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「ちっ……違う、家を出るときは本当にあったんだ! ぴったり8000万ゴールド、家中から掻き集めて……本当だ信じてくれ!」
煌びやかな装飾が施された応接室にて、男は唐草模様のカーペットに額を擦りつけていた。しかしその懇願も虚しく、彼の前にそびえ立つ青い竜は冷え切った目で彼を見下ろしている。
「そう言われても現状は変わりませんよ。ひ、ふ、み……どう数えても7999万9999ゴールドしかありません。1ゴールド足りませんよ」
「き、きっとどこかで落としたんだ……頼む、あと一時間だけ待ってくれ!」
竜は銀縁のメガネを短く突き出した角の辺りまで押しやり、愛想が尽きたような浅い溜め息をついた。一口に竜と言っても、彼の場合は炎を吹いたり「○○の神」と呼ばれたりするような大層な種ではない。しかしふっくらと丸みを帯びたお腹から下腹部を通して繋がっている長い尻尾は、男一人に恐怖を与えるには充分すぎるほどの存在感を放っていた。
「困りますねぇグラッドさん……いい加減に完済して頂かないと。現時点で元金3000万ゴールドの利息は2400万ゴールド。これに金融法に基づく12.5パーセントを加え、さらに当社独自の利息を適用したとなればもう……どんな優秀な弁護士でも手に負えませんよ」
「ぐ……っ」
反論しようのない現実が次々とグラッドの胸に突き刺さる。今ここで誰かが「エイプリルフール!」と宣言してくれればどれだけに楽になれることだろう。
しかしそんなことはありえない。すべては得体の知れないブラックな借金に頼ってまで賭博にのめり込んだ自分が悪いのだ。
「だ、だがちょっと待ってくれ」
「……何ですか。今さら滞納申請なんかされても困りますよ」
竜は業者特有の冷ややかな笑いを浮かべた。白いナイフのような牙が覗く。
「違う! お前が最後に言った『当社独自の利息』ってのが気に入らねえんだ。確かに契約したときは月に2割の複利って聞いたが……いくらなんでも暴利だ! 高すぎる!」
「はいはい……悪質滞納者は皆さん口を揃えてそうおっしゃいますよ。でもそんな暴利を望まれたのはグラッドさん、あなたじゃないですか」
竜は何処からともなく契約書を取り出して見せた。その右下にはグラッドの署名と拇印がはっきりと残されている。もはや言い逃れのしようもないれっきとした契約の証拠だった。
「い……今更そんなこと関係ねえよ。違法な金利を押し付けたサラ金会社として、今すぐ近くのサツに届け出てやる。きっと強力な麻酔銃を持ってきてくれるはずだからな」
「どうぞ御自由に。ただしその場合、手錠が掛けられるのはあなたも同じということはお忘れなく」
部屋を出て行こうとしたグラッドは途端に足を止めた。「お、脅す気か」と唇を震わせながら呟く。
「とんでもない、ちょっとした豆知識ですよ。数ヶ月前に金融法の一部が改正されて、悪徳業者に少しでも益をもたらした者は逮捕されるようになったんです。『悪質会社撲滅キャンペーン』の一環らしいですよ、どうも」
「少しでも益をもたらした者って……」
クスリ。竜は拳を口の前に持っていって笑った。
「ええ……1ゴールド足りないとはいえ、大部分は返済していただきましたからね。我が社に大変な利益を貢いでくださったのは確かです。感謝しますよ」
「そっ……それを返せぇぇぇッ!!!!」
何とも皮肉な光景だった。四本足で大金目がけて飛びかかる人間を、二本足の竜が床に押さえつける。グラッドは渾身の力で金にありつこうとしたが、対する竜はわずか腕一本でその悶える四肢を制してしまう。生物学的に越えられない筋力の差がそこにあった。
「泣かないでくださいよ。このカーペット特注品なんで高いんです。もし染みになったら追加でクリーニング代も請求しますよ」
「た、頼むからよぅ……1ゴールドぐらい勘弁してくれ……」
大の大人が鼻水を垂らして泣きじゃくる姿に、これまで数多の破産者を目にしてきた竜も流石に嫌悪感を覚えた。万が一ここで情に流されて力を緩めたりしたら、彼が再び金に喰らい付こうとするのは分かっている。それが悪質債務者の習性だ。
「ほら……立ってください。何はともあれ話そうじゃありませんか」
竜はグラッドと大金の積まれたデスクの間に陣取った後、彼の両脇の下に太い腕を入れ、脱力しきった身体を即座に立ち上がらせた。さらに位置的に二度とあんな奪取が出来ないと思わせるため、デスクから最も離れたソファに彼を誘導する。どちらも彼を大金に近づかせないための行動だが、もしかするとグラッドは内心「こいつ、優しいな」と勘違いしているのかもしれない。
竜はグラッドをソファに座らせると、三メートル以上の高低差から彼に哀愁漂う目を向けた。
「最近はちょいとばかし景気が上昇してきたせいか、我が社のような裏金融業者に頼る人がグッと減りましてね……景気が良くなることが悪いとは言いませんが、おかげで私も苦しい生活を強いられているんですよ。……あなたと同じくね」
竜は近くの本棚に手を伸ばすと、一冊の薄いノートを取り出した。タイトル欄には整った字で「家計簿」と書かれている。
「最新のページを見てください。施設維持費71000ゴールド、資金調達手数料57000ゴールド、光熱費10200ゴールド、水道費4500ゴールド……できる限りの節約をしてもこれだけの費用を要するんです。娯楽費なんてとんでもない」
びっしりと書き込まれた細かい数字の羅列に、グラッドは一瞬めまいがしそうになった。先月、今月の費用はもちろん、来月や来来月の予算までもがミリ単位で計画されている。
「金を扱う者が全員裕福だとでもお思いですか? 無論そういった人達も居ますがね、この業界のほとんどの者は、上下が激しい景気のせいで不安定な生活を送るしかないんですよ」
「そ、そんなこと言われても……俺は俺で苦しいんだし……」
「そうでしょうねぇ、娯楽費3000万ゴールドなんて並大抵の使い方じゃないですから、きっと存分に楽しまれたことでしょう。サイコロの振り心地はいかがでした?」
「う、うるさい! 家を出るときには確かに8000万ゴールドあったんだ! 別のサラ金会社から借りた7900万ゴールドと、残業して何とか作った100万ゴールド……これを用意するのにどれだけ俺が苦労したか、お前には分からないだろ!」
博打で大敗した事実を遠まわしに擦り付けられ、グラッドは頭を抱え込んでソファにうずくまった。必死に駄々をこねる不登校児のような醜態だ。
「まあ……互いの苦労話を言い合っても仕方ありません。あなたが残りの1ゴールドをどう工面するか、問題はそこです。こちらが出来る最大限の譲歩としては……他の何かで支払って頂いても構いませんよ」
「……え?」
「ほら、あなたも小説や物語で一度は見たことがあるでしょう。借金が限界まで膨らんでしまった負債者が、それを帳消しにするためにマグロ漁船に乗り込むような話ですよ。とはいえ、うちは漁船を持ってる訳じゃありませんからねぇ……」
数秒ほど考えに耽った後、竜はポンと手を打った。
「こういうのはどうでしょうか。腕一本」
「ひっ!」
グラッドは本能的な危機感を覚えたのか、ソファの上に立ち上がって逃げようとした。しかし竜の筋肉質な腕に首根っこを掴まれ、きゅうと唸って元のソファに押し倒される。
「ばっ、馬鹿を言うな! 腕なんか死んでもやるか!」
「ふふ……冗談ですよ。あなたの腕を貰っても一文にもなりません」
「きっ、貴様……何が言いたい」
「まあ落ち着いてひとつ聞いてください。マグロ漁船の乗組員が大金を稼げるのはもちろん、普通の人が行かないような危険な場所で仕事をするからですよね? そこでひとつ提案なのですが……」
「ボクに食べられてみません?」
予想外の一言に、グラッドは反論することもせず唖然とした表情で彼を見上げていた。竜の口元がニヤリとほころぶ。
「何、ちょっとしたアルバイト気分でやって頂いて結構ですよ。実は最近、どうも異物を間違えて呑んでしまったらしくて……三日ぐらい前からずっと腹痛が続いて困ってるんですよ。ですから……」
「俺にそれを取って来いと?」グラッドはおそるそる訊いた。
「はい」
「ふっ、ふざけるな!」
『腕一本』のジョークの時と同じく、グラッドは再びソファの横から逃走を図った。しかし今度ばかりは竜も本気らしく、彼の首を強引にねじり上げた後、一気に天井付近まで吊るし上げた。
「何か勘違いされていませんか?」
足を無様にバタつかせているグラッドに対し、竜は無表情に言った。いや、しかし笑顔が消えた訳ではない。懸命に酸素を求めるグラッドを見つめる瞳の奥には、明らかに加虐の笑みが咲いていた。
「あなたに選択権などないんですよ。金銭の返済に有効なのは金銭、もしくはそれ相応の『労働』しかないんです。私が8000万ゴールドの債権者である以上、負債者のあなたは地獄を潜り抜けてでもこれを返済する義務があるんです。この理屈わかりますよね?」
「っ、ガハッ……くふぇ……っ!」
「ふふ……ほら、早くOKしないと窒息死しちゃいますよ。もったいないですねぇ、あとたった1ゴールドなのに」
「アっ、アがったッ……アヴァりまひた……」
「そう、それでいいんです」
竜は不敵に微笑むと、顔を紫色にして呻くグラッドの喉笛を解放し、代わりにその手を彼の踝に持ち替えた。視界が一瞬にして反転した気持ち悪さから、グラッドは思わず口に手をやった。
「おや、失礼。しかし足から呑むのはどうも気が向きませんのでね……」
竜はY字を描いて揺れるグラッドの身体を持ち上げ、その頭を自分の口元へゆっくりと近付けた。人肉特有の良いとも悪いともつかない香りを前に、スッスッと鼻をすする。
「さあ……それではいってらっしゃい♡」
「ちょ、ちょっと待て! その異物とやらを回収した後はどうすれば……」
しかしグラッドの質問に答えが返ってくることはなかった。ギュプァ、という生々しい音とともに竜の口が開き、唾液の滴る舌に首から上を包み込まれる。コンニャクやプリンとは違う、ぶよぶよ、ざらざらとした不気味な感触に彼は身震いした。
いや、感触が気持ち悪いだけならまだいい。グラッドを何より苦しめたのは大量の唾液と息が詰まるような閉塞感だった。酸素にありつこうとする度に口内に流れ込んでくるドロリとした唾液。その水のような透明度からは考えられないような粘り気がグラッドの顔面にまとわりつき、彼に息を吸うことを思いとどまらせる。
そんな「捜査員」の苦痛など気に掛ける様子もなく、竜は口から中途半端にはみ出した足をひたすら喉に押し込んでいく。唾液の洗礼を受けた彼の頭はとうとう食道の入り口へと差し掛かり、やがてズプッ、とその厚い門を通り抜けた。
「ぐぶっ……ハァッ……は、早くッ……!!」
こんな生き地獄のような空間とっとと抜けてしまいたい。そんなグラッドの願いを聞き入れたかのように、食道に入るやいなや体内を進むスピードは格段に上がった。しかし、
「んぶぅ……くっ……んぅんんんッ!!」
食道内部の環境は壮絶としか言いようがなかった。ただでさえ口内より窮屈な上に、激しい蠕動によって全身が否応なく揉みほぐされる。そんな高温高圧に耐えること数十秒、グラッドの頭はようやくまともに息を吸える空間へと届いた。
「ぐぅぁ……むっ、ぅぅ……」
巨大なリングに圧搾されるかのような感覚を経た後、グラッドは頭が行き止まりに達したのを感じた。胎児のような体勢のまま動けないため窮屈なのは間違いないが、微かに呼吸が許されるぶん食道よりはマシに思える。
「畜生、こんなところ……何で俺が……」
竜の胃袋、そうに違いないとグラッドは確信した。上下ともに肉の栓で密閉された空間には酸っぱい臭いが立ち込め、さらに、指で押すと沈む肉壁からは黄色みを帯びた液体が染み出している。間違いなく胃壁だ。
「そ、そうだ、異物を探さないと……」
自分に与えられた任務を思い出すと同時に、グラッドはあまり時間がないことを悟った。まだ痛いとまではいかないが、既に胃液に浸かっている尻がむずむずし始めている。きっと十分も経たないうちに本格的な消化が始まるだろう。
「……あっ」
首が動く範囲で異物を探すこと数分、とある場所がグラッドの目に留まった。ついさっき、大きな白い塊が胃壁の奥に埋もれていくのが見えたのだ。
(逃がしてたまるかよ……っ)
グラッドはタイムリミットが近いのを意識しながら、自らその部分の谷間に腕を突っ込んだ。胃壁が腕全体をむにむにと締めつけてくるが、舌や食道の壁より数段柔らかいため、むしろ血圧でも測っているかのようで心地いい。
グラッドはとりあえず手近な辺りをまさぐってみた。
(……ない)
見間違いだったのか、それとも奥に沈んでいってしまったのか。後者の可能性を信じ、彼は頬が胃壁に触れるほど深く腕を押し込んだ。
(どれだけ厚いんだ、こいつの腹の肉は)
その時、ちょうど指先が硬いものに触れる感触があった。かなり粘液にまみれているようだが、まず先程の塊とみて間違いない。
指をひっかける絶妙な穴らしきものもあったため、グラッドはそこに中指と薬指を入れ、一気に胃壁の底から引き出した。
ズボッ。
「ひッ……うわああああああああッ!!!!」
人間の頭蓋骨だった。周りの肉の部分は既に溶けきり、見事に骨だけと化している。
グラッドは恐怖と気持ち悪さのあまり胃壁の谷間をこじ開けると、再びその中に頭蓋骨を押し戻した。二度とその白い顔を見ることがないよう天に祈りながら、自らの背中で谷間に蓋をする。
何ということだろう。グラッドが取っ手代わりに指を突っ込んだ2つの穴は、紛れもなく頭蓋骨の目だったのだ。
「お……おい、一回吐き出してくれ! とんでもない物が転がってやがる!」
もはや異物で済む話ではない。そのことしか頭にないグラッドは、喉が裂けんばかりの大声で竜に訴えかけた。
しかし、返事はない。
「聞こえないのか!」
怒号のようなボリュームで再度声を張り上げる。
しかし、返事はない。
「たっ、大変なんだ!!! お前の腹の中に人骨が……」
その台詞を叫んだ瞬間、考えたくもないようなビジョンが彼の頭に浮かんだ。竜の腹に頭蓋骨が眠っていることが何を意味しているか、その答えが一瞬だけグラッドの脳裏に走る。
まさか……。
「いい加減にしろ! 聞こえてんだろうが!」
ついに堪忍袋の緒が切れたグラッドは、脚に残る力を振り絞って胃壁に深い蹴りを入れたが、反応は胃袋全体がぷゆんと弛んだだけだった。
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「ふふ、そろそろ見つけてくれましたかね」
竜は唐草模様の豪勢なカーペットの上に仁王立ちになり、ぷっくりと膨らんだ白い腹をさすっていた。その内部からはくぐもった罵声が不定期に飛んできたり、棒で突いたような衝撃が走ったりしているが、竜がさしてそれを気に留める気配はない。むしろ自分の意思とは無関係に動くそれを楽しんでいるようだ。
「あっ、そうそう……忘れるところでした」
竜は腹をちゃぷちゃぷと揺らしながら本棚に近寄ると、先ほどグラッドに見せた家計簿ノートを取り出した。その中から今月のページを開き、「食費」の項目の上にスッと直線を入れる。
「これでよし、っと」
ところがノートを閉じて本棚に戻した直後、彼のお腹を内側から叩いていた力が急に強くなった。とはいえ竜にしてみれば1が2に増えた程度にしか感じられないため、相変わらず危機感を覚えるにはほど遠い。しかしどこぞ誰かの「怒り」がたった今、「救難信号」に変わったということだけは彼も理解した。
「ふふ……今月も節約できてしまいましたね」
踵を返し、竜は目をるんるんと輝かせながら部屋を出た。
13/06/08 22:18更新 / ロンギヌス