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連載小説
[TOP][目次]
もう何里、駆け巡ったのか。
日はすでに傾き始め、広大な大地を朱色に染め上げる。
その中でも私の影はくっきりと朱の大地に貼付けられている。
影の声は絶える事を知らず。
姿はないと言うのにも関わらず、声が執拗に付き纏う。
時折木影、物陰等から影がこちらを睨みつける事もある。
その度に身を震わせ、逃走しようと足をより速める。
一度目を切ると、再度逢わせた際にはそこに影はもういないー
「っ!?」
「捕まえたぞ……ふふっ」
足首が冷たい何かに捕まれ、それを原因として転倒してしまう。
掴む何かは、漆黒で血液の流れすら感じられない、無機質の様な物体だった。
首を半ば捻る様にして、背面を窺う。
そこには、足を掴む手のようなものと影の声。
私の影から手が現れ、影の頭部がぬっと現れた。
「このまま、余の体内に取り込んでやろう……」
そのまま足を掴む手が私を影内に引きずり込もうとする。
その力は強力そのもので、私に抵抗はできなさそうであった。
それでも、掴まれているのは右足のみで左足は自由が利いた。
足を掴む影の前肢を力一杯に蹴り込む。
ところが、手応えはない。
寧ろ、前肢を自分の足が貫通していた。
まるで一方的にしか触れる事が出来るかの様に。
そして気付く。こちらからの干渉が意味を持たない事に。
「言っただろう。余は影。余はお前に接触できても、お前には無理だ」
私の無意味な抵抗など意にも介さず、私は私自身の影に
影の体内に引き込まれていく。
ただ暴れても影には痛手でもない。獲物がぎゃあぎゃあ呻いているに等しいのだ。
大地に掴むものもなく、乱暴的に引き摺られる様に体内に引き込まれてしまう。
足先、足首、脛、腿、腰……ゆっくり、ぬぷぬぷと影に波紋を広げながら呑み込まれていた。
「は、離して!」
最早ここまでか。
そう悟って張り上げた言葉。
何を思ったか、影の取り込みが唐突に無くなり、私は弾き出された。
「離して、と言ったから、離しただけだ」
今の私は馬鹿だと言える程、影に手玉にされていた。
しかし、現状そんな事を言える程に余裕はない。
折角の逃走を続ける好機、私は立ち上がり……立ち上がれなかった。
「もう、詰まらん。取り込んだ際に神経だけ喰わせてもらった」
「んっ……ああっ!」
影に言い放たれた様に、いくら努めても下半身が動く気配は感じられなかった。
すでに神経だけを喰われてしまった為だろう。
”まだ、諦めない”
そう、一瞬だけ脳裏を掠めた言葉。
そして現実を見てしまう。
両親の居ない世界。
故郷も親しい友人も居ない。
すべて、この妖狐に喰われた世界。
その世界にたった私だけが独り生き延びた先に何がある?
何を求め、何を探し、何を与えれば良い。
何もない。何もない。何もない。
無い、無い、無い、無い、無い、無い、無い、無い、無い、無い。
何一つ無いに決まっている。
「いつかは気付くと思ったのだがな。余はずっとお前の足下に居た事に。それすら気付かないとは……とんだ阿呆のようだなお前は」
やはり、そういうことだったのか。
薄々、何処かでその可能性を拭い切れてはいなかった。
離れる事の無い影の声。
影に現れる影。再度視線を合わせた際の消失。
辻褄がようやく合った。
捕食者に捕らえられた最悪の後に。
「そのような阿呆は余の糧になる事が有効価値だ」
ぐあっ、と影の口腔が展開された。
未だに数刻前の獲物の血液が混じり合った、どろどろの唾液に潤された寒々しい蒼の口腔。
肉厚で圧倒的な存在感を示す、その舌。
展開された際に、飛び散る唾液が私に降り掛かる。
「!?」
粘っこく私の体を這いずり回り、血の粘液に塗り上げられていく。
ばくり……
上半身から柔らかい獣舌に沈みながら、口腔内に収められ
暗黒の世界に閉じ込められる。
にちゃにちゃとそれぞれの肉壁と舌、私と舌で唾液が擦れあい、生々しいリアルな水音を奏で始めた。
舌上に広がる無数の味蕾によるザラザラの感触が私を責め始めた。
逃走による疲労はかなりの重度であり、下半身を前もって補食された事もあり
私は大人しく、味わわれていた。
巧みな舌遣いによって何度も舐め転がされ、唾液を絡められ
それらの粘液で味を溶かされ、影の舌を悦ばせていた。
そうして舐め転がされる事数十分。
唐突に、舌が蠢き牙の隙間に落とされた。
そのまま牙の檻が上下に開門し、色鮮やかな夕暮れの光を口腔に引き込んだ。
蒼の口腔に朱が飛び込み、毒々しい紫で口腔は塗り染められていた。
「がぅっ!?」
一瞬にして、再度暗闇に放り出された。
それに加え腹部に鈍い衝撃。
影にとっては肉ごたえを味わう為の甘噛みだろうが、その巨躯である口腔に
生える鋭牙の質量はそれ相応のもの。
人の身である私にとって、それはかなりのものになる。
鋭牙は皮膚を喰い破らない程度に、深く食い込み肉の感触を影に伝えていた。
しかし、私には腹部を鈍器で殴打されるようなものだった。
ガブガブ……グニグニ……アグッ……
上下の牙で挟み込むような甘噛みに挟んだまま横に摺られるような甘噛み。
甘噛みも舐め回しの様に数十分にも及んだ。
「中々、上質だったぞ」
とん、と舌の上に戻されるのと同時にそこで跳ねて奥に誘われる。
再度跳ね、私は喉に足から突っ込まれてしまう。
これまた柔らかい喉肉に腿までが一度に包み込まれ、揉み込まれる。
そのまま喉肉は揉み潰しながら下方向へと、獲物を送り込む蠕動を始めた。
私の体は唾液に絡められており、摩擦も無く素直にそれに引き込まれていく。
「すぐ溶かしてやる」
ごくん。
私が最期に見たもの。
悲しい程に紅く灼けた夕日だったー
12/04/16 22:02更新 / セイル
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