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連載小説
[TOP][目次]
食べるもの、食べられるもの【下】
「あっ、おかえり! スッキリした!? 預かるよ!」
 それから数分後。ブラッキーは屈辱に打ちひしがれた顔で焚き火の前に戻ってくる。手を広げて待っていたベロリンガにバケツを渡した彼は、質問に答えることなく元の席に腰を下ろす。ベロリンガが思いもよらぬ行動をとったのは次の瞬間だった。
「わぁ! 山盛りじゃないか! 便秘気味だから羨ましい限りだよ! それと、この骨の欠片と紫色の短い毛は……コラッタのものだね!?」
 あろうことかバケツの蓋を取って中を覗き込んだのである。ひり出されたばかりの大便を楽しそうに観察するベロリンガ。ブラッキーは顔を真っ赤にしてバケツをひったくる。
「ちょっ、ちょっと! 見ないでください! あと、食べた物を当てないでください! 何を考えているんです!?」
 怒りを爆発させるブラッキー。頭の後ろに手をやったベロリンガはペロリと舌を出す。
「えへへっ! つい気になっちゃって!」
「気になっちゃって、じゃありませんよ! 早く蓋をして下さい!」
「分かった、分かったよ! ……はい、これで文句ないでしょ!?」
 ベロリンガは言われたとおりバケツに蓋をする。
「まったく……今度やったら承知しませんからね?」
 ブラッキーが眼光鋭く睨みつけながらバケツを差し出すと、ベロリンガは何度も謝罪の言葉を口にしながら受け取るのだった。
 下品な山椒魚め。これだから野生で暮らす奴らは好きになれないのだ。飲み残しのカップを口に運んだブラッキーは、喉まで出た言葉を琥珀色の液体と共に飲み下す。もう片方の前足で壺から干した木の実を掴み取った途端、ベロリンガは大事そうにバケツを抱き締める。
「いやぁ、たくさんウンチしてくれてありがとう! 大切に使わせてもらうよ!」
「ぶっ」
 口に含んだ液体をカップに吐き戻してしまうブラッキー。前代未聞の出来事だった。彼はドン引きした顔でベロリンガを見る。
「なっ、なぜウンコ……じゃなかった。用を足して感謝されるのです? あと、使うって何に?」
「あぁ、それだよ」
「えっ、これ?」
 ブラッキーの前足を指差すベロリンガ。彼の視線が木の実に釘付けになる。
「そう! その木の実はオイラが世話をしている果樹園で採れたものでね。そこの土の肥やしにしようと思ってさ」
「えっ、果樹園ですって?」
 唖然とするブラッキー。ベロリンガは笑顔で頷く。
「うん! この洞窟の裏山にオイラが作ったんだ! そんなに大きくはないけどね!」
 無謀としか言いようがなかった。ブラッキーは軽蔑の目を向けずにはいられない。
「こんな痩せた土地に作るなんて! さぞかし大変だったでしょう!?」
 皮肉を飛ばすブラッキー。それを真に受けたベロリンガはエヘンと胸を張る。
「そのとおり! 本当に大変だったよ! 最初の方なんか植えても全く育たなくてね。来る日も来る日も肥やしをやり続けたんだ。そうしたら……最後には見事に大きく成長してくれた! そして実を結んでくれた! いやぁ、オイラの努力が報われた瞬間の喜びといったらなかったなぁ!」
 しみじみと思い出に浸るベロリンガ。やがて彼は我慢できずに吹き出してしまう。
「まぁ、努力っていっても、果樹園でウンチしていただけなんだけどね! あははっ!」
「はは、は……」
 声は笑っていても顔は笑っていなかった。この下品な山椒魚の大便。それが木の実の甘さの秘訣であることを知って食欲をなくしたブラッキーは、掴み取った木の実をこっそりと壺の中へ戻すのだった。
 もう寝よう……。凄まじい脱力感に襲われたブラッキーは飲みかけのカップもソーサーに戻し、ゲラゲラと笑い続けていたベロリンガの顔を見上げる。
「あの、すみません。明日もあるので先に休ませてもらいますね。どこで横になれば?」
 キョロキョロと辺りを見回すブラッキー。そこでベロリンガは真顔に戻る。
「どこでも構わないよ? 好きな場所をどうぞ?」
「それでは……」
 彼はその場に伏せて、ベロリンガの目を真っ直ぐに見つめる。
「ここで休ませてもらいます。おやすみなさい!」
「うん! それじゃあ……」
 ニッコリと微笑みながら合掌したベロリンガは、
「いっただっきまぁぁす!」
 なぜか就寝の挨拶ではなく食前の挨拶を述べるのだった。ブラッキーの頭に疑問符が浮かぶ。
「は? ふざけているのですか?」
 声には明らかに苛立ちが滲んでいた。ベロリンガは手を合わせたまま左右に首を振る。
「ううん、ちっとも! ……なんて言われても意味不明だよね! だから教えてあげるよ!」
 すっくと立ち上がって長い舌を垂らすベロリンガ。その目はギラギラと輝いていた。ブラッキーがギョッとした表情を浮かべた次の瞬間――
「その理由をね! ベロォォォォォン!」
「んんんんんんっ!?」
 彼はブラッキーの顔を思い切り舐め上げる。くぐもった悲鳴が洞窟中に響き渡る。
「……ぷはっ! なっ、何をするのです!? やめ……って、うぅっぷ! ぐっ、臭いぃぃぃっ!?」
 筆舌に尽くしがたい不快感の次にブラッキーを襲ったのは、鼻が曲がるほどの悪臭だった。汗と垢の臭い、獣の臭い、極め付きは――便所の臭い。それらを混ぜ合わせて煮詰めたような臭気を顔中に塗りたくられた彼は、鼻を両前足で押さえて転げ回る。
「あははっ、そりゃ仕方ないさ! だってウンチした後のお尻を拭くのにも使っているんだもん! ……こんな感じにね!」
 ウンコ座りになって実演してみせるベロリンガ。大いに気分を害して嘔吐しそうになった次の瞬間――
 ベチョッ! ……ネバァァァァァァッ!
「ひぃぃぃぃぃぃっ!?」
 尻穴をほじくり回したばかりの大きな長い舌が脳天に降ってきて、今度は背中を舐められてしまう。背筋を舌先でなぞられたブラッキーは頓狂な悲鳴を上げずにはいられない。
 さぞかし美味しいものを食べまくって暮らしてきたのだろう。たっぷりと脂肪を蓄えて丸々と太った体はビロードのような舌触りだった。食欲を刺激されて口から涎を垂らすベロリンガ。立ち上がった彼はブラッキーの脇腹と地面の間に舌を差し込み――
「ちょっと失礼するよ! ……それっ!」
「うわっ!?」
 仰向けにひっくり返す。お次はビア樽のようなお腹だった。すかさず舌を伸ばして円を描くように舐め回すベロリンガ。あまりの気持ち悪さにブラッキーは全身をビクビクと痙攣させる。
「やっ、やめてぇぇぇぇぇぇっ!」
 涙目で懇願されるも聞き入れる気は毛頭なかった。ベロリンガは両手でバツ印を作ってみせる。
「あははっ、嫌でぇす! さっき言ったでしょ? いただきます、って! 君は今からオイラにベロベロ舐め回されて食べられちゃうのさ! むっはぁぁぁぁぁっ……! お尻も柔らかくって最高! ムッチムチのプルンプルンだ!」
 うっとりとした表情で舌を動かし続けるベロリンガ。熱く湿った吐息を顔に浴びたブラッキーは、その臭いに表情を大きく歪めるのだった。
 そんな彼に恐怖の瞬間が訪れる。大きな尻を堪能し終えたベロリンガの視線が局部に釘付けになったのだった。ベロリンガの顔に無邪気な笑みが広がる。
「わぁ! 大きなソーセージ! ここも味見しちゃおうっと!」
「えっ? ちょっ、そこは……!」
 もう舌は伸びてきていた。全力で拒否しようとした次の瞬間――
 ベロンッ!
「あっ」
 チーン。
 雄の象徴を舐められてしまった彼の脳内に澄み切った鈴の音が響き渡る。直後に彼の股間を襲ったのは電気ショックを受けたような感覚だった。両前足で急所を押さえた彼は、陸に打ち上げられた魚ポケモンのように跳ね始める。
「おっ、お……おぉっ……!」
「あははっ、ごめーん! ちょっと刺激が強すぎたかな!? でも、まだまだ味見しちゃうよ! だってオイラは舐めるのが大好きなベロリンガだもん! ……そぉれ! ベロォォォォォン!」
 悶絶寸前だろうがなんだろうがお構いなしだった。腹を抱えて大爆笑した彼は、容赦なくブラッキーの鼻先めがけて舌を伸ばし――
「むむむむむむぅ!」
 その顔面に臭い唾液をたっぷりと塗りたくってやるのだった。嫌悪感を露わにしたブラッキーは地面に尻をつけたまま後ずさり始める。
「ほっ、本当にやめてください! そういう趣味は僕にはありませんので!」
 顔のネバネバを前足で拭いながら絶叫するブラッキー。ベロリンガは呆気にとられた顔をする。
「うん? そういう趣味って……どういう趣味?」
 腕組みをして考え込んでしまうベロリンガ。幸運にも数秒で答えに辿り着くことができた彼はポンと膝を打つ。
「あぁっ、そういう意味かぁ! あははっ、大丈夫だよ! 安心して! その趣味ならオイラにもないから!」
 今度はブラッキーが呆気にとられる番だった。彼は目を見開く。
「えっ? じゃあ、食べるっていうのは……どういう意味です?」
「もぉ、とぼけちゃってぇ! そんなの決まっているじゃないか!」
 嘲り笑いを浮かべながら四股踏みのポーズをするベロリンガ。昨日ほど恥ずかしくなかった。尻の下の地面に舌を伸ばした彼は三段巻きの蜷局を作ってみせる。
「ウンチにしちゃうって意味だよ! さっき君がしたようにね!」
「えぇっと。あの、ご冗談……ですよね?」
 戸惑った様子で尋ねるブラッキー。ベロリンガは笑顔で左右に首を振る。
「ううん! オイラ本気だよ!」
 そうは思えなかった。困り果てた彼は深い溜め息を吐く。
「いい加減にしてください。なら聞きますが、どうして雷に打たれて死ぬところだった僕を助けたのです? それに、あなたの主食は虫ポケモンでしょう? 色々と辻褄が合わないのですが?」
 肩を竦めるブラッキー。舌を口の中に仕舞った彼は鼻で笑う。
「簡単な話さ。君を生きたまま食べたいからだよ。お肉は鮮度が命だからね。それと、確かにオイラの主食は虫ポケモンさ。でも……別に何を食べたって良いじゃない! それが美味しそうな食べ物なら尚更だよ! たとえば……」
 舌なめずりするベロリンガ。彼の口から涎が溢れ出る。
「丸々と太って脂が乗ったブラッキーとかね! あははっ!」
「なっ……!?」
 まさかの返答に動揺を隠せなかった。背筋を凍らせた彼は飛び跳ねるように立ち上がり、姿勢を低くして身構える。そこに先程までの紳士的な雰囲気は微塵もなかった。牙を剥き出しにした彼は殺気立った目でベロリンガを睨み付ける。
「この野郎、俺をハメやがったな……!」
「ふふん、ハメられる方もハメられる方だと思うよ? さて……」
 悪びれる様子もなく言い放つベロリンガ。彼は地面に両手をついて身構える。
「というワケで、これから君が辿る道は二つに一つだ! 一つはオイラを倒して生き延びる道、もう一つはオイラのウンチになっちゃう道さ! どっちが好みかな?」
 聞かれるまでもなかった。ブラッキーは深紅の目を血走らせる。
「図に乗りやがって! ブッ殺してやる!」
「そうこなくちゃ! ……さぁ、勝負だ!」
 いつでも舌を伸ばせるよう口を半開きにするベロリンガ。二匹の生死を賭けた戦いが幕を開けるのだった。
24/08/11 07:16更新 / こまいぬ
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