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連載小説
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夜のお茶会【大】
「はぁっ……はぁっ……!」
「ぜぇっ……ぜぇっ……!」
 それから数分後。岩壁にポッカリと口を開けた洞窟の中に太った山椒魚と太った獣が一匹ずつ。ベロリンガとブラッキーだった。どうにかこうにか黒焦げになる前に滑り込むことができたのだった。
「あっ……あの、一つよろしいでしょうか?」
「なっ、なんだい?」
 息も絶え絶えになりながら口を開くブラッキー。同様に肩を激しく上下させていたベロリンガは苦しげな表情を向ける。
「僕たち……もう少し痩せなければなりませんね……」
 神妙な表情で言うものだから吹き出さずにはいられなかった。ベロリンガは疲労も忘れて大爆笑する。
「あははっ、君は特にね! こんなにも立派な体つきをしたブラッキーなんて初めて見るんだもん! 親近感しか湧かないよ!」
「ははっ、誉め言葉として受け取らせていただきます!」
 ビア樽のようなお腹とカイスの実ほど大きなお尻を眺めながら声を弾ませるベロリンガ。丸々と太ったブラッキーは照れくさそうに返すのだった。
「……さ、それは明日から頑張るとして、今は濡れた体を乾かさなくちゃ。立ち話もなんだから上がって!」
「えぇ! お邪魔します!」
 洞窟の奥を指差して、大きな体をユサユサと揺らしながら歩き始めるベロリンガ。その真後ろにくっついて、ブラッキーはゴツゴツとした足場の悪い地面を進んでいく。距離にして十メートルあまりといったところか。それほど深い洞窟ではなかった。程なくして行き止まりに突き当たったベロリンガは回れ右をする。
「お疲れさま! オイラの家にようこそ! いま火を起こすから少しだけ待っていて!」
 言うが早いか、壁際に山積みにしていた枯葉を一掴みして、居室の中央の石で囲っただけの炉の中に放り込むベロリンガ。すぐ近くに転がっていた火打石を鳴らして真っ赤に燃え上がらせ、乾いた小枝を次々にくべれば立派な焚き火の完成だった。満足そうに頷いて立ち上がった彼は、昼間のような明るさに包まれた洞窟の中でブラッキーに微笑みかける。
「お待たせ! ……ささ、座って、座って! 荷物も好きな場所に置いちゃって!」
「ありがとうございます! それでは!」
 焚き火の近くを両手で指差すベロリンガ。どうやら旅の途中らしい。大きな紺色のナップサックを背負ったブラッキーは指示されたとおりの場所に着座する。ナップサックを背中から降ろして傍らに置いた瞬間――
 カシャン!
 軽い金属がぶつかり合う音が響く。彼の不審の眼差しがナップサックに突き刺さる。
「あれ? 今の音はまさか……」
 紐を解いて中をガサゴソと漁り始めるブラッキー。発生源はすぐに分かったらしい。間もなくして彼の前足の動きがピタリと止まる。
「……やっぱり。こんな物を入れっぱなしにするなんて。うっかりしていたなぁ」
 小さく息を吐いた彼は、木の皮を丹念に織り込んで作られた蓋付きの小さな編みカゴを引っ張り出す。
「なんだい、それ?」
 好奇の眼差しを向けるベロリンガ。ブラッキーは決まりが悪そうな顔をする。
「あぁ、これですか? アウトドア用のティーセットですよ。これがあれば焚き火で湯を沸かしてお茶を楽しめるワケですが……バッグの整理が不十分だったらしく、必要もないのに持ってきてしまったのです」
 そこで彼は編みカゴの蓋を開ける。中に入っていたのは金属製の美しい茶器の数々だった。ベロリンガの顔に満面の笑みが浮かぶ。
「へぇ、良かったじゃない!」
「えっ、どうして?」
 キョトンとした顔をするブラッキー。ベロリンガは燃え盛る炎を指差す。
「今が使い時だからさ! 焚き火なら目の前にあるじゃない!」
「あ……」
 少し間があった後、ブラッキーは深く頷く。
「……なるほど。確かに」
「どう? せっかくだし使ったら? しばらく雨も止みそうにないことだし! オイラとお茶しよう! ……ね、いいでしょ!? お願い!」
 手を合わせてみせるベロリンガ。ブラッキーは再び首を縦に振る。
「えぇ、喜んで! ちょうど喉も渇いていたところでした! すぐに準備しますね!」
「やったぁ! ありがとう!」
 万歳して喜ぶベロリンガ。ブラッキーが茶器を床に並べ始めた矢先、彼は編みカゴの中を指差す。
「お湯はオイラが用意するよ。そのケトルを使ってもいいかな?」
「構いませんよ、どうぞ!」
 快く差し出すブラッキー。それをベロリンガは短い腕で受け取り、
「ありがとう!」
 一言お礼を述べ、部屋の隅に置いてある水瓶に水を汲みに行くのだった。蓋の代わりに乗せていた木の板を取り上げ、ケトルを水中にザブンと沈めて満杯まで水を汲み取るベロリンガ。元通りに木の板を戻して引き返していった彼は、焚き火の上にポンとケトルを置いて湯を沸かし始める。
「お待たせ! いっぱい入れてきたよ! たくさん飲めるようにね!」
「それはどうも! ありがとうございます!」
 一方のブラッキーも全ての茶器を床に並べ終えたところだった。思いもよらぬ光景にベロリンガは歓声を上げる。
「わぁ、凄い! ちゃんと二匹分あるじゃないか! 君ったら気が利くねぇ!?」
「ははっ、そういうワケではないのですよ」
「えっ? じゃあ、どういうワケだい?」
 恥ずかしそうに返すブラッキー。すぐ隣にドカリと腰を下ろしたベロリンガは怪訝な顔をする。
「これですが、実は……」
 ブラッキーはベロリンガのために用意したティーカップをソーサーごと持ち上げてみせる。
「妻のなんです。ですから今日のことは内緒にしてくださいね。他の誰かに使わせたのがバレたら怒られますので!」
 前足を口に当てながら苦笑するブラッキー。ベロリンガはポンと手を打つ。
「なるほど、そういうワケかぁ! 大丈夫、安心して! こう見えて口は堅い方だから! ……って、うん? ちょっと待って?」
 とある疑問を抱いた彼は視線を宙に泳がせる。
「なんです?」
「いや、なんですって……」
 カップを置いてポカンとした顔を向けるブラッキー。腕組みをしたベロリンガは呆れた表情を隠さない。
「その奥さんを放置して君は何をしているのさ? それもこんな辺鄙な場所で? いったい君は何しに森に来たの?」
「あぁ、しまった……!」
 ハッと息を呑むブラッキー。ベロリンガは大きな丸い顔をグッと近づける。
「しまった? 何がしまったのさ?」
「えっと……それは、その……」
 問い詰められて尻込みするばかりのブラッキー。やがて彼は観念したように頭を下げる。
「なんて馬鹿な真似を。こんなことを喋るんじゃなかった……」
「こんなことっていうのは君の奥さんのこと?」
 ブラッキーは項垂れたまま頷く。
「その奥さんは今どうしているのさ?」
 矢継ぎ早に質問するベロリンガ。返ってきたのは沈黙だった。彼は不服そうな表情でブラッキーを睨む。
「教えてくれないなら出て行ってもらおうかな。オイラだって素性の分からない子を家に入れたくないし。……もう一度だけ質問するよ? 君の奥さんは今どうしているの?」
 そこまで言われては答えない訳にいかなかった。ブラッキーは重い口を開く。
「実は……昨日から消息を絶っているのです。この森のどこかで遭難してしまったのではないかと……」
「なっ、なんだって!? それは本当かい?」
 いきなり両肩を掴まれたブラッキーは戸惑った顔で頷く。
「よく黙っていられたね? そんなにも重大なこと。そういう話は最初にするものだよ?」
「はい、申し訳ありません……」
 険しい表情を浮かべてみせるベロリンガ。ブラッキーは素直に謝罪するのだった。
「なるほど、そういう事情だったのね。……で、今になるまで捜し回って見つからなかったんだ?」
 ベロリンガの言葉にブラッキーは力なく首を縦に振る。
「えぇ。今すぐにでも捜索を再開したいところですが……」
 ブラッキーは雨が降りしきる洞窟の外に視線を向ける。
「止めておいた方がいいよ。君まで遭難するのがオチだから」
「うぅ……」
 ベロリンガが焚き火に小枝を継ぎ足しながら言い放つと、ブラッキーは悔しそうな唸り声を上げるのだった。小枝に炎が燃え移るのを見届けた彼は、ブラッキーと同じ方を見る。
「うーん、この分だと夜明けまで降り続けるだろうね。……というワケで決まり。今晩はオイラの家に泊まっていくこと。焦ったって仕方ないよ」
「えっ、良いのですか!?」
 驚いた顔を向けるブラッキー。彼は笑顔で頷く。
「もちろん! ゆっくりしてお行き!」
「なっ、なんとお礼を申してよいやら! 今晩はお世話になります!」
 手と前足を取り合った二匹は固い握手を交わすのだった。
「あと、君の奥さんなら心配ないよ。明日にオイラが捜せば直に見つかるさ。この森について誰よりも詳しいオイラがね!」
 耳を疑う台詞だった。ブラッキーは目を丸くする。
「そっ、捜索まで手伝っていただけるのですか!?」
「当然! オイラに任せてよ!」
 ドンと胸を叩いてみせるベロリンガ。感極まったブラッキーは目を潤ませる。
「あっ、ありがとうございます! まさか地元の方に協力していただけるなんて! 明日はよろしくお願いします!」
「うん、オイラこそよろしく!」
 きっと生きている間に見つけ出して胃袋に収めるぞ! 大いに食欲を刺激されたベロリンガは、口の中をネバネバの唾液でいっぱいにするのだった。
 その前に、である。ゴクンと生唾を飲み下したベロリンガはブラッキーを凝視する。この丸々と太った美味そうな獲物を食べなくては。はてさて、どう料理したものか? そんなことを考え始めた矢先――
 ピィィィィィッ!
 けたたましい笛の音が洞窟中に響き渡る。ケトルの水が沸騰したのだった。湯気を吐き出し始めたケトルの注ぎ口に二匹の視線が集中する。
「……あ、沸いたみたい」
「そのようですね。さぁ、始めましょう!」
 宣言するなりケトルを焚き火から遠ざけたブラッキーは、編みカゴの中から茶筒を取り出して蓋を開け、それぞれのカップにセットした茶漉しに適量の茶葉を入れる。一方のベロリンガは無言で立ち上がり、再び水瓶の置いてある方へと歩いていく。
「何をなさっているのです?」
「うん? あぁ、お茶菓子を持ってこようと思ってね。お茶するなら甘い物がなくちゃ! ……ふんっ!」
 疑問の目を向けるブラッキー。腰を屈めながら答えた彼は、水瓶の近くに置かれてあった重そうな壺を両手で抱え上げ、慎重な足取りで焚き火の前まで運んでいき、
「……よいしょ、っと!」
 ドスンとブラッキーの傍らに置いて、元の席に腰を下ろす。蓋を開けて中に手を突っ込んだ彼は、壺の底から淡い黄色をした物体を掴み出す。
「はい、どうぞ! 味見してごらん!」
「あ、どうも」
 手渡されたのは干した木の実だった。しばし観察したブラッキーは思い出したように顔を上げる。
「これは何の木の実です?」
「これかい?」
 フフンと鼻で笑うベロリンガ。彼は自分が食べる分を壺の中から掴み出す。
「その答えは君の舌で確かめてごらん! あと……」
 何を思ったか掴み出した木の実を高々と放り上げるベロリンガ。それと同時に顔を上向け――
「ベロォォォォォン!」
「ひっ!?」
 ネバーッとした粘着質の唾液に塗れた大きな長い舌を口から伸ばし、投げた木の実を一つ残さず絡め取る。ショッキングな光景を目の当たりにしたブラッキーは思わず体を仰け反らせる。
 そんな彼の心中など知ってか知らずか、そのままロール状に舌を巻き取って口の中に仕舞ったベロリンガは、歯のない顎でモグモグと木の実を咀嚼し始めるのだった。彼の顔に幸せそうな笑みが浮かぶ。
「んーっ、とろけるぅぅぅぅぅっ! 毒なんて入っていないから安心してどうぞ!」
「えっ……ええ! 分かりました! それにしても長い舌をしていらっしゃるのですね! 話には聞いていましたが!」
 素直に驚きを口にするブラッキー。両手を腰に当てた彼は誇らしそうにする。
「まぁね! だってベロリンガだもの! その気になれば今の倍は伸ばせるんだから! ……なんて余計な話はさておき、食べて、食べて! 美味しいから!」
「あっ、はい!」
 勧められるがまま口の中に放り込んで奥歯で噛み潰すブラッキー。その途端――彼の口の中でフルーティーな香りが弾けて鼻を通り、濃厚な甘さが舌全体に広がる。
「どう、味は!?」
 自信満々に尋ねるベロリンガ。ブラッキーは涎を垂らしながら前足を伸ばす。
「最高です! もう一つ頂いても!?」
「どうぞ、どうぞ! 一つと言わずに好きなだけ食べて!」
「いいんですか!? ありがとうございます! それではお言葉に甘えて!」
 朝から何も食べていなかったので腹ペコだった。ブラッキーは礼を言うが早いか壺に両前足を突っ込み、ムシャムシャと貪り食い始める。
「あははっ! いい食べっぷりだねぇ!」
 愉快そうに笑うベロリンガ。食べ尽くす勢いで木の実を口に運び続けるブラッキーだったが――
「んっ……!」
 何かを思い出した彼はピタリと前足の動きを止める。お茶の存在を忘れてしまっていたのだった。口の中のものを飲み下した彼は慌ててケトルの取っ手を掴む。
「失礼、肝心なものがまだでした! ……さぁ、出来ましたよ!」
 茶漉しの上から熱湯を注げば、豊かな茶葉の香りが洞窟中を包み込んだ。二つのカップを琥珀色の液体で満たした彼はケトルを置き、茶漉しを取り外し、その片方をベロリンガに差し出す。ほぼ同時にソーサーからカップを持ち上げた二匹は――
「君との素敵な出会いに!」
「えぇ! それでは!」
 乾杯の音頭と共にカップを合わせ、琥珀色の液体を口に運ぶ。カップの三分の一ほどを舌の上に流し込み、よく味わって喉に通したベロリンガは思わず頬に手を当てる。
「おいしいぃぃぃぃぃっ! 絶妙なコクと旨味と渋味のバランスだ! それでいて口当たりが柔らかくてクセがない! ……驚いた! お茶で感動する日が来るなんて!」
 カップの水面を見つめながら声を弾ませるベロリンガ。味覚に優れた彼の舌に間違いはなかった。ブラッキーは会心の笑みを浮かべる。
「お目が高い! せっかくですので最高級の茶葉で入れさせてもらいました! ……ささ、遠慮なく飲んでください! 何杯でも作りますので!」
「うん! それじゃあ遠慮なく!」
 再びカップに口をつけるベロリンガ。数回に分けて飲み干した彼がソーサーにカップを戻すと、茶漉しとケトルを前足にスタンバイしていたブラッキーが二杯目を注ぎ入れる。
「お待たせしました、どうぞ!」
「ありがとう! いただくよ!」
 即座にカップを手に取って口に運んだ彼は――
 グイッ!
 カップを大きく傾けて熱々の液体を一気に呷る。ブラッキーは驚きのあまり飛び上がってしまう。
「なっ、何を!? 舌を火傷しますよ!?」
 警告されるも涼しい顔だった。彼は何事もなかったかのように口元を手の甲で拭い、
「あぁ、美味しい! 幸せ!」
 うっとりした表情で呟くのだった。
「あの、大丈夫でしたか?」
「うん! その証拠に……んべぇっ!」
「わっ!?」
 相手の目と鼻の先にダラリと舌を垂らすベロリンガ。ブラッキーはカップを落としそうになる。
「ほら、見てのとおり! どこも火傷してないでしょ!? ベトベトの唾液で覆われているから熱い飲み物が直に触れないのさ!」
「ほっ、本当だ! もう仕舞ってくれて構いませんよ? よく分かりましたので!」
「そう? 分かってくれて良かった! あははっ!」
 ブラッキーが声を大にして伝えるとベロリンガは素直に従うのだった。カップを啜って気を紛らわせた彼はケトルを顎でしゃくってみせる。
「もう一杯お作りしましょうか? それとも後になさいますか?」
 ベロリンガは即座にカップとソーサーを差し出す。
「ううん! いま飲みたい! お願いするよ!」
「ははっ、かしこまりました!」
 呆れ半分で受け取ったブラッキーは、先程と同じ要領で三杯目を入れてベロリンガに渡してやる。ゆっくり味わいながら飲んだ方が美味しいことに気付いたのだろうか。彼は打って変わって少量ずつ飲み始めるのだった。
 幸せそうな顔で舌鼓を打ち続けるベロリンガ。その様子を眺めていたブラッキーの表情がフッと緩む。
「お気に召していただけたようで何よりです。茶葉は差し上げますので思う存分に堪能してください!」
「えっ、いいの!?」
 キラキラと目を輝かせるベロリンガ。ブラッキーは大きく頷く。
「もちろん! 明日に捜索を手伝ってくれることへの感謝の気持ちです! お受け取りください!」
「やったぁ!」
 ベロリンガは万歳をしてみせるのだった。彼は真っ直ぐにブラッキーの目を見つめる。
「ありがとう! 明日は頑張るよ! というワケで教えてくれるかな?」
「えっ、何を?」
 キョトンとした顔をするブラッキー。彼は親指の爪を立ててみせる。
「君の奥さんに関する話さ。今の内に聞いておこうと思って!」
「あぁ、それなら」
 食べて大便にしたら何も情報を引き出せなくなるのである。そんな彼の心中など知る筈もないブラッキーは快く首を縦に振る。
「良いでしょう。何からお話すれば?」
「簡単なものから始めよう。君の奥さんの種族は? カビゴンとか?」
 滑り出しからボケをかまされたブラッキーは吹き出してしまう。
「ご冗談を。踏み潰されてしまいますよ。太っているという点では一致していますが!」
 それは美味しそうだ! ベロリンガは期待に胸を膨らませる。
「僕の妻は……」
「うんうん、君の奥さんは?」
 彼はカップの液体を啜りながら耳を澄ませる。
「たいようポケモンのエーフィなんです」
「ぶぅぅぅぅぅぅぅっ!?」
 昨日に食べた子じゃないか! ベロリンガは霧吹きの霧のように口の中の茶を吹いてしまう。
「どうしたんです!? 何か思い当たることでもあったんですか!?」
 これで動揺に気付かれない訳がなかった。血相を変えてベロリンガに掴みかかるブラッキー。たまらず視線を逸らしたベロリンガの全身からドッと冷や汗が噴き出す。
 何としてでも切り抜けなければならなかった。彼はさも驚いた風を装う。
「そっ、その子ならオイラ見たよ! 森の中を一匹で歩いているのを!」
「いつ!?」
 次の質問が飛んでくるまでコンマ一秒もかからなかった。ベロリンガの心臓が早鐘を打ち始める。
「きっ、昨日の昼過ぎ……」
「どこで!?」
 大便になった妻がギッシリと詰まった大きな腹に体を密着させながら迫るブラッキー。鬼気迫る表情に彼は上体を仰け反らせる。
「こっ、この近くの獣道で……」
「その子の特徴は!? なるべく細かく教えてください!」
 至近距離で尋ねられた彼は事細かにエーフィの特徴を伝えるのだった。やがて確信に至ったブラッキーの顔に深刻な表情が浮かぶ。
「つ、妻だ……間違いない。やはり森の中で消息を絶ってしまっている。あぁっ、どうしてこんなことに……」
 肩を震わせて涙ぐむブラッキー。ベロリンガは活を入れるかのようにブラッキーの背中を引っ叩く。
「しっかり! 悪い話ばかりじゃないよ! これで捜索範囲が大きく絞り込めたじゃないか!」
 彼の言葉にブラッキーはハッと我に返る。
「そっ、そうだ! あなたが最後に目撃した地点から僕の家までの間を捜せばいいのか!」
 二匹は互いに頷き合う。
「そうだよ! そこを手分けして探そう!」
「えぇ、そうしましょう! それなら何とか一日で捜し尽くせる筈です!」
 ベロリンガは大笑いする。
「あははっ、やったね! もう見つけたようなものじゃないか! というワケで今日は早く寝て明日に備えよう! この一杯を飲み終えたら休ませてもらうよ!」
 カップを手に取るベロリンガ。ベロリンガの体から離れたブラッキーもカップを持ち上げる。
「はい! 僕もそうさせてもらいます!」
 あぁ、助かった! 危ないところだった! ブラッキーに背を向け、そして心の中で呟きながら長い舌で額の汗を拭うベロリンガ。カップに口をつけた彼は、緊張の連続で渇き切った喉を琥珀色の液体で潤すのだった。
 会話が終わって洞窟は雷雨の音と焚き火の音が響くだけとなった。その中で獲物を横目に観察しながらカップの液体を啜るベロリンガ。しばらくして彼はブラッキーの下半身が小刻みに震えていることに気が付く。
「うん? 寒そうだけど大丈夫かい? もう少し焚き火を大きくしようか?」
 豪雨の影響だろう。気温が下がってきていることには彼も気付いていた。飲みかけのカップをソーサーに戻した彼は炎を指差しながら質問する。
「あっ、いえ! 大丈夫です! お気遣いなく!」
 そうは見えなかった。彼は疑いの目を向ける。
「じゃあ何で震えているのさ? もしかしてオシッコしたいの?」
「あの、その、えぇっと、それはですね……」
 あたふたし始めるブラッキー。やがてピタリと体の動きが止まったかと思った次の瞬間――
 ブウゥゥゥゥッッ!
 茶色いガスがブラッキーの尻穴から噴射される。鼻の穴に親指の爪を突っ込んだベロリンガは失笑する。
「あははっ、くっさぁ! なるほど、分かったぞ! ウンチしたいんだ!?」
 そのとおりだった。顔を真っ赤に染めたブラッキーは上目遣いでベロリンガを見る。
「そっ、それでなんですが……お手洗いとかありませんよね?」
「いや、あるよ! ちょっと待っていて!」
 意外すぎる返事をして立ち上がるベロリンガ。そんな彼が部屋の隅から運んできたのは――ブリキ製の使い古された蓋付きバケツだった。それを真正面にポンと置かれたブラッキーは目を点にする。
「この中に済ませてきて! ひっくり返さないよう気を付けてね!」
「ごめんなさい。やっぱり外で済ませてきます!」
 即座に断って背中を向けるブラッキー。洞窟の出口に向かって一目散に駆け出そうとした途端――
 バリバリッ、ズガァァァァァンッ!
 まるで申し合わせたかのように出口から数メートルの地点に雷が落ちる。思わず足を竦ませるブラッキー。背後からベロリンガの不満そうな声が聞こえてくる。
「ふぅん? まぁ好きにしたら? オイラは君の判断を尊重するよ」
「ごめんなさい。やっぱり使わせていただきます!」
 回れ右をして深々と頭を下げるブラッキー。ベロリンガの顔に笑顔が戻る。
「賢い選択だ! 持ってお行き!」
「はっ、はい……」
 バケツの取っ手を咥えたブラッキーは逃げるように通路の奥へと退散するのだった。
 便意は限界に達していた。そこにバケツを置いて蓋を外し、バケツに跨り、羞恥心に耐えながら腰を落とした彼は、
「クソッ、あの山椒魚め。覚えていろよ。んんっ……!」
 ぶつくさと悪態を吐きながら下腹部に力を込めるのだった。
24/08/11 07:15更新 / こまいぬ
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