桜の森から



毎年花見の季節になると、五右ェ門は、必ずと言っていいほど日本にいる。

自らがサムライであり、また、日本の風土をこよなく愛する彼にとって、それはさほど不思議な行動ではなかった。



そしてまた、桜の季節がやってきた。

昨年はルパンたちとの仕事が重なって、海外で春を過ごす事を余儀なくされたが、今年は大きな出来事もなく、日本の地で落ち着いて花を愛でることが出来そうだった。




もしかしたら、ルパンなりに気を遣ったのやもしれぬ―




そんなことをする男ではないことは百も承知だが、そう考えると何故か可笑しくて、ひとり緑茶を口に運びながら、五右ェ門は微笑んだ。



開け放した障子からは、今を盛りの桜を見ることができる。この山深い五右ェ門の住居は、吉野などの名所に引けを取らない、素晴らしい桜の森に囲まれていた。

風が、散り敷いた花びらを巻き上げ、室内まで運んでくる。

爛々と咲き誇る花―

常日頃の喧騒がまるで夢のような、静かな―

しかし、その桜の森の静寂は、ざわざわと妖しい騒がしさに満ちていることもまた、確かだった。

いつだったか、次元がぼそりと言った一言を思い出す。


「桜ってぇのは、まるでこっちが見られてるようで、落ち着かねぇんだよ」


今ごろ次元は、ルパンとふたり、どこかでこの春を過ごしているのだろうか―

ちり、と、胸が痛んだのを打ち消す様に、五右ェ門は静かに頭を振った。

改めて居住まいを正して、彩りも美しい和菓子に手をつけようとしたとき、身の回りの世話を任せている老爺がやって来た。

音もなく五右ェ門の傍らに膝をつくと、何事か耳打ちする。

「何!?」

老爺の言葉に、五右ェ門は驚いて目を見張った。






舗装された道どころか、道らしい道のない山奥の日本家屋までどうやって辿りついたものか、珍客がやって来た。


「いよ〜う、五右ェ門〜!」
「久しぶりだなあ」


…ルパンと次元は、それぞれ手に一升瓶を抱えて交互にそれをラッパ飲みしながら、千鳥足で門の前に立っていた。


「…お主たち、ここまで歩いてきたのか…。いや、そんな事はどうでも良い。それより、何だ、昼間から大酒を食らいおって!!」


五右ェ門が一喝すると、ルパンと次元は互いに目をパチクリさせていたが、


「だって花見に来たんだも〜ん」
「そうだ!」


と言って、大笑いし始めた。


「…来てしまったものは仕方がない。とにかく上がれ。そんな様で門の前に立っていられては、こちらが居たたまれぬ。」


五右ェ門は諦めて、二人を家屋に案内した。




先ほどまで鎮座していた座敷に二人を案内すると、ルパンが、

「ほれ。」

と言って、下げてきたのであろう白磁の酒壷を差し出した。

そのかぐわしい香りに、五右ェ門ははっとした。
それは、十年に一度しか造られることのない、幻の銘酒だった。


「さすがに手ぶらじゃ悪いだろ〜、と思ってさ」

「む…」

ルパンと次元は、ニヤニヤしながらこちらを見ている。五右ェ門は、咳き払いを一つすると、手を打って老爺を呼んだ。

「酒席の準備を」

その言葉に、

「待ってました!!」
「よっ!!」

と、二人から歓声が上がった。






春の午後は、ゆっくりと、まどろむように過ぎて行く。

庭では、相変わらず、桜が騒々しい沈黙を守っている。

宴は、今やたけなわだった。


「でさあ、その時不二子がさあ」

「あの女の話はよせ。酒が不味くなる」

ルパンの艶聞譚に、次元が口を挟んだ。

「いいじゃねぇかよぉ。今日は無礼講なんだしさ〜」

「けっ!勝手にしろ」

次元はあからさまに不機嫌になった。

「まあ、良いではないか」

五右ェ門が笑いながらルパンに先を促した。

「いやね、ほんっとに、クチュールで着飾った不二子の綺麗だった事!まあ、なんだな、今日の桜も見事だけっどもがよ、あれこそ『立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花』ってなカンジだよな〜!」

「あぁ!?あれが百合の花なんておとなしいモンかよ。ありゃあ鬼アザミだぜ。」

次元の反駁に、一同は大笑いした。

「鬼アザミねえ〜。ま、時々お痛はするけっどもがよ、それはないんじゃないの〜?次元ちゃん。」

「不二子殿がここに居たら、大騒ぎであろうな」

五右ェ門は猪口の銘酒を干しながら微笑んだ。

すると、ルパンが

「んじゃ、それぞれの恋人を、花に形容してみましょ〜!!はい、まず次元ちゃん!」

と、言い出した。

次元は「はあ?!」と呆れ、五右ェ門は機嫌良く笑った。




実際、五右ェ門は気分が良かった。

やはり、気心の知れた者同士で飲む酒は美味い。庭に目を遣ると、桜は陽炎の中にほの白く滲んでいた。はらはらと散る花びらが美しい。五右ェ門はしばし、我を忘れた。

その時、眉間に皺を寄せて考え込んでいた次元が口を開いた。

「…俺には、今、恋人と言えるオンナがいねえ。パス。」

「…今、なーにを考えてたのかな〜?次元ちゃん」

ルパンが意地悪く笑って、次元の肩に擦り寄った。

「るせぇ!!」と言いながら、次元はルパンを突き飛ばした。

にししししし、とルパンは笑った。

「五右ェ門〜!」

ルパンに声をかけられた時も、五右ェ門は桜に心を奪われていた。

「拙者の想い人は…」

言葉が、我知らず口から零れ落ちた。


「…椿、やも知れぬ。夜の闇に映える鮮らかな花の色も、その潔さも…。桜が春の王者なら、椿は、その脇に寄り添う影…」


「ふーん。」


ルパンの声の冷ややかさに、五右ェ門は我に返った。

見れば、ルパンの顔は笑っていたが、目が笑っていない。それもそのはず、二人の前で、こんな風に正直に己の想いを話してしまった事は、今までなかったのだ。

「あ、いや…」

五右ェ門は慌てた。

五右ェ門が次元に想いを寄せている事は、聡いルパンの事、前々から気づいている様子だったが、次元がルパンの恋人である事をわきまえて、常に距離を保っているからこそ、ルパンは五右ェ門の想いを許しているのだ。それを、あからさまに口に出されて、良い気持ちのするはずがない。




気まずい沈黙を破ったのは、次元の思いもよらない一言だった。

「…なるほどなあ。確かに、お前の許婚は、そんな感じがするわなあ」

「?」と、ルパンと五右ェ門は目を丸くした。

その二人の様子に、次元は、至極当然という風情で言った。

「五右ェ門の想い人ってったら、あの子だろ?墨縄の…」

「…紫ちゃん?」

「そう。紫ちゃん。」

ルパンと五右ェ門は、しばらく二の句がつげなかった。

わっはっは、と、先に大笑いしたのはルパンだった。

「だな〜!違ぇねえ!」

バンバンと次元の背中を叩いて大笑いするのを、次元は、訳が分からないと言った様子で見ている。五右ェ門もなんとか笑ったが、身体から力が抜けてしまっていた。









その晩は、美しい月夜になった。

五右ェ門はひとり、桜の森に佇みながら、想いに耽っていた。

「よう。」

後ろで声がして、小石を踏む音と同時に、ルパンが五右ェ門と並んで立った。

「…次元は?」

「寝ちまった。爺さんに手伝ってもらって、布団に寝かしたよ。」

「そうか…」

一瞬、風が強く吹き付け、花びらを巻き上げた。

夜の闇に溶けた桜の花は、やはり妖しくざわめいていた。



「…鈍感も、あそこまで行くと犯罪だよなあ」

ジタンの香りが、甘く濃い花の香りに混ざる。

「ルパン…」

すまなかった、と言おうとしたが、ルパンはそれを制した。

「俺も寝るわ。じゃあな。」

後ろ手に手を振ると、ルパンは闇の中へ消えていった。






桜の森には、魔物が棲むと言う。






「魅入られたか…」

五右ェ門が呟くと、まるでその言葉に添うように、はらはらと花びらが纏わりついた。

五右ェ門は刀を抜いた。

刃先を上向けると、花びらはその線に沿って落ち、二枚に割れた。

「…修行がたりんな。」

刀を鞘に収めると、五右ェ門は白い眉月を仰いだ。

その月に、懐かしい少女の面輪が重なった。



「紫殿…」



今、同じ日本の地でこの月を見ているかも知れぬ許婚に、五右ェ門は想いを馳せた。

何を想うのであろう、その足下に、花びらは静かに散り敷いていった。




〜終わり〜




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