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沈まぬ太陽
自分を呼ぶ声に、銭形はうっすらと瞼を開けた。 よく聞き取れないが、間違うはずのない、奴の声だ。
…とっつぁーん!獲物は確かにいただいたぜぇー…
「…ルパン!」
叫んで身を起こそうとしたが、その瞬間、右腕に点滴針の鋭い痛みを感じて、銭形は顔をしかめた。
周囲を見まわせば、そこは常と変わりない、無機質な病室。 毎日清掃婦が2、3人やってきては、床に、壁に消毒液を吹きつけて行く。
俺は、こんな所で呑気にしている場合じゃない。 俺は、俺には、まだやらなきゃならん事がある―
痛みに軋む身体を起こして、銭形は点滴の針を引き抜いた。すると、ほどなくして看護士がやって来た。 「銭形さん、また針を抜きましたね?駄目ですよ、ちゃんと治療しないと、良くなりませんよ?」 看護士は笑顔でそう言うと、銭形の腕に針を突き刺しなおし、ベッドに横たわらせた。
何度も病室から抜け出そうとする銭形に困り果てた病院側は、点滴の針が抜かれるとすぐにナースステーションに分かるよう、発信機らしきものを取りつけたらしい。 まるで囚人だな… 銭形はそう思ったが、口には出さなかった。 苦虫を噛み潰した表情で銭形が看護士の処置が終わるのを待っていると、看護士が声をかけてきた。 「そうそう。今日はご面会の方がいらっしゃいますよ。」 「…面会?」 銭形は不審げに眉を顰めた。 日本警視庁でも、ICPOでも、一匹狼を貫き通した自分に、今更誰が面会に訪れると言うのか。 最初のうちこそ、古い部下や死線を共にした刑事たちの見舞いがあったが、今ではこの病室を訪れる者も稀だった。 「…誰だね、わしに会いに来ようという物好きは。」 銭形は自嘲気味に言った。 「シャーロックジュニアさま、とか」
…シャーロックJr!…奴か… 銭形は、久々に心が踊るのを感じた。
病院内に、午後1時の鐘が響き渡った。 1、2分もしないうちに、ドアが開いて、シャーロックJrが立っていた。
「…お久しぶりです、警部。」 ジュニアはそう言って、ベッド脇のパイプ椅子に腰を降ろした。 「…捜査は進んどるかね」 銭形は見舞いの品を受け取りながらジュニアに問うた。 「ええ、まあ…。しかし、父親譲りでしょうね。中々シッポを掴ませませんよ。」 ジュニアは苦笑した。
シャーロックジュニアが追いかけているのは、ルパンの息子―ルパン四世、通称「ルパン小僧」だ。 父親に良く似た食えない新参の怪盗は、最近世間を賑わせていた。 しかし、ジュニアは自分の話をしようとはせず、銭形の痛みの記憶を話し出した。
「…あれからもう、10年になるんですね。あなたが国際死刑執行機関と協力して、ルパン一味を爆死させた、あの日から…」 シャーロックジュニアは、遠い目をして午後の日差しが差し込む病室の窓を見た。 銭形も、窓の外に目を移した。 5月の陽光に若い緑が照らされて、眩しかった。
「…警部、ずっとお聞きしたかった事があります。」 ジュニアは、銭形に向き直ると、真剣な面持ちで言った。 「…なんだね、改まって…」 銭形はあきらめたように微笑んだ。問われる事は、もう分かっていたからだ。 「…あなたは、長年ルパン三世を’逮捕’して、法の裁きを受けさせる為に、彼を追い続けてきたはずです。それなのに、何故、国際死刑執行機関と協力して、ルパン一味を死刑に処したのですか?!」 銭形は、白い天井を見つめた。何の感慨も起こさせない、無機質な天井の色を。
「…あまりにも長く太陽がぎらつく昼を生きていると、無性に静かな夜が恋しくなる事はないか?」
銭形の言葉に、ジュニアは少なからずショックを受けた様だった。 「…あなたは、不屈の精神の持ち主だと、勝手に想像していましたから…まさか、そんな風に仰るとは、思いも寄りませんでした。」 ジュニアは、膝の上で拳を握り締めていた。 「…ルパンを追いつづける事に疲れた、だから、彼らを死刑にした、と仰るんですか」
銭形は上を向いたまま静かに言った。 「…あの頃、ルパン三世は世界中の警察のガンだった。いや、そんな事は奴が現れたときから変わっておらん。変わったのは、犯罪者を裁く司法や、犯罪者を取り締まる警察の方針だ。」 銭形がむせたのを見て、ジュニアは枕もとの水差しを手に取り、銭形に渡した。 一くち口に含むと、ざらついた息をはき出して、銭形は続けた。 「…ルパンは、余りにも長く犯罪界に君臨しすぎた。その為に、スケープゴートにされたんだよ。」 ジュニアが疑問の表情を浮かべると、銭形は当時のトップシークレットを話し出した。 「ICPOと、全世界の警察トップが集まって、ある会議が開かれた。増加しつづける犯罪の抑止力として、『国際死刑執行機関』を立ち上げよう、というものだ。この機関は、事前に各国の警察に計画書さえ提出すれば、幾らでも超法規的措置がとれる権限を持たされていた。」 「…実際、乱暴な話だ。機関の職員は世界に名だたる元殺し屋や諜報機関の暗殺部門出身者ばかり。そいつらに選定から計画からなにから任せて、重罪犯罪者をこの世から抹殺しちまおうって事だったのさ。機関の恐ろしさを知らしめるために、最初に選ばれたのがルパン一味だった。…なるほど、ハクをつけるのにこれ以上もってこいの犯罪者はいねえに違いない。」 咳きこみながら銭形は続けた。 「ICPO長官からその話を聞いたとき、もちろん俺は反対した。だが、幾ら長年ルパン逮捕に尽力してきたからと言って、一警部の言うことを上層部がまともに受け付けるはずがない。」 「…あの時ほど、出世に背を向けてきた事を悔やんだ事はなかったぜ?ジュニア。俺が何らかの役職についてりゃあ、あれほど簡単に俺の意見が一蹴されることはなかったかも知れねえからな。」 「…だから、あなたが先頭に立って協力したのですね?」 ジュニアの問いかけに、銭形はジュニアの顔を見て微笑んだ。 「君は中々人間心理を読み取るのに長けとるようだ。いいぞ、その調子だ。ルパンの名を持つ者を捕まえようというんなら、読心術にも優れていなきゃならん。」
いつのまにか、日差しが角度を変えて、窓辺に置かれた花瓶に影を作っていた。
「…そうさ。他の奴にアイツを殺されるくらいなら、俺の手で…。そう思って、俺は国際死刑執行機関と協力した。そして、タイムマシンのネタを作り上げ、ルパンたちをはめたのさ…」 「銭形警部…」
ジュニアは、銭形にかけるべき言葉を見つけられなかった。 自分が同じ立場に置かれたら。 ルパン四世を殺せといわれたら、自分にはそれができるだろうか―
「…警部、あなたを誤解してました。ルパンへの刑の執行は、あなたにしか出来ない。いや、他の誰でもない、あなたがするべきことだった。ルパン三世は、あなたが全人生をかけて追ってきた男なのだから…」 パタパタと、ジュニアの手元に涙が落ちた。
「…感傷に浸ってる暇はないぞ。シャーロックJr。」 銭形の厳しい声に、ジュニアは顔をあげた。 「過去10年の犯罪の記録を、君は熟知しているかね。」 銭形の言葉に、ジュニアは顔を赤らめて頭に手をやった。 「…大きな事件は把握しているつもりですが、警部ほどかと問われると…恐らく知らないことの方が多いと思います。」 「…はは、正直だな。じゃあ、直近の事件で、ベイルートで金塊が強奪された事件は、覚えとるかね?」 ああ、とジュニアは指を鳴らした。 「国立銀行から10万トンの金塊が一夜にして奪われた事件ですね。最新の警備システムが全く役に立たなかったので、現地警察もお手上げとか…」 「金塊が盗み出された詳細な経緯は知っているか?」 「…確か、まず最初に全ての警報装置を作動させている主電源が落とされて、それから5メートルの厚さがある金庫の扉が破られていた、と聞いていますが…」 銭形は口端を上げて不敵な笑みを洩らした。 「それだけ知っていれば十分だ。…考えてみたまえ、ジュニア。主電源のボタンを破壊したのは、ライフル銃のたった一発の弾丸だった。調査によれば、一キロ以上は先から撃ちこまれたものだ。銀行の半径一キロ以内には、警備員がごまんといて、警戒にあたっていたんだからな。」 次第に銭形の言いたいことが分かってきて、ジュニアは息を呑んだ。 「…それから、こじ開けられた金属の扉だが、あれは某国が開発した特殊金属でできていて、核爆弾でも吹っ飛ばせないんだ。それだけじゃねえ。事前に銀行内に潜入して下調べをしたと見られるのは女だった。栗色の髪にスタイル抜群の美女だったと誰もが口をそろえて証言してるが…そんな女は幾らでもいる。俺が目をつけたのは、ある女子職員の証言だ。」 「…どんな証言です?!」 ジュニアは勢い込んで尋ねた。 「…その女子職員は年季の入った香水マニアでな。長年パリに旅行していろんな香水を集めていたんだ。潜入調査をしていたとされる女が付けていた香水に、覚えがあったんだよ。シャネル製の香水で、何年も前にたった一人の女のために作られて、全世界でも数個しか売られなかった香水だ。女子職員は、あまりの値段の高さに手を出すことができなかったんだが…。店側に無理を言って、香りだけ嗅がせてもらった。確かにその香りがした、と証言している。」 「その香水を作らせた女とは、まさか…!!」 銭形は頷いた。 「一キロ先から直径数ミリの主電源ボタンを一発で破壊できる射撃の腕の持ち主が、たった10年で再び現れると思うか?核爆弾でも壊せない特殊金属を切れる物質が、世界に二つと存在するか?何より、やることのデカさ、派手さは、奴の手口そのままだ。奴の匂いがプンプンするぜ。」 銭形は最早、病人の体をしていなかった。 あの頃のまま― 志を挫かれ、病に倒れても、銭形はやはり、銭形だったのだ。
「警部。あなたは早く元気にならなくては。そして、現場に復帰されなければ。」 流れる熱い涙を拭おうともせずに、シャーロックJrは言った。 「…ありがとう…。」 共にルパンの名を持つ者を追う二人の刑事は、固い握手を交わした。
夕日が沈もうとしている。 シャーロックJrが席を辞した後も、銭形はルパンへの思いに捕らわれていた。
認めたかぁねえが、ルパン、やっぱりお前は大した野郎だよ―
そう、あの程度の爆発で、お前が死ぬわけがないんだよな。 何もかも知っていて、罠にかかるために、挑戦してきたお前だから― 挑戦に生きるお前だから。 太陽は、沈まない。 たとえ優しい夜が恋しくなっても、自分は死ぬまで、真昼の住人であり続けるだろう。
「…待ってろよ、ルパン…!」
銭形は燃える夕日に向かって、新たな闘いに思いを馳せた。
銭形警部が病を克服してICPOに復帰したのは、この2ヶ月後のことである。
〜Fin〜
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