上げる」
「俺も衛星で見ていたが・・・何てこった・・・。だが、フランクの責任では無い筈だ。気にする事は無い。救難ボートの奴らには戻るように伝えておく。こうなってしまった以上は早く戻って来い。それと、たった今フェルナンド氏が警備艇に収容されたが、いきなり倒れ込み、そのまま意識不明になり医務室に担ぎ込まれたそうだ。聞いた話によるとひどく体力を消耗していてこのままでは危険な状態らしい。治療すれば問題はないと思うが・・・」
「そんな馬鹿な。クルーザーも運転できていたし、直前まで会話も普通に出来ていた。どういう事だ?」
「これは俺の勝手な推測だが・・・フランクに心配を掛けたくなかったんじゃないのか?気丈に振る舞う事によって少しでもフランクにのし掛かる精神的な不安を取り除こうとしていたんじゃないだろうか?」
信じられなかった。最早ポーカーフェイスなどというレベルではない。そのような雰囲気は彼の表情や行動からも全く読み取れなかった。これが麻薬カルテルの幹部の実力なのだろうか。
「兎に角、これで任務完了だ。フランク、お前の初任務は無事に成功という事だ。皆、お前の成功を喜んでいるぜ。早く帰って来い。・・・おめでとう、フランク」
「照れるじゃないか。早く帰って睡眠を取りたいところだが、一応この二人の身分証か何かを探してみてから帰る事にするよ」
「律儀だな。そんなこと別にやらなくてもいいんだぜ?」
「念のためだ。やれるだけのことはやってから帰りたい」
「そうか。後これはどうでも良い事だとは思うが、さっきまでフランクの作戦で使っていた通信衛星だが、もうこの作戦には必要ないという事で早速、海軍が行う別の作戦で使う事になった。こちらに送られている映像もじきに切れる筈だ。・・・おっと、今切れた。伝えたいことはこの位だ。気が済んだら帰って来い」
「オーケー。ジェフのサポートに感謝するよ。ありがとう」
「へへっ、ありがとよ。じゃあな。後でまた会おう」
通信はそこで切れた。私は早速目の前に浮かぶカルテル戦闘員の死体に目を遣った。かなり出血してしまったのか、頭部からの出血は幾分緩やかになっていた。早速近くの死体に近付き、救命胴衣のポケットを探った。救命胴衣は頭部から流れ落ちた血を受け止め、真っ赤に染まっていた。ポケットを探るが結局何も見つからなかった。救命胴衣を外し、上着とズボンのポケットを探る。ここにも何もなかった。どうやら身分証はおろか、この男は何も持っていないようである。
この男のチェックは終了。後は男にとってはサメに喰われるのを待つのみだろう。哀れではあったが仕方のない事だ。そうだ・・・私の頭にとある考えが過った。自分でも狂気じみた考えではないかと一瞬は疑ったが、この状況では一番有益かつ合理的な手段であるし、私の生理的な欲望も満たしてくれる。
この遺体を私が食べてしまうということだった。どの道、このまま遺体を放置した所でサメが喰い尽くしてしまうか、万が一運よく海岸に流れ着いた所で警察の手を煩わせるだけである。それに衛星のカメラの映像が途切れた今は私を見ている者は一人として居ない。私の理性はそのような行為は卑しく、恥ずべき事であり絶対に慎むべきだと警鐘を盛んに鳴らしていたが、私の体の方は欲望に正直であり、口内では盛んに唾液が分泌され、やがて溜まりに溜まった唾液の一部が糸を引きながら涎となって口外へと零れ落ちる。科学の力が私に与えてくれた尊い理性も激しい空腹を前にしては、本来ならば獰猛な肉食動物だった私が潜在的に持っている食に対する欲望には敵わなかった。結局、理性は本能に敗れ去ってしまった。私は目の前の男が着ていた服を上下共に食い千切り、裸体となった男の上半身を溜まった唾液を撒き散らしながら咥え込んだ。出血が弱まっているとは言え私の口内には瞬く間に生温かい血液が溜まってゆく。程良く時間が経った所で口内に溜まった液体を飲み込んだ。
美味しい。情けの無い話だが、本当にそう感じていた。悔しいが自分の味覚まで偽ることは出来ない。暫く同じ事を繰り返していたが、結局その感覚が変わる事はなかった。それほど時間に余裕も無いので、もう少し血の味を堪能していたいという欲望を抑えて(流石にこの欲望には理性が打ち勝った)嚥下して腰の下の部分まで丸呑みにする。着衣していない分抵抗が少なく、恐ろしい程スムーズに呑み込める。口からはみ出た男の脚の片方のふくらはぎの部分に私が撃った短機関銃によるものと思われる銃傷が見えた。どうやら銃弾は貫通しており体内には残っていない様子であった。確認を終えた後、男の靴と靴下を急いで外し去って爪先から大腿までを頬張り、首を上げて真上に広がる空を仰ぐと、まるで滑り台を滑り落ちるかのように男の体は私の食道を加速しながら落ちてゆく。噴門の部分で一瞬だけ減速したが、それでも十分な速度を維持したまま喉の膨らみは勢いよく胃の中に飛び込んだ。腹部に弱い衝撃が伝わり、湿った音が聞こえてくるようだった。
これで残るは一人だ。最早ここまで来てしまっては引き下がる事は不可能だった。もう一人はボディーチェックも適当に済ませ、服を引き裂き、先程と同じようにして呑み込んだのだと思う。思うと言うのは一人目を丸呑みにした時からの記憶が殆ど無いのである。はっと気が付き、我に返った頃には、私の周りの海面には血に染まった救命胴衣が二つと、引き裂かれ、ボロ布の様になった服が浮かんでいるだけであった。暫くの間だけではあったが、どうやら私の体は完全に強欲な肉食動物の本能に支配されてしまっていたようだ。下腹部は私に対して二人を呑み込んだのはお前だと言わんばかりに丸々と膨れ上がっている。激しい空腹感は一瞬で消え去り、心地よい満腹感に満たされた。胃袋は獲物の存在を察知したのかゆっくりと収縮運動を始め、久し振りの獲物を持て成している様子だった。体は大きな餌に喜んでいるようだが、それとは対照的に心は欲望に敗北し欲望に我を失ってしまった事を恥じていた。
だからと言って吐き出せば捕食者がサメに変わるだけである。食べられるという点ではおおよその結果に変わりは無いだろう。良くも悪くもこれが最良の選択だったし、最良の選択の筈である。だが、そうやって一生懸命に自分の行いを正当化しようとしている私の姿にも気が付き、力無い笑みが浮かぶだけであった。
兎にも角にも私はこの作戦を達成しフェルナンド氏を合衆国へと送り届けることに成功した。私にとってもTACSにとっても初めての作戦成功である。受けるべきは名誉、授かるべきは勲章の筈である。このような表情は勝利者である私にはふさわしくない。後は帰るだけだ。冷え切った体をシャワーで温め、気が済むまで睡眠を取ろう。これで食事を摂る必要も無くなった。口の中に残っている血の味を消すために何度か塩辛い海水で口をすすいだ後、私は船に向けて泳ぎ始めた。
暫くしてからふと後ろを振り返ると、遠くの海面に何かが突き出ている。一つだけではない。三つ・・・四つ・・・五つ。こっちに接近して来る。すぐにサメの群れだと私は確信した。どうやら血の匂いを嗅ぎ付けてやって来たらしい。自決した二人が浮かんでいたポイントは既に通り過ぎている。とすると狙いは私だった。大量に血が混じった海水に長時間浸かっていたため、体に血の匂いが染み込んでしまったのである。それに私は機関銃の銃弾で表皮を傷付けられている。そこからも微量の出血があるようだ。急いで警備艇に向けて泳ぎながら無線機のスイッチを入れる。
「ジェフ、サメだ。サメの群れが私を追っている」
「おいおい、とっとと帰ってこないからこうなるんだ。一匹ならまだしも複数ならフランクでも厳しいな・・・。とにかく落ち付け。奴らは泳ぎのプロだ。逃げた所で追い付かれるぞ。何か良い方法は・・・そうだ、奴らは血の匂いに反応するんだったな。フランク、一匹に噛み付いてやれ。奴ら仲間の血に反応して共食いを始めるかもしれん」
「成程・・・。よし、その方法に賭けてみよう」
「フランク、こんな下らない局面でくたばるなよ?」
「安心しろ。やってやるさ」
ゴーグルを掛け、潜水して後ろを向いた。海中に目を凝らすと、尾ひれを左右に振って水を掻きながらゆっくりと私に近付いてくるサメの群れの姿があった。大きさは私とほぼ同じくらいだろうか。人間だけでなく、どうやらサメにもせっかちな奴が居るらしい。群れから離れ、一匹だけ猛スピードで私に突撃を仕掛けて来るサメが居た。私にとっては良いカモだ。こいつを狙わない手はあるまい。全神経を集中させ先頭のサメの来襲に備える。ついに目の前まで迫ってきた。先頭のサメは口を開けて速度を微妙に落とし、鋭い牙を覗かせながら私の腹部を狙ってきた。私はぎりぎりまで引き付けてサメの攻撃をかわす。水中なので私の胃に収まっている“餌”の相当な重量も身のこなしの障害にはならない。第一撃をかわされ次の攻撃を仕掛けるために、すぐに向き直ってくるかと思えば案外そうでもなかった。若干の隙をサメが見せる。私はその隙を突いて反撃に出た。
私もサメに負けず劣らずの大口を開き、サメの真っ白な腹の喉元に近い部分に噛み付いた。両腕でがっちりとサメの体を抱え込み、逃がしなどはしない。私の口は完全にサメの体を捕えており、上顎、下顎から無数に伸びる鋭いナイフ状の歯がサメの体に食い込んでゆき、透き通った海中に鮮血が滲み出してゆく。
(これでも食らいやがれ!)
私は顎に有りっ丈の力を込め、そのまま首を使ってサメの腹部を喰い千切った。喰い千切ったサメの胴体から真っ赤な鮮血が噴き出し、ゴーグル越しに見える光景が赤く霞んだ。私は食い千切った鮫の肉片を口から吐き出した。驚いた事に、致命傷を負った筈のサメは激しく体を動かし、血を凄まじい勢いで噴き出しながらも抵抗している。当然、私は更なる追撃を加える。
(しぶとい奴め、これでチェックメイトだ)
今度は私が食い破った喉に近い腹の部分にさっきよりも深く噛み付き、サメの内臓を引き抜きつつ更に広範囲の部分の肉と共に食い千切った。流石にこれは効果てき面だったようで、この一撃でサメの動きは大きく鈍った。もう十分過ぎる程のダメージを与えた筈であった。間違ってもこれ以上私と闘おうなどという意思は見せないだろう。念のため、サメの背びれをむしり取り、水泳能力を奪った上で両手の力を緩めて自由にしてやった。
サメは脈打つように出血しながら海面に向かってゆっくりと浮かんでゆく。時々小刻みに体を動かしているが、もう長くは持たないだろう。後続のサメの群れが接近して来る。私は静かに海水を蹴り、その場を後にした。少し離れた場所で一度振り返ると、サメの群れは最早私などは眼中には無くなったのか、血を噴き出しながら海中を漂っている仲間の元へと一目散に向かってゆくのが見えた。どうやら奴らの頭は傷付いた仲間を気遣おうなどという考えは一切持ち合わせていない様子であった。
群れの先頭に居た一匹が情け容赦なく食らい付く。すると後に続く仲間のサメもそれに従う。憐れにもあっという間に傷ついたサメは同志である筈だった仲間のサメに引き裂かれ、食い尽されていった。すると、一匹のサメが目標を見誤ったのか、仲間の肉を貪っていた無傷のサメに喰い付いた。噛み付かれたサメの体から鮮血が溢れだす。次はそのサメが餌食になる番だった。死の連鎖は続いてゆき、やがて集まってきたサメの全てが捕食者であると同時に被食者となった。赤く染まった水の中でサメ達の狂乱の宴が幕を開ける。各々が仲間の肉を喰らい合い、自分の肉を喰らわれ合う。本能が引き起こした悲劇とは言え、もはや私の眼には愚かで滑稽な光景としか映っていなかった。
(まさかここまで面白い具合に進むとは思っていなかったな。・・・そうだ、サメを返り討ちにして食べたと言えばこれを誤魔化す事が出来そうだ。)
丸々と膨らんだ腹をウエットスーツの上から擦りながらそんな事を考えていた。もう少しこの楽しい見世物を見ていたいと言う気持ちは無い訳でもでもなかったが、何時私が再び奴らの標的になるか分からない。私は見物をやめ、仲間の待つ警備艇に向かうことにした。
(それでは楽しい食事のひと時を)
私は血みどろの抗争を繰り広げるサメの群れを尻目に再び警備艇に向けて泳ぎ始める。前方の海中に大きな船の胴体が見えている。パーシビランスの胴体だ。長かったがようやく帰ってくる事が出来た。サメとの遭遇から長時間潜水を続けていたため、溜まった呼気を吐き出すべく浮上する。海面から顔を出し、鼻から勢いよく息を吐き出し新鮮な空気を吸い込む。目の前には真っ白なカラーに染められた見慣れた船体が視界いっぱいに広がっており、船首に取り付けられた自動速射砲の砲身は相変わらず空の彼方を望んでいる。一息付いた所で警備艇の甲板の様子を見る。夜間の歩哨に当たっていたのだろうか、一人の水兵が後部甲板の縁を眠そうにしながら歩いていた。私が声を掛けると声に気が付いたのか、こちらを向いて手を振って答えた。遠くからでも嬉しそうな顔をしているのが見える。私が泳いで船に更に接近すると水兵は両手を口に当て、私に向けて叫んだ。
「フランク軍曹!ご無事で何よりです。クレーンを降ろしましょうか?」
「その必要はない。船体に貼り付いてよじ登る事にするよ」
一度甲板に居た水兵の姿が消える。私は船体に両手で貼り付き、登り始める。水中に居た時は余り感じなかった事だが腹の膨らみのせいで体が重く、疲れた体には少々堪える。それでも手足に力を込め一歩一歩確実に登り詰めてゆく。あと少しだ。両手を甲板の縁に掛け、懸垂力を使いつつ足を甲板に乗せ、手摺りの隙間から甲板に這い上がり、その場に四肢を放り出して腹這いの姿勢になり甲板に寝そべった。平らな床が広がっている。
パーシビランス後部甲板に設けられたヘリポートだ。勿論、ヘリコプターだけでなく垂直離発着機も軽々と着艦できる。周囲を見渡すと白とオレンジ色に塗装されたヘリコプターが数人のクルーの手で格納庫へ運び込まれている所であった。ホワイトグースだ。何時の間に帰ってきたのだろう。フェルナンド氏とクルーザーに乗っていた時には帰艦してゆくホワイトグースの姿を見掛けなかった筈だ。とすれば私が海中でサメと格闘していた時であろうか。
別段大した事も無い事について思いを巡らせていた時、二つ並んでいた格納庫のシャッターのもう一つがゆっくりと開かれてゆく。何事かと思い首を上げて様子を窺うと開かれたシャッターの内側からストレッチャーを押しながら駆け寄ってくる警備艇のクルー達の姿が見えた。彼らは私の目の前で急停止し、ストレッチャーを下げる。クルーの一人が私に意気揚々と話し掛けた。
「任務ご苦労様です。既にイワノワ博士も海上基地からヘリコプターで当艦に到着しており、応急手当ての準備は完了しています」
「何、ちょっと出血しているだけだが・・・えらく大袈裟だな。自力で歩けるからストレッチャーは必要無いぞ?・・・まあ、折角持って来てくれた事だし、乗せてもらおう」
私はストレッチャーに仰向けに寝転がった。私の体が完全に乗ったのを確認し、隊員達はストレッチャーの高さを調整して押し始める。どうやら格納庫の中の私の部屋に運び込む様子であった。私を乗せたストレッチャーは明々と蛍光灯の灯った格納庫の内部へと入って行った。既に内部には大勢の医療スタッフを始めとする隊員達が控えており、私が乗っていたストレッチャーは複数の隊員に取り囲まれ、私が身に付けていた装備品を外し始める。最後にウエットスーツを脱がされ、私はあっという間に素っ裸にされてしまった。(人間以外の動物は裸が当然だが、どうも私は最近になって恥ずかしく思うようになった気がする)
「軍曹、水です」
「悪いな。有難う」
寝転がっていた私の口元に隊員の一人がストローを近付けてくる。そう言えば喉も渇き切っていた。一言礼を言った後、一心不乱にストローを吸った。ミネラルウォーターかと思えばストローを通して口に入ってきた液体は少し甘くて飲みやすい。どうやらスポーツ飲料だ。ひとしきり飲み終えた後、口からストローを離すと先端部分に血が付いていた。
「大丈夫ですか?フランク軍曹」
ストローを近付けて来た隊員が不安げな声で尋ねてくる。どうやら私の血だと勘違いしている様子だ。
「ああ、それは私の血ではない。サメを返り討ちにして食べてやったんだ」
「え・・・サメと言うと、ここら辺に住んでいるあの凶暴なイタチザメですか?奴らこの前もフロリダでサーファーを襲ったばかりなんですよ。そんな奴を倒して食べたって凄い事じゃないですか」
フェルナンド氏が言っていたサメと同じである。どうやらこの辺りではかなり悪名高いサメのようだ。私は完全に血液を洗い去るために、更にストローから液体を口に含み何度も口をすすいだ後、飲み込んだ。
「・・・あ、博士、フランク軍曹の銃創ですが、見た所軽傷で済んでいる様子です」
「良かった。まあ当然と言えば当然かも知れないけどね。疲れているでしょうから貴方達は戻ってくれて結構よ。フランクの事なら後は私に任せて」
「了解です。それではこれで・・・」
足音が聞こえ始め、徐々に小さくなっていった。どうやら数人のクルーが格納庫の中から出て行ったようだ。それと同時に誰かが入れ替わりで格納庫内に入ってきた。やがて仰向けになった私の視界に私の顔を覗き込んでいる女性の姿が映った。黒褐色の艶のある髪を長く伸ばしており、瞳は黒色に僅かに緑色が掛かったような色彩をしている。服装は明らかに他の隊員とは異なり、この女性だけ裾が足元まで伸びた白衣を着ている。彼女がイワノワ博士である。私にはよく分からなかったが、人間の男性からすると博士はかなり美人の類に入るらしい。年齢もちょうど四十を超えた所だそうだが、クルー達の目からは到底そのようには見えないらしく、初めて博士に会った隊員が彼女の年齢を知って驚くというのは、もはや日常とでも言うべき事のようである。博士の視線は私の顔から離れ、仰向けになった私の体の隅々に目を遣っている様だった。
「とりあえず腹部に二発ね。応急手当だけで十分だわ。それにしてもフランク、なぜ銃弾を引き抜いたりしたの?」
「銃弾は鉛製でしょう?長い間刺さっていては溶け出して中毒を引き起こすのではないかと・・・」
そこまで言った時、突然博士は笑い始めた。
「馬鹿ねえ、そんなに直ぐに中毒を起こす筈が無いわ。それに刺さった物を無理に引き抜くと傷口を広げたり出血量を増やしたりと悪いリスクを高めるだけよ」
「そうかも知れませんが・・・刺さっていて気持ちの良い物ではなかったので・・・」
「まあいいわ。傷口を洗浄するわよ。しみるでしょうけど我慢してね」
博士は私の傷口を洗浄するためのホースを引っ張り出し、私の傷口に向けて放水を始めた。想像はしていたが、かなり痛い。
「あらあら、こんなの軽傷なのに。ライフル弾使用の軽機関銃で撃たれてこの程度で済むなんてこの世においてあなた位よ。人間がこんな所に二発も銃弾を受ければライフル弾でなくともあの世行きは免れないわ」
痛みには耐えていた積もりであったが表情には出ていたようで、博士はそれを察知していたらしい。言い訳をしても聞き苦しいだけなので、敢えて返答はしなかった。傷口の洗浄が終わり、博士は清潔そうなガーゼで傷周りの水を吸い取った後、絆創膏を二つ貼ってくれた。
「次は背中ね。うつ伏せになってと言いたい所だけど・・・少しその体勢は辛いかしら。それにしてもフランク、そのお腹どうしたの?やけに膨れているけど・・・まさか任務中にお腹が減ったからと言ってカルテルの人達を襲って食べた訳ではないわよね?」
半分程度は正解であった。かといって真実を話す訳にはいかないし、ここは都合の良い嘘を博士にもつかせてもらう事にした。
「ははっ、それは万が一にも・・・」
「フランクはそんな事はしませんよ。フランクの奴、ほったらかしにしとけば良いものをわざわざ負傷したカルテルの奴らを助けてやろうとクルーザーから海へ飛び込んだんです。そうしたらイタチザメの大群に襲われたらしくて・・・」
私の話を遮り、誰かが私に代わって博士に説明を始める。首を声の主の方向に向けると長身のアジア系の顔立ちをした男が立っていた。髪は短く刈り込んでおり、一般的な隊員の服装をしている。私と目が合う。
「よう、フランク。お疲れさん。俺の作戦、大成功だったな。その様子じゃあ相当食べたみたいだが・・・そんなに美味しかったか?」
声の主はキシモト二曹であった。どうやら通信室から出て来て私の様子を見に来たようだ。
「ああ、最高だったよ。やっぱり魚は新鮮な奴に限るな。・・・ええ、ジェフの言う通りですよ、博士。勿論、私がやられる訳にはいかないので一匹を返り討ちにして血祭りに上げたんです。そうしたら血の匂いに反応して奴ら同志討ちを始めて・・・面白くも憐れな光景でしたね。それで、どさくさに紛れてサメの一匹を捕まえ腹一杯になるまで食べてやったんですよ」
また大嘘をついてしまった。実際は食い千切った鮫の肉は既に満腹であったために殆どを吐き出していたのである。
「あら、サメに襲われたの?サメも襲う相手を間違えたわね。でもフランク、恐らくだけどサメのキバ位では本当の意味であなたの皮膚に歯が立たないわ。これだけ高威力のライフル弾でこの程度の傷なら彼らの牙が先に折れてしまうと思う。戦わずに逃げても良かったんじゃないかしら?」
言われてみれば至極全うな意見である。軽機関銃で撃ち出されたライフル弾よりサメの牙の方の威力が高い筈がない。博士の言う通り逃げ帰った方が良かったのかも知れなかった。
「まあ兎に角、傷を先に治療してしまいましょう。背中を見せて。うつ伏せがしんどいのなら横向きでも構わないわよ」
言われた通りにすると背中の首の辺りに出来た傷をさっきと同じ手法で治療してくれた。水が傷口にしみるのを我慢していると、博士は絆創膏を貼り終えるのと同時に私の背中を軽く叩き治療が終わった事を知らせてくれた。
「これで全部終わり。フランク、まだ歩けるでしょう?艦長室まで行って任務成功を報告してらっしゃい。何だか艦長・・・機嫌悪そうにしていたけど・・・」
「いつもの事ですよ。イワノワ博士。気にする事でも何でもありません。・・・フランク、ちょっと甲板に出ようや。良いものが見られるぜ」
「先に艦長に報告をした方がいいんじゃないか?」
「気にするなよ。俺だって通信記録をまとめなくてはいけないんだ。疲れる事は少しだけ後回しにしよう。それに今しか見られないものだぜ?」
そこまで言われた所でキシモト二曹が何を見たがっているのかを理解できた。
「よし、行こう」
私はキシモト二曹と共に格納庫から甲板に出た。甲板の縁まで歩き、二人並んで東の空を見る。
「見ろよ、フランク、夜が明けるぜ」
「ああ、何時見ても変わりはしないが、飽きもしないな。・・・綺麗だな」
「ああ、全くだ・・・」
夜が完全に明け、水平線の彼方から朝日が顔を見せ始めた。一面に広がる海原は朝日の光を乱反射して宝石のように輝き出す。温かな陽光が私の体を優しく包み込んでゆく。海上で朝を迎えた事は幾度となくあったが、ここまで清々しい朝は初めてであった。
「ははっ、任務の成功に相応しい景色だな。そう思うだろう?ジェフ」
キシモト二曹の返事を待ったが何時まで経っても返事が返ってこない。見ると睡魔に負けてしまったのか彼は手摺りにもたれ掛かり、眠っていた。
「おい、ジェフ、起きるんだ。戻ろう」
「・・・ああ、悪いな・・・分かった。中に入ろうぜ。・・・それにしても眠いな・・・」
キシモト二曹は目をこすり、大きく欠伸をしてから歩き始めた。私も彼に続く。船室へと続くドアの前で立ち止まって空を見ると、陽は段々と昇ってゆき、より一層明るく海を輝かせる。カリブの海に今日も朝がやって来た。明ける事のない夜などは無い。私はそんな当たり前の事を再確認して自分の船室に続くシャッターの内側へと歩いて行くのであった。 ACT1 FIN



<2011/05/29 21:27 K.U.AGRI>消しゴム
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