2
「えっ? 何で?」
突然の一言に、僕の頭はついていけなかった。
バクフーンのお腹に入る? 冗談だろう?
「急げ、時間はあまりないんだ。俺が獲物を探している間に、お前が代わりに中に入っててくれ」
「ちょっ……さすがにそれは――」
「バクフーンが死んでもいいなら別に構わないが」
選択の余地はないらしい。
僕はバンギラスに言われるまま、ゆっくりとためらいながらもバクフーンの口の中に足を入れた。
表面は冷たかったのに、中は意外とまだ暖かい――というか生暖かい――。
「いいか? なるべく数時間で帰ってくる。こいつはまだ生きてるし、腹が空いてるから、おそらく躊躇なくお前を消化し始めるだろう。なんとかそれに耐えてくれ」
僕はごくりと唾を飲み込んだ。
大丈夫。バクフーンだって、今必死に耐えているんだ。僕も頑張らないと。
そう自分に言い聞かせ、僕は完全にバクフーンの口の中に入り込んだ。
バンギラスに入り口を閉められると、その場所は蒸し暑く、真っ暗になった。
「俺が胃袋までお前を押すからな」
そう聞こえた瞬間、僕は外側からバンギラスに押されて、バクフーンの体の奥へと進み始めた。
途中、堅い牙が体をかすめて皮膚が割けたが、歯を食いしばってその痛みに耐えた。
口内を進むと、その先は柔らかな食道だった。
むにゅむにゅと周りの肉が僕を包み込む。
その肉越しに、バクフーンの鼓動が聞こえた。
トクン……トクンと弱々しいが、規則正しく脈打っている。
細長い空間を抜けると、少しは余裕のある空間に出た。
どうやらここが胃袋ようだ。
「いいか! そこがやつの胃だ。もう少ししたら胃液溢れてくるだろう。お前はなんとかそれに耐えてくれ!」
くぐもったバンギラスの声が聞こえた。
返事の代わりに、僕は肉壁を押して合図する。
バンギラスはその後、どこかへ行ってしまった。
それから、急に静かになった。
僕の鼓動と、バクフーンの鼓動がやけにうるさく感じる。
(気づけなくてごめん、バクフーン)
寝返りをうった途端、僕の周りの肉が急に迫ってきた。
一瞬で僕は柔らかな肉壁に包まれてしまう。
「うぐっ! バク……フーン」
肉壁に鼻を押され、上手く息ができない。
僕はそれを指で押し広げてなんとか呼吸をしている感じだった。
しばらくすると、なにかさっきまでの体液とは違う何かが、この胃の中に流れ込んできた。
それが皮膚についた瞬間、肉が焼かれるような痛みが襲いかかってきた。
「う、ぎゃっ! キャン!」
それが胃液だと気づくのに時間はかからなかった。
あまりの痛さに、体をのけ反らせる、それでも胃袋に押さえ込まれ、身動きがとれない。
そうこうしている間に、胃液はどんどん溜まっていく。
ほんの数時間で、僕は胃液に漬け込まれていた。
ジュウジュウと嫌な音を鳴らしながら、僕の体は赤く腫れ上がっていく。
ついには手先がとろりと溶けだしてきた。
痛くて叫ぶにも、口元も焼けて、声が出ない。
(バクフーン! やめて! 痛い!)
止まらない痛みが、僕の思考を狂わせる。
他のことなど考えられない。
痛い! 痛い! 痛い!
意識が朦朧としてきた。
何時間経っただろう。いや、まだ何分しかたってないのかもしれない。
痛みもあまり感じなくなってきてしまった。
(僕……このまま……)
身体中の力が抜けていく。
そのまま流れるように、僕は気を失った。
最後に見えたのは、バクフーンの優しい、あの笑顔だった。
「…………ぃ……ぉ……い……おい! しっかりしろ!」
その言葉を聞いたとたん、僕は再び激しい痛みに襲われた。
「あ゛ああああっ!」
「おちつけ! 大丈夫。大丈夫だ」
そう言われても、痛みは変わらない。
僕はその場でのたうち回った。
しばらく叫んだが、なんとか落ち着いてきた。そこで初めて、バンギラスが目の前にいることに気がついた。
「う……うぅ……」
ゆっくりと体を起こす僕に、バンギラスは優しく手を貸してくれた。
「お前はよく頑張ったよ。なんとかバクフーンは一命をとりとめたんだ」
まだ視界はぼやけているけど、それでも見覚えのあるバクフーンの体が見えた。
安心した。でも、何かがおかしい、体の調子が悪いような。
「で、その、残念だが……。お前のその右腕、もう治りそうにないんだ」
そい言われてはっとした。
僕の手首からその先がない。感覚が無いのだ。
「すまない、オレがもう少し早く着いていれば」
「ううん、大丈夫。気にしないで。君は悪くない」
不思議と怖くなかった。
今はとにかく、バクフーンが助かっただけでも奇跡だったんだ。
あのままここに放置されてたらきっと……。
「ありがとう。本当に……」
「いや、大したことしてないぞ? オレは」
「そんなことない、親友の命を救ってくれたんだもん。約束通り、なんでもいうこと聞くよ?」
正直、「お前を喰いたい」という要望でもいいと思った。
また、あの地獄を味わいたくはないけど、バンギラスには逆らえない借りができてしまったのだから。
「じゃあ、オレ……」
だからバンギラスが次に言った言葉が信じられなかった。
「オレ……お前らと一緒に暮らしてもいいか?」
「…………え?」
頭の中が真っ白になる。
一緒に、暮らす? まさか……。
「べっ、別にお前のことを気に入った訳じゃない。そうすれば、いつでもお前を喰えるからだ!」
顔を真っ赤にして言う姿は、なんとなく可愛らしかった。
こんなことをバンギラスに言ったら、多分そうとういじめられるかもしれないけど……。
「あ、あぁ……そうだね……分かった、一緒に暮らそうか」
そう言った瞬間、バンギラスの顔がパっと明るくなった。
その後、バクフーンも目を覚ました。
その時は嬉しさのあまり泣きながら抱きついてしまった。
そんな僕を強く抱きしめて、「すまない、すまない」と何度も謝っていた。
彼曰く、意識はあったもののその欲に抵抗する事が出来なかったと言う。
「もう少し早く、俺が肉食だって言うべきだったな」
苦笑いを浮かべながら、バクフーンは僕の頭を撫でた。
「そうだぞ、まったく。めんどくさいことさせやがって」
「すまない、あんたにはホントに助けられた。何か礼を」
「いや、礼ならもうイーブイからもらったよ」
バンギラスはニヤリと笑う。
……少し、約束したことを後悔した。
バクフーンは震える僕をまたもぎゅっと抱きしめて、バンギラスを軽く睨んだ。
「言っとくけど、死ぬまでいたぶったら、その時はあんたを殺すからな?」
「あぁ、心配いらない。なにせ獲物が死ぬまでいたぶったら、その後の楽しみがなくなっちまうからな」
「お、お手柔らかに……」
僕は苦笑いしかできなかった。
あれから数年、僕らは三匹であの洞穴に住んでいる。
大抵、朝一番に起きるのは僕なんだけど、その日は珍しくバクフーンが起きていた。
彼は、あの滝の前に座ってぼぉっと朝日を見つめていた。
「おはよう、バクフーン」
かなり朝日に見とれていたのか、バクフーンはビックリしたかのように体をすくませた。
「あっ、おはようイーブイ」
「そんなに日が気になる?」
滝の水で顔を洗うと、その冷たさに体が震えた。
そろそろ冬が近いかもしれない。
「どんなことがあっても、日は必ず昇るんだよな……」
バクフーンは僕よりも体温が高い。
口元からふわりと白い息が出る。
「当たり前の事がこんなにも幸せなんだなって最近思うんだ」
「……なんか凄い大人な言い方だね」
クスクスと僕が笑うと、バクフーンは照れくさそうに頬を引っ掻いた。
「イーブイ……。その、すまなかったな、あの時は」
「もう、またその話? 気にしなくていいって僕は何回言わないといけないのかな」
僕は右腕をさすりながらそう答えた。
今では、片方だけ短いこの腕にも慣れて、生活に何の支障もない。
それでもバクフーンは今でもそれを気にしている。
本当にお人好しなんだから。
しばらく二人で話をしていて、ふと視線を感じた。
ちらりと洞穴の方を見ると、バンギラスが恨めしそうにこちらを見ていた。
ここ数年で、バンギラスは独占欲が強いことが分かった。
でも本人は認めたくないらしい。
(今日は覚悟した方が良さそう……)
そう思い、僕らは洞穴に戻った。
その後のことは、あまり思い出したくない。
滝の水が、朝日の光を受けて、キラキラと輝いていた。
突然の一言に、僕の頭はついていけなかった。
バクフーンのお腹に入る? 冗談だろう?
「急げ、時間はあまりないんだ。俺が獲物を探している間に、お前が代わりに中に入っててくれ」
「ちょっ……さすがにそれは――」
「バクフーンが死んでもいいなら別に構わないが」
選択の余地はないらしい。
僕はバンギラスに言われるまま、ゆっくりとためらいながらもバクフーンの口の中に足を入れた。
表面は冷たかったのに、中は意外とまだ暖かい――というか生暖かい――。
「いいか? なるべく数時間で帰ってくる。こいつはまだ生きてるし、腹が空いてるから、おそらく躊躇なくお前を消化し始めるだろう。なんとかそれに耐えてくれ」
僕はごくりと唾を飲み込んだ。
大丈夫。バクフーンだって、今必死に耐えているんだ。僕も頑張らないと。
そう自分に言い聞かせ、僕は完全にバクフーンの口の中に入り込んだ。
バンギラスに入り口を閉められると、その場所は蒸し暑く、真っ暗になった。
「俺が胃袋までお前を押すからな」
そう聞こえた瞬間、僕は外側からバンギラスに押されて、バクフーンの体の奥へと進み始めた。
途中、堅い牙が体をかすめて皮膚が割けたが、歯を食いしばってその痛みに耐えた。
口内を進むと、その先は柔らかな食道だった。
むにゅむにゅと周りの肉が僕を包み込む。
その肉越しに、バクフーンの鼓動が聞こえた。
トクン……トクンと弱々しいが、規則正しく脈打っている。
細長い空間を抜けると、少しは余裕のある空間に出た。
どうやらここが胃袋ようだ。
「いいか! そこがやつの胃だ。もう少ししたら胃液溢れてくるだろう。お前はなんとかそれに耐えてくれ!」
くぐもったバンギラスの声が聞こえた。
返事の代わりに、僕は肉壁を押して合図する。
バンギラスはその後、どこかへ行ってしまった。
それから、急に静かになった。
僕の鼓動と、バクフーンの鼓動がやけにうるさく感じる。
(気づけなくてごめん、バクフーン)
寝返りをうった途端、僕の周りの肉が急に迫ってきた。
一瞬で僕は柔らかな肉壁に包まれてしまう。
「うぐっ! バク……フーン」
肉壁に鼻を押され、上手く息ができない。
僕はそれを指で押し広げてなんとか呼吸をしている感じだった。
しばらくすると、なにかさっきまでの体液とは違う何かが、この胃の中に流れ込んできた。
それが皮膚についた瞬間、肉が焼かれるような痛みが襲いかかってきた。
「う、ぎゃっ! キャン!」
それが胃液だと気づくのに時間はかからなかった。
あまりの痛さに、体をのけ反らせる、それでも胃袋に押さえ込まれ、身動きがとれない。
そうこうしている間に、胃液はどんどん溜まっていく。
ほんの数時間で、僕は胃液に漬け込まれていた。
ジュウジュウと嫌な音を鳴らしながら、僕の体は赤く腫れ上がっていく。
ついには手先がとろりと溶けだしてきた。
痛くて叫ぶにも、口元も焼けて、声が出ない。
(バクフーン! やめて! 痛い!)
止まらない痛みが、僕の思考を狂わせる。
他のことなど考えられない。
痛い! 痛い! 痛い!
意識が朦朧としてきた。
何時間経っただろう。いや、まだ何分しかたってないのかもしれない。
痛みもあまり感じなくなってきてしまった。
(僕……このまま……)
身体中の力が抜けていく。
そのまま流れるように、僕は気を失った。
最後に見えたのは、バクフーンの優しい、あの笑顔だった。
「…………ぃ……ぉ……い……おい! しっかりしろ!」
その言葉を聞いたとたん、僕は再び激しい痛みに襲われた。
「あ゛ああああっ!」
「おちつけ! 大丈夫。大丈夫だ」
そう言われても、痛みは変わらない。
僕はその場でのたうち回った。
しばらく叫んだが、なんとか落ち着いてきた。そこで初めて、バンギラスが目の前にいることに気がついた。
「う……うぅ……」
ゆっくりと体を起こす僕に、バンギラスは優しく手を貸してくれた。
「お前はよく頑張ったよ。なんとかバクフーンは一命をとりとめたんだ」
まだ視界はぼやけているけど、それでも見覚えのあるバクフーンの体が見えた。
安心した。でも、何かがおかしい、体の調子が悪いような。
「で、その、残念だが……。お前のその右腕、もう治りそうにないんだ」
そい言われてはっとした。
僕の手首からその先がない。感覚が無いのだ。
「すまない、オレがもう少し早く着いていれば」
「ううん、大丈夫。気にしないで。君は悪くない」
不思議と怖くなかった。
今はとにかく、バクフーンが助かっただけでも奇跡だったんだ。
あのままここに放置されてたらきっと……。
「ありがとう。本当に……」
「いや、大したことしてないぞ? オレは」
「そんなことない、親友の命を救ってくれたんだもん。約束通り、なんでもいうこと聞くよ?」
正直、「お前を喰いたい」という要望でもいいと思った。
また、あの地獄を味わいたくはないけど、バンギラスには逆らえない借りができてしまったのだから。
「じゃあ、オレ……」
だからバンギラスが次に言った言葉が信じられなかった。
「オレ……お前らと一緒に暮らしてもいいか?」
「…………え?」
頭の中が真っ白になる。
一緒に、暮らす? まさか……。
「べっ、別にお前のことを気に入った訳じゃない。そうすれば、いつでもお前を喰えるからだ!」
顔を真っ赤にして言う姿は、なんとなく可愛らしかった。
こんなことをバンギラスに言ったら、多分そうとういじめられるかもしれないけど……。
「あ、あぁ……そうだね……分かった、一緒に暮らそうか」
そう言った瞬間、バンギラスの顔がパっと明るくなった。
その後、バクフーンも目を覚ました。
その時は嬉しさのあまり泣きながら抱きついてしまった。
そんな僕を強く抱きしめて、「すまない、すまない」と何度も謝っていた。
彼曰く、意識はあったもののその欲に抵抗する事が出来なかったと言う。
「もう少し早く、俺が肉食だって言うべきだったな」
苦笑いを浮かべながら、バクフーンは僕の頭を撫でた。
「そうだぞ、まったく。めんどくさいことさせやがって」
「すまない、あんたにはホントに助けられた。何か礼を」
「いや、礼ならもうイーブイからもらったよ」
バンギラスはニヤリと笑う。
……少し、約束したことを後悔した。
バクフーンは震える僕をまたもぎゅっと抱きしめて、バンギラスを軽く睨んだ。
「言っとくけど、死ぬまでいたぶったら、その時はあんたを殺すからな?」
「あぁ、心配いらない。なにせ獲物が死ぬまでいたぶったら、その後の楽しみがなくなっちまうからな」
「お、お手柔らかに……」
僕は苦笑いしかできなかった。
あれから数年、僕らは三匹であの洞穴に住んでいる。
大抵、朝一番に起きるのは僕なんだけど、その日は珍しくバクフーンが起きていた。
彼は、あの滝の前に座ってぼぉっと朝日を見つめていた。
「おはよう、バクフーン」
かなり朝日に見とれていたのか、バクフーンはビックリしたかのように体をすくませた。
「あっ、おはようイーブイ」
「そんなに日が気になる?」
滝の水で顔を洗うと、その冷たさに体が震えた。
そろそろ冬が近いかもしれない。
「どんなことがあっても、日は必ず昇るんだよな……」
バクフーンは僕よりも体温が高い。
口元からふわりと白い息が出る。
「当たり前の事がこんなにも幸せなんだなって最近思うんだ」
「……なんか凄い大人な言い方だね」
クスクスと僕が笑うと、バクフーンは照れくさそうに頬を引っ掻いた。
「イーブイ……。その、すまなかったな、あの時は」
「もう、またその話? 気にしなくていいって僕は何回言わないといけないのかな」
僕は右腕をさすりながらそう答えた。
今では、片方だけ短いこの腕にも慣れて、生活に何の支障もない。
それでもバクフーンは今でもそれを気にしている。
本当にお人好しなんだから。
しばらく二人で話をしていて、ふと視線を感じた。
ちらりと洞穴の方を見ると、バンギラスが恨めしそうにこちらを見ていた。
ここ数年で、バンギラスは独占欲が強いことが分かった。
でも本人は認めたくないらしい。
(今日は覚悟した方が良さそう……)
そう思い、僕らは洞穴に戻った。
その後のことは、あまり思い出したくない。
滝の水が、朝日の光を受けて、キラキラと輝いていた。
12/08/16 16:07更新 / ミカ