相棒
男の手元には、今、何枚もの写真がある。 埃臭い半地下の資料室― 今はほとんど、誰も使わない。 職場が電子化されてもう久しい。だが、昔幾度となく朝まで過ごしたこの部屋が、男は気に入っていた。
手元の写真の内容は様々だ。 一貫しているのは、その被写体だった。
男が気の遠くなるような年月をかけて追い続けてきた男。 ふと、男は考えてみる。 一体どれくらいの時間を、あの男を追うことにかけてきたのか、と。
一日は24時間、一時間は60分、一分は60秒。 節くれだった手で電卓を手繰り寄せ、キーを叩いてみる。
秋の日差しは柔らかかったが、円形窓の半分しか明り取りのないこの部屋では、弱々しい光りが男の座る机の脇にぼんやりとした弧を描くだけだ。 誰もいない無音の部屋の中に、時折り表を行過ぎていく通行人の足音が響く。 耳をすませば、微かではあるが街の喧騒も聞き取れたかもしれない。 だが男は今、自分の過ごしてきた歳月を数字にしてはじき出す事に熱中していた。
このところ奴らの足取りが掴めない。 今、この時も確実に奴らは次の計画に向かって動いているというのに―
最後のキーを勢いよく弾くと、男の人生が無機質なパネルの中に表示された。
12億6144万秒―
なんだ、こんなものか。 男は少々鼻白んだ。 もっともっと多くの数字が表示されると思っていた。それだけ長く奴を追ってきたと思っていた。 だが―
「…たった12億か。つまらん。」
男は手にしていた電卓を机の向こうに放った。 それは男の焦燥が一時的に形を変え、自分の人生を数字で表してみるという他愛のない現実逃避に向かった瞬間ではあったが、男にとっては十分に発奮材料だった。
「まだまだ…。お前との付き合いは長くなりそうだな。ええ?」
男は手元に散らばっている写真の中から一枚を取り出した。 そこには、男が追っている”奴”と、もう一人、その相棒が映し出されていた。
…スティーグリッツと、オキーフだな。
「…フリッツ…」
男の記憶の中に、鮮やかに思い出が甦った。
昔、ここであいつと話しこんだ事があった。あの頃フリッツは確か、盗難捜査班の主任に就いたばかりだった。 何故かウマが合って、仕事以外でもよく酒場に繰り出したりしたものだ。
「スティーグリッツと、オキーフだな。」 「ああん?」
その日フリッツの口から出た言葉に、銭形は全く訳が分からなかった。
「知らないのか。」 「名前くらいはな…。だが、何が”スティーグリッツとオキーフ”なんだ?」
その写真だよ、と、フリッツは笑いながら指差した。今、銭形が手にしている写真だ。
「お互いがお互いに出会う事によって、お互いがお互いに其処にいることによって其処にある…。こいつらを見ていると、何だかそんな気がしてくるよ。」
そう言って豪快に笑った逞しい金髪の男はもういない。 ちょうどその話をしてから6日後、フリッツはブロンクスでちゃちなチンピラの流れ弾に当たって死んだ―。
互いの存在そのものが自らの存在の在り処であり得るような相棒に出会わなかった自分は、不幸なのだろうか。 分からない。 分かっているのは、自分は生涯、ルパンを追い続ける為に生まれてきたのだということだ。
秋の日は早くも翳りを見せ、長い夜の足音が近づこうとしていた。 今夜もまた徹夜仕事になりそうだと思いながら、銭形は一つ、大きなくしゃみをした。
Fin
|