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連載小説
[TOP][目次]
ページ1
 僕はフルーツポケモンのトロピウス。トロピコという立派な名前も付いている。この熱帯の小さな島で、島に住む人々と一緒にのんびりとした日々を送っている野生のポケモンの一匹だ。
 今の時刻は、お昼を過ぎてから少し経ったくらい。ちょうど島の子供達が“ガッコー”という場所から帰ってくる時間だった。
 今日も僕の中では全てがいつも通りに進んでいる。朝早くからジャングルの中を歩き回って好物のフルーツをお腹いっぱいになるまで食べて回った後、島の南側にあるビーチに出て、気持ちの良い南国の太陽の光をたっぷりと浴びながら、うたた寝をする……。目が覚めたのも、やはりいつも通りの時刻。別に予定が狂った所で良くない事が起こるなんて事はない。だけど、どういう訳か、何事もいつも通りに動いている方が自然と落ち着くのだ。
 そんな僕は今、砂浜を後にして再び木々がうっそうと生い茂るジャングルの中をのんびりとした足取りで歩いている。次の予定をこなすためにある場所に向かっているのだ。のんびりのペースで歩いているとは言え、歩き始めてからもう大分経っている。だから……もうそろそろの筈だった。
 ……聞こえて来たぞ。ジャングルの奥からかすかに自分の名前を呼ぶ声が響いて来る。それに気が付いた僕は、歩みを止めてじっと耳を澄ませた。
声が聞こえてくるのはちょうど僕の真正面からだった。段々と僕の名前を呼ぶ声が大きくなってくる。声に加えて、落ち葉を踏み分けて僕のいる方へと駆けてくる足音も徐々に聞こえ始めていた。
 やがて、そんな僕の前にジャングルの木々を大きく揺らしながら現われたのは、よく日に焼けた肌をした、真っ白なワンピースを身に着けた一人の少女だった。そんな少女と僕の目が合う。途端、少女は目を丸くして大きな歓声を上げた。
「やっぱりトロピコだ! うわぁい! 今日もあたし達と遊びに来てくれたの?」
 少女はジャングルの木々をかき分けて僕の元に全速で駆け寄って来ると、僕の長い首の根元に勢い良く飛び付いて来た。一方の僕は、少女の頬に自分の顔をすり寄せて挨拶の代わりとする。
「ねぇね、トロピコ! 今日はたくさん集まっているんだよ! 早く、早くぅ!」
 そう言うが早いか、彼女はしがみ付いていた僕の首を伝って、僕の背中の上に乗っかって来た。僕は彼女に向かって笑顔で頷いて見せた後、彼女を背中に乗せたまま、彼女が暮らす村に向けて歩き始めた。しばらく歩いて行くと、ジャングルは幅の広い水路に差し掛かかった辺りで途絶える。ようやく村の入り口に差し掛かったのだ。
 そしてこの水路はと言えば、村に住む人間達が生活のために近くの川から水を引いてきて作られたものなのだ。時々、水を汲みに来ている人を見掛ける事があるのだが、今日は誰の姿も見えていない。水路には丸木橋が架かってはあるものの、人間に比べて体の大きい自分がその上を渡ろうなどとすれば、真ん中の所でへし折れてしまうのがオチというものだ。
「トロピコ!ジャンプ、ジャンプして!」
 僕の首元にしがみ付く少女の手に力がこもる。少女の言う通り、ここを通過するのならば飛び越すしか手段はないのである。僕は前を向いたまま一つ大きく頷くと、そのまま背中の四枚の葉っぱを大きくはばたかせて水路を飛び越しに掛かった。背中の上の少女は興奮を抑え切れないようで、僕の体が宙に飛び上がる瞬間、大きな歓声を上げる。
 無事に水路を飛び越した後、首を後ろに向けて少女の様子を見ると、少女はプーッと頬を膨らませていた。
「心配してくれなくても大丈夫だよぉ。もーっ、早くみんなの所まで行こうよぉ!」
 背中の上の少女は駄々をこねながら村の広場のある方を不満げな表情で指差す。よーし。そんなに早く行きたいのなら、こっちにだって考えがあるぞ。
僕は二度、三度、大きな足で地面の土を打ち鳴らす。途端、少女は水路を飛び越した時と同じように僕の首元にしがみ付いた。僕が今見せた行動の意味を分かっているのだ。
「わーい! しゅっぱーつ、しんこー!」
 少女の元気の良い声を合図にして、僕は地面を力強く蹴って村の中を走り始める。ジャングルの中とは違い、邪魔になるような木々もなく、地面の土は堅く踏み固められてあるため、ぐんぐんとスピードが乗って行く。背中の上の少女はスピードが上がるにつれ、嬉しそうな悲鳴を上げ始めた。
 村の外れの小屋を通り過ぎ、畑をしばらく横に眺めながら走り続けると、この村の集会所に差し掛かる。集会所の前に陣取って世間話に花を咲かせている村の婦人達の脇をすり抜けて更に奥に進むと、それまで一直線だった道の分岐点に出た。道の片方は村の広場へと続いており、もう片方は進んだ事がないので分からなかったが、なんでも“マーケット”なる場所へと続いているらしい。
 分岐点を広場へと続く方に進んだ後は、村の住宅地の中央を貫く道をひたすら真っすぐに進み続けるだけだった。道が多くの住宅に面している事もあってか、道には様々な人の姿が見える。リアカーを引いているおじさん、道の脇に腰掛けて籠を編んでいる若い女性……そして、人々の往来も気にせず、道のど真ん中を占領してポケモン同士の闘いに興じる村の青年達……。
 そんな人々や激しく戦い合うポケモン達の脇をすり抜け、更にすり抜けて広場へと続く道を進んで行く。
「ああっ、この野郎! うまく決まらなかったじゃねぇかっ! 勝手に横切りやがって!」
「おい、バトルの邪魔をするな! とっとと失せろ!」
 ポケモン同士の闘いを邪魔されてしまった事に腹を立てたのか、村の青年達は僕に向かって口々にヤジを飛ばして来る。
 別に言われなくともとっとと失せるさ。僕はスピードを上げ、一気にその場を走り抜けた。背中の上の少女はと言えば……まだ無邪気な歓声を上げ続けている。
 住宅地を通り抜けると、ようやく広場が見えてきた。遠目からでも相当な数の村の子供達が待ち構えていることが分かる。そのまま一気に広場まで駆け込み、背中の少女を降ろすために立ち止まると、広場に集結していた村の子供達が歓声を上げながら走り寄ってきて、あっという間に僕の周りを取り囲んでしまうものだから、身動きできなってしまう。
「ほらほら、下がって! トロピコが動けないでしょーが!」
 そんな時、いつも僕の周りにまとわり付く子供達に下がるように命じてくれるのが、その白いワンピースを着た少女なのである。
 おや……? これは一人一人、僕の周りに集まって来ていた子供達の顔ぶれを見ていて気が付いた事なのだが、今日は人数こそ多いものの、僕が村の子供達と遊ぶ時は欠かさず見えている筈の男の子の姿が見えない。彼は村の子供達の中でも最年少の部類に入る子供で、まだ“ガッコー”にも通っていない年齢の訳だから、この場に集まっていないという事は、何か良からぬ理由がありそうだった。僕が不安な気持ちになり掛けていたその瞬間、ワンピースの女の子の明るく弾んだ声が聞こえて来た。
「ねぇね! トロピコ! 今日はみんなで追いかけっこをしましょ! トロピコが来る前にみんなと話して決めてたの!」
 背中から降り立った少女は、僕の顔を見上げながら嬉しそうに言って見せた。村の外れから広場まで走った後にまた走るのか……と不満に思わないでもなかったが、ここまで大勢の村の子供達に囲まれている状況下で否定的な態度を見せられる筈もなく、僕は少女の言葉にあえなく首を縦に振ってしまった。
「じゃあ、トロピコがオニ! 捕まった子もオニだからね! よーし、みんな逃げろー!」
 少女のその一声で、僕の周りに集まっていた子供達とその少女は、歓声を上げながらあっという間に広場のあちこちへと散って行ってしまった。やれやれ……初めはどの子を狙うとするかな?
 子供達が適当に散らばったのを見届けた後、僕は狙いやすそうな子供に的を絞りながら一人、また一人と逃げる子供達を捕まえて行った。だが、単に捕まえるだけでも面白くないものなので、捕まえた子供は自分なりに色々と弄んでやるのが彼らと追いかけっこを楽しむ時の僕のいつもの習慣だった。地面に押し倒して、体で覆いかぶさって身動き出来なくさせてから、背中の葉っぱで全身をくすぐってやったり、顎からおでこまで、顔中を余す所なく舐り回してやったり……。そんな事をする度にも、僕に捕まってしまった子供も僕から逃げる子供達も、さも嬉しそうな顔を見せ、より一層にはしゃぎ回るのであった。
こうやって追いかけっこをする時は、全員が捕まってしまう度にルールを少しずつ変えて、追いかけっこを繰り返すのがいつもの流れであり、果たして今日もそうなった。ただ……残念な事に、どんな遊びをするにせよ、時間的な制約もあって、そう一日に何度も楽しめるものではないというのが現実の所なのだ。
 日が傾くにつれて、親に帰宅するように言い付けられているのか、どんどんと子供達が抜けて行くのである。寂しい限りであるが、夕方の時間帯に差し掛かるまでには、子供達の数は五人にも満たなくなってしまうのがいつもの事だった。もちろんそれは今日も例外の事ではなく、既に追いかけっこを楽しむには人数が減り過ぎてしまい、今は何をするでもなく広場に佇んで、海原に沈みゆく夕日を眺めている僕の周りには、白いワンピースの少女を含めると、もう四人しか村の子供は残っていなかった。
「ねぇね。トロピコ。今日も楽しかったね。また、あたし達と遊んでくれる?」
 地面に伏せている僕のお腹に背中を預けて座っていたワンピースの少女が、夕日を見つめながら僕に訊いてきた。当たり前じゃないか。僕が彼女の言葉に大きく頷いて応じると、子供達はさも嬉しそうに僕の体に抱き付いて来る。そんな無邪気な子供達に対して、僕は一人一人に笑顔を送ってやるのだった。
「あれ……? なぁ、ココ。トロピコの首のフサ……もう食べられるんじゃないかな?」
 偶然にも僕の首に抱き付いていた、白いワンピースの少女と同じくらいの年と思われる半裸の少年が唐突に疑問の声を上げる。
「えっ、ホント? あーん! ちょっとあたしにも見せてよぉ!」 
 言うが早いか、ワンピースの少女は僕の首のフサをじっと観察していた少年を押し退け、少年がそうしていたのと同じように、僕の首のフサにじっと視線を注ぎ始めた。
「うわーっ! ホントだ! うん! 前にあたし達が食べたトロピコのフサもこの位の大きさだったから……わーい、あたしが一番乗りだーっ!」
何を思ったのか、ワンピースの少女はいきなり僕の首にぶら下がるフサの一つを鷲掴みにし、そのままもぎ取ろうと力を込めてきた。こらこら、ちょっと待ってくれ、そいつはまだこれから……。
「これっ、ココ! 何をバカな事をしとるかっ! トロピコが嫌がっとるじゃろう! とっとと手を放してやらんか!」
 危うく未成熟の首のフサを引きちぎられる寸前で幸運にも助けが入った。僕の真後ろから突然響いてきた老人のしわがれた声が、少女の僕の首のフサをつかむ手を放させたのである。
「あっ! じいちゃんだ! じいちゃーん!」
 広場に入って来た老人の存在に気が付いた少女は、もはや僕の首のフサの事などはどうでも良くなってしまったらしく、一目散にその老人の方へと駆けて行く。
 少女の駆けて行った方を見ると、そこにはゴマ塩の顎髭を豊かに蓄えた背の低い老人が佇んでいた。特に背が曲がっている訳でもないのだが、この島のジャングルの木を切り出して作ったのだろう。手には長い木の杖を携えていた。
「何をしておるのじゃ、ココ! ワシの所に来てどうする! トロピコに一言謝ってやらんか!」
 老人は手にしていた杖で、僕の方を指しながら、彼の元に駆け寄ってきた少女に怒鳴り散らす。一方の少女はと言うと……案の定、完全にしょげ返ってしまっていた。
「ごっ、ごめんなさい……」
 途端、カミナリが少女の上に落とされる。
「バカもんっ! ワシに謝ってどうする! 謝るならトロピコに謝るべきじゃろ!」
 そこで少女は老人の元を離れ、僕のいる所に戻って来た訳だが、その頃にはすっかり泣きべそをかいていた。
「トロピコ……。えっと……ごめんね。許してくれる……かな?」
 少女の謝罪の言葉に僕は首を横に振って応じる。別に彼女の事を責める理由もない。彼女が悪意を持ってさっきの行動に及んだ訳ではないのだから……。僕が彼女の頬に残っていた涙を舐めてやると、彼女の顔には幾分か笑顔が戻った。
「ねーねー、そんちょー。トロピコの首のフサってさー。まだ食べれないの? もう十分大きくなってると思うんだけどなー……」 
 残念そうな声で老人に訊いたのは、さっきの半裸の少年だった。半裸の少年に“そんちょー”と呼ばれた老人はそこで深いため息をつく。
「そんな事も満足に分からんとは……やれやれ、情けのない子じゃのぉ。物を識らんとはこういう事を言うのじゃて……。どれ、ちぃとワシに見せてみい。トロピコ。すまんが、このジジイのために少し首を下げてはくれんかの?」
 僕が言われた通りにすると、老人は一言礼を述べてから僕の首の方へと歩み寄って来た。彼は歩み寄るなり僕の首のフサの一つを片手で掴む。だが心配は無用だった。この人物に関しては、そんな暴挙に出るはずがないのだから。
 老人は彼の周りに集まっていた子供達の顔をぐるりと見回してから口を開く。
「どれ、みんな見とるかの? 確かにトロピコの首のフサは大きくなっとる。もうこれ以上、こやつの首のフサは大きくはならんじゃろう」
「だったらさー。そんちょー。もう食べ頃って事でいいんじゃないのさ?」
 頭の後ろで手を組んで、退屈そうに老人の話を聞いていた半裸の少年はそこで口を挟んだ。老人が少年の顔を見やる。
「……パオ。もし本当にそう思っておるのなら、実際にトロピコの首のフサに触ってみよ。そして、今トロピコのフサを食べようなどとは思ってはならぬ理由を当ててみるのじゃ。……トロピコよ。こやつに首のフサを触らせてやれ。心配はいらん。ワシがきちんと見ておるからの……ほれ、パオよ。触ってみぃ」
 老人が僕の首のフサを持つ手を離すと、それと入れ替わる形で半裸の少年の手が僕の首のフサに触れてくる。
「……フサを軽く握ってみよ。何かに気が付かぬかの?」
 難しそうな表情を浮かべながら僕のフサをいじくり回していた半裸の少年に老人は耳打ちする。
「えっと……こう?」
 少年は手に力を込め、すぐ傍に近寄ってきた老人に言われるがまま僕の首のフサを握って来るが、その途端に少年の顔色が変わる。老人が意図していた通り、何かに気が付いたらしい。
「ああっ、分かったぞ! フサの中身がすっからかんだ! これじゃあ、ちっとも食べられる所なんてないよ!」
 僕のフサを触っていた少年が興奮した様子で周りの子供達に向かって叫ぶと、子供達は異口同音に驚きの声を上げた。彼の横に立っていた老人は満足気な表情を浮かべて、半裸の少年の方を見つめ、一つ大きく頷いて見せる。
「その通りじゃ。子供達よ、よいかの? トロピコはもちろんの事、トロピウスの首のフサというのは面白い育ち方をしよる。先にフサの皮の部分だけが大きくなり、中身は後から大きく成長して来るのじゃよ。今のトロピコの首のフサは、まさにその皮だけの状態なのじゃ。……ココよ。分かったかの? まだトロピコのフサは食べられぬ。もうしばらく待ってからでないと駄目なのじゃ。良いな?」
「うん……分かった……」
 言葉の最後で老人がワンピースの少女の方を見やると、少女は若干いじけたような様子を見せながらも、老人の言葉に対して素直に首を縦に振って応じていた。
「ねーねー、ココのおじいちゃん。ちょっと聞いてもいいかなぁ?」
「ん? なんじゃの?」
 次に口を開いたのは、僕の背中の上に乗っていた、ワンピースの少女と比べるとまだ随分と幼い、三つ編みの髪をした女の子だった。
「トロピコのフサはいつになったら食べれるの? あちし、まだ一度も食べたことないから、早く食べてみたーい!」
 少女が僕の背中の上でポンポンと跳ねながら言うと、老人は笑顔を浮かべた。
「ほほ……。ルルはまだ一度もトロピウスのフサを食べた事がなかったか。そうじゃのぉ……この分だと、後一週間と少しという所じゃな。もう少しだけ辛抱強く待つのじゃ」
「えーっ!? そんちょー、そんなの待ち切れないよ!」
 そこで不満げな声を上げたのは、老人にパオと呼ばれた半裸の少年だった。
「……パオよ。長く待ちたくないのならば、トロピコを遊びに付き合わせたりせず、しっかり休ませてやる事じゃ。この時期のトロピウスは色々と特別でのぉ。首のフサを甘く大きく実らせるために、普段よりたくさんの栄養と休息が必要なのじゃ。……おお、そうじゃった。いつもとは違うトロピウスの姿を見られるのもこの時期の事じゃったかの」
「えっ、そうなの? ねぇ、そんちょー。いつもとは違う姿って、例えばどんな姿さ?」
「良い質問じゃの。どれ、お主らにも話してやるとするか」
 パオと言う少年が興味ありげな口調で訊くと、老人はどこか誇らしげな表情を浮かべながら話し始める。
「トロピウスはいつもフルーツや木の実ばかり食べておるじゃろ? しかしじゃ。首のフサが育つこの頃だけは面白い事に、フサの成長に足りない栄養を補うためか色々な物を口にするようになるのじゃ。いつもなら見向きもしないはずの木の皮や落ち葉を食べてみたり、中にはワシらの残飯を漁りに来たりする輩もおった。後……これはまさかとは思うのじゃが……ワシがまだ漁師として現役じゃった、かれこれ十数年前の事かのぉ。浜辺で網の手入れをしとった時、必死に逃げ回る小さなポケモンをヨダレを垂らしながら追い掛けているトロピウスの姿も見たことがあるぞい。……もしかすると、そのトロピウスじゃが、ポケモンを捕まえて食べる積もりじゃったのかも知れぬのぉ」
「えーっ! ホントに!?」
「そんちょー。そんなの信じられないよ! トロピコもそうだけど、トロピウスってフルーツが大好きな大人しいポケモンなんでしょ! そんな事があるわけないって!」
 子供達はさっきよりも格段に大きな声で口々に驚きの声を上げた。
「ねぇねぇ、ココのおじいちゃーん! もっとその話をあちしに聞かせて!」
老人の元へと我先にと寄っていったのは、名前をルルと老人に呼ばれた幼い少女だった。
「そんちょー! もっと詳しく話してくれないかな!? 追い掛けられていた小さなポケモンがどういうポケモンだったとかは覚えてないの!?」
 それを押しのけるように半裸の少年が老人に詰め寄って質問する。
「あーっ、ずるいよー! 僕にも質問させてよぉ!」
 子供達は話の詳細が気になって仕方ないらしく、他の子供達もあっという間に老人の周りへと群がって行った。
「ほっほ……済まんのぉ。ワシもあの時はびっくりして後を追い掛けてみたのじゃが……運悪くジャングルの奥深い所に入って行かれてのぉ……あっという間に見失ってしまったのじゃ。もしかすると、捕まえて食べようなどとは、つゆとも思ってはおらぬのじゃったかも知れぬ。あの時に見たトロピウスじゃが、異常に気が荒いので有名な奴での。単にそのポケモンに何か気に障るような事をされて、腹を立てていただけかも知れぬ。ヨダレを垂らしていたように見えたのも、ワシの単なる見間違えだったのかもしれんのぉ。老眼が入り始めたのも、ちょうどその頃の出来事じゃったものでの!」
 そこで老人はからからと声を上げて笑ったが、群がっていた子供達の顔には一気に落胆の色が浮かんだ。
「……なーんだ。そんちょーもはっきりと見た訳じゃあないのかぁ……じゃあ、信じられないなー」
「うーん、あちしも信じない! だって、トロピコはこんなに優しいんだもんね!」
 ルルと言う幼い少女は、僕に近寄っていきなり僕の首に抱き付いてきた。うーん! こうやって子供達に抱き付かれると本当に嬉しい気持ちになれるのはトロピウスの中でも僕だけなのだろうか? 老人は僕に抱き付いてきた少女を見て、再び笑った。
「ほっほ、それもそうじゃの。……まぁとにかくじゃ。子供達よ。とりあえず今から言う事だけはよく聞いておれ。少し前からお主達に言おうと思っていた事じゃ」
 老人がそこで子供達の顔を一人一人眺め回すと、一気に子供達の注目は彼へと集まった。
「……今のトロピコをこんな夕方遅くまで遊びに付き合わせてはいかん。確かに、トロピコは自分の意志で毎日この村までお前達と遊ぶために来ておるようだが……いくらなんでも、この時期くらいはもう少し早く帰してやらねばならんぞ。さっきも言ったが、この時期のトロピウスに必要なのは十分な栄養と休息じゃ。今のこやつに体力を使わせ過ぎると、フサに回る栄養が減って、フサの成熟が遅くなってしまう。それだけならまだ構わんのじゃが、悪い事に成長が遅れた分だけ、フサの味も格段に落ちてしまうのじゃ」
「えーっ!? それは嫌だなぁ! そんちょー。分かったよ。これからは気を付けるよ」
「うん! あちしも嫌だから気を付ける!」
 パオと言う半裸の少年と幼い女の子は口々に老人に向かって言うのだった。
この老人の話を聞いていて思うことだが、人間というのは本当に色々な知識を持っているものだ。今この老人が子供達に向けて語った、僕達の首のフサに関した知識の中で嘘や偽りを含む内容など一切なかったし、確かに今の自分もこの老人の言う通りにすべき立場にある訳なのだ。だが……そこでワンピースの少女が果敢にも老人に反論をぶつけるのだった。
「でもね。じいちゃん。トロピコは今でも毎日あたし達とたくさん遊んでも、ちっとも嫌そうにしないよ。ねぇ、トロピコ。トロピコは早くおうちに帰るよりも、わたし達とたくさん遊ぶ方が楽しいよね?」
 そこで、ワンピースの少女が潤んだ目付きで僕の顔を見つめて来る。僕は今の質問について明快な答えを持っているにも関わらず、彼女のそんな顔を見てしまうだけで、首を縦に振るべきか横に振るべきか、一瞬の内にして分からなくなってしまうのだった。しかしながら、ここでもうまい具合に助けが入ってくれた。
「これ、ココ! トロピコを困らせるでない! まったく……トロピコは、ワシが今までに見てきたトロピウスの中でも、ずば抜けて優しく、頭の良い奴じゃ。普通のトロピウスなら、この時期になるとお主らのような子供達の遊び相手にされて体力を消耗するのを恐れて、村にさえ近づかなくなるのが普通なのじゃぞ! それだと言うのに、こやつがいつも村に来て遊んでくれるのは、お主らの事を思って気を使ってくれておるだけなのじゃと察しが付かぬものかの? もうお前もそこまで幼くないのだから、その位は理解してやらんか! トロピコが可哀想じゃろ! いい加減にせんか!」
「はーい……ごめんなさい……」
 老人に一喝され、ワンピースの少女は気の抜けた返事をするのみだった。そんな少女の様子を見て、やれやれと言わんばかりに老人は深いため息をつく。その後で、老人は首を動かし、しきりに辺りの様子を窺う素振りを見せ始めた。
「……随分と暗くなってきたの。ココ、みんなを連れて村に戻りなさい。もう子供は家に帰る時間じゃ。……奴がまた村に現れたら危ない」
「……うん。分かった」
 言葉の最後で老人が声を潜めると、少女はいつになく表情を強ばらせて小さく頷いた。……何かあったのだろうか? ここまで深刻な彼女の表情など今までに一度も見た事がない。
「みんな、今日は帰ろう! さっ、みんな。トロピコにあいさつして!」
 少女のその一言で、僕の周りにいた子供達は次々と僕に別れの言葉を告げ、僕の元を離れて行った。
「トロピコ。また遊んでね!」
 いつも通り、少女は別れ際に僕の頭を撫でてくれる。そんな彼女の頬に僕が優しくキスしてあげると、少女は少しだけ恥ずかしそうにしてはにかむのだった。さっき見せた深刻な表情も既に消え去っていた。
「……えへへ。トロピコにチューされちゃった! ……じゃあね、トロピコ。また今度ね」
 そこで少女は村の子供達を引き連れて、広場を後にするのだった。
「バイバーイ!」
「また遊んでねーっ!」
 子供達は広場の門を出る際に僕の方を振り返り、一斉に手を振って来た。僕は彼らに背中の葉っぱを大きくはばたかせて見せて、手を振る代わりとするのだった。
「……さて、時にトロピコよ」
 自分の事を呼ぶ声に気が付いた僕は、広場を後にする子供達を見送るのを止めて、老人もとい、この村の村長の方を向き直った。
「こんな遅い時間までいつも済まぬの。奴らにいつも付き合わされてお主も疲れているじゃろうて。遊ぶ事しか頭にない連中のする事じゃからのぉ……。ワシもほとほと困っておるのじゃよ」
 村長はそう言うと、申し訳なさそうな表情を浮かべて頭を掻くのだった。
「……そうじゃ。お主は人間の言葉をちゃんと理解しておるようじゃから、お主にもこの事を伝えておくとしよう。ワシとしても、お主を早く帰してやりたいのは山々なのじゃが、伝えておかねば、お主にも危害が及ぶかも知れぬ事じゃからの……」
 そこで村長はいきなり声を低くする。自分に危害が及ぶかも知れない事という事なので、僕は彼の声がはっきりと聞こえるように、二歩、三歩と村長に近寄った。
「……おや? ほほう、しっかり聞いておこうという魂胆か。こいつは感心なことじゃな。よろしい、では話させて貰うぞ?」
 僕は村長の言葉に静かに頷いて見せる。
「お主のような心優しいポケモンばかりなら良いのじゃが、世の中そう甘くはないものじゃ。……最近、この村の周りをグラエナという凶暴なポケモンがうろついておっての。それで昨日、そやつと運悪く村の外れで出くわした村の幼い子供がそやつに噛み付かれてのぉ……。騒ぎにいち早く気が付いて駆け付けた彼の母親共々、それはもう酷いケガを負わされたのじゃ。こんな事にならんかと思うて、色々と対策を練っておった矢先の事での……半分はワシの不手際のようなものじゃて……」
 村長はそこで情けなさそうに息をつく。……そんな事があったのか。とすると、いつも顔を見せていた男の子が今日は見えなかった理由の説明も付く。今日見えていなかったその男の子こそが、そのグラエナに乱暴され、怪我を負わされた張本人と見て間違いなさそうだ。僕がそんな事を思っていると、村長は何かを思い出したのか、いきなり手をポンと叩いた。
「……そうじゃ、この事も伝えておかねばならんの。お主は子供達に誘われて何度か足を運んだ事があると孫娘から聞いとるから知っとると思うが、この村の北の方に少し行った所に炭鉱の跡地があるじゃろ? そのグラエナじゃが、どうやらそこをねぐらとしておるらしい。早い話がそこにはしばらく近付きなさんな。ええかの? ……まぁ、伝えておかねばならぬ事はこれ位かの。お主もくれぐれも気を付けなされ。お主は子供達の面倒を見たり、遊んでやるのは大の得意のようじゃが……他のポケモン達と争ったり闘ったりするのは不得手と見えるものじゃからの。お主も奴に出くわしたら、無茶をしようなどとは考えぬ事じゃ。よいな?」
 僕が静かに頷くと、村長も満足そうな表情を浮かべて大きく頷くのだった。
「よろしい。……さて、ワシはもう帰らねばならん。今から集会所に出向いて村の若い衆達と一緒に、奴を退治するための計画について色々と話さねばならぬからの……。お主も早く帰るのじゃ。村の状況が状況な上、お主も体力を温存しなければならぬ時期じゃ。お主は明日からしばらくの間は子供達に気を遣ってやろうなどとは思わず、お主の好きな事をしてねぐらでゆっくりと休んどれ。お主の首のフサが熟す頃までには、村の子供に手を出した不届き者をきっと袋叩きにして吊し上げておくようにするからの……。首のフサが熟したら、安心して村に来れば良い。ではワシはこれで失礼させてもらう。さらばじゃ」
 老人はそこでくるりと回れ右をして、村の広場から歩き去って行った。日も完全に落ちてしまい、広場の辺りも既にかなり暗くなり始めている。
 さて、僕も行くとするか。誰もいなくなった広場をぐるりと見回してから僕は村の広場を後にし、再びジャングルの中へと分け入って行った。村長には早い内にねぐらに戻るようにと言われはしたが、残念ながら今日の僕にそうする積もりはない。今日は予定を変えて、ある場所に寄り道をする事に決めたのである。
 生い茂る背の低い草木を足の裏で踏み潰しながらしばらく進むと、やがてジャングルのど真ん中で古びた線路にぶつかる。目的の場所に向かうには、後はその線路の上を村の北側にそびえる山の方に向かってひたすら進むだけだった。そうすれば辿り着く事が出来る――今は村の子供達を襲ったというグラエナのねぐらとなっている炭鉱の跡地に。僕は躊躇することなく、錆びついた線路の上を炭鉱の跡地に向かってずんずんと進んでいった。
13/02/21 15:02更新 / こまいぬ
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