■Your Sweet Song■



 Your Sweet Song 



カーニバルが引けた後の熱気が、まだ夜の空気をざわつかせている。

トリニダード・トバゴで休暇を過ごそうと言いだしたのはルパンで、カリプソやソカに囲まれて陽気に過ごす休日もたまにはいいか、と、次元も同意したのであった。



時刻は深夜3時。



しかし次元は、一向に眠れなかった。

いや、正確に言えば、眠れていないのは隣のルパンだったのだが。

とにかくベッドに入ってから小一時間輾転反側されているので、狭いベッドで並んで寝ているもう片方はたまったものではない。




「…眠れねえのか?」

さっきから何度も口にした問いを重ねる。

「…あ〜…」

まるで地獄の底からの苦悶のような声が返ってきた。




ルパンが眠れないのには、久しぶりにふたりきりの休暇だ、という事に興奮していた所為もあるかもしれない。

だが、それとは別に、祭りに悪ノリして強いラム酒を大量に飲んで、酒から来る頭痛に文字通り頭を悩まされている、というのもまた事実なのである。




はあ、と溜め息をつくと、次元はベッドから起きあがった。

「…何だ、何処行く?」

ルパンが目元に半ばクマを作りながらこちらを見ている。

「なんか冷たい飲み物でも作ってやるよ。酒じゃなくてな。大体ラムをあんなにガブ飲みするから、悪酔いしてこんな事になるんじゃねえか。そんな風になるんだったらキューバ・リブレでも飲んどけ。いい年なんだからしっかりしろよな。」

「…こんな時に、さらに頭をどやしつけるようなご意見ありがと…。次元ちゃん。」

そう言ったそばから頭が痛むのか、ルパンは「あちちち…」と言ってシーツに顔を埋めた。

次元は再び溜め息をついて、キッチンへ向かった。

製氷機から氷をグラスいっぱいに入れ、そこに良く冷えた無糖のソーダ水を注いだ。

ミネラルウォーターでも構わなかったのだが、炭酸が弾けるソーダ水のほうが、頭がすっきりするだろうと思ったのだ。

グラスを手にベッドルームに戻ると、ルパンは裸の上半身だけを起こして頬杖をつきながら、こちらを見ていた。




「…何だ、頭が痛いんだったら寝てろ。」

次元がそう言ってグラスを手渡すと、ルパンはそれを受け取って一口飲み下し、「うめぇ!」と言ってから、上目遣いに次元を見た。



「…なあ次元、何か子守唄歌ってくれよ。」

「はあ?!」


次元は目を丸くした。


「コレ飲んだら大分気分が良くなりそうなんだけっどもがよ、それでも目が冴えちゃって眠れそうにないから、何か歌って?」

「あのなあ…。」



次元は頭を抱えた。


IQ300の天才。華麗な盗みのテクニックを持ち、カサノヴァ顔負けの伊達男。

その世界一の怪盗が自分に見せるこのギャップは一体なんだ。

まるで5歳のガキの言うセリフだぜ…。




次元は再び踵を返すと、ソファーに深々と腰をおろして煙草を手に取った。


「…どったの?」

と、やはり目を丸くする怪盗に苦々しい顔を向けて、次元は煙草に火を点けながら言った。

「…俺も目が冴えた。一服する。」

あ、そ…と、ルパンは残念そうに呟くと、天井を向いてソーダ水をごくごくと飲み始めた。






しかし、ルパンは思い出していたのだ。

初めて次元の歌を聴いた時のことを。




…あれは、幾つの時だったろう。




何か面白くない事があって(それがなんだったかはもう忘れてしまった)、帝国のはずれの野原に行った時のことだ。

どこまでも広がる地平線を眺められるその草原が、ルパンは好きだった。

いつか、この隔離された島―帝国から飛び出して、世界をこの目で見る、それが、当時まだ修行中だったルパンの夢だった。

草原に連なる林を歩き、時折身を屈めて青々とした草を引き抜いたりしながら草原に近づくと、微かにギターの音色がした。

それに混じって、歌を口ずさむ声が聞こえる。

自分の特別な場所に先に誰かが来ている事に腹をたてたルパンは、ずかずかと乱暴な足取りで、木立が途切れて草原が見渡せる場所まで来た。

見ると、草の上に腰掛けた少年が、ギターを鳴らしながら心地良さげに目を閉じて歌を歌っていた。




ここに なんて幸せな空

果てしなく続く青 その青の向こうに

もう一つ色が重なっていく

もっと優しく囁いて もっとゆっくり歩いて 

甘い調べを奏でて

いつまでも愛し合おう

なんて幸せな空

果てしなく続く青に今 新しい色が加わって…




折りしも、空は昼と夕暮れが混ざり合う時だった。真っ青な空に、西の空から薄紅色の雲がかかって―



あの時次元が歌っていたのが英語だったかフランス語だったか、はたまた日本語だったか、正確には覚えていない。

だが、透明なボーイ・ソプラノに乗せられて流れてくるその歌詞とメロディーの美しさに、ルパンは思わず我を忘れた。


すると、次元がルパンに気づいた。

歌を聞かれていた事を決まり悪そうにして、次元はじっとこちらを見た。ルパンも次元を見つめ返した。




それが、ふたりの出会いだったのだ。








「…どうしたんだ、呆けた顔して。」

気がつくと、次元がベッドサイドに立っていた。

「べ〜つ〜に〜。もういいのか?」

何でもない風を装って、ルパンは次元のためにシーツを引き上げた。

次元は肩を竦めると、素直にその中に潜りこんだ。

するといきなり強く抱き締められ、深く口付けられた。

「…っ!んん…!」

しかしその口付けは、長くはなかった。

ルパンはすぐに唇を離すと、額を次元の軽く汗ばんだ額につけて、もう一度ねだった。

「…なあ、何でもいいからさ、歌ってくれよ。」

笑ってはいるが真剣なその瞳に、次元は思わず気圧された。

「チッ!…俺がなんか歌えば、おとなしく寝るんだな?!」

上ずった気持ちを悟られないように、意地をはって強い口調で言うと、ルパンは優しく微笑んだ。


「…ああ。」


次元は、しぶしぶ、といった表情で、あの時のように目を閉じて歌い出した。

次元の歌は、午睡に入る前の恋人を見つめる男の心情を歌った歌だった。

ルパンに向けて歌っているわけではないだろう。そんなに素直に感情を表に出す次元ではないことは、ルパンが一番良く知っている。




だが、ボーイ・ソプラノからバリトンに変わったその歌声は、ルパンの心を穏やかに満たした。



あれからずっと一緒だな、俺たち―



甘やかな思い出に浸りながら、ルパンはいつしか眠りに落ちた。

それを見とめた次元は、剥き出しのままのルパンの肩にそっとシーツをかけた。

そしてしばらくその安らかな寝顔を見つめ、音のない笑いを一つ洩らすと、次元もまた静かに目を閉じた。




遠くで、早朝を告げる教会の鐘が一つ、鳴った。




〜Fin〜

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