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連載小説
[TOP][目次]
大団円
「……あっ、帰ってきたわ! ベロニカも一緒よ!」
「あぁ、よかった! 無事でなによりです! 戻りが遅いので心配しましたよ!」
 森の一画に設けられた野営地で二匹の到着を待っていたのは、お腹をぷっくりと膨らませたジャローダと、長く尖った耳に後頭部から生える四つの房、目の周りを覆うマスクのような黒い模様、左右の手の甲と胸に一本ずつ付いたトゲ状の爪が特徴的な、二本足で立って歩く犬のポケモン――ルカリオだった。二匹の前に立った森の主のベロベルトは高々と手を上げる。
「ただいま! ……ははっ、心配性だなぁ、ブルース君は! ちょっと予定の時間をオーバーしただけじゃないか!」
 苦笑いしながら頭の後ろに手をやる森の主のベロベルト。その隣に並んだベロニカも同様の表情で頷いてみせる。
 そう、ブルース。このルカリオこそ、ちょうど一年前に彼が窮地から救い出したリオルが警官として立派に成長を遂げた姿だった。
「それはそうと、どうでした!? ご馳走にはありつけましたか!?」
 興奮気味に尋ねたルカリオは二匹の顔を交互に見る。
「もちろん! オイラとベロニカとで一匹ずつ胃袋に収めさせてもらったよ! 新鮮なお肉をありがとう! ごちそうさまでした!」
 舌なめずりをして満足の意を表明する二匹。ルカリオは高々と両手を上げる。
「やった! 苦労して追跡した甲斐がありました! それに、とんでもない! お礼を言わなければならないのは僕の方ですよ!」
 そこで言葉を切った彼は直立不動の姿勢になる。
「……改めまして、僕とコユキを助けてくださりありがとうございました! 心よりお礼申し上げます! このご恩は一生忘れません!」
 ビシッと敬礼するルカリオ。同じポーズをした森の主のベロベルトは大笑いする。
「あははっ、恥ずかしくなっちゃうからやめてよ! ウンチしていただけじゃないか! でも……どういたしまして! ブルース君の気持ち、しっかり受け取ったよ!」
 森の主のベロベルトは、たっぷりと脂肪が詰まった巨大な腹をポンポンと叩いてみせるのだった。
「ところで……ブルース君。こいつらって何者なの? 詳しい話も聞かずに食べちゃったけど? よかったら教えてくれない?」
「あっ、それ私も知りたいわ!」
「分かりました、お教えしましょう」
 まだ生きているらしい。ジャローダの目の前にしゃがみ込んだルカリオは、モゾモゾと蠢き続ける彼女の腹の膨らみに手を当てる。
「……こいつらは賞金稼ぎ。言うなれば、お尋ね者を専門に狩って生計を立てているハンターです。僕たちとも協力関係にありましてね。彼らの支援なしに討伐できなかった賞金首の数は計り知れません」
 彼女はヒューと口笛を吹く。
「あら、中々のナイスガイじゃないの! 惚れちゃいそう! ……で? 裏の顔は?」
 耳元で囁くジャローダ。ルカリオの顔に影が差す。
「……殺し屋。お金のためなら命を命とも思わない冷血漢どもでした。こんな奴らと組んでいたと思うと……ゾッとしますよ」
 硬い表情で背筋を震わせるルカリオ。彼女は心の底からの溜め息を吐き出す。
「はぁぁ……! 凶悪犯に始まり、違法伐採者だの工作員だの、挙句の果てに殺し屋だの……! どうしてこうも私たちの森を訪れてくるのはロクデナシばかりなのかしら!? もう嫌になっちゃう!」
 それには歴とした理由があった。首を左右に振ったルカリオの口の端に苦々しい笑みが浮かぶ。
「逆ですよ。あなた方の生活環境が壊されないよう、街の住民が森に立ち入ることは特別な場合を除いて禁じられているのです。つまり、森の中をうろつき回っている奴らの大半というのは……」
「なるほどね。なにか良からぬことを企んでいる連中ってことか……」
 真剣な顔で腕を組む森の主のベロベルト。ルカリオは深く頷いて立ち上がる。
「そういうことです。あとは僕とコユキみたいな悪ガキくらいでしょう!」
 四匹は顔を見合わせて笑うのだった。
「……ま、ある意味ありがたい話だわ。食べても気の毒に思ってやる必要のない奴らで溢れ返っているというのはね」
 と、ジャローダ。その言葉に森の主のベロベルトは深く頷く。
「違いないや! ……というワケでブルース君! この調子で頼むよ! 他にも美味しそうな子がいたらオイラたちに教えてね!」
「うふふっ、期待しているからね! さもないとブルース君を食べちゃうわよぉ!?」
「ははっ、それは困りますので努力させていただきます!」
 ベロベルトに肩を揉まれ、ジャローダに頬をベロリと舐められたルカリオは、笑顔で敬礼するのだった。
「ところで……ブルース君。他のお巡りさんたちは? ずっと姿が見えないんだけど?」
 キョロキョロと辺りを見回し始める森の主のベロベルト。ルカリオは東の方角を指差す。
「あぁ、彼らなら館の捜索中です。そろそろ戻る頃だと思いますが……どうやら長引いているようですね」
 館とは、三匹の殺し屋が森の中に建てていた隠れ家のことだった。腰に両手を当てたルカリオは何かを思い出したような顔をする。
「そうだ、もう僕の口から話しちゃおう。……皆さん、実は折り入ってお願いしたいことがあります。少しお時間よろしいでしょうか?」
「お願い? いいよ、何でも頼んじゃって! あと、少しと言わずに好きなだけどうぞ! どうせ暇だし!」
 互いに顔を見合わせて頷く三匹。森の主のベロベルトの言葉に、彼は安堵の表情を覗かせる。
「ありがとうございます。実はですね……」
「こら、ブルース! なに勝手なことしとんねん! その話はワシがするから黙っとけ言うたやろ!?」
 切り出した途端に大音量のダミ声が彼の背中に突き刺さる。
「……っと、帰ってきた!」
 ハッとした顔で振り向くルカリオ。背の高い茂みの中から現れたのは、背中に載せた巨大な尻尾が特徴的な、紫と白の毛皮に覆われた肥満体のスカンクポケモン――スカタンクだった。
「よぉ、ブルース、待たせたな! ただいま戻ったぞ!」
「えっ!? うっ、嘘でしょ!?」
 森の主のベロベルトが何度も目を擦ったのは無理もないことだった。三角の鋭い目、頬から伸びる六本の突起、反り返った四本の牙を備えた大きな口と長い首、ずんぐりむっくりの胴体から生える四本の短い手足に太い尻尾、そして――真紅に染まった扇形の翼。その背後から現れたのが、ドラゴンポケモンのボーマンダだったからである。
「あっ、先輩も! お疲れ様です!」
「ガハハッ、お疲れさん! ……にしても、今日は暑いなぁ! 早く冷えたジョッキで一杯やりたいもんだ!」
 直立不動で二匹に敬礼するルカリオ。一般的なボーマンダと異なる点を二つ挙げるとすれば、数十針は縫ったであろう生々しい傷跡が右の脇腹に残っていること、本来なら二枚ある筈の翼が片方しかないことだった。ルカリオの前に立った彼は、グイッと杯を呷る仕草をしてみせる。
「ははっ、あと少しの辛抱ですよ! ……って、あれ? ジョバンニとクルトは?」
 もう二匹いるらしい。ルカリオは茂みの奥に目を凝らす。
「アホ、どこ見とる! 上や、上!」
 ルカリオが空に視線を移すなり地面に舞い降りたのは――二羽の鳥ポケモンだった。
「おぉ、お帰り! どうやった?」
 頭の長い飾り羽根が特徴的な鳩のポケモン――ピジョンは、片方の翼で敬礼すると同時に嘴を開く。
「はっ! あの館を除き、付近に怪しい建物や痕跡は認められませんでした!」
「私も同じであります!」
 その隣で翼を休めていた大きな燕のポケモン――オオスバメも続いて報告する。
 一安心だった。尻のような形をしたスカタンクの顔に会心の笑みが浮かぶ。
「よっしゃ! あの三匹だけやったっちゅうワケやな! ご苦労さん! 疲れたやろから今日はゆっくり休み!」
 そこで初めてスカタンクの関心が森の主のベロベルトに向かう。他の警官たちの顔をちらと見て一つ咳払いをした彼は、大きく息を吸って口を開く。
「まいど! ワシはポートタウン湾岸署、機動捜査隊所属のナヒュールっちゅうもんですわ。お初にお目にかかります!」
 話し言葉から察するに、出身は西の方らしい。そこで彼は恭しく頭を下げる。
「今日はワシらの作戦に協力してくれておおきに! 一挙に三匹も始末できたんは大戦果ですわ! またエェ案件があったら紹介させてもらいますさかいに、よろしゅう頼んます!」
「はじめまして、ナヒュールさん! ……どういたしまして! お腹いっぱい食べるだけで協力になるのなら、何度だってベロを貸すよ!」
 おどけた顔で舌を伸ばす森の主のベロベルト。ベロニカとジャローダも笑顔で頷く。
「おぉ、心強い限りですわ! そんなお三方にとったら余計な世話でしかないやろけど……ワシらから一つ提案したいことがありますんや。ちょっと耳だけ貸してもらえますやろか?」
 ここからが本題らしい。ベロを口の中に戻した彼は大きく頷く。
「えらいすんませんなぁ。ざっくばらんに申し上げますと、ワシらを今日から無期限で居候させて欲しいんですわ。あぁ、もちろん食う寝る所に住む所は自前で用意するさかいに! お三方の邪魔は絶対にしまへん! ……どうでっしゃろか?」
 反対する理由がなかった。しばし無言のまま顔を見合わせた三匹は、ほぼ同時に首を縦に振る。
「オイラは賛成。三匹だけだから寂しい思いをしていたところなんだ。歓迎するよ!」
「私も。あなたたちみたいな善良な存在なら歓迎するわ。……でも、一つだけ」
 続いて賛意を表明したジャローダだったが、
「目的を教えてちょうだい。それが条件よ」
 まだ完全に心を許した訳ではなかった。彼女は大きな赤い目でスカタンクの顔を見据える。
「もちろんや。……お三方をならず者から守ること、これが目的ですわ」
「私たちを……守る、ですって?」
 予想外の回答だった。ジャローダはポッポが豆鉄砲を食らったような顔になる。
「せや。……おい、ブルース。あれ出さんかい」
「はいっ、隊長!」
 ルカリオは腰のポーチの中から一枚の手配書を引っ張り出し、それを広げて胸の高さに掲げてみせる。
「こいつの顔に見覚えは?」
 お尋ね者、生死を問わず、賞金一千万ポケドル、不死身の暴君――。忘れもしない顔だった。ジャローダは大きなバツ印が付けられたオーダイルの似顔絵をキッと睨みつける。
「あるに決まっているでしょ!? 私たちから何もかもを奪い尽くしたロクデナシじゃないの!」
 声を荒げるジャローダ。スカタンクは神妙な顔で頷く。
「そのとおり。ほんで……その悲劇の責任の一端は警察にあるちゅうワケや。ワシらが奴の討伐に失敗してなかったら、森への逃走を許してなかったら……アンタらは飢えに苦しむことも、大切なお仲間を失ってしまうこともなかった筈やからな」
 欠乏と悲しみの日々を思い出したベロベルトの目に光るものが浮かぶ。
「つまり……ナヒュールさんたちは、そのお詫びをしたいと?」
 汗臭いベロのハンカチで目尻を拭った彼は涙声で尋ねる。
「せや。あと……知ってのとおり、アンタらが手配書の奴に壊滅させられたのを好機と見た悪党どもが、ここを根城にするべく各地から続々と集まってきとる。これ以上もアンタらに危害が及ぶようなことがあったら、ワシらは面目丸潰れもエェとこや。やから……それだけは絶対に阻止したいねん。アンタらのためにも、ワシらのためにも、な」
 淡々とした口調ながら、言葉の節々から悔しさがにじみ出ていた。じっと耳を傾けていたジャローダの顔に納得の表情が浮かぶ。
「なるほどね。そういうことなら問題ないわ。……許可してあげましょう? 二匹とも、いいでしょ?」
 同時に頷く二匹のベロベルト。笑顔で前に進み出た森の主のベロベルトは手を差し出す。
「よし、決まり! よろしくね! ナヒュールさん!」
「おおきに! 頑張りますさかい!」
 それを両前足で受け取るスカタンク。二匹はガッチリと固い握手を交わすのだった。
「よっしゃ、交渉成立や! ……おい、ロジャー、ジョバンニ、それにクルト! お前ら自己紹介まだやろ? はよ済ませてしまい!」
「よしきた! じゃあ、俺からだな!」
 最初に名乗りを上げたのは片翼のボーマンダだった。彼はニッコリと森の主のベロベルトに微笑みかける。
「ポートタウン湾岸署、機動捜査隊所属のロジャーだ。コユキから色々と武勇伝は聞いているぜ、ベロベルトの旦那。俺から翼を奪った大悪党を倒してくれたんだってな。アンタみたいな男前の元で働けて光栄だ。よろしく頼む」
「えっ、コユキちゃんから……?」
 そこまで口走った彼は、このロジャーなるボーマンダが誰であるかを思い出す。
「あぁ! 君はコユキちゃんの話に出てきた! ……って、あれ? ちょっと待って?」
 次に思い出したのは彼の職業だった。ベロベルトは視線を宙に泳がせる。
「ロジャーさんって……コユキちゃんが暮らしていた施設で働いているんじゃなかったっけ? オイラの記憶違いかな?」
「……うぉっ!? なぜそれを!? って、コユキから聞いたんだな、ガハハッ!」
 驚いた顔をしたのも束の間、ボーマンダは大きな口を開けて豪快に笑う。
「お役御免になってしまったのさ。施設で暮らしていた子供たちも大半が巣立ってしまったし、コユキも色々あって平穏な暮らしを送れるようになったからな。で、かつての同僚たちに誘われて前の職場に復帰したってワケだ!」
 そこで深呼吸をした彼は、一枚しかない翼を激しく羽ばたかせる。
「んーっ! やっぱり現場は最高だ! 明日から派手に暴れてやるぜ! ウオオオォォォーッ!」
「コラコラ! 張り切りすぎて森を焼け野原にしぃなや、ロジャー!」
 空に向かって火炎を吐き、そして雄叫びを上げるボーマンダ。小さく溜め息を吐いたジャローダは、ベロベルトの耳元にそっと口を近づける。
「あぁいう暑苦しい男は苦手だから、彼の扱いはアンタに任せるわ。頼んだからね?」
「あ……はい。分かりました……」
 一方的に押し付けられてしまったベロベルトはガックリと頭を垂れるのだった。
「ほんなら次はジョバンニとクルトやな。よろしゅう頼むで!」
 ピジョンとオオスバメは同時に翼で敬礼する。
「ポートタウン湾岸署、第三航空隊所属のジョバンニであります!」
「同じくクルトであります!」
 と、ピジョン、そしてオオスバメ。もっと喋れということらしい。オオスバメは空いている方の翼でピジョンの脇腹をつつく。
「えー、戦いは不得手とする我々でありますが、偵察なら誰にも負けません! 空からの目で皆様をサポートしますので、どうぞよろしくお願いします! ……おいっ、お前もなんか話せってば!」
「はぁ!? 別に俺はいいだろ……って、ひっ!?」
「……わっ!?」
 唐突に悲鳴を上げる二羽。音もなく背後から忍び寄ったジャローダが巻きついてきたのだった。
「こちらこそよろしく! ジョバンニ君にクルト君! きっと仲良くしましょうね! わたし……鳥さん大好きなの!」
「すっ、好きって……それはどういう……!?」
 恐怖の表情を浮かべるピジョン。二羽の頬に優しく口づけした彼女は、どこか妖艶な眼差しでピジョンの顔を見つめる。
「うふふっ、言葉どおりの意味に決まっているでしょう?」
「はっ、はわわわわ……!」
 蜷局の中で二羽はガタガタと震え始めるのだった。
「ヒャハハッ! お手柔らかに頼むで、ジャローダの嬢ちゃん!」
 ひとしきり笑い終えたスカタンクは、森の主のベロベルトに視線を移す。
「以上、ワシも含めて五名ですわ! タダで居候させてもらうのもなんやし、アンタの夢も手伝わせてもらいまっせ! この森を果樹園に変えたいんやろ?」
「えっ!? なっ、なんで知っているの!?」
 びっくり仰天するベロベルトにボーマンダが笑いかける。
「グハハハッ! 俺がコユキから聞いたのさ! 世の中広しといえども、こんなにもスケールのデカい夢を持った大馬鹿野郎がいたとはなぁ! 初めて聞いた時は腹を抱えて転げ回ったもんだ! ……ぜひとも手を貸させてくれ、ベロベルトの旦那!」
 ボーマンダが前足を差し出すと、
「ヒャハハッ、ホンマやで! しょうもない夢ばっかり持ちよるワシのガキどもに、爪の垢煎じて飲ませてやりたいもんや!」
「僕も応援しますよ! あなたに恩返しするため志願して来たんですから!」
 スカタンク、ルカリオも後に続く。
「わっ、我々も……んんっ! ぜっ、全力で協力する所存で……んむむむむむぅ!」
「ひいいいい……! たっ、食べないでぇ……! なんでも言うこと聞きますからぁ!」
 ジャローダに顔を舐め回されていたピジョンとオオスバメも二つ返事で快諾するのだった。
「みっ、みんな……! やった……やったね、ベロニカ……!」
 目頭を熱くする森の主のベロベルト。早くも号泣していた妻と喜びを分かち合うべく、手を取り合った次の瞬間――
「ははっ! 面白そうな話をしているじゃないか! 俺も混ぜてくれ!」
「……えっ、レナードさん?」
 耳に覚えのある中年男性の声が聞こえてくる。背の高い茂みを激しく揺らしながら姿を現したのは――彼の想像どおりの存在だった。
「……おぉ! 待っとったで、レナードはん! えらい遅かったやないか!」
「いやぁ! すまん、すまん! 俺としたことが道に迷ってしまってなぁ! とんだタイムロスだったよ!」
 いったい何を持ってきたのだろうか。ズシン、と鈍い音を響かせて、自身の十倍近い大きさの荷物を背中から降ろすマフォクシー。頭の後ろに手を当てた彼は、あっけらかんとした顔で大笑いする。
「レナードさん! 何しに来たの!?」
 突然の訪問に驚くばかりのベロベルト。荷物の砂埃をパンパンと払った彼は、衝撃的な言葉を口にする。
「あぁ、お前さんのために住み込みで働きに来たのさ。今日から世話になるぞ!」
 ベロベルトは顎を外しそうになる。
「なっ……なんだって!? お店はどうするのさ!? レナードさんが切り盛りしているんでしょ!?」
「あぁ、店か」
 店とは彼が街で経営しているビストロのことだった。マフォクシーは鼻で笑う。
「それなら従業員にくれてやったよ。このまま街で暮らすより……」
 彼は森の主のベロベルトを指差す。
「お前さんと一緒に野生で暮らす方が楽しいに決まっているからな、ははっ!」
「……えぇっ!? えぇぇぇぇぇっ!?」
 これ以上ない朗報に違いなかったが、あまりに衝撃的すぎて信じられなかった。頭の中を真っ白にした彼は呆然と立ち尽くす。
「……おぉ、ベロニカ! ベロニカじゃないか! 信じられん! まさか進化していたなんて!」
 数ヵ月ぶりの感動の再会だった。はち切れんばかりの贅肉をプルンプルンと揺らしながら一目散に駆け寄っていった彼女は、両手を広げて待ち構えていたマフォクシーの胸にダイブする。
「ははっ! 腹ペコで泣きながら暮らしているんじゃないかと心配したが……その真逆だったか! おめでとう、ベロニカ! 心の底から祝福するよ!」
 ベロニカと熱い抱擁を交わした彼は、マシュマロのように柔らかな彼女の腹に顔を埋める。
「それもこれもみんな、お前さんのお陰だ! この恩は永遠に忘れない! 本当にありがとう!」
 涙ながらに謝意を伝えられたものだから恥ずかしかった。森の主のベロベルトはポッと頬を赤らめる。
「そんな、とんでもない! 彼女の才能のお陰だよ! オイラは少し背中を押しただけさ!」
 頭の後ろに手をやってペロリと舌を出すベロベルト。顔を上げたマフォクシーは目元の涙を腕で拭う。
「そう謙遜しなさんな! お前さんの親身な指導があったからこそさ! ……最高のパートナーに巡り合えたな、ベロニカ! きっと二匹で幸せな家庭を築くんだぞ!」
 ポンポンと肩を叩くマフォクシー。涙と鼻水で顔をクシャクシャにした彼女は何度も頷くのだった。
「……おーい! コユキ、それにミゾレさん! こっちだぞ! ついて来ているか!?」
 そこで思い出したように背後を振り返った彼は、片手をメガホンにして叫ぶ。
「えっ、なんだって? コユキちゃん?」
 森の主のベロベルトがピクリと反応した次の瞬間、
「はーい! ついて来てまぁす!」
 茂みの中から勢いよく飛び出してきたのは――青い瞳をした真っ白いキュウコンだった。
「やっほー、ブルース! 久しぶり! 元気にしてた!?」
「あぁ、久しぶり! もちろんさ! コユキは……うん、相変わらずだな!」
 ハイタッチで再会を喜び合う二匹。頬にキスの雨を降らされたルカリオは恥ずかしそうに笑う。
「ロジャーさんも久しぶり! 辞めたって聞いたからびっくりしたわ! お巡りさんに復帰したんですって!?」
 初耳だったらしい。ボーマンダの顔を見上げた彼女は目を丸くする。
「おうよ! ま、色々あってな。詳しい話は後で聞かせてやる。そんなことより、だ」
 ボーマンダは前足で森の主のベロベルトを指差す。
「俺とブルースはいいから、ベロベルトの旦那に挨拶してこい。ほら、早く!」
「うんっ、分かった! じゃあ……また後で!」
 言うが早いか、全力で地を蹴って駆け始めた彼女は――
「ベロベルトさん! お久しぶりですぅぅぅぅぅっ!」
「こっ、コユキちゃん!? ちょっと待って……って、うわぁっ!?」
 元気な声で挨拶するなりベロベルトに飛びかかり、仰向けに押し倒してしまう。
「うひゃぁぁぁぁぁっ!? くすぐったい!」
 そのまま馬乗りになってベロベルトの顔をペロペロと舐め回すキュウコン。彼の口から嬉しそうな悲鳴が上がる。
「……ぷはっ! オイラこそ久しぶり! 帰ってきていたんだ!?」
 地元の学校を卒業し、この春から隣町の温泉街にある専門学校に寄宿していたのだった。真っ白いキュウコンは笑顔で頷く。
「はい! 夏休みなので帰ってきました! これが明けたら当分は帰ってこられなくなるので最後のチャンスだと思って! 秋から実地研修が始まるんです!」
「えっ? それって、本物の温泉旅館で女中さんの見習いとして修業するってこと?」
 ベロベルトの質問に彼女は憂鬱そうな顔をする。
「そうです。それも指導がメチャクチャ厳しいので有名な、この道百五十年のユキメノコの女将さんが営んでいる老舗旅館で研修することになっちゃいました。毎年、多くの脱落者が出るって噂ですわ……」
 ふぅ、と白い息を吐くキュウコンの少女。ベロベルトは彼女の頬を両手で優しく包み込む。
「大丈夫! コユキちゃんなら乗り越えられるよ! 自分を信じるんだ!」
「うふふっ、ありがとうございます! 頑張りますわ!」
 パッと表情を明るくした彼女は力強く微笑み返すのだった。
「こらっ、コユキ! やめなさい! そんなはしたないことをして!」
 そこで唐突にキュウコンの少女とは別の女性の声が耳に飛び込んでくる。彼女の背後からだった。
「あっ、見つかっちゃった! えへへっ、ごめんなさぁい!」
「うん? 誰かな……?」
 反省の意など微塵も感じさせない声で謝罪の言葉を述べ、ピョンとベロベルトの腹の上から飛び退くキュウコンの少女。ムクリと上体を起こした彼の目の前に佇んでいたのは――彼女に比べて大人びた顔つきをした、隻眼の真っ白いキュウコンだった。
「あっ、あなたは……?」
 おずおずと尋ねるベロベルト。隻眼のキュウコンはペコリと一礼する。
「お初にお目にかかります。わたくし、コユキの母親のミゾレと申します。その節は娘が大変お世話になりました。二度も危ないところを助けてくださったとのことで……なんとお礼を申し上げてよいやら、感謝の言葉もありません。本当にありがとうございました」
 くすぐったい限りだった。ポリポリと頭を掻いた彼は照れ笑いを浮かべる。
「そんな、とんでもない! 一回は単に用を足していただけだし、もう一回だって、ちょうど腹ペコの時に美味しそうな子が三匹も襲いかかって来たものだから、小腹満たしにペロッと平らげただけだからねぇ。お礼されるようなことは何もしていないよ」
 隻眼のキュウコンは両前足で口を覆う。
「まぁ、なんて謙虚な……! ほら、あなたもボーッと突っ立っていないで! 何か言うことがあるでしょう?」
「はぁい、母さん!」
 間延びした声で返事をしたキュウコンの少女は、ちょこんとベロベルトの傍らに座り込む。
「改めまして……半年前は危ないところを助けてくださりありがとうございました。心から厚く御礼を申し上げます!」
 キュウコンの少女はベロベルトを力強く抱き締める。
「どういたしまして! また君の元気な姿を見たかったもの! 三匹まとめてウンチにしてやったよ!」
 キュウコンの少女の肩に顎を乗せたベロベルトは、彼女の背中に両手を回す。
「はぁぁ、ひんやりして気持ち良い……! ははっ、汗まみれの汚い体でごめんよ、コユキちゃん!」
 しっとりと毛皮を濡らしたキュウコンの少女は何度も首を左右に振る。
「そんなの気にしませんわ! 好きなだけ涼んでくださいな!」
 冷たくて熱いハグを交わし続ける二匹。その様子を微笑ましく見守っていた隻眼のキュウコンは静かに口を開く。
「どうか今後も娘とは仲良くしてあげてくださいね。すでにお聞き及びのこととは存じますが……なにもかもを失って街に逃れてきた私たちには、あなた方しか寄る辺がありません。どうか、どうか……よろしくお願いします……!」
 声を震わせながら深々と頭を下げる隻眼のキュウコン。彼は空を見上げて大笑いする。
「あははっ! 心配しないで、ミゾレさん! オイラたちの友情は永遠さ! ……ねぇ、コユキちゃん!?」
 そんな臭いセリフも彼女の琴線に触れるには十分すぎた。キュウコンの少女の大きな青い目からポロポロと涙が溢れ出す。
「はいっ! これからも仲良しでいましょうね、ベロベルトさん……!」
 チュッと鼻にキスをした彼女は、ベロベルトの豊満すぎる巨体に全身を預けるのだった。
 しばし余韻に浸る三匹。やがて何かを思い出した隻眼のキュウコンは、スカタンクの方に体を向ける。
「そうでした。……ナヒュール警部補、理事長はいずこに?」
「まだなんですわ。そろそろ着くと思うけどなぁ。のぅ、ブルース?」
 その言葉にルカリオは小さく頷く。
「えぇ、前の予定が長引いているのでしょう。多忙な方ですからねぇ」
「……理事長? 誰だい、それ?」
 首を傾げる森の主のベロベルト。その言葉に反応したキュウコンの少女が顔を上げる。
「母さんと私が暮らしていた施設のオーナーさんですわ。ほら、前にお話ししましたでしょう? 事業に成功して大富豪になったベトベトンのこと?」
 それなら記憶にあった。彼はポンと手を打つ。
「あぁ、あの! ……うん、それなら確かに! まだ近くには来ていないみたいだ!」
 スンスンと鼻を鳴らすベロベルト。それを見た彼女は吹き出してしまう。
「ふふっ! それじゃ分かりませんよ! もう長らく文化的な生活を続けていらっしゃるので臭くないんです!」
「あっ、そうなの? なら安心だ!」
 胸を撫で下ろしたのも束の間、にわかには信じがたい出来事が巻き起こる。いきなり目の前の地面が湯煎したチョコレートのように溶けていき、瞬く間に半径一メートルあまりの泥深い沼と化したのである。
「うわっ!? なになに!? なっ、何これ!?」
 慌てて立ち上がるベロベルト。彼の体から飛び降りたキュウコンの少女は、嬉しそうな顔で泥沼の中心を覗き込む。
「あっ、噂をすれば、ですわ! ほら、ブルース! 早く!」
「あぁ、いま行く!」
 彼女に手招きされたルカリオが駆け出した次の瞬間――
 ザバァァァァァッ!
「うわぁぁぁぁぁっ!?」
「きゃぁぁぁぁぁっ!?」
 泥沼が山のように隆起する。
 訳も分からず絶叫するベロベルト、そしてジャローダ。ちょっかいを掛けられ続けていたピジョンとオオスバメは、そこでようやく解放される。
 三本指の太い腕、切れ長の三白眼、灰色の分厚い舌が覗く巨大な口。泥の中から現れたのは――ヘドロポケモンのベトベトンだった。
「こんにちは、理事長さん! お久しぶりです!」
「ご無沙汰しております、理事長!」
 口々に挨拶するキュウコンの少女とルカリオ。二匹の姿を認めたベトベトンの顔に、弾けるような笑みが浮かぶ。
「おぉ、コユキ! それにブルース! 吾輩の可愛い子供たちよ! 元気そうで何よりじゃ!」
「えっ? 触っちゃって大丈夫なの……?」
 躊躇なくハグを交わす二匹を見てドキリとしたベロベルトだったが、平気な顔をしているところを見るに、何も問題ないらしい。ひとしきり再会を喜び合ったところで、ベトベトンは周囲をぐるりと見回す。
「さて、皆も揃っているようじゃし、早速始めるとするかの。……これ、ブルース、例のものを!」
「はいっ、理事長!」
 ルカリオは腰のポーチの中から一枚の紙片と羽根ペンを取り出し、ベトベトンに手渡す。
「うむ、ご苦労!」
 受け取るなり何かを走り書きするベトベトン。使い終えた羽根ペンをルカリオに返却し、紙片を両手で大事そうに持った彼は、森の主のベロベルトに向かって笑顔で一礼する。
「ごきげんよう! 吾輩はコユキとブルースが入居していた施設の理事長を務めておる、アクタという者じゃ! 以後お見知りおきを!」
「どっ、どうも……」
 おずおずと返すベロベルト。そこでベトベトンの左右にキュウコンの少女とルカリオが並ぶ。
「皆から話は聞いておるぞ! 吾輩の可愛い子供たちを悪漢から守ってくれたんじゃってのぉ! しかも、その悪漢を倒してしまったというものじゃから……グハハッ! たまげたわい!」
 ベトベトンは真っ黒い口を全開にして大笑いする。
「もう二匹から礼はあったと思うが、吾輩からも感謝を述べさせてもらうぞい! ありがとう!」
 言葉に合わせて二匹はペコリと頭を下げる。
「それと、じゃ! ここに賞金も用意させてもらった! 遠慮はいらん! 受け取るがよい! ……ほれ、ブルース。任せたぞ!」
「承りました、理事長!」
 直々に渡そうとしないのは彼なりの気遣いらしい。傍らのルカリオに小切手を託すベトベトン。ルカリオが目の前に迫ったところで、ベロベルトは慌てて両手を突き出す。
「ちょっ、ちょっと待って!? 賞金って……いったいなんの?」
「あぁ、これですよ」
 先程に見せた手配書を広げたルカリオは、その上から三行目を指差してみせる。
「えーっと、賞金一千万ポケドル……って! しっ、しまった! 忘れてたぁぁぁぁぁっ!」
 こんなにも重要なことを何故に今の今まで……!? 悔やんでも悔やみきれなかった。両手で頭を抱えたベロベルトは声の限りに絶叫する。
「グハハッ、気にするでない! この小料理屋の店主が悪いのじゃ! その肩書にも今日から元が付くようじゃが! のぅ、レナード!?」
 ベトベトンに指差されたマフォクシーはバツが悪そうに笑う。
「いやぁ、面目ない! あの後、帰宅してから気付いたんだ。よりにもよって、家のトイレで飛びきりデカいのをひり出して、水を流し終えた直後になぁ。腕の一本どころか、爪の一本すら残すのを忘れていたから……証明するのに手間取ってしまったんだ」
 あの後とは、オーダイルを解体して食べた後のことだった。ペロリと舌を出して視線を逸らすマフォクシー。ベトベトンは腹を抱えて爆笑する。
「グヒャヒャヒャッ! ……という、間抜けな話じゃ! 後で好きなだけ油を絞ってやるがよい!」
「ちょっとぉ……酷いよ、レナードさん。それだけの大金があったら、この一年でオイラの夢も大きく前に進んだっていうのにさぁ……」
 ブスッとした顔を向けられたマフォクシーは、手を合わせて平身低頭する。
「悪かった! このとおりだ! その遅れを一日も早く取り戻せるよう頑張って働くから許してくれ! 頼む!」
「もぉぉ……約束だからね?」
 森の主のベロベルトは呆れ笑いを浮かべるのだった。
「という話は置いといて……ありがとう! 遠慮なく頂戴するよ!」
「はいっ! ……確かにお渡ししました! なくさないよう気を付けてくださいね!」
「ははっ、なくさないよ! オイラを誰だと思っている……って、えぇぇぇぇぇっ!?」
 書かれてあったのは予想外の数字だった。ベロベルトは目玉を飛び出させる。
「えっと……アクタさん? 二千五百万ポケドルって書いてあるんだけど……これはなんで?」
 額が額だけに恐ろしかった。ベロベルトは小切手を相手に見せながら尋ねる。
「グハハッ、予想どおりの反応じゃ! よろしい、説明してしんぜよう!」
 拳を口に当てたベトベトンは一つ咳払いする。
「五百万ポケドルは、オヌシらが先程に食った殺し屋に懸けられていた賞金じゃ。それを上乗せしておる。主犯格のレントラーが二百五十万ポケドル、フローゼルが百五十万ポケドル、ルガルガンが百万ポケドル。合わせて五百万ポケドルというワケじゃ」
 自身の腹に視線を落としたベロベルトは残念そうに舌打ちする。
「ちぇっ、そんな安物のお肉だったのかぁ。あーあ、もっと高級なお肉を食べたかったなぁ?」
 舌なめずりしながら嫌味ったらしく言うベロベルト。ねちっこい視線に気が付いたジャローダは即座に睨み返す。
「よく言うわ、まったく! アンタが選んだんでしょうが! 恨むんなら自分の見る目のなさを恨みなさい!」
 あえなく返り討ちにされた彼はシュンと頭を垂れるのだった。
「……それで? まだ一千万ポケドル足りないけど? こっちの出所も教えてくれるかしら?」
 胡散臭そうな表情を隠さないジャローダ。ベトベトンは指を一本立ててみせる。
「よかろう。ときに……南洋の切り裂き魔という渾名のマニューラは知っておるかな?」
 知っているに決まっていた。ハッと顔を上げた森の主のベロベルトは、尻尾の付け根に挟んでいた手配書を引っ張り出して広げる。
「こいつでしょ!? ただ快楽を得るために彼女のお父さんを殺した変態野郎だ! ……そうだよね、コユキちゃん!?」
 頭から湯気を立てながら捲し立てた彼であったが、
「へっ? えっ、えぇ……」
「えっ、じゃなかったっけ……?」
 何故かキュウコンの少女は難しい顔だった。彼は視線を巡らせる。
「少し失敬! ……んべぇっ!」
 両手を高々と上げたベトベトンが舌を伸ばしたのは次の瞬間だった。
「うわっ!? ちょっ、なにを……って、ベロ長すぎでしょ!?」
 ヘドロの体は伸縮自在。進化前の彼にも負けない長さだった。ベロベルトの手から藁半紙を絡め取って口の中に放り込んだベトベトンは――
 モグモグ、ムシャムシャ、クチャクチャ……ゴックン!
 それを美味しそうに食べてしまうのだった。彼は小さなゲップを漏らす。
「うむ、乙な味であった! ……こやつなら今は檻の中じゃ! 吾輩が数ヵ月前に倒してしもうたからの!」
 森の主のベロベルト、ベロニカ、ジャローダの三匹は仰天する。
「えっ……えぇーっ!? たっ、倒したの!? こんな恐ろしい奴を!?」
 半信半疑で質問するベロベルト。ベトベトンはエヘンと胸を張る。
「そうじゃ! ヘドロ漬けにして毒を浴びせたところを、精魂尽き果てるまでしゃぶり回してやったわい! ……悪ガキだった頃のオヌシにそうしたようにのぉ!?」
「ははっ、理事長! 恥ずかしいこと思い出させないでください!」
 ベロンと首筋を舐められたルカリオは決まり悪そうに笑うのだった。
「閑話休題、挑む相手を間違えたのが運の尽きじゃ! 吾輩の体に爪など通用せんからの! その証拠に……!」
 彼はギュッと握り締めた両拳を背中に押し当て――
「ふんっ!」
 ジュブッ! ジュブブブブッ、ズボォッ!
 渾身の力を込めて前に突き出し、背中から腹を両腕で貫いてしまう。
「ひぃぃぃぃぃぃっ!?」
「きゃぁぁぁぁぁっ!?」
 あまりにショッキングな光景に絶叫する三匹。その状態のまま手を握ったり開いたりしたベトベトンは声高らかに笑う。
「グヒャヒャヒャッ! まだ驚くのは早いぞ!? ほれっ!」
 掛け声と共に両腕を引き抜くベトベトン。ぽっかりと開いた穴から向こうの景色が見えたと思ったのも束の間、意思を持った生き物のように四方八方から集まってきたヘドロが一瞬で傷口を塞いでしまう。
「このとおり! 風穴を開けられようが、バラバラに切り裂かれようが、吾輩は痛くも痒くもないのじゃ!」
 目を白黒させながら見守るばかりの三匹に、彼はケロリとした顔で両手を広げてみせる。
「じゃあ、残りの一千万ポケドルって……」
 森の主のベロベルトの言葉に彼は大きく頷く。
「さよう! 奴に懸けられていた賞金であり、吾輩の可愛い子供たちを助けてくれたオヌシへの感謝の気持ちじゃ! 好きに使うがよい!」
 二匹を両手で抱き寄せたベトベトンは気前よく宣言するのだった。
 二千五百万ポケドル。改めて八桁の数字を眺めたベロベルトの目から熱いものが溢れ出し、ポタポタと小切手の上に滴り落ちる。
「やった、やった……! これだけあったら……あれも買える、これも買える、たくさんの従業員だって雇える! オイラの……オイラの夢が実現に向かって動き出すんだ!」
 大空に向かって叫ぶベロベルト。そして――なによりだった。彼はキュウコンの少女の前に跪く。
「よかった、本当によかった……! こいつが捕まって! お父さんも喜んでいると思うよ、コユキちゃん!」
「えぇ! 私もそう思いますわ!」
 前足を握られて微笑み返すも、彼女はたちまち表情を曇らせる。
「なんですが、実は……」
「えっ? 実は……なに?」
 二匹のやり取りに気付いたベトベトンは、ポンと彼女の頭に手を置く。
「すまぬが後は頼んだぞ、コユキ。もう吾輩は行かねばならん。オヌシの口から伝えるのじゃ。……真実を、な」
「分かりましたわ、アクタ理事長!」
 優しく頭を撫でられた彼女は震える声で返すのだった。
「ふーっ! それにしても今日は最高に暑いのぉ! ……悪いが、次の予定もあることじゃし、そろそろお暇させていただくとしよう! オヌシらと一緒で、汗をかきすぎると臭くなってしまうからの! グワッハッハッ!」
 腕で額を拭いながら大笑いするベトベトン。鼻を摘まんだ森の主のベロベルトは反射的に後ずさりする。
「ではコユキ、ブルース、そして皆の衆! さらばじゃ! また近いうちに会おうぞ!」
「うんっ! お元気で、理事長さん!」
「また会いましょう、理事長!」
 二匹はベトベトンと固い握手を交わし、
「お疲れさまです、市長!」
 スカタンク、ボーマンダ、ピジョン、オオスバメは直立不動で敬礼する。右の手を高々と掲げたベトベトンは――サムズアップしながら泥沼の底へと沈んでいったのだった。
「し……市長ですってぇ!? ちょっ、ちょっと、アンタたち! それを先に言いなさいよ!? 思いきりタメ口で話しちゃったじゃないの!」
 青ざめた顔で猛抗議するジャローダ。そんな彼女の不安をルカリオは笑い飛ばす。
「ははっ、大丈夫ですよ! そんなの気にする方ではありませんので!」
 彼女は頭がクラクラする感覚に襲われる。
「いや……あのねぇ。だからって……」
 そこで口籠った彼女は小さく息を吐く。
「まぁいいわ。それより……」
 もっと大切なことがあった。彼女は重々しい表情を浮かべていたキュウコンの少女に視線を移す。
「ねぇ、コユキちゃん? 悪いけど、さっきの話の続きをしてくれないかしら? とっても気になるんだけど?」
「うん、オイラも知りたい! 市長さんが言っていた真実って……なんだい?」
 興味津々の眼差しを向ける森の主のベロベルト、ジャローダ、そしてベロニカ。が、キュウコンの少女の青い瞳は急速に潤み始め、
「実は、実は……あぁっ! 父さん……!」
 そのまま泣き崩れてしまうのだった。戸惑うばかりの三匹の背後から隻眼のキュウコンが近づいてくる。
「娘に代わって私がお伝えしましょう。よろしいでしょうか?」
 くるりと振り返った三匹は即座に首を振る。
「ありがとうございます。では……早速」
 隻眼のキュウコンは大きく息を吸い込む。
「その手配書の男は本心から父を殺したのではありません。心を操られて自覚のないまま父を殺してしまったのです」
 驚愕の事実だった。三匹の間に電流が走る。
「なんだって!? 操られたって……誰に!?」
「こいつらです」
 隻眼のキュウコンは両前足を目の上に当ててみせる。対立関係にあった悪いキュウコンたちを示すジェスチャーだった。
「なっ、なんてこった……」
 絶句するベロベルト。やがて彼は何かにハッと気がつく。
「わっ、分かったぞ! そいつら……お父さんをマニューラに殺させることで、ミゾレさんたちとマニューラたちが潰し合うよう仕向けたんだ! 漁夫の利を得るために……!」
 隻眼のキュウコンは深く頷く。
「そのとおりですわ。両者が戦いで疲弊しきったところで攻勢をかけ、雪山を乗っ取る……これが奴らの目論見でした」
「あれ? でも、ちょっと待てよ?」
 腕組みをした彼の眉間に皺が寄る。
「結局、ミゾレさんたちとマニューラたちの間で戦いにはならなかったんでしょ? 戦いになる直前で悪いキュウコンたちが攻めてきたから棚上げされちゃったんだ。……そう考えると辻褄が合わないね? 悪いキュウコンたちが漁夫の利を狙っていたなら……って、ミゾレさん?」
 ふと顔を上げると、隻眼のキュウコンが肩を震わせながら泣いていた。ベロベルトと目を合わせた彼女は何度も首を縦に振る。
「そうです。私たちがマニューラ一族に叩き付けた最後通牒の期限が切れる直前……彼らは要求に応じる決断を下していました。彼らに雪山を血染めの山に変える勇気なんてなかったのです。あのままいけば……その手配書の男は私たちに引き渡されていた筈でした。引き渡されていた筈だったのです」
 ベロベルトは大きく息を呑む。
「だからミゾレさんたちを攻撃したのか! 陰謀が明るみに出ることを恐れて強硬策に打って出た……!」
 眼帯に覆われた右目を前足で拭った彼女は再び頷く。
「えぇ、彼らにとって想定外の展開だったことでしょう。まさかマニューラたちが折れるなんて。きっと慌てに慌てまくった末の行動だったと思います。でも……父を失った私たちが不利な状況であることに変わりはありませんでした」
 彼女は唇を噛み締める。
「そして……ミゾレさんたちは負けてしまった……」
 二匹は一様に項垂れる。
「そうです。戦いが泥沼化して混乱が広がったところで、多くの仲間が瞳術をかけられて心を操られ……総崩れにされてしまったのです」
「えっ!? じゃ、じゃあ……裏切り者が出た理由っていうのは……!?」
 彼はギョッとした顔で隻眼のキュウコンを指差す。
「敵の工作員の暗躍があったからです。まぁ、本当に不満を抱いていた者も中にはいたでしょうけど……。証言も得られているので間違いありませんわ」
 真っ白い息を吐き出す隻眼のキュウコン。森の主のベロベルトはポカンと口を開ける。
「えっ、証言って……どういうこと?」
 そんなの誰が喋ったのだろう? 彼の頭に疑問符が浮かぶ。
「半年前に食ったキュウコンの三匹組を覚えているか、ベロベルトの旦那?」
 唐突に口を開いたのはボーマンダのロジャーだった。視線を移した彼は大きく頷く。
「あぁ、そりゃもちろん! 本来なら、生け捕りにしてロジャーさんたちに引き渡すべきだったんだろうけど……腹ペコだったから食べちゃった! ごめんね!」
 手を頭の後ろに回して恥ずかしそうに舌を出すベロベルト。ボーマンダは笑顔で左右に首を振る。
「そんなことは気にしなくていい。野生で暮らす旦那のテリトリーに入った奴をどうしようが旦那の自由さ。俺たちに口出しする権利はない。……少し話が逸れたが、その三匹とは別のグループに属していた一匹が、減刑を条件に自首してきたんだ。なんでも、あまりの過激路線についていけなくなっちまったんだと! そいつがゲロしたのさ」
 森の主のベロベルトは猛烈な脱力感に襲われる。
「……呆れた。あの三匹の他にもいたのか。そのエネルギーをもっと他のことに使えばいいのに!」
 後ろで聞いていた二匹も同意見だった。ジャローダは鼻息を荒くする。
「まったくだわ! それに、こんな幼気な女の子を暗殺するために海を渡っている時点で、過激もクソもヘッタクレもないと思うけど! さては……奴ら他にも何か良からぬことを企んでいたのね!?」
 スカタンクのナヒュールは目を丸くする。
「おぉ! えぇ推理しとるやないか、ジャローダの嬢ちゃん! そのとおりや! ……ミゾレはん、続きはワシが喋ろか? しんどかったら無理せんでもエェで?」
 嗚咽を漏らしていた隻眼のキュウコンを気遣うスカタンク。彼女は即座に首を左右に振り、
「いえ、どうか最後まで私に話させてください」
 充血した左の目で三匹を見つめる。
「その答えが、例の手配書のマニューラが大陸で引き起こした連続殺害事件にあります。奴ら……島流しの刑に処されていた彼を誘拐して大陸に連れて行き、瞳術で凶暴性と残虐性を極限まで引き出した上で、大陸の各地で手練れの者を襲わせていたのです」
 三匹の顔が恐怖に凍りつく。
「はっ……はぁっ!? そんなこと何のために!? 意味が分からないわ!」
「実験、ですわ」
 彼女はボソリと呟く。
「島に生息する種族の中でも、極めて戦闘能力の高いマニューラを殺戮兵器にする研究をしていたと聞きました。彼に殺しを繰り返させる中で、最適な瞳術を編み出し、その方法を島に持ち帰って、自分たちを除く島民を絶滅させる計画を立てていたのです。なんでも、半年前に娘を殺そうとしていた三匹のうちの一匹が、主導的な役割を担っていたのだとか。もし生還を許していたら……島は滅びていたことでしょう」
 開いた口が塞がらなかった。しばし森の主のベロベルトは茫然自失の表情で隻眼のキュウコンを見つめる。
「もう知っていたけど……あっ、頭おかしいでしょ、そいつら? そんなブッ飛んだこと……何をどう間違ったら実行しようとか思っちゃうワケ?」
「選民思想がそうさせたのだと思いますわ」
「へっ? なにそれ?」
 吐き捨てるように言う隻眼のキュウコン。彼は即座に聞き返す。
「自分たちが最も優れた特別な存在であるとする偏った思想のことです。これは自首した工作員から聞いたのですが……圧倒的な数的不利の状況で劇的な勝利を重ねる中で、自分たちこそが伝説の千年生きたキュウコンに選ばれし者であり、万物の支配者として君臨すべき存在であるという妄想に取り憑かれていったのですって。それが膨らみに膨らんだ結果として生まれたのが……恐怖の計画だったのでしょう」
 馬鹿馬鹿しい限りだった。ジャローダはフンと鼻で笑う。
「選ばれし者、ねぇ? もしミゾレさんのご先祖様が現代に生きていたとしたら、そんなトチ狂った奴らを選ぶのかしら?」
「私には分かりませんわ」
 そこは否定してほしかったなぁ……。森の主のベロベルトはバランスを崩しそうになる。
「ですが、一つだけ言えることがあります」
 三匹の注目が隻眼のキュウコンに集まる。
「このような姿に私たちが変化したのは、大昔に島へ渡ってきた私たちの祖先が、元から住んでいた島民たちの生活圏を避けて雪山で暮らすようになったからだと言われています。縄張り争いに敗れて仕方なくそうしただけだという説もありますが……彼らが不毛な争いではなく、共存を選んだからこそ、今の私たちがあるのです。そのような思い上がった考えは、祖先に対する冒涜以外の何物でもありませんわ」
 ストンと腑に落ちる説明だった。ジャローダは凛とした顔つきで隻眼のキュウコンを見つめる。
「そのとおりだと思うわ。私なら絶対に選ばない。食べる以外の目的で他者の命を平気で奪う薄情者なんてね」
 森の主のベロベルトとベロニカは何度も頷くのだった。
「にしても……」
 森の主のベロベルトの目に同情の色が浮かぶ。
「そのマニューラも災難だったねぇ。早く元どおりの生活を取り戻せるよう願ってやまないよ」
「ワシもそう思うんやけどな」
 唐突に口を挟んだスカタンクは深い溜め息を吐く。
「残念ながら無理ですわ。まだ完全には洗脳が解けてへんから、二十四時間体制で監視中や。いつスイッチが入って暴れ出すか分からんからな。腰据えて気長に行くしかあらへん。……のぉ、ミゾレはん?」
 隻眼のキュウコンは深刻な顔をする。
「えぇ。私にも弱いながら瞳術で心を操る能力が備わっているので、それを駆使して彼の洗脳を解いていってはいるのですが……何重にも鍵が掛けられた扉に針金一本で挑むような気の遠くなる作業の繰り返しです。利き目の右目を失ってしまったことが悔やまれますわ」
 眼帯を前足で押さえながら沈んだ声で呟く隻眼のキュウコン。森の主のベロベルトはガックリと肩を落とす。
「で、彼の一生をメチャクチャにした悪いキュウコンたちの一派は、今も島でのうのうと暮らしているってワケだ? ……あーあ、つくづく世の中って不公平だよ」
「いいえ、もう根絶やしにされた後ですわ」
「えっ? そうなの?」
 溜飲が下がるまで一瞬だった。彼は驚いた顔で隻眼のキュウコンを見つめる。
「はい。今までに話した陰謀の数々は、街へ出稼ぎにきていた島民を通じて島中に知れ渡ることになり……怒りを爆発させた全島民が一斉に襲いかかったのです。隠れる場所のない雪山を放棄し、命からがら低地のジャングル地帯へ逃げ込んだ彼らでしたが、そこは……」
 ペロリと舌を出してみせる隻眼のキュウコン。半年前にコユキから聞いた話を思い出した彼は同じ格好をする。
「あっ、オイラの仲間たちが生息している場所じゃないか!」
 冷たい笑いを顔いっぱいに広げた彼女は深く頷く。
「えぇ! お腹を空かせたベロリンガたちの住処だったというワケです! いつまでも続く蒸し風呂のような暑さで弱り果てたところを追い詰められ、寄って集って舐め回され……」
 彼はベロを巻き取って口の中に戻す。
「痺れたところをベロで絡め取られ、ゴックンチョってワケだ! うーん、痛快! 悪い子はウンチにしちゃうのが一番だね!」
 憚ることなく放屁するベロベルト。隻眼のキュウコンは下卑た表情を隠さない。
「まったくです! それはもうビュッフェ形式のディナーのようだったと聞きました! 怒涛の勢いで平らげ続けて、瞬く間に食べ尽くしてしまったのですって! 食いしん坊の彼らも腹鼓を打ったことでしょう!」
 丸太小屋で食べまくった時のような光景が至るところで繰り広げられていたに違いなかった。ベロベルトは顔を綻ばせる。
「あははっ、そりゃ良かった! これで島に残る仲間たちも安心して暮らせるね!」
「それが……」
 隻眼のキュウコンは下を向く。
「全滅したと聞きました。もう誰も生き残っていないでしょう」
「ごめん、ミゾレさん。辛いこと思い出させちゃって……」
「お気になさらず。あなたは何も悪くありませんわ」
 たちまち涙ぐんだ彼に隻眼のキュウコンは何度も左右に首を振ってみせるのだった。
「じゃあ、ミゾレさん一族の未来は……」
 突っ伏したまま泣き続けるキュウコンの少女に注目する森の主のベロベルト。彼女は静かに頷く。
「えぇ、この意気地なしに全て託されたということです。……こら、コユキ! いつまでもメソメソしていないで起きなさい!」
「はい、母さん……」
 一喝されるなりムクリと起き上がるキュウコンの少女。涙に濡れた目を拭った彼女は母親の隣に並ぶ。
「さぁ、感謝の意を伝えるのです、コユキ! 私たちの島を救った英雄に! 一族の代表として!」
 キュウコンの少女は力強く頷く。
「うんっ! ……レナードさん! 例のものをベロベルトさんに!」
 くるりとマフォクシーの方を振り返るキュウコンの少女。彼は待っていたと言わんばかりの顔で、腕の体毛の中から何かを引っ張り出す。
「よしきた! ……ほれっ! 受け取れ、食いしん坊!」
「うわっ!? ちょっ、ちょっと! 投げないでよ!」
 アンダースローで投げ渡された小さな黒い塊をベロベルトは両手でキャッチする。見ると何の変哲もない石ころだった。
「……うん? なんだい、これは? その辺で拾ってきたのかい?」
 両手のひらの上の物体を訝しげな目で見つめるベロベルト。肩を竦めたマフォクシーは深い溜め息を漏らす。
「やれやれ、お前さんという奴は……。そうじゃない。よく観察してみろ」
「えぇ? こんなの単なる……!」
 面倒くさそうにしていた彼が目を剥いたのは――石を裏返した次の瞬間だった。彼の瞳が黄金色に染まる。
「きっ……金鉱石じゃないか! こんな物をどうして!?」
 半狂乱で叫ぶ彼の前にキュウコンの少女が進み出てくる。
「私が……見つけました。黄金伝説は本当だったのです」
「えっ……えぇぇぇぇぇっ!?」
 この地方に遥か昔から伝わる、樹海のどこかに金の鉱脈が眠っているという噂話だった。あまりに現実離れした出来事を目の前に思考停止するベロベルト。地平線の遥か向こうまで続く広大な森に彼の絶叫がこだまする。
「どっ、どこでどうやって見つけたかは後で詳しく聞くとして……ほっ、本当に貰っちゃって良いのかい? こんなもの……?」
 さっきまで石ころだった物体を震える手で指差しながら尋ねるベロベルト。キュウコンの少女はコクリと首を縦に振る。
「はい。もう私たちが必要な分は採り終えましたので。残りは鉱脈に眠っている分も含めて全て差し上げますわ。森にある財産は森に住む者が持つべきですから」
 キッパリと言いきるキュウコンの少女。口から舌をはみ出させた彼の顔に下品な笑みが浮かんでいく。
「ぐふっ、ぐふふっ……! とっ、ということは、今日からオイラたちは……!」
 ダラダラと涎を垂らし始めた大食いの怪獣に彼女はコクリと頷いてみせる。
「うふふっ、素敵な笑顔をありがとうございます! そのとおりですわ! この世界で一番の億万長者です!」
「やったぁぁぁぁぁっ!」
 狂喜乱舞する森の主のベロベルト、ジャローダ、そしてベロニカ。テーブルナプキンのような白い模様を唾液でベトベトにした彼の口から底なしの欲望が溢れ出す。
「あぁっ、最高! これから毎日が贅沢三昧だ! あれを食べて、これも食べて……! とても胃袋が一つじゃ足り……」
 スパァァァァァン!
 それに終止符を打ったのがジャローダだった。つるのムチを脳天に浴びた彼は頭を抱えて縮こまる。
「バカ言ってんじゃないわよ、この卑しん坊! それを元手に果樹園を完成させるのが先でしょうが! この森がロクデナシどもの手に渡る前に! もうナヒュールさんの話を忘れたの!?」
 そうだった。オイラたちに残された時間は少ないのである。彼はタンコブを擦りながら反省する。
「ヒャハッ! 厳しいのう、ジャローダの嬢ちゃんは! ちょっとくらいエェやんけ! そんなすぐ奴らの天下にはならんわ!」
 カッと目を見開いた彼女は何度も左右に首を振るう。
「ダメよ、ナヒュールさん! こいつを甘やかしちゃ! すぐ調子に乗るんだから! ……ねぇ、ベロニカ!?」
 同意を求められたベロニカは苦笑しながら頷くのだった。
「決まりだな! 彼女もそう言っていることだし、今からでも掘りに行かないか!? 鉱脈の近くにベースキャンプを作ったんだ! そこで寝泊まりしながら掘り続けるといい!」
「行きましょう、ベロベルトさん! 案内しますわ!」
「ワシらも手伝うで! 先立つものは金や、金! これがなかったら何もできませんわ!」
 と、レナード、コユキ、そしてナヒュール。目をポケドルマークにした森の主のベロベルトは舌なめずりをする。
「もちろん! 行くに決まっているじゃないか! よぉし、掘って掘りまくるぞぉ!」
 やる気満々の彼だったが、次の瞬間――
 グゥゥゥゥゥッ!
「あっ……」
 辺り一帯に響き渡ったのは、猛獣の唸り声のような腹鳴だった。お腹を両手で押さえたベロベルトはガックリと膝をつく。
「えへへっ、ばれちゃった! その前に何か食べたいな! もう腹ペコなんだ!」
 頭の後ろをポリポリと掻いた彼は正直に白状する。ジャローダは開いた口が塞がらない。
「はっ、はぁっ!? さっき食べたばかりでしょうが! それも狼男を丸ごと一匹!?」
「そんなこと言われたって、ねぇ? とっくの昔にドロッドロだよ! もうウンチになりかけている頃じゃないかなぁ?」
 さも当然のように返す彼だったが――
 グゥゥゥゥゥッ!
 まだ驚くのは早かった。直後、ベロニカの腹からも雷鳴のような轟音が聞こえてくる。真っ赤に染まった顔を両手で隠すベロニカ。彼女もフローゼルを消化し終えていたのだった。
「って、ベロニカまで!? あっ、アンタたち……どんな胃液しているのよ!?」
 得意技なだけにショックだった。彼女は呆れ果てた様子で二匹の顔を見る。
「あははっ、知っているでしょ!? オイラたちに舐め回された獲物はチョコレートみたいに溶けちゃうって話! 唾液ですら溶解液並みなんだ。胃液なんかマグマ並みだろうね! 食べ物をウンチに変える能力ならオイラたちの右に出る者はいないよ!」
 巨大な腹を愛おしそうに撫で回した彼は誇らしげに語るのだった。そんな彼にレナードはパチパチと拍手を送る。
「ははっ、そいつは素晴らしい! 旺盛な食欲は健康の証だ! ……よし、なら予定を変更しよう! 掘りに行くのは明日にして飯にするぞ! 腹が減っては何とやらと言うからな!」
 ベロベルトは目の色を変えて立ち上がる。
「えっ!? ゴハンって、まさか……!」
 涎を飲み込むベロベルト。レナードは白い歯を見せて笑う。
「そう! お前さんも大好きなカレーライスだ!」
 皆の大好物だった。野営地は八匹と二羽の歓声に包まれる。
「……さぁさ! 注文が決まった奴から言ってくれ! 何杯でも作るから遠慮は要らんぞ! これだけ食材を取り揃えたんだからな、あははっ!」
 ぐるりと一同の顔を見渡すマフォクシー。どうやら山のような荷物の中身は大半が食材らしい。彼は自信満々に胸を張る。
「じゃあ、はいっ! 僕から!」
 最初に手を挙げたのはルカリオだった。
「ジューシーカレーの大盛をお願いします! ルーは中辛で! ……あぁ、嬉しいなぁ! 何ヵ月ぶりだろう、レナードさんが作るカレー! あっ、隊長はどうされます?」
「おぉ、ワシか」
 スカタンクは思い出したように顔を上げる。
「せやな、ほんなら……いろいろキノコカレーの大盛を。ルーは中辛で頼みますわ。……おい、ジョバンニ、クルト。お前らはいつものでエエか?」
「はっ、隊長!」
「私も同じく!」
 翼で敬礼して返す二羽。フンフンと頷いた彼はマフォクシーの顔を見る。
「ほな、マメだくさんカレーとリッチカレーを一つずつ。どっちも並盛、中辛で」
「はいよ、毎度あり! ミゾレさんとコユキはトロピカルカレーだな?」
 二匹のキュウコンは笑顔で頷く。
「えぇ、もちろん! 甘くフルーティなトロピウスのフサと、辛くスパイシーなルーが織りなすハーモニー! この組み合わせは唯一無二ですわ! 私は並盛、辛口で!」
 と、ミゾレ、
「私は大盛、甘口で! 追加トッピングでリンゴのスライスも乗せてください! ……ジャローダさんは?」
 そしてコユキ。ジャローダは空を見上げる。
「そうねぇ……じゃあ、私はミックスハーブカレーをお願い! ルーは中辛で!」
「よしきた! ……ふふっ、今日は並盛にしておくか?」
 ようやく動きが止まった腹の膨らみを見つめて笑うマフォクシー。たちまち彼女は血相を変える。
「ばっ、バカ言っちゃいけないわ! カレーなら別腹よ、別腹! ……大盛で! ゆで卵のトッピングもお願いね!」
 マフォクシーは両手を腰に当てて大笑いする。
「ははっ、その意気だ! ……ロジャーはいつものでいいな?」
 ボーマンダは即座に頷く。
「おうよ! ヴルストのせカレーを超特盛、辛口で頼む! カレーを味わい、ヴルストを齧り、そして冷えたジョッキを呷る! この瞬間のために生きているってもんだ!」
 前足で口元を拭ってゴクンと喉を鳴らすボーマンダ。マフォクシーは吹き出してしまう。
「ははっ、大袈裟な野郎だ! ……さて!」
 一同の注目が二匹のベロベルトに集まる。
「決めたか、お前さんたち? いつもなら即答する癖に珍しいな? どういう風の吹き回しだ?」
 マフォクシーに尋ねられた森の主のベロベルトはモジモジし始める。
「そりゃあ……ねぇ? ベロニカ?」
 ベロニカも同様だった。彼女は困り笑いを浮かべながら頷く。
「いやね、レナードさん。カレーは大好物中の大好物なんだけど……」
 ベロベルトは両手で腹を抱える。
「太りやすい食べ物だからね! どうしてもカロリーが気になっちゃってさ!」
 目をパチクリさせるマフォクシーたち。次の瞬間――野営地は爆笑の渦に包まれる。
「……何を言い出すかと思ったらそんなことか! もう手遅れだから安心しろ! 余計なことは考えないで欲望の赴くままに食らうがいい! そしてフカフカのベッドでぐっすり眠って明日への英気を養うんだ! その方がよっぽど健康的ってもんさ! ……なぁ、ナヒュール警部補!?」
 スカタンクは笑顔で頷く。
「せやせや! ベッドと言えば、アンタとベロニカはんが同時に横になってもビクともしなさそうなキングサイズのベッドですわ! あれは寝心地エエやろうなぁ!」
 話の筋が見えなかった。森の主のベロベルトは首を傾げる。
「キングサイズのベッド……? それって何の話?」
「さっきアンタらが食った殺し屋どもが建てていた別荘の話や。ワシらが持っていても仕方ないから好きに使ったらエェ。二匹で住むには丁度いい大きさですわ!」
「えっ!? 良いの!?」
 びっくり仰天するベロベルト。たちまちジャローダが耳元に口を寄せてくる。
「……貰えるものは貰っておきなさい! こんなの二度とないわよ!?」
「……わっ、分かった!」
 小声で返事をした彼はスカタンクに微笑みかける。
「それなら遠慮なく! ありがたく頂戴させてもらうよ!」
 二千五百万ポケドル、金鉱脈、そして――憧れのマイホーム。二匹のベロベルトは抱き合って喜びを分かち合うのだった。
「……さぁ、ご注文は!? 熱々の新婚さんよ!」
 羨ましそうな顔で尋ねるマフォクシー。森の主のベロベルトは声のした方を向く。
「じゃあ……お言葉に甘えて、欲望の赴くままに! ハンバーグカレーの超特盛を二つ! ルーは中辛で! モーモーチーズの追加トッピングでチーズハンバーグにしてほしいなぁ! ……作れるかい?」
 上目遣いで尋ねられたマフォクシーは大きく頷く。
「勿論だ! お前さんとベロニカの胃袋が満杯になるまで作ってやろう! 覚悟しておけ!」
 これで注文は全部だった。マフォクシーは太陽に向かって右の拳を高々と振り上げる。
「よぉし! それじゃあ、皆の者! 頑張って作るから、手伝える範囲でサポートしてくれ! ……全ては最高のカレーのために!」
「オーッ!」
 掛け声に合わせて拳と翼を突き上げる八匹と二羽。至福の時間の始まりを告げる鬨の声が快晴の夏空に響き渡るのだった。
24/08/11 08:07更新 / こまいぬ
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