恋人たちの蒼い夜




ざわざわと、風が木々を揺らしている。

月のない、暗い夜だった。


ルパン家の邸宅の裏の林の杉木立の下に、佇む少年の姿があった。

射干玉の髪も黒服を纏ったその姿も、夜に溶けて表情さえ読み取れなかったが、もし彼の姿を見る者があったなら、待ち人がいるのだ、と分かっただろう。

少年は、しきりに腕時計を気にしていた。

強い風の中を、鋭敏な感覚をより澄ませて、彼は待ち人の足音が聞こえるのを待っていた。

その時、草を踏む音がして、少年はぎょっとして振り返った。

いつも待ち人が現れる方向とは、全く正反対から聞こえてきた音であったから。


「…俺だ。」


低く押さえた声であったが、紛う事ない待ち人の声に、少年はほっと胸をなでおろした。


「…見つからなかったか?」


心配そうに少年が問うと、待ち人は傍らまで来てその肩を抱き、やはり押さえてはいたが大きく息を吐いた。


「…大丈夫。俺がそんなヘマするかよ。」


ふたりは杉木立の下に腰を降ろした。


「それにしたって、遅かったじゃないか。30分も過ぎてる。」


少年がそう言うと、待ち人はその頬に軽く口付けてウィンクした。


「警護が入念でさ。…親父の奴、段々やることが陰湿になってくるな。」

「…父親のことを、そんな風に言うもんじゃない。」


待ち人はその言葉に目を丸く見開いたが、やがてにっこりと笑って少年を抱き締めた。


「…お前の、そういうところが好き。人を大切にするところ。」


少年はどぎまぎしながら話題を逸らした。


「…あ、あの、見せてくれる約束だったものは…」


ああ、と、待ち人は少年から一旦身体を離して、決して灯りが見咎められない様に木の陰で慎重にランタンを灯した。

暖かな炎が、少年と待ち人の顔を照らした。

見れば待ち人は、対する少年と幾らも違わぬ年頃の少年だった。栗色の巻き毛の美少年だ。

しかしその所作や表情には、年に似合わぬ落ち着きと風格が備わっていた。


「…ほら。こいつ。」


巻き毛の少年が差し出したのは、重厚な趣のリボルバー式拳銃だった。

射干玉の髪の少年の目が、魅入られた様に銃に引きつけられた。


「S&W、 M19コンバットマグナム。装弾数は6発。…お前、オートマチックは部品が多いからすぐ動作不良を起こして使いづらい、って言ってたろ。リボルバーなら、こいつがオススメ。破壊力は抜群だし、軽量だから携帯にももってこい、ってシロモノさ。」


「手に取ってみてもいいか?!」


巻き毛の少年が微笑んで頷くと、少年は目を輝かせて銃を取った。

ずしり、と、重みが腕にかかる。トリガーに手をかけて、感触を確かめる。弾倉に弾が装填されていないのを確かめてから、何度かファニングを行ってみた。

ひとしきり一連の動作を確かめると、少年は感嘆の溜め息を洩らした。


「すごい…!こんな銃があったなんて!」


頬を紅潮させて少年が振り向くと、巻き毛の少年は苦笑しながらこちらを見ていた。


「…な〜んか、俺のことより銃の方が大事みたいな感じだな。妬けるぜ?次元。」


そう言うが早いか、猫の様に俊敏に、巻き毛の少年は次元の目の前に歩み寄った。


「あ…悪い、ルパン…」


次元が紅らいだ頬のまま俯くと、ルパンは白い手をその顎にかけて上向かせ、漆黒の瞳を覗き込んだ。


「ルパン…あの…」


次元が所在なげに慌て出す。


お互いの気持ちを確かめ合ってから、まだ日が浅い。

幼い頃から帝国の女たちと戯れていた自分と違って、次元は初心なのだ。


「…全部欲しいなんて言わないから、少しだけご褒美くれよ。」


そのままルパンは、唇を次元のそれに重ねた。

強張った身体をほぐす様に、優しく腕を、背を撫で摩る。



しかし、どうにも物足りない。


次元に無理強いしたいわけではない。むしろ、大切にしたい。

けれど、誰に対しても感じたことのないこの気持ち―

燃えるような奔流を、時々押さえがたくなる。こんな風に次元が傍にいるときは、当然のごとく。

もどかしさから来る不安が呼び起こしたものか、その時ルパンの脳裏にある出来事が浮かんだ。




昔、帝国の射撃大会で、次元が父であるルパン二世を怒らせたことがある。

会う事も稀な父にその話を聞くのは無理だったし、次元も詳細を語ろうとはしない。

しかし、ルパンが次元と親しくなったことを知ると、途端に父はルパンの外出を制限しだした。

ルパンは持ち前のカンの良さで、その理由を察していた。

どういう経緯があったのかは分からないが、父は次元を気に入っているのだ。いや、もしかしたら、それ以上の感情を抱いているかもしれない。

一世を超えるかもしれない天才、と謳われている息子の自分だが、だからこそ相手の力量は良く分かる。



父が本気で次元を奪うつもりなら―

手段を選ばないに違いない。



そう思ったとき、ルパンは強烈な焦燥感に駆られた。ルパンの変化に、次元も気がついた。


「…ルパン?」


唇を離して怪訝そうにルパンの顔を見つめる次元を、ルパンはそのまま苔の上に押し倒した。


「…ちょっ…!ルパン…!」


抵抗する身体を封じて、隙の出来た唇に乱暴に舌を入りこませた。


「んっ…!んん…!」


愛撫ではない、ただ屈服させる為だけの、冷たい口付け。

次元は眉をしかめて、拒絶の意思を示した。

突然下唇に激痛が走り、ルパンは身を起こした。手をやると、ぬらりと血が光った。

次元を見れば、口元にルパンの血をつけたまま、肩を上下させてこちらを睨みつけている。その目は涙に濡れていた。


「…何でこんなことするんだよ!」


荒い息の下から、次元は低く叫んだ。

ルパンは、じっと手のひらの血を見つめていた。




詫びる言葉もない―

嫉妬から、大切な恋人を踏みにじろうとした。




ルパンはがっくりとその場に座りこむと、膝に顔を埋めて呟く様に言った。


「…ごめん…」 


次元がまだ息を切らせているのが分かる。

何も言ってくれない。


―もしかしたら、このまま失ってしまうのだろうか。


ルパンは、全身から血の気が引くのを感じた。

今までどんな奴と知り合いになっても、それが男でも女でも、失うのが怖いと感じたことなどなかったというのに。いや、むしろ、彼らを人間と思っていなかった。

世界の中心は自分で、自分以外に欲しいと思ったものは何もなかったのだ。


―次元に会うまでは。


「…本当に、ごめん…。」


ルパンは、拙い言葉を繰り返すしかなかった。

次元が立ちあがって、近づいてくるのが分かる。やがて片膝を地面につくと、ルパンの肩に手がかけられた。思わず身体が竦んだのが悔しかった。

次元は口元の血を袖で拭うと、言った。


「…なあ、俺はどこにも行かないから。」


次元の言葉に、ルパンは僅かだけ顔をあげた。


「そんなに焦らなくても、俺は、ずっとお前の傍にいるから。…だから、安心しろよ。な?」


次元は手を回して、ルパンを抱き締めた。

温かいものが、漣のように広がっていく。ずっと自分が知らなかった事を、次元はいとも簡単に教えてくれる。



人のぬくもり、優しさ、絆―


きっと生きていく上で何よりも大切な、それらのことを。

ルパンも両腕を次元の身体に回した。そしてふたりは、しっかりと抱き合った。


「…次元、好きだ…。」


好きだ―


次元の頬に頬を寄せると、不安も胸の痛みも薄れていった。次元はそっとルパンの唇の傷に唇をあてて、おずおずと、だが詫びる様に、舌でその血を舐め取った。



 

そのまま白い朝もやが辺りを満たすまで、ふたりは杉木立の下で抱き合って眠った。



ふたりとも、穢れを知らぬ天使のような微笑を浮かべて、眠っていた。






〜Fin〜



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